News for the ‘パ日誌’ Category

21/07/2013/SUN/九百三十三日目

朝、「パ」ートナーを叩き起こし、寝ぼけた彼女の手を引っぱりながら投票所へ。

今回の参議院選は未来がかかっています。もし自民党をはじめとする改憲に積極的な党の獲得議席が、合わせて3分の2に達すれば、彼らは真っ先に憲法96条に手を付けようとするでしょう。僕は原「パ」ツにも、TPPにも、そして(少なくとも現政権による)憲法9条改変にも反対ですが、まず僕が何より憂慮しているのは、この憲法96条が変えられてしまうことです。

自民党は96条で定められた3分の2という発議要件を2分の1に緩和することで、「国民に憲法が自分たちの手にあると実感できるようにする」とあたかも国民主権を尊重するようなことを言いますが、いままで改憲議論に蓋をしてきたのは当の自民党です。このタイミングでそんなことを言われても…と思います。それにわざわざ発議要件を2分の1にしなくとも、国会にいるのは国民が自らを代表するべく選んだ議員たちですから、国民が本当に求めるならば、衆参両院で3分の2の賛成を得て、憲法改正の発議に至るはずでしょう。

そもそも憲法とは国家権力を縛るための法です。改憲するならば、現行のルールに則って正々堂々とやるべきであり、そのルールを変えて思い通りに事を運ぼうというのは、とてもずるいやり方だと思いませんか。立憲主義は人類がその歴史の中で血を流しながら獲得した英知です。軍隊を持ち、警察を持ち、紙幣を刷ることができる強大な権力が、自らの思う通りに簡単に変えられるような憲法など、もはや憲法ではないでしょう。

自民党の改憲案にはたくさんの憂慮すべき問題点がありますが、一つ一つの具体的な法案以前に、改憲案の根本に潜む彼らの魂胆に、僕は今、強い不信感と危機感を抱いています。それは真っ先に96条に手を付けようとする姿勢にも表れていますし、改憲案全体に渡って基本的人権への姿勢が大きく後退した表現になっている点にも表れています。震災以降、国家権力は国民をいかに思い通りにコントロールするかに執心しているように見えます。その為に、まず国民が権力から自らを守るための盾である、基本的人権を奪おうとしているとしか思えません。自民党の改憲案にはそんな彼らの魂胆が如実に表れているのです。

さらに自民党の改憲案の前文には以下のような文言があります。

『日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し…』

これには、ふざけるなと言いたいです。愛情とは人間の心の一番深いところにある、誰にも侵されてはならないものであるはずです。上から”責務”として命じられる筋合いはありません。何を愛するかは自分で決める…いや、もしかしたら愛というのは自分の意思ですら決定できるものでもなく、心の深いところから、自ずと湧き上がってくるものかも知れません。そうした人間本来の心の自由を侵し、個人を内側から支配しようとする憲法など、認められるはずがありません。

投票用紙に記入しながら、ちゃんと書いているかな、と隣の記載台に向かう「パ」ートナーを見てみると、先ほどの寝ぼけた顔とは打って変わってその表情は真剣でした。今回の参議院選でも自民党は圧勝すると言われています。原「パ」ツを推進し、TPPに参加し、憲法改変しようとしているにも関わらずです。それでも未来のために、僕は「パ」ートナーと共に、怒りを、そして希望を込めて、一票を投じます。あなたのことを想いながら。

千葉県北東部を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 7月 21st, 2013
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20/07/2013/SAT/九百三十二日目

「パ」ートナーの仕事場の友人たちとホームパーティー。「パ」ートナーは卵巣腫瘍の現実を彼女なりに受けとめつつあるようで、今日は良く笑っていました。良かった。

未明、福島県沖を震源に震度3。昼すぎ、鹿児島県薩摩地方を震源に震度3。午後、茨城県沖を震源に震度3。夜、千葉県東方沖を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 7月 20th, 2013
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19/07/2013/FRI/九百三十一日目

一日中、デスクワーク。

福島第一原「パ」ツの事故で、がんが増えるとされる100ミリシーベルト以上の甲状腺被曝をした作業員が、推計も含め2千人近くもいたことが分かりました。これは昨年公表した人数の10倍にあたる人数になります。作業員の内部被曝の大部分は事故直後の甲状腺被曝であるにも関わらず、国の規則が全身の被曝線量の管理しか求めていないため、甲状腺被曝の実態把握が遅れているとのこと。しかし内部被曝が、まず甲状腺に表れるであろうことは素人の僕にでも分かることです。日本の報道では甲状腺被曝のがんの増加は100ミリシーベルトからとされていますが、チェルノブイリでは50ミリシーベルト以上でがんが増えたとの報告もあります。

朝、岩手県沖を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 7月 19th, 2013
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18/07/2013/THU/九百三十日目

芸大で担当授業の前期成果発表。

仕事帰り、首都高中央環状線、富ヶ谷出口付近のトンネル内で渋滞にハマり、ふと脇に目をやると、すすで汚れた壁に何者かが指で書いたと思われる謎の「パ」の字を発見。

福島第一原「パ」ツでは、3号機の原子炉建屋5階から、白い湯気のようなものがもうもうと上がっているのが発見されました。東京電力は雨水が蒸発した可能性が高く、「新たな放射性物質の放出はない」としています。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

トンネルのパ

Posted: 7月 18th, 2013
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17/07/2013/WED/九百二十九日目

多摩美で担当講義「パ」フォーミング・アーツ論。今日は学生による「パ」フォーマンスの発表。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 7月 17th, 2013
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16/07/2013/TUE/九百二十八日目

芸大で演習授業。仕事のため、今日は付き添えなかったのですが、「パ」ートナーは卵巣腫瘍のMRI検査へ。検査結果はだいたい一週間後になるとのこと。

朝、岩手県沖を震源に震度3。夜、釧路沖を震源に震度4。今日は完封。

Posted: 7月 16th, 2013
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15/07/2013/MON/九百二十七日目

デスクワークをしていると、twitterでうちのすぐ近くに共産党の畑野君枝候補が来ているとの情報が飛び込んできたので、演説を聞きに駅前へ。演説を聞いていたら、赤旗の記者から取材を受けました。

今回の参議院選では共産党が躍進するのではないかと言われています。報道によれば、首都圏では昨年まで与党だった民主党の支持率をついに超えたとか。反原発、反改憲、反TPPの受け皿としての役割が大きくなっているようです。僕はとにかく自民党の政策には大反対なので、今回の選挙では自民党に正面から対決する共産党に入れるつもりです。

そういえば「パ」ートナーのお爺ちゃんは共産党員でした。北アルプスを飛騨側から上る小池新道というルートを切り開いた、まるでお伽話に出てくる仙人のような天性のエコロジストで、自分で撃った熊の毛皮を着込み、自作の蓄音機でエルヴィスを聴きながら、赤旗に寄稿するような人だったそうです。玉音放送を受けて双六岳の頂に建てられた山小屋の屋根の上にお爺ちゃんが赤い旗を立てたというエピソードは、登山者たちの間で未だに語り継がれているそうです。

夜、与那国島近海を震源に震度3。今日は完封。

granpa

Posted: 7月 15th, 2013
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14/07/2013/SUN/九百二十六日目

曇りのち、一時雷を伴う大雨。

元々料理はできない方なのですが、最近、タジン鍋で野菜や魚介を蒸して食べるのが日課になっています。特に浅利を下の方に入れてダシをとると、とても美味しくできるのです。今日母との電話で、そんな話をしていた時のこと…。

母:「ちょっと、あなた、浅利ってどこのを使ってるの?」

僕:「え、ヨーカドーで買ったやつだけど」

母:「産地は?」

僕:「よく分かんないけど、真空パックになってるやつ」

地雷ワード、「真空パック」、「パ」裂。

母の指示で昨晩使った浅利の入っていたプラスティックのパックを、ゴミ箱からあさって確認してみると、そこには「中国産」と書いてありました。母によれば中国産の浅利は危険なので、今後は絶対買わないようにとのこと。そんなことよりも僕としては「パ」裂させられてしまったことの方がよっぽど問題なのですが、まったく母親というのは、いくつになっても子供に干渉したがる生き物のようです。

震度3以上の地震は観測されず。

Posted: 7月 14th, 2013
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13/07/2013/SAT/九百二十五日目

「パ」ートナーは富士山へ撮影に。卵巣腫瘍のことが心配ですが、仕事なので休むわけにもいきません。

僕はというと一日中、デスクワーク。

未明、宮城県沖を震源に震度3。

Posted: 7月 13th, 2013
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12/07/2013/FRI/九百二十四日目

9月にやる展覧会のために、ギャラリーで打ち合わせ。帰宅後、卵巣腫瘍のことで落ち込んでいる「パ」ートナーのケア。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 7月 12th, 2013
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11/07/2013/THU/九百二十三日目

「パ」ートナーと手術するならいつ、どの病院が良いかなど、話し合いました。

「パ」ートナーは昨日から落ち込んだままですが、せめてもの救いは、最悪、腫瘍が悪性と診断され、右の卵巣を摘出することになったとしても、左の卵巣はまだ未来と繋がっている…つまり、まだ妊娠できるということです。僕は今、命を受け継ぐため、女性の体に卵巣が2つ備わっているという事実に感動しています。

福島第一原「パ」ツの井戸の地下水から高濃度の放射性物質が検出されている問題で、昨日、原子力規制委員会は「高濃度の汚染水が海へ広がっていることが強く疑われる」と指摘しました。原子力規制委員会は、先月の26日に同様の指摘をしています。

また、東京電力は3号機タービン建屋近くにある深さ約30メートルの立て坑内の汚染水で、1リットルあたり1億ベクレルのセシウム137を、海から約25メートルの井戸からストロンチウム90を検出したと発表しました。

未明、宮城県沖を震源に震度3。夜、宮城県沖を震源に震度3。震度3以上の地震が観測されたのは一ヶ月ぶり。今日は完封。

Posted: 7月 11th, 2013
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10/07/2013/WED/九百二十二日目

午前中は多摩美で担当している講義「パ」フォーミング・アーツ。今日は学生有志による「パ」フォーマンスの発表でした。

仕事を終えて帰宅すると、婦人科へ風疹検査の結果を聞きにいっていた「パ」ートナーから連絡がありました。

「遅かったね、大丈夫?」と僕。

「うん、ちょっといろいろあって、迎えにきてくれる?」と「パ」ートナー。

彼女の声はとても沈んでいました。これは何かあったな、と胸がざわついたのですが、とにかく病院まで車で駆けつけました。すると抜け殻のようになった「パ」ートナーが、辿々しい足取りで婦人科から出てきました。聞けば、しばらく病院のベッドで休んでいたというのです。

「一体どうした?」と聞くと、風疹の検診のついでに受けた子宮検査の結果を聞いてショックのあまり気を失ってしまった、家で話すと取り乱してしまいそうだから、どこかお店に入って話したいとのことでした。

僕らは行きつけのカフェバーへ入り、席に座りました。おそらく検診の結果が好ましくなかったに違いありません。一体どんな結果だったのか、僕は落ち着かない気持ちを抑えながら、憔悴しきった「パ」ートナーが話し始めるのを辛抱強く待ちました。

「パ」ートナーは紅茶を一口啜ったあとに、大きくため息をついてから言いました。

「右の卵巣に腫瘍がみつかったの」

大きさは5.1cm。良性か悪性か、細かく検査しなければまだはっきりとは分かりません。しかしどちらにしても、手術は避けられないとのことでした。卵巣は多少腫れても自覚症状がないため、「沈黙の臓器」と呼ばれるそうです。そして卵巣癌は宿主を静かに死に至らしめることから、「サイレントキラー」と呼ばれるのだとか。運良く良性だったとしても、いつ茎捻転を起こすか分かりません。その場合は卵巣を全摘出しなければならないでしょう。どちらにしても「パ」ートナーは下腹部に爆弾を抱えているのです。

もう一つ、彼女が心配していたのはお金の問題でした。「パ」ートナー曰く、手術代や入院費など諸々合計すると、多分20万円近くかかるだろうとのことでした。

僕は言いました。

「大丈夫、あの100万円があるから」

こういう形で「パ」を売った100万円に手をつけることになるとは正直、想定していませんでした。しかし、いずれにしても僕と「パ」ートナーとあなたの未来のために大切にとっておいたお金です。いいですよね?

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 7月 10th, 2013
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09/07/2013/TUE/九百二十一日目

芸大で授業の日。今日は猛暑でした。

福島第一原「パ」ツの事故当時、現場で指揮を執っていた吉田昌郎元所長が亡くなったというニュースが日本中を駆け巡りました。享年58歳。死因は食道癌。東京電力は訃報が伝えられるや否や「吉田元所長の累計被曝量は70ミリシーベルトであり、事故による被曝が病気に影響した可能性は極めて低い」と因果関係を否定しました。

吉田所長は以前、原「パ」ツの設備管理部の部長を務めており、想定を大きく上回る大津波がくる可能性が指摘された際、そのようなことは現実にはあり得ない、と主張して対策を講じなかったといいます。結果的にその判断の甘さが原「パ」ツ爆発の直接の原因である電源喪失を引き起こすことになるので、吉田所長はあの事故の責任者であると言われています。
しかしその一方で、事故後の現場対応で、東電本店から原子炉への海水注入を中断するよう命令された際、彼はその命令を拒否し、自らの判断で注入を続行しました。もしその判断がなければ、東北と関東一帯は人の住めない地域になっていたと言われています。したがって吉田元所長を日本を救った英雄と讃える人も多いです。確かにその吉田所長の判断がなければ、もしかしたら僕も深刻な被曝を被っていたかも知れません。

これまでに正式に発表されているだけでも、福島第一原「パ」ツの現場勤務での死亡は6人。いずれも東電は事故による被曝は死因に関係がないとしています。

そして今日、その福島第一原「パ」ツ2号機近くの井戸から、1リットルあたり2万2000ベクレルのセシウム137が検出されました。これは4日前の100倍の数値とのことです。一昨日発表されたのはトリチウム、その前はストロンチウム、そして今日はセシウム。何だか訳が分からなくなりますが、各核種、日々着実に過去最高汚染濃度を更新しています。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 7月 9th, 2013
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08/07/2013/MON/九百二十日目

夕方、「東急田園都市線の渋谷駅で発砲事件が発生し、騒然としている」との情報がツイッター上で広がっていました。ちょうど「パ」ートナーが仕事帰りで渋谷駅にいる頃だったので、心配になり、電話をかけたのですが繋がらず。しばらくして無事が確認できてホッとしたのですが、結局「発砲事件」というのはデマで、「拳銃の形をしたライターを持った男が、大声を出すなどして暴れて警官に連行された」というのが真相でした。

日本時間未明、ソロモン諸島北方を震源にM7.3の地震が観測されました。日本では震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 7月 8th, 2013
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07/07/2013/SUN/九百十九日目

一日中、アトリエで姉の遺品整理。アトリエの近くを散歩をしている時のこと、軒先で誰かがギターをつま弾きながら、カントリーロードを歌っているのが聴こえました。

東京電力は本日、福島第一原「パ」ツ2号機付近の井戸から5日に採取した水から1リットルあたり60万ベクレルのトリチウム(昨日、一昨日検出されたのはストロンチウム)を検出したと発表しました。これまでの最高値とのことです。
震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 7月 7th, 2013
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06/07/2013/SAT/九百十八日目

今日も一日中、アトリエで姉の遺品整理。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 7月 6th, 2013
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05/07/2013/FRI/九百十七日目

今日も一日中、アトリエで姉の遺品整理。

東京電力は、福島第一原「パ」ツの海側にある井戸の水から、1リットルあたり90万ベクレルのストロンチウム90などの放射性物質を検出したと発表しました。これは事故後に検出された地下水の汚染としては最も濃い濃度になります。さらに原「パ」ツの取水口がある港湾内の海水からは、1リットルあたり2200ベクレルのトリチウムを検出されました。これも今までに検出された海水の汚染の最高濃度になります。
これら井戸の汚染値の上昇と、海水の汚染値の上昇は、どう考えても関連があると思わざるを得ませんが、それでも東京電力は汚染水が海へ流れ出していることを認めません。彼らの言い分は「2011年の4月に取水口の穴から大量の汚染水が海に流れ出したが、その際に地中に残った汚染水がまわりに広がっているのだ」というものです。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 7月 5th, 2013
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04/07/2013/THU/九百十六日目

一日中、アトリエで黙々と姉の遺品整理。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 7月 4th, 2013
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03/07/2013/WED/九百十五日目

午前中、多摩美で担当講義、「パ」フォーミング・アーツ論。今日のテーマはジャクソン・ポロックとジョン・ケージがアラン・カプローに与えた影響と、ハプニングの発生について。

夕方、「パ」ートナーから電話。今日は徹夜で授業の準備をして大学へ出かけたのですが、あまりに眠くて居眠り運転をしてしまったことを笑いながら話したところ、彼女の中で心配を通り超して怒りに変わり、その怒りを受けて僕も怒ってしまい、遂には電話越しの大喧嘩に発展してしまいました。「仕事なんだからしょうがないじゃないか!」と僕。「一昨年、交通事故起こして危うく死ぬところだったじゃない。そんないつ死ぬか分からない人となんか一緒に生きて行けない!」と「パ」ートナー。挙げ句の果てには「今からビルの屋上から飛び降りる!」と、電話を切られてしまいました。そんな時、彼女は本当に飛び降りかねないのですが、何度もしつこく電話をかけて思いとどまらせ、最終的には何とか仲直りできました。ふぅ、セーフ、セーフ。

東京電力は、福島第一原「パ」ツの海側の井戸から、1リットルあたり4300ベクレルのストロンチウムなどの放射性物質を検出したと発表しました。一方、福島市内では中心市街地のビルの屋上に生えた苔から、170万ベクレルを超えるセシウムが検出されました。

今日は震度3以上の地震は観測されず。大喧嘩の中でも、「心配」は「しんぴゃい」と発音し、「パ」裂せず。今日は完封。

Posted: 7月 3rd, 2013
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02/07/2013/TUE/九百十四日目

芸大で授業の日。

最近タジン鍋でつくる野菜蒸しに凝っています。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 7月 2nd, 2013
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01/07/2013/MON/九百十三日目

昨日のライブで打撲したのか、手首が痛いです。頭も少しぼーっとします。今日は打ち合わせが二本。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 7月 1st, 2013
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30/06/2013/SUN/九百十二日目

池袋にて鉄格子に囲まれた牢獄の中という珍しいシチュエーションでのライブでした。きっと牢獄という抑圧された場に呼応してしまったのでしょう、何かが僕の中で高ぶって、思いっきり蹴りを入れて壁をぶち抜いてしまいました。終演後、猛烈に反省。

自分のことは普段は穏やかな方だと思いますが、ふとした事がきっかけで破壊衝動にスイッチが入ったときの自分が自分で怖いです。逆に言えば、そういう自分が怖いからこそ普段は穏やかなのだと思います。おそらく人間というのはみんなそのような狂気を内側に抱えていて、それが悪い形で暴発すると、社会の規範を超えて犯罪者と呼ばれるようになるのでしょう。その意味で、パフォーマンスは僕にとって社会性と狂気のバランスを保つために必要なものだと思います。

東京電力は福島第一原「パ」ツの岸壁から6メートルの場所に掘られた井戸の地下水から、ストロンチウムなどベータ線を出す放射性物質1リットルあたり3千ベクレル、トリチウムを43万ベクレル検出したと発表しました。海に流れ出ている可能性もあるとのこと。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 6月 30th, 2013
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29/06/2013/SAT/九百十一日目

僕には珍しいことなのですが、ここ数日体が重く体調が優れません。今日はバンドの練習でスタジオへ入ったのですが、演奏も芳しくなく、レコーダーも紛失してしまい、何もかもが思うように行かない一日でした。そんな日は自然と無口になるものです。

東京電力は、福島第一原「パ」ツの海に近い井戸から掘った地下水から、1リットルあたり3000ベクレルに上る放射性トリチウムを検出したと発表。

震度3以上の地震は観測されず。それもあってか今日は完封。

Posted: 6月 29th, 2013
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28/06/2013/FRI/九百十日目

デスクワークと、渋谷にて打ち合わせ。体調があまり優れず。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 6月 28th, 2013
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27/06/2013/THU/九百九日目

一日、スタジオで作業。

原「パ」ツの使用済み燃料を再処理したプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料20体が、フランスはシェルブールから、喜望峰を経て、高浜原「パ」ツに到着し、保管庫に搬入されたそうです。搬入は福島の原「パ」ツ事故後、初めて。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 6月 27th, 2013
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26/06/2013/WED/九百八日目

雨。多摩美で担当講義「パ」フォーミング・アーツ論。今日のテーマはジョン・ケージと、50〜60年代に同時多発的に起きた、諸芸術におけるパフォーマティヴな転回について。

東京電力は、福島第一原「パ」ツの港湾内で24日に採取した海水から、1リットルあたり1500ベクレルに上る放射性トリチウムを検出したと発表。これは2011年の観測開始以来、最も高い濃度とのことです。4月の時点では110ベクレル、今月21日の時点では1100ベクレルだったとのことで、明らかな上昇が見られます。
つい2日前の発表で東京電力は海への汚染水の流出を強く否定したばかりですが、原子力規制委員会は「汚染水漏えいの影響が海水に及んでいる可能性が強く疑われる」と指摘しています。

一方、千葉県柏市の手賀沼では、鯉から220ベクレルのセシウムが検出されたとのこと。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 6月 26th, 2013
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25/06/2013/TUE/九百七日目

芸大で演習授業。

民主党政権時代に”2030年代原「パ」ツゼロ”との方針を打ち出した、経産省所管の総合資源エネルギー調査会 基本問題委員会が廃止になりました。日本から原「パ」ツをなくすという夢が、ひとつ遠のきました。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 6月 25th, 2013
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24/06/2013/MON/九百六日目

藤田陽介君の自宅でやるライブの打ち合わせのため、神奈川の最北端、藤野へ。藤田邸はかつて養蚕業が営まれていたこともあるという築百年の古民家。とても良い空間です。裏山には水が湧き、生活水はすべてその水で賄われているのだそうです。日が暮れると、水の近くで蛍が飛んでいるのが見えました。地元でとれた野菜を使った料理をごちそうになって帰宅。

一方、19日に井戸から高濃度の放射性物質が検出された福島第一原「パ」ツでは、今日になって港湾内の海水から、これまでの最高濃度となる、1リットルあたり1100ベクレルのトリチウムが検出されました。この件について東京電力は「井戸から海水に漏れたとは言い切れない」としています。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

DCIM100MEDIA

Posted: 6月 24th, 2013
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23/06/2013/SUN/九百五日目

今日は車を整備に出しました。今更ながら冬に履いていたスタッドレスタイヤも履き替え。

夜、「パ」ートナーと喧嘩。最近、「パ」ートナーは精神的に少し不安定な様子。都議選では共産党が民主党を上回り、躍進、議席を8から17に増やしたとのこと。

今日は年で月が一番地球に近づくというスーパームーン。震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 6月 23rd, 2013
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22/06/2013/SAT/九百四日目

今日は目黒川沿いのレストランにて、大学院時代にお世話になった恩師の一人、伊藤俊治先生の還暦祝いのパーティでした。お祝いにホーメイを演奏。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 6月 22nd, 2013
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21/06/2013/FRI/九百三日目

東京電力は、福島第一原「パ」ツで、高濃度汚染水を入れて塩分を抜く淡水化装置から360リットルの汚染水が漏れたと発表しました。漏れた水に含まれる放射性物質はストロンチウムなどで、1リットルあたり2600万ベクレルとのこと。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 6月 21st, 2013
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20/06/2013/THU/九百二日目

芸大で演習授業。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 6月 20th, 2013
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19/06/2013/WED/九百一日目

多摩美で担当講義「パ」フォーミング・アーツ論。今日はアートにおける永遠性と刹那性という時間の問題をテーマに、ロバート・スミッソンやデニス・オッペンハイムを取り上げ、ランド・アートとボディ・アートの血縁関係にフォーカス。

東京電力は福島第一原「パ」ツの1、2号機の海側に掘った井戸水から、1リットルあたり1千ベクレルのストロンチウムと、50万ベクレルのトリチウムを検出したと発表しました。ストロンチウムは法で定められた限界濃度の30倍、トリチウムは8倍の数値になります。
東京電力の説明では、事故で地盤に染み込んだ汚染水が地下水に混じって、井戸に流れこんだ可能性が高いとのこと。現時点では海水の放射性物質の濃度に変化は出ておらず、汚染水が海へ流出したとはいえないとのこと。ちなみにトリチウムの分析結果が東京電力の社内に伝えられたのは、先月31日だったそうですが、今日まで発表されませんでした。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 6月 19th, 2013
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18/06/2013/TUE/九百日目

「パ」と言えなくなって今日でついに900日目。

芸大で演習授業。

仕事を終え、かつて多摩美の教え子だった谷口が個展をやっているとのことで、仕事帰りにギャラリーに寄りました。あれは確か谷口が大学4年に上がる時だったか、餞別にプレゼントしてくれた僕を描いた肖像画は今でも大切にとってあります。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

taniguchi

Posted: 6月 18th, 2013
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17/06/2013/MON/八百九十九日

姉の回顧展実現へ向けて、打ち合わせ。

福島第一原「パ」ツでは、放射性物質除去装置のタンク表面の溶接部分から、処理前の高濃度汚染水が漏れ出した疑いがあるとのことです。漏れた箇所の放射線量は毎時0.2ミリシーベルトとのこと。震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 6月 17th, 2013
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16/06/2013/SUN/八百九十八日

打ち合わせが一本。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 6月 16th, 2013
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15/06/2013/SAT/八百九十七日

民宿で朝食をいただき、食後に民宿のご主人、女将さんと雑談。ずいぶんと話が弾みました。女将さんは生口島出身だそうですが、ご主人は東京出身とのことでした。昔は二人で東京で暮らしていたそうですが、40年ほど前に脱サラして生口島へ移住し、この民宿を開いたそうです。ご主人は島の人から、未だに「外人」と言われるのだとか。日本語の「外人」という言葉は、そもそも「外国人」という意味ではなく、「島の外の人」という意味だったのかも知れません。

その後は昨日ざっと下見でしか見られなかった耕三寺の観光へ。母親想いだったという耕三寺耕三が母の為に建てたという邸宅、聴聲閣がとりわけ印象的でした。日本家屋と洋館が融合した和洋折衷建築なのですが、母の身の丈にあったこぢんまりとした空間に、細部の細部に至るまで趣向を凝らした独特な装飾が施されているのです。とりわけ寝室はすばらしく、天井には珍しい種類の花鳥風月画が描かれ、欄間にはちび太のようなセキセイの彫り物が彫られていました。

そして午後の新幹線で帰京。震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

欄間

Posted: 6月 15th, 2013
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14/06/2013/FRI/八百九十六日

朝、早起きして新幹線に乗り岡山へ。岡山でこだまに乗り換えて三原からフェリーに乗って瀬戸内海に浮かぶ島、生口島へ向かいます。今日は8月に出演予定のフェスティバル、「生口島レモン共和国」の現場下見。家を出るときは灰色だった空も、フェリー(…と呼ぶにはあまりに素朴な船)に乗り込む頃には青く晴れ渡り、お天道様の光を反射する数多のさざ波は、クリスタルの破片が瀬戸内海に散らばっているように見えました。甲板ではスクリューを回すディーゼルエンジンの震動に揺られながら、おばあさんが昼寝しています。遠くにはひょうたんのような形した島が見えます。別の島の岸には、とてもきれいな白色をした灯台が立っています。もし灯台守として働く人生というのはどんな感じだろう…そんな空想を巡らせながら、僕は潮風に揺られていました。

そうこうしているうちに、フェリーが生口島の港につきました。そこは穏やかな時間が流れるとても静かな島でした。商店街の方へ歩きます。やはりこの商店街も不景気の煽りを受け、シャッター街と化しているのですが、暖かくのんびりとした瀬戸内の風土のせいか、暗い雰囲気は感じられません。フェスティバルスタッフと連絡をとり、ライブ会場となる予定の耕三寺へ。

この耕三寺という所がまたとても不思議な所なのです。第一、耕三寺といいながら正式には「寺」ではありません。なんでも大阪で鋼管製造業の経営をはじめた耕三寺耕三という人物が、軍需産業で莫大な財を成してつくったテーマパークのような所で、公的には博物館という扱いになるそうです。広大な敷地には、日光東照宮や平等院鳳凰堂、銀閣寺といった、日本中の歴史的建造物のレプリカが建ち並び、さらに瀬戸内海を望む高台には広さ5000平方メートルにも及ぶ、総大理石でつくられた「未来心の丘」という空中庭園があります。まさに大富豪の妄想の中の理想郷が、現実の形をもって存在しているようなところです。

少し前にアラブの大富豪が自分の名前を宇宙から読めるように、砂浜に刻んだというニュースがありましたが、浮き世のマネーゲームで莫大な財を成した人が、そのお金を浮き世離れした目的につぎ込もうとする、というのはよくある話です。多かれ少なかれ、アートマーケットもそのようなモチベーションによって動いていると言えると思いますが、耕三寺は日本におけるその最たる例と言えるでしょう。現に耕三寺は国宝級の美術品を数多くコレクションしていて、創設者、耕三のお孫さんである現館長(住職ではない)に、いろいろ見せていただきました。

下見と打ち合わせを終えて、島内と少しドライブ、夕食に瀬戸内名物のタコの天ぷらを食し、民宿で就寝。

インドネシアの南、ジャカルタの南の近海でマグニチュード6.7の地震が観測されました。日本では震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

フェリー

Posted: 6月 14th, 2013
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13/06/2013/THU/八百九十五日

雨。夜、「パ」ートナーと喧嘩。
震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 6月 13th, 2013
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12/06/2013/WED/八百九十四日

多摩美で担当講義「パ」フォーミング・アーツ論。今日のテーマは
マリーナ・アブラモヴィッチ。身体への苦痛や危険がパフォーマンスにもたらすものについて。

仕事を終えて池袋へ、ライブのための会場下見。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 6月 12th, 2013
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11/06/2013/TUE/八百九十三日

芸大で演習授業。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 6月 11th, 2013
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10/06/2013/MON/八百九十二日

佐賀から帰京。

朝、紀伊水道で震度3。今日は完封。

Posted: 6月 10th, 2013
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09/06/2013/SUN/八百九十一日

今日は浦川内公民館でライブ。会場には唐津ケーブルテレビの取材班も来ていました。 ホーメイとイギルによるトゥバのオーソドックスなスタイルに、浦川内の愛郷歌を交えた演奏ではじまり、西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」、骨伝導マイクのパフォーマンス、93歳になるおばあちゃんに捧げられた「おばあちゃんの歌」、心臓の鼓動のパフォーマンス、「パ」ートナーがお父さんとデュエットで歌うために作詞作曲した「遺言」、美輪明宏の「ヨイトマケの唄」、そして最後は九州に伝わる民謡「三池炭坑節」をみんなで合唱して締めくくりました。終演後はおばあちゃんの家の納屋でみんなでバーベキュー。

東京電力は福島第一原「パ」ツの地下貯水槽に入っていた高濃度の汚染水計2万4000トンを、地上の貯蔵タンクへ移し終えたと発表しました。日付変わってすぐ、新潟県中越地方を震源に震度3。今日は完封。

厳木LIVE

Posted: 6月 9th, 2013
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08/06/2013/SAT/八百九十日

朝、起きて、「パ」ートナー、「パ」ートナーのお父さん、僕の3人で、田植えの手伝い。

そもそも今回、「パ」ートナーのおばあちゃんの家に来たのはライブをやるためです。昨年、はじめてここを訪れたとき、「パ」ートナーと二人で作曲した「おばあちゃんの歌」という歌を歌ったのですが、それが親戚一同にもの凄い好評を博し、今年は厳木町の地元の人々を呼んで公演として公民館で演奏することになったのです。お客さんは入場無料なので出演料はタダなのですが、その代わりに田植えをさせてもらって、収穫後にそのお米をいただくことになっています。直接的な価値の交換です。原「パ」ツ事故による放射能汚染や、TPPによる食の安全の脅威といった切実な問題がある中で、自分たちが食べるもの、とりわけ僕らの主食であるお米を自分たちで作る、ということを一度実践し、そのノウハウを学んでおきたい、とかねがね思ってきたのですが、今回こういう形で実現することになりました。

靴を脱いで裸足になり田んぼへ入ります。泥が足指の間をくすぐるその何ともいえない感触を、身体ははっきりと覚えていました。子供の頃、僕の家の近くにも田んぼが沢山あったのですが、そこでカエルやザリガニをとって遊んだあの時の記憶がまざまざと蘇ってきます。僕は両足を開き、腰をかがめて一本一本、イネの苗を植えていきました。田植機だととても早い作業なのですが、精度が今ひとつで、後から直さなければならないこともしばしばなので、やはり手植えが一番です。それにしてもイネの苗の緑色のみずみずしいこと。秋の収穫が楽しみです。

田植え後はおばあちゃんちの納屋でバーベキュー。

未明、台湾付近を震源に震度4。夕方、紀伊水道を震源に震度4。夜、再び紀伊水道を震源に震度4。今日は完封。

taue

Posted: 6月 8th, 2013
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07/06/2013/FRI/八百八十九日

早朝、「パ」ートナーと一緒に、リムジンバスで羽田空港へ向かい、福岡へ飛びました。今年で93歳になる「パ」ートナーのおばあちゃんの家へ行くためです。福岡空港で「パ」ートナーのお父さんと合流。空港から親戚の車に便乗させていただき、佐賀県、唐津市は厳木町、浦川内へ。到着するなり、早速親戚一同があつまっての宴会です。東京ではめったに食べられない御馳走でもてなしていただき、お腹がいっぱいになりました。どぶろくがまわってきたので、少し酔いさまそうと外へ出てみると、すっかり日が暮れていて、軒先の水路で黄緑色の光を灯しながら宙を舞うホタルが見えました。そういえば、ホタルを最後に見たのは、アメリカに住んでいた小学生の時以来です。

未明、十勝支庁北部を震源に震度3。夜、新潟県上越地方を震源に震度4。今日は完封。

hotaru

Posted: 6月 7th, 2013
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06/06/2013/THU/八百八十八日

芸大で演習授業。
未明、福島県浜通りを震源に震度3。昼、千葉県北東部を震源に震度4。今日は完封。

Posted: 6月 6th, 2013
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05/06/2013/WED/八百八十七日

多摩美で担当講義「パ」フォーミング・アーツ論。今日のテーマはクリス・バーデン。身体への苦痛や危険が、パフォーマンスにもたらすものについて。

福島第1原「パ」ツ事故による放射線の影響を調べている福島県の「県民健康管理調査」の検討委員会が、甲状腺がんと診断が「確定」した人は前回2月から9人増え12人に、「がんの疑い」は15人になったとの結果を発表しました。県はこれを受けて、チェルノブイリでは、被曝から最低4~5年後に甲状腺がんが発生しており、「総合的に判断して被曝の影響は考えにくい」と説明しました。

ちなみにチェルノブイリで小児甲状腺がんが増え始めたとき、IAEA(国際原子力機関)の調査団はこんな風に言ったそうです。

「広島で小児甲状腺ガンが出るまでには十数年かかっているのだから、こんなに早くチェルノブイリ被災地で多発するはずがない」

朝、十勝支庁北部を震源に震度3、福島県沖を震源に震度4。今日は完封。

Posted: 6月 5th, 2013
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04/06/2013/TUE/八百八十六日

芸大で演習授業。
夕方、千葉県東方沖を震源に震度3、福島県沖を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 6月 4th, 2013
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03/06/2013/MON/八百八十五日

芸大で演習授業。
震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 6月 3rd, 2013
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02/06/2013/SUN/八百八十四日

昨日に引き続き、家にこもって映像の編集作業。

台湾中部でマグニチュード6.3の地震がありました。落石や土砂崩れで2人が死亡、1人が行方不明、重傷者3人を含む20人の負傷者が出ているとのこと。

日本では午後、十勝支庁沖を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 6月 2nd, 2013
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01/06/2013/SAT/八百八十三日

一日中、家にこもって映像編集作業。

昼、十勝支庁北部を震源に震度3、夕方、十勝支庁北部を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 6月 1st, 2013
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31/05/2013/FRI/八百八十二日

スタジオでバンドのリハーサル。
震度3以上の地震は確認されず。今日は完封。

Posted: 5月 31st, 2013
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30/05/2013/THU/八百八十一日

昨日、安倍首相はインドのシン首相と首相官邸で階段し、日印原子力協定の合意を進めていくことで合意したそうです。福島第一原「パ」ツの事故の影響で中断していたインドとの原発輸出に向けた交渉が、また再開することになります。インドは核拡散防止条約(アメリカ合衆国、ロシア、イギリス、フランス、中国の5か国以外の核兵器の保有を禁止する条約)に加盟しておらず、発電のために導入された技術や核燃料が核兵器に転用されるのでは、と広島や長崎から懸念する声が上がっています。

深夜、大分県西部を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 5月 30th, 2013
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29/05/2013/WED/八百八十日

多摩美で担当講義「パ」フォーミング・アーツ論。今日のテーマは「ノイズ」。ルイジ・ルッソロの「雑音芸術」にはじまり、スロッビング・グリッスル、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン、アート・オブ・ノイズ、非常階段、メルツバウ、そしてマーク・ポーリンのS.R.L.などを紹介。

今日は「パ」ートナーの誕生日。KORG MICRO SAMPLERをプレゼントしました。

夜は「パ」ートナーがお父さんとデュエットで歌うために作詞作曲した「遺言」という歌をレコーディング。すごく良い歌です。

「遺言」
♪おれの遺言、聞いておくれよ
朝はコーヒー、パンにはバター
タバコはいつも、セブンスターさ

おまえはいつも、ちょっと飲み過ぎよ、と
おれの行き方ケチつけるけど
それがおれの生き方なのさ

それでもいつか、おまえには分かるやろ
小さなこだわりに、大きな生き甲斐が、あるんだってことを

そういってセブンスターをプカプカ吸いながら
この墓に入れてくれよと呟いた

おれの遺言聞いてくれよ、平凡のこんな日々が
なにより一番幸せだといった

ララララランランランラン…
ララララランランランラン…

Posted: 5月 29th, 2013
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28/05/2013/TUE/八百七十九日

重い鉛色の雲が空にのしかかる曇りの日。芸大で演習授業。

福島第一原「パ」ツを調査している国連の科学委員会は、住民の甲状腺への被曝は、最大でもチェルノブイリの60分の1以下で、明らかな健康への影響は考えにくいという報告書を発表しました。

震度3以上の地震は観測されず、今日は完封。

led_sky

Posted: 5月 28th, 2013
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27/05/2013/MON/八百七十八日

一日中、デスクワーク。
震度3以上の地震は観測されず、今日は完封。

Posted: 5月 27th, 2013
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26/05/2013/SUN/八百七十七日

一日中、デスクワーク。

夜、パートナーと喧嘩。

朝、宮古島近海を震源に震度3、今日は完封。

Posted: 5月 26th, 2013
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25/05/2013/SAT/八百七十六日

以前寄稿した本がフィルムアート社から発売になったようです。38人のアーティストへのインタビュー集。『仕事や人生や未来について考えるときにアーティストが語ること』

茨城県東海村にあるJAEAの実験施設から23日、実験中に事故があり、管理区域外に放射性物質が漏れたことが分かりました。このトラブルで研究者4人が最大1.7ミリシーベルトの被曝。また、装置のそばにいた約30人が内部被曝した可能性があるとのことです。

昼頃、福島県沖を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 5月 25th, 2013
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24/05/2013/FRI/八百七十五日

一日、デスクワーク。
夕方、福島県沖を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 5月 24th, 2013
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23/05/2013/THU/八百七十四日

原子力規制委員会は、福井県の敦賀原発2号機の真下の破砕帯は活断層であるという結論を出しました。したがって仮に日本原電が再稼働を申請したとしても、実質的な安全審査に入れない見通しです。敦賀の2号機は廃炉になる可能性が高くなりました。

震度3以上の地震は観測されず、今日は完封。

Posted: 5月 23rd, 2013
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22/05/2013/WED/八百七十三日

多摩美で担当講義「パ」フォーミング・アーツ論。今日は「ハッキングされる身体」をテーマに、筋電のデモンストレーションとステラークを紹介。

大学の仕事を終えて都内へ。8月末にオペラシティでやる「パ」日誌朗読会のための打ち合わせと現場の下見。

東京電力は放射性物質を含む汚染水が漏れた福島第一原「パ」ツの地下貯水槽について、北東側に新たに掘った4本の井戸のうち3本の井戸水から、1立方センチあたり0・38~0・03ベクレルのストロンチウムを検出したと発表しました。東電は「濃度が低く、広範囲への影響はほとんどない」としています。

震度3以上の地震は観測されず、今日は完封。

Posted: 5月 22nd, 2013
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21/05/2013/TUE/八百七十二日

芸大で演習授業。
夜、「パ」ートナーと喧嘩。

未明、福島県沖を震源に震度3。夕方、石垣島近海を震源に震度3。夜、群馬県北部を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 5月 21st, 2013
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20/05/2013/MON/八百七十一日

一日中、デスクワーク。
震度3以上の地震は観測されず、今日は完封。

Posted: 5月 19th, 2013
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19/05/2013/SUN/八百七十日目

音楽家の藤田陽介さんが自宅で演奏することをコンセプトに企画しているライブを観に藤野へ。
出演は藤田陽介さん(イントナルモーリ、オルガン、歌他)、石橋英子さん(ピアノ、歌)、山本達久さん(パーカション)。

中央道を車で飛ばして都心から1時間ちょっと。都会の喧噪から脱出して山へと分け入る道のりは、音楽を聴くための感覚の解像度をより高くスイッチさていくのに必要な通過儀礼のように感じました。藤田邸は築百年を超える日本家屋。かつては養蚕業が営まれていたこともあるそうです。とても良い空間でした。

震度3以上の地震は観測されず、今日は完封。

Posted: 5月 18th, 2013
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18/05/2013/SAT/八百六十九日目

夜、高木由利子さん(写真家)、八木美知依さん(筝奏者)のイベントを観に原宿Vacantへ。久しぶりに内橋和久さんにお会いしました。その後「パ」ートナーと合流、裏原宿にある隠れ家的なバー、bonoboへ。

午後、福島県沖を震源に震度4。今日は完封。

Posted: 5月 18th, 2013
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17/05/2013/FRI/八百六十八日目

東京電力は16日、福島第一原「パ」ツの地下の貯水槽から、汚染水の水漏れが相次いだ問題で、2号地下貯水槽から漏れた汚染水の量について、当初推定していた最大120トンではなく、約20リットルとみられると発表を修正しました。

未明、十勝支庁中部を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 5月 17th, 2013
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16/05/2013/THU/八百六十七日目

茨城大学から連絡があり、だいぶ昔に書いた「声」についてのエッセイを、今年度入試の国語長文問題に使ったとのこと。
朝、青森県東方置きを震源に震度3。夕方、茨城県沖を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 5月 15th, 2013
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15/05/2013/WED/八百六十六日目

多摩美で担当講義「パ」フォーミング・アーツ論。今日は「マンマシン」をテーマに、まずヴォコーダーのデモンストレーション。そしてクラフトワーク、ベル研究所のThe Voderとルーズベルトとチャーチルが密談に使用したSIGSALY、そしてキューブリックのHAL9000とそのルーツ、IBM7094などを紹介。

夕方からは高田馬場でシンガポールの展示メンバーとトークショー。トークでは自分が芸術上の都合により「ハ」に「○」のついた音を言えないことを告げました。

【 Public Viewing #2 】トークイベント<シンガポールで考えたこと -「Your Voice is Mine」展 出品作品報告会>
<スピーカー>
アーティスト:佐々瞬、冨井大裕、山川冬樹、山本高之
キュレーター:藪前知子

日付変わってすぐ、群馬県北部を震源に震度3。夜、福島県中通りを震源に震度3。トークショーでも鮮やかに「パ」を避けて、今日は完封。

Posted: 5月 15th, 2013
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14/05/2013/TUE/八百六十五日目

芸大で演習授業。

学生に音声編集ソフトの使い方を教えている時のこと。タイムライン上で、音声(リージョン)をドラッグする際、グリッドの位置に自動的にスナップされる機能について説明していました。

「これをオンにすると、キリのいいところにパチパチ合うでしょ…」

地雷ワード、「パチパチ」パ裂。先週も授業中にパ裂したばかりです。

震度3以上の地震は観測されず。

Posted: 5月 14th, 2013
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13/05/2013/MON/八百六十四日目

やかましいなと思って襖の隙間から覗くと、「パ」ートナーが三味線をかき鳴らす仕草で、またおかしな即興歌を歌っていました。

♪バンバンババンバババンババンバン!
♪イモムシが走ってる!
♪イモムシが走ってる!
♪バンバンババンバババンババンバン!

夜、福島県中通りを震源に震度3。

Posted: 5月 13th, 2013
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12/05/2013/SUN/八百六十三日目

母の日。花屋で母にプレゼントするための花を買いました。茎と花が赤い花。名前は分かりません。実家に渡しにいくと、昔アメリカに住んでいた頃に買った、庭に飾るための風車が壊れたというので、ホームセンターで木材とペンキを買ってきて修理。
夜、空を見上げると、糸のような月。

早朝、与那国島近海を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 5月 12th, 2013
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11/05/2013/SAT/八百六十二日目

雨。シンガポールから展示の機材が戻って来ました。ジャングルの中に設置していた機材には、サルたちがガリガリとかじりついたとみられる歯形がついていて、見るも無惨に壊されていました。サルを甘く見てはいけません。

震度3以上の地震は観測されず、今日は完封。

Posted: 5月 11th, 2013
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10/05/2013/FRI/八百六十一日目

芸大で演習授業。集中講義は今日で終わり。
震度3以上の地震は観測されず、今日は完封。

Posted: 5月 10th, 2013
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09/05/2013/THU/八百六十日目

芸大で演習授業。

「パ」ートナーがオーディションに合格し、金沢21世紀美術館と高知県立美術館で上演される、イギリスの演出家の舞台作品への出演が決定したとのことです。

夕方、沖縄本島近海を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 5月 9th, 2013
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08/05/2013/WED/八百五十九日目

多摩美で担当講義「パ」フォーミング・アーツ論。今日は「電気的に増幅される身体」をテーマに、骨伝導マイクによる実演と、ジミ・ヘンドリックスのエレキギターを対比させながら、ヒトラーのマイク、テレフンケンCMV3へと歴史を遡り、ナチスの拡声技術が現在のパフォーマンスの現場に与えた影響について取り上げました。

仕事の帰りに立ち寄ったハードオフで、思わず大正琴を衝動買いしてしまいました。ハードオフとは中古品販売のチェーン店なのですが、よく大正琴を置いています。値段は1000円〜7000円。おそらくお婆さんやお爺さんが弾いていたものが、本人が亡くなった後に流れてきているのでしょう。僕が買った大正琴は、ハードケースと一緒に、前の持ち主が手作りで作ったアップリケ付きの巾着がついてきました。裏面には「堀田節子」と名前がマジックで書いてあります。きっとお婆さんが大切に弾いてたのでしょう。
それにしても大正琴は奇妙な楽器です。何しろピアノとギターとタイプライターが合体しているのですから。民族音楽学者の権威、小泉文夫先生曰く、唯一の日本発祥の楽器らしいのですが、誰でも弾けるメカニカルな構造になっていて、はっきり言って表現力には乏しいです。平均率の採用や標準語整備といった明治期の国策の響きが聴こえてくるような、そんな音色です。しかし面白いことに僕が買ったものにはピックアップがついていて、アンプに突っ込めるようになってるんですね。ジミ・ヘンドリクスのようにノイズ楽器として扱うことで、日本の近代を脱構築していく、そんな面白さを感じています。

震度3以上の地震は観測されず、今日は完封。

Posted: 5月 8th, 2013
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07/05/2013/TUE/八百五十八日目

芸大で演習授業。

学生に映像編集ソフトの操作方法ついて指導している時のことでした。

「そうすると、ここでパッと映像がでて…」

地雷ワード「パッと」、パ裂。パ裂は17日ぶり。
震度3以上の地震は観測されず。

Posted: 5月 7th, 2013
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06/05/2013/MON/八百五十七日目

今日もバンドのための曲づくり。
震度3以上の地震は観測されず、今日は完封。

Posted: 5月 6th, 2013
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05/05/2013/SUN/八百五十六日目

こどもの日。
今日もこもってバンドのための曲づくり。
震度3以上の地震は観測されず、今日は完封。

Posted: 5月 5th, 2013
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04/05/2013/SAT/八百五十五日目

みどりの日。渋谷O-nestへ飴屋法水さんとMARKさんのパフォーマンスを観に。

報道によれば、中東訪問中の安倍首相は、昨日トルコのエルドアン首相と会談し、トルコへの原発輸出に向けて原子力協定を結ぶことを確認、原発新設プロジェクトへの「排他的交渉権」を日本に与えるとした共同宣言に署名したそうです。原子力協定の締結は2日のアラブ首長国連邦に次いで2例目。福島第一原「パ」ツ事故以後、日本企業が主導する原発受注が確定するのは初めて。
今回の会談について安倍首相はこう語りました。「過酷な事故の経験と教訓を世界と共有し、原子力安全の向上に貢献していくのは日本の責務だ」

史上最悪の原「パ」ツ事故を起こした国の首相が、事故からたった2年後に吐いた言葉です。もちろん、事故は未だに収束していません。

早朝、西表島付近を震源に震度3。夕方、奄美大島近海を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 5月 4th, 2013
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03/05/2013/FRI/八百五十四日目

家にこもってバンドのための曲づくり。
震度3以上の地震は観測されず、今日は完封。

Posted: 5月 3rd, 2013
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02/05/2013/THU/八百五十三日目

今日は渋谷WWWでライブ。詳細は以下の通り。

V.I.I.M×BLACKSMOKER BLACK OPERA ver.0.0 [The Gambler's Fallacy]
【music】山川冬樹 / 伊東篤宏 / 大谷能生 / KILLER BONG / JUBE / RUMI / OMSB(SIMI LAB) / DyyPRIDE(SIMI LAB) / hidenka / 千住宗臣 / CHIYORI and more!【concept / text】五所純子 / 大谷能生 【art】河村康輔 / KLEPTOMANIAC 【dance】東野祥子 / 片山真理 / メガネ / Tanishq / ケンジル・ビエン 【visual】rokapenis 【DJ】Shhhhh

中東訪問中の安倍首相は、アラブ首長国連邦のムハンマド副大統領と会談し、原子力協定を結びました。福島第一原「パ」ツ事故以後、日本が他国と原子力協定を結ぶのは初めてです。安倍首相はアブダビで記者団に対しこう述べました。

「中東は新しいエネルギーとして原子力を求めている。日本の安全な高い水準の原子力技術を提供したい」

史上最悪の原「パ」ツ事故を起こした国の首相が、事故からたった2年後に吐いた言葉です。もちろん、事故は未だに収束していません。

一方、福島第一原「パ」ツでは、海側に掘った井戸の地下水から、1ccあたり3.8ベクレルの汚染水が検出されました。これは国が定める20分の1の値とのこと。
夜、栃木県南部を震源に震度3。今日は完封。

blackopera

Posted: 5月 2nd, 2013
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01/05/2013/WED/八百五十二日目

今日はゴールデンウィークの間に挟まれた平日。多摩美に出勤したものの、キャンパスには誰もおらず、閑古鳥が鳴いていました。どうやら休業日だったところを勘違いして出勤してしまったようです。

「パ」ートナーの出演している、テレビアニメ『惡の華』のオープニング曲のプロモーションビデオが公開されました。

震度3以上の地震は観測されず、今日は完封。

Posted: 5月 1st, 2013
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17/04/2013/WED/八百三十八日目

多摩美で担当している講義「パ」フォーミングアーツ論二回目。今日の授業では心臓を停めてみせました。授業中「パ」ートナーから電話があったのですが、でられず、何だろうと気になっていたのですが、授業後、昨日の八つ当たりの詫びと、マッサージへの感謝を綴ったメールが届きました。

夜、仕事を終えた「パ」ートナーから電話。体調が優れないらしく、力のない声で、「喉にしこりを見つけて、押すと痛いんだけど、放射能のせいかな?」と不安げに言いました。だいぶ疲れているようなので、青山まで車で迎えにいってやることに。明日の朝、病気に連れていきます。何事もなければよいのですが。

午前中、房総半島南方沖を震源に震度5弱、三宅島近海を震源に震度4。その後も余震が続き、夕方、伊豆大島近海を震源に震度3、三宅島を震源に震度5強。夜、与那国島近海を震源に震度3、宮城県中部を震源に震度5弱。

特に三宅島では、少なくとも夕方6時すぎまでに震度1以上が21回、うち7回が震度3以上で、ブロック塀の倒壊や、土砂崩れがあり、割れたガラスで手を切った人や、転倒して怪我をした老人もいらしたとのこと。

今日は地面がたくさん揺れましたが、僕は完封。

Posted: 4月 17th, 2013
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16/04/2013/TUE/八百三十七日目

朝から芸大で授業。

日本時間で今日未明、ボストンでテロがありました。現時点確認されている限りで3人が死亡、17人が重体、170人以上が負傷。また日本時間の今日の夜、イランとパキスタンの国境に近い地域でM8の地震が発生。少なくとも40人が死亡、さらに死者は数百人に上る可能性があるとのことです。

「パ」ートナーはというと、最近いろいろ頑張りすぎて、体力に限界がきたようでご機嫌斜めです。今夜は一方的に八つ当たりされてしまったのですが、マッサージをしてやると、急に素直になり、ころっと眠ってしまいました。

日本では震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 4月 16th, 2013
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15/04/2013/MON/八百三十六日目

今日は網膜がわななくほど、太陽が明るい日でした。

昼間は英国BBCのインタビュー取材。震災後の日本のアートについてのラジオ番組だそうです。「パ」裂するのが嫌だったので、芸大の卒業生で英語が堪能な田村さんに通訳をお願いしたものの、なんだかんだでやはり英語で話す必要に迫られたのですが、「Power plant」は「ポワープラント」、「person」は「ペースン」などと、キングス・イングリッシュ(?)気取りで発音することで、巧みに「パ」裂を回避。

その後、スタジオにこもって一人で歌い込み。夜は「パ」ートナーがラヴェルのボレロを、ドブネズミの行進に見立てて即興でおかしな歌詞をつけて熱唱してくれました。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 4月 15th, 2013
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14/04/2013/SUN/八百三十五日目

昼、田川さん、その家族とジョーさんの家へ。かつて田んぼだったという湿地で、ぼーっとチルアウト。周りの竹林の竹たちが風にゆらゆら揺れて、互いに胴をぶつけあい、コンコンと音をたてていました。

そういえば先日のセッションの録音を、「パ」ートナーがあるオーディションに応募してしまったらしいのですが、なんでも一次審査を通ったと通知があったとのこと。さらに本選で勝ち進むと大手レコード会社との契約が決まるらしいのですが、とりあえず棄権することに。

先日のセッション以来、以前は使っていなかった音域を使って歌うようになってきています。いくつかこのバンドで演奏するための曲ができつつあります。

午前中、埼玉県南部を震源に震度3。夜、福島県沖を震源に震度3。今日は完封。

写真

Posted: 4月 14th, 2013
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13/04/2013/SAT/八百三十四日目

多摩美で助手を勤めていた頃に学生だった松岡君から久しぶりに連絡がありました。なんとうちの真向かいに引っ越してきたとのこと。こちらとあちらに糸を渡して、糸電話をやろうということになりました。

そして夜は先日組んだバンドのメンバーで集まって、飲みながら会議。ジョーさんちの敷地にバックミンスター・フラーのジオデシック・ドームを建ててスタジオにしようということになりました。

そして帰宅。また「パ」ートナーのぶっ飛んだ独り言がはじまりました。iPhoneでこっそり録音したので、以下に書き起こします。

 

ハッピーバースデー!ケーキの中から両手が飛び出てきたんだよ。屈伸する予定だったのに、すすき野原に咲いたのは花火だったのさ。いててて…、ポテトチップス食べようと思ったら、月が欠けたチップスだった。あいててて…。孔雀の羽と靴べらを間違えては履き間違えたよ。あぁ、痛い、あぁ、痛い、その靴べらの先にはフクロウが眠っていたのさ。そのフクロウは顔の形がドラゴンになって、いてててて…、痛い、痛い、痛い、痛い、その女は傘をかぶって歩いていたのさ。その女のくちばしには、たった一つの、痛い、痛い、痛い、手巻き寿司!咲いた花から桜の花で、あぁ、痛い。ほおずき咥えてくちばしに。折れた傘の骨組みは、今日も泣き虫のカラスの顔にみえる。たんぽぽの綿毛が飛んで、飛んだ先には、痛い、痛い、痛い、排水口がV字に折れて、青色の稲妻が吹き出してきたんだよ。青色の稲妻は次々に、アメーバダンスを踊りながら、細胞分裂を繰り返したのさ。お尻の花に見えたその星形は、鉛筆の芯が尖った先だったのさ。僕たちは今日も、おぉ!、ビリビリに破いた地図の合間から流れ落ちる黄色い夕日の先を見ていたのさ。あぁ、そこには金色の簾が落ちていて、僕たちは左手と右手をS字に迷いながら、その簾を飛んで行くぅ…。あぁ、飛行機の羽が少し落ちてきたよ。僕は鯨とクラゲの上に乗っかりながら、くちばしにはセミの羽をとっつけたのさ。三角定規の使い方を教わったことを忘れてしまったものか。君はそれを羽にして空を飛ぼうとしたよね。あぁ、痛い!痛い!痛い!あぁ!二つに並んだドラム缶の隙間から、カタツムリが触覚を切られて飛んでいたよ。その先には、これはなんでしょうか?…トイレのドアノブを開ける瞬間に!口紅の蓋がポロリと落ちた!手招きしてるのはあなたですか?ミカンの樹から落ちたら、そこはもう別世界で、螺旋階段を上ると少し怖い顔をしたお兄さんたちが、僕たちを追ってくるんです。そうです。そうです。あぁ…。あぁ!あぁ!あー!電線がー!電線がパラシュートのように飛び散ったぁ!真ん中から虹色の蜘蛛の巣と稲妻ー!光輝いてー!椰子の樹のようにお化けは揺れたよー。このままずっと、おいおいおいおい、あぁ、あぁ、あー…。君はスカートの端にフォークをたくさん刺していました。その折れたフォークは少し滑稽なダンスを踊ってるようで…あぁ!あー!かけ算するのに!足し算はいらない!足し算をするのに!引き算はいらない!あぁ…その丸い玉を放しておくれ!丸い玉を弾き飛ばしておくれ!みんな本当はシンデレラになりたいんだろ?見えましたこれは!いたっ。痛い、痛い、痛い、見えましたぁ!これは何だ?うん!電燈は逆向きに…、かざした親指と人差し指から見た満月が、今日も少し滑稽なキノコの宇宙ダンスに見えます。あぁ!キノコの先に!傘の柄がついていた!ぐるぐる廻ってそれは宇宙船となって、その縞々の先には、あなたが見まいかどうかを算段する機械がついていたんです!だけどわたしにはそれが分かりませんでした。何故ならば、何故ならば…あぁ、痛い、痛い、痛い、痛すぎる…痛すぎる…痛すぎてもう、ちょっと休憩!あぁ!痛い!痛い!右の肩が痛い…。あ、また来ました。エイが本当は空を飛びたかったんだってわたしに教えてくれました。だけどエイは!顔が表なのか裏なのか、右なのか左なのか分からないというんです!僕はいつも青い蝶々が海の中を飛んでいることを知っていました。だけどみなさん夢をみているんです。青い蝶々は海の中を泳がないっていうんです。だけど僕には青い蝶々が見えるんです。それからもう一つ、教えてしまいますと、これは何?これは何ですか?あぁ!あぁ!見えてきた!痛い、痛い、痛い、痛い!あぁ!これは何?あっ!何だこれ…太陽だ…太陽は実は三つあったのさ!太陽は実は三つあったのさ!右からは赤い羽、左からは虹が咲き、その先には本当は宇宙が見えていたのさ!月は本当は四つあったのさ!その真ん中にはつぶつぶの光が落ちてヒマワリとなって落ちたのさ!朽ちたのさ!その雲には!あぁ!六角形の星が咲き、今日もまた狐の顔をして笑っている。もう無理!ちょっと休憩させておくれよ!頭おかしくなってしまうよ!仏像がさ、笑うんだよ、たまに十四個くらい並んで「えへへへ」って…。もう最近はわたし諦めたんです。目をつぶって暗闇を見ようとすると、大量のゴキブリが出てくるんですね。そのゴキブリたちはどちらかというと、カーテンレールに一列になって、逆向きになりながら、後ろに下がって行くんです。分かりますか?そんな時、わたし少し絶望するんですね。そうすると絶望の先にまた希望が湧いてくるんです。分かりますか?それでね、わたしはいつもそのゴキブリがね、カーテンレールに一列になって下がって行くのを見た後にですね、一つのことを考えるんです。もしも、わたしがアメーバダンスを踊るような小さな虫けらのような人間だったら、絶望の先には何を見るんだろうって…、いつもわたし、問いかけてるんです。そうするとコスモスが大量にでてきて、その真ん中にイソギンチャクがたくさん咲いてるんです。で、わたしはそこで怒るんです。ここは海なんだか陸なんだかよくわからない!なんでどっちかにしてくれないんだって。泣きわめいたりすんですね、割と。はははっ!ほんとなんですこれ。するとね橋が出てくるんです。橋が。その橋がですね。何か白くて骨みたいのでできてるんですね。魚の骨と思ってもらえるといい。その魚の骨が肋骨みたいになってて、わたしが歩こうとすると開いたり閉じたり、開いたり閉じたりするんです。で、その先に太陽の光みたいなのが、ぼわってなってて、真ん中にすごい間抜けな顔をしたちょっと、まぁ、江頭とまでは行かないけど、絶対にむかつく感じの人が立ってるんです。で、その人がわたしに向かって言うんです、いつも。しかもラジカセみたいの持ってて、「あ、やっぱ右行った」とか、「あ、やっぱ左行った」とか、わたしがその骨を橋を渡るたんびに。悔しいからわたしはちょっと左に行くふりをして右に行くんですけど、なんか「ほらね、右に行った」とか、「ほらね。左に行った」とか、そいつがいつも憎たらしい感じで言うんです。で、次第にわたしはイライラしてきて、その骨をこうぶっちぎりながら、渡ってくんですね、その橋を。で、その骨の先には何があるかというと、今度は全部が矢印の家があるんですよ。ひたすら矢印なんです、それはもう。で、その矢印の上にですね、なんか黄緑色の頭をした人たちがいっぱいね、座ってるんです。で、その黄緑色の頭をした人たちが、いつもこやって言うんです。「ぬーべー、ぬーべー、ぬーべー、ぬーべー」って言うんですね。で、わたしすごいむかつくんです、またその「ぬーべー」が。で、その人たち髪の毛生えてないんで、なんかちょっとアメーバみたいな感じなんですけど、この矢印に座った人たちの、「ぬーべー、ぬーべー」っていうのに若干苛立ちながら言うんです。「あなたたちは門番なんですか?それともここでお茶を飲みたいんですか?そこんとこどっちかにして欲しいってわたし思ってるんです」って言うんですね。そうするとね、その人たち不思議なことにね、右のお尻をね、取るんですよ。こう掴む感じで、ポンって。そうするとそのお尻がリンゴに変わるんですよ。で、わたしに言うんです。「このリンゴお食べ」と。で、わたし嫌な気分になるんですね。「そんな尻からできたリンゴなんて食いたくねぇ」って言うわけですよ。そうするとその緑の星人たちが言うんです。「あなたはいつもナメクジのことを分かってない。あなたはどうしてそんなにナメクジのことを理解しようとしないだ」って言うんですね。「ナメクジなんかカタツムリの殻がなくなったやつでしょ」って言うわけですよ。そうするとね、その緑のアメーバたちが怒るんです。それはまたすごい剣幕で。そのときの声がね、分かります?なんか「まっひゅ!まっひゅ!まっひゅ!まっひゅ!」っていうんですよ。「ぬーべー、ぬーべー」か「まっひゅ!まっひゅ!」って言ってね、そのときだけこう歯が二本でてくるんですよ、そいつら。すっげーそれがまた嫌な感じで、わたしはまたイライラしながら、その矢印の家たちを通っていくんです。分かりますか?そうするとね、今度はね、人間のべろがいっぱい生えてるね、野原みたいなところに来るんです。人間のべろなんです、どう見たって。けっこう気持ち悪い、べろの野原なんですね。で、わたしはその野原を、「あぁ、べろっぽいな」と思って歩くわけです。なんか舌苔とかあるわけですよ。ちょっとなんかよだれっぽいにおいがして臭いの、すごく。で、わたしはその臭さに耐えきれないんだけど、しょうがないから、なんかこう、手を押さえながら歩いてくんです。そうするとね、今度出てくるのはですね、何かね、これはたまに夢によく出てくるやつら何ですけど、そいつらはですね、何か、あのーまつ毛が、まつ毛っていうか目が、こうやって何か、イソギンチャクみたいな目をしてて、まつ毛が360度についてる、で、なんか口が、ちょっとなんか、鳥のくちばしみたいな人がいっぱい出てくるんですよ。で、この頭のところはピンク色で、結構ギザギザしてるんですけど、その人たちがべろのとこになんか座って、すごい私のことあざ笑って言うんです…。ハッ…、切れちゃったスイッチが…、チャンネルが…。もう見えない。笑ってた?何が面白かったの?

 

こんなときの「パ」ートナーは、完全に頭がぶっ飛んでいるのですが、僕は彼女のそんなところが大好きです。愉快な彼女のおかげで、家にいる時の僕はいつも笑っているのです。

午後、兵庫県播磨灘を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 4月 13th, 2013
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12/04/2013/FRI/八百三十三日目

芸大での授業中、学生たちが「え、ミサイル?!」と何やら騒ぎはじめたので、何事かと訊くと、学生支援課から以下のようなメールが届いたとのことでした。

—–
件名: [BULLS] 【注意喚起】北朝鮮によるミサイル発射に係る対応について

東京藝術大学学生 各位

こちらは東京藝術大学学生支援課です。

昨今の北朝鮮情勢を受けて、仮に北朝鮮よりミサイルが発射されて、
日本上空を通過することとなった場合には部品等が落下するなどの
影響があることも考えられます。

万が一、落下物らしき物を学内で発見した場合は、決して近寄らず、
学生支援課まで連絡してください。

学外で発見した場合や学生支援課に連絡が繋がらない場合は、警察
または消防へ連絡してください。

※万が一、落下物等による被害があった場合には、被害状況を国の
機関へ報告する義務が生じます。その際もまずは学生支援課へ
連絡し相談してください。よろしくお願いいたします。
—–

これにはちょっと違和感を感じたので、僕から学生支援課の係長宛てに以下のようなメールを送りました。

—–
学生支援課総務係長 宮川様

CC.木幡先生、柴田助手

先端芸術表現科 非常勤講師の山川と申します。

本日、私が担当している授業中に、
学生支援課から送られたメール「【注意喚起】北朝鮮によるミサイル発射に係る対応について」
を読んだ学生たちがびっくりして、ちょっとした騒ぎになりました。

北朝鮮のミサイルについて、文科省から学生たちへ直接周知するよう指示があったのでしょうか?
所属職員に対して周知するよう連絡があったことは承知していますが、
学生たちにも知らせるようにという指示は出ていないと認識しています。

大学には北朝鮮に親戚がいる学生も多く、教員の立場としては、
このようなメールが彼(女)らの学内での人間関係や、学生生活に影響を与えるのではと懸念しています。
例え周知させる必要があるとしても、一人一人に直接メールを送るという方法は適当でないと思います。

ご配慮お願いしたく、意見させていただきました。
どうぞよろしくお願いいたします。

山川冬樹
—–

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 4月 12th, 2013
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11/04/2013/THU/八百三十二日目

今日は女性ファッション誌「SPUR」の記事のため、日比野克彦さんと対談をしました。対談中も巧みに「パ」裂を避けて完封です。

夜は「パ」ートナーの舞台のためのキューシート、セット図づくり。

昼頃、青森県東方沖を震源に震度3。

Posted: 4月 11th, 2013
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10/04/2013/WED/八百三十一日目

今日は多摩美で担当している講義、「パフォーミングアーツ論」の本年度最初の授業。
パフォーマンスの講義ですから、当然この授業では「パフォーマンス」という単語は避けて通れません。毎度のことですが、初回はまず、『「パ」日誌メント』について解説しながら、自分が「パ」と発声できないことについて弁解するところから始めなければなりません。
例によって「パ」という代わりに「ピャ」と訛らせて発音しながら「パ」裂を回避。講師が真面目な顔で「ピャフォーマンス」と言う度に、大きな講義室にクスクスと小さな笑い声が響くのでした。

ここ数日、ろくに寝られなかったので、大学から帰宅後、ソファーで爆睡。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 4月 10th, 2013
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09/04/2013/TUE/八百三十日目

朝から芸大で授業。大学の仕事を終えた後は、「パ」ートナーが出演するミュージックビデオの撮影現場へ。ロケは木更津の森の中で行われました。出演は「パ」ートナーの他に、東野祥子ちゃん、ケンジル・ビエンさん。美術セットにR領域。監督は河野未彩さん。結局撮影が終わったのは、日付が変わって午前1時半。楽しい現場でした。完成が楽しみです。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

410

Posted: 4月 9th, 2013
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08/04/2013/MON/八百二十九日目

今日から本年度の芸大の授業がはじまりました。今年の2年生の共通テーマは「見ること/見えること」。

まずはラウンドテーブル形式で、学生たちに最近見たもの、見えたものについてを発言してもらいながら、ブレインストーミングして行きます。夢の話、デジャヴの話、落語の見立ての話、街で見かけた怪しい人の話、内視鏡検査で初めてみた自分の体の中の話、想像したことがそのまま目に見える金縛りの話、幽体離脱で見た自分自身の姿の話などなど、沢山の興味深い話が出ました。

僕からは、英語で「撮影する」とは「shoot」ということを引き合いに出しながら、見ることの攻撃性についての話にはじまり、主に戦争をめぐる「見ること/見えること」について話をしました。例えばイラク戦争時にロサンゼルスタイムスの一面に掲載され、当時大きな問題となったという合成写真の話、ビン・ラディンの殺害の一部始終が、米特集部隊員の頭に取り付けられたカメラからホワイトハウスへと生中継され、米首脳たちがそれを淡々と見ていたという話、Wikileaksがリークした米軍ヘリによるイラク市民銃撃映像の話、そして既に実戦で使用されているというプレデターの話などなど。

プレデターとは米軍の開発した無人航空機で、機体に搭載されたカメラの映像を介して、なんと米国本土から遠隔操縦するのだそうです。人間が搭乗しないため、撃墜されてもパイロットは死傷しないというわけですね。3DCGの進歩が著しい近年、テレビゲームは実写映像と見まごうほどのリアリティを獲得していますが、こうなってくると実戦とテレビゲームの境界がどこにあるのか、いよいよ本気で分からなくなってきます。

そんな話を学生たちにしようとした時のこと。

僕:「プレデターという米軍の無人航空機では、人間が搭乗しないので、パイロ…、あ…」

地雷ワード、「パイロット」パ裂。

毎年、4月に入ると舌が滑りやすくなるようです。

震度3以上の地震は観測されず。

Posted: 4月 8th, 2013
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05/04/2013/FRI/八百二十六日目

先日撮影した「パ」ートナー自作自演の「オタク」と「シャーマン」をテーマにしたパフォーマンス作品が、あるダンス・コンペティションの一次審査を通り、本戦公演にて上演されることになりました。果たしてこれはダンスなのか?と、首を傾げたくなるような内容なのと、2日間しか時間がない中、勢いでつくった感が否めないので、まぁ難しいだろうと思っていたのですが、手伝ってやった甲斐がありました。

福島の原「パ」ツでは、つい先日、ネズミによって燃料プールの冷却装置が止められるという騒動があったばかりですが、東京電力によれば、今日、再び3号機の使用済み燃料プールの冷却装置が午後2時27分から停止しているとのことです。いやはや…。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 4月 5th, 2013
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04/04/2013/THU/八百二十五日目

一昨日意気投合したバンドでスタジオ入り。僕はギター&ボーカル、ジョーさんはドラム、「パ」ートナーはキーボード&ボーカル、そして「パ」ートナーの友人のファッション・フォトグラファー、田川さんもギターで加わりました。田川さんは当初、このバンドに参加するにあたり、楽器屋にベースを買いに出かけたところ、思わずフェンダー・ジャガーを衝動買いしてしまった為、急遽ギターが二人でベースレスという編成に。

とりあえず集まってセッションしてみたのですが、これはヤバいです。まだまだ荒削りですが、アンサンブルから放出されるエネルギーには奇跡的なものがあると思います。ちゃんとやったら相当なバンドになるはずです。

自分が仕掛け人となって、集めたメンバーのセッションが、すごく良かったので彼女も興奮していたのでしょう。そんな時は少し意見が食い違うだけで決まって喧嘩に発展するのです。案の定、帰宅後、「パ」ートナーと喧嘩になり、なんと今日は四本貫手でふすま破りやがりました。お前はラーメンマンか。

未明、能登地方を震源に震度4。昼過ぎ、茨城県沖を震源に震度4。今日は完封。

Posted: 4月 4th, 2013
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03/04/2013/WED/八百二十四日目

今日は嵐。風で窓がぴゅーぴゅー鳴いています。

ある漫画がこの度テレビアニメ化されるそうで、その主題歌のPVに「パ」ートナーがヒロイン役で出演することになりました。「パ」ートナーの説明によれば、皆の憧れの女の子が、ある男の子に体操着を盗まれて、付き合うことになり、男の子が変態に目覚めて行く矢先、女の子もそれに影響されて完全に壊れていき、最後は宇宙船に乗って飛んでいくという物語なのだとか。なんのこっちゃ。

最近、昔よく弾いていたギターをまた弾いています。グラナダの職人が叔父のために制作した楽器で、僕より1歳年上のフラメンコギター。もうだいぶボロいのですが、ボディの板が非常に薄く、音はとてもきらびやかです。久しぶりに弾いてみて、やはり今まで弾いてきたどの楽器よりも身体に馴染むな、と。なんだか懐かしい場所へ帰ってきた感じです。

夕方、トカラ列島近海を震源に震度4。今日は完封。

Posted: 4月 3rd, 2013
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02/04/2013/TUE/八百二十三日目

昼頃、「パ」ートナーから電話がかかってきました。今、ジョーさんと、そのお姉さんの髪を切りに、ジョーさんの家にいるので、すぐに来て欲しいとのこと。ジョーさんとはメジャーシーンで活躍したドラマーで、今は家業を継いで庭師を営んでいる「パ」ートナーの古くからの友人です。僕の家から車で5分くらいの山奥に住んでいるとは前々から聞いていましたが、その時はこの辺りに山なんてあったっけ?と不思議に思っていたのでした。

その不思議を確かめたくて、車でナビを頼りにジョーさんの家の周辺まできてみると、住宅街の中に開発されずに残っている雑木林にたどり着きました。その雑木林をみた瞬間、僕の中で記憶がみるみる蘇ってきました。そこは子供の頃、よく遊んだ里山だったのです。なんだか狐につままれた気分です。

ジョーさんの家は小川、沼、竹藪、祠とともにこの里山の奥にあるのですが、都心からこれほど近い場所でこのような環境に住めるというのは奇跡的なことだと思います。それはタルコフスキーの映画『惑星ソラリス』の冒頭に出てくるあの森の中に建つ家を彷彿とさせました。『惑星ソラリス』では登場人物が森から車に乗って出かけると、突然東京の首都高速の場面に切り替わり、環境の振れ幅がそのまま人間の精神の振れ幅に重なって、超現実的な世界が描かれていくのですが、ジョーさんの家から実際にそのシーンが撮影された首都高速の地点まで車で20〜30分。映画に描かれた超現実が、ここではまったくの日常なのです。

ジョーさんの家に上がり込み、ジョーさんが昔つくったデモテープを聞きながら三人で歓談。バンドを組んで、この里山でライブを企画しようということになりました。これは面白いことになりそうです。

しかしその話合いの中で不覚にも「やっぱり」と口を滑らせてしまいました。54日ぶりの「パ」裂です。

深夜三陸沖を震源に震度3、宮城県沖を震源に震度3、昼頃三陸沖を震源に震度3。

Posted: 4月 2nd, 2013
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01/04/2013/MON/八百二十二日目

今日は「パ」ートナーのパフォーマンス作品のためにスタジオで音、照明、映像記録の手伝い。作品はオタクとシャーマンがテーマらしいのですが、撮った記録を編集しながら何度も爆笑。彼女は最高のコメディエンヌです。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 4月 1st, 2013
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31/03/2013/SUN/八百二十一日目

霧雨。

「パ」ートナーがパフォーマンスの小品をつくるというので、音や照明や記録で協力しています。しかしあなたなら想像がつくかも知れませんが、とにかく彼女は意固地で負けず嫌い。そりが合わず大変です。経験差も、年齢差もあるので、ある程度は仕方ないことなのですが、少しでも上から目線な印象を受けると、ものすごい勢いで反発してくるのです。そしてその反発がどんどん感情的に激しくなり、終いには大騒ぎに。そんな訳で今日は一日中、「パ」ートナーに振り回され、自分の仕事に手が回らず。それでも彼女が納得するまでつき合ってやろうと思います。一生一緒に生きて行く「パ」ートナーですから。

先日書いた水仙の花はだんだん枯れ始めています。夕方、岩手県沖を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 3月 31st, 2013
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30/03/2013/SAT/八百二十日目

すっかり暖かくなったかと思えば、急に肌寒くなりました。今日はアトリエの片付け。

少し実家に寄ると、母が友人の孫のために編んだという毛糸のチョッキを見せてくれました。帰宅後は「パ」ートナーの即興歌とダンスにつき合わされ、実に愉快だったものの、仕事は進まず。

環境省は原「パ」ツ事故による福島県のこどもの甲状腺への影響をみるため、比較対象として青森、山梨、長崎3県のこどもの甲状腺を調査。小さなしこりが見つかった割合は、「福島県とほぼ変わらないか、福島県の方がやや低いと結論付けたそうです。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 3月 30th, 2013
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29/03/2013/FRI/八百十九日目

吾妻橋ダンスクロッシングを観に浅草へ。
帰宅後、「パ」ートナーが、ネルシャツに眼鏡、額にはバンダナという出で立ちで、小銭をバラまいたかと思うと、財布をぶん投げて、柏手を打つという、自作のハイテンションな謎の踊りを披露してくれました。

日付変わってすぐ、千葉県東方沖を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 3月 29th, 2013
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28/03/2013/THU/八百十八日目

今日は麗らかな陽気で、暖かすぎず、涼しすぎず、花粉の飛散も少なく、唯一コンビニへ出かけた以外は一度も家から出ず、溜まった仕事をしらみ潰しにやっつける。そんな一日でした。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 3月 28th, 2013
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27/03/2013/WED/八百十七日目

夜、また「パ」ートナーと諍いになり、とうとう「パ」ートナーはスーツケースを持って出て行ってしまいました。しばらく放っておいたのですが、急に悪い予感がしたので近所を探しまわると、高台の土手の淵で水仙の花束を握りしめ、呆然と立ち尽くす「パ」ートナーの黒い影を発見。駆け寄って捕まえ、車に乗せて、自宅へ連れ戻しました。頭や首をマッサージしてやり、正気に戻させた上で、よく話しあった末に、ようやく和解。ここまで激しい諍いは久しぶりです。

何処かの庭先から摘んできてしまった水仙は、瓶に水を入れて生けてやりました。部屋を鼻の粘膜にまとわりつくような水仙の甘い香りが漂っています。

こんな激しい諍いの最中でも鉄壁の守りで「パ」裂せず。我ながら感心です。
三宅島近海を震源に震度3。

水仙
Posted: 3月 27th, 2013
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26/03/2013/TUE/八百十六日目

朝起きるとまだ全身筋肉痛。今日は一日中、デスクワーク。

夜、シチューをつくっている最中にゆれくるが鳴りました。茨城県沖を震源に震度3、千葉県東方沖を震源に震度3の地震があったとのことですが、何故か体には感じられませんでした。

しかし地震というのは反射神経を試されます。ゆれくるが鳴ってから速攻で台所の火消して、部屋の広い所へ移動し、スケボーに乗るような体制で身構えて、倒れてくるものがないかマークしながら、iPhoneで自らツイートし、みんなのツイートも確認する…なんだかスポーツをしているみたいです。日本人に誇れるものがあるとすれば、世界で最もフラジャイルな日常を生きる中で磨かれたこの反射神経でしょうね。

そしてまた「パ」ートナーと諍い。ちょっと独りになりたくなったので、家を出て車で深夜の街を徘徊。明け方帰宅。

今日は完封。

Posted: 3月 26th, 2013
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25/03/2013/MON/八百十五日目

朝、起きると全身筋肉痛。
昼、芸大の会議に出席。その足で六本木アートナイトで使用した自転車を返却へ。
夜、「パ」ートナーと喧嘩。

三宅島近海を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 3月 25th, 2013
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22/03/2013/FRI/八百十二日目

桜がもう満開です。例年より12日ほど早いとのこと。

今日は六本木アートナイトの準備のため、六本木ヒルズアリーナで作業。明日は12時間も発電自転車をこぎ続けなければならないというのに、一日中バタバタと準備に奔走していたので、もう足腰が疲労してしまいました。明日は最後までこぎ続けられるのか、いささか不安です。

現場では何かと「パフォーマンス」と言う必要に迫られることが多いのですが、そこはなんとか誤魔化しつつ、今日も完封です。

Posted: 3月 22nd, 2013
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21/03/2013/THU/八百十一日目

今日は23日に参加する六本木アートナイトの準備のため一日中奔走していました。深夜、アトリエで作業して、新聞配達のバイクが走りはじめる頃、ようやく帰宅。

午後、茨城県北部を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 3月 21st, 2013
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20/03/2013/WED/八百十日目

18日に起きた原「パ」ツの冷却システム停止の問題で、東電は仮設配電盤の内部で焼け焦げたネズミの死骸を発見したと発表。なんとネズミが電気配線をかじってショートさせ、それが原因で冷却システムが停止したらしいというのです。公開された写真には絶命して床に横たわる惨めなネズミの姿が…。感電したせいでしょうか、辺りには毛が飛び散っています。

「大山鳴動して鼠一匹」とはまさにこのことだと、この一報を受けて日本中がずっこけましたが、そもそもこのことわざは大騒ぎしたわりに大した結果にならなかったことを意味します。しかし現実には一匹のネズミが、この国を滅亡させるという、甚大極まりない結果を招きかねなかったわけですね。僕らは、このことわざの語る滑稽な有様が、まったく滑稽な冗談として通用しない、笑うに笑えぬ狂った寓話の世界に生きているのです。

夜、少し雨。震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

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Posted: 3月 20th, 2013
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19/03/2013/TUE/八百九日目

朝起きても、依然として原「パ」ツの1、3、4号機の冷却システムは停まったまま。一方で東電は2号機格納容器内で毎時約1000ミリシーベルトを計測したと発表。これは6~7時間で人間が死亡する放射線量」とのことです。

今日は『アトイックサイト・スティル・アライヴ』展の撤収のため現代美術製作所へ。外は一気に暖かくなり、いよいよ梅の花から桜の花へと、季節のバトンが渡されつつあります。花粉症で通りの悪くなった鼻腔にも桜の香りが仄かに感じられます。

午後、異変が発生してから19時間後になってやっと1号機の燃料プールの冷却システムが復旧。夜になって3、4号機の冷却装置も復旧。その他の冷却システムも明日の朝までには普及の見通しがたったとのこと。

最近、「パ」ートナーがバレエ教室に通っているのですが、なんでも「パ」に苦しめられているのだとか。そういえば「パ(Pas)」とはフランス語で「一歩」を意味し、バレエではステップのことを指すのでした。「パ」日誌メントを始めて以来、フランスはまだ訪れていませんが(震災直後に渡航をキャンセルしたことはありました)、あの国は本当に鬼門です。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 3月 19th, 2013
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18/03/2013/MON/八百八日目

3月11日付けの日誌にNHKの堀潤アナウンサーのことについて書いたばかりですが、本日、堀アナがNHKを退職されたそうです。これは一連の原「パ」ツやSPEEDIに関する発言をめぐっての、事実上の追放と言ってよいでしょう。NHK上層部や政界、産業界からの圧力は相当なものだったと思われます。

そして夜になって生暖かい風が吹き荒れはじめたころ、嫌なニュースが舞い込んできました。

福島第一原「パ」ツで停電が発生し、1号機と3号機、そして4号機の使用済み燃料プールの冷却システムが停まっているとのこと。また放射性物質を含む汚染水を処理する装置や、3号機の格納容器ガス管理システムの一部も停止。原因は不明で、復旧の目処もたっていないとのことです。使用済み燃料の温度が制限を超えるまでには4日程度の猶予があるとのことですが、今夜は落ち着いて寝られそうにありません。
事故から2年経ったというのにこの有様…。

他にも2号機では漏洩する汚染水が問題となっています。汚染された地下水や原子炉から漏洩する水など、一日でおよそ400トンもの汚染水が増え続けており、それらの水を保管するタンクは900個以上にのぼるとか。そしてそのタンクを保管するスペースも限界に来ているとのこと。
昨年末、野田首相は「原「パ」ツ事故は収束したと判断される」と収束宣言を出しましたが、未だ何も収束していないことは誰の目にも明らかです。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 3月 18th, 2013
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17/03/2013/SUN/八百七日目

『アトミックサイト・スティル・アライヴ』展、二日目。夜はライブ『原發供養ノ夜(再演)』とトーク。

ライブでは発電自転車を必死にこいでアンプの電源を供給し、東京電力の電気を爆音ノイズに変換しながらプレイする伊東篤弘さん、石川雷太さんらと競演。トークでは昨日に引き続き「原子力発電」という言葉を使ったり、「原ピャツ」と言ったりしながら巧みに「パ」裂を回避。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 3月 17th, 2013
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16/03/2013/SAT/八百六日目

『アトミックサイト・スティル・アライヴ』展、初日。夜は記録映像上映とトーク。

今回僕は、2011年に制作した『原子ギター』初号機から八号機を勢揃いさせ、『Atomic Guitar∞Octet』として八重奏形式で展示。今回の放射線源は展示会場である現代美術製作所の敷地内にある、お稲荷さんの祠で採取した土。

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トークでは原「パ」ツをテーマにした展覧会である以上、どうしても「原「パ」ツ」と発語する必要に迫られるわけですが、そこは「原子力発電」というフルネームを使うことで巧みに「パ」裂を回避して今日は完封。

岩手県沖を震源に震度3。地球に彗星が近づいています。名前はパンスターズ彗星というそうです。

Posted: 3月 16th, 2013
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15/03/2013/FRI/八百五日目

洗濯が追いつかず、右足に赤い靴下、左足に黒い靴下を履いて出かけています。

今日は『アトミックサイト・スティル・アライヴ』展の買い出しをしてから、首相官邸前で行われる反原「パ」ツ抗議へ。僕自身、久しぶりの参加だったのですが、二年前に首都圏をフォールアウトが襲った今日という日は、やはり参加しなければと思って出向いたものの、昨年に比べて運動の規模はだいぶ小さくなっていて、20万人規模の人々が集まっていた頃がなんだか幻のように思えました。

抗議終了後は東向島の現代美術製作所へ展覧会の設営作業へ。今夜は徹夜で設営作業になるので、その前に腹ごしらえしようと近くのそば屋へ入ると、店内のテレビでは安倍晋三首相が日本のTPP交渉参加について語る姿が映し出されていました。報道によると本日、安倍首相は正式にTPPへの交渉参加を表明したとのこと。先の選挙で自民党はTPPに関して「聖域なき関税撤廃には反対」との公約を掲げていたというのに、肝心な点をなおざりしたままたった三ヶ月でこの様です。さらに安倍首相は、TPP参加には中国を牽制する意味もあるとして、加熱する国境問題に話を移し、あの舌っ足らずな口調と強気の姿勢で語り続けました。

すると僕と共にテレビを眺めていた、となりのテーブルの60代のオジさん三人組のうち一人がこう言いました。

「もう中国とは戦争するしかねぇよ。なぁ!」

最近、飲み屋なんかでも酒の肴に戦争を話題にする人が増えたように思います。戦争というものが観念として人々の日常に定着しはじめているのでしょう。しかしみんな口では戦争だ、なんて言いながら、誰も自分や自分の子供や孫が戦場へ行くことを覚悟しているとは思えません。いつだってそんな実感を伴わない観念が、政治や経済や社会を動かしていくのです。

人は忘れます。忘れることは自然の摂理であり、僕らはいろいろなものを忘れることで生まれ変わりながら生きています。現在の日本の抱える問題は「過去の忘却」ではなく、「現状への麻痺」にあると思います。今もまだ放射能汚染は続いています。今日も福島第一原「パ」ツの港のアイナメから、これまでで最大となる74万ベクレルのセシウムが検出されたそうです。僕たちはこのようなニュースにもう驚けなくなってきています。

震度3以上の地震は観測されず、今日は完封。

Posted: 3月 15th, 2013
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14/03/2013/THU/八百四日目

税務署へ出向き、平成23年分と24年分の確定申告をすませてきました。経費と控除をしっかり計上した上で試算してもらったところ、先日書いた追徴税は見事にチャラに。
その後『アトミックサイト・スティル・アライヴ』展の搬入のため、東向島の現代美術製作所へ。今回は原子ギター初号機から八号機までをずらりと勢揃いさせ、オクテット形式のアンサンブルで展示するつもりです。

車で帰宅する道すがら、渋谷で仕事帰りの「パ」ートナーを拾いました。何やらご機嫌な様子で、延々と助手席で独り言を言っています。こっそりiPhoneで録音したので、一部を書き起こしてここに記載します。

パートナー:本当のことを言うとですね、私はいつも夢でね、川下りをしてるんですよ。これ誰にも言ったことないんですけど。夢で、川をね、いかだで下るんですよ。まぁ、それが大変でしてね。なかなか誰にも伝わらないんですよ、この丸太の上をこう、ねえ、阿漕みたいな感じでね。こう、あれですよ、舟のときに使う、なんていうんですか、あのいかだっていうんですか、あれで私、いっつも川下りしてるんですけどね…。(中略)もう、秘密話しちゃう。実は、その川下りする間にまあ。出てくるんですよ、色んな奴らが、もうほんっとに、困っちゃうぐらいねえ。もうなんか、色んな人たちがいろいろ言ってくるわけですよ。私いかだ下ってるから、別にもうそんなことで足止めくらう筋合いないかなって、ほんとは思ってるんですけどね、まあ、一応聞いてやるわけですよ。その人たちのいろんな質問をね。いかだってやっぱり流れてますからね。でもそれでも一応立ち止まって質問に答えてやるわけですよ。そうやって私は日々寝てるわけですよ。分かりますか?

:…。で、なんて質問してくるの?

「パ」ートナー:え、だから、素朴なことですよ。「あなたは靴下を右足から履きますか?それとも左足から履きますか?」とかね、言われるんですよ。そうすると私はふと立ち止まるわけですよ。「えっと…右足からの気がするけど、もしかしたら左足だったかも知れない…」。そうするとね、怒るんです。「あなたがそうやって無意識に選択してることが世の中のすべてを変えている」と。「あなたは意識的にもっとすべてのことをやるべきだ」って言うんですよ。で、私は「分かった」って言ってまたいかだを漕ぐわけですよ。そうするとまた質問者が出てくるんですね。で、今度はこんなことを言うわけですよ。「膝を曲げるか伸ばすか、本当のところはどっちなんだ?…」「ほっぺたはもしかしたら奥歯の一部かも知れない…」「まつ毛の白目は本当は脳みその延髄かも知れない…」「首の後ろにある骨は本当は股間にあるかも知れない…」「肘はいつも親指の毛とつながっているかも知れない…」。「そして歯の裏側には実は鏡の世界が存在しているかも知れない…」。分かりますか?

「パ」ートナーの独り言はまったく意味不明ですが、愉快であることは間違いありません。千葉県西北部を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 3月 14th, 2013
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13/03/2013/WED/八百三日目

風というのは感情を持っているとしか思えません。今日は南風が吹き荒れて、外では宙をいろんなものが飛び交っています。僕はというと、そんな苛立たしい風のことは置いておいて、ただひたすら確定申告の計算を進めなければなりません。頭が数字に毒されて、食べ物の味が分からなくなっています。家の外は春の嵐で、脳の中は数字の嵐…そんな一日。

岩手県沖を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 3月 13th, 2013
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12/03/2013/TUE/八百二日目

確定申告に追われています。実は僕、2007年以来ずっと申告してこなかったのですが、とうとう税務署に目をつけられ、巨額の追徴税を課税する用意があると告げられました。14日までにまとめて申告して控除と還付金をゲットすることで、なんとか少しでも課税分を相殺しなければ、家計がヤバいことになりそうです。この火の車感、まさにパニッシメント。

あ、でも安心してください。「パ」を売った100万円には一切手をつけていません。どんなことがあろうと、あのお金には手をつけませんから。

未明、茨城県沖を震源に震度3。夜、「パ」ートナーと少し喧嘩。今日は完封。

Posted: 3月 12th, 2013
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11/03/2013/MON/八百一日目

午後2時46分、黙祷。

震災から2年経った今もなお2668人もの人が行方不明、そして31万人もの人が仮設住宅や民間の借り上げ住宅で避難生活を強いられています。

巷ではNHKのアナウンサー堀潤氏がツイッターで以下のような書き込みをして、物議をかもしています。

・・・・・・・
堀 潤 JUN HORI ‏@8bit_HORIJUN
震災から2年。原発事故発生のあの日私たちNHKはSPEEDIの存在を知りながら「精度の信頼性に欠ける」とした文部科学省の方針に沿って、自らデータを報道することを取りやめた。国民の生命、財産を守る公共放送の役割を果たさなかった。私たちの不作為を徹底的に反省し謝罪しなければならない。
14:29 – 2013年3月11日

・・・・・・・

このツイートをみて僕は、父が死の直前、自らの実体験をもとにテレビメディアの欺瞞を暴く小説を書いていたことを思い出しました。結局完成に至る前に父は他界し、出版は実現しませんでしたが、死という極限的な境地に立たされた時、マスメディアが創り出した物語に加担した一人の人間として、せめてもの償いと誠実さの証を遺したかったのだろうと思います。父はジャーナリストとしてはいささかロマンチストに過ぎる人でしたが、そんな父にできなかったことをやろうとしている、堀潤氏の若き意思に敬意を表したいと思います。

夜、鹿児島県大隈半島東方沖を震源に、震度3。今日は完封。

Posted: 3月 11th, 2013
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10/03/2013/SUN/八百日目

「パ」と口にできなくなってから800日目。今日は奇妙な一日でした。午前中はすこぶる天気がよくてTシャツで過ごせそうなほど暖かかったのですが、昼ぐらいから風がごうごうと音をたてて吹き始めました。電線があばれ、街灯がぐらぐら揺れたかと思うと、急に冷気がやってきて、空はきな粉をまぶしたように黄色く霞がかり、街はズジスワフ・ベクシンスキーの絵画のような、空気遠近法で描かれた倦怠感漂う世界へと一変したのでした。

きな粉色の霞の正体は中国から飛来する黄砂だそうですが、今年の春霞には黄砂にとともに健康に害を及ぼすといわれる超微粒状物質(PM2.5)や、花粉、そしておそらくは今もまだ福島原「パ」ツ由来の放射性物質が含まれていて、もう何だか呼吸器的にはかなり多難です。

そんな中、今日は吉原で開催された芸術祭、『吉原芸術大サービス』でパフォーマンス。冷たい風の吹きすさぶ公園にて、自転車をこいでPAと照明の電力を供給しながら、ホーメイ+イギル~ヨイトマケの唄~心臓パフォーマンスという流れで演奏。終演後、打ち上げの席で乾杯の音頭を任されたのですが、そこは黄砂にちなんで中国語で「カンペー!」と声をあげることで「パ」裂回避。

釧路沖を震源に震度3。砂埃で髪がギシギシ。今日は完封。

Posted: 3月 10th, 2013
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09/03/2013/SAT/七百九十九日目

冬はその厳しい寒さゆえに現実感がありますが、春は花粉症でぼーっとするのも手伝って、この生温い皮膚感覚がどうにも非現実な感じがしてなりません。今日は土曜日。春休みの最中にいる子どもたちが公園で元気よく遊んでいました。子供たちの頭で飛び跳ねるサラサラした黒髪のハイライトに、ソフトフォーカスがかかっているように見えたのは、きっと僕のコンタクトレンズにまとわりつく花粉のせいでしょう。
僕は春が嫌いです。この幻想的なまでの非現実感とは裏腹に、仕事始めやら、新学期やら、確定申告やら、大地震やら、原「パ」ツ事故やら、やたらと現実的なことばかり起こるからです。
心は幻想にまどろみながら、体は現実に鞭を打たれている。春とはそのような季節です。この感じは、いつまでたっても慣れません。

そんな風に心の中で不平不満を言ってるからか、今日は蜂蜜みたいにねばねばとした一日でした。探しているものが見つからない、忘れ物をしてしまう、コンピューターの調子が悪い、お金を無駄に使ってしまう、時間の流れは遅いのに、なぜかどんどん過ぎていく。まぁ、そんな日もあるでしょう。

夜、釧路支庁中南部を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 3月 9th, 2013
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08/03/2013/FRI/七百九十八日目

花粉症で頭が重く、ぼーっとしています。今週末だけで昨年一年分の花粉が飛散するとか。子供の頃、春というのはうららかな風情に満ちた溢れた季節だったのに、大人になってからはこの異物感と確定申告が重くのしかかる季節になってしまいました。

巷では国境問題が深刻化し、新大久保のコリアンタウンでは毎週のように極右団体による人種差別デモが行われています。そんな中、今日は母の誕生日祝いと弟の転職祝いを兼ねて、新大久保へ韓国料理を食べに出かけました。弟は真っ赤なセーターに、チェック柄のワイシャツ、タータンチェックのネクタイ、黒ぶちメガネをかけて口ひげをはやし、NHKの子供番組に出てくるおじさんのような出で立ちで登場。仕事帰りの「パ」ートナーも合流。母には多肉植物の鉢植えをプレゼントしました。

朝、東京都23区を震源に深さ30キロメートル震度3。夜、埼玉県南部を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 3月 8th, 2013
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07/03/2013/THU/七百九十七日目

今日の空気は、なんだか春が来てしまった感じがして、冬好きの僕としては残念です。
母と電話で話したら、昨日、大暴れする僕を取り押さえようとした際に打ったところが、青くあざになって痛いとのこと。

震度3以上に地震は観測されず、今日は完封。

Posted: 3月 7th, 2013
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06/03/2013/WED/七百九十六日目

実家で母と大喧嘩になりました。二人の息子を女手一つで育ててきた分、その愛情が裏返ったときの負のエネルギーは凄まじく、衝突の末、危うく母か僕のどちらかが死にかねないところまで行ったとき、あれほど言葉で伝えても伝わらなかったことがようやく伝わったようでした。修羅場から生還し、お互い我に返って、仲直りした後、車でヤマダ電機へ。母が実家で音楽を聴くためのラジカセを買いました。

その後、仕事帰りの「パ」ートナーを呼び寄せて、近所で一番美味しいと評判のイタリアン・レストランへ。喧嘩で怒鳴りすぎたのか、パスタのソースが喉にひりひりと沁みました。喧嘩の最中はものすごい剣幕だったので、「パ」裂があったかどうか分かりません。なので今日は完封ということに。

ときどきアーティストなどやめて、近くにいる大切な人を幸せにするためだけに生きた方がいいんじゃないかと思うことがあります。

早朝、沖縄本島近海で震度3。

Posted: 3月 6th, 2013
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05/03/2013/TUE/七百九十五日目

一日中、自宅でデスクワーク。

宮城県沖を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 3月 5th, 2013
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04/03/2013/MON/七百九十四日目

一日、自宅でデスクワーク。

夜、「パ」ートナーと今日もまた喧嘩。

震度3以上の地震は観測されず。

Posted: 3月 4th, 2013
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03/03/2013/SUN/七百九十三日目

昨晩は「パ」ートナーとの喧嘩で一睡もできませんでした。

午後は眠い目をこすりながら、3月10日にライブで参加予定の、吉原で開催される芸術祭『吉原芸術大サービス』の開会式へ。

そして夜は「パ」ートナーとまた喧嘩。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 3月 3rd, 2013
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02/03/2013/SAT/七百九十二日目

吉祥寺で小田マサノリさん、伊東篤宏さんらとアトミックサイトの打ち合わせ。当然、原「パ」ツの話題になるわけですが、「原子力発電所」という単語を使うことでそつなくクリア。

夜は久しぶりに「パ」ートナーと大喧嘩になりました。僕たちの喧嘩は本当に激しいので、エネルギーの消耗具合が半端ではありません。ぐったり。それでも「パ」裂はしませんでした。

震度3以上の地震は観測されず。

Posted: 3月 2nd, 2013
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10/01/2013/THU/七百四十一日目

羽田から夜の飛行機でシンガポールへ向けて飛びました。出発の日はいつもバタバタするものですが、今は消灯した機内で淡々と作品音声の編集を続けています。

本日付の日誌では今回発表する作品の制作過程を振り返ってみようと思います。さまざまな要素が絡み合う、多層的な立体感を持つ作品なので、密林を切り開きながら進むようにしてコツコツと書き進めてみます。

Platform for sharing her stories (2013 Sound Installation)

Platform for sharing her stories (2013 Sound Installation)

今回、僕が発表する作品のタイトルは『Platform for sharing her stories』。割と大掛かりなサウンド・インスタレーションです。そもそもこの『「パ」日誌メント』は、アートにおけるお金の意味とは何か?という問いが動機となってはじめられたものですが、今回も、作品の背後で動くお金の意味への問いかけが、そもそもの動機となりました。
今回の参加する展覧会、『Omnilogue: Your voice is mine』展は国際交流基金の主催事業です(厳密にはNUSミュージアムとの共同主催ですが、実質的には基金の主催と言ってよいと思います)。つまり展覧会の運営資金だけでなく、作品をつくる制作費までもが、外務省所管の独立行政法人である国際交流基金から、”国際交流”のために使われることを前提に支給されています。”国際交流”の対象はあらかじめ「シンガポール」に設定され、「現地に1~2週間滞在し、リサーチせよ」と、オーダーされることによって、制作のプロセスの段階から実践的に”国際交流”に寄与するよう求められています。もちろん、このリサーチにかかる渡航費、滞在費、日当も国際交流基金によって負担されています。
作家の立場からすると、こうして支給されるカネは作品の根本に大きな影響を与えます。なぜならそのカネが国家のカネであり、既に”日本とシンガポールとの国際交流”という明確なコンセプトを持っているからです。カネが社会を巡る血液であるならば、このカネを使って制作するということは、好むと好まざるとにかかわらず、このカネの持つ意味が、僕の作品に輸血されるということに他なりません。

ではここで求められている”国際交流”とは何なのか?それは一体何を目的としているのか?柄にもなく、ちょっと法律を調べてみました。

・独立行政法人国際交流基金法第3条
「国際文化交流事業を総合的かつ効率的に行なうことにより、我が国に対する諸外国の理解を深め、国際相互理解を増進し、及び文化その他の分野において世界に貢献し、もって良好な国際環境の整備並びに我が国の調和ある対外関係の維持及び発展に寄与することを目的とする」

上記によれば、”国際交流”とは国家間で互いに理解を深め、調和することを目的として行われるモノのようです。では「国家と国家が相互に理解を深める」と言う時、実際に理解しあう主体とは一体誰を指すのでしょうか?上記の国際交流基金法第3条では、国家が主体として語られていますが、よくよく考えてみると生き物でもない「国家」が、理解しあう主体として語られているのも変な話ですよね。理解しあい、調和する主体は、やはり人間でなくてはなりません。ではその場合の主体として適当な人間とは一体誰なのか?これは国家を「代表する」人間ということになるでしょう。そして今回のこの事業において日本を「代表する」=「representする」のは、他ならぬ僕自身ということになります。

とうことで僕は国を「re-presentする」、つまり国家を国家の代わりに身をもって「再・現前化する」立場になってしまったわけです。そこで僕は考えました。日本国を代表することになった僕自身がシンガポール共和国へ出向き、日本国の代わりにそこにいるシンガポール国籍を持つ誰かの「前」に「現」れ、面と向かって話をし、最終的に打ち解け合うことこそが、”国際交流”の本質なのではないかと。お酒なんかを用意すれば、尚のこと距離が縮まり、相互理解が深まって良いでしょう。なにせ国家の代表が会談するのですから、”国際交流”のために支給された国費を、その渡航、滞在、交際のために消費することほど正当な使い道はありません。
なんだそういうことか、シンガポールの人たちと楽しく「飲むニケーション」して帰ってくる、それが”国際交流”。もうそれでいいじゃん、とさえ思ったのですが、しかしさすがにそれだけでは作品になりませんから、僕は会話で交わされる相手の声を、作品の素材として録音させてもらうことにして、さらに話の話題を「亡き祖母の記憶」に設定しました。またその祖母が「戦争経験者」であることを条件に加え、人づてに紹介してもらったり、インターネットを通じて募ったりして、最終的に12日間で10人の人と会談を行いました。

まず祖母その人が健在でなく、他界していることを条件としたのは、今回の”国際交流”において宿命的に引かれた「シンガポール/日本」という境界線に、交差する形で「死者/生者」というもう一つの境界線を引こうと思ったからでした。これによって両者の関係は線的なカウンター構造から面的なマトリクス構造になります。

1930年代に撮影された祖母と祖父の写真

1940年ごろに撮影された祖母と祖父の写真

「死」とはいつも人間にとって最大の関心ごとであり、想像力を強く喚起するものです。僕の祖母は1999年に他界したのですが、話す相手と互いに「あの世」にいる祖母の写真を見せあい、生前の思い出や、最後に会ったときのこと、葬儀のときの記憶などを交換するうちに、自然に感情移入が起こり(涙を流す人も何人かいました)、相手の祖母が自分の祖母のように想えてきて、いつの間にか「シンガポール/日本」という境界線は見えなくなっていました。かけがえのない存在だった祖母への情愛や、祖母を喪失した時の切実な感情を前にして、「シンガポール人」あるいは「日本人」という枠組は、それぞれが持っている多くの属性の中の一つとして後退し、その結果、僕たちはただ等身大の個人として向き合っていたのです。このような現象は国籍を異にする友人同士の間では当たり前に起きますが、個人を主体とした関係性においては、互いに打ち解け合い、交流が深まれば深まるほど、往々にして国家や国籍という概念は後退し、形骸化していくものです。

一方で「祖母」とは孫にとって極めて個人的な存在でありながら、大文字の歴史の証人でもあります。つまり戦争の時代を生き抜いた当事者でもあるわけです。

国際交流基金法第3条では、国家が主体として語られていましたが、国家を主体とした”交流”というと、まず真っ先に連想されるのは戦争ではないでしょうか。「国際交流=戦争」というと、少々突飛な感じがしますが、耳に心地よい”国際交流”という言葉が、戦争と地続きにあるのは否定できない事実です。
クラウゼヴィッツは『戦争論』で、「戦争は他の手段を交えた政治的交渉である」と述べました。戦争は外交の代わりの「他の手段」、つまりは武力が行使されている状態であり、それは政治的交渉の一つの手段にすぎないというわけです。かの真珠湾攻撃で、外務省が宣戦布告(交渉打ち切り)の報をアメリカ側に伝えるのを遅らせてしまったことは有名ですが、相手国に宣戦布告の報を伝えることが外交であるならば、やはり戦争は外交という政治的交渉の延長にあるということになります。国際交流基金が外務省の外郭団体であることを考えると、国際交流基金法第3条にある「我が国の調和ある対外関係の維持」という抽象的な文言が、つまり具体的には「武力が行使される手前の政治的状態を維持する」という、戦争を前提としたコンセプトであることが解ってきます。
また日本人が真っ先に男女の幸福な絆を連想する「Engage」という単語が、軍事用語では「交戦する」という意味であることを思い出してみても良いでしょう。相手国に乗り込み、相手と直接武力で接触することで交渉する…いわば「交戦」とは暴力による”国際交流”なのです。”国際交流”を大文字の「国家」を主体として語る限り、それが戦争と地続きにあることは決して否定できません。

したがって”国際交流”の名の下に、シンガポールと日本両国の関係性をふまえて新作をつくるよう求める今回の事業が、政治的な意味を持つことは無視できない事実であり、そこで僕が戦争の問題を扱うことは極めて自然なことでした。ましてや太平洋戦争時、日本軍によって大規模な虐殺が行われたというシンガポールです。逆に戦争の問題を扱わないことの方がおかしいですよね。会話の話題を「戦争経験のある」祖母の記憶と設定したのは、このような理由からでした

前述の通り、祖母とは孫にとってかけがえのない個人的な存在でありながら、大文字の歴史の証人でもあります。この両義性はシンガポール人である相手と日本人である僕との交流における「個人を主体とした関係性」と、「国家を主体とした関係性」をくっきりとしたコントラストで描き出します。

会話を前者にフォーカスすれば、相手と僕の関係にはエモーショナルな共鳴が生まれますが、後者にフォーカスすれば、二人の関係はぎこちないものとなり、亀裂が生じはじめます。とりわけ日本人である僕が虐殺の対象となった中国系シンガポール人に、祖母が生きた戦争時代の記憶について訪ねるとき、問題は極めてデリケートなものとなります。今回話をした人の中には直接祖母を日本人に殺されたという人はいなかったのですが、かつての史実が意識の明るみに出されることによって、否応なく二人の関係は「被害者/加害者」という構図へと陥りはじめるのです。コミュニケーションにおけるこのような両義性は”国際交流”が抱える二重性そのものであり、「祖母」という話題は、その二重性の上で生じるコミュニケーションの揺らぎをあぶり出すための、格好の材料だったといえるでしょう。

タイトルの『Platform for sharing her stories』の「her stories」とは言うまでもなく、「祖母の物語」のことを指します。実は展覧会のブローシャーのゲラがあがってきたとき、『Platform for Sharing Her Stories』という風に各単語の語頭が大文字に変えられてしまったことがありました。英語のタイトルの語頭は、接続詞、前置詞、冠詞等を除いて大文字表記にするのが普通ですが、僕は慌てて『Platform for sharing her stories』という風に、最初の「P」以外、すべて小文字表記に戻してもらいました。

国家を主体とした「大きな物語」の中では、個人のすべては国家に従属すべきものとして扱われ、個人の尊厳は侵され、犠牲を強いられます。そして歴史を通じて戦争とは性差が特に際立つ分野でもあります。その意味で祖母たちは犠牲を払わされた当事者です。ですから大文字の主体で語られる「History=His Story=彼の物語」に対して、等身大の個人を主体として語られる「her stories=彼女の物語」を、僕はどうしても大文字で表記したくなかったのでした。その気持ちは、現在の日本の空気…震災と原「パ」ツ事故で国力が弱まり、それをダシに国粋主義者が周辺諸国との国境問題を深刻化させる中、「美しい国」などと独善的な感性を押し付けようとするA級戦犯の孫が首相の座に返り咲き(実はその人物は今回の企画の発端に関わっていたりもするのですが)、国家が個人の権利を制限しにかかっているにも関わらず、人々が進んで「大きな物語」中に巻き込まれていこうとするような、全体主義的な空気…への抵抗感に由来することは記しておきたいと思います。

card

電話番号が記されたフライヤー

こうした一連のプロセスで録音された10人のシンガポール人たちが語る「her stories」は、「she」という三人称を接着点として結合され、10の「she」が1つの主体となるような形でモンタージュされます。シンガポールは多民族国家であり、今回話をした人たちの民族的背景も中国系、マレー系、インド系、ポルトガル系と様々だったのですが、それぞれが話の中で、それぞれの祖母を指し示すときに口にする「she」という10の三人称を、全員が1人の人物を指しているかのように編集していきます。
こうしてモンタージュされた「her stories」は、1999年に僕と病床の祖母とが交わした最後の会話の録音と、対話するように交互に流されます。すると10人によって語られた「she」という三人称は、編集を経て希釈されることで普遍性を帯びはじめ、語る当人の亡き祖母を指し示しながらも、僕の祖母を指し示し、また同時に10人のうちの別の誰かの祖母をも指し示し、さらにそのいずれでもない誰かの祖母のことをも指し示しはじめるのです。
さらに展示室には、電話番号が記された名刺大のフライヤーが置かれており、そこに電話をかけて留守番電話に声を録音することで、誰でも自分の祖母の記憶をサウンド・インスタレーションの中に組み込めるようになっています。つまり「祖母の物語を共有するためのプラットホーム」は、10人のシンガポール人と僕の間だけに留まらず、作品公開後も不特定多数の人々へと開かれているのです。
もちろん積極的に祖母の記憶を提供してくれる人が現れてくれれば嬉しいですが、僕にとってはその機能的な効果以上に、共有のプラットホームを「未だ発せられてない声、思い出されていない記憶」へと開き続けることが重要なのです。沈黙している誰かの声がいつか発せられた時のために、そして忘れられた誰かの記憶がいつか思い出された時のために、作品の扉は開け放しておきたいのです。
録音された誰かの声を自分の作品の素材として編集することは、権力を行使することに他なりません。その本質には宿命的に暴力が内在しています。もちろん今回、録音も編集も話者の了解と協力のもとに行っていますが、それでもそこで行われる編集行為が暴力性を帯びることは避けられません。だからこそ作品が、展示された後も誰かの関与によって変容し得るポテンシャルを用意しておくこと、そして一人一人の「she」が一つに束ねられることで創り出される大きな「she」が、あらゆる人の祖母を指し示しながら、その先にいる誰でもない人の祖母という、「空位の主体」を指し示すことが重要になると思いました。

そうなると、語ることができる「記憶」よりも、むしろ語ることができない「忘却」にこそ、光をあてなければならないでしょう。実際のところ、今回祖母の記憶、それも戦争経験を持った祖母の記憶を語れる人を探すのにはなかなか苦労しました。リサーチをはじめて驚いたのですが、複雑な言語環境による齟齬や、血族の多さに対して非常な核家族化が進んでいることなどから、シンガポールでは祖母と孫とが密なコミュニケーションをとる機会が少なく、祖母のことをよく憶えていないという人が多いのです。
また戦争の記憶もほとんど忘れ去られています。街には虐殺の犠牲者のための慰霊碑が建てられたりしているものの、人々の中で戦争はもはや現実味をもって意識されていないようでした。あれほどの大虐殺があったにも関わらず、戦争の記憶は、どこぞに日本兵の幽霊が出るだのといった怪談として、ファンタジー化しているきらいすらあります。これは、おそらく戦争を経験した当事者の多くが、後の世代に心の傷を受け継がせたくないがために口を閉ざしてしまったことや、戦後シンガポール政府が日本との協調を望んだため、日本の戦争責任を追求しなかったことなどが原因ではないかと考えられます。現在、シンガポールと日本の関係が日中、日韓のそれと比べて比較的良好だといえるのは、このようにシンガポール人たちが戦争の記憶を敢えて遺さなかったことが、大きく作用していることは確かでしょう。また、日本の占領から解放された後も、イギリスの植民地支配からの解放、マレーシアからの分離独立と、非常に複雑な経緯を経て現在に至るということも、人々の記憶のあり方に少なからず影響を与えているのでしょう。

いずれにしてもシンガポールという国が、過去を水に流したことで獲得した目覚ましい発展と引き換えに、重度の記憶喪失になっていることは確かです。今回話をしたうちの一人がこんなことを言いました「僕は建設工事の音が耐えられない。なぜならそれは記憶が壊される音だから」と。古びたものは即取り壊され、どこも潔癖的なまでに新しく、何もかもが人工的で、街ではひっきりなしに建設工事の音が鳴り響く…そのスクラップ&ビルドのスピードは東京を遥かに凌ぎます。国土が狭いこともあり、開発のためなら墓でさえ掘り起こすというのですから驚きです。シンガポールという場所は、喪失の記憶ですら失われ、忘れられたことすら忘れられていくような場所なのです。

そんなシンガポールの衛星写真をGoogleマップで見ていた時、あることに気がつきました。ほぼ開発し尽くされた都市国家シンガポールの中心に、まるでドーナツの空洞のように、ぽっかりと森だけの空間が残されているのです。その辺一帯は「セントラル・キャッチメント・エリア」と呼ばれ、水源と自然をまもる保護区に指定されたエリアとのことでした。それ見て、僕はロラン・バルトの日本文化論、『表徴の帝国』のことを思い出しました。そこでバルトは大都会東京の中心に、皇居という森だけの空虚な空間が存在していることに着目し、こんなことを述べているのです。

中央の緑色の部分がセントラル・キャッチメント・エリア

 わたしの語ろうとしている都市(東京)は、次のような貴重な逆説、《いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である》という逆説を示してくれる。禁域であって、しかも同時にどうでもいい場所、緑に蔽われ、お濠によって防禦されていて、文字通り誰からも見られることのない皇帝の住む御所、そのまわりをこの都市の全体がめぐっている。(中略)しかしその中心そのものは、なんらかの力を放射するためにそこにあるのではなく、都市のいっさいの動きに空虚な中心点を与えて、動きの循環に永久の迂回を強制するために、そこにあるのである。このようにして、空虚な主体にそって、[非現実的で]想像的な世界が迂回してはまた方向を変えながら、循環しつつ広がっているのである。
ロラン・バルト『表徴の帝国』

都市の中心に森だけの空間が存在しているというだけならば、単なる地図上の類似としてさほど注目に値しないでしょう。しかし僕の中で、バルトのいう大都会東京の中心と、都市国家シンガポールの中心が重なりあったのは、東京の森にある「誰からも見られることのない皇帝の住む御所」が、シンガポールの「セントラル・キャッチメント・エリア」に隠された「昭南神社」の廃墟とぴたりと一致したからでした。

建立当時の昭南神社

建立当時の昭南神社

「昭南神社」とは、1943年2月、日本がシンガポールの密林に皇民化政策の一環として建立した神社です。日本から宮大工を呼び寄せ、檜材を搬入し、捕虜を労働に駆り出しながら、当時の国家神道思想において全神社の頂点に定めらた伊勢神宮を模して造られたといわれています。そして1945年8月、日本が全面降伏した直後に、神社は日本軍によって爆破処分され、以来、石造りの土台、石段、手水盤だけが遺されたまま、廃墟として放置されています。保護区に指定された「セントラル・キャッチメント・エリア」の中にはトレッキングコースがあるのですが、廃墟はちょうど皇居が「お濠によって防禦され」ているように、立ち入り可能な道から貯水池によって隔てられ、「緑に蔽われ」「文字通り誰からも見られることのない」禁域の中に隠されています。
容赦ない開発の手から何一つ逃れられないかに見えるシンガポールにおいて、68年もの間、ある建造物が廃墟のまま遺されているというのは奇跡的なことです。建立された日ではなく、政治を司る中心的機能を失い、そこが「どうでもいい場所」になった日を誕生日とするならば、昭南神社の廃墟と皇居とは、まさに双子の兄弟といえるでしょう。

僕は昭南神社の廃墟のある、このシンガポールの「空虚な中心」を、展示空間に「そのまま」転送したいと思いました。この場所を映像や音声で記録して展示するのではなく、あくまでこの場所を「そのまま」です。なぜなら空虚なこの場所こそが、シンガポール人と日本人の交流の場として、そして互いに祖母の記憶を語り合う場として、相応しい場所だと思ったからです。
「空虚な中心」から「充実した外縁」へと出れば、街には活気が溢れ、高層ビルと高級ブランド・ブティックが建ち並び、金融市場では莫大な額のカネが行き交い、至るところでスクラップ&ビルドが繰り広げられています。資本主義は常に成長し、増殖し続けることを社会に強制しますが、シンガポールほど目に見えてその強制力によって突き動かされている国もないでしょう。しかし僕は僕たちの祖母の話を、そのような都市のいっさいの狂騒から切り離された、「どうでもいい場所」でしたかったのです。たとえその何かが分からなくても、僕らが何かを喪い、何かを忘れたのだと、せめてそのことだけでも思い出させてくれる空っぽな場所で。

密林の木の上に設置されたソーラーパネルと配信機器

密林の木の上に設置されたソーラーパネルと配信機器

僕は昭南神社の廃墟のある場所に、ビデオカメラとマイクと配信機器を設置し、その場所のサウンド・スケープを、インターネットを介してリアルタイムに展示空間へと転送し、作品の背景として構成したいと思いました。もちろん密林の中には電気などありませんから、ソーラーパネルとバッテリーも併設し、すべての機器の電源を太陽光発電で賄います。
展示空間は5メートル四方のブラックキューブで、壁面に6つのスピーカー、さらに床下には8つの震動スピーカーが設置されており(物理構造はThe Voice-Overによく似ています)、神社跡地からリアルタイムに送られてくるサウンドスケープは、このうち2つのスピーカーと床下の震動スピーカーから流されます。そして前方壁面には黒地に白い文字で「BACKGROUND SOUNDSCAPE IS STREAMED LIVE FROM THE CENTER OF SINGAPORE」との言葉が投影され、その下に僕と祖母の最後の会話が字幕で表示されます。密林に設置されたビデオカメラはあくまで確認用のもので、展示では廃墟そのものの映像は映し出されません。観客は宇宙空間のような暗闇の中で、耳で聴く音と足の裏から伝わる震動で、シンガポールの「空虚な中心」をリアルタイムに感じるのです。

廃墟として遺されている手水盤と石造りの土台=Platform

廃墟として遺されている手水盤と石造りの土台=Platform

EQによって低域を強調された「ゴーッ」という、現場のライブな地鳴りによって、展示空間の床面は神社跡地に遺された石造りの土台=「Platform」と化し、「もはやないもの」であるはずの過去が、文字通りライブに観客の身体を揺さぶります。ちょうど声を発する人が、自らの声が自らの肉体に震動するのを感じることで、声と自我の自己同一性を信じるように、この震動する「Platform」の上では、「もはやないもの」である過去と、自分の生きる実時間である現在とが同一化して感じられるのです。 観客は、祖母の記憶を、過去の戦争の記憶を宿したこのライブな土台の上で受け取ることになります。
一方スピーカーから流れてくる中高域の音には、鳥や虫や動物たち声や、上空を飛ぶ航空機の音などさまざまな音が含まれます。その中でも特に注目したいのは、密林にざわめく風の音です。風の音は「風化」という言葉の文字通り、「もはやないもの」となった過去を、回生させることなく「もはやないもの」のまま現前させるでしょう。喪失を象徴するという意味では、シンガポールの外縁で聴かれる建設工事の音と、中心で聴かれる風の音とは対の関係にあります。しかし都市の建設工事の音が、喪失後の再建によって、その騒音の中に喪失と忘却それ自体の記憶をかき消していくのに対し、神社跡地に風が訪れる(その語源の通りまさに「音連れる」)とき、その音は喪われた何かを気配として「re-present」、つまり「代」わりに「表」しながら、いつまでも喪失と忘却の余韻を保ち続けるのです。

スクリーンに映し出されるテキスト

スクリーンに映し出されるテキスト

祖母の記憶(her stories)によって、個人が持ちうる普遍的な感情と、大文字の歴史との間で生じるコミュニケーションの揺らぎをあぶり出し、それをさらに戦争の記憶と、その記憶を喪失した現在とが二重化した土台(platform)の上に配置する…そうして立ち現れる空間は、さまざまな種類の主体と時間が複雑に絡み合う、まさに密林のような空間だといえるでしょう。その中を、観客は自らも祖母の記憶を共有(share)することを求められながら、彷徨うことになるのです。

長くなりましたが、だいたい以上が今回発表する新作『Platfrom for sharing her stories』をめぐって僕が考えたことです。おそらく同じ形での再展示は不可能なので、ここに文章として書き記しておきたいと思います。

夜、福島県沖を震源に震度3。今日は完封。

 

Posted: 1月 10th, 2013
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09/01/2013/WED/七百四十日目

多摩美で担当している講義、「パ」フォーミング・アーツの今年度最終日。

明日シンガポールへ出発するため、せっせと旅支度。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 1月 9th, 2013
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08/01/2013/TUE/七百三十九日目

芸大に出勤すると、教室はがらんとして誰もおらず。おかしいなと思って助手さんに確認してみると、大学的にはもう冬期休暇期間は終わっているものの、今日は通常の火曜日の授業でなく、振替で金曜日の授業が開講されるとのこと。昨年暮れ、自分でもそう学生たちにアナウンスしたにも関わらず、うっかり忘れていました…。横浜から取手まではるばる出勤したのに無駄足です。こんなポカをやらかすのも、シンガポールでの展示を目前に控え、慌ただしくしているからでしょう。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 1月 8th, 2013
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07/01/2013/MON/七百三十八日目

展覧会ためのプログラミングを頼んでいた高野君が自宅にきて、午前中からシステムのテスト。夜は「パ」ートナーが岐阜の実家から帰ってきました。しばらく離れていると彼女はいつも人見知りをするのです。震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 1月 7th, 2013
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06/01/2013/SUN/七百三十七日目

一日中自宅に籠って作業。震度3以上の地震は観測されず。今日は完封です。

Posted: 1月 6th, 2013
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05/01/2013/SAT/七百三十六日目

シンガポールの展覧会のために一日中自宅に籠って作業。

福島の原「パ」ツ事故で埼玉県加須市に役場ごと避難している双葉町の井戸川克隆町長は、町への帰還時期を「暫定的に30年後」とする方針を示しました。町が具体的な帰還時期を示したのは初めてだそうです。帰還時期を30年後としたのは、汚染の主原因である放射性セシウム137の半減期が約30年のためだとか。

30年後の2043年、生きていれば僕は69歳。あなたは何歳ですか?。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封です。

Posted: 1月 5th, 2013
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04/01/2013/FRI/七百三十五日目

一日中自宅で作業。一度コーヒーを買いに外出しましたが、それ以外はずっと引きこもり。

福島の原「パ」ツ事故後2〜3カ月、足元のがれきなどが高線量であるにも関わらず、東京電力は作業員を胸部だけで放射線測定し作業させていたことが、元東電社員らの証言で分かりました。手足の被ばくは「末端部被曝」と呼ばれ、その場合は胸とは別に手足などへも線量計装着が法令で定められているそうです。2011年3月24日付の日誌に書いたような事故の背景には、こういうことがあったのだなと思いました。

韓国では過去に安全面の問題から停止されていたヨングァン原「パ」ツが再稼働したとか。

昼過ぎ、千葉県北東部を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 1月 4th, 2013
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03/01/2013/THU/七百三十四日目

一日中自宅に籠って作業。改造を施したモバイルルーターのテストに失敗。誰とも会わず、誰とも口をきかず、地面の方も穏やかで、今日は完封です。

Posted: 1月 3rd, 2013
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02/01/2013/WEB/七百三十三日目

シンガポールの展覧会のために一日中自宅に籠って作業。モバイルルーターの回路をいじって、通電すると自動的に起動するように改造しました。「パ」ートナーは帰省しているため、しばらく独りぼっちです。自分がいると制作の邪魔になるとの彼女なりの気遣いから、少し長めに実家に滞在するつもりだとか。

夜、北海道、日高支庁東部を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 1月 2nd, 2013
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01/01/2013/TUE/七百三十二日目

このところずっとシンガポールで発表する作品の制作で慌ただしくしているのですが、さすがに元旦くらいは一息つこうと、母お手製のおせち料理を食べに実家へ帰りました。

「パ」と言えない人生を生きはじめてから今日で丸二年。そもそも一年間の「パ」フォーマンスとして始めたこの『「パ」日誌メント』ですが、この日誌を更新した時点で、既に2013年いっぱいの上演が確定しています。再びこの口で「パ」と発音できるのは、まだまだ遠い日のことになりそうです。さすがにこんなことを二年間も続けていると、「パ」裂を避けることに関してはだいぶ熟練してきて、最近は月に2〜3回の「パ」裂で済むようになってきています。問題は、そう、日誌の更新の方ですね。2011年4月19日の日誌で追って誓約された通り、『「パ」日誌メント』は、「パ」と一回口を滑らせてしまった場合だけでなく、日誌の更新が一日滞った場合にも上演期間が一日延長されることになっています。今では「パ」と口を滑らせてしまうことよりも、日誌の更新停滞の方が負債を抱える主な原因となっています。思わず自暴自棄になって、借金苦に喘ぐ中小企業の薄幸な社長のように、もういっその事「パ」もろとも無理心中を図ってやろうか、とよからぬ考えが頭をよぎったりもするのですが、あなたの声が耳の奥で聴こえるたびに、気を取り直して、自分はこの「パ」と言えない人生を生きなければならないと思い直すのです。

思えば僕が「パ」と言えなくなってから、この世の中は大きく変わりました。2013年の元旦の静けさの中に、時代の不穏な足音を聴くのは僕だけではないでしょう。とにかく、泣いても笑ってもまた年が明けました。

昼頃、岩手県沖を震源に震度3。今日は完封です。

Posted: 1月 1st, 2013
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↓2012年未更新分、現在執筆中↑

未更新分、現在執筆中。

Posted: 1月 1st, 2013
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07/04/2012/SAT/四百六十三日目

岩手県は大船渡市に「碁石海岸」と呼ばれる、丸くて黒い石が、浜一面に敷き詰められた海岸があります。引いては寄せる波に無数の碁石が「カラカラカラ…、コロコロコロ…」と、何ともいえない音をたてる不思議な海岸です。以前僕が碁石海岸を訪れたのは、たしか2003年のことだったと思いますが、この音にじっと耳を澄ませた時のことは忘れられません。

先の震災で大船渡は津波による甚大な被害を受けました。あれから碁石海岸がどうなったか、大船渡と気仙地域の人々がどうしているのか、ずっと気になっていながらも僕は現地に赴くことができないでいました。震災直後、何かしなければと僕の周りの多くの人たちが気仙地域には行きましたし、あるキュレーターからは「アーティストなら行くべきだ」とまで言われたのですが、結局行けないまま…、というか「行かないまま」一年が過ぎました。そんな矢先、5月に大船渡で開催される復興支援フェスティバルに参加しないか、との誘いを受けたのをきっかけに、ようやく大船渡を再訪してみようと、思えるようになりました。今日はそのフェスティバルの現場を下見するために、朝一番で上野駅から東北新幹線に乗り込んで、大船渡へ向かいました。

途中、新幹線は福島県を通ります。一緒にフェスティバルに参加するアーティストの池田君、村上君、そして東大の山村さんの4人で歓談しながら、僕は持参したガイガーカウンター(Dose RAE2)で、車内の空間放射線量をずっと測っていました。上野から大宮、栃木を過ぎ、福島の白河あたりまではさほど線量に変動はなかったのですが、郡山に近づいたところで、一気にガイガーカウンターの示す数字が0.6μSv/hまで跳ね上がりました。するとなんだか身体の筋肉がこわばって呼吸が苦しくなってきました。放射能による健康被害には諸説ありますが、0.6μSv/h程度の空間に数時間いたところで大した健康被害はないだろう、ということは僕も分かっているつもりです。しかしいくら理性でそのように判断していても、心理的には呼吸することへの抵抗感をぬぐい去ることはできません。たかが0.6μSv/hで大げさな、と笑う人もいるでしょう。自らが科学的で理性的であると自負する人は、放射能を恐れる人を指して「放射脳」と揶揄しますが、もしこの空間で気持ちよく深呼吸できる人がいたとしたら、それはそれで何かが麻痺していると思わざるを得ません。高速で走る新幹線の車内でこの数値ですから、きっと窓の外はもっと汚染されているはずです(後で知った文科省の発表によれば、この日、この時間の郡山駅東口の放射線量は1.047μSv/hとのことでした)。福島県内にはさらに放射線量が高い地域がたくさんあります。レベル7という世界史上最悪の原「パ」ツ事故がもたらした、この重い現実をどう受け止めたらよいのか、僕にはよくわかりません。厄介なのは、この現実の重さがいかほどのものなのか、まだ誰も知らないということです。はっきりしているのは福島県では未だに16万人もの人びとが家に帰れずに、避難生活を送っているということです。郡山市は政府の指定する警戒区域にも、避難支持区域にも当てはまりませんが、ここに留まるべきか否か、人々は孤独な選択を強いられています。この一年で、郡山市の人口はおよそ1万人も減ったそうです。ある人はここに留まることを選び、またある人は県外への移住を選び、離ればなれになってしまった家族も多いそうです。放射能は人体のDNAのみならず、人々の関係をも破壊しています。あなたがこれを読む頃、郡山はどうなっていますか?いくらか汚染もましになっていますか?人々の暮らしはどうでしょうか?

新幹線が福島駅を過ぎて宮城県に入ると、ガイガーカウンターが示す数字はぐんぐん下がりはじめ、0.07μSv/h程度にまで落ち着きました。すると身体の力が抜けて呼吸も軽くなりました。またしばらくすると、新幹線は宮城県から岩手県に入り、水沢江刺駅に到着しました。以前は東京から大船渡へ行くには、東北新幹線で一ノ関まで行き、そこからJR大船渡線に乗り換えたのですが、昨年の津波でJR大船渡線の大船渡駅をはじめとする6駅が跡形も無く流失、気仙沼駅~盛駅間の177カ所が壊滅的被害を受け、この区間は震災から一年経った今でも不通の状態が続いています。そのため今回は東京から一ノ関を通り超して、水沢江刺までいき、水沢江刺から車で大船渡へと向かいました。水沢江刺と大船渡との間にはばかる山々は、もう4月だというのにまだ雪をかぶっていました。そのせいで途中、通行止めに出くわしながら、僕らは国道397号線を住田へと抜け、高田街道を南下、陸前高田市に入って少しすると、津波の被害が最もひどかった平野に辿り着きました。

真っ青な空の下、そこには何もありませんでした…。言い換えるならば、そこに在ったのは巨大な「無」だけでした。震災から一年が経っていますから、瓦礫はほとんど整理され、国道沿いに果てしない山脈を成すようにして積み上げられています。それ以外の場所は広大で乾いた灰色の更地になっていて、区画の痕跡が縦横に筋を描いて走っていました。ここに来て、この景色を見たとき、僕は自分が大きなショックを受けるだろうと覚悟していました。しかし実際には、その景色を眺める僕の心は拍子抜けするほど乾いていました。

とても冷たい風が吹いていました。僕は肩を窄めながら、着ていた上着のジッパーを上げました。自分の網膜に映る現実と、自分の意識との間にだんだんと折り合いがついてくると、今度は既視感のような感覚を覚えはじめたのでした。この場所を震災が襲うよりもずっと前から、僕はこの巨大な無の風景を、自分の生活する日常的な都市の深層にみてきたのだと思いました。その既視感の源には、今まで何度も写真でみてきた東京大空襲や、関東大震災直後の、あの焼け野原の風景があるのだと思います。このような巨大な無の風景は僕の中に「終末の風景」ではなく、「原風景」として刻まれているのかも知れません。

瓦礫の山に近づいて辺りの空間放射線量を測ってみます。するとガイガーカウンターは0.04μSv/hという数字を示しました。瓦礫にじか置きで計測しても0.08μSv/h。東京の方が汚染されているようです。様々なポイントを測定しながら、僕は「瓦礫」として抽象化された塊を構成する、一つ一つの「もの」に、自分の目で光をあて、それぞれに宿る記憶を丁寧に想像して回りました。建材に使われていた木片…、車のタイヤ…、絨毯…、衣装ケースのふた…、窓枠…、ひしゃげた流し台…、子供のおもちゃ…畳、テレビ…ハンガー…、根こそぎ抜かれた樹木…、女ものの上着…、スーパーのビニール袋…、金網のフェンス…、絡まった電線…、ドア…、スプーン…、笹藪の塊…、破れたふすま…、誰かの靴…、錆びたドラム缶…、庭石…、ビールケース…、風呂場のマット…、ガス用の配管の管…。

人間の生活を構成していたありとあらゆるものが、ぐちゃぐちゃにミックスされて出来上がった塊を、人々は「瓦礫」と呼びます。しかしこうやって一つ一つの「もの」に注視すると、すべての「もの」は元々誰かの生活の一部であり、それには泥と一緒にもとの持ち主の「生の痕跡」がこびりついていることが良く分かります。しかし、これらの「もの」の集合体を一言でひっくるめて「瓦礫」と呼ぶとき、途端に細部に宿る「生の痕跡」は捨象されてしまうのです。「瓦礫」でも「被災地」でも「被災者」でも良いのですが、そうやって何か、何処か、誰かを言葉で一括りにしたとき、必ずこの残酷な捨象が行われます。もちろんこの残酷な捨象なくして復興へと具体的に物事を進めていくことはできないでしょう。しかし今のこの国で、人々が言葉によって行っている捨象はあまりに残酷すぎて僕は苦しくなるのです。2011年4月19日に書いた「パ」の買い主さんへの陳謝の中で、「自分はかつて言葉を憎んでいた、何故ならば言葉にすることで消えてしまうことがあるからだ」といったようなことを書きましたが、人間というのは、この複雑で広大な世界を、言葉によって分類し、簡略化し、ある部分を抽象し、ある部分を捨象することでしか認識できない生き物です。僕が震災から一年経って、ここへ来てみようと思ったのは、現場から遠く離れて「瓦礫」「被災地」「被災者」といった言葉が交わされていく内に、言葉の有限性が非常に狭くて残酷な環境を作り出し、自分もそこに囚われていると感じたからでした。僕は実際に「被災地」と呼ばれる場所を訪れて呼吸し、「瓦礫」と呼ばれるものを見て触り、「被災者」と呼ばれる人に会って話すことで、言語化されることによって切り捨てられたものを、すくいとりたいと思ったのです。

僕らは陸前高田を後にし、フェスティバルの会場となる大船渡のサンアンドレス公園に向かいました。港に面したサンアンドレス公園の被害も甚大で、モニュメントや建物は破壊され、幹からへし折られた樹々が無惨な姿をさらしていました。もはやここは「公園」ではなく「公園跡地」と言った方がいいでしょう。流されずに済んだ展望塔に登ってみると、誰かが折った千羽鶴が海風に揺れていました。確か2003年にも僕はここに来ているはずです。しかし塔から望む公園の変わり果てた風景に、果たして自分が以前、本当にここへ来たのか疑わしく思えてきました。そんな僕に「お前は以前ここに来た」と教えてくれたのは、塔の周りを飛ぶウミネコたちの声でした。目に映るものすべてが変わり果てた中で、耳の聴こえるウミネコたちの声だけは、あのときと同じだったのです。塔を降り、根こそぎ引き抜かれた木、根が残っても幹から先が無惨に持っていかれた木が多くある中で、何とか立ち続けた何本かの木の枝先を注意深く見てみると、なんと青い芽が生きていました。桜の木です。潮にのまれ、昨年は咲かなかった桜が、きっと今年は咲くでしょう。ふと足もとを見てみると、枯れた地にところどころ緑色の雑草たちが根を張っていました。復興しはじめているのは、植物たちばかりではありません。津波で何もかも流された、公園から少し離れた土地に、『屋台村』と呼ばれるプレハブ建ての仮設商店街があり、地元の人々や復興支援ボランティアの若者たちで賑わっていました。それは砂漠にはられた遊牧民のテントの集落を彷彿とさせました。日が落ちたので夕食を食べようと、僕らは屋台村の中にある『おふくろの味 えんがわ』という店に入りました。小さな店内には先客がおり、地元の二人のおじさんたちが晩酌をしていました。話をしてみると、津波で家を流され、職を失い、現在は仮設住宅に住みながら、瓦礫の分別作業に従事しているとのことでした。「まだ仕事があるだけありがたいねぇ」。控えめな東北弁で、そう話すその人の目は、月光を映す夜の海の水面のような澄んだ闇をたたえていました。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 4月 7th, 2012
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06/04/2012/FRI/四百六十二日目

柏崎刈羽原原「パ」ツが停止し、東電管内のすべての原「パ」ツが停止したことは3月26日の日誌に書きました。現在日本で動いている原「パ」ツは北海道電力の泊原発3号機一基のみ。この泊原「パ」ツ3号機も、5月5日には定期検査のため停止する予定で、もしそれまでに再稼働する原「パ」ツがなければ、国内すべての原「パ」ツが停止するという歴史的な事態を迎えることになります。

しかし政府は、原「パ」ツゼロ状態をつくってしまうと、国民が原「パ」ツなしでも十分やっていけることを悟ってしまい、再び原「パ」ツを動かしにくくなることを恐れ、泊3号機停止前に大飯原「パ」ツ(関西電力)を稼働しようと必死になっています。福島第一原「パ」ツの事故の検証も済んでおらず、各原「パ」ツの安全対策も万全からほど遠い状態で、政治的な判断のみで再稼働へ進もうとするこの政府のやり方には強い怒りを覚えます。

今日はそんな政府の大飯原パ「ツ」再稼働へ向けた動きに抗議するため、首相官邸前で行われている抗議行動に参加してきました。しかし当然僕は「パ」と言えません。「原「パ」ツ、いらない!原「パ」ツ、いらない!」と熱くコールする1000人もの人たちに混じって、僕はひたすら「……、いらない!、……、いらない!」とコールするしかありませんでした。

今日はなんだか肌寒く、抗議を終えて帰路に着くころには、ぱらぱらと雹が。目立った地震もなく、今日は完封です。

Posted: 4月 6th, 2012
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05/04/2012/THU/四百六十一日目

芸大上野校地で会議のため、外出しました。今日から普通の生活に復帰です。病み上がりでかなり体力が落ちているので、電車に乗るだけでも消耗します。駅を出ると上野公園の桜は満開で、桜色と空の紺碧とが鮮やかな対照をなす下、多くの人が花見に興じていました。春の空気が重たく感じられたのは、病み上がりのせいばかりではないと思います。季節が運んでくる空気というのは、理性を超えて深層の記憶に働きかけてくるものですが、この生暖い空気に触れると、否応にも去年の春のことが蘇ってくるのです。この春の空気の重さと、桜の色の軽やかさとが、僕にはどうしてもちぐはぐに感じられてしまってなりません。

今日も比較的地面は穏やか、完封です。

Posted: 4月 5th, 2012
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04/04/2012/WED/四百六十日目

インフルエンザで倒れてから一週間目。もう熱は下がり、体感的には完治したように感じられるのですが、インフルエンザは発症してから7日間はウイルスを排出するとのことなので、今日までは外出を控えています。

ちび太は最近、カゴの中につり下げられたおもちゃにコウモリのように逆さまにぶら下がったり、くちばしだけでぶら下がったりと、かなりアクロバチックな遊びをするようになりました。

地面は穏やか、そして今日は完封です。

Posted: 4月 4th, 2012
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03/04/2012/TUE/四百五十九日目

もうほとんど熱は下がったのですが、念のため今日も一日中家で安静にしていました。
未明、宮城県沖を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 4月 3rd, 2012
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02/04/2012/MON/四百五十八日目

今日は一日中、ベッドで安静にしていました。
地面の方も比較的安静で、大きな地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 4月 2nd, 2012
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01/04/2012/SUN/四百五十七日目

今日はアートフェア東京の最終日だったので、展示の撤収に行きました。まだインフルエンザの方は治っていませんが、おかげさまで峠は越えた模様です。

今日は未明に茨城県北部を震源に震度3。そして夜11時すぎに、福島県沖を震源に震度5弱の地震がありました。福島で地震が起こるたびに、原「パ」ツに何かあったらと背筋が凍り付く想いです。特に福島第一原「パ」ツ4号機の使用済み燃料プールには1500本以上の燃料棒が入っているとされ、強い地震によって建屋が崩壊したり、プールの水が漏れて空焚き状態になった場合、大量の放射能が拡散し、今度こそ日本は終わるでしょう。
そして今日は完封。
Posted: 4月 1st, 2012
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31/03/2012/SAT/四百五十六日目

インフルエンザのため、本日アートフェア東京で予定されていたパフォーマンスはキャンセルさせていただき、ずっと家で寝ています。寝室に隔離され、トイレの時以外は部屋の外に出させてもらえません。隣の部屋にいる「パ」ートナーとも電話でやりとりしています。完全に隔離病棟の伝染病患者扱いです。

ニュースによれば、横浜市立の学校18校の地下水層にたまった砂から、国の基準値を超える濃度のセシウムが検出されていたことが分かったそうです。最も高かったのは鶴見区の小学校で1キロあたり1万6800ベクレル。横浜市教育委員会はこの事実を知りながら、生徒や父母たちには三ヶ月間公表していなかったとのこと。

東京では桜が開花しました。平年より5日遅い開花とのことです。地面も珍しく穏やかでした。今日観測された地震は、浦河沖、岩手沖、茨城沖を震源にそれぞれ震度1が3回のみ。今日は完封。

Posted: 3月 31st, 2012
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30/03/2012/FRI/四百五十五日目

朝、脱水症状とともに目が覚めました。身体を起こそうとしても中々起き上がれません。何もかも地球と同じに見えるのに、まるで重力だけ10倍の惑星に来てしまったようです。這うようにして病院へ行き、診察を受けると、案の定インフルエンザと診断されました。
病院を出て、駐車場の車の中で処方されたばかりのタミフルと解熱剤を飲むと、今度は身体がフワフワして、気を確かに保たないと何処かへ飛んでいってしまいそうでした。ジャック・タチの映画『トラフィック』は観ましたか?主人公たちがアポロ11号の月面着陸の中継をみて感化され、宇宙飛行士になりきってゆっくりと動く愉快なシーンがあるのですが、ちょうどあんな感じです。それでも何とかアートフェアの会場まで運転してたどり着き、昨日に引き続きタイベックスーツを着込んで、やり残した設営を完了させました。
今回の『原子ギター』の展示では、放射線源として会場となった国際フォーラムから歩いてすぐの、皇居外苑で採取した土を使いました。これは約0.2μシーベルトと、以前、アトミックサイト展で使った芸大取手校地で採取した土(2〜3μシーベルト)にくらべると大分線量が低いです。線量が低ぶん『原子ギター』の演奏も地味なものになるのですが、今回は音の派手さよりも、たとえ微量でも、皇居が汚染されているという事実を展示の要素として重視しました。
『原子ギター』は、電気の象徴であるエレキギターという楽器が、東京電力のつくる電気を喰らって活力を得ながら、東京電力がまき散らした放射能を耳に聞こえる形で露にしてしまうという、インフラと放射能をめぐる呪われたサイクルがコンセプトになった作品です。ですから『原子ギター』は東京電力管内で鳴らされることが前提となっており、その意味でサイトスペシフィックな性格を持っていると言えるでしょう。
東京電力の本社があるのも、やはり国際フォーラムのすぐ近くです(ちなみに東京電力は国際フォーラムの大株主でもあります)。今回の展示では、東京電力本社、アートフェア会場となっている国際フォーラム、そして皇居の3者が所在する数百メートル範囲を展示の場として設定し、『原子ギター』の、よりサイトスペシフィックな性格を強調したつもりです。
早朝、宮城県沖を震源に震度3。昼過ぎ、福島県沖を震源に震度3。夜、岩手県沖を震源に震度3。今日は完封です。
Posted: 3月 30th, 2012
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29/03/2012/THU/四百五十四日目

今日はアートフェアトーキョー2012のプレビューオープンの日でした。今回僕が出展したのは『原子ギター 五号機 Les paul Type+六号機 Les paul type Left-handed』と『原子ギター 七号機 Warlock Type+八号機 Warlock type Left-handed』。各ギターの制作は2011年に着手したので、制作年は2011年としていますが、今回のアートフェアへの出展に向けて、このタイミングで最終的に完成させた次第です。しかし昨日あたりから39度台の熱が出て体調が最悪…。その結果、作業がズレ込んでしまい、設営のために会場に到着した時にはもうプレビューが始まってしまっていました。仕方がないので、タイベックスーツを着込み、マスクをつけ、原「パ」ツ作業員のような出で立ちで、設営自体を「パ」フォーマンスとしてみせることにしました。また、どうもこの感じは普通の風邪ではなく、インフルエンザのような気がするので、自分の菌を周りにまき散らさないようにという、実用的な配慮の意味もありました。そんな訳で、遅れながらも何とか設営作業に着手したものの、身体がいつもの10倍くらいの重さに感じられて思うように動きません。まるで鉛の空気の中をもがいているようです。七転八倒しながら作業したのですが、結局設営は完了せず。多くの方に迷惑をかけた一日でした。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 3月 29th, 2012
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28/03/2012/WED/四百五十三日目

朝から体調がすぐれません。身体が鉛のように重くて辛いです。どうやら久しぶりにひどい風邪をひいたようです。不調を圧してアトリエで作業をしたのですが、あまりはかどりませんでした。

震度3以上の地震は観測されず。今日も完封です。かれこれ17日連続になりますね。

Posted: 3月 28th, 2012
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27/03/2012/TUE/四百五十二日目

今日は一日中アトリエで作業でした。

帰宅すると「パ」ートナーが即興で歌ったり、踊ったり、ちび太を腹話術人形のように使って寸劇を繰り広げたり、とても賑やかな夜でした。

福島第一原「パ」ツ2号機では、事故後はじめて格納容器内部の放射線量の測定が行われたそうです。その結果、1時間あたり72.9シーベルト=7万2900ミリシーベルトという非常に高い放射線量が計測されたとか。これは7分で死に至る値だそうです。廃炉に向けてはこの格納容器の損傷箇所を修理し、水を満たした上で燃料を取り出す必要があるとのことですが、7分で死に至るような場所を一体どのようにして修理すれば良いのか、みんな頭を抱えています。

昨年暮れ、政府と東京電力は廃炉に向けた工程表を発表しました。それによれば廃炉完了の目標は40年後とのことでした。今から40年後というと2052年です。僕には遠い未来のように感じられます。どうですか? あなたがこれを読んでいる今、福島はどうなっていますか?原「パ」ツの廃炉作業は終わっているでしょうか?

夜、千葉県東方沖を震源に震度3、岩手県沖を震源に震度5弱。今日は完封。

Posted: 3月 27th, 2012
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26/03/2012/MON/四百五十一日目

今日はアトリエで作業後、芸大の謝恩会へ。帰宅後、入浴しようとしたところ、ちび太が僕の頭にとまって離れず、仕方なくそのまま風呂場へ入りました。僕が湯船につかっている間、しばらく頭の上で大人しくしていたのですが、途中で堪り兼ねたように「ぎょぎょぎょ!」と鳴きながらリビングの方へ飛び去っていきました。

今日、というか正確には昨日25日の午後11時59分、柏崎刈羽原「パ」ツ6号機が定期検査のために停止しました。これで東電管内17基の原「パ」ツすべてが停止したことになります。日本で現在稼働している原「パ」ツは、北海道電力管内の泊原「パ」ツ3号機一基のみ。今日からしばらくは気持ちよく電気が使えそうです。

昼ごろ、岩手県沖を震源に震度3の地震がありました。チリの方ではM7.1の地震があったそうです。さらに報道によれば、房総沖にこれまで存在を知られていなかった二つの大きな活断層が発見されたとのことです。いずれもM8~9の地震を引き起こす可能性があるとのことで、非常に気になります。

今日は完封。

Posted: 3月 26th, 2012
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25/03/2012/SUN/四百五十日目

今日もほとんどアトリエに籠って制作の一日でした。「パ」ートナーが新しいワンピースを、僕は新しい靴を買いました。

ちび太の鼻の周りの蝋膜がだいぶ青くなってきています。セキセイインコの雛は性別の判別が難しいのですが、ある程度成長してくると、オスの蝋膜は青色に、メスの蝋膜は褐色をおびてくるそうです。飼い始めのころ、性別が定かでないまま勘で「ちび太」という男の子の名前をつけてみたのですが、見事に予感的中です。

夜、福島県沖を震源に震度4がありました。福島で地震が起こるたび、未だ収束に至って居ない原「パ」ツに何かあったらとひやひやします。今日も完封です。

今日は完封。

Posted: 3月 25th, 2012
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24/03/2012/SAT/四百四十九日目

今日はアトリエに籠って黙々と制作した一日でした。

ちび太はというと最近、頭のてっぺんから僕の髪の毛をつたって、ロッククライマーのようにずるずると手前に降りてくる新しい技を身につけました。日々、成長の過程を観察できるのは喜ばしいことなのですが、正直、この新技はとても鬱陶しく、閉口しています。

今日も震度3以上の地震は見られず、地殻は比較的落ち着いていました。僕はというと、今日も完封です。

Posted: 3月 24th, 2012
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23/03/2012/FRI/四百四十八日目

今日はアトリエで少し作業をした後、恵比寿で催された多摩美の謝恩会に出席。二次会を途中で抜けて帰宅し、デスクワークをしていると、映画を観に出かけていた「パ」ートナーから電話がかかってきました。電話越しの「パ」ートナーの声は何やらハイテンションで、神経が高ぶっているようでした。それに対する僕の態度がそっけなく感じられたのでしょう(デスクワークの途中だったので、僕もうわの空で彼女の話を聞いてしまっていたのだと思います)。彼女は僕の態度に怒りだし、それを受けて僕もつい感情的になってしまいました。

その時はお互い怒って電話を切ってしまったのですが、後からちょっと悪かったなという気持ちが出てきたのが半分、ご機嫌とりの気持ち半分から、小雨が降る中、「パ」ートナーが到着する時間を狙って駅の改札口まで迎えに行くことにしました。

終電間際。電車が到着し、仕事帰りのサラリーマンとOLたちが改札口から流れ出る人ごみの中に「パ」ートナーの顔が見えたとき、僕は白い紙に赤いペンで大きなハートを描いて、彼女の方へ高く掲げました。すると最初はこわばっていた「パ」ートナーの顔が、それを見つけてみるみる笑顔に変わるのが分かりました。作戦成功です。皆がじろじろ見るので恥ずかしかったのですが、僕たちの場合、本気の喧嘩に発展すると洒落にならないほど激しいので、この程度の恥で危機が回避されるならお安いものです。

すっかり機嫌を直した「パ」ートナーは、僕に会うなりこう言いました。

「ちょっと公園付き合ってくれない?爆発しそうなの。踊りたい。」

あなたなら想像がつくでしょう。彼女には内側で風船が膨らんではち切れそうになるように、エネルギーを持て余しはじめることがしばしばあるのです。

僕らは一旦帰宅し、着替えた後、小雨の降る中、深夜の公園へと出かけました。公園に着くなり、「パ」ートナーは傘を投げ捨てて、iPhoneでお気に入りの曲をかけたかと思うと、持参した屋久杉製のしゃもじを二本、両手に持って踊りはじめました。闇の中を雨に打たれ、泥にまみれ、地面に身体を打ち付けながら、あまりに激しく踊るので、少し心配になりましたが、怪我をしたり警察沙汰にならない限りは、自由にさせてやろうと思いました。

見守る観客は僕一人。端から見れば狂っているようにしか見えないはずです。しかし僕は彼女の踊りの中に表現していなければ生きられないという、その性を、そのエネルギーの根本を、見た気がしました。彼女はすばらしい芸術家です。

しばらくして、「パ」ートナーは「ゴン!」という音とともに水たまりに倒れ込みました。頭を地面に打ったようでした。僕は駆け寄って彼女を抱きかかえて言いました。

「すごく良かった。感動したよ。さぁ、帰ろう」

濡れた髪がまとわりついた彼女の顔は、げっそりとしながらも、恍惚とした笑みを浮かべていました。すぐ自宅へ帰って、震える彼女を風呂に入れ、擦りむいた怪我の泥を洗ってやり、就寝。

彼女と生きるのは簡単ではありませんが、本当に飽きません。僕らはいつもエネルギーのぶつかり合い、せめぎ合いに生きています。そしてそのテンションから未来が生まれるのだと強く信じています。その未来の実態をあなたは良く知っているでしょう。

夜、福島県沖を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 3月 23rd, 2012
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22/03/2012/THU/四百四十七日目

15日の『横浜青葉人力発電所』で故障した右膝。痛くなりはじめた時は数日もすれば治るだろうと、楽観的に考えていたのですが、一週間経っても改善がみられないばかりか、どんどん症状は悪化しています。今では激痛のためほとんど階段を上り下りできなくなり、平地でもびっこをひかずには歩けないようになってしまいました。

ちなみに左足の方は何ら問題ありません。15日に自転車をこいだ時は左右の足にかかる負担のバランスに注意を払いながらこいでいましたから、右足にだけ負担がかかったとは考えにくいです。右足だけが故障してしまったのは、おそらくパフォーマンスで長年やってきた「シンバル蹴り」が影響しているのだと思います。シンバルを蹴るのはもっぱら右足なのですが、時々シンバル・スタンドが折れてしまうほどの勢いで蹴っているので、右足にかかる負担も相当なものなのでしょう。

そして今日になって、これは思っていたより大事かも知れないと急に不安になり、遅ればせながら整形外科へ行ってきました。

先生:「どうされましたか?」

僕:「自転車を10時間以上こぎつづけまして…、右膝を痛めてしまったんです…」

先生:「ほぅ、自転車ですか。スポーツか何かですか?」

僕:「いえ…、あのー、変な話なんですが、発電する自転車というのを作りまして、自分で発電した電気でずっと電球に灯を灯し続けるということをやりまして…」

先生:「へー、発電ですか!」

先生は驚きながらも、僕が震災から一年目の節目に身体を壊してまで発電しようとした意図を何となく汲み取ってくれたようです。少し感心したような表情を見せた後、すぐに大笑いしながらこう言いました。

先生:「はっはっはっ!しかしそれはほとんど労災ですなァ!」

レントゲンを撮って確認した結果、幸い骨には異常はみつからず。おそらく長時間の酷使で、半月板とそれに連なる靭帯を損傷したのだろうとのことでした。塗り薬を塗って、しばらく運動を控えれば治るそうなので、ひとまず安心しました。

今日、日本では地殻の活動はかなり穏やかでした。震度3以上の地震は観測されず、震度1~2の地震もごくわずかだったようです。しかしパプアニューギニアの方ではM6.7の地震があったとのことでした。

今日は完封。

Posted: 3月 22nd, 2012
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21/03/2012/WED/四百四十六日目

今日は目黒で打ち合わせの予定があったのですが、足が痛くてろくに歩けないため車で出かけました。数日間様子をみてきましたが、一向に良くならないので、明日はいよいよ整形外科に行って診てもらおうと思います。

メキシコではM7.8の地震が発生しました。メキシコで観測された地震としては、1985年の「メキシコ地震」(M8.0)以来、最大とのことです。
今日は完封。

Posted: 3月 21st, 2012
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20/03/2012/TUE/四百四十五日目

映画を観ようと「パ」ートナーと一旦家を出たものの、あまりに足が痛くて電車に乗れず。運転はできそうなので車で向かおうとも思ったのですが、上映開始の時間に間に合いそうになかったので、予定を変更して二人でペットショップに行きました。まずちび太を買ったペットショップへ行ってみると、4羽いたちび太の兄弟が2羽に減っていました。2月17日の日誌に、売れ残った兄弟たちが1980円から980円に値下げされていたことを書きましたが、その後4羽のうち2羽は誰かに買われたようです。

また、すぐ近くにあるもう一軒のペットショップにも行ってみると、2月17日、23日、25日の日誌に書いたあのヨウムも売れていました。最後に会ったとき、低い乾いた男の声で「バイバーイ」と言われましたが、あれが本当に別れの言葉になろうとは。何だか少し寂しいです。

今日は完封。

Posted: 3月 20th, 2012
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19/03/2012/MON/四百四十四日目

右膝は依然として痛いです。昨日より痛みがひどくなってきました。ちび太は「チビタ!」としか言いません。他の言葉も覚えさせなくては。最近はレナード・コーエンの「ハレルヤ」がお気に入りのようで、この曲をかけるとよくさえずります。

昼、青森県東方沖を震源に震度3。
今日は完封。

Posted: 3月 19th, 2012
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18/03/2012/SUN/四百四十三日目

一昨々日の『横浜青葉人力発電所』で、どうやら右膝を痛めてしまったようです。きちんと歩けず、びっこをひいています。少し様子を見てみて、痛みがひかないようなら病院へ行こうと思います。とりあえず外出は取りやめました。

朝、千葉県沖を震源に震度3。岩手県沖を震源に震度4。
今日は完封。

Posted: 3月 18th, 2012
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17/03/2012/SAT/四百四十二日目

ちび太との出会いですっかり鳥の魅力に取り憑かれてしまった僕と「パ」ートナーですが、今日はかねてから行きたいねと話していた鳥の楽園『掛川花鳥園』へ行ってきました。

掛川花鳥園は桃山時代から続く豪農・庄屋である加茂家の14代家主にして鳥類コレクターの加茂元照さんという方が、自分のコレクションした鳥を公開するテーマパークです。世の中には誰かの「パ」を100万円で買ってコレクションする”アートコレクター”なる人もいれば、世界中の鳥をコレクションする”鳥類コレクター”なる人もいるのですね。

掛川花鳥園には沢山の鳥たちがいました。インコ、オウム類、ワシ、タカ、フクロウ、ハヤブサなどの猛禽類、ペンギン、オシドリ、カモ、コクチョウ、クジャク、シギ、フラミンゴ、ヘビクイワシ、エミューやペリカン…。多くの鳥たちが園内で放し飼いにされていました。

インコ・オウムたちは、人がカゴの前で彼らのアテンションを引こうとすると、黙っているくせに、カゴの前から立ち去ろうと背を向けると、人間の言葉をしゃべって引き止めます。ここのインコ・オウムは日々かなりの数の人間と接しているからか、人間のあしらい方が上手くちょっと生意気な印象でしたが、それでもやはりかわいかったです。

そうそう、コンゴウインコがものすごい”鳳哮”をあげるので、ついこちらも「オウム返し」に叫びで対抗したら、突然、隣にいたオオバタンが冠羽を逆立てて参戦してきて大騒ぎになりました。2012年2月25日の日誌にもオオバタンのことは書きましたが、やはりオオバタンはいきなりキレる直情型みたいです。

誰かの言葉をそのまま真似て発することを「オウム返し」といいますね。これはインコ・オウム類が人間の声真似をすることからきている訳ですが、逆に彼らに彼らの声を上手く真似て「オウム返し」してやると、とてもエモーショナルな反応があります。どうやら彼らは音楽的なコール&レスポンスが大好きなようです。

今日、一番感動したのは、先日オーストラリアでちゃんと聴けなかったエミューの声を、ちゃんと聴けたことです。特にメスの声がたまらなく良い声でした。低くて透明な、温泉が湧き出るような声で「こぽこぽこぽ」って。掛川花鳥園にはエミュー牧場というのがあって、その中に入るとたくさんのエミューに囲まれ、四方八方からくる「こぽこぽこぽ」いう声に浸ることができます。あなたがこれを読む頃に、まだ掛川花鳥園があるならば、ぜひエミュー牧場を訪れて、僕の感動したエミューの声を聴いてみてください。

今日は完封。

Posted: 3月 17th, 2012
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16/03/2012/FRI/四百四十一日目

昨日自転車をこぎすぎて、朝起きると足がガクガクで立てなかったので、今日はほとんどデスクワーク。夕方にちび太を病院へ連れて行きました。AGYの治療が続いています。

今日は完封。

Posted: 3月 16th, 2012
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15/03/2012/THU/四百四十日目

昨年の3月15日は東京に大量の放射能が降り注いだ運命の日です。政府は東京を放射能の見えない雲が襲うことを国民に故意に告げず、その結果、多くの人が被曝してしまいました。小出裕章氏の分析によれば、この日東京にいた人は、1年間に浴びてもよいとされる値、1ミリシーベルトを、わずか1日で浴びた計算になるそうです。きっと僕も少なからず被曝したはずです。

そんな今日という記憶しておくべき日に、僕は横浜市青葉区の自宅の書斎を小さな発電所にしたいと思いました。書斎に発電自転車を持ち込んで、自転車をこいで自ら発電した電気で白熱電球に灯を灯し続けます。さらにその灯りをインターネットで中継することで、どこかの誰かに届けながら、ツイッターでリアルタイムにメッセージを発信し続けます。この小さな発電所を『横浜青葉人力発電所 Yokohama Aoba Human Power Plant』と名付けました。

2時間に1度、10分間の休憩をとりながら、13時46分から午前零時までの10時間14分。最終的には500人を超える人がこの行為を観てくれました。

以下、自転車をこぎながら発信したメッセージの記録を時系列に掲載します。ちなみに黙々と自転車をこぎながらキーボードをタイプしていたので、今日はまったく喋らず、完封です。

・・・・・・・・・・・・

2012年3月15日 – 13:45
さて…

 

2012年3月15日 – 13:45
準備できた。

 

2012年3月15日 – 13:46
いきます。

 

2012年3月15日 – 14:37
1時間経過

 

2012年3月15日 – 14:45
あ、さっきのまだ「50分経過」だった…。

 

2012年3月15日 – 14:46
今度こそ1時間経過。

 

2012年3月15日 – 15:25
ケツとキンタマが痛い。ストレステストしておくべきだった。

 

2012年3月15日 – 15:46
二時間経過。10分間休憩。汗やばいので着がえる。

 

2012年3月15日 – 15:58
ちょっと遅刻しちゃった。再稼働。

 

2012年3月15日 – 16:46
開始より3時間経過。

 

2012年3月15日 – 17:46
開始より4時間経過。10分間休憩。

 

2012年3月15日 – 17:57
再稼働。いきます。

 

2012年3月15日 – 18:26
足がもう自分の足じゃないみたいだ。

 

2012年3月15日 – 18:30
初めて3時間目くらいがいちばんキツかったな。人間の体って不思議。

 

2012年3月15日 – 18:46
『横浜青葉発電所 Yokohama Aoba Power Plant』、開始より5時間経過。

 

2012年3月15日 – 18:59
車輪がたてる音を音楽と思って聴き、そのリズムに合わせて踊るようにこぐと、この労働にも耐えられる。田植え歌をはじめとる労働歌の起源はここにあるんだな。よくわかった。音楽の力は末恐ろしい。

 

2012年3月15日 – 19:03
とてもいいツイートをいただいたので、もう一声明るめの光、お返しします!それっ!

 

2012年3月15日 – 19:05
あああああああああああああ

 

2012年3月15日 – 19:05
ふうー

 

2012年3月15日 – 19:46
『横浜青葉発電所 Yokohama Aoba Power Plant』、運転開始より6時間経過。これより10分間停電します。

 

2012年3月15日 – 19:57
『横浜青葉発電所』再稼働します。

 

2012年3月15日 – 20:00
さっき、パンツ脱いでみたら、尻の皮が擦り剥けてた。サドルに枕置いてこいでみてるんだけど、こぎにくい。

 

2012年3月15日 – 20:03
『横浜青葉人力発電所 Yokohama Aoba Human Power Plant』の方がいいな。改名します。

 

2012年3月15日 – 20:46
『横浜青葉人力発電所 Yokohama Aoba Human Power Plant』運転開始より7時間経過。

 

2012年3月15日 – 21:14
去年3月17日~18日にかけて、僕は自分の心音をユーストした。そしてその配信は計画停電に断ち切られる形で終了した。その後暗黒が続いた後に、再び街に電気が取り戻される瞬間は忘れられない。あの街の灯の美しさといったらなかった。その日の日誌→ http://pa-nisshi.net/blog/?p=897

 

2012年3月15日 – 21:27
その灯を、自分の信じられる方法でつくらなければ、あの瞬間に感じた美しさはむくわれない。

 

2012年3月15日 – 21:46
『横浜青葉発電所 Yokohama Aoba Power Plant』、運転開始より8時間経過。これより10分間停電します。

 

2012年3月15日 – 21:57
『横浜青葉人力発電所 Yokohama Aoba Human Power Plant』再稼働しました。

 

2012年3月15日 – 22:26
部屋が汗臭い…

 

2012年3月15日 – 22:46
『横浜青葉人力発電所 Yokohama Aoba Human Power Plant』、運転開始より9時間経過。

 

2012年3月15日 – 23:15
完全に「発電ハイ」になっとりまふ。キモチィー!

 

2012年3月15日 – 23:20
そうそう、去年の『東京藝術発電所』のアフタートークで面白いキーワードが出た。「不安定供給フェチ」と「電力グルメ」。

 

2012年3月15日 – 23:25
「不安定供給フェチ」は完全な美人より、ちょっと欠点のある顔の娘の方が萌えるみたいな、マニアックな感性といえばいいか。「電気グルメ」は、電気の質にとことんこだわって高音質を求めるオーディオ・マニア的な、高解像度な感性。

 

2012年3月15日 – 23:26
実際、ソーラーで蓄電した電気でギターアンプを鳴らしてみたんだけど、コンセントから電源とるのと、全然違う。音がいい。

 

2012年3月15日 – 23:29
今日、ぜんぜんちび太と遊んでやれてない。ごめんよ…。

 

2012年3月15日 – 23:30
こっちの部屋つれてきたいんだけど、チャリの車輪に巻き込まれるとまずいじゃん?あいつちっちゃいから。

 

2012年3月15日 – 23:32
友人のツイートで、尻パッドの入ったサイクリング用パンツがあるのを知った。リサーチ不足だった。尻、もう感覚ないでふ。

 

2012年3月15日 – 23:33
ひょ~~~!!!!

 

2012年3月15日 – 23:39
あれっ?自転車って空を飛ぶ乗り物だったっけ?

 

2012年3月15日 – 23:39
飛んでる!

 

2012年3月15日 – 23:46
『横浜青葉人力発電所 Yokohama Aoba Human Power Plant』運転開始より10時間経過。

 

2012年3月15日 – 23:47
本日13時46分より運転開始した『横浜青葉人力発電所 Yokohama Aoba Human Power Plant』は16日0時0分をもって運転終了とします。おつきあい下さった皆さま、ありがとうございました。残り13分。

 

2012年3月15日 – 23:47
ここで、昨年やった『東京藝術発電所:発電ライブ・パフォーマンス』について、先日書いたある原稿の中から、今日の僕の行為と関連があると思われる箇所を一部転載します。

 

2012年3月15日 – 23:47
1)そのとき僕はマハトマ・ガンディーの「チャルカ」のことを思い出した。「チャルカ」とは彼が自立の象徴としたあの糸車のことである。イギリスはインドの伝統的な手作業による繊維産業を徹底的に潰すことで(織物職人の目をくり抜き、手を切り落としたとの記録もある)、(続)

 

2012年3月15日 – 23:47
2)産業革命によって大量生産が可能になった自国の綿織物をインドに売りつけたが、ガンディーはイギリスによるそのような搾取に対し、チャルカを回すという行為を象徴的に示すことによって抵抗したのだった。(続)

 

2012年3月15日 – 23:47
3)福島の原発事故が、イギリスの繊維工業とともにはじまった産業革命と、それによって確立された近代資本主義の成れの果てであるとするならば、僕の回そうとするちっぽけなダイナモの回転は、かつてガンディーが自立の精神を込めた、あのチャルカの大いなる回転を受け継ぐものであるはずである。

 

2012年3月16日 – 0:00
これにて、『横浜青葉人力発電所 Yokohama Aoba Human Power Plant』の運転を終了いたします‏。

・・・・・・・・・・

Posted: 3月 15th, 2012
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14/03/2012/WED/四百三十九日目

やっと原稿を書き上げて、入稿完了。肩の荷が下りてほっとしていたのもつかの間、夕方に三陸沖を震源に震度4、午後九時過ぎには千葉県東方沖を震源に震度5強の地震がありました。この影響で道路や鉄道が通行止めに。地震発生後、NHKが「福島第一第二 新たな異常なし」と報じましたが、本当にヤバいことになったとき、国や東電やマスコミがちゃんと「異常あり」と言ってくれるなんて、もう誰も信じていません。

ちび太はだいぶ飛ぶのが上手くなってきましたが、着地はまだまだです。時々、勢い余ってつんのめるような姿勢で着地しています。

今日は完封。

Posted: 3月 14th, 2012
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13/03/2012/TUE/四百三十八日目

今日も原稿の執筆。一日家に缶詰で書いています。

さきほど、ふいに何の脈絡もなく、銃で撃たれたときの衝撃とか痛みの感覚が、体に想像されました。もちろん撃たれたことなどありませんが、それはとてもリアルな感覚に感じられました。たぶんこれは僕の父が、特派員時代に中東の戦争を取材していたことと関係があるのだと思います。もちろん僕の父も銃で撃たれたことなどなかったはずですが、子供の頃、父と銃器と戦争が映像の中で同居しているのをよく見ていたので、そのイメージが目を通していつの間にか身体に染み入ってしまったのかも知れません。

あなたの生きている世界でも、戦争は起きていますか?東アジアの情勢はどうでしょうか。心配です。

今日は完封。

Posted: 3月 13th, 2012
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12/03/2012/MON/四百三十七日目

福島の原「パ」ツが水素爆発を起こし、放射能の拡散がはじまってから1年が経ちました。今日は一日中原稿の執筆をしていますが、なかなか書けずに苦しんでいます。大学時代の恩師の港千尋さんからの依頼です。数名の執筆者がアートと社会について寄稿するそうで、最終的に一冊の本になるそうです。

ホーメイと同じ喉歌の伝統をもつウイグルでは一昨々日M6.0の地震があり、建物8600棟が倒壊、2万7000人が避難したそうです。でも不思議なことに死者は報告されていないとか。日本はというと、早朝に熊本で震度4の地震がありました。

今日は完封。

Posted: 3月 12th, 2012
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11/03/2012/SUN/四百三十六日目

午後2時46分、「パ」ートナーと共に黙祷。

1000年に一度と言われる地震がおきてから1年が経ちました。僕らは今、危ういバランスの上に取り戻された「日常」に生きています。今も東北地方では家を失った多くの人が、仮設住宅で避難生活を送っています。
以前は自分の生きる「日常」がずっと続くものだとただ何となく信じていましたが、今ではこの「日常」がかりそめのものであると思わずにはいられません。
この一年、僕は自分の生活を衣食住の根本から見直し、今まで自分がないがしろにしてきた小さなことを取り戻そうと努めてきました。一方で、自らの肉体から意識だけ離脱して、どこか別の場所から、この世界を動かす大きな循環の全貌を眺めたいという欲望にかられています。

ふと、今日からこの「パ」日誌を、あなたに宛てて書こうと思いました。
亡くなった人へ宛てた言葉のことを弔辞といいますが、まだ存在しないあなたへと宛てた、このような言葉のことを何と呼べばよいか分かりません。
実際に僕はこの日誌を、2012年3月11日からだいぶ遅れて書いていますから、現在から過去に遡って、現在を飛び超えた未来に宛てて書いていることになります。哲学者であり聖人であるアウグスティヌスという人はこう言ったそうです。「過去とは、もはやないものである」。「未来とは、まだないものである」。果たして本当に実在するのは「現在」だけであり、「過去」も「未来」も主観的な幻影に過ぎないのでしょうか。
いずれにしても、いつ崩れ去ってしまうかも分からない、かりそめの日常に生きながら、未来像を描くのはとても困難なことです。現在を生きるすべての人がその困難に直面しています。その困難を引き受けながら、僕は未だ存在しないあなたへ現在から言葉を送ります。言葉というのは書かれた瞬間から過去のものになりますが、読み返されるたびに現在に蘇る不思議な力を持っています。あなたが読み返すことで、この言葉が未来に蘇ることを夢想しながら、僕は今、2011年に製造されたコンピューターのキーボードを打っています。

今日は夕方から多摩美の教え子たちの卒業制作展を観に出かけました。身支度をして「パ」ートナーに出かけてくるよと告げて家を出ようとした時、彼女が言いました。

「パ」ートナー:「そんなお洒落して何処行くの?」
僕:「え?多摩美の卒業制作展だよ」
「パ」ートナー:「怪しい!」

今日僕が選んだのは、ワインレッドとベージュと蛍光緑がまだら模様になったコーデュロイのカジュアル・スーツでした。確かに僕が持っているスーツの中で最も派手なものです。やはり学生たちが卒業するわけですからおめでたい場ですし、昨年の卒業制作展は震災のため中止になったので、今年は無事展覧会を開くことできたことを嬉しく思う気持ちもあり、華やかなものを選んだのですが、どうやら「パ」ートナーには僕が急に色気づいたように見えたようです。

「パ」ートナー:「私と出かけるときにそんなお洒落しないじゃない!」
僕:「えっ、だってこの間、一緒に近所のスパゲッティー屋行ったときこれ着てこうとしたら、派手すぎるからやめろって言ったじゃん…」

地雷ワード、「スパゲッティー屋」、パ裂。しかし「パ」ートナーはそんなことおかまいなし。

「パ」ートナー:「だって地元のレストランには、どう考えても派手すぎでしょ!その服!」
僕:「わかったよ…じゃあ着替えてくるから」
「パ」ートナー:「着替えなくていいよ!学生たちの展示なんでしょ!遅れたら可哀想でしょ!」

あなたが男であるのか、女であるのか、今はまだ分かりませんが、女心というのはなかなか厄介なものですね。「パ」日誌が滞りがちになる一つの原因として、実は日常茶飯事に起こる「パ」ートナーとの些細な諍いが挙げられるのですが、またこのことについてはいずれ書きます。あなたの時代でもまだ『トムとジェリー』というアメリカのアニメは忘れられていないでしょうか。「ケンカするほど仲がいい」という言葉は、どうやら僕らにぴったり当てはまるようです。

夕方、十勝地方中部を震源に震度3。

Posted: 3月 11th, 2012
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10/03/2012/SAT/四百三十五日目

日付変わってすぐの午前2時半ごろ、茨城県北部を震源に震度5弱の地震発生。ちび太が揺れに怯えて落ち着きをなくす。

それでも昼間は気持ち的に和んでちび太と遊んでいたのだが、夜になり時が午前零時に近づくにつれ、様々な感情…特に怒りの感情がこみ上げてくる。

今日は完封。

Posted: 3月 10th, 2012
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09/03/2012/FRI/四百三十四日目

自宅でデスクワーク。僕が仕事をしている脇で、ちび太がRAGE AGAINST THE MACHINEの曲に合わせて、さえずりと地鳴きを織り交ぜながら激しく歌いはじめた。トム・モレノのギターが気に入ったみたいだ。

未明、宮城県沖を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 3月 9th, 2012
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08/03/2012/THU/四百三十三日目

自宅でデスクワーク。

未明、新潟県中越地方を震源に震度3、茨城県南部を震源に震度3。昼、宮城県沖を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 3月 8th, 2012
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07/03/2012/WED/四百三十二日目

明け方、ふと窓の外を見ると一面が濃い瑠璃色に染まっていた。ベランダに出ると空気が生温い。冬が去る。
午後は科学未来館でぷりぷり君、小町谷君と打ち合わせ。
震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 3月 7th, 2012
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06/03/2012/TUE/四百三十一日目

昨日に引き続き、自宅でデスクワーク。海外向けの資料作成。

ちび太、昨日に引き続き「チビタ!チビタ!」と調子づいている。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 3月 6th, 2012
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05/03/2012/MON/四百三十日目

自宅でデスクワーク。海外向けの資料作成。

遂にちび太がしゃべった。一瞬我が耳を疑ったが、あの小さな動物が「チビタ!」と、いつもより低めの声で自分の名前を言ったのだ。目で見る声の主と、耳で聴く声の主が一致せず、まるで映画の吹き替えのような奇妙な感覚。

午後、岩手県沖を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 3月 5th, 2012
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04/03/2012/SUN/四百二十九日目

「パ」ートナーの仕事が休みだったので、二人で東浦和にあるインコ専門店「パパガロ」まで足をのばす。しかし、僕にとっては何ともキツい店名だ。

店内でふと隅の方を見ると、カゴの中にモップが放置されていた。しかしよく見るとそのモップと思ったものは鳥だった。「フェザーダスター」というセキセイインコの突然変異種らしい。ホコリを払う掃除用具の羽根でできたダスターに似ていることからそう名付けられたらのだろう。なんでも羽根が生え変わらずにひたすら伸び続け、成長と共にもじゃもじゃの姿に成り果てて、生まれて数ヶ月で死んでしまうのだとか。飛べないどころか、満足に立てず、ずっと腹ばいで這いつくばっているという哀れな鳥…。

パパガロを後にして、富士見市にある鳥専門店「バードモア」へハシゴ。店内を飛び回っていたオオハナインコがバサバサと頭にとまってくる。オオハナインコはオスが緑、メスが赤なのだが、その個体はオス。こんな美しい緑色は見たことがないと思わせるほど、鮮やかな羽色をしていた。

自宅に帰った僕はフェザーダスターのことが気になっていた。グーグルで検索してみると、ある鳥愛好家の方のブログがヒットしたので、「パ」ートナーに音読して聞かせる。

そのブログより以下に音読した箇所を引用させていただく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このもっさりは、フェザーダスターというセキセイインコの突然変異種だそうです。初見で「可愛い!飼いたい!モフモフしてぇ!」と思ったのだが調べてみてちょっと落ち込んでしまいました。このフェザダスターは6ヶ月前後という短い寿命の間に羽根が伸び続けてしまうのだ。普通ならセキセイの寿命は10年前後なのかな?それに「羽根が伸び続ける」にピンと来ない人も多いと思うけど、鳥ってのは羽根が伸びきる限界があって、伸びきってしまったらあとは抜けて、そこからまた新しいのがはえてくるのだから、きっとそれだけでもすごく体力消耗するんじゃないかな。それに、何より前が見えないし、飛べる翼の形も決まってるようなもんだから、きっと飛べないでしょう。(トラをクリッピングしといて言うことじゃないかも)それより何よりかわいそうなのが、これを研究のために繁殖している人たちがいるらしいのだ。半年でも普通の家庭で飼い主にめいっぱい可愛がられれば…
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここまで読んでハッした。地雷ワード、「めいっぱい」、パ裂である。

午後、茨城県沖を震源に震度3。

Posted: 3月 4th, 2012
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03/03/2012/SAT/四百二十八日目

オフ。ちび太、名前を呼ぶと、飛んできて指にとまるようになった。

震度3以上の地震は観測されず。穏やかな一日。今日は完封。

Posted: 3月 3rd, 2012
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02/03/2012/FRI/四百二十七日目

七生特別支援学校で特別授業。対象は高校2年生26人。

七生特別支援学校の子たちは、論理的思考や言語の扱いは苦手だが、開かれた剥き出しの心を持っており、その感覚は恐ろしく鋭敏であるというのが、先日下見に訪れたときの印象。言葉で伝えられることが少ない分、いかに身体と身体、感覚と感覚で、彼(女)らと共鳴を生み出せるかが勝負所だった。

生徒の中に一人耳の聞こえない子がいた。音は僕の表現では欠かす事のできない要素なので、どうしたものかと考えあぐねた結果、その子のために教室の床に振動スピーカーを設置、音を触覚的に感じられる仕掛けをつくった。その子に胸に電子聴診器をあててもらうと、その心臓の鼓動は地震のような振動となって床を揺るがした。どよめく教室…。さらにその鼓動を白熱球の光と同期させると、その子の命は光になって空間を明滅させた。耳の聴こえないその子は、足の裏と網膜で自分の命を感じながら、心臓のリズムに合わせて、何かを突き破るような勢いで「ハッ!ハッ!」と何度も息を吐いていた。なぜかは分からないが、そうしなくてはならない理由があったのだろう。僕はとっさにギターを手にとって、鼓動に合わせて、ボディを叩き、弦を揺らし、ここぞという瞬間を狙ってシンバルを蹴り上げた。もちろんその子にその音は聴こえない。しかしお互いの間に、コラボレーターとして、特別な瞬間を創造しているという確信が生まれた。

骨伝導マイクの音も床に響かせてみた。頭蓋骨を叩くとその振動が床に伝わる。その子に叩いてごらんと頭を差し出すと、ありったけの力を込めてゲンコツで殴られた。顔を歪め、「痛ってぇー!」と思わず声を上げる僕。大笑いする生徒たち。隣に座っていた子が見かねて、その子の手をとり、コツコツと優しく僕の頭を叩くのを手伝ってやる。耳のきこえないその子にとって、小さな振動が電気で何倍にも増幅されるということは、まったく新しい体験だったのだ。自分の体に伝わってくる、その大きな振動に見合う力で叩かなければ、と思ったに違いない。

今回の七生特別支援学校への訪問で、「アーティスト一日学校訪問」はすべて終了。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 3月 2nd, 2012
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01/03/2012/THU/四百二十六日目

朝、地震の揺れで目が覚める。

ちび太が大分慣れて来て、頭に飛びついてきたり、レディー・ガガで歌いまくったり。

明日の、七生特別支援学校での「アーティスト一日学校訪問」ための準備。

朝、茨城県沖を震源に震度5弱。深夜、福島県沖を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 3月 1st, 2012
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29/02/2012/WED/四百二十五日目

閏日。東京スカイツリーが完成。大雪のため朝から交通が混乱。

ちび太が名前を呼ぶと返事をするようになった。

夕方、福島県沖を震源に震度3。深夜、千葉県東方沖を震源に震度4。今日は完封。

Posted: 2月 29th, 2012
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28/02/2012/TUE/四百二十四日目

昨日にひき続き、今度は港区立高輪小学校で特別授業、「アーティスト一日学校訪問」。対象は5年生84人。

今回も『「パ」日誌メント』の話からはじめる。昨日と同様、まずスクリーンに「パ」の字を映してみせたのだが、やはり子供たちは「パ!」「パ!」とその音を口々に声に出して盛り上がったのだった。「パ」という音節には、その文字を見ただけで、思わず声に出したいという欲望にかられるような、特別な力が備わっている。子供たちが「パ」という音を好きなのは、その音が無邪気な戯れの感覚をくすぐると同時に、唇で起きる小さな破裂にある種の快感を求めるからに違いない。「パ」こそは、あらゆる音節の中で、もっともキャッチーな音節なのだ。さらに、その音に付けられた「100万円」という値段もキャッチーだ。子供たちにとって、大金の象徴とは、いつの時代も「ひゃくまんえん」。だから「パ」日誌メントは小学生ウケがいい。

授業終了後は子供たちと一緒に給食をいただく。手を替え品を替え、何とか僕に「パ」と言わせてやろうとする子供たち。

日付変わってすぐ、宮城県沖を震源に震度3。早朝未明、沖縄本島近海を震源に震度3。昼過ぎ、茨城県沖を震源に震度4。今日は完封。

Posted: 2月 28th, 2012
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27/02/2012/MON/四百二十三日目

東京都現代美術館の教育プログラム、「アーティスト一日学校訪問」の一環として、港区立麻布小学校で特別授業。麻布小学校は、六本木交差点から歩いて数分、都心のど真ん中にある小学校で、校庭からはすぐ近くにそびえる東京タワーが見える。今回の対象は5年生28人。

授業の最初に、「パ」という文字を大きくスクリーンに映し出す。それを見るなり口々に「パ!」「パ!」「パ!」と声を上げる子供たち。

「授業の最初に言っておきたいんですが、僕はこの音を言うことができないんです。」

「えっ?…なんで?…」と驚く子供たち。それまで騒がしかった教室がしーんと静まり返った。

「なぜなら僕はこの音を100万円で売ってしまったからなんです。」

全員目を一層まん丸くして驚いている。

僕はできるだけ噛み砕いて説明した。世の中には”アートマーケット”と呼ばれる美術作品が売り買いされる市場があり、僕がそこで自分の「パ」を売ったこと…。また時代によって美術というものはどんどん進化し、現代の美術の世界では、考え方が作品となったり、身体が作品になったりするということ…。驚きつつも、子供たちは僕の説明を理解してくれたようだった。

「パ」日誌メントの解説にはじまり、実演や、実際に体をつかってのワークショップ的実践を交えながら2時間。授業終了後は子供たちと給食をいただく。給食を食べているときである。ある子がとなりの子に、自分の「イ」を5万円で買わないかと、持ちかけていた。おいおい、「イ」なんて売ったら大変だぞ。しかも、5万円は安いだろう…。

そして帰宅後、良い気分でちび太を相手に歌っていた時のことである。
地雷ワード、「パラパラペッパッポー♬」、パ裂。
しかも不覚にも三連パツである。インコを相手に歌ってると、どうしても「パ」行のスキャットが出がちになる。

震度3以上の地震は観測されず。

Posted: 2月 27th, 2012
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26/02/2012/SUN/四百二十二日目

明日、明後日に予定されている、小学校への『アーティスト一日訪問』のための準備。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 2月 26th, 2012
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25/02/2012/SAT/四百二十一日目

またあのヨウムに会いたくなって、「パ」ートナーと一緒にペットショップへいく。

カゴに近づき、声を出すとすぐさまヨウムは奥の止まり木からこちらに寄ってきた。僕のことを憶えていたようである。「パ」ートナー曰く、ヨウムは人を選ぶらしい。自分の心が通じる相手が直感で分かるのだそうだ。

しばらくヨウムとセッションにいそしみ、いい感じで落ち着いたところで、オオバタンのところへ行ってみた。ペットショップ内で放鳥されているのは、このオオバタンのみで、彼は2m近くもある大きなカゴの屋根の上から、まるで自分がこのペットショップの主であるとでも言わんばかりの態度で睨みを効かせていた。しかしこのオオバタンもストレスからか、毛引きがひどく、翼に柔らかな羽はほとんど残っていなかった。残された羽軸は、ひしゃげて何重にも折れ曲がり、貧弱なサンゴか、枯れた木の枝のようになって、彼の胴体の両脇から突き出していた。

値札を見ると、924,000円という金額が表示されている。このボロボロの鳥に、ちび太(1,980円)x466羽分の金銭価値があるとは…。

オオバタンの目をみながらホーメイを歌う。すると彼はカゴの屋根から、僕の目の高さのところまで、低い体勢でゆっくりと降りてきた。そして僕のホーメイを聴きながら少し右往左往したかと思うと、突然、冠羽を逆立てて、天を衝くような強烈な奇声をあげはじめた。どうやらホーメイがお気に召さなかったようだ。そのあまりの剣幕に、ペットショップ中の動物たちと人間たちの全員が一瞬にして凍り付き、店内がシーンとなってしまった。

そしてヨウムのところへ戻り、また少し遊んで、そろそろ帰ろうとカゴの前から立ち去ろうとしたその時である。

「バイバーイ」

低く乾いた男の声で、ヨウムがはじめて人間の言葉をしゃべった。

「オウム返し」という言葉があるように、インコ・オウム類は言葉の意味を理解せずにただ単に音を真似ているだけだという風に言われているが、それは誤解である。実際の彼らは、言葉の意味を理解し、状況に応じて使い分けることができるのである。

それにしても、ヨウムの「バイバーイ」という声は本当に不思議な声だった。それは「肉声」とも「録音された声」ともつかない独特の質感を持った声だった。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 2月 25th, 2012
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24/02/2012/FRI/四百二十日目

東京都現代美術館のプログラム、「アーティスト一日訪問」で12月に訪れた錦糸小学校の子供たちが、現代美術館へ学外授業で来るというので、皆に会いに出向いた。僕の顔を見るなり、「あっ!パッ!パッ!」と盛り上がる小学生たち。すっかり「パ」の人という認識で定着してしまったようだ。

小学生たちに別れを告げた後は、国立美術館で開催されている『メディア芸術祭』展へ。その後、国際交流基金で「Omnilogue」のシンポジウムへ。

今日付けの週刊文春によると、郡山で4歳児と7歳児に放射能のよる甲状腺がんの疑いが出たとのこと。

未明、岩手県沖を震源に震度3。昼すぎ、茨城県南部を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 2月 24th, 2012
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23/02/2012/THU/四百十九日目

一日、スタジオで作業。

スタジオまでの道すがら、先日会ったヨウムのことが気になって、またペットショップへ立ち寄って見た。

鳥売り場へ行き、カゴに近寄ると、ヨウムも奥の止まり木からこちらへ近寄ってきた。僕のことを憶えていたようだ。カゴに指を入れて歌ってやる。その指を甘噛みしながら、ヨウムも声で僕の歌に応えてくる。ふと気がつくと、なぜかヨウムは僕の指を噛みながら嘔吐し始めた。少し驚いたが、あまり気にせず、しばしセッションを楽しんだ。

後で知ったところによると、インコ、オウムの雄は求愛行動の一環として、食べた餌を吐き戻して雌に与えようとするそうだ。

今日でちび太が家に来てちょうど一ヶ月が経つ。ちび太を飼い始めてからというもの、僕はすっかり鳥の不思議な魅力にはまってしまっている。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 2月 23rd, 2012
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22/02/2012/WED/四百十八日目

昨日に引き続き、一日中インフルエンザで寝込んだ「パ」ートナーを看病する。
子供にタミフルを飲ませると悪夢をみる副作用がでることがあるというが、「パ」ートナーも悪夢を見たらしい。
以下に「パ」ートナーが語った夢の内容を記す。

・・・・・・・・・・
いつものように電車を降り、駅から家に帰ろうとすると、何故か駅からの道が家まで直接つながっていた。

私はその道を通って家に帰り、ベランダへ出た。すると汚い苔の生えた水槽の中で魚が死んでいる。その脇には荒れ果てたシクラメンの植木鉢が放置されている。

シクラメンを不憫に思った私は、水をやろうと洗面所でじょうろに水を溜め、ベランダに戻る。すると、何やら植木鉢がカタカタと動いていた。一瞬、地震かと思ったが、よくよく目をこらしてみると、植木鉢の下に数尾の秋刀魚が下敷きになっているではないか。秋刀魚が蠢くたびにその秋刀魚が植木鉢の足になり、カタカタと音をたてながらこちらに向かって歩いてくる。

歩く植木鉢に恐れおののいた私は、ベランダから部屋に逃げ込もうとしたが、内側から窓の鍵がかかっていて開かない。背後に迫り来る植木鉢…。もうだめだと思い、ベランダから飛び降りようとしたそのとき、冬樹が家に帰ってくる。

冬樹が内側から鍵を開けてくれたことで、私はようやく部屋に戻ることができた。しかしそこで起きた恐怖の出来事のことを話しても、冬樹はまったく耳を貸さず、「そんなことより、近くにすごくいい鳥の病院ができたんだ。そこの先生と仲良くなったよ!」と嬉しそうに語るばかり。

冬樹はその日から鳥病院に足しげく通うようになる。ある日、また冬樹が鳥病院に出かけたので、怪しいと思った私はこっそりその後をつけることにした。

外から鳥病院を覗くと、院内には色とりどりの鳥たちが飛び回っていた。冬樹は鳥たちに囲まれ、とても楽しそうにしていた。鳥病院の先生は女医で、冬樹に気があるらしく、鳥をダシに使って冬樹を口説いていた。冬樹は女医の下心に気付かずに、ただ無邪気に鳥に夢中になっていた。

そして家…

冬樹が家に帰ってきた。手には女医がくれたという、黄緑と黄色のびっくり箱のような小さな箱をいくつか持っている。箱のてっぺんには赤くて丸いボタンがついている。箱には説明書がついていたが、冬樹は説明書も読まずにそのボタンを押してしまう。すると箱から鳥が生まれ出てきた。それに大喜びする冬樹。それに対して「今の科学でそんなことはできないのに、けしからん!」と怒る私。

冬樹はさらに他の箱のボタンを押した。すると次々と鳥が生まれ出てきた。いくつかある箱のうちの1個がスペシャルボックスだったらしく、どんどん鳥が生まれ出てきて止まらない。騒がしくさえずる鳥、鳥、鳥…。最終的に部屋は無数の鳥たちで溢れかえってしまい、似たような鳥にまぎれてどれがちび太か分からなくなってしまった。「あんな女医のところに行くからこんなことになるんだ」と私は怒り狂った。一方で冬樹は楽しそうにはしゃいでいる。「ほら!どんどん生まれてくるよ!ねぇ、先生のところに行ってみようよ!」と私の怒りなど意に介さず。

次の日、私は満員電車に乗っていた。ふと目の前のおじさんを見ると、明らかにカツラだと分かる髪型をしている。しばらくおじさんの頭を眺めていると、カツラの両脇の部分がみるみる伸びて、鳥の羽根のように変形しはじめたではないか。さらにおじさんの目はまん丸になり、口はクチバシのように尖りはじめた。見て見ぬふりをしていると、終いにはおじさんの頭部が胴体から切り離されて飛び立ち、私に襲いかかってきたのである。

私は後悔した。昨日あんなに怒ってしまったから罰があたったのだと。
・・・・・・・・・・

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 2月 22nd, 2012
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21/02/2012/TUE/四百十七日目

「パ」ートナーが高熱を出したので一日中看病。

病院へ連れて行くと、インフルエンザと診断され、タミフルを処方された。
夜はシチューつくり、「パ」ートナーに食べさせる。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

Posted: 2月 21st, 2012
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20/02/2012/MON/四百十六日目

朝、喜瀬ビーチを散策。家族でサンゴや貝殻拾い。ホテルをチェックアウトし、途中、万座毛に立ち寄り、斎場御嶽へ。久高島を望む。斎場御嶽のすぐそばにある「海のイスキア」でマンゴージュースを堪能した後、「山の茶屋 楽水」で昼食。その後、那覇へ戻り、家族は国際通りで買い物。僕は那覇出身の多摩美OBの元教え子、花ちゃんと再会。レンタカーを返し、那覇から羽田に飛び、家族を車で家に送り届け、家族サービス完了。

昼、茨城県北部を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 2月 20th, 2012
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19/02/2012/SUN/四百十五日目

朝、美ら海水族館へ。人工尾ビレをつけたイルカ「フジ」に会う。本部町の「農芸茶屋 四季の彩」で絶景を堪能しながら昼食を食し、慶佐次へ足を延ばしマングローブ林の浅瀬をカヤックで巡る。ホテルに戻り、ホテルのレストランで母の70回目の誕生日を祝う。

午後、茨城県北部を震源に震度5弱。大きい。茨城が揺れている。今日は完封。

Posted: 2月 19th, 2012
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18/02/2012/SAT/四百十四日目

母と弟、「パ」ートナー、「パ」ートナーの母の5人で沖縄旅行へ。

羽田から那覇へ飛び、レンタカーを借りて那覇を観光。「ゆうなんぎい」で沖縄料理を食した後、名護へ移動し、喜瀬ビーチのホテルに泊まる。

昼、茨城県北西部を震源に震度4。夜、茨城県沖を震源に震度3。今日は完封。
(※ここまでの成績は、後日改めて計算した上で更新します)

Posted: 2月 18th, 2012
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17/02/2012/FRI/四百十三日目

昼、SNOW Contemporaryの石水さんから電話。

ある催しで「パ」フォーマンスをやる話があるのだが、その件について打ち合わせ中、「P、P…、プァ、ピャフォーマンスがぁ、」と口走ってしまった。[p]…という子音の後、[a]という母音が出るか出ないかというところで急ブレーキが間に合ったような、間に合わなかったような…。スポーツで言えば、ビデオ判定に持ち込みたい微妙なケースであり、ギリギリセーフにしたいところだが、ここは自分い厳しくギリギリアウトということに。

地雷ワード「パフォーマンス」、パ裂。

明日から、母と弟、「パ」ートナー、「パ」ートナーの母の5人で沖縄旅行に行くので、夕方、ちび太をペットホテルに預けにいく。

その帰り道、「パ」ートナーがペットショップに行きたいと言い出した。ちび太を買ったとき同じカゴにいた兄弟たちの様子をみたいという。

ペットシップのインコ売り場へいくと、ちび太の兄弟は全羽売れ残っていた。ちび太と同じ時期に生まれたので、もう生後3ヶ月半。そうなるともう手乗りインコとして育てるのは難しくなり、ペットとして商品価値が落ちることになる。

値札をみると「980円」という金額が表示されていた。ちび太を買ったときは全羽「1,980円」だった。1,980円ですら安いと思ったのに、さらに1,000円値引きされ、半額以下になっていた。芸ものセキセイインコなら多少成長しても趣味で欲しがる人はいるだろう。しかし成長しきった何の変哲もないセキセイインコを欲しがる人はあまりいないと思われる。今後誰にも買われなかったら、ちび太の兄弟たちの運命はどうなるのだろう?。そう思うと全羽買いたい気持ちにかられたが、そんな感傷的な想いを断ち切り、後ろ髪を引かれながら僕らはカゴの前を立ち去った。

「パ」ートナーがもう一軒すぐ近くにあるペットショップに行きたいというので、はしごすることにした。ちび太を買ったペットショップはホームセンターに併設した店なのだが、こっちは日本最大級とも言われる大型店である。

もちろん鳥売り場へ直行。お目当てはインコ・オウム類の中でも最も賢く、おしゃべりの天才と言われるヨウム。値札を見ると398,000円。ちび太の兄弟の406羽分の金額だ。年齢は3歳とのこと。

しかしそのヨウムはストレスからか、毛引きが激しく、無惨にも羽がボロボロだった。ところどころ鶏肉のような地肌が見えている。とても398,000円では売れないだろう。2月8日に行ったインコ・オウム専門店「こんぱまる」のヨウムは198,000円。20万円も値段が違う。

僕らがヨウムを見ていると、店員が来てカゴの中に手を入れて掃除をしはじめた。羽を膨らませながら店員を威嚇し、指に噛み付こうとするヨウム。

「この仔は人間嫌いなんですよ…。最近ウチに来たばかりなんですけど、以前いたペットショップがストレスだったのか、毛引きもしちゃって…」と店員。確かにカゴには「噛むので手を入れないで下さい」と注意書きの札が貼ってある。

店員が立ち去った後、僕はヨウムを見ながら首を少しかしげてみた。すると彼の鋭い目と視線がバッチリ合った。視線を保ったままホーメイを少し聴かせてやると、彼の呼吸が凍り付き、僕に興味を持ったのが分かった。すかさず畳み掛けるようにして、声を出しながら口笛を吹いたり、舌を鳴らしたり、巻き舌で裏声を出したり、ヴォイス・パフォーマーとして持てるあらゆるテクを駆使してアピール。するとゆっくり僕の方へ近寄ってきて、僕の舌を鳴らした音を真似しながら、ぐるぐると回転運動をはじめたのである。こうなればこっちのものだ。僕はその場で彼と声で即興セッションをはじめた。彼もいろいろな声で実に音楽的に応えてくる。タイミングをみて恐る恐るカゴに指を入れてる。すると黒いクチバシで噛んでくる。それは店員にしたような威嚇ではなく、甘えるような噛み方だった。その遠慮がちな力加減に、彼の心がほぐれて喜んでいるのが伝わってきた。

そのヨウムにとって、僕に飼われることが幸せなんじゃないかと思った。ストレスがなくなれば毛引きも治るかも知れない。しかし398,000円。買えるわけがない。ヨウムはまだまだ遊びたがっていたが、僕らは後ろ髪を引かれるように、その場を立ち去った。

今日は震度3以上の地震は観測されず。

Posted: 2月 17th, 2012
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16/02/2012/THU/四百十二日目

家から一歩も出ずに家でごろごろ。しばらくぶりに休みらしい休みをとる。

未明深夜、茨城県沖を震源に震度3。午後、北海道南西沖を震源に震度3、宮城県沖を震源に震度3。二日連続の完封。

Posted: 2月 16th, 2012
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15/02/2012/WED/四百十一日目

七生特別支援学校へ「アーティスト一日学校訪問」のための打ち合わせに出向く。生徒たちの様子を見学。今回は高校2年生の授業を担当する予定。すごく人懐っこい子もいれば、ひたすらゴーイングマイウェイな子もいる。特別授業の日が楽しみに。

ちび太が自分から頭に乗ってくるようになってきた。

午後、北海道渡島地方東部を震源に震度3、福島県沖を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 2月 15th, 2012
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14/02/2012/TUE/四百十日目

東京都現代美術館の教育普及プログラム「アーティスト一日学校訪問」のため、都立葛西南高校で特別授業。

いつも観にきてくれるお客さんとはまったく違う、いわゆる「アート系」の共通認識や共通言語もたない高校生たちに、どれだけコアなものを伝えられるか、それが今回の勝負どころだった。僕が自分の「パ」を100万円で売ったことで、その音節を発声できなくなった経緯の説明にはじまり、ホーメイや数々の「パ」フォーマンスの実演に解説を交え、生徒たちにも実際に身体を使って参加してもらいながら、彼(女)らの感覚を開いていく。対象は高校2年生200人。110分の授業を2回。授業の終わりに質問を受け付けると、いくつか質問が出た後に、美術の先生からも質問をいただいた。

先生:「感覚を磨くためには、どのようにしたらいいでしょうか?」

僕:「うーん、そうですね…。たぶん、普段生活していて、理由もなく何かに惹かれることってあると思うんです。でも、その何かに惹かれているときの瞬間というは、とてもささやかなもので、多くの人がその瞬間をやり過ごしていると思うんですね。大切なのはきっと、そのささやかな瞬間をどれだけキャッチできるか…。なんて言うか、自分の周りを飛んでいる小さな虫を手でパッと捕まえるような感じで…、あっ!言っちゃった…」

地雷ワード:「パッと」、パ裂。

「おおおおぉ~!」と、一斉にどよめく高校生たち。

声を積極的に発することで、ヴォイス・「パ」フォーマンスが成立するならば、それを裏返して一つの音節を発声しないことでも声による「パ」フォーマンスが成立するのではないか、という冒頭での僕の問いかけに対し、「はぁ…」といった反応だった生徒たちも、このハプニングによって僕の言わんとすることがようやく腑に落ちたようだった。

帰宅して、ちび太をかごから出してやり、イランの古典声楽のCDをかける。イランの古典声楽には高度なこぶしの技術を駆使した「タハリール」という歌唱法がある。「タハリール」とは「うぐいすの声」という意味があるのだが、ペルシャの人々がこの「タハリール」唱法に込めてきた鳥の心に、ちび太の心もまた共鳴したのだろうか、実に楽しげにCDに合わせてさえずり出すちび太。僕も何だか楽しくなって、一緒に歌いたくなった。このときCDの歌のマネをして歌えば良いものを、ちび太があんまり可愛いので、思わずちび太の声を擬音語でマネて歌ってしまったのがまずかった。

僕:「♬ピッポッパッポッピッポッ!」

地雷ワード、「ピッポッパッポッピッポッ!(鳥のさえずり)」、パ裂。
28日連続の完封もここで途絶。1日で2回ものパ裂は久しぶりである。

昼、茨城県沖を震源に震度3。午後、茨城県沖を震源に震度3。夜、長野県北部を震源に震度4。

Posted: 2月 14th, 2012
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13/02/2012/MON/四百九日目

午前中、ちび太を「バーズ動物病院」へつれていく。

フンの検査をしたところ、この10日間、投薬治療をしたおかげで、前回検出されたメガバクテリアはいなくなっていた。オウム病の検査結果も陰性。まだくしゃみ、鼻水は続いているものの、人にも慣れはじめ、確実に快方に向かっている。投薬を続けながら様子をみることに。

帰宅後、ちび太にホーメイを聴かせて遊んでいるところへ一本の電話が。東京都現代美術館の池尻さんだった。

池尻さん:「山川さん…、今どこですか?」
僕:「え?家ですけど…」
池尻さん:「あの…、今日打ち合わせだったんですけど、憶えてますか?…」

年明けからほとんど休みなしで続いていた舞台の日々がやっと終わり、頭がぼーっとしていたのか、今日、打ち合わせが二本入っていたということを見事に忘れていた。一本目の打ち合わせはもう時間が過ぎていたので間に合わず。結果的にすっぽかすことになったが、二本目の打ち合わせには何とか間に合った。

震度3以上の地震は観測されず。28日連続の完封。

Posted: 2月 13th, 2012
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12/02/2012/SUN/四百八日目

舞台『金閣寺』大千秋楽。
「パ」ートナー、母、弟が三人揃って観劇にきてくれる。

2011年1月、横浜での初演から、松本、博多、名古屋、大阪、ニューヨーク、また大阪、そして東京と、通算で61公演やったことになるが、今日が本当に最後の最後である。初演のときも、ニューヨーク公演のときも、まったく緊張しなかったのだが、今日、はじめて緊張した。

終演後、キャストの皆さんと打ち上げ。お別れするときの、皆さんの目がきらきらとまるで星のようだった。

深夜、宮城県沖を震源に震度3。27日連続の完封。

Posted: 2月 12th, 2012
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11/02/2012/SAT/四百七日目

舞台『金閣寺』東京公演12日目。マチネとソワレ2公演。

マチネに「パ」ートナーのお兄さんが観にきてくれたのだが、冒頭の台詞を派手に噛んでしまう。

「き、きき、金閣…という…」

溝口より先に吃ってどうする、俺…。

もうこの舞台の上演も残りわずかだと思うと、自分の出番待ちのときも、皆さんのお芝居の一挙手一投足を、舞台の袖から目に焼き付けずにいられない。いくつかのシーンがあまりに素晴らしく、思わず目が潤んでしまった。

午前中、茨城県南部を震源に震度3。26日連続の完封。

Posted: 2月 11th, 2012
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10/02/2012/FRI/四百六日目

『金閣寺』東京公演11日目。
2010年の冬から稽古がはじまり、足掛け3年続けてきたこの舞台も、残すところあと2日。終演後、キャスト、スタッフの皆さんと打ち上げ。

朝、宮城県中部を震源に震度3。昼、秋田県内陸北部を震源に震度3。25日連続の完封。

Posted: 2月 10th, 2012
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09/02/2012/THU/四百五日目

明け方、やっとレポートの採点を終えて、少し仮眠をとり、劇場へ。今日は『金閣寺』東京公演10日目。マチネとソワレ2回公演。

帰宅して疲れた体に染み入る音楽をと、グレゴリオ聖歌をかけてみると。ちび太がいたく気に入ったらしく、その調べにあわせてずっと「きゅるきゅる」とさえずっていた。

昼、宮崎県日向灘を震源に震度3、伊豆半島東方沖を震源に震度3。24日連続の完封。

Posted: 2月 9th, 2012
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08/02/2012/WED/四百四日目

朝になっても採点は終わらず。午前中、エアコンの設置工事に電気屋がくるも、その工事の傍らでひたすら馬車馬のようにレポートの採点…。

今日は舞台『金閣寺』の休演日。だいぶ前から「パ」ートナーと鳥類専門のペットショップへ鳥を見にいくというデートの約束をしていた。徹夜で寝ていない上に、まだまだ採点も終わっていなかったが、「パ」ートナーがどんなに鳥たちに会いにいくのを楽しみにしていたか、よく分っていたので、ちょっと無理をして上野のインコ・オウム専門店「こんぱまる」へ車を飛ばす。

水彩画のような羽色が息をのむほど美しいワカケホンセイインコ。ひょうきんな動きが愛くるしいゴシキセイガイインコ。人間に糞をかけてくる生意気なコシジロインコ。ミッキーマウスマーチをムーグシンセサイザーのように歌うオカメインコ。インコ・オウム界の王様さながらのオオバタン。ロバート・ルイス・スチーブンソンの『宝島』から抜け出てきたかのようなコンゴウインコ。人間の赤ちゃんのような声で甘えるソロモンオウム。そして僕らの一番のお目当て、オウム目の中で最も知能が高いといわれる、おしゃべりの天才、ヨウム…。

何羽かヨウムの赤ちゃんを抱かせてもらう。一羽、198,000円。これでも他のペットショップと比べると、かなり良心的な金額なのだが、うちの仔、ちび太(セキセイインコ)のちょうど100羽分の金額か…、と思うと、なんだか複雑な気分に。

帰宅して再び採点を続ける。採点地獄…。眠い…。

朝、茨城県沖を震源に震度4。夜、新潟県佐渡付近を震源に震度5強、茨城県沖を震源に震度3。23日連続の完封。

Posted: 2月 8th, 2012
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07/02/2012/TUE/四百三日目

『金閣寺』東京公演9日目。

帰宅後、多摩美の担当講義のレポートを採点する。400名近い履修者がいるマンモス講義なので、提出されたレポートの山を前にして思わず気が遠くなったが、気を取り直し、連日の舞台で疲労した体に鞭打ちながら、徹夜で採点。

震度3以上の地震は観測されず。22日連続の完封。

Posted: 2月 7th, 2012
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06/02/2012/MON/四百二日目

昼は東京都現代美術館の教育支援プロジェクト「アーティストの1日学校訪問」で訪れる予定の、都立葛西南高校へ打ち合わせに出向く。夜は舞台『金閣寺』本番。

昨日に引き続きまた、朝、茨城県沖を震源に震度3。21日連続の完封。

Posted: 2月 6th, 2012
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05/02/2012/SUN/四百一日目

『金閣寺』東京公演8日目。夜は弟と呑み交わす。

朝、茨城県沖を震源に震度3。20日連続の完封。

Posted: 2月 5th, 2012
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04/02/2012/SAT/四百日目

『金閣寺』東京公演7日目。マチネとソワレの2公演。

震度3以上の地震は観測されず。19日連続の完封。

Posted: 2月 4th, 2012
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03/02/2012/FRI/三百九十九日目

『金閣寺』本番前に、ちび太を動物病院へ連れて行く。

やはりほとんどの動物病院は犬猫メインで、鳥に詳しくない獣医が片手間に鳥を診療しているケースが多いらしい。やはり鳥は鳥のエキスパートに診てもらわねばということで、いろいろ調べたところ、車で20分ほどのところに良さそうな動物病院を見つけた。その名も「バーズ動物病院」。その院名が示しているように、ここの先生は素晴らしい。飼い主に対して丁寧に説明してくれるし、鳥のホールディングの仕方からして1月24日に行った動物病院とはぜんぜん違う。

フンの検査と、そ嚢検査をしてもらったところ、すぐにフンからメガバクテリア(AGY)が見つかった。フン切れの悪さはこのメガバクテリアが原因だろうとのこと。しかしこのメガバクテリアは消化器系に悪さをするウィルスで、くしゃみ鼻水の原因は他に考えられるという。とりあえず一通り検査をしてもらおうと思い、オウム病(クラミジア)の検査もお願いした。検査結果は後日になるとのこと。

本日、ちび太の診療にかかったお金…
初診料:1200円
便・そ嚢検査:500円
クラミジア(オウム病)検査:7500円
内服薬代:2000円
消費税:560円
—————————————————-
合計:11,760円ナリ。

1,980円で買ったインコの治療費として11,760円支払うというのは、もしかしたら割に合わないことなのかも知れない。しかし僕はこの1,980円の命が、少しでも活き活きとこの世に存在し続けるためならば、幾らでも払ってやる…そんな気持ちになっている。これはつまり、僕にとって、ちび太の命は1,980円という額面を遥かに超えた価値を持っているということだ。飴屋さんも著書『キミは獣と暮らせるか?』で近いことを書いていたと思うのだが、本来値段のつけようがないものに、値段をつけて売買されているという点で、ペットマーケットとアートマーケットはどこか似ている。

共同通信のニュースによれば福島原発の周辺で鳥の数が減少しているとのこと。

今日は震度3以上の地震はどこにもなかった。18日連続の完封。

Posted: 2月 3rd, 2012
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02/02/2012/THU/三百九十八日目

『金閣寺』東京公演六日目。マチネとソワレの2公演。

ちび太が地鳴きに近い声で「ぎょぎょぎょっ」と鳴く。どうやら「パ」ートナーの下手くそな鳥のさえずりのマネを、マネているようだ。依然としてくしゃみ、鼻水、フン切れの悪さが改善されないので、明日、鳥の専門医のいる動物病院へ連れて行くことにした。

珍しく今日は震度3を超える地震はどこにも起きず。今日は完封。17日連続。

Posted: 2月 2nd, 2012
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01/02/2012/WED/三百九十七日目

舞台『金閣寺』は休演日。

朝、新幹線で京都へ。精華町にあるATR(国際電気通信基礎技術研究所)へ赴く。ATRとは音声言語コミュニケーション研究所、脳情報研究所、知能ロボティクス研究所など8つの研究所からなる大規模な研究所である。今回は九州大学の鏑木先生とその学生である上江洲さんの研究の一貫として、そのATRにある三次元MRIを使って「ホーメイ発声時の声道撮影実験」の被験者になってもらえないかという依頼をいただいたのだった。

僕は以前、発声時の自分の声帯をどうしても見てみたくて、安価な工業用内視鏡を無茶して喉に突っ込み、テレビモニタに映し出してみたことがあるくらいである。最先端のハイテク医療機器を使った実験に携われるなんて、と被験者になることを喜んで引き受けた。

しかし3次元MRIというのはすごい。最先端の技術に興奮しきり。MRIはレントゲンのように被曝はしない。ただし強い電磁波が出る。その電磁波が身体に与える影響は未知の部分が多いのだとか。電磁波で金属類は熱を持つとのことで、どんな小さな金属もMRI室には一切持ち込めなかった。まるで大きな電子レンジの中で調理されるような気分。

MRIは横になった姿勢で撮影するのだが、寝たままの固定された姿勢での発声というのは、声帯にかかる重力が変化するので、思いのほかホーメイに影響が出るようだ。歌声にも重力は大きく関係しているということだ。そういえばジョン・レノンはホワイトアルバムに収録されている『レボリューション1』のヴォーカルを、スタジオの床に寝転がってレコーディングしたのだったっけ。

実験を終えて、帰り道、九州大学の鏑木先生とインコやキュウカンチョウといった喋る鳥の発声メカニズムの話題で盛り上がる。インコは「パ」行の音が好きで、まず最初に「パ」行ではじまる言葉から憶えさせると良いとよく言われるが、人間が上下の唇を破裂させて発声する、この両唇破裂無声子音「p」を、インコはまったく違うメカニズムで発声するのだとか。

帰宅すると、ちび太がさらにごにょごにょ、ぼそぼそ、独り言を言うようになっていた。しかし以前として鼻水、くしゃみ、フン切れの悪さは改善されず。

今日は完封。
沖縄県宮古島近海で震度3。

Posted: 2月 1st, 2012
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31/01/2012/TUE/三百九十六日目

『金閣寺』東京公演五日目。

終演後、赤坂の劇場近くに住んでいる友人宅でご飯会。

帰宅するとちび太が肩に乗ってほおずりしてきた。

今日は完封。

Posted: 1月 31st, 2012
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30/01/2012/MON/三百九十五日目

『金閣寺』東京公演四日目。

SNOW Contemporaryの石水さんによれば、本日の『金閣寺』には僕の「パ」の買い主が、観劇にいらしたそうである。

劇は各役者が主人公、溝口のモノローグを代わる代わる読み上げる朗読劇のようなプロローグとともにスタートする。「金閣の象徴」という役を与えられている僕は劇中、一切人間の言葉を話さないのだが、このプロローグではたった二回だけ台詞を与えられていた。もちろん僕はこの『「パ」日誌メント』という「パ」フォーマンスを、舞台『金閣寺』の上演中も継続しているので、「パ」という音節を口にすることはできない。しかし2011年1月6日の日誌にも記した通り、当初僕に与えられた台詞には、「パ」という音節が事もあろうか二つも含まれていたのだった。こんな具合に…。

一般の人は、自由に言葉を操ることによって、内界と外界との間の扉を開けっぱなしにしておくことができるのに、私にはそれがどうしてもできない。

この「一般」という言葉も「開けっぱなし」という言葉も、そもそも原作である小説『金閣寺』にそのように記されていることに由来する。言うなれば三島由紀夫が「パ」裂を迫っているというわけである。しかし僕は悩んだ末に、昨年の初演の段階で、演出の宮本亜門さんに事情を説明し、無理を承知で下記のように台本を修正させていただいたのだった。

普通の人は、自由に言葉を操ることによって、内界と外界との間の扉を開け放しておくことができるのに、私にはそれがどうしてもできない。

今日、客席のどこかに座っていた僕の「パ」の買い主は、自分がこの劇から二つの「パ」の音を奪っていたことに気付いてくれたであろうか。

そして金閣が燃やされるラストシーン。「パ」の買い主が観劇にきてくださったので力が入ったのか、絶叫しながらセットから飛び降りる瞬間に僕は気を失って着地に失敗してしまった。幸い大事には至らなかったが、右手薬指を負傷し紫色に腫れ上がる。

未明、宮崎県日向灘を震源に震度4。
今日は完封。14日連続。

Posted: 1月 30th, 2012
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29/01/2012/SUN/三百九十四日目

『金閣寺』東京公演三日目。

帰宅後、ふと気づくと止まり木にとまったちび太が、こちらに背を向けたまま鳥のさえずりらしからぬ声で何やらごにょごにょと独り言を言っている。人間の言葉を話しはじめる前兆だろうか?

夕方、また山梨県東部・富士五湖を震源に震度4。富士山が揺れている。
今日は完封。

Posted: 1月 29th, 2012
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28/01/2012/SAT/三百九十三日目

朝、山梨県・富士五湖を震源に震度5弱。富士山の噴火が近いのだろうかと不安になる。

今日は赤坂ACTシアターで『金閣寺』東京公演二日目。マチネとソワレ2公演。

劇場に隣接する赤坂BLITZでは七尾旅人さん主催の即興演奏イベント『百人組手』が開催されていた。大友良英さんや飴屋さんも出演されるとのことだったので、皆さんに会いたくなって、自分の舞台を終えてから、図々しいことを承知でふらっとBLITZの楽屋にお邪魔してみた。血だらけの手で抜け殻のようになっている飴屋さん、ほくほく顔の大友さん、コロちゃん、くるちゃん、サイコシスメンバー、旅人さん。楽屋の隅には赤く染まった白い傘と百合の花。皆さんの演奏は観られなかったけれど、何か特別なことが終わった後の、たくさんの良い顔を見られて僕もハッピーに。帰り際に、くるちゃんが蜂の絵をプレゼントしてくれた。

家に帰ると、ちび太がよく鳴くようになっていた。鳴くたびにこちらも声をあげて大げさに反応してやると、さらに元気よく鳴いてくれる。どうやらウケているのが嬉しいらしい。

朝は山梨での地震の他にも、岩手県沖を震源に震度4。昼すぎ、茨城県沖を震源に震度4。夜、岩手県沖を震源に震度3。
今日は完封。

Posted: 1月 28th, 2012
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27/01/2012/FRI/三百九十二日目

赤坂ACTシアターで『金閣寺』東京公演初日。

母よりメールが届く。

・・・・・・・・・・
元気ですか。○○ちゃん(「パ」ートナー)も変わりありませんか。
今日は初日ですね。
○○ちゃんは見にいきますか。
もし行くなら私も行きたいと思っていますが一万円は勿体無いかしらと思案中です。
切符は何時までにもうしこめば間に合いますか。  沖縄旅行もあるし考えています。
先日ジムで自転車漕ぎしながらTVみてたら宮本亜門さんが黒柳徹子と対談していて画面に森田君と冬樹が映っていましたよ。
君の方が主役に見えたのは親ばかかしら。
では舞台楽しんでください。

・・・・・・・・・・

舞台が終わって、キャストやスタッフの皆さんと初日乾杯。

帰宅後、ちび太にホーメイを歌い、口琴を演奏してやると、首をかしげながら聴き入っていた。
餌はよく食べるものの、未だにくしゃみ、鼻水、フン切れの悪さは改善されず。

昼、千葉県東方沖を震源に震度3。
今日は完封。

Posted: 1月 27th, 2012
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26/01/2012/THU/三百九十一日目

赤坂ACTシアターで『金閣寺』の場当たり稽古とゲネプロ。

劇場にいる間も、逐一、「パ」ートナーからインコに関する報告メールが入ってくる。肝心のインコの名前だが、二人のやりとりの中でいつの間にか「ちび太」という呼び名が定着してしまった。いろいろ洒落た名前の案も出ていたのだが、そのちっちゃなからだにも、1,980円という手頃な金額にも、「ちび太」という素朴な名前が似つかわしい。

早朝、宮城県沖を震源に震度4。
今日は完封。

Posted: 1月 26th, 2012
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25/01/2012/WED/三百九十日目

インコの体調が心配なので、昼間はつきっきりで面倒をみる。

我が家に来て二日目。だんだん環境に慣れてきたのか、手から餌を食べてくれた。買ってやったおもちゃには見向きもせず。ひもをくちばしで遊ぶのが好きなようである。微動だにしなかった昨日に比べれば、少し元気が出て来た様子だが、相変わらずくしゃみ、鼻水、フン切れの悪さは治らない。

夜はどうしても観たかったシャルルマーニュ・パレスタインのライブへ。帰宅後、鳥かごの置き場所のことで「パ」ートナーと大喧嘩。

今日は完封。

Posted: 1月 25th, 2012
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24/01/2012/TUE/三百八十九日目

朝、起きて窓の外をみると、家の周りは一面の銀世界にだった。

昨日、1,980円で買ったセキセイインコ。自宅で飼い始めてみたものの、あまり元気がなく、じっとしたままほとんど動かない。鼻水が出ていてくしゃみをよくするし、フン切れが悪くお尻にフンがくっついたままで心配だ。

僕は芸大へ出勤しなければならなかったので、代わりに「パ」ートナーが購入先のペットショップに併設する動物病院へ連れていった。結局、不調の原因はわからず。元気な個体と交換してくれるとのことだが、一度引き受けた命である。どんな病気だろうと最後まで面倒みなくては。

昨晩の大雪のせいで都内は大渋滞。高速道路は事故や通行止めが相次いでおり、なんと大学まで5時間半もかかってしまった。

夜は渋谷でクボタオフィスのメンバーとミーティング。

夕方、福島県沖を震源に震度3。
今日は完封。

Posted: 1月 24th, 2012
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23/01/2012/MON/三百八十八日目

昨晩から「パ」ートナーがどうしてもインコを飼いたいのだとしつこくせがんでくる。気まぐれで言ってるのかと思いきや本気でリサーチしたらしく、説得力のあるプレゼンをされたので、遂に僕も折れて、午前中、二人でペットショップへ行ってみることにした。声を扱うアーティストとしては、以前から鳥におしゃべりを仕込むことには興味があったのだが、なんでもインコは「パ」行の音が好きなのだとか。だから最初に「パ」行ではじまる言葉を憶えさせると良いらしい。なんと厄介で魅力的な鳥だろう。

ペットショップのインコ売り場へ行くと、店に出されたセキセイインコの雛の群れは、狂気的なまでにハイテンションで騒がしかった。そんな中、止まり木に登るたびに仲間に蹴落とされたり、羽ではたき落とされてばかりいる鈍臭い雛がいる。からだは一回り小さいが、セキセイインコ特有の黒い縞模様が一切みられないその黄緑色の羽は、熟れる前のレモンのように美しかった。「パ」ートナーと私は迷わずその仔に決めた。

セキセイインコの中雛、一羽、1,980円ナリ。安い。

飼育するには当然、飼育用具も合わせて買わなければならない。まずは鳥カゴ、3,000円ナリ。冬場はやはりヒーターもいるだろう。小鳥用ヒーター、4,200円ナリ。インコは遊び好きらしく、カゴにおもちゃを入れてやるといいらしい。小鳥用オモチャ、合計2,470円ナリ。飼育用具のどれもがインコの命より高くつくとは。

インコと「パ」ートナーを家に送り届けて、僕は芸大へ出勤。

夜になると雪が降り始めた。ぼたん雪が降りしきる中、車で帰宅。

朝、宮城県沖を震源に震度3。夜、福島県沖を震源に震度5弱。
今日は完封。

Posted: 1月 23rd, 2012
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22/01/2012/SUN/三百八十七日目

『金閣寺』大阪公演最終日。終演後、新幹線で帰京。

帰宅してメールをチェックすると、昨日高速バスの発着所で目が合った娘さんからメールが届いていた。
ご本人の承諾を得た上で、ここにそのメール本文と、それに宛てた僕の返信を掲載する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
山川様

今回はじめてメールを

させていただきました。

覚えておられるかはわかりません。

昨日、金閣寺夜公演後に

阪急ホテル前で『お疲れ様です』の

言葉しか掛けられなかったのですが

赤色で白のドット柄のハーフコートを着てた者です。

その後に夜行バスの待合室で

私が高知へ帰るバスを待っていた時にも

お会いしましたがあまりにも突然

再びお会いできるとは思わず

ビックリしすぎて言葉が出てこず

話しかけることもできませんでしたが

同じ日に2度もあんなに間近で

お目にかかれてとても光栄でした。

しかし何か失礼な言動・行動を

とったのではないかと

いま自宅で思い返しています。

ずっと今日は一日中

そのことが気にかかり

メールをしました。

また機会があれば観劇など

させていただきたいと思います。

それでは失礼しました。

○○○○より

・・・・・・・・・・・・・・・・・
○○○○様

ホテルの前でお会いしたのは失礼ながら覚えていないのですが、バスの発着所で目があった方がいたのはよく覚えています。
高知からいらしてたんですね。遠いところありがとうございます。

あの日は終演後、何となく夜の大阪の街をふらふらと散歩していました。変な話ですが、僕は高速バスの発着所が好きなんです。そこに停まっているバスに飛び乗れば、日本のどこか知らない遠くの街へと行けるんだと、想像を膨らますのが楽しくて。

それで発着の電光掲示板を眺めていたところ、ふと振り返ると、随分と目をまん丸くした派手なコートを着た娘さんがいたので、『金閣寺』のお客さんかな、と思いました。

高知はいつか行ってみたいと思っている場所の一つです。絵金祭りで絵金の屏風絵を拝むのが夢です。

ちなみに失礼なことなど全くないので、どうかお気になさらずに。

山川冬樹

・・・・・・・・・・・・・・・・・

茨木県を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 1月 22nd, 2012
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21/01/2012/SAT/三百八十六日目

『金閣寺』大阪公演、三日目。マチネとソワレの二公演。

公演終了後、一旦ホテルに戻るが、何だかそのまま寝る気になれず外に散歩に出る。風を浴び、雑踏に耳を澄ましながら、夜の梅田の街を一人で徘徊。どれくらい歩いただろうか。僕は引き寄せられるようにして夜行バスの発着所に来ていた。此処ではない何処かへ出発しようとする人たちが、無言で集う待合室。僕はバスダイヤの表示されている電光掲示板を眺めた。ここから日本の何処か知らない場所へ行くことを想像する…。舞台『金閣寺』で溝口が柏木に借りた金で日本海を見に行くシーンがあるが、そのシーンに影響されたのだろうか、僕は無性にどこか遠くの海へ行きたくなったのだった。ふと振り返ると、赤い外套を着た娘さんと目があった。

今日は完封。

Posted: 1月 21st, 2012
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20/01/2012/FRI/三百八十五日目

『金閣寺』大阪公演、二日目。
本番は夜からだったので、ホテルでよーく休む。
今日は完封。

Posted: 1月 20th, 2012
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19/01/2012/THU/三百八十四日目

舞台『金閣寺』。
昼、ゲネプロ。夜、公演初日。
終演後は初日乾杯。

今日は完封。千葉県沖を震源に震度3。

Posted: 1月 19th, 2012
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18/01/2012/WED/三百八十三日目

『金閣寺』大阪公演、舞台稽古。
稽古終了後は、キャストの皆さんと水炊きで食事会。どういうわけか「ネクター」の話題になり、その定義について熱く議論が交わされた。

昼、福島県浜通りを震源に震度3。夕方宮城県沖を震源に震度3。夜、福島県浜通りを震源に震度3。

今日は完封。

Posted: 1月 18th, 2012
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17/01/2012/TUE/三百八十二日目

『金閣寺』大阪での再演のため、キャスト揃って新幹線で移動する。今回も昨年3月と同じ梅田芸術劇場での上演である。大阪に着いてまずは、また昨年と同じホテル阪急インターナショナルにチェックイン。

チェックインを済ませ、ホテルの部屋に入った瞬間、昨年の3月11日午後2時46分に戻ってきたかのような錯覚にとらわれた。昨年泊まったのが何号室だったか正確には憶えていないので、もしかしたら別の部屋だったかもしれない。しかし部屋の間取りも、窓からの景色も、用意されたバスローブの肌触りも、枕の柔らかさも、天井の色も、津波の映像を映し出したテレビも、何もかも昨年と同じで、あの時のことがまざまざと蘇ってきたのである。

ホテルを出て劇場に入ると楽屋も昨年と同じだった。引き戸を開けるときの手応え、化粧台の照明の感じ、椅子の座り心地もすべて変わらなかった。部屋の角にはテレビが設置されている。原「パ」ツが爆発する様子を最初に見せられたのはこのテレビだった。

舞台へ上がる。当然、そこには昨年と同じ舞台セットが組まれている。そしてこのセットでまた昨年と同じ物語が繰り広げられるというわけだ。

こうも何もかもが同じだと、否応無しにすべての感覚がフラッシュバックしてくる。僕は揺さぶられ、何だか苦しくなり、自分が何年の何月何日に生きているのかわからなくなってしまった。実際のところ大阪は震度3だったので、体感した揺れの大きさ自体は大したことはない。しかしあの揺れは、自分が自覚しているよりもずっとひどく、この心の深い部分に火傷のような跡を残しているようだ。

昼、茨城県沖を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 1月 17th, 2012
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16/01/2012/MON/三百八十一日目

芸大で授業。
実家の母が精神的に不安定で少し心配。

今日は完封。

Posted: 1月 16th, 2012
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15/01/2012/SUN/三百八十日目

東京芸術大学先端芸術表現科の卒業制作展を締めくくるイベントとして、学生たちがシンポジウムを企画した。登壇者は、高山登氏、八谷和彦氏、鈴木理策氏、イルコモンズ氏、大友良英氏、高嶺格氏、そして僕の7名。シンポジウムの概要は下記の通り。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『10 MONTH AFTER 3.11』
日時:2012年1月15日(日) 14:00~16:30
会場:BankART STUDIO NYK イベントスペース
出演者:高山登(美術家)、八谷和彦(メディア・アーティスト)、鈴木理策(写真家)
イルコモンズ(現代美術家)、大友良英(音楽家)、高嶺格(美術家、演出家)、山川冬樹(ホーメイ歌手、アーティスト)
2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故以降、表現活動に携わる人々がそれぞれの方法、姿勢を持ってこの出来事に向き合ってきました。3.11からおよそ10ヶ月となる本展覧会に、第一線でご活躍されるゲストをお招きし、ラウンドテーブルトーク形式でシンポジウムを開催致します。3.11以降、多様な経験や活動が生まれる中で、これまでに学んだことやこれからの表現活動について共有する場にしたいと考えております。また、ご登壇頂くゲストの方々を中心に同主旨のご寄稿を頂き、本展覧会カタログの付録として発行致します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
トークの中で、「分断線」ということについて話が及んだとき、僕は壇上で隣の席に座っている高嶺格さんの作品のことを思い出した。思い返せば、震災直後、ずっと家で悶々として引きこもり状態にだった僕に、外出してみようというモチベーションを与えてくれたのが、当時横浜美術館で開催されていた高嶺さんの展覧会『とおくてよくみえない』だったのだ。展覧会のどの作品もすばらしいと思ったが、震災直後の混乱する社会の中で、人と人との間に深刻な亀裂が生じていくことに傷ついていた当時の僕は『Do what you want if you want as you want』と題されたビデオインスタレーション作品にとりわけ強く心を打たれたのだった。

作品は高嶺さんがイスラエルに滞在中、ある「友人」を訪ねた時のインタビュー映像によって構成されている。アクティビストである「友人」は、その目で目撃したパレスチナでのイスラエル軍による非道ぶりを訴えかける。その口ぶりには熱く、話を聞く高嶺さんに政治的態度を明確するよう迫っているかのようだった。しかしその訴えに対して、ただ戸惑いぎみに相槌を打つ高嶺さん。作品にはこんなテキストが添えられていた。

「このビデオに登場している女性は、僕の『友人』です。いや本当はそうではなかったかもしれない。…このあと、彼女は僕の『友人』ではなくなった。それは、僕が阿呆な相づちを打つことしかしなかったからです。」

そして作品は観客に「僕はそのときどうすべきだったのか?」と問いかける。政治的な立ち位置の違いが「友人」との間の分断線を露にしてしまうという現実。そして震災後の日本に生きる今の僕らも、まったく同じような現実に傷ついている…、そう思った僕は、シンポジウムの中で、高嶺さんに『Do what you want if you want as you want』について聞いてみたくなってマイクをとった。

僕:「震災後に、作品らしい作品を観たの、高嶺さんの作品が最初で…横浜美術館の展覧会だったんですよ…。で、それで作品名忘れちゃったんですけど…、(展覧会場の)角の方に、えーとあれ…、パレスチナの…あっ、言っちゃった…」

地雷ワード、「パレスチナ」、パ裂。
ちなみに「パレスチナ」でのパ裂は、『「パ」日誌メント』開演以来、二度目。
夜、宮城県沖を震源に震度3。

また、このシンポジウムへの参加に伴い、学生たちから震災と表現活動というテーマで、卒業制作カタログへ寄稿を求められた。卒業制作カタログは既に完売とのことなので、以下に寄稿した文章を記しておきたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

電気の絆~Of Electricity Bondage』山川冬樹

毎年年末に発表される恒例の「今年の漢字」。2011年は「絆」に決まったとか。「今年の漢字」は日本全国より公募によって決められるそうで、それだけ多くの人がこの「絆」という字を2011年を象徴する文字として選んだということなのでしょう。しかしきっとこの文字に違和感を覚えてしまったのは僕だけではないはずです。確かに大きな危機に直面したとき、家族や友人といった身内同士の関わりあいの中に、改めて「絆」と呼ぶべき信頼関係を発見した人も多いと思います。それでも「絆」という文字に違和感を感じてしまうのは、僕らが今現在生きている世の中に目を向けたとき、その言葉とはまったく反対に、僕らは互いに分断され、そこにはかつて経験したことのないほど深い亀裂が生じている…、という実感があるからなのではないでしょうか。「絆」という文字への違和感は、そのような現実が抽象的な表象によってインスタントに美化されてしまうことへの危機感であり、実際にそこに在る「分断線」が意識されずして、希望としての「絆」だけが偏重して取り上げられることへの苛立ちなのだと思います。

しかし少し考えてみれば、わざわざ「絆」といった言葉を象徴的に持ち出さなくとも、僕らは互いに国家レベルの、具体的な「絆」で結ばれているという事実に気づくでしょう。たとえば福島で原子力発電所が爆発すると、横浜の僕の自宅が停電する…。つまりこれは(あの「計画停電」が東電による茶番だったとしても)、僕の自宅の壁に設置されたコンセントの溝の暗闇から、送電線と送電施設を辿っていけば、いずれ300キロ離れた福島の原子力発電所へ行き着くということに他なりません。

自分自身に電力を直接プラグインするようなやり方で表現活動を行ってきた僕にとって、この原発と自分とを繋ぐ具体的な「絆」は、単なる生活環境の問題ではなく自己の存在に直結した問題でした。例えば電子聴診器を使ったパフォーマンスでは、聴診器でピックアップした心臓の鼓動を白熱灯の明滅と同期させてみせるのですが、これは150Wの白熱球をいくつも使うので相当な電力を消費してしまいます。代わりにLED球を使えばだいぶ節電できるのですが、心臓の鼓動と同期するのは、やはりフィラメントが燃えることによって生じる火の光でなければならないのです。命の鼓動が、電流の波に変換され、火の明滅として視覚化される…。つまりここでは大量の電力が熱とともに蕩尽されることが、パフォーマンスでの生のエネルギーのあり方と結びついているのです。また別のパフォーマンスでは、頭蓋骨の震動を鼻骨に取り付けた骨伝導マイクでピックアップし、それをギターアンプにぶち込んで口を閉じたままホーメイを歌います。ホーメイの故郷、トゥバ共和国の伝統的なホーメイが「アコースティックギター」だとすれば、骨伝導マイクによる僕のホーメイは「エレキギター」に例えられるでしょう。つまりここでは遊牧民であるトゥバの人々が自然の中で育んできた伝統を、都市環境いおいて電気的にAmplify(増幅)し、Distort(変形)することが僕の表現上のアイデンティティとなっているのです。

さらに、取り返しのつかない事故が現実のものとなってしまった今、福島の原子力発電所からもう電気が届けられなくなった代わりに、今度は物理的にあの中に詰まっていたモノが、風にのり、水に流れ、食べ物を介して、僕らのもとへ届けられています。目に見えないそれらの物質は、今現在、僕らの血管と臓器の中を巡り、血肉となっているのです。このことを思うとき、将来的に健康に影響が出る/出ないに関わらず、僕はあのぼろぼろな水色の原発と自分とが”血縁関係”とも言える強い「絆」によって結ばれていると感じずにはいられないのです。

アーティストにとって表現活動とは、生きることと同義であると思いますが、それに加えて僕は電気を自らの命(心臓)や、アイデンティティといった自らの存在そのものと直結させて活動してきました。ですからあの事故を受けて僕の存在は大きく揺らぎました。自分の表現活動のために不可欠なエネルギーが、「絆」で結ばれた向こう側一帯に住む見知らぬ人々に、あり得ないほど大きなリスクを押し付けて作られてきたという事実と、自分がその事実にあまりに無関心だったことに愕然としました。それまでは自分が「インディペンデント」なスタンスで活動していることにささやかなプライドを持っていたのですが、実際は自分の活動が最もディペンドしたくない社会的、政治的、経済的構造に思いっきりディペンドしながら成立していたということを思い知り、打ちのめされたのでした。「Depend」とは「信頼する」という意味ですよね。つまり「信じて」「頼る」ことです。しかし僕は自分が信じていないものに依存してきたわけです。サマセット・モームの代表作『人間の絆』の原題は『Of human bondage』。つまり結ばれた相手を信じることができなければ、「絆」は隷属させるための縛りになるのです。

しかしそうはいっても大量消費社会の複雑なサイクルの中に生きながら、自分が頼っているものを信じることはなかなか難しいことであるのも事実です。注意深くできるだけ信じられるものを選んでいくしかないのですが、こと地域独占体制がつづく電気事業に関しては、僕らにその選択の自由がないのが現状です。つまり、原子力によってつくられた電気にお金を払いたくないと思うなら、電気を一切使わずに生きる以外に方法がないのです。昨年6月、国連は中東各地で広がる反政府運動への政府の弾圧に対し、「インターネット接続は基本的人権である」との報告書を発表しましたが、それが国際的常識として通るのだとすれば、当然、それ以前にインフラとしての電力を使うことだって基本的人権であり、民主主義国家においてそのインフラは民主的に自由化されていなければなりません。しかし、僕らが生きている社会ではそういうふうになっていないのです。原子力でつくられた電気を買いたくないなら、人権を棄てるしかないのです。こんなおかしな話があっていいのでしょうか。

そんな世の中の仕組みを変えようとしてもそう簡単には変わりそうにありません。きっと長い戦いになるのでしょう。残念ながらまだまだ僕らは信じられないものに頼りながら生きていかなければならないのだと思います。しかしそんな中で、少しでもインディペンデントな個人であるために、僕は発電をはじめようと思いました。電気というものを自分の存在そのものと結びつけて活動してきた表現者として、僕はまず何より自分自身のために自らの手でダイナモを回さずにはいられなかったのです。そのちいさなダイナモの回転は、ちいさな個人による、ちいさな独立運動として、ガンジーが自立の精神を込めた、あの大いなる糸車の回転と重なりあっていくでしょう。「私たちの、私たちによる、私たちのための電力で、私たちの、私たちによる、私たちのための音楽を…」そんな歌い出しではじめられ、一切コンセントからの電源を使わず、自分たちで発電した電力だけで敢行された『発電ライブ・パフォーマンス(10月16日 @東京藝大上野校地)』は、まさにそのような独立の精神に支えられていたのでした。

お金と交換することで簡単に手に入るものを、敢えて手間ひまかけて自分で「つくる」こと。いざダイナモを回して自分の手で発電してみると、苦労してもほんのわずかな電力しかつくれないことを思い知ります。しかし、この「苦労」=「体感的コスト」に価値を見いだしていくこと…。例えばスーパーに行けばすぐに数十円でトマトやキュウリを買う事ができるわけですが、敢えてそれを手間ひまかけて自分でベランダで栽培してみる。そしてやっとできた野菜を食べてみる。自分の手でつくった野菜を食べるときの、あの格別な味わいのようなものが、とても重要なのではないでしょうか。わざわざ野菜を手間ひまかけて育てるような、「体感的コスト」を払うことが、苦労を超えて喜びとなり、その喜びが生きる上で必要不可欠なものとなったとき、僕らは本当の意味でインディペンデントになれるのではないかと思います。

Posted: 1月 15th, 2012
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14/01/2012/SAT/三百七十九日目

『金閣寺』の稽古がオフになったので、溜めた仕事をやっつながら、本番に向けて心身のチューニング。

昨年までは「パ」という音節を「ピャ」と訛らせて発音してきたのを、今年からは「ペ」という音節でいこうと思っていたのだが、聴感上、どうも「パ」と「ペ」の音の違いは微妙なようで、「パンツ」のことを「ペンツ」と発音しても「あっ、パンツって言った!」といった具合に、会話している相手から「パ」裂の濡れ衣を着せられる事態がしばしば起きている。「ペェァンツ」と相当「ペ」を強調しないとだめなようだ。誤解を招きそうな場面ではまだ「ピャ」も併用していった方が良さそうだ。

夜、岩手県沖を震源に震度3、宮城県沖を進言に震度3。
今日は完封。

Posted: 1月 14th, 2012
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13/01/2012/FRI/三百七十八日目

午前中、国民健康保険をしばらく滞納していたことを思い出し、慌てて市役所へ支払いに。
午後、『金閣寺』稽古場での稽古最終日。皆さんの芝居がどんどんよくなっている。
夜、茨城県を震源に震度3。

今日は完封。

Posted: 1月 13th, 2012
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12/01/2012/THU/三百七十七日目

『金閣寺』稽古。今日は稽古場にNHKの取材がはいっていた。それにもかかわらず開始時間を勘違いしていて遅刻…。

通し稽古の最中、皆の携帯電話の着信音が一斉に鳴り始めた。地震速報だ。福島県沖を震源に震度4。昨年の3月11日、『金閣寺』大阪公演のときのことが頭をよぎる。その他にも朝、茨城県沖を震源に震度3、午後、宮城県沖を震源に震度3、夜、福島県浜通りを震源に震度3の地震があった。

今日は完封。

Posted: 1月 12th, 2012
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11/01/2012/WED/三百七十六日目

朝、福島県沖を震源に震度3。昼、留萌地方南部を震源に震度3。

今日は多摩美で担当している講義、『「パ」フォーミング・アーツ』の今年度最後の授業。通常のレクチャー形式ではなく、学生たちによる「パ」フォーマンスの上演を行った。

仕事から帰宅後、小腹が空いたので「パ」ートナーの祖母が手作りでつくった苺ジャムをパンに塗って食す。ほっぺたが落ちそうになるような甘さと、身体に染み入るようなみずみずしさに感動。

夜、「パ」ートナーが仕事から戻り、料理に腕をふるってくれる。材料はもちろん九州の祖母の育てた食材。
そして食卓での会話…。

「パ」ートナー:「おばあちゃんのジャムたべた?」
僕:「うん、たべたよ。ちょー美味しかったよ!」
「パ」ートナー:「ジャムパンにして食べたの?」
僕:「うん、ジャムパンにして食べた」

地雷ワード、「ジャムパン」パ裂。
記念すべき2012年最初の「パ」裂…、「パ」けましておめでとうございます。

Posted: 1月 11th, 2012
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10/01/2012/TUE/三百七十五日目

芸大で年明けて最初の授業。『金閣寺』の稽古は休ませてもらった。

十日連続の完封。

Posted: 1月 10th, 2012
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09/01/2012/MON/三百七十四日目

『金閣寺』の稽古。
夜、九州の祖母がつくった食材を使って「パ」ートナーが料理に腕をふるってくれた。献立は以下の通り。

ささみチーズ揚げ しそ梅風味
手作りこんにゃくの煮物 だいだい風味
ぼたん海老の刺身
手作りのナスのぬか漬け 四年もの
手作りキムチ
手作りのイカの塩辛
サツマイモと春菊のみそ汁(手作り味噌、手作り柚子胡椒)
鯛茶漬け
玄米ご飯

美味いものを腹一杯に食べて極楽気分。そのままソファで寝てしまう。ちなみに九州名産の薬味、柚子胡椒は「パ」ートナーの祖母と祖父のものが元祖で、それをみんなが真似をするようになって広まっていったのだとか。

日付変わってすぐに和歌山を震源に震度3。深夜、千葉県沖を震源に震度3。朝、岩手県沖を震源に震度3。

九日連続の完封。

Posted: 1月 9th, 2012
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08/01/2012/SUN/三百七十三日目

『金閣寺』稽古。稽古終了後、キャスト、スタッフの方々と新年会。「そういえば「パ」ってまだ言えないんですか?」と皆に聞かれる。

「パ」ートナーが九州の祖母の家から帰ってきた。御年92歳になる「パ」ートナーの祖母は、山奥で農家をやりながら自給自足の生活を営んでいる。自然と共生しながら、生きるために必要なものは何でもつくってしまうその知恵を、「パ」ートナーは受け継ぎたいのだという。

八日連続の完封。

Posted: 1月 8th, 2012
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07/01/2012/SAT/三百七十二日目

『金閣寺』稽古。二幕おさらい。

夜、福島で震度3。
七日連続の完封。

Posted: 1月 7th, 2012
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06/01/2012/FRI/三百七十一日目

『金閣寺』稽古。一幕のおさらい。「パ」裂もなく順調。

最近スタン・ブラッケイジの映画「Dog star man」の雪山のシーンが、頭の中にしょっちゅうプロジェクションされている。本能が雪山に帰りたがっているのか。

朝、茨城で震度3。

六日連続の完封。

Posted: 1月 6th, 2012
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05/01/2012/THU/三百七十日目

『金閣寺』顔合わせ&読み合わせ稽古。
夏のニューヨーク公演ではクリクリの坊主頭だった森田さんの髪がだいぶのびていた。

「パ」ートナーはというと、九州の祖母の家に行っている。かなりの田舎なのでソフトバンクの電波が悪く、連絡とれず。

五日連続の完封。年が明けてからまだ「パ」裂なし。

Posted: 1月 5th, 2012
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04/01/2012/WED/三百六十九日目

昼、中央アルプス最南端の裾野に住む「パ」ートナーの親友の家へ遊びにいく。雪山を分け入っていくと、記憶の深い部分に触れられたような気がした。
夕方は温泉に入り、「パ」ートナーの実家で夕食をいただいた後、中央道を4時間飛ばして深夜に帰宅。
明日から『金閣寺』の舞台稽古がはじまる。

今日は完封。

Posted: 1月 4th, 2012
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03/01/2012/TUE/三百六十八日目

朝、「パ」ートナーの実家の近くの山奥にある神社へ初詣。

昼、白竜が棲むといわれる「龍神の滝」へ。水が躍動する瞬間をそのままの姿で留めたつらら群。冬山に突然珊瑚礁が現れたかと見紛うエメラルドグリーンの水を湛えた滝壺。肺いっぱいに凛とした空気を吸い込んでチルアウトする。その後、古来の町並みを残す宿場町へ足を延ばして蕎麦を堪能、またさらにチルアウト。

夜、「パ」ートナーのお父さんと晩酌。2011年6月18日付けの「パ」日誌に、以前ここにお邪魔したときの話を書いて、たいそう喜んでくださり、「パ」日誌のプリントアウトをお守りのように持ち歩いて下さっているのだが、酒に酔った勢いでその記事について二点だけ不満をいただいた。

一つ目、愛犬の名前が記されていないこと。
二つ目、カラオケを歌った行きつけのスナックの名前が記されていないこと。

というわけで、お父さんのリクエストにお応えして、ここで改めて上記二点を記しておきたい。

お父さんの愛犬、その名も「ムサシ」。6歳。パグ犬です。
お父さんの行きつけのスナック、その名も「スナック巴」。元気なママさんがいらっしゃる、地元のおじさんたちのオアシスです。

というわけで今日は完封。

Posted: 1月 3rd, 2012
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02/01/2012/MON/三百六十七日目

東京から4時間あまり車を飛ばし、早朝「パ」ートナーの実家に到着。
少し睡眠をとって起床後、お父さんの愛犬を散歩にいく。
午後、「パ」ートナー、「パ」ートナーのお母さんと近所の雪山を散策。ソクーロフの映画に迷いこんだかのような景色。
夜、温泉に入り、「パ」ートナーのお父さんと酒を飲み交わす。

今日は完封。

Posted: 1月 2nd, 2012
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01/01/2012/SUN/三百六十六日目

『「パ」日誌メント』を開始してから遂に1年が経過した。

そもそも一年契約の「パ」フォーマンスとしてスタートしたこの『「パ」日誌メント』。最初からある程度予想していたことではあるが、まだまだこの「パ」フォーマンスは終われない。

「パ」と口を滑らせる度に1日、日誌の更新が滞るたびにまた1日、上演期間が延びていく。そのたびにまるで「底無し沼」にずぶずぶと身が沈んでいくかのようである。果たしてこの「底無し沼」から逃れられる日はくるのだろうか…、そう考えると途方に暮れてしまうのだが、それでも僕はいつかくるかもしれない晴れやかな幕切れの瞬間を目指して、2012年もこの「パ」フォーマンスを続けていかなければならない。The show must go on。聴くことのできない、果てしなきヴォイス・「パ」フォーマンス、開演中。

実家にいると午後2時半ごろ大きな揺れ。東北から関東地方にかけて広範囲で震度4を観測。
これから「パ」ートナーが帰省している彼女の実家へ数時間かけて車を飛ばす。まだ今日という日は残っているが、無言で運転することになるので「パ」裂はしないだろう。というわけで今日は完封。

昨年は「パ」を「ピャ」と訛らせて「パ」裂を避けてきたが、今年は気分を変えて「ピャ」の代わりに「ペ」という音節でいきたいと思う。”ピャフォーマンス”でなく、”ペフォーマンス”。”げんぴゃつ”でなく、”げんぺつ”。”やっぴゃり”でなく、”やっぺり”といった具合に。

Posted: 1月 1st, 2012
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↓2011年未更新分、現在執筆中↑

※現在、2011年の未更新分の記事と、2012年1月1日からの記事を平行して書き進めています。

Posted: 12月 31st, 2011
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02/11/2011/WED/二百六十二日目

昼、昨日の事故現場へ。夜は『NIXON ARTMOSH TOKYO』展のレセプションパーティーへ。

午前中、岩手県沖を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績

積算上演日数:884(±0)

終演まで:578(-1)

終演見込み日:2013年6月1(±0)

Posted: 11月 2nd, 2011
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01/11/2011/TUE/二百六十一日目

芸大で授業の日。
大学の仕事を終え、ウォッチブランドNIXONが主催する展覧会『NIXON ARTMOSH TOKYO』展の搬入のため表参道へ向おうと車で取手駅前を通りかかったところ、縦列駐車していた車が急発進してきて接触。9月7日にも事故ったばかりなのに、またもや事故である。先日の事故で自分の車が廃車になってからは、ずっと母のBMWを借りていたのだが、フェンダー部分から後ろのドアにかけて酷い傷をつけてしまった。母に詫びの電話を入れ、警察を呼んで事故処理を済ませ、とりあえず走行には支障なさそうなので、気を取り直して展覧会の搬入へと急ぐ。

『NIXON ARTMOSH TOKYO』展では原子ギター参号機、四号機を展示。MTVで放送されるとのことで合わせてインタビューも収録。設営終了後はアップリンクに昨日終了した『アトミックショウケース』展の撤収へ。

早朝、釧路沖を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:883(±0)
終演まで:578(-1)
終演見込み日:2013年5月30日(±0)

しかし「パ」日誌の更新が滞ったため(9/1)、賠償として上演期間を1日延長。
積算上演日数:884
終演まで:579
終演見込み日:2013年6月1日

Posted: 11月 1st, 2011
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31/10/2011/SUN/二百六十日目

アップリンクで開催されていた「アトミックショウケース」が終了。

家に帰ると、先に帰宅していた「パ」ートナーが可笑しな化粧で出迎えてくれた。ハロウィーンの仮装かと思ったが、どうやら寝不足が続き、眠くてあくびばかりしていたため、涙でアイメイクがにじみ、さらにそれを手でこすったようである。

僕:「なにそれ?顔がパンダみたいになってるよ(笑)」

地雷ワード、「パンダ」パ裂。ちなみに「パ」ートナーは、プロのヘア&メイクアップアーティスト。

震度3以上の地震は観測されず。

ここまでの成績…。
積算上演日数:883(+1)
終演まで:579(±0)
終演見込み日:2013年5月31日(+1)

Posted: 10月 31st, 2011
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30/10/2011/SAT/二百五十九日目

葉山に友人の久世君の結婚式へ。お祝いにホーメイとイギルの演奏。
ニューヨークでは季節外れの大雪が降ったとのこと。この雪の影響で150万世帯が停電に、400便もの飛行機が欠航になったらしい。
震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:882(±0)
終演まで:579(-1)
終演見込み日:2013年5月30日(±0)

Posted: 10月 30th, 2011
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29/10/2011/FRI/二百五十八日目

UPLINKで開催されている『アトミックショウケース』展。UPLINKに併設のカフェtabelaのテーブルを間借りして、8月17日~20日に現代美術製作所でやった『原「パ」ツお悩み相談室』を一日だけ臨時開設した。題して『『原「パ」ツお悩み相談室 渋谷窓口』。

ほとんど日常を取り戻したかのように見える世の中で、自分はどうしても日常に戻れないというある種の疎外感が、相談に来られた方々の共通の悩みになっているように感じた。

そして相談者の方との会話の中で、地元で僕を目撃したという話になったときこと…。

「地元では、僕、パジャマで出歩いてますからね…」

地雷ワード、「パジャマ」、パ裂。

午後、宮城県沖を震源に震度3。

ここまでの成績…。
積算上演日数:882(+1)
終演まで:580(±0)
終演見込み日:2013年5月30日(+1)

Posted: 10月 29th, 2011
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28/10/2011/THU/二百五十七日目

青山スパイラルにてアートフェア、『ULTRA004』スタート。

思えばこの『「パ」日誌メント』は、昨年同じスパイラルで開催された『ULTRA003』で発表したのだった。それまでパフォーマンスやインスタレーションといった作品を発表してきていた僕に、KUBOTA KENJI ART OFFICEの窪田さんからアートフェアに出展可能な(つまり個人コレクターに販売可能な)作品を制作できないか、と持ちかけられたのをきっかけに、じゃあ僕の「パ」を100万円で売りますよ、と提案したのがこの『「パ」日誌メント』である。絵画や立体作品に値札が付けられている中に、「パ」が100万円で売られていたらさぞかし良い気味だと、マーケットへの皮肉を込めて発表したのだが、まさか僕の「パ」に本当に100万円を支払う気概をもつ人が現れるとは…。

それはそうと、今年は『原子ギター参号機SG-type+四号機SG-type left handed』を出展。放射線源にはウラン鉱石を使用。ガイガーミューラー管が放射線を感知する度にアートフェア会場にギターの音が鳴り響き、早速周りのブースから苦情が…。

早朝、山形県置賜地方を震源に震度3。ペルーではM6.9の地震があり88人が怪我をしたとのこと。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:880(±0)
終演まで:579(-1)
終演見込み日:2013年5月28日(±0)

しかし「パ」日誌の更新が滞ったため(8/27)、賠償として上演期間を1日延長。
積算上演日数:881
終演まで:580
終演見込み日:2013年5月29日

Posted: 10月 28th, 2011
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27/10/2011/WED/二百五十六日目

昼、アトリエで作業。夜は明日からはじまるアートフェア、『ULTRA004』の設営のためスパイラルへ。日本列島に震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:880(±0)
終演まで:580(-1)
終演見込み日:2013年5月28日(±0)

Posted: 10月 27th, 2011
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26/10/2011/TUE/二百五十五日目

午前中、多摩美で担当講義「パ」フォーミングアーツ論。

夜はUPLINKでトークショー、『WHO CARES? ソーシャル・アートの可能性 Vol.7 アトミックサイト篇』に参加。UPLINK GALLERYでは僕、監修の『アトミック・ショウケース』展がスタート。

未明、福島県沖を震源に震度3。昼過ぎ、福島県沖を震源に震度3。朝、鹿児島県薩摩地方を震源に震度3。昼すぎ、茨城県沖を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:879(±0)
終演まで:580(-1)
終演見込み日:2013年5月27日(±0)

しかし日誌の更新が滞った(8/25)ので、上演期間を1日延長。
積算上演日数:880
終演まで:581
終演見込み日:2013年5月28日

Posted: 10月 26th, 2011
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25/10/2011/TUE/二百五十四日目

アップリンクで明日から始まる「アトミック・ショウケース」展のための設営。

福島県南相馬市の小中学生527人を市立病院が最新の内部被曝(ひばく)測定装置で調べたところ、199人から体重1キロあたり10ベクレル未満、65人から同10~20ベクレル未満、3人から同20~30ベクレル未満、1人から同30~35ベクレル未満のセシウム137が検出された。事故直後に呼吸で取り込んだものなのか、事故後に飲食物を通じて取り込んだのかは不明だという。

昼過ぎ、福島県沖を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:879(±0)
終演まで:581(-1)
終演見込み日:2013年5月27日(±0)

Posted: 10月 25th, 2011
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24/10/2011/MON/二百五十三日目

今日も一日中、アトリエで作業。
未明、岩手県沖を震源に震度3。ほとんど人とも話さず、今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:879(±0)
終演まで:582(-1)
終演見込み日:2013年5月27日(±0)

Posted: 10月 24th, 2011
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23/10/2011/SUN/二百五十二日目

一日、アトリエで作業。
トルコ共和国東部を震源にM7.2の地震が発生。多くの建物が倒壊し、多数の死傷者が出ているとのこと。
今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:879(±0)
終演まで:583(-1)
終演見込み日:2013年5月27日(±0)

Posted: 10月 23rd, 2011
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22/10/2011/SAT/二百五十一日目

新宿眼科画廊にて、ゾルゲルプロのイベントに出演。
南太平洋を震源に震度M7.4の地震。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:879(±0)
終演まで:584(-1)
終演見込み日:2013年5月27日(±0)

Posted: 10月 22nd, 2011
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21/10/2011/FRI/二百五十日目

一日中、アトリエで作業。
東京電力は10月6日に福島第1原「パ」ツで作業中に死亡した50代の男性作業員の死因が、後腹膜膿瘍による敗血症ショックだったと発表。東電は作業と死亡との因果関係はないとした。

夕方、北海道上川地方中部を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:879(±0)
終演まで:585(-1)
終演見込み日:2013年5月27日(±0)

Posted: 10月 21st, 2011
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20/10/2011/THU/二百四十九日目

原子ギター参号機+四号機制作のため、一日中アトリエで作業。
リビアではカダフィが殺害された。ネットを介して世界中に配信される生々しい暴君の最期の映像。瞼の裏側に血がこびりついてしまった。

夜、電話がなかなか繋がらなかったことで、「パ」ートナーと喧嘩。
夕方、福島県浜通りを震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:879(±0)
終演まで:586(-1)
終演見込み日:2013年5月27日(±0)

Posted: 10月 20th, 2011
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19/10/2011/WED/二百四十八日目

多摩美で担当している講義「パ」フォーミングアーツ論。舞台における電気的拡声と増幅の文化史について。
夕方、福島県浜通りを震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:879(±0)
終演まで:587(-1)
終演見込み日:2013年5月27日(±0)

Posted: 10月 19th, 2011
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18/10/2011/TUE/二百四十七日目

芸大で授業。オーソン・ウェルズのラジオドラマ『宇宙戦争』を取り上げる。
夕方、宮城県沖を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:879(±0)
終演まで:588(-1)
終演見込み日:2013年5月27日(±0)

Posted: 10月 18th, 2011
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17/10/2011/MON/二百四十六日目

新大久保ネイキッドロフトにて、8月7日にアトミックサイトでやった『原發供養ノ夜』の記録映画『実録・原發供養の夜』上映と、メンバーによる証言(トークショー)。

今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:879(±0)
終演まで:589(-1)
終演見込み日:2013年5月27日(±0)

Posted: 10月 17th, 2011
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16/10/2011/SUN/二百四十五日目

『東京藝術発電所』最終日。今日はクロージング・イベントとして『発電ライブ・パフォーマンス』が催された。

『東京藝術発電所』は、実験工房としての機能も合わせもっており、会期中は展示空間で様々な実験が行われていた。その成果として僕らは発電自転車で中型クラスのギターアンプとPAシステムを稼働させ、150名程度のライブに十分な音量を獲得することに成功。発電から送電、消費へと至るプロセスを公開し、アートの枠内で発電を扱うのではなく、国家規模の公共性に対し「等身大の公共性」をクリエイティブに体現しよう、という『東京藝術発電所』のコンセプトは、本日の『発電ライブ・パフォーマンス』において、もっとも直接的な形で現されたと思う。

「私たちの、私たちによる、私たちのための電力で、私たちの、私たちによる、私たちのための音楽を」というフレーズを合言葉に、一切コンセントからの電源を使わず、自分たちで発電した電力だけで、どこまでラウドなライブができるのか…。それはロックが理想としてきたD.I.Y(Do It Yourself)精神を、もっとも究極的な形で体現する試みだったと自負している。スペシャル・ゲストに光とノイズを放つ蛍光灯「オプトロン」のパフォーマンスで知られる伊東篤宏氏を迎え、ライブ前半は自転車による人力発電で僕と伊東氏それぞれのソロ。ライブ後半は人力発電による電力に、太陽光で蓄電しておいた電力を加えてデュオという形態で行われた。

開演時間になると予想を大きく上回る観客が集まり、会場は熱気に満ちていた。僕は自転車にまたがった格好で、発電自転車のペダルをこぎながらエレクトリック・ギターをかき鳴らし、マイクロフォンを通してKRAFTWERK(ちなみにこのバンド名はドイツ語で”発電所”を意味する)の『Radioactivity』や、美輪明宏の『ヨイトマケの唄』を演奏した。

ダイナモというのは発電しようとするとき、その回転に大きな抵抗が生まれる。そして音響機器というのは音量が大きければ大きいほど、多くの電力を消費する。つまり、より強く観客に音を届けようと、ギターをかき鳴らせばかき鳴らすほど、そしてマイクロフォンを通して声を張り上げれば上げるほど、それに比例して発電自転車のペダルはぐんと重くなるのである。人間の肉体は運動すれば疲労する。疲労でペダルをこぐ力が弱まると、電力が足りなくなり、ギターアンプとPAシステムの音が途絶え、照明も消えてしまう。僕は汗だくになりながら、そうはさせまいと必死にペダルを踏みながら演奏した。しかし肉体の限界に近づくにつれて、歌声はほとんど悲鳴になり、ペダルをこぐ足もガクガクと震え、演奏は音飛びするようにブツ切れになっていった。しまいに僕の演奏は音楽の形を成さなくなり、無惨にも一曲を歌いきる前に、会場は闇と静寂に支配されてしまった。それでも僕はペダルをこいで演奏を続けようとしたがだめだった。そのとき既に僕の身体は燃え尽きていて、電気をつくるようなエネルギーは残されていなかった。

畜生、ここまでか…、観客にぶざまな身体を晒しながらそう思ったとき、暗闇の中ですっと手が挙がるのが見えた。一部始終を見守っていた観客の中の一人が、代わりに自転車をこぎたいと志願してくれたのである。僕はそれを迎え入れ、自転車の席を交代した。その人のエネルギーの贈与によって、ギターアンプとPAシステムは息を吹き返し、照明の灯が取り戻された。再び会場に演奏が響きわたると、会場に大きな拍手でおこった。しかし、しばらくするとその人の肉体にもまた限界がくる。すると別の志願者が現れた。その人の肉体にも限界が来ると、さらにまた別の志願者が現れ、次々とエネルギーの贈与の連鎖が起こっていったのである。いつの間にか、出演者も観客も一緒に汗だくになりながら、自分たちの、自分たちによる、自分たちのための電力で、自分たちの、自分たちによる、自分たちのための音楽を分かち合うために皆が恊働していた。それは奇跡的な光景だった。

そしてライブの打ち上げの席。今回の展示の参加作家であり、僕が多摩美の助手時代に学生だった毛利悠子と大学の昔話になったときのこと。

地雷ワード、「オープン・キャンパス」パ裂。

ここまでの成績…。
積算上演日数:879(+1)
終演まで:590(±0)
終演見込み日:2013年5月27日(+1)

Posted: 10月 16th, 2011
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15/10/2011/SAT/二百四十四日目

日曜日に行う『発電ライブ』のため、昨日に引き続き芸大で実験。
昼、茨城県北部を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:878(±0)
終演まで:590(-1)
終演見込み日:2013年5月26日(±0)

Posted: 10月 15th, 2011
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14/10/2011/FRI/二百四十三日目

日曜日に行う『発電ライブ』のため、芸大で実験。
震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:878(±0)
終演まで:591(-1)
終演見込み日:2013年5月26日(±0)

Posted: 10月 14th, 2011
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13/10/2011/THU/二百四十二日目

日曜日に行う『発電ライブ』のため、一日中アトリエで実験。
未明、福島中通りを震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:878(±0)
終演まで:592(-1)
終演見込み日:2013年5月26日(±0)

Posted: 10月 13th, 2011
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12/10/2011/WED/二百四十一日目

多摩美で担当している講義、「パ」フォーミングアーツ論で、骨伝導マイクの実演を行う。

鼻骨に骨伝導マイクを装着し、獅子舞の獅子のように歯を打ち鳴らしてみせると、頭蓋骨に響く打撃音が講堂に響き、学生たちから笑いとどよめきが起こった。さらに右手で額を叩いて、三拍子のビートを実演してみせようとしたときのことである。

僕:「こうやってパーカッションのように頭を叩くと…」

地雷ワード、「パーカッション」パ裂。

夜は渋谷WWWでDJぷりぷり君の誕生日イベントで「パ」フォーマンス。

朝、佐渡付近で震度3。

ここまでの成績…。
積算上演日数:878(+1)
終演まで:593(±0)
終演見込み日:2013年5月26日(+1)

Posted: 10月 12th, 2011
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11/10/2011/TUE/二百四十日目

芸大で授業。寺山修司のラジオドラマ『コメット・イケヤ』をとりあげる。

映画がトーキーになって完成されたとするならば、ラジオドラマはそこから視覚的要素を引き算した不完全な形態と言えるだろう。しかし『コメット・イケヤ』はこのラジオドラマという形態の持つ、宿命的な盲目性を逆手にとり、聞く者の内側に豊かなイメージを喚起する。目を使って「視る」ことで、逆に見えなくなっているものを、音によって見えるようにするのである。そして学生たちに作品について解説している途中、ある画家の有名な言葉を引き合いに出したときのこと…

僕:「パウル・クレーは、”芸術は見えないものを見えるようにする”と言いましたが…」

地雷ワード、「パウル・クレー」、パ裂。

珍しく震度3以上の地震は観測されず。

ここまでの成績…。
積算上演日数:856(+1)
終演まで:572(±0)
終演見込み日:2013年5月4日(+1)

しかし日誌の更新が滞ったので(7/25~8/14)、その賠償として上演期間を21日間延長。
積算上演日数:877
終演まで:593
終演見込み日:2013年5月24日

Posted: 10月 11th, 2011
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10/10/2011/MON/二百三十九日目

一昨日からはじまった『東京藝術発電所 Tokyo Art-Power Plant』。今日は小町谷君のミニ風力発電機制作ワークショップ。大型のかざ車と自転車のハブダイナモを組み合わせ、みんなで小さな風力発電機を作る。

回路をハンダ付けするときになって、小町谷君がハンダごてを壁のコンセントに差そうとしたので、僕はちょっとまったと制止した。ここは発電所なのでやはりハンダごての電気も自力で発電するのが筋だろう。僕はハンダごてを発電自転車につないで思いっきりこいでみた。するとワークショップ参加者の持つハンダごてはみるみる熱くなり、じゅっとハンダを溶かした。おおっ!と歓声があがる。

代わる代わる自転車をこいで作業を続けていると、日が傾いて部屋が暗くなってきた。僕らは壁にある部屋の電気のスイッチを入れる代わりに、昼間にソーラーで充電しておいたバッテリーにLED球をつないで制作を続けた。結局できあがったミニ風力発電機は、屋外に持ち出しても風が足りなくてうまく発電してくれなかったのだが、内容的にはエネルギーの本質を問う、とても意味のワークショップになったと思う。

未明、山梨県東部、富士五湖を震源に震度3。昼頃、福島県沖を震源に震度4。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:855(±0)
終演まで:572(-1)
終演見込み日:2013年5月3日(±0)

Posted: 10月 10th, 2011
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09/10/2011/SUN/二百三十八日目

今日で父が亡くなってから23年が過ぎた。

父へ
あれから時代は「昭和」から「平成」に代わりました。ソ連が崩壊して、ベルリンの壁も崩れ、冷戦が終わりました。ヨーロッパではEU統合が起こり、通貨がユーロに統一されました。アメリカでは史上初の黒人大統領が誕生しました。サダム・フセインとウサマ・ビン・ラディンが殺されました。日本はGNP、GDP共に中国に追い抜かれ、世界3位に転落しました。インターネットが普及して僕らの生活も変わりました。新宿にあったお父さんの会社はお台場に移転し、お父さんの職場の後輩が神奈川県知事になりました。東北を大地震が襲い、福島の原子力発電所で史上最悪の事故が起こりました。お母さんはだいぶ年をとり、史門はソフトウェア会社に就職し、僕はアーティストになりました。あれからたくさんのことが変わりました。しかし未だにパレスチナ問題は解決していません。

昼は「パ」ートナーと高尾山に登る。帰宅後、些細な事で大げんかに。未明、熊本県熊本地方を震源に震度3。夕方、大阪府南部を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:855(±0)
終演まで:573(-1)
終演見込み日:2013年5月3日(±0)

Posted: 10月 9th, 2011
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08/10/2011/SAT/二百三十七日目

今日から東京藝術大学上野校地において、発電をテーマとした展覧会『東京藝術発電所 Tokyo Art-Power Plant』開始。参加作家は、池田剛介、大山エンリコイサム、大和田俊、小町谷圭、西原尚、毛利悠子、Taguchi、僕の8名。多くの作家がエネルギーをテーマとした作品を展示する中で、僕は小町谷君、池田君、taguchiと共同で、手製の人力・太陽光・風力・水力発電機を寄せ集め、仮設の発電所を設置。そこでつくられた電気を同展覧会及び、同時開催されていた福島の工芸展『生まれなおす工芸:福島の漆』へと送り、展示運営のためのローカルな電力インフラを構築した。

これは東京へ電気を送り続けていた福島への、ささやかな返礼の表明であり、また発電から送電、消費へと至るその実験プロセスを公開し、アートの枠内で発電を扱うのではなく、アートの枠を広げて発電までもやってしまおう、という試みでもある。またさらに言えば、これは「等身大の公共性」の実演でもある。「インフラ・ストラクチャー」とは「国民福祉の向上と国民経済の発展に必要な、国家規模の公共基盤設備」のことを指すが、通常は「下部=Infra」に見えない形で隠蔽されている電力設備を、「上部=Supra」へと見える形で浮かび上がらせながら、国家規模の公共性に対し、極めてローカルな範囲における公共性のあり方を体現してみせるという意味で。

幸い今日は良い天気。気持ちよく、お天道様から電気をいただいた。感謝。
朝、紀伊水道を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:855(±0)
終演まで:574(-1)
終演見込み日:2013年5月3日(±0)

Posted: 10月 8th, 2011
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07/10/2011/FRI/二百三十六日目

芸大上野で展示設営。

その後、CLUB ASIAでBLACK SMOKER RECORDS主催イベント『EL NINO』に、THE LEFTY+BABA+伊東篤宏+僕のカルテットで出演。あまりに壮絶なセッションに、観にきていた「パ」ートナーが、魔界の扉が開いたと言いだして体調を崩してしまった。

朝、福島県沖を震源に震度3。昼、浦河沖を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:855(±0)
終演まで:575(-1)
終演見込み日:2013年5月3日(±0)

Posted: 10月 7th, 2011
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06/10/2011/THU/二百三十五日目

アトリエで作業。展示準備。

福島第一原「パ」ツで、50歳台の作業員が亡くなった。累計被曝量は2.02ミリ・シーベルトで、東京電力は被曝は死因に無関係と主張している。福島第一原「パ」ツで作業員が亡くなったと発表されたのは事故後3人目。

夕方、栃木県北部を震源に震度3。夜、長野県北部を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:855(±0)
終演まで:576(-1)
終演見込み日:2013年5月3日(±0)

Posted: 10月 6th, 2011
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05/10/2011/WED/二百三十四日目

多摩美で「パ」フォーミング・アーツ論。今日はコンタクトを入れてくるのを忘れて一日中メガネ。大学の仕事を終えた後はアトリエで作業。

アメリカではアップルコンピューターの設立者、スティーブ・ジョブズが亡くなった。Apple IIc(1984), Macintosh 128k(1985), Macintosh Plus(1986), Power Mac 7100AV(1994), 初代iMac(1998), PowerBook G3(1999), PowerBook G4チタン(2003), PowerBookG4 12インチ(2005), Macbook(2009), そして今これを書いているMacbook Pro(2011)…。思えばアメリカに住んでいた小学校の頃から、随分多くのアップルコンピューターを使ってきたものだ。

午後、岩手県沖を震源に震度4。夜、長野県北部を震源に震度4、熊本県熊本地方を震源に震度5強。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:855(±0)
終演まで:577(-1)
終演見込み日:2013年5月3日(±0)

Posted: 10月 5th, 2011
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04/10/2011/TUE/二百三十三日目

今日から芸大の後期授業開始…、と思って大学へ出勤してみると、校舎には誰もいなかった。独り立ち尽くしながらtwitterにやり場のない思いをツイートする。

@yamakawafuyuki 早起きして横浜から取手まできたんだけど誰もいなーい!もしかして芸大の授業、来週から?しかも研究室のカギわすれた。

すると速攻で学生や先生方からツッコミのツイートが。どうやら今日は開学記念日ですべての授業が休みらしい。

仕方なく秋葉原へ今度の展覧会のための買い出しへ。その後は新大久保の焼き肉屋で催された、くるちゃんの5才の誕生会へ。飴屋さん、コロちゃん、ZAKさん夫妻、アミ君、嶺川さん、まいろ君、デバ、しー、僕、「パ」ートナーでお祝いする(あれ、あとごー君か、こうへい君もいたような…)。

くるちゃんは何を隠そうこの僕に希望というものを教えてくれた恩人なのだ。

2007年に突然、”姉”が死んで以来、僕はずっと乾いた絶望の中を生きていた。四六時中、”姉”が去った先のことばかり考えながら、僕は老人のように、ただ淡々と自分の生が終わるのを待ちながら日々を過ごしていた。そんな折りの2008年暮れ、僕は飴屋法水さんとコラボレーションする機会をいただいた。二人でやる舞台の動機付けとなったのは、僕と”姉”との物語である。そしてその舞台の稽古には、いつもくるちゃんがいた。

ある日の稽古で僕がギターを弾きながら、ストゥージーズの「Passenger」を歌いはじめると、当時3才のくるちゃんと、その舞台で共演した子役であるたくみ君の弟のとも君が、僕の周りをきゃっきゃっと手を叩きながら、とても楽しそうに踊りはじめたのだった。

それを見た瞬間、僕は変わった。過去だけでなく、未来にも顔を向けることができるようになったのである。この世から去っていく人がいれば、この世に新しくやってくる人もいる。そして自分はその間に生かされている…。自分の命が大きな円環の一点でしかなく、この絶望は希望と地続きで繋がっているという事実を教えてくれたのは、他ならぬ3才のくるちゃんだった。だからくるちゃんがこの世にやってきた日は、僕にとっても記念すべき日なのである。

僕と「パ」ートナーからは、眼球の解剖標本模型と、ナショナルジオグラフィックのDVD『森の建築家 ビーバー物語』をプレゼント。誕生会がお開きになった後も、今日の主賓、くるちゃんたっての希望により、飴屋さん宅へおじゃますることに。そして終電近くまでくるちゃんを膝に抱えながらビーバーDVD鑑賞会…。

千葉県柏市は、南部クリーンセンターの焼却炉の運転を当面休止すると発表。同センターの焼却灰からは6月、国の基準(8000Bq/kg)を超える1キロあたり7万800ベクレルもの放射性セシウムが検出されていた。放射能汚染で清掃工場が休止になったのは全国で初めてだとか。南部クリーンセンターは芸大から近いので、まったく他人ごとじゃない。

夜、徳島県北部を震源に震度3、福島県浜通りを震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:855(±0)
終演まで:578(-1)
終演見込み日:2013年5月3日(±0)

Posted: 10月 4th, 2011
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03/10/2011/MON/二百三十二日目

学生時代の恩師、港千尋さんが3331Arts Chiyodaでオーガナイズするレクチャーシリーズ『アート社会論』にゲスト講師として招かれた。例のごとくまずは『「パ」日誌メント』について解説し、僕が「パ」という音節を口にできないことからはじめて、「パ」フォーマンスの実演を交えながら「メディアと身体」をテーマにレクチャーする。

レクチャー終了後、聴講していた方の一人が僕のところへやってきて、少し遠慮気味に話しかけてきた。なんでもレクチャー中に僕が「パ」裂したのを聴撃してしまったという。自分ではてっきり今日は完封だ、と思い込んでいたので、慌てて詳しく訊いてみると、ベネツィア・ビエンナーレの「パ」フォーマンスで心臓を停めすぎて失神してしまったエピソードを語るときに、「パタッと」、と口を滑らせたというのである。しかし胸に手をあてて思い返してみても、自分がそこで「パ」裂したとは思えない。たしかその時は「パタッと」という半濁音のオノマトペではなく、「バタッと」という濁音のオノマトペを使ったと思うのだ。そこでレクチャーを聴いていた他の方々の証言を求めてみると、複数の方が「バタッと」という濁音のオノマトペを使っていた、と証言されたので、僕の嫌疑は晴れたのだった。

twitterに今日のレクチャーを聴講下さった方のツイートがあったので、以下に転載させていただく。

・・・・・・・・・・
@HRAK_GM: 山川冬樹さんはいま「パ」を発語しない「パ」フォーマンス作品を実行中で、今日も「パ」はすべて「ピャ」と置き換えて、原ピャツ、ピャーキングなどスムーズに使いこなしていたのだけれど、勢い余って「隙間」を「すきみゃ」と言ったのがすごくおかしかった。
・・・・・・・・・・

朝、福島県浜通りを震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:855(±0)
終演まで:579(-1)
終演見込み日:2013年5月3日(±0)

Posted: 10月 3rd, 2011
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02/10/2011/SUN/二百三十一日目

来週からはじまる展示のために、アトリエで小町谷君と作業。

朝、福島県沖を震源に震度3。夜、新潟県中越地方を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:855(±0)
終演まで:580(-1)
終演見込み日:2013年5月3日(±0)

Posted: 10月 2nd, 2011
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01/10/2011/SAT/二百三十日目

「パ」ートナーは幼なじみの結婚式に出席するため田舎に帰省。

そして韓国では2008年の釜山ビエンナーレでお世話になったアシスタントキュレーターのスンヒョンさんの結婚式が挙げられた。どうかお幸せに。

未明、千葉県東方沖を震源に震度3。朝、福島中通りを震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:855(±0)
終演まで:581(-1)
終演見込み日:2013年5月3日(±0)

Posted: 10月 1st, 2011
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30/09/2011/FRI/二百二十九日目

ツアーの疲れを癒すため、家でのんびり。

昼すぎ、福島浜通りを震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:855(±0)
終演まで:582(-1)
終演見込み日:2013年5月3日(±0)

Posted: 9月 30th, 2011
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29/09/2011/THU/二百二十八日目

香港でトランジットして、日本時間の夕方に帰国。成田から高速リムジンバスで帰宅。

未明、福島県沖を震源に震度3。夜、福島県沖を震源に震度5強。とんでもないところへ帰ってきてしまったという思いと、なんだかほっとする思いとが入り交じる。今日は完封。

ここまでの成績

積算上演日数:855(±0)

終演まで:583(-1)

終演見込み日:201353(±0)

Posted: 9月 29th, 2011
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28/09/2011/WED/二百二十七日目

窓から差し込む光で目が覚める。フェルメールやレンブラントの描いたオランダの光。ここは平穏だ。ここを出るのは名残惜しい。しかし今日は自分の家へ帰らなければ。

荷造りを終え、宿を後にして、タクシーを拾いスキポール空港へ。

つかまえたタクシーの運転手はやたらと好奇心旺盛な人で、よしなしごとを根掘り葉掘り聞いてきた。時々乗せる異邦人との交流がどうやら日々の仕事の楽しみらしい。日本のお金が見たいというので、財布から五円玉を出して見せてやる。えらく感動する運転手。穴の空いたコインは世界的にも珍しいというので、あげるよ、と言って手渡すと、日本ほど素晴らしい国はない!と言い出す始末。こんな風に5円玉が100ドル札並みの価値を持ちうることもある。おかげでチップは安く済んだ。

空港に到着。自分の乗るCATHAY PACIFIC航空がどのターミナルから出るか定かでなかったので、タクシーを待たせて、確認しに行くことにした。運転手に向かって言う。

「Wait here. I want to make sure where my flight departs」

地雷ワード「depart」、パ裂。

「CATHAY PACIFIC」という航空名には心の中で予防線をはっていたのだが、オランダ出国目前にだめ押しのパ裂。

ここまでの成績…。
積算上演日数:855(+1)
終演まで:584(±0)
終演見込み日:2013年5月3日(+1)

Posted: 9月 28th, 2011
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27/09/2011/TUE/二百二十六日目

アムステルダム四日目。今日は敢えてトラムを使わずに、街をひたすら歩く。

宿から1時間半ほど歩くとダム広場へ着いた。その名の通り、ここにはかつてアムステル川をせき止めるダムがあった場所で、アムステルダムの市名はここに由来するらしい。広場の塔の周辺は、60年代から70年代にかけてヒッピーたちの溜まり場となったそうで、ごろごろと寝そべる彼らの姿があしかに見えたことから「あしかの丘」とも呼ばれているとか。僕が訪れたときは、たまたまブラジル移民たちがビリンバウとパンディロを打ち鳴らしながら、鮮やかな格闘の舞に踊り興じていた。まさかオランダでカポエイラを見られるとは。

しばし跳躍する黒い肉体に見とれた後は、今回のアムステルダム訪問で一番行きたかった『アンネ・フランクの家』へ。『アンネの日記』で有名なアンネ・フランクが、第二次大戦中ナチスから息を潜め、身を隠していた家がそのままの形で残された場所である。それにしてもここは強烈だった。クリスチャン・ボルタンスキーの作品も、この究極的にサイトスペシフィックなインスタレーションの前では霞んでしまうだろう。決して霊感が強いわけでもない僕さえも、この淀んだ空気に棲みついた何者かの気配に目眩がして、気を確かにもっていないと意識を失いそうになるほどだった。

アンネ・フランクの家を後にし、「Patterns+Pleasure」フェスティバルの二日目を観るためFrascati劇場へ。グラスを片手にロビーでふらふらしていると、昨日の「パ」フォーマンスを観てくれていたのだろう、いろんな人が声をかけてくれて立ち話。

その中に東京に住んでいたことがあるという女性がいた。思えばどこかで会ったことがある顔である。東京のライブハウスかどこかだろうか。

僕:「Oh,Yes I remember you! so where are you from?」

女性:「I am from Finland」

僕:「Where in Finland?」

彼女は僕の質問に対し、聞いた事もない地名を答えた。そもそも会話を弾ませるために聞いてみたものの、フィンランドのどこ?と返したところで、フィンランドの地名なんて僕はヘルシンキと、地球で唯一、放射性廃棄物の最終処分場があるオルキルオト島ぐらいしか知らないのだ。ちょっとためらいながら、聞き返す。

僕:「er… Which part?」

女性:「Southern part.」

地雷ワード「part」、パ裂。

すると昨日出演していたアメリカ人のArthur&PunisherのArthurが通りかかり、会話に加わってきた。話題は日米のアヴァンギャルドな音楽シーンに及ぶ。Arthurは最近アメリカで観た「Maruosa」という日本のアーティストがいかに素晴らしかったかを力説してくれた。多くの所謂”一般的”な日本人は知らないが、日本のメジャーなアーティストのほとんどが国際的な評価に値しない一方、アンダーグラウンドな世界では国際的にリスペクトされ、活躍している日本人アーティストはとても多いのだ。Maruosaさんは以前同じイベントに出演したこともあるし、ダンサーの東野祥子ちゃんのダンスクラスで一緒に身体を延ばしたこともあるので良く知っている。Arthurは続けた。

Arthur:「そのときもう一人日本人が出てたんだけど、そいつはイマイチだったな。なんかバイクのヘルメットみたな黒いマスクをかぶって演奏するやつ」

黒いマスクをかぶって演奏?…。誰だろう。僕はまったく想像がつかなかった。そんなアーティスト日本にいたかなぁ。彼に聞き返す。

僕:「Is he Japanese?」

地雷ワード「Japanese」、パ裂。

「Patterns+Pleasure」フェスティバルの二日目の出演者は、NINA BOAS(オランダ)、JESSICA RYLAN(アメリカ)、EDISON(アメリカ)、ALEX NOWITZ(ドイツ)。昨日自分の出番が終わったので、リラックスしながら堪能する。

NINA BOASはジェーン・バーキンのようなフレンチポップスを歌いながら、デジタルな水森亜土といった赴きでアニメーションを描く「パ」フォーマンス。JESSICA RYLANはメガネをかけたGEEK面ながら、ボディコンシャスなワンピースにパンプス姿で、神経質そうに自作のシンセサイザーを弄り、何故か途中で泣き出してしまうなど、情緒不安定な所が良かった。EDISONは自作のサンプラーのパッドを叩いて、ブレイクビーツを繰り出しながらラップ。自作のサンプラーは良くできていたが、「パ」フォーマンス自体はイマイチ。ALEX NOWITZはwiiリモコンを使ってオケを制御しながら、クラシック声楽とパントマイムの素養を活かし、洗練された「パ」フォーマンスをみせてくれた。

終演後はタクシーで宿へ。

ここまでの成績…。
積算上演日数:854(+2)
終演まで:584(+1)
終演見込み日:2013年5月2日(+2)

Posted: 9月 27th, 2011
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26/09/2011/MON/二百二十五日目

アムステルダム三日目。起きて市街を散策した後、宿にもどって今日の「パ」フォーマンスのための準備。本番数時間前だというのに、アムステルダムの街に漂う空気はあまりにユルく、無駄にピースな気分になってしまってなかなかテンションに火がつかない。

メールを確認するためにノートパソコンを開く。ついでにtwitterを覗いてみる。すると、一昨日渋谷で行われた脱原「パ」ツデモの様子を伝えるツイートを見つけた。リンクをクリックすると、当日の写真を掲載したブログに飛んだ。プラカードに横断幕、幟や旗を掲げながら声をあげる東京の若者たち。よく見ると知り合いの姿もある。渋谷から遠く離れて、ディスプレイ越しに見るその姿があまりに眩しくて、自然と目頭が熱くなってくる。間違いなくこの人たちこそ、今、世界中で一番輝いている人たちなのだ。

人々の輝きに、心の底からふつふつと力が湧いてきた。よし、点火。今日の本番はいけそうだ。Frascati劇場へ入り、サウンドチェック&リハーサル。サウンドエンジニアはまさに”Dyke”といった感じの恰幅の良い強面の女性で、スタッフの男たちをアゴで使う姿はなかなか痛快。今日の「Patterns+Pleasure」フェスティバルの出演者は、GROUND(ベルギー,オランダ)、TOKTEK(オランダ)+Simon Berz(スイス)、Author&Punisher(アメリカ)、僕の合計4組。

告白すると、本番中、傷を負った日本の人たちのことが想えてきて何度か泣きそうになった。今まで祖国に想いを馳せて海外の舞台に立つことなどあり得なかったので、自分自身に驚かされる。しかし今日はとても澄んだ音を奏でられたと思う。「パ」フォーマンスが終わった瞬間、観客が返してくれた拍手もとても澄んでいた。きっと日本にいるみんなの気持ちが僕を媒介して伝わったのだろう。そう、こうやって世界は循環していくんだ。

しかしその一方、日本では地震が頻発。朝、茨城県北部で震度3。昼過ぎ福島県会津を震源に震度3。夕方、北海道浦河を震源に震度4。夜、茨城県北部を震源に震度4。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:852(±0)
終演まで:583(-1)
終演見込み日:2013年4月30日(±0)

Posted: 9月 26th, 2011
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25/09/2011/SUN/二百二十四日目

アムステルダム二日目。目が覚めてiPhoneで時刻を確認するともう昼すぎだった。ベッドから起き上がろうと身体に力を入れると、全身がピノキオのようにかちかちになっている。一昨日から昨日にかけて、40時間も横になる体勢をとれなかったためだろう。余裕をもって旅程を組んでおいて良かった。僕の「パ」フォーマンスの出番は明日。今日はのんびり過ごそう。

まずは街に繰り出して、通りに面したカフェで遅めのランチ。サンドイッチをほおばりながら、気になっていた山口県上関町長選の情報をiPhoneで確認。今回の上関町長選は、震災後の原「パ」ツ新設予定地では初めての首長選で、原「パ」ツ推進派の現職、柏原重海候補と、反原「パ」ツ派の新顔、山戸貞夫候補のどちらが勝つか、日本中がその票の行方に注目していた。結果は推進派の柏原候補が3選を果たし、勝利。それを知った瞬間、がっかりして力が抜けたのだろう。iPhoneがするり手からすり抜けて石畳の上に落下、画面がバリバリに割れてしまった。何とか電話としては使えるようなので、気を取り直して、アムステルダム国立美術館へ。

フェルメールは「光の画家」とよく言われる。しかし実際に実物を前にして見てみると、描かれた光景から豊かな音声が聴こえてくるので驚かされた。「トーキー映画は沈黙を発明した」と言ったのはロベール・ブレッソンだが、そういう映画的な沈黙の音声がきこえてくるのである。フェルメールは見るだけでなく、聴きながら描いていたに違いない。

アムステルダム国立美術館で数々の名画を鑑賞した後は、Frascati劇場へ会場下見に顔を出し、その後はぶらぶら散歩。宿へ戻って明日の「パ」フォーマンスに備える。寝る前に「パ」ートナーとSkypeでビデオチャット。日本からアムステルダムに向けておかしな踊りを踊ってみせてくれた。

昨日は派手に「パ」裂しまくったが、今日はほとんど一人きりだったことが功を奏して完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:852(±0)
終演まで:584(-1)
終演見込み日:2013年4月30日(±0)

Posted: 9月 25th, 2011
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24/09/2011/SAT/二百二十三日目

午前6時35分にアムステルダムはスキポール空港に到着。

到着ゲートにSTEIMのスタッフ、エッシャーが迎えて来てくれていた。いろいろ問題があって、午後5時まで宿にチェックインできないというので、とりあえずSTEIMのオフィスへ。

早朝の薄明かりの中、エッシャーの運転するプジョーの助手席から街の景色を眺めながら、僕は会話の種を探していた。

海外で仕事をするときは大抵、空港まで現地スタッフが車で出迎えに来てくれるのだが、空港から目的地へと向かう道中はいつも車内にシーンとした空気が漂う。会話というものは、互いに打ち解けてはじめて弾むもので、初めて顔を合わせたばかりの、言葉も、生活スタイルも、文化的背景も異なる者同士が、打ち解けるプロセスなしに物理的に密接な関係に置かれながら黙っているという、この状況にはいつまで経っても慣れないものだ。

お互い会話の種を探すのだが、共通の話題といったら今回のフェスティバルのことくらいしか見当たらない。そこで、今回のイベントにあたり、日本からCOMBO PIANOの渡邊琢磨さんや、山本達久さん、中原昌也さんなどのアーティストも来ると聞いていたので、シーンとした空気に一石を投じるように言ってみた。

僕:「Three more artists are coming from Japan, right?」

オランダ入国から1時間も経たない内に、地雷ワード、「Japan」パ裂。
(※英語を話す際の「パ」裂ガイドラインについては、2011年7月20日の日誌を参照されたし)

僕は心の中で「しまった!」と日本語で叫んだ。それと同時に苦虫をかみつぶしたような表情をしてしまったのだが、車の進行方向を見つめるエッシャーはそれに気づいていないようだった。

STEIMのオフィスに到着。STEIMとは、アムステルダムにある電子音楽・電子楽器にかかわる自主運営の研究施設で、今回、僕を招いてくれたのもSTEIMである。オフィスとはいってもギークたちが集うアパートメントといった風情で、中々居心地の良さそうのなところだ。エッシャーが入れてくれたコーヒーをすすりながら、窓の外を見ると、道路に面した運河に何層ものボートハウスが停泊していた。台風が来たときはどうするのだろう?と思ったが、オランダには台風は来ないのだとか。ふとデスクの上を見ると、今回のイベント「Patterns+ Pleasure」のスケジュール表がある。あ、これ欲しい、と僕は思った。

僕:「Can I have this paper?」

地雷ワード、「paper」パ裂。オランダ入国から2時間も経たない内に2回目のパ裂である。

バイリンガルの人なら分かると思うが、英語を話していると、自然に身振りもガイジンっぽくなってくる。話す言語が変わると、不思議なことにそれに付随してキャラも変わるのだ。思わず口を滑らせてしまったことに、僕は「Oh…」と言いながら、手を額にあてて首を振っていた。それを見て「いいけどそれオランダ語だよ…。ん?どうしたの?大丈夫?」というエッシャー。「い、いや、何でもない、大丈夫だよ」と答える僕。

宿にチェックインする午後5時までだいぶ時間があるので、時差ぼけを圧して散策に出かけた。ちょうどインディペンデントキュレーターの東谷隆司さんも、アムステルダムを訪れていると連絡があったのでカフェで合流。ブランチをとった後に、一緒にギャラリーde appleで展覧会を観る。東谷さんと別れ、広場のランプでスケボーに興じる地元のティーンをしばしぼーっと眺めてから、ゴッホ美術館にてゴッホを鑑賞。そしてその後、現代美術館、Temporary stedelijkへ行ったときのことである。

チケット販売のカウンターで、売り子の女の子に向かって…

僕「One person please」

地雷ワード、「person」パ裂。一日目にして3度目の「パ」裂である。

Temporary stedelijkの展示を観終えて外に出ると、道路沿いの運河の水面には夕日が反射していた。そろそろ宿にチェックインできる頃だろう。僕は気持ちのよい道を選びながら宿へと歩き始めた。ボートの上で団らんしながら、運河をゆらゆら揺られていく家族たち…。岸でひなたぼっこをしているカモのつがい…。なんと長閑な街だろう。今の日本に漂う張りつめた空気をのことを思うと、まるで夢のようである。

宿の住所が示す場所へ行くと、そこはホテルではなく、住宅街の中のアパートメントだった。中期滞在する人の為の、いわゆるウィークリーマンションのような宿である。気の良い大家さん親子が迎えてくれて、どこから来たのかと訪ねるので、僕は先ほどの失敗を繰り返すまいと「Tokyoから来ました」と答えた。すると大家さんは少し悲しそうな顔をして、地震と原「パ」ツ事故へのお見舞いの言葉をかけてくれた。さすがに風車の国なだけあって、オランダは風力発電は世界一なのだそうだ。オランダにある原「パ」ツは、ボルセラ原「パ」ツの一基のみとのことだった。

時差ぼけと旅の疲れのため、早めに床に入り、就寝。今日は「パ」裂しまくった一日だった。

ここまでの成績…。
積算上演日数:852(+3)
終演まで:585(+2)
終演見込み日:2013年4月30日(+3)

Posted: 9月 24th, 2011
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23/09/2011/FRI/二百二十二日目

午後6時25分発のキャセイ・パシフィック航空の飛行機で成田を発ち、香港でトランジット。日付が変わって、アムステルダム行きの飛行機の搭乗がはじまるまで、トランジットルームのベンチに座って思案にふける。こういうどこの国にも属さず、いかなる記憶も堆積しない宙ぶらりんな場所で孤独な時間を過ごしていると、自分の人生を外側から眺めているような、そんな気分になってくる。こういう時間は嫌いではない。

日本では早朝、福島県沖を震源に震度3。夕方、茨城県北部を震源に震度4。夜、岩手県沖を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:849(±0)
終演まで:583(-1)
終演見込み日:2013年4月27日(±0)

Posted: 9月 23rd, 2011
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22/09/2011/THU/二百二十一日目

昨日の凄まじい台風でからだの調子が狂っている。明日からアムステルダムへ発つというのに、背中が何だかどっと重い。少しずつチューニングしなければ。

今日はアトリエでアムステルダム公演のためのリハーサルと準備。

昼すぎ、茨城県沖を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:849(±0)
終演まで:584(-1)
終演見込み日:2013年4月27日(±0)

Posted: 9月 22nd, 2011
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21/09/2011/WED/二百二十日目

多摩美で授業の日。

北上していた台風15号が、帰宅ラッシュの時間帯に首都圏を直撃。鉄道が軒並み運休となり、多くの帰宅難民が発生。仕事に出ていた「パ」ートナーから、東急大井町線の中延駅まで来たものの、電車が動いておらず帰れないとの連絡があったため、大学の仕事を終えてから暴風雨の中を車で迎えに出動。

街路樹がざわめき、黒光りする路上の上を風が飛沫をあげて暴走する。普段は多摩川に生息しているところを吹き飛ばされてきたのだろう。国道2号線の車道のど真ん中で、一羽の哀れな鵜が羽根を広げて立ち往生していた。中延駅に着いて「パ」ートナーを救出(この表現は決して大げさでない)。大量の雨滴がフロントガラスの視界を遮る中を恐る恐る運転し、何とか家の近くまでたどり着くと、いつも使っている道路に大きな街路樹が倒れていて通行止めになっていた。来た道を引き返し、迂回してやっと帰宅。

報道によれば、台風はさらに北上し、震災被災地である東北地方を直撃、全国で16人が死亡、2人が行方不明とのこと。この自然の猛威に多くの人が半年前のことを思い出したはずである。今年はなぜ僕らをこんなにも自然災害が襲うのか。いずれにせよ思っていたよりもずっと僕らの文明社会というのは脆いようである。それが奇跡的に保たれた地球環境のバランスの上に乗っかる形で築き上げられていて、そのバランスが何かの拍子に崩れれば、僕らの文明社会もあっけなく崩壊し、簡単に機能不全に陥ってしまうということを、今の僕らは痛いほど思い知らされている。

夏目漱石の小説『吾輩は猫である』に登場する水島寒月のモデルになったともいわれ、 「天災は忘れたころにやってくる」 の名言で知られる地球物理学者の寺田寅彦は、日本人には「天然の無常観」 が備わっているとした。歴史的に度重なる大災害が日本人の無常の美意識を培ってきたことはよく言われるが、この説は寅彦に端を発するらしい。日本人が古くからこうした”天の「パ」ニッシメント”、すなわち「天譴」や「天罰」を畏れながら、自然と共生してきたことを、僕は今まで単に学校で習うような知識としてしか知らなかった。例えば、かつて高校の古文の時間に鴨長明の『方丈記』が取り上げられても、そこに綴られた大災害の記述は、昔の人のセンチメンタルな詠嘆にしか感じられなかったのだが、今年になって読み返してみると、鎌倉時代に記されたこの書物が、実に真に迫ったジャーナリズムのように読めてきて、現代の自分が実感を伴った共感を持てることに驚かされるのである。

当然のことながら今の僕らの文明社会は、”天の「パ」ニッシメント”を畏れながら自然と共生するという「日本近世」以前の考え方ではなく、人間から自然を分離し、対峙し、支配しようとする「西洋近代」の考え方を基盤にして形作られている。この「西洋近代」の恩恵によって僕らは、古くから苛まれてきた”天の「パ」ニッシメント”への畏れから開放されるはずではなかったか。しかしどこからどう見ても、原「パ」ツという西洋近代に端を発する最も究極的な技術は、時代遅れなはずの”天の「パ」ニッシメント”への畏れから僕らを開放するどころか、何倍にも畏れを増幅して僕らを苦しめているではないか。これは一体どういう罰なのか?。まったく冗談みたいな話ではないか。

風で暴れる街路樹のざわめきが、窓ガラスを叩き付ける激しい雨音が、地震で揺れる建物の軋みが告げている。もう一度「無常」への想像力を回復せよ、と。果たして僕らは近世以前への回帰でもなく、単なる西洋近代の否定でもない、新しい文明社会のあり方を創造することができるのだろうか。

早朝、宮城県沖を震源に震度3。茨城県北部を震源に震度5弱。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:845(±0)
終演まで:581(-1)
終演見込み日:2013年4月23日(±0)

しかし、日誌の更新が滞ったので(6/29~7/1、7/5)、上演期間を4日間延長。
積算上演日数:849
終演まで:585
終演見込み日:2013年4月27日

Posted: 9月 21st, 2011
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20/09/2011/TUE/二百十九日目

今週の金曜日からアムステルダムへ発つので、アトリエにてそのためのリハーサル。

震災後に海外へ出るのは、7月の『金閣寺』ニューヨーク公演以来なのだが、自分の足が日本の地からしばらくの間離れてしまうことを思うと、なんだか胸が締め付けられ、後ろ髪を引かれる思いがしてならない。震災前はこんな風に感じることはなかったのに。

震度3以上の地震は観測されず、今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:845(±0)
終演まで:582(-1)
終演見込み日:2013年4月23日(±0)

Posted: 9月 20th, 2011
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19/09/2011/MON/二百十八日目

渋谷で行われた脱原「パ」ツデモに参加。例のごとく、シュプレヒコールには参加できず、黙々と歩く。
今日は新宿でもデモがあり、6万人が集結。震災後最大級の脱原「パ」ツデモとなった。

未明、福島県沖を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:845(±0)
終演まで:583(-1)
終演見込み日:2013年4月23日(±0)

Posted: 9月 19th, 2011
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18/09/2011/SUN/二百十七日目

「パ」ートナーが動物をみたいというので、上野動物園へ。すっかりゴリラに魅せられてしまった。

今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:845(±0)
終演まで:584(-1)
終演見込み日:2013年4月23日(±0)

Posted: 9月 18th, 2011
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17/09/2011/SAT/二百十六日目

三宿のCAPSULEで開催の日英アーティストが参加する『CROSS COUNTER』展にてライブ。骨伝導マイクをつけた状態で観客の頭に頭突きした。

今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:845(±0)
終演まで:585(-1)
終演見込み日:2013年4月23日(±0)

Posted: 9月 17th, 2011
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16/09/2011/FRI/二百十五日目

夢の島、多目的コロシアムにて、飴屋法水さんの『じ め ん』を観劇。素晴らしかった。観劇後、「パ」ートナーと共に宙ぶらりんな心を抱えながら帰宅する道すがら、ふと夜空を見ると、月がとても眩しかった。そしてその月光を浴びる雲の流れはとても速かった。

今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:845(±0)
終演まで:586(-1)
終演見込み日:2013年4月23日(±0)

Posted: 9月 16th, 2011
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15/09/2011/THU/二百十四日目

「パ」ートナーに巷でよく聞くある言葉について、ふと気になって聞いてみた。

僕:「そもそもヘッドスパってどういうものなの?頭をマッサージしたりするもの?」

地雷ワード、「ヘッドスパ」、パ裂。

ちなみに「パ」ートナーは平日はヘアメイクアーティストとして撮影の仕事をしながら、土日は青山のサロンで美容師として働いている。”ヘッドスパ”とは、直訳すると”頭の温泉”という意味で、和製英語なのだとか。

未明、北海道浦河沖を震源に震度3。夕方、茨城県沖を震源に震度4。

ここまでの成績…。
積算上演日数:845(+1)
終演まで:587(±0)
終演見込み日:2013年4月23日(+1)

Posted: 9月 15th, 2011
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14/09/2011/WED/二百十三日目

多摩美で担当している講義「パフォーミング・アーツ論」、後期第一回目。本来ならば先週の水曜日が、第一回目の授業となるはずだったが、通勤中の交通事故で急遽休講にしてしまったので、今日が初回となった。400人近い履修者がいるマンモス講義である。

まず講堂のスクリーンに「パ」の字を大写しにして『「パ」日誌メント』について解説する。僕が「パ」と発音できないことを説明すると、講堂に笑いとどよめきが起こった。パフォーマンスについての講義で、担当講師が「パ」と発音できないなんて、まったく冗談もいい加減にしろと心の中で自分に呆れながらも、巧みに「パ」裂を避けて講義を終了。事故った車を預かってくれている自動車工場へ廃車の手続きに出向く。

たくさんの思い出を乗せた車を廃車にするのはやはり寂しいものだ。書類に印鑑を捺しながら肩を落とす。その自動車工場は、車の修理だけでなく販売もしているらしく、そんな僕の姿を見てか、営業さんが良い車があるので試乗してみませんか、と勧めてくれた。ふと見てみると、外に青いフォルクスワーゲンのバンが停められているではないか。周りの景色が映り込むほどピカピカに磨き上げられたボディーをみて、なんだか少し気持ちが明るくなる。確かに良さそうである。シートに座ってみると乗り心地もいいし、荷物も沢山積めそうだ。近所をぐるりと試乗してみると、静かだがよく走る。気に入った。値段もさほど高くない。

僕:「これ、何ていう車種なんですか?」
営業マン:「フォルクスワーゲンのパサートです」

一瞬、買ってもいいかなとも思ったが、車の名前を聞いて即却下。やはり名前に「パ」のつく車には乗れない。

早朝、茨城県北部を震源に震度3。夜、福島県沖を震源に震度3。

今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:795(±0)
終演まで:538(-1)
終演見込み日:2013年3月4日(±0)

しかし、「パ」日誌の更新が滞ったため(4/25~6/12)、上演期間を49日間延長。
積算上演日数:844
終演まで:587
終演見込み日:2013年4月22日

Posted: 9月 14th, 2011
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13/09/2011/TUE/二百十二日目

一日デスクワーク。

未明、北海道日高地方西部を震源に震度3。茨城県沖を震源に震度4。朝、茨城県北部を震源に震度3。

ここまでの成績…。
積算上演日数:795(±0)
終演まで:539(-1)
終演見込み日:2013年3月4日(±0)

Posted: 9月 13th, 2011
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12/09/2011/MON/二百十一日目

大学時代の恩師でもある港千尋さんのトークを聞きに3331 ARTS CYDへ。
日本では震度3以上の地震は観測されず。パプア・ニューギニアでM6.2。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:795(±0)
終演まで:540(-1)
終演見込み日:2013年3月4日(±0)

Posted: 9月 12th, 2011
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11/09/2011/SUN/二百十日目

アメリカ同時多発テロから早いものでもう10年。10年前は日本がこんなことになるなんて夢にも思っていなかった。アメリカ同時多発テロの約10年前にソビエトが崩壊したことを考えると、世界がひっくり返るような大事件というのは、10年に一度はごくふつうに起こるものなのだろう。

午後は「パ」ートナーの仕事仲間の家でホームパーティ。夜、千葉県北西部を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:795(±0)
終演まで:541(-1)
終演見込み日:2013年3月4日(±0)

Posted: 9月 11th, 2011
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10/09/2011/SAT/二百九日目

今日も交通事故の資料作り。

日付変わってすぐ、また北海道浦河沖を震源に震度3。午後、茨城県沖を震源に震度4。夕方、またまたた浦河沖を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:795(±0)
終演まで:542(-1)
終演見込み日:2013年3月4日(±0)

Posted: 9月 10th, 2011
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09/09/2011/FRI/二百八日目

一昨日の交通事故。僕と事故の相手の見たものが著しく食い違ってる。多分相手も嘘をついてるつもりはないのだろう。まるで映画『羅生門』のようだ。僕には僕の主張があるので、現場で写真をとり、グーグルマップの航空写真で正確な位置関係を確認。速度を割り出しながら、お互いの視界をシミュレーションして資料を作る。空走距離とか、制動距離とか、教習所でやったことを思い出しながら。

朝、一昨日、昨日に引き続き北海道浦河沖を震源に震度3、岩手県沖を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績。
積算上演日数:795(±0)
終演まで:543(-1)
終演見込み日:2013年3月4日(±0)

Posted: 9月 9th, 2011
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08/09/2011/THU/二百七日目

昨日の事故の影響で少し頭痛がするので病院へ行く。CTスキャンを撮った結果、脳には問題ないようで一安心。

午後は事故現場のすぐ近くにある日本盲導犬協会へ。事故現場では、車から脱出するのに手を貸してくださったり、交通整理を率先してやってくださったり、ここの職員の方に本当にお世話になったので、お菓子をもってお礼に出向く。

今月末に渡航を予定しているオランダで、マグニチュード4.5の地震が観測された。このような地震は10年から20年に1度あるかないかだそうで、地震慣れしていないオランダ人にとっては「かなりのショック」だったという。

未明、昨日に引き続き北海道浦河沖を震源に震度3。夕方、また浦河沖を震源に震度3。夜、香川県西部を震源に震度3、福島県沖を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:794(±0)
終演まで:543(-1)
終演見込み日:2013年3月3日(±0)

しかし「パ」日誌の更新が滞ったため(4/15)、上演期間を1日間延長。
積算上演日数:795
終演まで:544
終演見込み日:2013年3月4日

Posted: 9月 8th, 2011
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07/09/2011/WED/二百六日目

朝、アトリエへ行った後、車で多摩美後期最初の授業へ向かう道すがら、第三京浜都築インター付近のT字路で軽のバンと激しく衝突。ぶつかった瞬間、バックミラーに吊るしていた交通安全のお守りが外れ、助手席の床へと放物線を描きながらスローモーションで落下していくのが見えた。僕はその光景をぼーっと眺めながら気を失った。再び意識を取り戻すと、車内は煙が充満していて息苦しい。火災でも起きたのかと思ったが、どうやらエアバッグの火薬の煙のようである。事故現場に居合わせた人々に助け出される形で、車から脱出。

頭が少しぼーっとするものの、奇跡的に骨折やひどい打撲もなく、大学に交通事故のため今日の授業は休講にした旨、連絡を入れる。「パ」ートナーと母にも電話。しばらくして警察が到着して現場検証。大きな怪我はないので、物損事故として処理することに。しかし2003年に新車で買って以来、8年間乗って来た愛車、FIAT PUNTO ELXは廃車に。

朝、北海道浦河沖を震源に震度3。午後、熊本地方を震源に震度3。夜、再び浦河沖を震源に震度5強。
我ながら関心するのは、事故直後の相手方との会話や、警察による事情聴取の中でも、自分が落ち着いて「パ」裂を避けていたことである。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:787(±0)
終演まで:538(-1)
終演見込み日:2013年2月24日(±0)

しかし「パ」日誌の更新が滞ったため(4/7~13)、上演期間を7日間延長。
積算上演日数:794
終演まで:544
終演見込み日:2013年3月3日

Posted: 9月 7th, 2011
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06/09/2011/TUE/二百五日目

一日、デスクワーク。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:787(±0)
終演まで:538(-1)
終演見込み日:2013年2月24日(±0)

Posted: 9月 6th, 2011
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05/09/2011/MON/二百四日目

インタビュー1本、打ち合わせ2本。

まずWebマガジン「Tokyo Art Navigation」のインタビューの中で、自分の活動の奇跡を話している際…。

「そのころ、心臓の鼓動のパフォーマンスをはじめたんですけど…」

地雷ワード「パフォーマンス」、パ裂。

その後、UPLINKでの展示のための打ち合わせ。倉持さんと現場で展示をイメージしながらゾーニングの検討をしている際…。

「うーん、ここに、パネルが来て…」

地雷ワード、「パネル」パ裂。

夜、福島県沖を震源に震度3。

ここまでの成績…。
積算上演日数:787(+2)
終演まで:539(+1)
終演見込み日:2013年2月24日(+2)

Posted: 9月 5th, 2011
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04/09/2011/SUN/二百三日目

実家で母と揃って「パ」ートナーにパーマとヘアカットをしてもらう。

早朝、埼玉県南部を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:785(±0)
終演まで:538(-1)
終演見込み日:2013年2月22日(±0)

Posted: 9月 4th, 2011
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03/09/2011/SAT/二百二日目

スタジオで作業。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:784(±0)
終演まで:538(-1)
終演見込み日:2013年2月21日(±0)

しかし「パ」日誌の更新が滞ったため(4/2)、上演期間を一日延長。
積算上演日数:785
終演まで:539
終演見込み日:2013年2月22日

Posted: 9月 3rd, 2011
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02/09/2011/FRI/二百一日目

芸大上野校地にて、10月にやる発電をテーマとした展覧会のための打ち合わせ。

昼、宮城県沖を震源に震度3。アラスカではM7.1の地震があったとのこと。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:784(±0)
終演まで:539(-1)
終演見込み日:2013年2月21日(±0)

Posted: 9月 2nd, 2011
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01/09/2011/THU/二百日目

関東大震災のあった日。

明け方まで仕事で起きていてふと窓の外を見ると、外の世界が信じられないような琥珀色の光で満ちていた。

昼、茨城県沖を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:784(±0)
終演まで:540(-1)
終演見込み日:2013年2月21日(±0)

Posted: 9月 1st, 2011
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31/08/2011/WED/百九十九日目

スタジオで作業。

未明、千葉県東沖を震源に震度3。夕方、千葉県北西部を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:777(±0)
終演まで:534(-1)
終演見込み日:2013年2月14日(±0)

しかしパ日誌の更新が滞ったので(3/24~30)、罰則として上演期間を7日間延長。
積算上演日数:784
終演まで:541
終演見込み日:2013年2月21日

Posted: 8月 31st, 2011
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30/08/2011/TUE/百九十八日目

三宿のCAPSULEで打ち合わせ。その後、渋谷で伊藤キムさんと打ち合わせ。

福島第一原発で作業にあたっていた40代の男性が急性白血病で死亡した。東京電力はこの件について「医師の診断によると作業と死亡の因果関係はない」と説明。

これから誰かが死んだり、健康被害が露になるたびに、僕らは「直接の因果関係は認められない」といったフレーズを嫌というほど聞かされるのだろう。

未明、茨城県沖を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:777(±0)
終演まで:535(-1)
終演見込み日:2013年2月14日(±0)

Posted: 8月 30th, 2011
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29/08/2011/MON/百九十七日目

2011年7月6日の「パ」日誌にぷりぷり君への私信を転載したが、ぷりぷり君が運営するオルタナティブスペース『浅草天才算数塾』を、実験的に電力自立させるという計画で、日照条件や風力条件、電力使用状況を確認するために小町谷君と天才算数塾を訪問した。

結論から言うと、隣に高いマンションが立っていて日陰になり、屋上の日照条件が良くない。頼みの綱であるソーラー発電に必要な太陽光はかなり限られるようである。補助的に風力発電の導入も考えていたが、風もあまりなく、自然エネルギー的観点からいうと厳しい環境であることが分かった。

ざっと消費電力を計算すると、消費電力自体はさほど多くない。日照条件がもう少し良ければ、クーラーを稼働させる夏場は別にして、他の季節なら電力自給は実現できそうな数字である。しかし隣のマンションが大きなネックになっている。

隣のマンションさえなければ…。まったくなんて邪魔なんだと、隣のマンションが憎くなってきた。

日当りの条件というのは、不動産の価値に影響を与える。日当りが悪いと洗濯物が乾かないとか、ジメジメしてカビが生えやすいといった生活のしにくさ、あるいは気分的にスカっとしない、という心理的な影響もあるだろう。そこへ太陽光発電の要素が加わると、さらに日当りの条件は数字に換算可能な生産性に直結し、その価値はずっと大きなものになってくる。

僕は小町谷君に言った。

僕:「これは太陽光がもっと家庭に広まったら、そこらじゅうで日当り問題が勃発するだろうね…」

地雷ワード、「勃発」、パ裂。

一通り天才算数塾の訪問を終え、夜、渋谷のUPLINK FACTORYヘ向かった。窪田研二さんがホストを勤めるトークショーで、イルコモンズ氏と僕がゲストで呼ばれ、どうせならばUPLINKにあるショーケース内とその周辺で、展示までやってしまおうという話になったので、その打ち合わせと、会場下見のためである。

アップリンクのスタッフ倉持さんと現場で打ち合わせ。電源の位置を確認したり、巻き尺で寸法を測ったり。ショーケース内の高さを測ったとき、思わず口が滑った。

僕:「こうやって見てみてると結構建端(たっぱ)あるね…」

地雷ワード、「建端」、パ裂。

一日で2回のパ裂は久しぶり。鹿児島県トカラ列島近海を震源に震度3。

ここまでの成績…。

積算上演日数:777(+2)
終演まで:536(+1)
終演見込み日:2013年2月14日(+2)

Posted: 8月 29th, 2011
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28/08/2011/SUN/百九十六日目

オフ。デスクワークを少しこなしてのんびり過ごす。

夕方、和歌山県北部を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:775(±0)
終演まで:535(-1)
終演見込み日:2013年2月12日(±0)

Posted: 8月 28th, 2011
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27/08/2011/SAT/百九十五日目

六本木スーパーデラックスでライブ。入れ替わり立ち代わりでセッション。ダモ鈴木さんがありえないほどマイペースだった。

BLACK SMOKER PRESENTS『BLACK XXX 』
出演 : ダモ鈴木, 中原昌也, 山川冬樹, 伊東篤宏, L?K?O, KILLER-BONG, BABA, JUBE, VIZZACASHMONEY, ROKAPENIS, KLEPTOMANIAC

昼、また茨城県北部を震源に震度3。午後、茨城県沖を震源に震度4。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:775(±0)
終演まで:536(-1)
終演見込み日:2013年2月12日(±0)

Posted: 8月 27th, 2011
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26/08/2011/FRI/百九十四日目

1日、スタジオで作業。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:775(±0)
終演まで:537(-1)
終演見込み日:2013年2月12日(±0)

Posted: 8月 26th, 2011
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25/08/2011/THU/百九十三日目

1日、スタジオで作業。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:775(±0)
終演まで:538(-1)
終演見込み日:2013年2月12日(±0)

Posted: 8月 25th, 2011
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24/08/2011/WED/百九十二日目

芸大上野で発電をテーマとした展覧会プロジェクトのため、打ち合わせ。

珍しく日本では震度3以上の地震は観測されなかった。しかしアメリカ東部バージニア州を震源にM5.8の地震が発生(現地時間23日13時51分)。この規模の地震はバージニア州内では114年ぶりとのこと。生まれた初めて地震を経験するアメリカ人も少なくなかったようである。この影響でノースアンナ原発の原子炉2基が自動停止。地球が揺れはじめている。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:775(±0)
終演まで:539(-1)
終演見込み日:2013年2月12日(±0)

Posted: 8月 24th, 2011
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23/08/2011/TUE/百九十一日目

スタジオで作業。

日付変わってすぐ未明、福島県沖を震源に震度3、朝、福島県浜通を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:775(±0)
終演まで:540(-1)
終演見込み日:2013年2月12日(±0)

Posted: 8月 23rd, 2011
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22/08/2011/MON/百九十日目

母が精神的に不安定なので実家へ話を聞きにいく。

未明、宮城県沖を震源に震度3。朝、福島県沖を震源に震度4、北海道十勝地方中部を震源に震度4。夕方、茨城県南部を震源に震度3。夜、茨城県沖を震源に震度3、福島県沖を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:775(±0)
終演まで:541(-1)
終演見込み日:2013年2月12日(±0)

Posted: 8月 22nd, 2011
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21/08/2011/SUN/百八十九日目

「パ」ートナーの友人の誘いで、バーベキューパーティーに参加するため「パ」ートナーとお台場へ。

駅を降りてパーティが行われるビアガーデンに向かう途中、日章旗を掲げる灰色の群衆に出くわした。デモ隊の掲げるプラカードから、すぐにそれがフジテレビの韓流路線に抗議するデモだと分かった。ビアガーデンのある方角へと進もうとするのだが、デモ隊に行く手を阻まれ、約束の時間に遅刻。

誰にでも路上で己の意見を主張する権利はある。しかしその主張がヘイトの感情からくるものであるとき、僕はそれを許容できない。あの震災で日本は本当に変わってしまった。

未明、南太平洋、バヌアツ共和国海域でM7.5の地震が観測された。日本では早朝、宮城県沖を震源に震度3。朝、宮城県沖を震源に震度4。夜、秋田県内陸南部を震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:774(±0)
終演まで:541(-1)
終演見込み日:2013年2月11日(±0)

しかし「パ」日誌の更新が滞ったので(3/18)、罰則として上演期間を一日延長。
積算上演日数:775(+1)
終演まで:542(+1)
終演見込み日:2013年2月12日(+1)

Posted: 8月 21st, 2011
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20/08/2011/SAT/百八十八日目

アトミックサイト展、最終日。
今日の『原「パ」ツお悩み相談室』は最終日ということもあり、枠を増やして9名の方の相談を受け付けた。

相談室で話を伺うときは、できる限りからっぽの心でまま向き合うよう努めている。もちろん話の内容も聞いているけれども、言葉も含めてその人の存在をまるごときいている、あるいはからっぽの自分をそのまま明け渡す、そんな感覚である。一人一人の切実な想いに真剣に向き合うには、やはり相当のエネルギーを要する。デモの「発するエネルギー」に対して、ここで消費されるのは「受けとるエネルギー」と言えばいいだろうか。

結局、4日間で20名の方と向き合った。風の強い日、蒸し暑い日、セミのうるさい日、雨がふる日、そのすべての日が放射能で満たされていた。その中で身体の振動をもって交した声と言葉の感触は忘れたくない。相談に訪れてくださった皆さんに感謝。鏡に向き合うようだった。

震度3以上の地震は観測されず。今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:764(±0)
終演まで:532(-1)
終演見込み日:2013年2月1日(±0)

しかし、日誌の更新が滞った(3月6日~16日)ので、罰則として上演期間を10日延長。
積算上演日数:774(+10)
終演まで:542(+10)
終演見込み日:2013年2月11日(+10)

Posted: 8月 20th, 2011
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19/08/2011/FRI/百八十七日目

アトミックサイト展にて、『原「パ」ツお悩み相談室』3日目。今日は4名の方が相談室を訪れた。

夕方、母と「パ」ートナーが展示を観にきてくれる。

深夜、日付変わってすぐに茨城県南部を震源に震度3。午前中、北海道根室半島南東沖を震源に震度3。午後、茨城県北部を震源に震度3、岩手県沖を震源に震度3、福島県沖を震源に震度5弱。今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:764(±0)
終演まで:533(-1)
終演見込み日:2013年2月1日(±0)

Posted: 8月 19th, 2011
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18/08/2011/THU/百八十六日目

アトミックサイト展にて、『原「パ」ツお悩み相談室』2日目。今日は4名の方が相談室を訪れた。

ある女性の相談を受けているうちに、震災以降の芸術の役割について、ヴィジョンが明確になってきた。
若い娘さんたちから、放射線の人体への影響について、「超直線仮説」という説があることを教わった。
かなりキャリアのあるアーティストの方もいらして、その姿勢や言葉に勇気づけられた。

「相談室」といいながら、むしろ僕の方が相談者の方々から多くを教えられている。原子力や放射線医学の専門家でもなく、カウンセリングのスキルもない、「ただのアーティスト」である僕は、相談者の悩みを受け止めることはできても、解決することなどできやしない。それでもみんな良い顔で帰ってくれるので、この相談室にもきっとそれなりの存在価値はあるのだろう。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:764(±0)
終演まで:534(-1)
終演見込み日:2013年2月1日(±0)

Posted: 8月 18th, 2011
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17/08/2011/WED/百八十五日目

午前中、北海道泊原「パ」ツ営業運転再開にあたり、「北海道知事室道政相談窓口」に電話。

僕:「あのー、僕、神奈川県民なんですが、泊原子力発電所を停めたいんです…」
担当者:「はぁ…。 神奈川県の方ですか…あのこちらは北海道の行政機関でして…」
僕:「でも泊で福島のような事故があったら、それは北海道だけの問題ではなく、日本全体の問題だと思うんです。だからこうして北海道へ電話をかけているんです」
担当者:「えぇ、おっしゃることは分かります。原子力安全対策課の方にお繋ぎすることはできますが、ただいま回線の方が非常に混み合っておりまして、繋がらない可能性が高いんです。それでも転送してみますか?」
僕:「はい、お願いします」
待てど暮らせど、北海道知事室道政相談窓口の担当者が言った通り、原子力安全対策課の回線はつながらず。相当数の抗議の電話が殺到しているようだ。諦めて電話を切り、北海道知事室道政相談窓口へかけ直し、自分の意見を文書という形で提出してもらうことにした。

午後、向島の現代美術製作所にて開催中の『アトミックサイト展』にて、『原「パ」ツお悩み相談室』一日目。本日は3名の方が相談室を訪れた。ちなみに『原「パ」ツお悩み相談室』の告知文は下記の通り。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼ 山川冬樹【原「パ」ツお悩み相談室】

原発や放射能からくる、お悩みや不安、怒りや悲しみ、また、誰にも言えず抱え込んでしまっている想いなどがありましたら、あなたの「お声」をお聞かせください。「声」の表現者である担当相談員(山川冬樹)が、あなたのご相談をお受けいたします。

※担当相談員は、原子力工学や放射線医学の専門家でもなければ、カウンセリングのスキルがあるわけでもなく、あくまで「ただのアーティスト」であることをご了承ください。

※いただいたご相談の内容は、原発問題改善と芸術文化振興のため、記録させていただく場合がございます。記録された音声は、後日、CDにて贈呈させていただきます。なお、記録を希望されない場合、申し出ていただければ、オフレコにてご相談を承ります。

※まことに勝手ながら、芸術活動上の事情により、担当相談員は「パ」という音節を口にすることができませんので、その点あらかじめご容赦願います。(この件についての詳細は、http://pa-nisshi.net/ をご覧ください)

※ご夫婦、カップルでのご相談も歓迎いたします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

現代美術製作所と隣の建物の間の隙間に建てられた小さな小屋の中、膝を付き合わせ、マンツーマンで相談者の方々の話をきく。震災以降、友人や同僚、家族とも共有されぬまま、個人の内側に閉じ込められてきた切実な声たちや、電子の文字としてネット上でつぶやかれることはあっても、声帯の震動として誰かに受け取られるチャンスを失っていた声たちが、沈黙を破って小さな小屋の中で解き放たれ、下町のサウンドスケープと混じり合って響くとき、僕はそこに最高にかけがえのない瞬間を発見した。その瞬間はほとんど音楽的ですらあった。

夜、茨城県北部を震源に震度3。今日は完封。
ここまでの成績…
積算上演日数:763(±0)
終演まで:534(-1)
終演見込み日:2013年1月31日(±0)

しかし「パ」日誌の更新が一日滞ったため(2/26)、上演期間を一日延長。
積算上演日数:764
終演まで:535
終演見込み日:2013年2月1日

Posted: 8月 17th, 2011
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16/08/2011/TUE/百八十四日目

東向島の現代美術研究所へ。
明日からアトミックサイト展内ではじめる『原「パ」ツお悩み相談室』のための準備等。

夜、茨城県北部を震源に震度3。
今日は完封。ここまでの成績…
積算上演日数:763(±0)
終演まで:535(-1)
終演見込み日:2013年1月31日(±0)

Posted: 8月 16th, 2011
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15/08/2011/MON/百八十三日目

終戦記念日。

昼、「パ」ートナーと家の周りを散歩する。
すると突然、民家の庭先に立っていた一本の針葉樹を指差して「パ」ートナーが叫んだ。

「パ」ートナー:「あ~っ!ぐりとぐらの木がある!!」

「パ」ートナーにとっての緑色の原点は『ぐりとぐら』の絵本に描かれた針葉樹の葉の色なのだとか。蒸しパンが大好物になったのも『ぐりとぐら』がきっかけなのだそうだ。惚れ惚れした表情で、『ぐりとぐら』に出てくる蒸しパンがいかに美味しそうだったかを語る「パ」ートナー。

僕も『ぐりとぐら』に出てくるその蒸しパンのことはよく憶えていた。ある日巨大なたまごを見つけたぐりとぐらは、それを巨大なフライパンで調理して蒸しパンをつくり、森の動物たちと一緒に食べる…というような物語だったと思う。絵本に出てきた、あのふかふかとした黄色い蒸しパンのことを想い出して僕はこう言った。

僕:「あぁ、よく憶えてるよ!あの蒸しパン、すごくおいしそうだったよね…」

地雷ワード、「蒸しパン」パ裂。「蒸しパン」でのパ裂は、2011年2月1日に続いて2回目。

今思うと『ぐりとぐら』に出てくるのは「蒸しパン」ではなく「パンケーキ」だったような気もするのだが…、どちらにしても地雷ワードであることには変わりない。

散歩から急いで家に帰り、USTREAMで『PROJECT FUKUSHIMA!』の配信を観る。
福島から届けられた電気、福島から届けられた放射能、そして福島から届けられた音楽。奇跡的な名演の数々に涙が止まらず。

昼すぎ、茨城県南部を震源に震度4。夜、福島県沖を震源に震度4。

ここまでの成績は下記の通り。
積算上演日数:761(+1)
終演まで:534(±0)
終演見込み日:2013年1月29日

しかし更新が滞ったため(2/19、20)、上演期間を二日延長。
積算上演日数:763
終演まで:536
終演見込み日:2013年1月31日

Posted: 8月 15th, 2011
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14/08/2011/SUN/百八十二日目

”姉”の命日。墓参りへ。

「さよならだけが人生ならば また来る春はなんだろう」
寺山修司 『幸福が遠すぎたら』

生前、寺山修司の舞台や映画にも出演していた”姉”が、最も影響を受けたのは寺山修司の世界、とりわけ初期の少女的世界だった。そのことを知る人は少ない。
”姉”が突然「さよなら」してしまったあの日から四年。月日が経つのは早くもあり、遅くもある。兎に角(”姉”はこう漢字で書く癖があった)、あの「さよなら」の後、ぼくの人生にも春が来た。胸いっぱいの感謝を込めて”姉”の名が刻まれた墓石を洗う。

いつも見守ってくれて本当にありがとう。あなたの教えてくれたことを大切にしながら、僕はこの世で自分に残された日々を精一杯生ききります。

夕方、茨城県北部を震源に震度4。福島県浜通りを震源に震度3。
今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:745(±0)
終演まで:519(-1)
終演見込み日:2013年1月13日(±0)

しかし日誌の更新が(1/31、2/2~2/15)滞ったので、罰則として上演期間を15日間延長。
積算上演日数:760
終演まで:534
終演見込み日:2013年1月28日

Posted: 8月 14th, 2011
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13/08/2011/SAT/百八十一日目

『アトミックサイト』展で作業。石川雷太さんに手伝っていただき、作品、『原「パ」ツお悩み相談室』のための小屋を制作。

珍しく震度3以上の地震はどこにもなかった。
今日は完封。

積算上演日数:745(±0)
終演まで:520(-1)
終演見込み日:2013年1月13日(±0)

Posted: 8月 13th, 2011
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12/08/2011/FRI/百八十日目

長谷川祐子さんの招きで、多摩美術大学芸術学科で特別講義。

最初に『「パ」日誌メント』のことを取り上げ、自分が「パ」という音節を発音することができないことを学生たちに断り、「パ」裂を避けながらレクチャーを進める。つまりレクチャーそのものがパフォーマンスの実演でもあるわけだ。

未明、福島県沖を震源に震度5弱。今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:744(±0)
終演まで:520(-1)
終演見込み日:2013年1月12日(±0)

しかし日誌の更新が滞ったので(1/24)、罰則により上演期間を1日延長。
積算上演日数:745
終演まで:521
終演見込み日:2013年1月13日

Posted: 8月 12th, 2011
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11/08/2011/THU/百七十九日目

現代美術製作所で『アトミックサイト』展がリニューアルオープン。ギャラリー閉館後、アトミックサイト展参加メンバーと歓談。東電・原発擁護ソングとして話題になっている槇原敬之氏の「Appreciation」という曲の話になった。曲の歌詞は以下の通り。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Appreciation作詞 作曲:  槇原敬之)


仕事場へ僕を毎日 運んでくれる電車を 動かしていたものを どうして僕は悪く言える?

夕飯の食卓を囲む 大好きな人の顔を 明るくてらしてくれたものを どうして悪く言えるんだろう?

こんな豊かな毎日を 今までくれてありがとうと 一番先に言うべきなのに まるで逆の事を言ってしまうんだ

失ったものは全て 当たり前に思って それがあることの喜びを 感じずにいたもの

このまま感謝できない 僕らのままでいたなら もっと多くを失う時が 来るのは確かだろう

人は自然を自分達の 都合で形を変えて 利用しているだけなのに 共存してると何故言える?

いろんなものの命をもらう 事でしか生きてはいけない そんな弱い生き物だなんて 見えないくらい我が物顔だ

壊れた原子炉よりも 手に負えないのはきっと 当たり前という気持ちに 汚染された僕らの心ほら「有り難う」も言えない

失ったものは全て 当たり前に思って それがあることの喜びを 感じずにいたもの

このまま感謝できない 僕らのままでいたなら もっと多くを失う時が 来るのは確かだろう

こんな僕らに毎日を 今までくれてありがとうと 言える心だけにしか 取り戻せないものがあるのだろう

失ったものは全て 当たり前に思って それがあることの喜びを 感じずにいたもの

このまま感謝できない 僕らのままでいたなら もっと多くを失う時が 来るだろう

それを望んでいないのはきっと 僕だけじゃないはずだ 君だって同じはずだ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

はっきり言うと、僕はこの曲が嫌いである。槇原氏は一体何に感謝せよというのか。僕は言った。

「あれはひどいプロパガンダですよ」

地雷ワード、「プロパガンダ」パ裂。

夜、宮城県沖を震源に震度4。

ここまでの成績

積算上演日数:744(+1)

終演まで:521(±0)

終演見込み日:2013112(+1)

Posted: 8月 11th, 2011
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10/08/2011/WED/百七十八日目

8月7日で一旦終わった『アトミックサイト』展のリニューアルのため、現代美術製作所にて設営作業。
1台だった『原子ギター 壱号機 Stratocaster-type』に『原子ギター 弐号機 Stratocaster-type Left Handed』が加わり、シンメトリーのツインギターになった。

未明、宮城県沖を震源に震度3。朝、和歌山県北部を震源に震度4。
17日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:739(±0)
終演まで:517(-1)
終演見込み日:2013年1月7日(±0)

しかし「パ」日誌の更新が滞ったので(1/18〜1/21)、罰則として上演期間を4日延長。
積算上演日数:743
終演まで:521
終演見込み日:2013年1月11日

Posted: 8月 10th, 2011
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09/08/2011/TUE/百七十七日目

長崎原爆忌。ロンドンでは暴動が発生。略奪、放火が起こり、1万6000人もの警官隊が動員されたとのこと。その後、バーミンガム、リバプール、ノッティンガム、ブリストルへと飛び火し、イギリス全国規模の暴動に発展。ロンドンはケンジントンの僕の生家はどうなっているだろうか、と心配になる。

アトリエで作業。昨日に引き続き、原子ギター弐号機を制作。

浦河沖を震源に震度3。
16日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:737(±0)
終演まで:516(-1)
終演見込み日:2013年1月5日(±0)

しかし「パ」日誌の更新が滞ったので(1/15〜1/16)、罰則として上演期間を2日延長。
積算上演日数:739(+2)
終演まで:518
終演見込み日:2013年1月7日

Posted: 8月 9th, 2011
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08/08/2011/MON/百七十六日目

アトリエで作業。原子ギター弐号機を制作。

夕方、福島県沖を震源に震度3。15日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:736(±0)
終演まで:516(-1)
終演見込み日:2013年1月4日(±0)

しかし日誌の更新が滞ったため(1/13)、上演期間を一日延長。
積算上演日数:737
終演まで:517
終演見込み日:2013年1月5日

Posted: 8月 8th, 2011
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07/08/2011/SUN/百七十五日目

現代美術製作所にて、ライブ・パフォーマンス『原發供養ノ夜』。出演は吉田アミ、山川冬樹、伊東篤宏、石川雷太、イルコモンズの5名。

ヒートアイランド東京の熱帯夜、クーラーのない会場は息が詰まるほど暑く、演る側にとっても、観る側にとっても拷問に近いイベントだったと思う。パフォーマンス中、滝のように汗が流れ、何度も意識が遠のいた。お客さんには氷が配られたが、熱中症で倒れる方がでなくて良かった。

この日のライブで着るために、ファッションブランドROMANTICLOVEが、MijAさん撮影の福島第一原発四号機をプリントしたTシャツをつくってくれた。パフォーマンスの途中でそのTシャツを脱ぎ捨てて、”「脱」原発”というわけだ。

自分の演奏はともかく、良いライブだったと思う。記憶に残る特別な時間だった。

昼、茨城で震度4、夜、福島で震度3。
十四日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:735(±0)
終演まで:516(-1)
終演見込み日:2013年1月3日(±0)

しかし日誌の更新が滞ったため(1/11)、上演期間を一日延長。
積算上演日数:736
終演まで:517
終演見込み日:2013年1月4日

Posted: 8月 7th, 2011
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06/08/2011/SAT/百七十四日目

広島原爆忌。
「アトミックサイト」展が行われている東向島の現代美術研究所にて、『原發供養ノ夜』のためのリハと仕込み。

昼、福島で震度3。夕方、茨城で震度3、千葉で震度3。

十三日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:734(±0)
終演まで:516(-1)
終演見込み日:2013年1月2日(±0)

しかし更新が1日滞った(1/9)ため、上演期間を1日延長。
積算上演日数:735
終演まで:517
終演見込み日:2013年1月3日

Posted: 8月 6th, 2011
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05/08/2011/FRI/百七十三日目

昨日に引き続きアトリエで伊藤キムさんとセッション。

十二日連続の完封。
未明に千葉で震度3、夜、岩手で震度3、福島で震度4。

ここまでの成績…
積算上演日数:733(±0)
終演まで:516(-1)
終演見込み日:2013年1月1日(±0)

しかし更新が1日滞った(1/7)ため、上演期間を1日延長。
積算上演日数:734
終演まで:517
終演見込み日:2013年1月2日

Posted: 8月 5th, 2011
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04/08/2011/THU/百七十二日目

僕のアトリエで伊藤キムさんとセッション的にリハーサル。

十二日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:733(±0)
終演まで:517(-1)
終演見込み日:2013年1月1日(±0)

Posted: 8月 4th, 2011
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03/08/2011/WED/百七十一日目

午前中、ヤマダ電機へ。自宅の冷蔵庫を買い替える。
午後、アトミックサイト展が行われている現代美術研究所へ、7日にやる「原發供養ノ夜」のための打ち合わせ。

十一日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:733(±0)
終演まで:518(-1)
終演見込み日:2013年1月1日(±0)

Posted: 8月 3rd, 2011
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02/08/2011/TUE/百七十日目

時差ボケ治らず。デスクワークをするも、昼に爆睡してしまう。
朝、福島で震度3、昼、また福島で震度3。
十日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:733(±0)
終演まで:519(-1)
終演見込み日:2013年1月1日(±0)

Posted: 8月 2nd, 2011
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01/08/2011/MON/百六十九日目

時差ボケがひどく、一日中ぼーっとしてしまう。

東京電力福島第一原子力発電所の、1号機と2号機の原子炉建屋の間にある屋外の排気筒付近で、1時間当たり1万ミリシーベルトを超える放射線量が計測されたとのこと。驚愕…。

未明、茨城沖を震源に震度3、浦河沖を震源に震度4。午後、宮城県沖で震度3。夜、岩手県沖を震源に震度4。日付変わってすぐに駿河湾を震源に震度5弱。

九日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:733(±0)
終演まで:520(-1)
終演見込み日:2013年1月1日(±0)

Posted: 8月 1st, 2011
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31/07/2011/SUN/百六十八日目

未明、福島で震度5強。夜、岩手で震度4。

時差ボケがひどい。ぼーっとした頭のまま、夕方はアトミックサイト展が行われている現代美術製作所へ。吉田アミさんとイルコモンズさんの対談だったのだが、流れで僕もトークに参加。

八日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:733(±0)
終演まで:521(-1)
終演見込み日:2013年1月1日(±0)

Posted: 7月 31st, 2011
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30/07/2011/SAT/百六十七日目

夜遅くに成田着。家までタクシーで帰る。

七日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:733(±0)
終演まで:522(-1)
終演見込み日:2013年1月1日(±0)

Posted: 7月 30th, 2011
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29/07/2011/FRI/百六十六日目

朝起きると熱は下がっていた。SOHO、UNION SQUAREで買い物をして、恩田さん、真樹子さんに別れを告げ、JFK空港へ。日本へ発つ。

六日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:733(±0)
終演まで:523(-1)
終演見込み日:2013年1月1日(±0)

Posted: 7月 29th, 2011
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28/07/2011/THU/百六十五日目

熱がひどくなり、一日中寝て過ごす。夜は恩田さん宅に友人たちが集まってきてホームパーティーが開かれた。ハワイで熱のある病人に巻くという、解熱作用のある葉、ティーリーフを額に巻いて、僕もホームパーティーに加わった。

五日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:733(±0)
終演まで:524(-1)
終演見込み日:2013年1月1日(±0)

Posted: 7月 28th, 2011
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27/07/2011/WED/百六十四日目

午前中から発熱。どうやらだるさは好転反応ではなく、風邪だったようだ。だるい身体を圧して、メトロポリタン美術館へAlexander McQueen展を観に行くも、異常なほどの入館待ちの行列で断念。イーストヴィレッジを少し散策後、早々に恩田さん宅へ帰って身体を休める。

近くの宝石店に強盗が入り、店員が銃殺されたとのこと。ニューヨークは僕が住んでいた80年代から比べて随分治安が改善されたと思っていたのだが。

四日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:733(±0)
終演まで:525(-1)
終演見込み日:2013年1月1日(±0)

Posted: 7月 27th, 2011
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26/07/2011/TUE/百六十三日目

SOHOで「パ」ートナーの買い物につきあう。その後、五番街にスタジオを構える気功師、Master Leeのもとへ。身体のチューニング。その好転反応だろうか、夜になると急に身体がだるくなってきて早めに床へ。

三日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:733(±0)
終演まで:526(-1)
終演見込み日:2013年1月1日(±0)

Posted: 7月 26th, 2011
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25/07/2011/MON/百六十二日目

朝、セントラルパークを散歩後、ブルックリンへ。
今回は『金閣寺』の公演が終わった後も、滞在を4日間延長してニューヨークに滞在することにした。しばらく「パ」ートナーと二人でブルックリンの恩田晃さんの家にお世話になる。

二日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:733(±0)
終演まで:527(-1)
終演見込み日:2013年1月1日(±0)

Posted: 7月 25th, 2011
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24/07/2011/SUN/百六十一日目

『金閣寺』ニューヨーク公演終了。終演後キャストの皆さんと軽く打ち上げ。

夜は恩田晃さん、晃さんの「パ」ートナーの真樹子さん、僕、「パ」ートナーの4人で食事。僕はAUDIO SPORTSのころから晃さんの大ファンなのだが、実は僕と「パ」ートナーの間のキューピッド役を務めたのも晃さんだった。久しぶりに晃さんと真樹子さんに再会できて嬉しい。

日本ではアナログ放送が終了。昭和のテレビ史に生きた父を持つ者としては、日本で放送終了の瞬間に立ち会えなかったのが心残り。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:733(±0)
終演まで:528(-1)
終演見込み日:2013年1月1日(±0)

Posted: 7月 24th, 2011
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23/07/2011/SAT/百六十日目

朝の飛行機で「パ」ートナーが日本から到着。JFK空港へ出迎えにいき、ホテルに送った後、僕は劇場入り。『金閣寺』ニューヨーク公演3日目。

本番を終えて、劇場を出ようとエレベーターに乗ると、劇場スタッフと乗り合わせた。こんなとき人はエレベーターという密室の中で、無言の空気を避けるためささやかな話のネタを探すものである。彼は僕がはいていたNUMBER (N)INEのズボンをみつけて言った。

劇場スタッフ:”Hey, nice pants…”
僕:”Thanks”

おっときた「pants」は要注意である。この単語を発音する場合は、郷ひろみ系フィルターで”ペァーンツ”だな…。それか「trousers」という単語を使うか…。そんなことを脳内で考えている間も会話は続いていく…。

劇場スタッフ:”Where are you staying?”
僕:”er…”

ホテルの名前は何だったか…。しばらく考え込んで、すぐに思い出した。

僕:”Ah! Le Parker Meridian!”

地雷ワード、「Le Parker Meridian」パ裂。

「Le Parker Meridian」とは僕の宿泊しているホテルの名前である。この場合はラテン男系フィルターを効かせ、巻き舌ぎみに”ル ペルカル メリィーディアン”と発音すべきだった…。ここは部屋からセントラルパークを一望できて、とても良いホテルなのだが、名前だけは何とかならないものか。

ここまでの成績…
積算上演日数:733(+1)
終演まで:529(±0)
終演見込み日:2013年1月1日(+1)

そしてついに上演期間が2013年ゾーンへ突入…である。

Posted: 7月 23rd, 2011
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22/07/2011/FRI/百五十九日目

『金閣寺』ニューヨーク公演2日目。
ホテルを出るとうだるような暑さ。米国観測史上、二番目の猛暑とのことである。

本番直前、舞台袖で現地スタッフと歓談中、やはり出てしまった。地雷ワード「Japan」。郷ひろみ系フィルターを効かせて”ジャペーァン”と訛らせ損なったためアウト。

ここまでの成績…
積算上演日数:703(+1)
終演まで:500(±0)
終演見込み日:2012年12月2日(+1)

しかし日誌の更新が29日間(12/4~1/1)滞ったので、上演期間を延長。
積算上演日数:732
終演まで:529
終演見込み日:2012年12月31日

この時点で2012年もこの「パ」フォーマンスを上演することが決定。事実上、”聴くことのできない、一年間のヴォイス・「パ」フォーマンス”が、”聴くことのできない、二年間のヴォイス・「パ」フォーマンス”になったことになる。

Posted: 7月 22nd, 2011
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21/07/2011/THU/百五十八日目

『金閣寺』ニューヨーク公演初日。日本から海を超えてはるばる観にきたお客さんも少なからずいたようだ。本番では初っ端からキャストの一人がセットから飛び降りの着地に失敗、頭を強打するアクシデントがあり、本番続行不能かとヒヤリとしたが、何とかやり通すことができた。

終演後はレセプションパーティー。そう「party」も頻出地雷ワードだ。気をつけねば…。郷ひろみをイメージし、歓談中も「ペァリィー」と発音するよう勤める。その後、キャスト、スタッフで二次会に流れたが、二次会のバーの前に寝泊まりしているホームレスと酒の勢いもあってか意気投合。名前はブラッドリーというらしい。すると「Do you Know Iron Maden?!」と聞いてくるので、指でサタニック・サイン(まことちゃんのグワシに似てるアレ)をつくりながら「Yes! of course!!!!」と答える。そして二人で肩を組みながらアイアン・メイデンの「Aces high」を熱唱。ほとんど歌詞を忘れていたが、幸いにしてこの曲の歌詞には【pʌ】も、【pə】も、【pæ】も、【pa】も含まれていなかった。したがって今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:702(±0)
終演まで:500(-1)
終演見込み日:2012年12月1日(±0)

Posted: 7月 21st, 2011
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20/07/2011/WED/百五十七日目

早朝、目が覚めて薄暗いうちにセントラルパークへ散歩に出かけた。ニューヨークについてから、まだ誰とも英語で会話していない。外国へ来たとき、僕にとって切実な問題となってくるのは、やはり「パ」のことである。

「パ」日誌メントを初めてかれこれ7ヶ月半になるが、だいぶ脳が鍛えられたのか、日本語を話すときはかなりの確率で「パ」裂を避けられるようになってきた。しかし英語での会話は日本語での会話よりも「パ」が出現する頻度──すなわち地雷の数──がずっと多くなる。果たして上手く「パ」を避けながら、英語圏できちんとしたコミュニケーションをとれるのだろうか?例えば「What did you do this morning?」と聞かれても、「I took a walk in Central Park」と答えられず、「Where are you from?」と聞かれても、「Japan」と自分の母国名すら口にすることができない。また「On which stage are you appearing?」と聞かれても「The temple of the golden pavillion」と自分の出演する舞台名を言うこともできない。

もう一つ問題になってくるのが、英語には【pʌ】、【pə】、【pæ】、【pa】など、日本語の【パ】という音にあたる発音が何種類もあるということだ。この厄介な「パ」フォーマンスのタイトル『「パ」日誌メント』は、英語の「punishment」という単語をもじって命名した訳だが、綴り的には「pu」で始まり、発音は【pʌ’niʃmənt】。「Japan【ʤəpæ’n】」の【pæ】や、「performance【pərfɔ’ːrməns】」よりは日本語の【パ】に近く聴こえるが、それでも【パ】≠【pʌ】である。また「お父さん」、つまりは「パパ」を意味する「papa」の発音は、面倒なことに、一つ目の【パ】と二つ目の【パ】の音が微妙に違うらしく、【pa’pə】もしくは【pə’pa】らしいのだ。

そこで一つのルールを設けることにした。ある英単語を日本語の外来語として輸入した場合に「パ」が含まれてくる場合は、【pʌ】も、【pə】も、【pæ】も、【pa】も、口にしたらすべてアウト。つまり「punishiment【pʌ’niʃmənt】」も、「Japan【ʤəpæ’n】」も、「papa【pə’pa】」も、「power【pa’uər】」もすべてアウトである。これは『「パ」日誌メント』終了まで(まったくいつのことやら分からないが…)一貫したルールとしたい。

そうと決まれば、やはりここは戦略として、積極的に「訛り」を活用しよう。日本語を話すときは「パ」の音節を「ピャ」と幼児風に訛らせることで「パ」裂を避けてきた訳だが、英語圏に特化した「訛り」の法則を考えてみる…。「Japan」は郷ひろみ風に「ジャペーァン!」、「Performance」はラテン男風に「ペルフォーマンス!」、「Power」はB-Boy風に「ポァワー!」、「papa」面倒なので「daddy」に言い換えて、「punishiment」はシャイな日本人風に、お茶を濁すような感じで「プニッシュメント」と発音しよう。その都度その訛らせ方に見合ったステレオタイプな人物像をイメージし、それを身体感覚として手がかりにしながら、【pʌ】、【pə】、【pæ】、【pa】を巧みに避けていくという戦略である。果たして上手く行くだろうか。

だんだんと辺りが明るくなってきた。セントラルパークを後にし、タイムズスクエアまで散歩の足を延ばした後、ホテルに戻りシャワーを浴びて、午後は劇場入り、場当たり稽古。劇場に入ったらほとんどが日本人スタッフなので、結局今日一日、英語らしい英語は「Hello」、「thanks」くらいしか言わず完封。

ここまでの成績:
積算上演日数:699(±0)
終演まで:498(-1)
終演見込み日:2012年11月29日(±0)

しかし「パ」日誌の更新が滞ったので(11/29〜12/1)、上演期間を3日間延長。
積算上演日数:702
終演まで:501
終演見込み日:2012年12月1日
(※通常なら3日延長した場合は12月2日になりますが、2012年が閏年だと気づいたので、この時点で調整します)

Posted: 7月 20th, 2011
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19/07/2011/TUE/百五十六日目

リムジンンバスで成田空港へ向かう。しかし何故か僕は無性に日本を離れたくなかった。

3月16日付けの日誌に書いたが、実は震災直後にはパリ公演が決まっていたのだった。しかし僕は日本に留まることを決意し、渡仏をキャンセルした。だから3月11日以降に日本を離れるのは、今回の舞台『金閣寺』ニューヨーク公演のための渡米がはじめてということになる。

バスの中でカメラの充電器を家に置いてきてしまったことに気がついたのだが、それと一緒に自分の魂も置いてきてしまったような、そんな気持ちだった。自分の留守の間にまた日本で大きな惨事が起こるのではないかという危惧からか…、あるいはずたずたに傷ついた故郷に寄り添っていたかったからなのか…、何故こんなにも後ろ髪を引かれるのか自分でもよく分からなかった。とにかく国外へとぐんぐん向かう僕の身体と、逆に日本を離れようとしない僕の心との両者が、成田へ向かうバスの中でズレいくのだった。そんな風に身体と心がズレてしまった時は、味のある食べ物を食べるに限る。成田空港に着くなり、僕はレストランフロアのそば屋へ駆け込んで、ざるそばを注文。めんつゆの味を舌が知覚し、僕の心がそれを味わいはじめると、やっと身体のもとへ魂がもどってきてくれた。

そしてチェックインカウンターでキャストやスタッフの方々と合流。飛行機に搭乗。ニューヨークへ。現地時間で19日のうちにニューヨークに到着。ほとんどホテルで寝て一日過ごす。

今日は完封。

ここまでの成績:
積算上演日数:699(±0)
終演まで:499(-1)
終演見込み日:2012年11月29日(±0)

Posted: 7月 19th, 2011
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18/07/2011/MON/百五十五日目

早朝にCLUB ASIAから帰宅し、仮眠をとってすぐに東向島の現代美術製作所へ。『アトミックサイト』展が今日からスタート。『アトミックサイト』展とは、日本全国に点在する「原子力発電PR施設」に対抗し、「ファンタジーとしての原発安全神話」(ニューヨークタイムズ) を脱神話化/脱構築する、架空の「反/脱原子力PR施設」をつくる、というコンセプトのもとに作られた展覧会である。監修者イルコモンズを筆頭に、石川雷太、伊東篤宏、ユリア・レーザ&クラリッサ・ザイデル、中村友紀、吉田アミ、MijA、=3=3=3(プププ)、そして僕の8組のアーティストが参加。

僕は次の3点を展示した。放射能を検出すると自動的に弦が震動し演奏されるエレキギター、『原子ギター 初号機 Storatocaster-type』、東京電力から株主である僕の母へ送られてきた郵便物を額に収めた『母宛の郵便物』、そして実家にあった祖父の形見を展示した『祖父の形見 原爆茶碗と原爆壷』。

クーラーのないアトミックサイト展の展示空間は、展示物がごった返し、混沌とした熱気に満ちていた。昼すぎになると、群馬からはるばるMijAさんが友人を連れて観に来てくれた。MijAさんは福島第一原発付近で人命捜索にあたった陸自隊員で、今回は4号機間近で撮った写真を提供してくれている。

午後、家に戻り、車を車検に出して、家に帰ると急いで旅の準備。明日から舞台『金閣寺』NY公演のためアメリカへ。海外へ出る前はいつも慌ただしい。

今日は完封。

ここまでの成績:
積算上演日数:699(±0)
終演まで:500(-1)
終演見込み日:2012年11月29日(±0)

Posted: 7月 18th, 2011
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17/07/2011/SUN/百五十四日目

昼、東向島で「アトミックサイト」展の展示準備。

今回出展するメインの作品は、エレキギターとアナログガイガーカウンターを合体させてつくった『原子ギター』である。これは電気を象徴する楽器であるエレキギターが、東京電力の作る電気によって活力を与えられながら、その東京電力のまき散らした放射性物質を検出すると自ら弦を震動させ、見えない放射能を音楽として顕在化させるというインスタレーションだ。放射線量が高ければ早いテンポの演奏になり、逆に低ければ演奏のテンポは遅くなる。ギャラリーのある東向島の空気を放射線源とした場合も『原子ギター』は反応し、ゆっくりとした演奏になるのだが、今回はより激しい演奏を求め、放射線源として東京芸大取手キャンパスの側溝から採取した土を使うことにした。

茨城県取手市や守谷市、千葉県柏市、松戸市といった首都圏北東部エリアはホットスポットとなっていて、僕の勤務地である東京芸大取手キャンパスの側溝から採取した土は2μ~3μSv/h。『原子ギター』を鳴らすに十分な放射性物質を含んでいる。展示の際は、汚染土をステンレス製の皿に乗せて上からラップをかけ、そこへ『原子ギター』のガイガーミューラー管をかざす形でセットするのだが、ジップロックに密閉して保管しておいた汚染土をステンレス皿に移す作業は、埃とともに放射性物質が舞うのでやはり気を使う。

僕はマスクをして密閉された汚染土とステンレス皿をもってギャラリーに面した通りに出た。しゃがんで恐る恐るジップロックを開けてみると、乾いた土埃が舞うのが微かに見えた。それをマスク越しに吸わないように、少しずつ後ずさりしながら、乾いた土をステンレス皿の上へさらさらと流し込む。ふと気づくと通りがかりの女子高生が僕の一連の作業の様子を数メートル先から伺っていた。その表情から明らかに僕に怯えているのが分かった。怖くないよ、と軽く微笑みかけてみたものの、マスクをしているので伝わる由もない。すると突然、女子高生は走り出し、一目散に逃げていった。

無理もないだろう。放射能マークを大きく配したポスターが掲げられた建物の前で、マスクをした男が怪しげな土を袋から金属の皿に移している光景は異様に見えるはずである。しかしそれがどんなに異様に見えたとしても、あの原「パ」ツ事故以降、物々しい放射能マークも、マスクをすることも、放射能に汚染された土も、僕らの生活の一部と化したことは否定しようのない事実である。

そして深夜は、CLUB ASIAで開催されたフェス「KAIKOO」にTHE LEFTY+伊東篤宏氏+僕のカルテットで出演。この日のライブは後日ライブ盤としてリリースされる。

朝、福島で震度3。今日は完封。

ここまでの成績:
積算上演日数:643(±0)
終演まで:445(-1)
終演見込み日:2012年10月4日(±0)

しかしパ日誌の更新が滞ったため(10/1~11/25)、罰則として上演日数を56日間延長。したがって現時点での成績は下記の通り。
積算上演日数:699
終演まで:501
終演見込み日:2012年11月29日

Posted: 7月 17th, 2011
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16/07/2011/SAT/百五十三日目

早朝、茨城県北部で震度3。夜、茨城県南部で震度5弱。

東向島の現代美術製作所で「アトミックサイト」展のための仕込み。

十一日連続の完封。

ここまでの成績:
積算上演日数:623(±0)
終演まで:426(-1)
終演見込み日:2012年9月14日(±0)

しかし「パ」日誌の更新が滞ったので(9/10~9/29)、罰則として上演期間を20日間延長。結果は下記の通り。
積算上演日数:643
終演まで:446
終演見込み日:2012年10月4日

Posted: 7月 16th, 2011
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15/07/2011/FRI/百五十二日目

福島、宮城で震度3。

舞台『金閣寺』ニューヨーク公演へ向けての稽古最終日。

稽古終了後は、アトリエへ。「アトミックサイト」展にむけて作業。

十日連続の完封。

ここまでの成績:
積算上演日数:623(±0)
終演まで:427(-1)
終演見込み日:2012年9月14日(±0)

Posted: 7月 15th, 2011
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14/07/2011/THU/百五十一日目

宮城県で震度3。

森下の明治座の稽古場で、舞台『金閣寺』NY公演へ向けての記者会見が行われた。僕は”GENPATSU NASHI DE CRASS” と書かれたTシャツを着て参加。

記者会見の中で、僕が他の共演者の方々の発言を聞いていて意外に思ったのは、皆、ニューヨークへ「行く」ことへの思い入れがとても強かったということだ。スポーツ新聞の芸能欄でも『金閣寺』がニューヨークへ「行く」ことが大きく取り上げられている。いや、確かに『金閣寺』の出演者やスタッフは飛行機に乗ってニューヨークへ「行く」のだが、それはあくまで物理的な話であって、重要なのはそういった物理的な場所ではなく、作品の上演によって出現する場所の方であり、そういった場所というのは、物理的な場所とは無関係に出現するものである。だから本番がはじまってしまえば、ニューヨークの劇場だろうと、日本の地方の劇場だろうと、何も変わらないというのが僕の感覚である。劇場の中の空間というのは、物理的にその建物の外にある時間や空間とは切り離されている。そして世界中すべての劇場の空間というのは繋がっていて、大きな一つの内部空間を構成しているんじゃないかと思うことがある。何十回も同じ作品に出演していると、この内部空間に何度も帰っきているような感覚があるものだ。つまりニューヨークで『金閣寺』が上演されたとしても、僕がニューヨークへ「行く」のはなくて、いつもの場所へニューヨークから観客が「来る」という方が、僕にはしっくり来るのだった。

記者会見では、このようなことを、もう少しくだけた感じで話したのだったが、記者の多くは僕の話など興味がなさそうだった。

記者会見終了後は稽古。稽古を終えてアトリエに向い「アトミックサイト」展にむけて作業。

九日連続の完封。

ここまでの成績:
積算上演日数:623(±0)
終演まで:428(-1)
終演見込み日:2012年9月14日(±0)

Posted: 7月 14th, 2011
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13/07/2011/WED/百五十日目

日付変わってすぐに宮城県で震度4。早朝になって福島県で震度4。

アトリエで作業。

夜は大久保のNAKED LOFTで、大友良英さん、田口ランディさん、飴屋法水さんによるイベント『Dialogue Fukushima』へ。

八日連続の完封。

ここまでの成績:
積算上演日数:623(±0)
終演まで:429(-1)
終演見込み日:2012年9月14日(±0)

Posted: 7月 13th, 2011
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12/07/2011/TUE/百四十九日目

宮城県で震度4。芸大で授業。

授業終了後は、大学から少し足をのばし、守谷駅周辺の公園や路上をアナログ・ガイガーカウンターで測ってまわる。特に国道294号線沿いの土が高くて驚いた。慣れてくるとガイガーカンターがなくとも、地形をみただけで放射線量の高い場所がわかるようになってくる。雨水が流れ着く場所に溜まって乾いた土というのは、例外なく放射線量が高いのだ。こうした土が土埃となって空間を舞い、その周辺の空間線量を上げる。守谷ではとりあえず6キログラムほどの土を採取。道ばたで土を採取している僕のすぐ脇を、子供を連れの親たちが通り過ぎていく。思わず親をつかまえて、子たちにすぐマスクをさせた方がよい、と言いたくなったが言えなかった。

七日連続の完封。

ここまでの成績:
積算上演日数:623(±0)
終演まで:430(-1)
終演見込み日:2012年9月14日(±0)

Posted: 7月 12th, 2011
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11/07/2011/MON/百四十八日目

午前、福島県浜通りで震度4。午後、岩手県で震度4。
森下で舞台『金閣寺』NY公演のための稽古。

六日連続の完封。

ここまでの成績:
積算上演日数:623(±0)
終演まで:431(-1)
終演見込み日:2012年9月14日(±0)

Posted: 7月 11th, 2011
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10/07/2011/SUN/百四十七日目

朝、三陸沖を震源に最大震度4。
『金閣寺』稽古が予定されていたが、急に休みに。
昼は空に鎮座する雲の存在感に圧倒され、そして夜は、月光があまりに眩しくて夜道に自分の影が見えていた。ツイッターでも、たくさんの人が雲と月についてつぶやいていた。

五日連続の完封。

ここまでの成績:
積算上演日数:623(±0)
終演まで:432(-1)
終演見込み日:2012年9月14日(±0)

Posted: 7月 10th, 2011
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09/07/2011/SAT/百四十六日目

森下で舞台『金閣寺』の稽古。

その後、東向島の現代美術製作所へ。7月15日から開催される『アトミックサイト展』の会場へ。

南相馬市では93歳のおばあさんが、原「パ」ツ事故を苦に自殺。以下、遺書の原文。

・・・・・・・・・・
このたび3月11日のじしんとつなみでたいへんなのに 原発事故でちかくの人達がひなんめいれいで 3月18日家のかぞくも群馬の方につれてゆかれました 私は相馬市の娘○○(名前)いるので3月17日にひなんさせられました たいちょうくずし入院させられてけんこうになり2ケ月位せわになり 5月3日家に帰った ひとりで一ケ月位いた 毎日テレビで原発のニュースみてるといつよくなるかわからないやうだ またひなんするやうになったら老人はあしでまといになるから 家の家ぞくは6月6日に帰ってきましたので私も安心しました 毎日原発のことばかりでいきたここちしません こうするよりしかたありません さようなら 私はお墓にひなんします ごめんなさい
・・・・・・・・・・

四日連続の完封。

ここまでの成績:
積算上演日数:623(±0)
終演まで:433(-1)
終演見込み日:2012年9月14日(±0)

Posted: 7月 9th, 2011
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08/07/2011/FRI/百四十五日目

岩手県で震度3。

神保町の美術出版社内にあるBTギャラリーへ。DJぷりぷり君の個展。
その後、放射能で自動演奏されるギターをつくるため、部品買い出しに秋葉原へ。
夜はポールダンスで発電するダンサー、メガネさんが出演するというので、ファッションブランドkitsonのパーティーへ。

三日連続の完封。

ここまでの成績:
積算上演日数:623(±0)
終演まで:434(-1)
終演見込み日:2012年9月14日(±0)

Posted: 7月 8th, 2011
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07/07/2011/THU/百四十四目

茨城県で震度3。
森下の稽古場で舞台『金閣寺』NY公演のための稽古。

昨日のニュースになるが、経済産業庁は、すべての電源が失われるなど深刻な事態に対してどこまで原発の安全性が保たれるのかを確認する「ストレステスト」と呼ばれる安全評価をすべての原発で実施すると発表。これを受けて、運転再開目前だった玄海原「パ」ツ2号機、3号機の再開の判断が先送りされることとなった。

さらに東京電力は緊急時の被曝量の上限250ミリシーベルトを超えた可能性があるとしていた作業員9名のうち、3人が上限を超えていたと発表。被ばく量は、それぞれ475ミリシーベルト、359ミリシーベルト、308ミリシーベルト。3人はいずれも年齢が20代とのこと。これで上限超えが確実になった作業員は計6名となる。

二日連続の完封。

ここまでの成績:
積算上演日数:623(±0)
終演まで:435(-1)
終演見込み日:2012年9月14日(±0)

Posted: 7月 7th, 2011
Categories: パ日誌
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06/07/2011/WED/百四十三日目

以下、本日浅草橋にあるオルタナティブスペース『浅草天才算数塾』を運営するDJぷりぷり君に送った私信。

・・・・・・・・・・
From: 山川 冬樹
Sent: Wednesday, July 06, 2011 11:36 AM
To: DJ.puripuri

Subject: 企画の提案

ぷりぷり君 aka 金太郎

こんにちは山川です。
この間は発電部の集まりに場所を提供してくれてありがとう。小町谷君の授業の展示も算数塾でやるそうですね。

ところで、企画の提案があります。長期的かつ、算数塾の運営の根本に関わる内容なので、ぷりぷり君の意見をききたく思います。

先日の発電サロンを受けて色々考えました。あの時はいろいろなアイディアが出て非常によかったのですが、「発電」というテーマを掲げていると、つい、どうやって電気をつくるかという、電子工作的な手法の面白さだけにとらわれてしまいがちになりますね。しかし僕は発電した電気が誰にどう消費されるのか、作られた電力が何に生まれ変わるのか、そこが非常に重要だと思うんですね。

そこで提案です。「天才算数塾電力独立プロジェクト」。

天才算数塾を東京電力から独立させ、自家発電で作った電気で運営するという、壮大なアイディアです。具体的には、太陽光発電、風力発電、人力発電、その他の発電機を設置し、電力において完全に自給自足の運営を実現する。自分たちの、自分たちによる、自分たちのための電気で、自分たちの、自分たちによる、自分たちのための文化をつくっていく、という夢のある話です。

面積や日照時間、風の状況など詳しく測定し、消費電力と照らし合わせる必要がありますが、小町谷君との話では、自力で作れば30万~40万円くらいあればできるのでは?と見込んでいます。インディペンデントであることを何より大切にしたいので、資金はメセナ等の助成を一切頼ることなく、算数塾で発電関連のイベントや、ワークショップをやってその収益を少しずつ整備費用にあてていくと。改めて法的なことは細かく確認しますが、電気事業法にはうまくひっかからずにできるはず。

2,500円のイベントで30人集まったとして、75,000円の収益。うち、25,000円を出演者のギャラや経費に宛てると50,000円の純益があるので、単純計算で8回くらいやればなんとかなるのではと。独立までの道のりは、ワークインプログレスでネットなどで公開できればと思います。プロジェクトの成長の過程も一つの作品として観られるようにできたらと思います。

安定供給のためには、太陽光、風力が主要な発電方法になるかと思いますが、アート・プロジェクトですから、多少有用性に欠けても、アイディアとして面白い発電も欲しいと思っています。例えば…

・算数塾のトイレでとれた糞尿や、台所で出た生ゴミでバイオマス発電。
・電気ウナギ(♀)を飼育。「でんこちゃん」と名前をつけて算数塾のマスコットとして発電してもらう。
・都市に無駄に散在しているエネルギーを採取(盗用?)し、蓄電して運用。
・ぷりぷり君が発電自転車で日夜発電し、ダイエットしていく。
・バケツ水50杯分を屋上のタンクに入れた人は、イベント無料。上げた水で揚水発電。
・ガチで温泉を掘って地熱発電。
・畳の下に圧電素子を入れて、畳発電。
…とか。

以上、ざっとアイディアの概要です。

これは運営の根本に関わる問題ですし、多分に実験的な企画です。現在の状態よりも、電力供給の安定性は損なわれるでしょう。でも、こうした無茶ができそうな所というと、天才算数塾しかないのです。

僕が今後重要になってくると思うのは、DIYの精神をもって自分で「つくること」です。お金と交換することで簡単に手に入るものを、敢えて手間ひまかけて自分で「つくる」こと。いざダイナモを回して自分の手で発電してみると、苦労してもほんのわずかな電力しかつくれないことを思い知ります。しかし、この「苦労」=「体感的コスト」に価値を見いだしていくことが大切だと思うのです。

例えばスーパーに行けばすぐに数十円でトマトやキュウリを買う事ができるわけですが、敢えてそれを手間ひまかけて自分でベランダで栽培してみる。そしてやっとできた野菜を自分で食べてみる。自分の手でつくった野菜を食べるときの、あの格別な味わいのようなものが、とても重要なのではないかと思うのです。わざわざ野菜を手間ひまかけて育てるような、「体感的コスト」を払うことが、苦労を超えて喜びとなり、その喜びが生きる上で必要不可欠なものとなったとき、僕らはインディペンデントになれるのではないか、さらに言えば、あの事故を引き起こしたシステムから自由になれるのではないか、と思うのです。

たとえ効率性に欠け、採算が合わなくとも、「つくること」の苦労をいとわず、それを喜べるのはアーティストくらいなものでしょう。ですから、発電もアートを志す者から自然発生的にはじまって然るべきだと思います。そのために、必要になってくるのが「場」です。野菜で例えるなら「畑」です。つまり例えるなら、これは天才算数塾を「電気の畑」にしませんか?という提案です。

どうでしょうか。考えてみてもらえれば幸いです!こんどこの件で、打ち合わせできれば。。。

ではでは!

やまかわ

・・・・・・・・・・

そして今日は完封。

ここまでの成績:
積算上演日数:623(±0)
終演まで:436(-1)
終演見込み日:2012年9月14日(±0)

Posted: 7月 6th, 2011
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05/07/2011/TUE/百四十二目

芸大で授業。

授業を終えた後は、芸大取手キャンパス敷地内をアナログ・ガイガーカウンターを片手に土壌の汚染度合いを測ってまわる。排水溝の脇に溜まった土にガイガーミューラー管をかざすと、ガイガーカウンターがけたたましく反応した。だいたい2~3μSv/hはあろうか。土埃が宙を舞わないよう、細心の注意を払いながら、汚染された土をスコップですくい、ジップロックに封じ込める。大学敷地内は隈無く測定し、特に汚染された土は採取し尽くしたため、これで大学構内はだいぶ「除染」されたはずである。

夜は、木幡先生の研究室でパーティーがあるとのことで、少しだけ顔を出した。先端芸術表現科のOBやかつてお世話になった助手さんも集い、なかなか楽しい会だった。そしてやはり、ここでも話題にあがるのはエネルギー問題だ。

先日発足した「発電部」について話したところ、周りからもいろいろな発電のアイディアが出て来た。そんな中での僕の発言…。

「マイクロ揚水発電器をつくってさ、バケツで50杯水を屋上にあげて一階に落としたらどれくらいの電力つくれるかな?」

地雷ワード、「50杯」、パ裂。「ごじゅっはい」と言えばよかったのだが、しくじった…。

そしてあるOB曰く、地震でインフラが全部死んでも、プロパンガスというのは結構強いのだという。それに対して…。

「あぁ、確かにプロパンで発電っていう可能性もあるよね、でも日常的に使うには高くつきそうだな」

地雷ワード、「プロパン」、パ裂。

尚、今日は和歌山で震度5強の地震があった。

ここまでの成績:
積算上演日数:623(+2)
終演まで:437(+1)
終演見込み日:2012年9月14日(+2)

Posted: 7月 5th, 2011
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04/07/2011/MON/百四十一日目

和歌山県で震度3。

明治座の森下スタジオにて、金閣寺NY公演のため、はじめての稽古。

今日は完封。

ここまでの成績:
積算上演日数:621(±0)
終演まで:436(-1)
終演見込み日:2012年9月12日(±0)

Posted: 7月 4th, 2011
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03/07/2011/SUN/百四十日目

福島県会津で震度4。

昼、アトリエで小町谷君と発電実験。

夜、「パ」ートナーと、「パ」ートナーの友人のこどもの話をする。

その友人のこどもは、よく何もない空間をじっと見つめ、まるでそこに「何か」、あるいは「誰か」が存在しているかのような反応を示すのだとか。どうやら大人には見えていないものを見ているらしいとのこと。

「パ」ートナー曰く、生まれたてのこどもの頭蓋骨の頭頂部はまだ塞ぎきっておらず、隙間が開いた形になっており、その穴が”第三の目”として働くことで、大人が見ることのできないものを見ることができる、という説もあるのだとか。

「パ」ートナー:「大人でも頭蓋骨に穴を開けて、第三の目をつくっちゃう人がいるんだって」

僕:「あぁ、知ってるよ、トレパレーションでしょ」

地雷ワード、「トレパレーション」、パ裂。
随分マニアックな地雷を踏んでしまった。

ここまでの成績…
積算上演日数:619(+1)
終演まで:435(±0)
終演見込み日:2012年9月10日(+1)

しかし「パ」日誌の更新が滞ったので(9/7、9/8)、罰則として上演期間を2日延長。
積算上演日数:621
終演まで:437
終演見込み日:2012年9月12日

Posted: 7月 3rd, 2011
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02/07/2011/SAT/百三十九日目

長野県中部で震度3。

昼、青山のブラウンライス・カフェでランチ、その後、クレヨンハウスで食材と本の買い物。その後、池袋あうるすぽっとで飴屋さん演出の『おもいのまま』観劇。

五日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:618(±0)
終演まで:435(-1)
終演見込み日:2012年9月9日(±0)

Posted: 7月 2nd, 2011
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01/07/2011/FRI/百三十八日目

アトリエで作業。

夜、僕は今まで料理というものをぜんぜんしてこなかったのだが、ふと自分で何かつくってみようと思いたち、食材を買いにスーパーマーケットへ。

野菜売り場の一角に大量のキュウリが置いてある。札に表示された産地をみてみると、「福島県産」「千葉県産」と二つの表記が。他の客は産地のことなどあまり気にかけずに買っているようだが、僕はそのキュウリが福島県産なのか、千葉県産なのかどうしても気になったので、通りがかりの店員をつかまえて訊いてみた。

僕:「あのーこのキュウリって福島県産なんですか?それとも千葉県産なんですか?」

店員:「えー…、あのー…、ちょっと上の者を呼んで来ますのでお待ちいただけますか」

しばらくして、奥から年配の店員が出て来てこう言った。

「あぁ、申し訳ありません。これは…、えー、剥がし忘れですね…」

涼しい顔で千葉県産の表記を剥がす年配の店員。うーむ。産地表記偽装の臭い。

結局キュウリは買わなかった。

そして帰宅してつくったのは、ナスとしそのみそ汁、だいこんの炒め物、玄米ごはん、納豆、たまご。我ながら驚くほど美味かった。震災以来、食生活がだいぶ変わっている。一汁一菜。

四日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:618(±0)
終演まで:436(-1)
終演見込み日:2012年9月9日(±0)

Posted: 7月 1st, 2011
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30/06/2011/THU/百三十七日目

長野県松本で震度5強。その他、福島、岩手、千葉でも震度3。

福島の6歳から16歳の子供10人を検査したところ、全員の尿からセシウムが検出されたとのこと。

三日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:618(±0)
終演まで:437(-1)
終演見込み日:2012年9月9日(±0)

Posted: 6月 30th, 2011
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29/06/2011/WED/百三十六日目

長野県中部、福島県で震度3。

アトリエにて、昨日の接触事故で壊れたサイドミラーを自分で修理。

相手のダンプトラックの運転手に、賠償請求の電話をしようと思ったのだが。

まぁ、いっか自分で直せたし…と、何だか急に仏の気分になってやめた。

二日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:618(±0)
終演まで:438(-1)
終演見込み日:2012年9月9日(±0)

Posted: 6月 29th, 2011
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28/06/2011/TUE/百三十五目

熊本県で震度4。福島県で震度3。

朝、芸大への通勤途中、首都高3号線のあの巻貝のような大橋ジャンクションに入るところで、左側の車線から大型のダンプトラックが幅寄せをしてきて接触。僕の車の左側のサイドミラーがボロリととれた。そのままトラックは走り去ろうとしたが、執拗にクラクションを鳴らしながら窓から顔と手を出して合図を送るとやっと停車した。おじさんが降りてくる。

僕:「おじさーん!なんであんな運転するんだよー!(怒)」

おじさん:「ごめん、ごめん、見えなくて…」

僕:「ったく、ほんとかなぁ…、わざと幅寄せして逃げようとしたんじゃない?。まぁいいや、免許証見せてください。写真撮りますよ。

トラックのナンバーを撮影。カシャ…。

「那須 100 か 174」

トラックのボディに書かれた会社名を撮影。カシャ…。

「敬敏運送勤務」

免許証を撮影。カシャ…。

「栃木県大田原市 和田英則 57歳」

おじさん:「いやぁ、ごめんねぇ、(僕の車の破損したサイドミラーを見て)これくらいなら2万円くらいで直るでしょ。」

僕:「うーん…。警察とか呼んでると僕も仕事におくれるんだよな…」

おじさん:「じゃあさ、ここに電話ちょうだよ、修理費振り込むから!逃げも隠れもしないから!」

僕は電話番号を書いたメモを受け取って、その場はとりあえず解散。大学へ。

午前の授業を終える。僕は本日開催されている東京電力の株主総会の行方が気になっていた。今回の株主総会は、原「パ」ツからの撤退など定款変更を求める提案が、402人の脱原発派東電株主から出されており、その決議の行方が全国的に注目されていた。母が東京電力の株主なので、大学の仕事がなければ代理で総会に出席するつもりだったのだが、大学の仕事のため、議決権は事前に郵便にて行使。もちろん脱原発派株主の提案については賛成。ネットでいろいろ検索していると、ある株主が、撮影や録音が禁止されている会場から、iPhoneでこっそりと、総会の様子をネット中継しているのを見つけた。

荒れる会場、飛び交う怒号。それに対して、壇上の勝俣会長の声はまるで、すべてがプログラミングされたコンピューター制御のロボットのようだった。「あのー」とか「えー」とかいった、オーラルな言葉を発するときに出てくる、人間的なムダが一切ないことに妙に関心してしまう。

株主の一人が声をあげた。「何か一つでもいいから、希望を聞かせてくれ!」

勝俣会長は即答した。「現時点で見えている希望はございません」

今日は完封。
ここまでの成績…
積算上演日数:617(±0)
終演まで:438(-1)
終演見込み日:2012年9月8日(±0)

しかし「パ」日誌の更新が滞ったので(9/5)、1日上演期間を延長。
積算上演日数:618
終演まで:439
終演見込み日:2012年9月9日

Posted: 6月 28th, 2011
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27/06/2011/MON/百三十四目

パートナーとエネルギー問題について語りあっているときのことである。

僕:「やっぱり計画停電ってヤラセだったんだって、あれで死者まで出たんだよ。まったくひどい話だよね」

出た! 最頻「パ」ツ地雷ワード、「やっぱり」。

最後に「やっぱり」が出たのは、ちょうど二ヶ月前の4月27日。これで今年に入ってから21回目の「やっぱり」パ裂である。ちなみに僕の「やっぱり」論については、1月11日の「パ」日誌に書いたので参照されたし。

ここまでの成績…
積算上演日数:617(+1)
終演まで:439(±0)
終演見込み日:2012年9月8日(+1)

Posted: 6月 27th, 2011
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26/06/2011/SUN/百三十三目

秋田県で震度3。

浅草橋のパラボリカビスで、人形作家、三浦悦子さんの展覧会の中での「パ」フォーマンス。

会場は空間の半分が砂丘のような砂に覆われたエリア、もう半分が浅いプールに水を湛えたエリアになっていて、僕は水浸し、砂まみれになりながら、人形たちの間を縫うようにして会場全面を動き回り、「パ」フォーマンスをおこなった。

客席の床下には一昨日仕込んだ振動ユニット。自分の心臓を震源地に、会場で地震を起こす。

震災以降、コンセントから共有される電気を使って「パ」フォーマンスをしたのははじめて。

三日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:616(±0)
終演まで:439(-1)
終演見込み日:2012年9月7日(±0)

Posted: 6月 26th, 2011
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25/06/2011/SAT/百三十二目

福島、北海道で震度3。

アトリエで作業。

二日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:616(±0)
終演まで:440(-1)
終演見込み日:2012年9月7日(±0)

Posted: 6月 25th, 2011
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24/06/2011/FRI/百三十一目

福島会津で震度3。

芸大で授業。

夜は浅草橋のパラボリカビスで、26日のライブのための仕込み。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:616(±0)
終演まで:441(-1)
終演見込み日:2012年9月7日(±0)

Posted: 6月 24th, 2011
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23/06/2011/THU/百三十日目

岩手県で震度5弱。宮城県で震度4。茨城県で震度3。

芸大で授業。

学生から映像編集ソフト「Finalcut」の操作方法について質問を受けたので、作業中のパソコンのところへ行って指導する。

僕の担当している授業はコンピューターを使うので、当然「パソコン」という単語が会話の中で頻発するわけだが、それをいつも僕は「コンピューター」という単語に言い換えて話すことにしている。この日も「パソコン→コンピューター」単語変換プロクラムを脳内で走らせつつ、同時にマルチプロセスで学生の指導にあたっていたのだが…。

僕:「オッケー、じゃあ、これを全部選択するためには、そうそう、一度ツールパレットで…」

地雷ワード、「ツールバレット」、パ裂。

ここまでの成績…
積算上演日数:616(+1)
終演まで:442(±0)
終演見込み日:2012年9月7日(+1)

Posted: 6月 23rd, 2011
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22/06/2011/WED/百二十九日目

アトリエで作業

5日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:615(±0)
終演まで:442(-1)
終演見込み日:2012年9月6日(±0)

Posted: 6月 22nd, 2011
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21/06/2011/TUE/百二十八日目

茨城県、宮城県、秋田県で震度3。

芸大で授業。

大学の帰り道、国道6号線を走っていると、にわかに天候の様子がおかしくなってきた。取手から柏にさしかかったあたりで、空は濁り、墨のような雲が頭上に重くのしかかってきたかと思うと、放射能を含んだ大粒の雨が、情け容赦なく車の屋根を叩きはじめた。夕立だ。

大量の雨水に溢れて水飴のようになったフロントガラス越しに前方を見ようにも、視界が悪くて車線がどこに引かれているかもわからない。

そろりそろりと車をすすめ、やっと止まった信号待ちで、「パ」ートナーにiPhoneからメールする。

僕:「すっごい夕立だね!」

「パ」ートナーの返信:「え?!東京はぜんぜん晴れてるよー」

4日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:614(±0)
終演まで:442(-1)
終演見込み日:2012年9月5日(±0)

しかし「パ」日誌の更新が一日滞ったので(9/1)、上演期間を1日延長。
積算上演日数:615
終演まで:443
終演見込み日:2012年9月6日

Posted: 6月 21st, 2011
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20/06/2011/MON/百二十七日目

福島県、岩手県、岩手県、千葉県で震度3。

アトリエで作業。

そういえば昨日、東京へのUターンラッシュにハマった車の中で、僕は激しい尿意をもよおした。ハンドルを握りしめ、次のサービスエリアまでひたすらオシッコを我慢する僕の気持ちを少しでも散らそうと、「パ」ートナーが奇妙な即興歌を歌ってくれたので、その歌詞をここに記す。

♬ほ~~~おしっこ~~~
♬ほ~~~おしっこ~~~
♬ほ~~~おしっこ~~~
♬今日もドライブでっす~
♬(間奏)テッテッテッテッ テッテッテッテッ
♬こうそく道路、E!T!C!安くなればいんじゃない~~~
♬みんな~ どこへも行けるし~~
♬たのしくドライブ だいだいだぁ~い
(セリフ)あっ、宇宙人!あっ宇宙人!宇宙人がいたよ~!
♬ほ~~~おしっこ~~~
♬ほ~~~おしっこ~~~
♬ほ~~~おしっこ~~~
♬ほ~~~おしっこ~~~
♬じゅうたい~ じゅうたい~ 今日もじゅうたい~
♬トラフィック~ ジャム~だよ~ 今日もじゅうたい~~
♬まっすぐ進むには~~~ 運転手の気持ち~ だ~いじ~
♬まっすぐ進むには~~~ 運転手の気持ち~
♬スイスイスイ~~~ スイスイスイ~~~~
♬スイスイスイスイ スイスイスイ~~~
♬スイスイスイ~~~ スイスイスイ~~~~
♬スイスイスイスイ スイスイスイ~~~
♬ほ~~~おしっこ~~~
♬ほ~~~おしっこ~~~
♬ほ~~~おしっこ~~~
♬はや~く行かなきゃ
♬だめだよっ!

名曲である。
「パ」ートナーの許可が得られれば、近々YOUTUBEにアップしてみよう。

三日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:614(±0)
終演まで:443(-1)
終演見込み日:2012年9月5日(±0)

Posted: 6月 20th, 2011
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19/06/2011/SUN/百二十六日目

福島県で震度3。

「パ」ートナーの実家から車で東京へと向かう。しかしこの日で上限1,000円のETC休日特別割引の適用が終了するとのことで、帰りの中央道はUターンラッシュ。異常なほどの大渋滞で車がまったく動かない。まずい…。日没の18時59分から、浅草橋のオルタナティブスペース、『浅草天才算数塾』で『発電部』の集まりがあるというのに、このままでは大幅に遅刻してしまうではないか…。

・・・・・・・・・・

『発電部』とは、芸大・美大のメディア系学科を拠点にして発足した、「私たちの、私たちによる、私たちのための電気」をつくろうという趣旨の部活動のような団体である。そもそもは5月15日に芸大取手キャンパスで催された芸大関係者と南相馬から避難してきた人々との交流会の中で、同じく芸大・美大で非常勤講師を勤める小町谷圭君と僕とで意気投合し、その後3331ARTS CYDでスタッフを勤める莇貴彦君が加わる形ではじまったものだった。「部」とはいっても、部費がかかるわけでもなく、部室があるわけでもない。今のところ組織としてはっきりした枠を持っているわけでもなく、発電の意志を持つ者が集ってダイナモを回せば、それが『発電部』といったゆるい形態になっている。

電気なくして作品が成立せず、「テクノロジー」が作家性の重要なアイデンティティとなっているメディアアーティストたちや、それを志す学生たちは、あの原「パ」ツ事故以降、もう電力問題を無視することはできないはずだ。芸大先端芸術表現科や多摩美の情報芸術コースといったメディア系学科で非常勤講師を勤める僕も、(僕がメディア・アーティストであるかはともかくとして)「パ」フォーマンスや作品には電気を使うし、「エレクトリック」であることが自分のアイデンティティとなっている。

3月26日の日誌にも書いたが、かくいう僕があの原「パ」ツ事故で思い知らされたのは、自分の表現が「いかに依存したくないものに依存させられて成立していたか」という現実だった。

首都圏の電気が地方の人々にリスクを押しつける形でつくられているというヒエラルキー構造…。

臭いものには蓋をしろとばかりに、何万年も放射能を発し続ける核廃棄物を未来に押しつけようとする無責任…。

そして原「パ」ツの技術がそもそも原爆からのスピンオフであるというその出自と、それゆえに原「パ」ツはいずれ日本が核武装するために維持・推進されなければならない、とする政治家たちの軍事的思想…。

「平等」「未来」「平和」…人類が何とか信じようとしてきたこれらのことばを、一石三鳥で汚してしまうものに、僕らは加担させられている。原「パ」ツに依存しながら生きるとき、汚染されるのは空気や土地や海や食べ物ばかりではない。そこではいつの間にか「理想」と呼ばれるものまでもが無惨に汚染されていくことを忘れてはならない。

芸術は理想を具体化してきた。芸術は精神的原理と物質的原理の完全な均衡を示す具体例であり、その存在によって、このような均衡が、神話やイデオロギーではなく、われわれの次元のなかに存在することのできる、ある種の現実だということを証明してきた。芸術は、人間の調和にたいする要求と、物質的なものと精神的なものの望ましい均衡の獲得をめざして、自分自身と自分の個性の内部で戦う覚悟とを表現してきた。
(アンドレイ・タルコフスキー「映像のポエジア」より)

タルコフスキーの言うことが本当ならば、僕は芸術のために使う電気には微塵も原「パ」ツで作られた電気を混入したくない。実際、震災直後の僕はストイックに東電の電気を使ってライブをすることを自らに禁じていたのだが、それは結果的に自分を精神的に追い込むことになり、情けなくも4月23日と24日の日誌に書いたような自己崩壊を招いてしまったのだった。

せめて電気を選びたい。自分の納得できる電気を使って芸術活動を行いたい。しかし僕らには電気を選ぶ権利すら与えられていない。そんなジレンマを抱えながら、南相馬から避難してきた人々を前にホーメイの演奏を披露した後にふと肩の力が抜けて思ったのだった。

「そうだ、もう、みんなで発電しよう…」

個人レベルで発電できる電力など、たかが知れているかも知れない。しかしそれでも自分が依存したくないものから少しでもインディペンデントであり続けるために、そして「理想」と呼ばれるものが自分の中で完全に汚されてしまわないために、自らの手でダイナモを回して電気をつくるのだ。そのちいさなダイナモの回転は、ガンジーが糸車の回転に込めた大いなる自立の精神を受け継ぐことになるだろう。なぜなら『発電部』とは、ちっぽけな個人ひとりひとりによる、ちいさな「独立運動」だからである。

・・・・・・・・・・

結局、通常4時間で着くところが7時間以上もかかってしまい、『浅草天才算数塾』に到着したのは、『発電部』の会合が開始してから2時間以上も過ぎた9時すぎだった。ブレーカーを落とし、東京電力からの電気を打ち切った状態で、20名ほどの男女が所狭しと座敷に座りこみ、おのおの色々な方法で発電したり、電力問題について語り合っている。怪しくも楽しい会合だった…。

そして今日は昨日に引き続き完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:611(±0)
終演まで:442(-1)
終演見込み日:2012年9月3日(±0)

しかし「パ」日誌の更新が滞ったため(8/30、31)、罰則により上演期間を2日延長。
積算上演日数:613
終演まで:444
終演見込み日:2012年9月5日

Posted: 6月 19th, 2011
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18/06/2011/SAT/百二十五日目

早朝、岐阜県で震度3。昼、福島で震度4。夜また福島で震度4。
朝、「パ」ートナーのお母さんの秘密の森へ朴葉を取りに。昼はお父さんの愛犬の散歩のお伴をして、鉱物博物館へ。夜は温泉でひとっ風呂浴び、しゃぶしゃぶを食した後、お父さん行きつけのスナックへ。

娘の彼氏と呑み交わして酒に酔い、カラオケで青春時代の懐メロを想い入れたっぷりに歌い上げるお父さん。手拍子で音頭をとりながら、傍らでその姿を嬉しそうに眺める娘…。

二人を見ていると、何だか原「パ」ツ事故が起こるよりずっと前の、この国がまだ希望をいっぱい持っていた古き良き昭和の時代にタイムスリップしたような気分になった。ここは一つ歌で応えなければ男が廃る。リクエストを入れた曲の歌詞に「パ」という音節が出てくるかも知れないなんて、せせこましい心配などしている場合ではないだろう。

お父さんや、他の席のお客さん、スナックのママさんにも通用しそうな古い歌を、ホーメイのテクを駆使しながら、僕も負けじと想い入れたっぷりに歌い上げる。

この日僕が歌った曲は下記の通り。
『アカシアの雨がやむとき』by 西田佐知子
『東へ西へ』by 井上陽水
『傘がない』by 井上陽水
『ヨイトマケの唄』by 美輪明宏
『ラブミーテンダー』by 忌野清志郎

そしてお父さんが歌った歌は下記の通り。さすがに渋い。
『新潟ブルース』by 美川憲一
『宗右衛門町ブルース』by 平和勝次とダークホークス
『長崎は今日も雨だった』by 内山田洋とクール・ファイブ
『夜霧よ今夜もありがとう』by 石原裕次郎

幸い選曲したどの曲にも「パ」の音は出てこなかった。したがって今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:610(±0)
終演まで:442(-1)
終演見込み日:2012年9月2日(±0)

しかし日誌の更新が滞ったので(8/27)、罰則として上演期間を1日延長。
積算上演日数:611
終演まで:443
終演見込み日:2012年9月3日

Posted: 6月 18th, 2011
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17/06/2011/FRI/百二十五日目

夜、「パ」ートナーを助手席に乗せて中央道を車で飛ばす。目的地は田舎の山奥にある「パ」ートナーの実家。彼女の両親に会うのはこれがはじめてである。そんな記念すべき日に思いのほか東京を出発するのが遅くなり、首を長くして待ってくれている「パ」ートナーの両親ことが気になって、ついアクセルを踏み込む足にも力が入ってしまう。

「パ」ートナー:「急がなくて大丈夫だよ。安全運転でね」

僕:「うん。そういえば前、中央道でスピード違反で捕まって、免停になったんだよな…」

「パ」ートナー:「オービスで撮られた?」

僕:「いや、パトカーに捕まった。中央道は覆面が多いんだよ」

地雷ワード、「パトカー」、パ裂である。

結局、「パ」ートナーの実家に着いたのは深夜すぎ。「パ」ートナーの両親は、眠気を圧して待っていてくれた。

僕:「は、はじめまして…。山川と申します。遅くなってすみません!」

お父さん:「まぁ、まぁ、入りなさい」

居間に通され、お父さんがグラスにビールを注いでくれる。

僕:「あ、ありがとうございます…」

お父さん:「長時間のドライブお疲れさま。じゃあ…乾杯!」

僕:「か、かんぱいっ!あぁっ!」

グラス片手に、自らの「パ」裂に頭を抱える僕。緊張していたせいで、すっかり「パ」への警戒が解けてしまっていたのだ。

お父さん:「お? 山川君、どうした?」

「パ」ートナー:「あ、お父さんにはまだ言ってなかったけど、山川さんは「パ」っていう音を100万円で売っちゃったから言えないの。現代アートだよ。よろしくね」

僕:「ははは、実はそうなんです…。すみません…」

お父さん:「ほう…それは一体どういうことなんかな?」

そして僕は『「パ」日誌メント』をやることになった経緯や、現代アートの世界がいかに奇妙であるかを、夜更けすぎまでお父さんに解説したのだった。

ここまでの成績…
積算上演日数:610(+2)
終演まで:442(+1)
終演見込み日:2012年9月1日(+2)

しかし、日誌の更新が滞ったので(8/25)、罰則として上演期間をさらに1日延長。
積算上演日数:611
終演まで:443
終演見込み日:2012年9月2日

Posted: 6月 17th, 2011
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16/06/2011/THU/百二十四日目

未明、茨城県で震度3。昼、再び茨城県で震度3。夜、島根県で震度3。
またパプアニューギニアでM6.6の地震があったとのこと。

7月に予定されている『金閣寺』NY公演に必要なビザをとるため、アメリカ大使館に面接へ。久しぶりに共演のキャストの方々と会う。

3日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:608(±0)
終演まで:441(-1)
終演見込み日:2012年8月30日(±0)

Posted: 6月 16th, 2011
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15/06/2011/WED/百二十三日目

アトリエで黙々と作業。

2日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:608(±0)
終演まで:442(-1)
終演見込み日:2012年8月30日(±0)

Posted: 6月 15th, 2011
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14/06/2011/TUE/百二十二日目

釧路で震度4。三陸、岩手で震度3。

芸大取手で授業の日。

福島でまた一人、自ら命を絶った。

相馬の酪農家自殺、「原発なければ」と書き残し
福島第一原発の事故で、牛を処分して廃業した福島県相馬市の酪農家男性(50歳代)が「原発さえなければ」と書き残して自殺していたことが13日、わかった。

関係者によると、男性は今月11日、小屋で首をつった状態で見つかった。小屋の壁に白チョークで「仕事する気力をなくしました」「残った酪農家は原発にまけないで」と記していた。
男性が住む地区は当初、加工前牛乳が出荷停止となり、男性は乳を搾っては捨てていた。今月初旬までに約30頭を処分した。男性は親の代から酪農を続けており、姉は本紙の取材に「(弟の死は)子どもたちのことを思えば話したくない。しかし、原発の件は訴えたい」と語った。
酪農家仲間だった男性(51)は「避難区域ではないため、補償はないだろうと繰り返していた」といい、農業男性(53)は「連絡をとるたびに『原発ですべてを失った』と悩んでいた」と話した。(2011年6月14日03時09分  読売新聞)

また、筑波大学の調査によれば、千葉、茨城の土壌から通常の400倍のセシウムが検出されたという。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:608(±0)
終演まで:443(-1)
終演見込み日:2012年8月30日(±0)

Posted: 6月 14th, 2011
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13/06/2011/MON/百二十一日目

奄美大島で震度3。宮城で震度3。
また2月に大震災に見舞われたニュージランド、クライストチャーチでもM6.0の地震があったとのこと。

「パ」ートナーは、機嫌が良いとよく即興歌を歌う。

そんな時の彼女は、まるでフリースタイルでリリックを繰り出すラッパーか、その場で神話を紡ぐシャーマンのようで、放っておくと頭の中に溢れるイメージの数々をことばとメロディにのせて延々と歌い続けるのだ。

今日もベッドでごろごろしながら、即興歌を歌う「パ」ートナー。

「♪こんにちは~ ♪こんにちは~ ♪お城の~中から~ ♪こんにちは~ ♪こんにちは~…」

ん?どこかで聴いたことのあるメロディーだぞ…。

僕「ちょっとまった!、それ、三波春夫のパクリ!」

地雷ワード、「パクリ」、パ裂。

そしてイタリアで行われた原「パ」ツの是非を問う国民投票で、原「パ」ツ凍結賛成票がなんと94%を占めたらしい。驚くべき数字。

ここまでの成績…
積算上演日数:608(+1)
終演まで:444(±0)
終演見込み日:2012年8月30日(+1)

Posted: 6月 13th, 2011
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12/06/2011/SUN/百二十日目

早朝、福島で震度4。朝、千葉で震度3。夕方、茨城で震度3。

今日はオフ。

ニコニコ動画で『自然エネルギーに関する総理・有識者オープン懇談会』を視聴する。

原「パ」ツ事故処理や情報開示の問題、子どもの20ミリシーベルト問題に関しては、菅内閣には甚だ疑問だが、ニコ動での菅直人個人の本音と思えることばを聞いて、ことエネルギー政策に関しては積極的に総理を支持したいと思った。

4日連続の完封。

ここまでの成績

積算上演日数:607(±0)

終演まで:444(-1)

終演見込み日:2012829日(±0)

Posted: 6月 12th, 2011
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11/06/2011/SAT/百十九日目

宮城で震度3。

新宿で脱原「パ」ツデモがあるので「パ」ートナーを誘ってみたのだが、自分は行かないという。
「一人で行って来て」と、「パ」ートナー。

それも無理はないだろう。4月10日の高円寺での脱原「パ」ツデモ。警官隊とデモ隊とが衝突して騒然とする列の中で、「パ」ートナーは気を失って路上に倒れ込んでしまったのだった。彼女曰く、自分は原「パ」ツには反対だが、その時のことを思い出すと怖くて行く気になれないという。だから自分はデモとは違った形で未来のために行動するつもりだと。

「パ」ートナーは僕に一人でデモへ行くことを勧めたが、彼女を家に置いて自分だけデモに参加する気になれず、結局デモへの参加は取りやめにした。「じゃあ今日はどうしようか?」と聞くと、ピアニカを買って一緒に音楽を演奏したいという。そこで都内の楽器店にいろいろ問い合わせてみたところ、豊富にピアニカの在庫を抱えているのが、島村楽器新宿店であることがわかった。というわけで新宿へ…。

島村楽器新宿店のある通りは偶然、デモのコースと重なっていたようだ。楽器店の近くまでくると、参加する予定だったデモ隊に出くわした。今回のデモもかなりの規模である。

「参加したいんじゃない?」申し訳なさそうな顔で僕の顔を見る「パ」ートナー。
「ううん、大丈夫だよ」と僕。

楽器店でピアニカを試奏する。いくつか吹いてみたが、SUZUKI製の茶色いピアニカ(正式にはメロディオン)が音色に深みがあって気に入った。

「これください」

ピアニカを買って通りに出ると、まだデモ隊が通りを歩いてる。賑やかだ。

「げんぱつ、いらない! げんぱつ、やめろ!」
コンクリートとアスファルトで覆われた都会の空間に、いくつもの声が重なりあってこだましていた。

僕はさっそく買いたてのピアニカをケースからとり出して、デモ隊のシュプレヒコールに合わせて吹いてみた。うん、いい音色だ。それをみて横から「わたしも吹きたい」と「パ」ートナー。しぶしぶ渡してやると、彼女もデモ隊のシュプレヒコールに合わせて、ちんちくりんなメロディを吹きはじめた。なかなかいいアンサンブル。

そんな風にして代わる代わるにピアニカを吹きながら、僕らはしばらくデモ隊と一緒に歩いていた。結局デモに参加したような…、しなかったような…、そんな一日。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:593(±0)
終演まで:431(-1)
終演見込み日:2012年8月15日(±0)

しかし、「パ」日誌の更新が滞ったので(8/9~8/22)、罰則として上演期間を14日間延長…
積算上演日数:606
終演まで:445
終演見込み日:2012年8月28日

Posted: 6月 11th, 2011
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10/06/2011/FRI/百十八日目

昼、岩手で震度3。夕方、茨城で震度3。夜、宮城で震度3。

芸大取手で授業。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:593(±0)
終演まで:432(-1)
終演見込み日:2012年8月15日(±0)

Posted: 6月 10th, 2011
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09/06/2011/THU/百五十七日目

朝、岩手で震度4。昼、富山、秋田で震度3。夜、茨城で震度4。

芸大取手で授業。

静岡の茶工場が生産した茶葉から国の基準を超える1キロあたり679ベクレルのセシウムが検出されたそうだ。静岡県によれば、なんでも「飲用茶になるとセシウムは製茶の85分の1に薄まるので健康に影響はない」とか。そういう問題かな。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:593(±0)
終演まで:433(-1)
終演見込み日:2012年8月15日(±0)

Posted: 6月 9th, 2011
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08/06/2011/WED/百五十六日目

多摩美で担当している、映像インスタレーションを制作する演習授業の講評会。
授業最後の総評で思わず「オープンキャンパス」と口を滑らせる。

地雷ワード、「オープンキャンパス」、パ裂。

授業終了後は、八王子から車を飛ばして、渋谷DUO Music Exchangeで催されたアート・リンゼイのライブへ。ゲストに大友良英さん。
久しぶりに聴くアート・リンゼイの歌声とノイズギター。会場では久しぶりに色々な人と会えた。震災から、僕もやっと少しずつ元気を取り戻してきた感じがしている。

ここまでの成績…
積算上演日数:593(+1)
終演まで:434(±0)
終演見込み日:2012年8月15日(+1)

Posted: 6月 8th, 2011
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07/06/2011/TUE/百五十五日目

福島で震度3。

芸大で授業の日。

ニューヨークへの飛行機チケットの件で、「パ」ートナーと話し合う。僕は『金閣寺』ニューヨーク公演のため、7月19日に日本を発つ予定だが、「パ」ートナーは仕事があるため遅れて7月23日に日本を発ち、二人揃って7月29日の同じ便で帰国するという計画。

僕:「23日出発で29日に帰るから、6日間だね。それだけ向こうに居られれば十分じゃない?」

地雷ワード、「出発」、パ裂。

そして政府は福島第一原「パ」ツ1~3号機で、燃料がメルトダウンした上に圧力容器の底を破って格納容器に達する「メルトスルー」という現象を起こしたとの見解を示した。「メルトスルー」などという言葉を聞いたのははじめてだ。

ここまでの成績…
積算上演日数:592(+1)
終演まで:434(±0)
終演見込み日:2012年8月14日(+1)

Posted: 6月 7th, 2011
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06/06/2011/MON/百五十四日目

岐阜県飛騨で震度3。

多摩美で授業の日。

国連は現地時間6月3日、国家がインターネットを遮断するのは、人権侵害であり、国際法違反であるとする報告書を発表。昨年末から中東各地で広がっている反政府運動でインターネットが果たしている役割は大きく、実際にエジプト、リビア、シリアなどの国でネットの遮断が行われたことを受けての発表とみられる。

インターネットに接続するには電気が必要だ。インターネットへの接続が国際法によって保証された基本的人権ならば、それ以前に電気を使うことも基本的人権であるということが国際的に認められて然るべきだろう。

五日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:591(±0)
終演まで:434(-1)
終演見込み日:2012年8月13日(±0)

Posted: 6月 6th, 2011
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05/06/2011/SUN/百五十三日目

福島で震度3。

「パ」ートナーと江ノ島へ。

福島第一原「パ」ツから1.7キロの大熊町の土から、今回の原「パ」ツ事故で放出されたとみられるプルトニウムが検出。

四日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:591(±0)
終演まで:435(-1)
終演見込み日:2012年8月13日(±0)

Posted: 6月 5th, 2011
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04/06/2011/SAT/百五十二日目

未明、福島で震度5強。島根で震度4。新潟で震度3。昼、宮城で震度3。秋田で震度3。

一日中、アトリエで作業。

5月30日のニュースになっていた、東京電力の作業員2名の総被曝量が、今回の緊急作業で国が認める上限の250ミリシーベルトを上回ることが確実となった。内部被曝と外部被曝を合わせると、最大で650ミリシーベルトを超えるという。

三日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:591(±0)
終演まで:436(-1)
終演見込み日:2012年8月13日(±0)

Posted: 6月 4th, 2011
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03/06/2011/FRI/百五十一日目

福島、茨城で震度3。

芸大で授業の日。

福島第一原「パ」ツから約6キロ離れた浪江町で3月12日に核燃料が1000度を超す高温になったことを示す「テルル132」が検出されていたことが判明した。事故から二ヶ月以上経ってからの発表に、経済産業省原子力安全・保安院の西山英彦審議官は「隠す意図はなかったが、国民に示すという発想がなかった。」と釈明。ありえない…。

二日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:591(±0)
終演まで:437(-1)
終演見込み日:2012年8月13日(±0)

Posted: 6月 3rd, 2011
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02/06/2011/THU/百五十日目

新潟県で震度5強。

昼、オフィスマイティーの近藤さんと打ち合わせ。
夜は巻上さんのお誘いで、渋谷クワトロにて、ヒカシュー+篠原ともえのライブを観る。
沖縄そばを食し、帰宅。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:591(±0)
終演まで:438(-1)
終演見込み日:2012年8月13日(±0)

Posted: 6月 2nd, 2011
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01/06/2011/WED/百四十九日目

福島、茨城、千葉で震度3。

多摩美で授業の日。

「食べる」と「昔話」テーマにインスタレーション作品を作りたいという学生の制作相談にのっていたときのこと。

僕:「”食べる”と”昔話”かぁ…、あぁ、桃太郎は、食べものいっぱい出てくるよね。」

地雷ワード、「いっぱい」、パ裂。
しかし、よくよく考えてみると桃太郎に出てくる食べ物は、桃ときびだんごくらいのもので、学生に適当なことを言っていた自分に後で気づく。

ここまでの成績…
積算上演日数:589(+1)
終演まで:437(±0)
終演見込み日:2012年8月11日(+1)

しかし日誌の更新が遅れたので(8月6日、7日)、罰則として上演期間を2日間延長…
積算上演日数:591
終演まで:439
終演見込み日:2012年8月13日

Posted: 6月 1st, 2011
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31/05/2011/TUE/百四十八日目

岩手で震度4。茨城で震度3。

芸大で授業の日。

学生からビデオフォーマットの変換について質問を受けた際、思わず口が滑った。

僕:「HDで撮影しても、DVDに焼いちゃったら結局解像度はロクヨン・ヨンパチになるから…」

地雷ワード、「ロクヨン・ヨンパチ」、パ裂。

「ロクヨン・ヨンパチ」とは、SD画質(640×480ピクセル)の映像の俗称。 しかし実際のDVDの解像度は640×480ピクセルではなく、720×480ピクセルだったことを、後になって思い出したのだった。教員失格…。

ここまでの成績…
積算上演日数:588(+1)
終演まで:437(±0)
終演見込み日:2012年8月10日(+1)

Posted: 5月 31st, 2011
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30/05/2011/MON/百四十七日目

多摩美で授業。

そして今日のニュース…
東京電力が福島第一原「パ」ツで作業していた男性社員二人が数百ミリシーベルトの放射線を浴びていた恐れがあると発表した。5月23日に体内の放射線物質の量を詳しく調べたところ、甲状腺からそれぞれ9760ベクレル、7690ベクレルのヨウ素131が確認されたという。吸い込んだのが地震直後だとすると、半減期を勘定にいれて逆算すると被曝量は数百ミリシーベルトになるというが、急性症状が出る1千ミリシーベルトの被曝までには至らなそうだという。

そして今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:587(±0)
終演まで:437(-1)
終演見込み日:2012年8月9日(±0)

Posted: 5月 30th, 2011
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29/05/2011/SUN/百四十六日目

薩摩半島で震度3。

「パ」ートナーの誕生日。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:587(±0)
終演まで:438(-1)
終演見込み日:2012年8月9日(±0)

Posted: 5月 29th, 2011
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28/05/2011/SAT/百四十五日目

新潟、岩手、千葉、茨城で震度3。

「パ」ートナーの誕生日を前日に控え、一緒に表参道ヒルズのアクセサリーショップへ。サン=テグジュペリの言葉があしらわれた18金のネックレスを買って、その場で首にかけてやる。

「パ」ートナーの首には、既に4月24日に買ってやった黒ダイヤの十字架のネックレスがかけられているのだが、彼女によればネックレスを2連がけするのが可愛いのだとか。

車のサンバイザーの鏡で、首もとを何度も確認しては子供のようにはしゃぐ「パ」ートナーを助手席に、国道246を運転して帰宅。

“Le plus important est invisible”

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:587(±0)
終演まで:439(-1)
終演見込み日:2012年8月9日(±0)

Posted: 5月 28th, 2011
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27/05/2011/FRI/百四十四日目

昼、福島で震度4。夕方、再び福島で震度4。夜、山形で震度4。

東京芸大大学院映像研究科メディア映像先攻で、講評会。
課題はラジオドラマを制作し、発電しながら発信するという内容。

先のエジプトとチュニジアの革命で、インターネットが市民の抵抗のためのツールとして大きな役割を果たしたことは記憶に新しいが、まだネットの普及していない1989年の東欧において、市民の抵抗のツールとなったのは無線電波だった。革命において自立と自由を勝ち取ろうとする人々は、発信機と自転車発電機を自作し、自分たちによる放送を自分たちの力で発電した電気で発信し続けたという。

だから革命状態にある今の日本において、もともとラジオドラマ・コンテンツを制作することを目的としていたこの課題に、急遽「発電」と「発信」というテーマが加えられたのは自然な流れだったのだと思う。さらに言えば、これは教員から学生に一方的に与えられる大学の課題というよりも、この現状に対し、インディペンデントな表現者としてどうレスポンスすべきかを問い、共に考えるための一つの試みだったと僕は思っている。

実際に発表された作品はというと、「発電」と「発信」というテーマが加わったことで、課題としてのハードルが上がったものの、ラジオドラマ的なナラティヴィティが、パフォーマンス的、インスタレーション的に展開された作品が出て来て面白かった。

そのうちの一つ、展示されている家電がそれぞれモノローグを語りはじめるという作品の講評の際、僕は作品を照らす照明のことがどうしても気になっていた…。

僕:「うーん、照明がイマイチだな。例えば家電が語りはじめるときにパッとスポットがあたるとかさ…」

地雷ワード「パッと」パ裂。

擬態語として「パッと」と口を滑らせたのは今年に入って3回目。

ここまでの成績…
積算上演日数:565日(+1)
終演まで:418日(±0)
終演見込み日:2012年7月18日(+1)

しかし日誌の更新が滞ったため(7/12~8/3)、罰則として22日間上演期間延長。
積算上演日数:587日
終演まで:440日
終演見込み日:2012年8月9日

Posted: 5月 27th, 2011
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26/05/2011/THU/百四十三日目

朝、宮城で震度3。昼、千葉で震度3。夜、茨城で損度4。福島で震度3。

「進化」について「パ」ートナーと語り合う。
話は文明の進化から、いつしか霊長類の生物学的進化にまで及んでいった。

僕が話したのは、ざっと下記のような内容だ。

ヒトの言語の獲得には、体の構造的な要因が絡んでいると以前、本で読んだことがある。その本によれば、ぼくらホモ・サピエンスの祖先の声帯は、進化の過程でどんどん位置が下がっていったそうだ。その結果、喉と口腔に空間的ゆとりをがうまれ、舌の自由が獲得されたことで、より複雑な音響をつくることが可能となったとか。そしてその複雑な音響が、共同体の中で意味に結びついたとき、言語が生まれたというのだ。
同じヒト科でもチンパンジーは、声帯の位置が高く、複雑な音響をつくることができないらしい。チンパンジーはかなりのところまで人間の言葉を理解するというし、非常に高い知能を持っているものの、その発声器官の物理的条件から、豊かな音響表現ができなかったため、独自の言語を獲得するに至らなかったのだとか。

「パ」ートナーはサルが嫌いだという。「キーキー」とヒステリックなところが怖くて嫌なのだとか。とりわけチンパンジーに対しては厳しい。かくいうぼくもその気持ちが分からないでもない。これはある種の近親憎悪なのだろうか。しかしあまりにチンパンジーに辛くあたるので、思わず言う。

ぼく:「たしかに怒るとすごく凶暴だって聞いたことがあるけど、でもチンパンジーだって生き物なんだから、そんなに嫌ったら可哀想だよ」

地雷ワード、「チンパンジー」、パ裂。

ここまでの成績…
積算上演日数:562日(+1)
終演まで:416日(±0)
終演見込み日:2012年7月15日(+1)

さらに、日誌の更新が二日滞ったため(7/9、7/10)、罰則として上演日数を二日延長。
積算上演日数:564日
終演まで:418日
終演見込み日:2012年7月17日

Posted: 5月 26th, 2011
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25/05/2011/WED/百四十二日目

早朝、福島で震度5強。夜、茨城で震度3。福島で震度3。

多摩美で授業

六日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:561日(±0)
終演まで:416日(-1)
終演見込み日:2012年7月14日(±0)

Posted: 5月 25th, 2011
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24/05/2011/TUE/百四十一日目

昼、三陸で震度3。夜、茨城で震度3。

芸大取手で授業。

ぼくの勤務地は見事にホットスポットになっていた…。

衆院茨城三区選出の小泉俊明国土交通政務官による先週のブログ記事によると、独自に取手周辺の放射線量測定した結果、非常に高い値が検出されたという。取手市では最高で0.484μSv/h。守谷市では0.503μSv/hを記録。取手市には南相馬からたくさんの人が避難してきているというのに…。

ショック。

五日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:561日(±0)
終演まで:417日(-1)
終演見込み日:2012年7月14日(±0)

Posted: 5月 24th, 2011
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23/05/2011/MON/百四十日目

多摩美で授業。

四日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:561日(±0)
終演まで:418日(-1)
終演見込み日:2012年7月14日(±0)

Posted: 5月 23rd, 2011
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22/05/2011/SUN/百三十九日目

千葉県で震度4。福島、茨城で震度3。

一日中、アトリエで作業。

三日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:561日(±0)
終演まで:419日(-1)
終演見込み日:2012年7月14日(±0)

Posted: 5月 22nd, 2011
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21/05/2011/SAT/百三十八日目

日付変わってすぐに神奈川で震度3。昼と夜に福島で震度3。

アトリエで作業。

国際ニュースによれば、ニューヨークでは本日2011年5月21日で地球が破滅するという予言が人々の間で広まっているという。街角のいたるところでキリスト教信者がキリストの再臨に伴い大地震が起こると説いているとのこと。

しかし幸いにして何も起こらず。

二日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:561日(±0)
終演まで:420日
(-1)
終演見込み日:2012年7月14日(±0)

Posted: 5月 21st, 2011
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20/05/2011/FRI/百三十七日目

福島で震度4。茨城で震度4。

昨日に引き続き、芸大大学院映像研究科で授業。
震災の影響で今年度は授業開始が遅れた分、そのしわ寄せで前期は週五日での大学勤務が続く…。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:559日(±0)
終演まで:419日(-1)
終演見込み日:2012年7月12日(±0)

しかし日誌の更新が滞ったので(7/4、7/5)、罰則として上演日数を2日延長。
積算上演日数:561日
終演まで:421日
終演見込み日:2012年7月14日

Posted: 5月 20th, 2011
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19/05/2011/THU/百三十六日目

茨城で震度3。宮城で震度3。

桂英史さんの誘いで、芸大大学院映像研究科メディア映像専攻にて、特別講師として4日間の授業を担当することになり、今日からスタート。ラジオドラマを制作し、それを発電しながら発信するという内容の課題を出題。

授業終了後、研究室で雑談していたときのことである。ふと研究室の机の上にあった横浜美術館のチラシに目がいった。「東日本大震災復興支援 ジャイアント・タンポポ・プロジェクト」と書いてある。長谷川潔という銅版画家の展示に関連したプロジェクトらしい。

「ジャイアント・タンポポ」という言葉でぼくが真っ先にイメージしたのは、スリーマイル島の原「パ」ツ事故のときに、放射能の影響で巨大化したと言われるタンポポのことだった。これは後で知ったのだが、タンポポにはなんでも「ジャイアント・タンポポ」という品種があるそうで、このチラシの「ジャイアント・タンポポ・プロジェクト」というタイトルは、長谷川潔がモチーフとしてこのジャイアント・タンポポを好んで描いたことから名付けられたらしい。しかし放射能が差し迫った恐怖として日常化している今、このタイトルにゴジラよろしく放射能で病的に巨大化したという、あのスリーマイルのタンポポのことを思い出したのは、ぼくだけではないだろう。しかしいくらなんでも”東日本大震災復興支援”でこれはシャレにならないのではないか…。

思わず研究室にいた学生に言う。

ぼく:「えっ?!この”ジャイアント・タンポポ”って、スリーマイルで巨大化したあのタンポポのこと? それとも”ジャイアント・タンポポ”っていうタンポポの種類があるのかな?”ジャイアント・パンダ”みたいに?(笑)」

地雷ワード、「ジャイアント・パンダ」、パ裂。

ここまでの成績…
積算上演日数:559日(+1)
終演まで:420日(±0)
終演見込み日:2012年7月12日(+1)

Posted: 5月 19th, 2011
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18/05/2011/WED/百三十五日目

福島で震度4。

多摩美で授業。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:558日(±0)
終演まで:420日(-1)
終演見込み日:2012年7月11日(±0)

Posted: 5月 18th, 2011
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17/05/2011/TUE/百三十四日目

日付変わってすぐに福島で震度4。朝、再び福島で震度3。夜、茨城で震度3。

芸大で授業。
撮影スタジオで人物撮影の実習。

照明をあてた時の肌のテカリを抑えるために、プレストパウダーがないので、ベビーパウダーで代用する。

ぼく:「こんな風に照明で肌がテカって気になるときは、ベビーパウダーをちょっと使ってやると…ほら抑えられるでしょ…」

地雷ワード、「ベビーパウダー」、パ裂。

ここまでの成績…
積算上演日数:558日(+1)
終演まで:421日(±0)
終演見込み日:2012年7月11日(+1)

Posted: 5月 17th, 2011
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16/05/2011/MON/百三十三日目

宮城で震度3。

多摩美で授業。その後、芸大取手校地へ。

今日は完封。

ここまでの成績

積算上演日数:557(±0)

終演まで:421(-1)

終演見込み日:2012710(±0)

Posted: 5月 16th, 2011
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15/05/2011/SUN/百三十二日目

日付変わってすぐに福島で震度3。朝、根室半島、福島で震度3。昼、再び福島で震度3。さらに夜も福島で震度3。

原「パ」ツ事故の影響で、福島県南相馬市から茨城県取手の施設に避難してきている人たちと芸大関係者の交流会が、芸大取手キャンパスで催された。

これは南相馬の人々を追ったドキュメンタリーを制作中の芸大2年生、竹内君が企画したもので、そもそもカジュアルにサッカーとバーベキューで楽しもうという趣旨だったのだが、いつの間にか話が大きくなり、交流会には新聞記者やお笑いタレントのホンジャマカの石塚英彦氏の姿も。

快晴の空の下でサッカーを楽しみ、バーベキューを食した後、木陰で南相馬の方々と雑談。

看護士を勤めていた若いお母さんの、震災直後の病院での壮絶な逸話に言葉を失う…。
そして福島原「パ」ツで作業員として働いていたおじさんによる貴重な当事者の話…。
圧倒的な歴史の目撃者の証言を前に、何が言えよう。

決して美化したいわけではないが、南相馬の人々は美しかった。
その澄んだ目が、ことばの訛りが、ひかえめな声がとても美しかった。
ぼくはただ、その目をまっすぐ見つめ、そのことばと声に耳を傾けながら、ただただうなずくことしかできなかった。

交流会の最後の閉めとして、最後にホーメイを披露。感謝を込めて歌う。
喜んでもらえただろうか。

原「パ」ツ作業員のおじさんと雑談しながらも、「パ」と口走らず、完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:557日(±0)
終演まで:422日(-1)
終演見込み日:2012年7月10日(±0)

Posted: 5月 15th, 2011
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14/05/2011/SAT/百三十一日目

福島で震度4。茨城で震度3。

福島第一原「パ」ツで60歳代の男性作業員が、機材搬送中に意識不明となり、病院に搬送されたが、間もなく死亡。男性は防護服を着ており、被曝量は0.17ミリ・シーベルトで、身体に放射線物質の付着はなかったという。死因は不明とのこと。

『身を捨つるほどの祖国はありや』という寺山修司の言葉が頭を巡る。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:557日(±0)
終演まで:423日(-1)
終演見込み日:2012年7月10日(±0)

Posted: 5月 14th, 2011
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13/05/2011/FRI/百三十日目

岩手で震度3。茨城で震度3。

芸大での授業中。

教室のコンピューターに学生用のアカウントをつくり、ログイン方法について説明している時のこと…。

ぼく:「パスワードは、ぼくの名字、全部小文字で”yamakawa”にしといたから…」

地雷ワード、「パスワード」、パ裂。

5月6日にあった菅首相からの要請の通り、中部電力が浜岡原「パ」ツ4号機を停止させた。

ここまでの成績…
積算上演日数:556日(+1)
終演まで:423日(±0)
終演見込み日:2012年7月9日(+1)

さらに、更新が一日滞ったので(6/29)、罰則として上演期間一日延長。
積算上演日数:557日
終演まで:424日
終演見込み日:2012年7月10日

Posted: 5月 13th, 2011
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12/05/2011/THU/百二十九日目

宮城で震度3。和歌山で震度3。

雨。芸大で授業。

母からメールが届く…

件名:原発
コントロール出来ていると言われていた1号機の燃料棒が溶けているらしいです。この事で「再臨界」の危険が出て来ました。神奈川県足柄茶に基準値以上の放射能が検出されました。全てに楽観できませんね。今後静岡のお茶も要注意です。これからは宇治茶、九州のお茶にします。君はお茶は買わないで下さいね。私が安全なお茶を買ってきますから。

…一方で東京新聞には、「”電力不足”は東京電力と経済産業庁によるプロパガンダだ」との内容の記事が掲載されていた。あの3月の計画停電は、国民に「原「パ」ツがないと電力不足になる」と刷り込むための茶番だったのか???。

6日連続の完封。

積算上演日数:555日(±0)
終演まで:423日(-1)
終演見込み日:2012年7月8日(±0)

Posted: 5月 12th, 2011
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11/05/2011/WED/百二十八日目

福島で震度3。千葉で震度3。宮城で震度3。

今日、昨年から一年間にわたり公開されていた「The Voice-over」のバラしが終わり、美術館の収蔵庫へ収められた。

形をもった作品とは不思議なものだ。
それはつくった当人の胸からえぐり出されてもなお、ずっと自律して鼓動を続ける心臓のようだ。
一度この胸からえぐり出された心臓は、もはや自分のものではないのだと痛感する。

作品が収蔵庫に収められるときになって気がついた。
ぼくは死んだ父を作品として形にすることで、永遠に生かしてしまったのだと。
とんでもないことをしてしまったのかも知れないと、少し怖くなった。

今日で震災から二ヶ月。スペイン南東部でマグニチュード5.1の地震があり、震源に近いムルシア自治州ロルカ(人口約8万人)では建物の倒壊などによって8人が死亡。ローマや台湾では大地震がくるとの噂が広がり、パニックが起きたというが、実際に地震が起きたのはスペインだった。

5日連続の完封。

積算上演日数:555日(±0)
終演まで:424日(-1)
終演見込み日:2012年7月8日(±0)

Posted: 5月 11th, 2011
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10/05/2011/TUE/百二十七日目

朝、茨城で震度4。夜、再び茨城で震度3。深夜、和歌山で震度4。

芸大で授業。
昼休みは大学から車で10分ほど走ったところにある、白鳥が棲む秘密の沼へ。
去年はまだ灰色がかっていたヒナたちは、もうすっかり立派な白鳥になっていた。

4日連続の完封。

積算上演日数:555日(±0)
終演まで:425日(-1)
終演見込み日:2012年7月8日(±0)

Posted: 5月 10th, 2011
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09/05/2011/MON/百二十六日目

茨城で震度3。

多摩美で授業。

三日連続の完封。

積算上演日数:555日(±0)
終演まで:426日(-1)
終演見込み日:2012年7月8日(±0)

Posted: 5月 9th, 2011
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08/05/2011/SUN/百二十五日目

早朝、岩手で震度4。朝、福島で震度3。昼、福島で再び震度3。夜、三たび福島で震度3。

昨年の4月から東京都現代美術館の常設展示室で公開されてきた作品『The Voice-over』の公開最終日。作品は明日以降バラされ、しばらく収蔵庫で眠ることとなる。

夜は実家へ母に会いにいく。母の日の贈り物として、コチョウランをプレゼント。

二日連続の完封。

積算上演日数:555日(±0)
終演まで:427日(-1)
終演見込み日:2012年7月8日(±0)

Posted: 5月 8th, 2011
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07/05/2011/SAT/百二十四日目

昼、福島で震度4。夜、和歌山で震度3。

渋谷で脱原「パ」ツデモに参加。

もちろん、シュプレヒコールには参加できず、黙々と歩く。

したがって今日は完封。

ここまでの成績…。

積算上演日数:555日(±0)
終演まで:428日(-1)
終演見込み日:2012年7月8日(±0)

Posted: 5月 7th, 2011
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06/05/2011/FRI/百二十三日目

未明、福島で震度5弱。朝、福島で震度3。昼、岩手で震度3。夕方、佐渡、宮城で震度3。夜、秋田で震度3。

芸大で授業。

授業中、何かの拍子に、「パっと見たときに…」と口を滑らせる。

地雷ワード、「パっと」、パ裂。

夜、母よりメールが届く。

件名:ニュース
今、管総理が浜岡原発を全炉運転停止を要請しました!! 文科省の予想では今後30年以内にM8以上の地震が起こる可能性が87%と高い確率が理由です。 英断に拍手ですね。 (2011/05/06/ 22:09)

ここまでの成績…
積算上演日数:554日(+1)
終演まで:428日(±0)
終演見込み日:2012年7月7日(+1)

さらに更新が一日滞ったので(6/26)、罰則として上演日数1日加算。
積算上演日数:555日
終演まで:429日
終演見込み日:2012年7月8日

Posted: 5月 6th, 2011
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05/05/2011/THU/百二十二日目

未明、静岡で震度3。夜、茨城で震度3。

屋久島滞在最後の日。

朝6時から白谷雲水峡をトレッキング。

岩という岩、木の幹という幹まで、およそ視界に入るもののすべてが苔に覆われている。これほどまで視界が緑色の光に支配されたのははじめてだ。網膜を通して水分が浸透してくるような感覚。「パ」ートナーはというと、大真面目に「木霊」を探している。「木霊」とは映画「もののけ姫」に登場する木の精霊で、ここ白谷雲水峡は「もののけ姫」のモデルになったそうである。

2時間ほど歩いて太鼓岩までたどり着き、雲海を下に望みながら弁当を食して下山、港へ。フェリーに乗船。

鹿児島港が近づくにつれて、だんだんと意識が自然から社会へと向いてくる。帰りのフェリーで「パ」ートナーと話していたときのこと。アメリカ軍によるビン・ラディン殺害の話題になった。ビン・ラディンはパキスタンに潜伏していたとのことだが、アメリカはパキスタン政府に事前通告なしに殺害作戦を実行したらしい。これはパキスタンへの主権侵害ではないのか?。しかもビン・ラディンは911テロの”容疑者”とされるが、ならば裁判にかけずにいきなり「殺害」するというのは国際法に抵触するのではないか?

ぼく:「勝手にパキスタンに押し入ってさぁ、裁判にもかけずに殺すなんてあり得ない話だよね…」

地雷ワード、「パキスタン」、パ裂。

鹿児島港に着くと桜島の火山灰が目に染みた。東京へ帰っても、山によって覚醒された感覚が収まらない。すぐにでも山に戻りたい。

ここまでの成績…
積算上演日数:553日(+1)
終演まで:428日(±0)
終演見込み日:2012年7月6日(+1)

Posted: 5月 5th, 2011
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04/05/2011/WED/百二十一日目

昼、青森県で震度3。夜、茨城で震度3。

自分の寿命を遥かに超越した時間を、ぼくたちはどう受け止めればいいのだろう…。

政府の地震調査委員会の阿部委員長は、今回の地震について「千年に1回起きるかという巨大地震だ」と語った。

福島原「パ」ツを設計したある設計者の証言によれば、原「パ」ツ設計の際、今回東北地方を襲ったような規模の大津波や、マグニチュード9クラスの地震を想定すべきだと上司に進言したものの、その上司に「千年に一度とか、そんなこと想定してどうなる」と、一笑に伏されたという。

また、原子力安全委員会班目委員長は、千年に一度の震災は想定外であり、原「パ」ツの設計をするにはそのような想定外のリスクは「割り切らなければ設計はできない」と発言した。

ぼくたちの生きている社会システムでは、千年単位の尺度でものごとを考えることは、効率性や合理性を欠いた妄想として切り捨てられ、目先の利益/損失が何より優先されていくようだ。ここでは「千年に一度」という確率は、非現実的なものとして扱われている。

しかし”千年の一度”の震災によって引き起こされた原「パ」ツ事故は、ぼくたちに、目先の効率性や合理性だけにとらわれるな、千年単位の尺度でものごとを考えよ、と訴えかけているように感じられる。確かに「千年」という大きな時間を現実的に捉えるのは難しい。「千年」という言葉には、時間的なエキゾチズムとでもいおうか、何か幻想的な響きすら感じられる。しかし考えてみよう。原「パ」ツの寿命はだいたい40年と言われているが、40年の間に千年の一度の地震が起こる確率は、40/1000=1/25。こう考えると、千年という時間に幻想を抱いている場合ではなくなってくる。原子力という大きな力を扱う以上、「千年」という大きな時間は、ぼくら自身の存続に関わる、きわめてリアルな時間感覚として捉えなければならないだろう。

しかし、現実はもっと果てしない。千年という年数などまだまだ生温いからだ。既に飛散しているプルトニウム239の半減期は二万四千年。飛散したと噂されているヨウ素129に至っては1570万年。これらの高レベル放射性廃棄物を処分するにはガラスで固めて、臭いものには蓋をしろとばかりに、半永久的に地中深く埋めておく以外に手だてがない。高レベル放射性廃棄物が安全な状態になる日を待つことは、弥勒菩薩が下生する日を待つことに等しい。地中深く埋められているならまだしも、今回汚染されてしまった土地はどうなるのだろう。そこで人が安全に暮らせる日が来るのは、一体いつになるのだろう。

来るべき未来には、夢を持って生きていたい。しかし震災と原「パ」ツ事故は、汚れた現実として、耐えきれないほどの重さの「大きな時間」をぼくたちに背負わせた。

この重圧から逃避することもできなくもない。感覚と思考を麻痺させて、先に書いた福島原「パ」ツの設計者の上司のように「大きな時間」など非現実的な妄想だと、一笑に伏してしまえばいい。

しかしそれはぼくにはできない。以前の日常感覚へ戻ることに対する、嫌悪感のような気持ちがそうさせない。…だからだろう。ぼくが屋久島へ来ようと思い立ったのは。

早朝4時に起き、まだ暗い内にキャンプ場を後にして、荒川登山口へ。「パ」ートナーと二人で原生の森の山道をいざ、出発。
夜が明ける。天から降り注ぐ朝日が森を目覚めさせる。
澄んだ緑色の光が網膜に染み入り、瑞々しい空気が肺に流れ込んでくる。
ぼくたちは時々渓谷の水で喉を潤しながら、ひたすら森の奥へと進んだ。
5時間ほど歩いた頃だろうか。辺りを霧が包みはじめたかと思うと、微細な水蒸気の粒は雨のしずくへと変わっていった。億単位を数えるであろう雨のしずくが、葉を、枝を、岩を、苔を、一斉に打つと、音の粒が生まれ、森を満たすそのコーラスの中を、千年以上の時間を生きてきた巨木たちが、悠然とそびえ立っていた。

「あらゆる存在をつらぬいてひとつの空間,リルケが世界内部空間と呼んだ不可視の空間があり,樹は,その存在を人間に予感させる唯一のものである」武満徹

ここは生と死が環を描いて出会うところなのだ。過去と未来が環を描いて出会うところなのだ。山を辿ることは、まるで未来の記憶を辿っているかのようだった。ぼくは自由になった。ほとんど動物のようになった。何時間も険しい山道を歩き続けたというのに、まったく疲労を感じず、体中に力がみなぎっていた。こんな感覚は子供の頃以来である。

そして、対面した。縄文時代から生きていると言われる巨木、「縄文杉」に。
何千年もの「大きな時間」が、樹の姿をもって、ただそこに在った。震災発生以来、絶望的な現実としての「大きな時間」の中に飲み込まれていたぼくは、希望的な現実としての「大きな時間」にやっと出会うことができたのだった。

原「パ」ツが突きつけてくる「大きな時間」を右手に、目の前の縄文杉と屋久島の巨木たちが生きている「大きな時間」を左手に抱えながら、ぼくはたかが数十年の自分の命を見つめていた。

7日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:544日(±0)
終演まで:420日(-1)
終演見込み日:2012年6月27日(±0)

しかし更新が滞ったので、(6/17~24)、罰則として上演日数8日加算。
積算上演日数:552日
終演まで:428日
終演見込み日:2012年7月5日

縄文杉

Posted: 5月 4th, 2011
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03/05/2011/TUE/百二十日目

朝、岩手で震度3。夜、福島で震度4、宮城で震度3。

今日から世間はゴールデンウィーク。

「パ」ートナーと朝4時に家を出て羽田空港へ。6時20分の鹿児島行きの飛行機に乗る。鹿児島空港到着後、港へ移動。鹿児島港から高速船に乗って屋久島へ。

私にとって屋久島は死ぬまでにいつか訪れようと思っていた特別な場所だった。そしてつい先週、ふと、その「いつか」が来たのを感じ、急に屋久島行きを思い立ったのだ。以前書いた通り、4月23日に私は壊れてしまったが、そこから新たに生まれ直すためには、”ここ”からいったん外へ出なければならない、そう私は感じていた。”ここ”の外とは具体的には、放射能の外、情報の外、首都圏の外…つまりは3月11日から続いている緊張の外ということになるのだが、それに加えて私が何より求めていたのは「時間の外」へ出るということだった。そしていつか訪れようと思っていた屋久島が、”ここ”から脱出して行くべきもっとも理想的な場所として、私の前に現れてきたというわけだ。

林芙美子の小説「浮雲」の一節に「屋久島は月のうち、三十五日は雨が降る」とあるが、島に着くとやはり雨が降っていた。港でレンタカーを借りうけ、島を一周する。ゴールデンウィークは年間を通して屋久島に最も多くの観光客が訪れる時期だという。しかし何故か道にはほとんど車が走っていない。沢山の観光客たちは、一体どこに隠れているのだろう。狐につままれたような気分。

山道を走っていると、「パ」ートナーが森の中に三頭のヤクジカがいるのを見つけた。車を停めてホーメイで歌いかける。すると好奇心旺盛な一頭が、耳をぴくぴくさせながら、黒々とした瞳で私を見つめ、ほんの数歩だけこちらへ近づいてきた。しばらくシカを相手にコンサート。すると山道を挟んで向かい側の森の中に人の気配を感じた。目を凝らすとそれは人ではなくヤクザルだった。サルにもホーメイで歌いかけてみる。が、無視…。

横河渓谷、大川の滝など、名所を点々と立ち寄りながら、島を一周しきる頃には、すっかり辺りは暗くなっていた。明日は午前3時半起きなので、午後9時半には就寝しなければならない。料亭でトビウオ料理を食して、キャンプ場へ。私たちが眠るのは祠(ほこら)のような形をした、広さ二畳ほどの簡素な小屋である。おそるおそる”祠”の扉を開けると、一匹の大きな黒蜘蛛が、天井からぼとりと落ちてきた。絶叫する「パ」ートナー。祠の主の出迎えだ。

ここには電気がない。携帯電話の電波も届かない。したがってweb版「パ」日誌の更新もできない。蝋燭の灯りを頼りに、ごそごそと明日の支度を済ませて、寝袋にもぐりこむ。「パ」ートナーに「おやすみ」と告げて蝋燭を吹き消すと、”祠”の中の小さな空間は、宇宙空間のように広大な闇へと一変した。

六日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:543日(±0)
終演まで:420日(-1)
終演見込み日:2012年6月26日(±0)

しかし、更新が一日滞ったので(6/16)、罰則として上演期間一日延長。

積算上演日数:544日
終演まで:421日
終演見込み日:2012年6月27日

Posted: 5月 3rd, 2011
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02/05/2011/MON/百十九日目

朝から晩まで、茨城、福島、宮城で頻繁に震度3レベルの地震。

多摩美で仕事の日。

パキスタンに潜伏していたビン・ラディンを”殺害”したとアメリカが発表。この殺害を受けて日経平均株価は一気に急騰。3月11日以来となる1万円台を回復した。

5日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:543日(±0)
終演まで:421日(-1)
終演見込み日:2012年6月26日(±0)

Posted: 5月 2nd, 2011
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01/05/2011/SUN/百十八日目

未明に茨城で震度3。朝、福島で震度3。昼、福島で震度4。夜、茨城で震度3。

オフ。
神保町の「さかいやスポーツ」でGORE TEXのトレッキング用レインウェアを上下で購入。

四日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:543日(±0)
終演まで:422日(-1)
終演見込み日:2012年6月26日(±0)

Posted: 5月 1st, 2011
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30/04/2011/SAT/百十七日目

朝、宮城で震度3。昼、茨城、福島で震度4。

デモへ行こうと思ったが、先日の交通事故による母の精神的ショックひどいようなので、昼は実家へ赴き、母の話し相手に。

夜は『4.48サイコシス』で共演したセミちゃんが、韓国から日本に来ているというので、セミちゃん、飴屋さんの娘さんのくるみちゃん、私の3人で新大久保で会う。飴屋さんとコロスケさん(飴屋さんの「パ」ートナー)は仕事で不在だったのだが、くるみちゃんが家で遊びたがったため、飴屋さん宅に上がり込んでDVDを鑑賞したり、お料理ごっこしたり。最後は近くの駐車場で季節外れの花火をしてお別れ。

三日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:542日(±0)
終演まで:422日(-1)
終演見込み日:2012年6月25日(±0)

しかし、更新が一日滞った(6/12)ので、罰則として上演日数一日延長。

積算上演日数:543日
終演まで:423日
終演見込み日:2012年6月26日

Posted: 4月 30th, 2011
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29/04/2011/FRI/百十六日目

未明、茨城、岩手で震度3。朝、新潟で震度3。昼、種子島で震度3。夕方、岩手で震度4。夜、茨城で震度3。

オフ。
トレッキング・シューズを一足購入。

小佐古敏荘内閣官房参与が、小中学校の屋外活動を制限する限界放射線量を年間20ミリシーベルトを基準に決めたことに対して抗議の辞任。「年間20ミリシーベルト近い被ばくをする人は原子力発電所の放射線業務従事者でも極めて少ない。この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたい」と、涙ながらに異論を唱えた。

二日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:542日(±0)
終演まで:423日(-1)
終演見込み日:2012年6月25日(±0)

Posted: 4月 29th, 2011
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28/04/2011/THU/百十五日目

朝、宮城で震度3。夜、福島で震度4。

芸大へ出勤。

私が勤務しているのは東京芸大とはいっても、上野校地の方ではなく茨城県は取手校地の方である。通勤には常磐自動車道を使うのが常だ。

震災以降、常磐道の交通情報を伝える電光掲示板には、常に「広野ICー常磐富岡IC 災害通行止め」との文字が表示されるようになった。この区間は福島第一原「パ」ツの約10km付近まで、第二原「パ」ツの2~3km付近にまで接近し、警戒区域に入ることになる。この道をまっすぐ行った先はグラウンド・ゼロ…。通勤の道中、この電光掲示板を目にするたびに、ハンドルを握る手に力が入り、溜め息が漏れてくる。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:542日(±0)
終演まで:424日(-1)
終演見込み日:2012年6月25日(±0)

Posted: 4月 28th, 2011
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27/04/2011/WED/百十四日目

昼、福島で震度3。夜、長野で震度4、福島で震度3。

清澄白河の駅を出て、清澄橋通り通って東京都現代美術館へ向かう。すると後ろ姿に見覚えのある男性が前を歩いているのが見えた。もしやと思い、追いついてみると東京都現代美術館学芸員の吉崎さんだった。

私:「あぁ、やっぱり吉崎さんだ。こんにちは」

地雷ワード、「やっぱり」、パ裂。
今年に入って「やっぱり」と口を滑らせるのは、これで20回目。最多頻「パ」ツ語はこの「やっぱり」だ。

今日は東京都現代美術館で多摩美の学外授業だった。授業では課題として映像を使ったインスタレーションを制作させるのだが、その一例として、常設展示室に展示されている私の『The Voice-over』を学生たちに紹介。作品について現場で解説する。

ここまでの成績…
積算上演日数:542日(+1)
終演まで:425日(±0)
終演見込み日:2012年6月25日(+1)

Posted: 4月 27th, 2011
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26/04/2011/TUE/百十三日目

朝、宮城、福島で震度3。昼、福島で震度3。夜、茨城で震度4。

芸大の授業初日。
多摩美と同じく、芸大取手校地の授業も震災の影響で遅れて開講。

授業の最初に自己紹介をかねて、ホワイトボードに大きく「パ」の字を書き、自分はこの音節を口にできないのだ、と詫びる。やはりどよめく教室。

しかし今日は調子が悪かった。
授業内で地雷ワード、「パフォーマンス」、「パソコン」、それぞれ一回ずつパ裂。今年になって「パフォーマンス」と口を滑らせたのは4回目。「パソコン」と口を滑らせたのは2回目である。

夜、帰宅してビールを飲みながらデスクワークをしていると、いきなりノートパソコンが故障。頭を抱えているところへ、母親から電話がかかってきた。駅前の横断歩道を歩いていたところ、車にはねられ救急車で病院へ運ばれたというのだ。慌てて車を飛ばして病院へ。飲酒運転したことになるが、事態が事態である。事故直後母は意識を失っていたらしいが、不幸中の幸いで軽いムチウチで済み、その日のうちに退院。

当然、事故の責任は運転者の方にあるわけだが、母は母でかなりぼーっと歩いていたらしい。4月13日に日誌に書いた「パ」ートナーの事故のケースと同じように、度重なる余震への恐れや、水や野菜、海産物などへの不安、国への不信感などによって、震災発生以来、何をするにも気持ちが浮ついた状態が続いていたようだ。それに追い打ちをかけるようにして、4月23日に私があんな問題を起こしたことが、ますます母をおかしくさせてしまったのだろう。

ここまでの成績…
積算上演日数:541日(+2)
終演まで:425日(+1)
終演見込み日:2012年6月24日(+2)

Posted: 4月 26th, 2011
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25/04/2011/MON/百十二日目

未明、熊本で震度3。夕方、茨城で震度4。

昨日「パ」ートナーに言われた言葉を肝に命じてすべて仕切り直し。
今日から私は生まれ直すのだ。

震災の影響で開講が遅れていた多摩美の授業は今日が初日。
はじめて顔を合わせる学生たちに、まず『「パ」日誌メント』について説明し、私が授業内で一切「パ」という音節を口にできないことを詫びる。
どよめく教室…。

仕事を終えた帰り道、車で多摩境通りを通ると、3月11日の日誌にも少し書いた「COSTOCO多摩境店」は閉店していた。2名の方が下敷きになって亡くなった駐車場のスロープも、あの日に倒壊した状態のままだった。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:539日(±0)
終演まで:424日(-1)
終演見込み日:2012年6月22日(±0)

Posted: 4月 25th, 2011
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24/04/2011/SUN/百十一日目

目が覚めると実家のベッドの上にいた。
どうやってここへ来たのかよく覚えていない。
手には切り傷。顔には打撲の跡。いつどこで怪我をしたのだろう。
しかし、自分が昨日取り返しのつかないことをしてしまったことだけは覚えていた。

蓄積された地球のプレートの歪みが限界に達して大地震が起こるように、3月11日以来私の中で少しずつ蓄積されてきた歪みがとうとう限界に達し、最悪の形で「パ」裂した。1月5日の日誌にも書いた、今までステージの上でしか露にしてこなかった破壊のエネルギーが行き場をなくし、日常生活の中で自分に向かった結果、「パ」ートナーを巻き添えにして恐怖のどん底に陥れた上、怪我まで負わせてしまったのだ。空気に絶望し、水に絶望し、土に絶望し、雨に絶望し、海に絶望し、国に絶望し、世間に絶望し、芸術にまで絶望していく中で、私に残された唯一の希望は「パ」ートナーとの未来だったというのに、それすら私は壊してしまったのだ。

五言絶句「勸酒」の井伏鱒二による有名な訳、「さよならだけが人生だ」という言葉に対して、寺山修司は「さよならだけが人生ならば、また来る春はなんだろう」と、希望の言葉で強烈なカウンターパンチを食らわせたが(寺山はボクシングファンだった)、私にとって「パ」ートナーの存在は、まさに寺山の言うこの「春」そのものだった。「パ」ートナーと出会う前の私はまるで灰色の燃えかすのようで、すっかり人生を生き尽くした気になっていた。そんな私に希望のカウンターパンチを喰らわせ、もう一度人生を生き直すことに本気にさせたのは他ならぬ彼女だった。

しかし今やすべてが終わったと思った。
途方に暮れているうちに、夕方になった。
ふいに電話が鳴る。

「パ」ートナーだった。

私は自分のしたことを詫びる以外、何も言うことができなかった。お互い無言の状態が続く。
どれくらい無言の状態が続いただろうか。「パ」ートナーがこう切り出した。

「あなたに罰を与えます。二子玉川にいるからすぐ来て。」

言われるがままに車で駆けつける。「パ」ートナーは憔悴しきった私を少し睨んで溜め息をつくと、ジュエリーショップへ連れて行くようにといった。

店にいくと、ガラスケースの中でずっと私たちを待っていたかのようにそれはあった。
七つの黒ダイヤで構成された十字架のネックレス。
「パ」ートナーは私にそれを買わせた。
その場で首にかけてやると、とてもよく似合った。

二人で店を出て歩き出す。すると「パ」ートナーは急に立ち止まって、私にこう言ったのだった。

「あなたは自分がとても強いエネルギーを持っていることをちゃんと知りなさい。そしてそのエネルギーが人々に大きな影響を与えてしまうことも自覚しなさい。エネルギーにはそもそも善も悪もありません。その現れ方が問題なのです。だから絶対に自分のエネルギーを悪い形で表さないこと。その強いエネルギーを善い形で表すのがあなたに与えられた仕事です。このことを約束できるなら昨日のことは許します。私はこのネックレスを今日から死ぬまでずっと首にかけ続けます。この黒ダイヤの十字架が、私との約束を破らないか、いつもあなたを見ています。」

「罰」とはこのことだったのか。
かくして私は黒ダイヤの十字架に、ずっと監視されることとなった。

福島で震度4。茨城で震度3。

今日は完封。

しかし、更新が一日滞ったため(6/8)、罰則として上演期間一日延長。

ここまでの成績…
積算上演日数:539日(+1)
終演まで:425日(±0)
終演見込み日:2012年6月22日(+1)

Posted: 4月 24th, 2011
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23/04/2011/SAT/百十日目

ついに私は壊れた。

自らの崩壊に「パ」ートナーを巻き込んで怪我をさせてしまった。

裸足で家を飛び出して、放射能の雨の中を彷徨う。

国道246号線。
走り去るトラックの怒号。
絶望的に黒い路面。

永遠に自分をこの世界から消そうと思った。
が、消せなかった。

そのまま家に帰らず。
その後のことはあまり覚えていない。

「パ」裂があったのか、なかったのかも、わからない。

精神崩壊による責任能力喪失のため、完封ということに。

ここまでの成績…
積算上演日数:538日(±0)
終演まで:425日(-1)
終演見込み日:2012年6月21日(±0)

Posted: 4月 23rd, 2011
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22/04/2011/FRI/百九日目

朝、千葉で震度3。昼、福島で震度4、千葉で震度3、熊本で震度3。深夜、福島で震度5弱。

昨日の日誌で書いた、柏と守谷の女性の母乳から放射性ヨウ素が検出された問題について、東京副都知事がtwitterでツイートした発言が物議をかもしている。

・・・・・・

感情でなく数値で判断してください。東京の数値は公表されている通り現在まったく安全です。 RT @keafairy @inosenaoki あす午後三時に、厚生労働省で会見「茨城県内で複数の母乳からヨウ素131が検出http://t.co/3KdsGE2 東京も検出は時間の問題
inosenaoki 2011/04/21 03:15:39

数値を示しながら発言してください。気分で言う意味はまったくありません。このツイッターでも金町浄水場の数値、新宿のセンターの蛇口の数値(いずれも都庁HP)にあります。言語技術の基本です。数値以外の議論は無駄です。
inosenaoki 2011/04/21 03:32:25

数値を示してもわからなければ゛わかる気がないということです。客観性という指標を否定したら、いま何時何分かも考えないで生きているということですから。別の個人的な不安を持ち込むのはやめたほうがよいです。
inosenaoki 2011/04/21 03:42:22

仕事をしない専業主婦は、パートでもなんでも仕事をして社会人になってください。数値の意味がわかるようになるしかありませんから。不確かな気分で子どもを不安にさせてはいけません。
inosenaoki 2011/04/21 03:48:28

数値を公表をしてもわからない人は「不定愁訴」です。ジョギングで気分でも変えください。行政の分野ではありません。
inosenaoki 2011/04/21 04:00:46

不安だ、不安だと東京でぶつぶつ言う人にかぎって東北へボランティアに行かない。現地を見てきたらよい。想像力が足りないんだろうね。
inosenaoki 2011/04/21 04:28:17

利己しかなく利他がみえない視野の狭い人には何を言っても無駄だね。
inosenaoki 2011/04/21 04:37:23

・・・・・・・

今のこの状況で、乳幼児を持つ母親が昨日のニュースを知って不安や恐れの感情を抱くのは当然だろう。自らの母乳から放射性物質が出ても数値が基準を下回っているから大丈夫、とクールに割り切って赤ん坊に乳を与えられる母親がいたとしたら、そっちの方が狂っていやしないか。私は人としてのごく自然な感情を蔑むような、この一連の発言に対して怒りの気持ちを禁じ得なかった。

この件について、「パ」ートナーに愚痴をこぼす…。

「…それがさ、怠け者はパートでもやれ、みたいなさ、酷い言い草なんだよ。誰に向かって言ってるか分かんないんだけど、パッと見、赤ちゃんがいる母親たちに言ってるみたいに見えてさ。ちょっとそれはないだろって。あんな人の気持ちを想像する想像力がない人間が副都知事をやってるなんて…」

地雷ワード「パート」、「パッと」、パ裂。

ここまでの成績…
積算上演日数:538日(+2)
終演まで:426日(+1)
終演見込み日:2012年6月21日(+2)

Posted: 4月 22nd, 2011
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21/04/2011/THU/百八日目

未明、宮城で震度3。早朝、福島、秋田で震度3。夕方、宮城で震度4。夜、千葉で震度5弱。

千葉県柏市の産後8ヶ月の女性の母乳から36.6ベクレル、茨城県守谷市の女性の母乳から31.8ベクレルの放射性ヨウ素が検出された。

巷では「ひとつになろう日本」といったスローガンが叫ばれている。しかしわざわざそんなスローガンを叫ばずとも、既に私たちは一つなのだという厳然たる事実を、このニュースを通して思い知らされずにはいられない。

今まで私は福島の原「パ」ツから送られてくる電気を使って生活してきた。つまりそれは自宅のコンセントが、東北は福島にまで物理的に繋がっているということを示している。そして今回、福島の原「パ」ツがドカンと吹っ飛んで、今度はその中に詰まっていた物が、遥か遠く関東に住んでいる母親の乳から流れ出た。

言うまでもなく母乳とは血液が変化したものだ。母乳から放射性物質が出たということは、つまりこの女性たちの血管の中に、福島の原「パ」ツの中に詰まっていた物が流れているということだ。柏や守谷周辺は私の勤務地である。自宅からもさほど遠くはない。つまりこれは私の血管の中にも、かなりの可能性で福島の原「パ」ツの中に詰まっていた物が流れているということを示している。

汚染された母乳が突きつけてくる。泣いても笑っても既に私たちは「ひとつ」なのだ、と。好むと好まざるとに関わらず、既に私たちは「ひとつ」なのだ、と。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:536日(±0)
終演まで:425日(-1)
終演見込み日:2012年6月19日(±0)

Posted: 4月 21st, 2011
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20/04/2011/WED/百七日目

秋田、茨城、福島、新潟で震度3。

ラーメンを食べながら、「パ」ートナーに何故私がチャリティー展「Art for Tommorrow」を辞退したか、その理由を説明していた。話した内容は大体4月9日の日誌に書いた通りである。

しかし、その際に思わず地雷ワード、「Japan Art Donation」、パ裂。

どうもだめだ。憂鬱な気分。どんどん落ち込んでいき、溜め息ばかり。相変わらず顔の表情筋もずっと引きつったままである。その引きつりをほぐそうと、手で頬をマッサージしてみるが、鈍くていやな感覚が襲ってくるだけで、ますます溜め息が漏れて出てくるのだった。
そんな時、実家の母よりメールが届く。

映画の提案
今、話題の原発ドキュメンタリーです。
「十万年後の安全」
フィンランドの映画です。 渋谷アップリンクで上映中。
連日満員。皆で見に行きませんか?
忙しいですか?
インターネットで検索してみてください。
私は生きている間中原発反対をします。
デモにも参加しようと思います。(暴れ回るデモは嫌ですが。)
君達次の世代に安全な地球を渡すことが去り行く者の努めであり義務だとかんがえるからです。
その為にも、もっともっと原発の事をしらねばなりません。
君達も君達の子供達に安全な地球を渡して欲しいと思います。

ここまでの成績…
積算上演日数:536日(+1)
終演まで:426日(±0)
終演見込み日:2012年6月19日(+1)

Posted: 4月 20th, 2011
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19/04/2011/TUE/契約者様へ(陳謝)


長らく更新が滞っていた「パ」日誌ですが、「パ」を購入いただいた契約者様よりクレームをいただきました。契約者様へ宛てた私の陳謝状を、ご本人様の承諾を得た上でここに公開させていただきます。それに伴いまして、本日4月19日より「パ」日誌の更新を再開させていただきます。以下文中にありますように、更新は震災前の日々と、震災後の日々が、丁度同じ日付でパラレルに進行する形で行います。さらなる詳細は以下の陳謝にてご確認ください。尚、文中の私からの提案は、契約者様によってすべて了承済みであることをご報告しておきます。今後とも『「パ」日誌メント』をよろしくお願い申し上げます。


○○○○様

まず最初にブログの更新が遅れておりますことを深くお詫び申し上げます。
また、アートを信じる一個人として、厳しくも真摯なご意見下さったことに感謝いたします。
いただいたメールを拝読し、貴殿のような方によって『「パ」日誌メント』が購入されたことを幸福に思いました。

今回のことについて以下に陳謝いたしますとともに、これを機会に私が『「パ」日誌メント』についての考えていることをご説明させていただきます。

まず、『「パ」日誌メント』においては、私が「パ」と発音してしまった瞬間、あるいは逆に「パ」と発音していないすべての瞬間こそが「ライブ」パフォーマンスであると考えています。

貴殿に「パ」という音節を販売したことによって、それを発音できなくなる不自由な状態を24時間365日続けることが「ライブ・パフォーマンス」である、というのがこの作品のコンセプトであると同時に、誓約書における第1、第2の誓約(クリックで表示)ですが、まず私はこれに関しては違反していないことを申し上げさせていただきます。

しかし私がいくら24時間365日、ライブパフォーマンス状態を続けていると主張しても、そのことが何らかの具体的な形で貴殿に示されなければ、観測できない猫の生死を問うようなものです。そのために設けられたのが、誓約書における第3の誓約(クリックで表示)であり、今回厳しくご指摘いただいている点です。

「ブログで随時公開報告する」という誓約における「随時」が、”数ヶ月に一度というのはあり得ない”、というご指摘はまったくその通りだと思います。

私はこの第3の誓約に違反していることを認め、深くお詫び申し上げなければなりません。

ここで一つめの提案なのですが、この違反については、更新が停まっている2月9日から数えて次にブログが更新されるまでの日数分、パフォーマンスの上演日を延長加算させていただくことで賠償責任とさせていただけないでしょうか。

私が ”パフォーマンスにおいてはライブの人” であり、更新が滞ることで、その私のパフォーマンスの ”ライブ感の担保が失われた” とのご指摘については、なるほどと思いました。

というのも、私にとってブログの更新はあくまで「随時報告」が目的であり、そのことを ”ライブ感を出すための仕組み” としては考えていなかったからです。

私は「ライブ感」が感じられるためには、以下の二つの条件のうち、いずれかが不可欠だと考えます。

  1. パフォーマンスの行われている瞬間の一回性が体感されること。
  2. 演者の発したものが観客に作用し、その観客の反応がまた演者に作用してパフォーマンスが変容していく、というフィードバック現象が起こること。

上記1の条件に則してブログに「ライブ感」を求めるならば、(これは極論かも知れませんが)書かれた報告は書かれた瞬間に消されなければなりません。

そうした「ライブ感を出す」ためには、ブログよりも、更新された情報が即座に流れていってしまうtwitterの方がずっと効果的だったと言えるでしょう。「パ」と口を滑らせてしまう度に、それをリアルタイムにtwitterで報告する案も考えましたが、私はその方法を選びませんでした。

なぜなら私はブログの執筆においては「ライブ感」よりも、綴られる言葉を未来に残して(遺して)いくことを重視していたからです。それは最終的に一冊の本にするというコンセプトにも現れていますし、これまで書いてきた記事タイトルが、ずらりとトップページに並んで表示されるというブログのデザイン構造にも現れています。

「パ」日誌に綴られた言葉は、現れたら消えずに蓄積され、残って(遺って)いく必要があるのです。その意味で、ブログに綴られていく言葉は、少なくとも私の中では、舞台でのライブパフォーマンスよりも、『The Voice-over』でのカセットテープ群の方につながっています。

おそらく貴殿の仰る「ライブ感」とは、例え上記1の条件を満たさずとも、言葉が少しずつ蓄積されていく過程を、緩やかな時間軸で共有していくことが、読者にとっては「ライブ感」なのだ、ということだろうと思います。そのような「ライブ感」と、「未来へ残す(遺す)こと」をハイブリッドに保つというのが最もスマートなバランスだったのでしょう。

おそらく私は「ライブ感」に対しても、「未来へ残す(遺す)こと」に対しても、理想に偏りすぎていました。じっくりと推敲した言葉を残したいという想いに囚われることで、書き進める速度が落ち、下書きが溜まり、更新が滞っていき、バランスを失っていたのだと思います。

更新頻度について現状では「随時」という曖昧な形での誓約となっており、具体的に設定した上でお約束していなかったことを後悔しています。このこともお詫び申し上げたいと思います。私のつもりでは、日刊紙~週刊誌レベルの頻度で更新したいと考えていました。どんなに滞ることがあっても、月刊誌レベル(一ヶ月)を超えることはあってはならないと思っていました。一週間遅れ…二週間遅れ…そして個人的に絶対に超えまいと思っていた一ヶ月という限度を超えてしまった矢先にあの震災が起きました。以来、ショックでさらに書き進めることができなくなって今に至る、というのが正直なところです。

貴殿をはじめ、読んで下さっていた方々をがっかりさせている自分自身に落胆するばかりですが、ここに来て貴殿の厳しいご意見をいただいたことが、当の私にとって非常に「ライブ感」のある出来事として感じられています。そのことを私は、前述の「ライブ感」の条件の2つ目に書いた、フィードバック現象がここで起こっているのだととらえています。そして貴殿のフィードバックに対する、フィードバックとして、私は今、この文書を書いています。

ここでもう一つ提案させて下さい。
この私の貴殿に宛てた文書をウェブ版「パ」日誌で公開し、それをもって滞っていた更新の仕切り直しとさせていただけないでしょうか。(貴殿の実名は伏せさせていただきます)
更新はまず、2月10日と11日、一ヶ月飛んで3月11日の三日間を更新し、以後、震災前の日々と、震災後の日々が丁度同じ日付で、パラレルに進行していくようにしたいと考えています。また、更新頻度については、オンタイムにキャッチアップするまでは毎日更新、キャッチアップしてからは、更新停滞の限度は「7日間」と設定させてください。
万が一、これを超えて更新が停滞した場合、限度を超えた日数を、上演日に延長加算させていただくことで賠償責任とさせてください。

かつて私は言葉というものに深く絶望し、憎んでいました。
言葉にすることで消えてしまうものがあるからです。
どんなに精密に組み立てられた言葉でも、またいかに美しく彩られた言葉でも、言葉とは宿命的に不完全であり、厳然たる真実そのものを語ることは絶対にできません。
その意味では、日記であろうと回想録であろうと、すべての言葉は嘘であると言えると思います。

しかし、私が言葉への絶望と憎しみから解放されたのは、故人の書き遺した言葉を読んだときに、言葉にすることで消えてしまうものがある一方で、言葉にしなければ消えてしまうものもあるのだ、と悟ったときでした。
言葉とは真実そのものを語ることはできませんが、目の前の真実とは別の、もう一つの真実を創造することができます。
そしてその言葉は読み返されるたびに時を超えて何度でも蘇ることができるのです。
私は「パ」日誌に綴られる言葉が、未来の者によってそのような形で読まれ、蘇り続けることを望んでいます。

手探りではじめた『「パ」日誌メント』ですが、この作品は3つの位相の「ライブ感」を有しており、それぞれに異なる観客が想定され得る、ということが分かってきました。
1つ目は、私が「パ」と発音してしまった瞬間、あるいは逆に「パ」と発音していないすべての瞬間に宿る「瞬間的ライブ感」。
2つ目は、「パ」日誌がブログとして公開され、現在進行形で更新されていくこと(あるいは今回貴殿からいただいたフィードバックのように、逆に更新されなかったこと)で生じる「社会的ライブ感」。
3つ目は、「パ」日誌の言葉が残され(遺され)、再び読み返されるたびに蘇る「超時的ライブ感」。
この3つの「ライブ感」が、できる限り完全な正三角形を保つバランス感覚が、作品の完成のために重要であると改めて認識いたしました。

最後に、このたび日本を襲った未曾有の危機の中、アーティストとして私が具体的にどのような行動をとるのか期待していてくださったとのこと、感謝いたします。
しかし私は積極的なことは何ひとつできませんでした。
海外ツアーをキャンセルしたり、いくつかのパフォーマンスの依頼を辞退したり…むしろ「何もできなかった」というよりも、敢えて「何もしなかった」と言った方がよいと思います。
それはこの圧倒的な渦の中、自分自身が何者によっても変えられないための、私なりの行動だったと言うこともできるでしょう。

世界と自分自身との間に生じる摩擦をしっかり体感しながら、ただ向き合い続けること。
そしてこの摩擦エネルギーから何かが生まれるかも知れない、という希望をしぶとく持ち続けること。
それが今の私にできる精一杯のことだと思っています。

本能が動きはじめ、自然に声が漏れてくるまでは、それで間違いないのだ、という漠然とした確信があります。

長文になりました。
改めて貴殿が私に向き合って下さったことに感謝いたしますとともに、私からの提案をご検討いただきますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。

2011年4月17日
山川冬樹


陳謝状は以上。

秋田で震度5弱。岩手、福島、茨城で震度4。
そして今日は完封。三日連続。

ここまでの成績…
積算上演日数:535日(±0)
終演まで:426日(-1)
終演見込み日:2012年6月18日(±0)

Posted: 4月 19th, 2011
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18/04/2011/MON/百五日目

長野、千葉で震度3。福島で震度4。

Snow Contemporaryの石水さん経由で「パ」の買い主から陳謝状への返信が届く。

私の「パ」は最も理想的な人によって買われたのだと思う。4月9日の日誌に書いたような、フェアなTradeがなされている、と確信。これはアーティストとして本当に幸運なことなのだろう。

そしていずれ私の「パ」とTradeされた100万円はまた別に何かとtradeされる。
それがこの絶望的な世の中を生きる私の希望となっている。

二日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:535日(±0)
終演まで:427日(-1)
終演見込み日:2012年6月18日(±0)

Posted: 4月 18th, 2011
Categories: パ日誌
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17/04/2011/SUN/百四日目

新潟で震度5弱。福島で震度4。茨城、千葉、宮城で震度3。

「パ」の買い主に宛てた陳謝メールを書くのに苦悶。

あぁ、なぜ自分は「パ」日誌の更新を滞らせてしまったんだろう…。そもそもなぜこんな変なことを始めてしまったんだろう…。3月11日以降、震災のせいですべてが狂ってしまったのだ。こんなはずじゃなかった。仕事もないし、未来もないし、希望もないし、あるのは苦悶のための時間だけ。もうこの国にも、何もできない自分にも心底嫌気がさした。最悪だ…。
何もかもが嫌になり、自暴自棄になりかけた時、「パ」ートナーが一冊の詩集を渡してくれた。

・・・・・・・・・・・・・・・・
「自分の感受性くらい」茨木のり子

ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを 近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を 時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守ればかものよ
・・・・・・・・・・・・・・・・

「ばかものよ」…私が求めていたのはこの言葉だった。ハンマーで脳天を打たれたかのような衝撃を受け、いても立ってもいられなくなり家を飛び出す。「ばかものよ」を全身に巡らせようと、本能が運動を求めたのだろう。私は走った。詩の言葉を反芻しながら走った。走れば走るほど私の中で「ばかものよ」が勢い良く弾んだ。

そして駅前までたどり着き、ふと立ち止まって横断歩道の方を見ると、一人のおじさんがヤギに首輪をつけて散歩していた。まるで犬でも散歩するかのように。

「なんでヤギやねん!」と、思わず関西弁でつっこみを入れる私。

私の住んでいるところは、都心から電車で20分ほどの街で、決して農村があるようなのどかな田舎ではない。しかしそんなことはどうでも良かった。私はこのヤギとの出会いに何だかよく分からない縁を感じて興奮し、すぐに家に戻ると、「パ」の買い主への陳謝メールを書き上げた。そして送信。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:535日(±0)
終演まで:428日(-1)
終演見込み日:2012年6月18日(±0)

Posted: 4月 17th, 2011
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16/04/2011/SAT/百三日目

栃木で震度5強。福島で震度3。

朝、起き抜けに寝ぼけたまま「パンツがない…」と発言。
「パ」の買い主への陳謝のメールを書きはじめる。

地雷ワード、「パンツ」パ裂。

ここまでの成績…
積算上演日数:535日(+1)
終演まで:429日(±0)
終演見込み日:2012年6月18日(+1)

Posted: 4月 16th, 2011
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15/04/2011/FRI/百二日目

未明、新潟、福島で震度3。夜、岩手、福島で震度3。
この「パ」日誌が2月9日を最後に更新が滞っている件について、Snow Contemporaryの石水さん経由で、「パ」の買い主から厳しいクレームのメールをいただいた。
激しく落ち込み、死にたくなる。

4日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:534日(±0)
終演まで:429日(-1)
終演見込み日:2012年6月17日(±0)

Posted: 4月 15th, 2011
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14/04/2011/THU/百一日目

朝、茨城で震度4、福島、三陸で震度3。昼、福島で震度4。夜、福島で震度3が頻発。

東京芸大上野校地にて会議。主な議題は新学期の授業について。震災の影響で芸大取手校地の授業は、25日からの開始となっている。会議の中でガイガーカウンターを事務室に設置するとの案が八谷和彦さんから提案された。

3日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:534日(±0)
終演まで:430日(-1)
終演見込み日:2012年6月17日(±0)

Posted: 4月 14th, 2011
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13/04/2011/WED/百日目

早朝、岩手で震度4。朝、福島で震度5弱。

昼、「パ」ートナーから電話があり、仕事場で怪我をしたという。急遽車で職場まで迎えにいき、病院へ連れて行く。

度重なる余震、放射能、不安定な社会、見えない未来など、さまざまな不安に襲われ、気もそぞろになっていたことが事故につながったようだ。痛みに助手席で泣き叫ぶ「パ」ートナーをなだめながら運転し、病院を点々とするが、なかなかちゃんと診てくれるところが見つからない。だいぶ走ってようやく良い病院がみつかり、飛び込みで処置をしてもらう。幸い大事には至らず。

しかし私は私で「パ」ートナーが突然怪我をしたことで、すっかり気が動転し、午後予定されていた桂英史さんとの打ち合わせのことをすっかり忘れてしまっていた。桂さんからの電話で気がついた時には、もう約束の時間は過ぎていた。

「パ」ートナーを自宅へ送り届け、急いで東京芸大の横浜校地へ。出向いたのは桂英史さんとの打ち合わせが主な目的だったが、ちょうど桂さんと藤幡正樹さんによる「3.11震災後について語ろう。」というシンポジウムが催されていたので聴講する。シンポジウムの途中で私にも意見が求められ、マイクを渡された。当然、原「パ」ツの話題が出るわけだが、「原子力発電所」という言葉を使うことで「パ」裂を回避。

公の場で発言する時、なぜか地雷ワードの「パ」裂はほとんど起こらない。自分の言わんとすることを多くの人へ伝えようとする時、リアルタイムに言葉を選別しているからだろう。その推敲のプロセスで「パ」のつく言葉は自動的に候補から外れていく。我ながらなかなかのスキルである。

震災が起きてからというもの、ずっと引きこもって悶々としていたが、声による意見交換の場に立ち会えたことで、心が少し救われる。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:534日(±0)
終演まで:431日(-1)
終演見込み日:2012年6月17日(±0)

Posted: 4月 13th, 2011
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12/04/2011/TUE/九十九日目

未明から福島で震度3レベルの地震が頻発。朝、千葉、長野で震度5弱、福島で震度4。昼、福島で震度6弱。夕方、長野、福島で震度4。夜、福島で震度4。

朝8時ごろ揺れで目が覚める。震源が近かったせいだろう。今までの余震とは揺れ方がまったく違って感じられた。やはり地震の揺れには様々な質の違いがあるようだ。

地震のニュースを確認しようと、ニュースサイトを立ち上げる。すると福島第一の原「パ」ツ事故評価がチェルノブイリと同じ「レベル7」に引き上げられていた。愕然…。地震に揺られて目覚め、悪夢のようなニュースとともに迎えた朝。

福島の原「パ」ツ事故評価の「レベル7」への引き上げについて、被曝による死者が出ていないのに、チェルノブイリと同じ評価はおかしいとの意見も見られるが、ならば1999年の東海村臨界事故で被曝による2名の死者が出たことは、あまりに軽く評価され過ぎているのではないか。チェルノブイリ以前に死者が出た原「パ」ツ事故といえば、1961年、アメリカはアイダホ州の軍事試験炉でおきたSL-1事故がある。この時は運転員3名が死亡したが、遺体の露出していた部分(頭部、手など)の汚染度があまりにひどかったために切断して”放射線廃棄物”として処分されたという。被爆した遺体は、もはや遺体ではなく「廃棄物」として扱われるのか。惨い話だ。「非人道的」とはこういうことを言うのだな。

被曝することによって染色体がずたずたになるように、人と人のつながりが壊れていく。共同体が壊れていく。そして私の心もゆっくりと被曝していく。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:534日(±0)
終演まで:432日(-1)
終演見込み日:2012年6月17日(±0)

Posted: 4月 12th, 2011
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11/04/2011/MON/九十八日目

震災からちょうど一ヶ月。

午後2時46分、黙祷を捧げる。

「パ」ートナーと私たちが生きているこの世界の現状や、未来について語り合う。しかし今日の私は調子が悪かった。
「原発」、「パニック」、「パレスチナ」と立て続けに地雷ワード三連「パ」ツ…。

そして午後5時過ぎ、大きな揺れが起こった。震源は福島県浜通り、震度6弱、マグニチュード7。この影響で福島第一原「パ」ツ1~3号機の外部電源が途絶え、各炉心への注水用仮設ポンプが一時的に停止。

この一ヶ月で、余震が起こるたびに忌まわしいあの爆発の光景が脳内で蘇り、どんな時でも原「パ」ツの状況を危惧せずにはいられなくなってしまった。震災以降、こんな非日常的な状態が、私たちの日常になったのだ。

24時間、私は「パ」がつく言葉の「パ」裂を恐れながら、格納容器の「パ」裂をも恐れて生きている。
二重の意味で『「パ」日誌メント』。

ここまでの成績…
積算上演日数:534日(+3)
終演まで:433日(+2)
終演見込み日:2012年6月17日(+3)

Posted: 4月 11th, 2011
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10/04/2011/SUN/九十七日目

夜、福島で震度4。

高円寺で行われた、反原「パ」ツ、脱原「パ」ツデモに「パ」ートナーと参加。主催者発表によると、この日のデモには15,000人もの人が集まったという。

集合場所の高円寺中央公園に着くと、人、人、人…。公園はデモの参加者でごった返していた。目眩がするほどの人ごみの中で、嬉しいことに飴屋法水さん、コロスケさん(飴屋さんの「パ」ートナー)、くるみちゃん(お二人の娘さん・4歳)、しー(みんなの共通の友人)とばったり。

ほどなくして、サウンドカーが先導する形でデモがスタート。

”原「パ」ツいらね~!!!”

…と、シュプレヒコールが叫ばれる中、「パ」という音節を発音できない私は、当然周りと一緒に声をあげられるはずもない。2011年、これほどまで私たちの生活を左右することになった”原「パ」ツ”というキーワードが、私にとっては口に出すことを許されない地雷ワードであるという皮肉…。くるみちゃんに「はい」っと手渡された黄色い菜の花を手に、私は「パ」ートナーと並んで、デモの列の中をてくてくと大人しく歩いたのだった。

どれくらい歩いただろうか。デモも終盤に差し掛かり、大通りに出たところで、川の水量が増えて流れが急に強くなったかのように、デモの勢いが増しはじめた。サウンドカーがかける音楽も最高潮に盛り上がり、デモ隊から大きな歓声があがる。警察隊の数も俄然多くなり、警察車両からはメガホンによる警告が執拗に繰り返される。高円寺の街は混沌とした様相を呈し、デモを威圧してくる警官に食って掛かる者も出てきた。

逮捕者が出ないといいが…、と思ったその時である。隣を歩いていた「パ」ートナーが突然、路上に倒れ込んでしまったのだ。渦を巻く群衆の熱気に気を失ってしまったらしい。急いで「パ」ートナーを抱いてデモの列を離れ、しばらく道ばたで休ませる。

デモは途中で切り上げて一旦帰宅。統一地方選挙の投票へ。
結局、東京では原「パ」ツ推進派の石原慎太郎が再選。
私が投票した神奈川県知事候補者は当選。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:531日(±0)
終演まで:431日(-1)
終演見込み日:2012年6月14日(±0)

Posted: 4月 10th, 2011
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09/04/2011/SAT/九十六日目

朝、群馬、茨城で震度3。昼、茨城、宮城で震度3。夕方、宮城で震度5弱、茨城で震度4。

インディペンデント・キュレーターの窪田研二さんが今回の震災を受けて設立した「Japan Art Donation」。その「Japan Art Donation」主催のチャリティー展、「Art for Tommorrow」が、渋谷ワンダーサイトで始まった。作品の販売によって得られた収益は全額、被災地復興支援にあてられるという。

実はこの「Art for Tommorrow」へは、私にも参加の打診があった。
しかし私はそれに対して返事を返さず、事実上それを辞退した。

そもそもこの『「パ」日誌メント』のアイディアは窪田さんとの縁によって生まれたものだった。昨年10月に青山スパイラルで開催されたアートフェア「ULTRA003」に、窪田さんの主宰するSNOW Contemporaryが出展するにあたり、「代表作家として山川さんを出したいので販売可能な作品を作れるか?」という窪田さんからの”問い”に対する、私の”答え”がこの『「パ」日誌メント』だったのだ。

『「パ」日誌メント』は、個人コレクターに販売した私の初めての作品である。「出演料」という形で表現活動の対価を得ることが主な私は、それまで自分の作品を個人コレクターに販売しようと考えたことは一度もなかったし、どちらかというとそのことに対する漠然とした抵抗感すら持っていた。だからこそ敢えて ”この資本主義社会に生きながら、アーティストにとって個人コレクターに作品を売るとは一体どういうことなのか?” という問いへの解を、自らが体感的に求めるために、この『「パ」日誌メント』をはじめたのである。

投げかけられた問いへの答えが得られていないのに、「被災者のために」という大義を背負って、チャリティー展に参加することは私にはできない。窪田さんに返事を返さなかったのは…より正確に言うなら「返せなかった」のは…、チャリティー展の、作品販売によって得られた収益を被災地復興支援にあてる、というやり方に私が感じた違和感を、その時うまく言葉にできなかったからだろう。その違和感とは ”アーティストにとって、コレクターに作品を売るとは一体どういうことなのか?” という私の問いが、 ”被災地支援” という答えに直結してしまうという、”Trade” と “Donation” を巡る、ちぐはぐさへの違和感だったのだと、後になって分かってきた。

実際に値段がつけられ、アートマーケットで売買されたとしても、アート作品には決して数字で測り得ない価値がある。だからこそ私は、アート作品とTradeされる、お金そのものにも、額面では測り得ない価値を求めたいと思う。

私は、『「パ」日誌メント』の対価として支払われた代金100万円を、『「パ」日誌メント』を取り扱うギャラリーにあたる、窪田さん主宰のアート・プロダクション「SNOW Contemporary」を介さずに、買い主から直接私の口座に振り込まれるようにしてもらった。つまり『「パ」日誌メント』の取引において、中間マージンは発生していないのだ。その代わりに、私から「SNOW Contemporary」に支払うべき別のプロジェクトのマネージメント料に、『「パ」日誌メント』の取引にかかる中間マージン相当の金額を上乗せする形で差額を相殺したのだった。

私がわざわざこのようなことをしたのは、この『「パ」日誌メント』に「”100万円”出そう」と決めた買い主の決意を、そのままストレートに受け取りたいと思ったからだ。私は私の作品に対して支払われた100万円というお金には、買い主の私の作品や、私というアーティストに対する評価やリスペクトといった、肯定的な意思が込められていると信じたい。そして、そのような意思が込められた100万円というお金に、私は額面では測れない価値が存在すると考える。そのような額面価値を超えたお金と自分の作品がTradeされる時、私はアートマーケットにおいてはじめてフェアなTradeがなされたと納得することができる。そこで買い主によって”払われる”のは金銭だけではない。同時にリスペクトが、作品へそしてアーティストへ”払われている”のだ。私が私の作品を構成する労働や材料費といった数字で測れる価値以外の、芸術的価値といったものと本当の意味でTradeするに値すると思えるのは、何よりまずこのリスペクトなのである。

チャリティー展でコレクターが作品に対して払ったお金に、作品とアーティストに対するリスペクトが込められているとするならば、払われたお金が作品と直接Tradeされずに、被災地の復興支援にあてられるとき、作品とアーティストへ”払われた”コレクターのリスペクトは一体どこへ行くのだろう?

あるいはコレクターが作品を買う動機が、まず第一に被災地支援にあった場合、そこでの作品とは募金のオマケのような物になってしまわないだろうか?。払われたお金に作品とアーティストへのリスペクトが込められていないとするならば、そもそもアーティストが自分の作品をコレクターに売るとは、一体どういうことなのだろう?

いろいろ思うところはあるけれど、被災地支援のために一円でも多くのお金が集まることは良いことに違いない。チャリティー展のTradeとDonationを巡る特殊なお金と価値の流れを、一つに合流させるようなアイディアも考えられただろうし、そもそも私が求められたのは作品の提供ではなく上演形式のパフォーマンス参加であること(一対一のTradeとは異なる)、「Japan Art Donation」が集まった義援金を芸術に還元することで、芸術による被災地支援を謳っていることなどを考えても、今回の「Art for Tommorrow」が、ここまで私が述べてきたような側面だけでは捉えきれないのだ、とは思う。しかしそれでも私は一人のアーティストの立ち場で考えた時に、チャリティー展の構造に違和感を感じ、そこに乗れなかったのだった。

1月26日誌に書いたように、預金通帳に印刷された数字を見たときは、私の「パ」という音節に対して払われた100万円というお金に対してあまり実感が湧かなかったのだが、今回のことを通してだんだんと実感が湧いてきている。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:531日(±0)
終演まで:432日(-1)
終演見込み日:2012年6月14日(±0)

Posted: 4月 9th, 2011
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08/04/2011/FRI/九十五日目

茨城、宮城、福島で震度3。

昼、何となく公園へ行くと、今年も例年と同じように桜が咲いていた。頑強な幹。爆発的に広がる枝ぶり。夥しい数の花びら。それなのに一ひら一ひらは何故こんなに優しい色なのかと思い、地面に散った花びらを拾い上げ、目を凝らしてみれば、「優しい」などという僕のヤワな感傷にFuck youと叫ぶように、花びらの付け根の激しいピンク色が網膜に突き刺さってきた。

夜、新宿ピットインへ大友良英さんと飴屋法水さんのデュオを観に出かける。

最近、顔の筋肉がおかしい。表情筋がひきつって頬が死人のそれのように硬直してしまっている。自分がどのように人とコミュニケーションをとっていたのか、よく分からなくなってしまった。

ライブは素晴らしかった。大友さんと飴屋さんの、瞬間瞬間で自ら放とうとする音を”信じる力”の強度に圧倒された。それなのにというべきか、だからこそというべきか、帰宅してから何故かとても気分が落ち込んでしまう。そんな私の様子を気にかける「パ」ートナーに言った。

私:「心配かけてごめんね」

地雷ワード、「心配」、パ裂。
11日間続いた連続完封記録がここで終わる。

ここまでの成績…
積算上演日数:531日(+1)
終演まで:433日(±0)
終演見込み日:2012年6月14日(+1)

Posted: 4月 8th, 2011
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07/04/2011/THU/九十四日目

宮城県沖を震源に、震度6強の余震。茨城で震度4の地震。

この影響で宮城県の女川原「パ」ツが冷却系統の電源3つのうち2つを損失。青森の東通原「パ」ツと、六ヶ所村再処理工場では、外部電源が使えなくなり、非常用発電機で冷却する事態に。

一時的に危機的な事態となり背筋が凍る。

そして11日連続の完封。連続完封記録更新中。

ここまでの成績…
積算上演日数:530日(±0)
終演まで:433日(-1)
終演見込み日:2012年6月13日(±0)

Posted: 4月 7th, 2011
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06/04/2011/WED/九十三日目

福島、茨城で震度4。宮城、茨城、新潟で震度3。

とうとう言論統制がはじまった。
総務省から、「東日本大震災に係るインターネット上の流言飛語への 適切な対応に関する要請」が出される。

暗澹たる気分。どんどんこの国が嫌いになっていく。

ほとんど家から出ず。10日連続の完封。連続完封記録さらに更新。

——————–

平成 23 年4月6日 総基消第145号

社団法人 電気通信事業者協会 御中
社団法人 テレコムサービス協会 御中
社団法人 日本インターネットプロバイダー協会 御中
社団法人 日本ケーブルテレビ連盟 御中


東日本大震災に係るインターネット上の流言飛語への 適切な対応に関する要請
総務省総合通信基盤局長

平素より、情報通信行政に対し、格別の御高配を賜り、厚く御礼申し上げます。さて、本日、「被災地等における安全・安心の確保対策ワーキングチーム」(※)に おいて、「被災地等における安全・安心の確保対策」(別紙参照)が決定されました。東日本大震災後、地震等に関する不確かな情報等、国民の不安をいたずらにあおる 流言飛語が、電子掲示板への書き込み等により流布しており、被災地等における混乱 を助長することが懸念されます。つきましては、インターネット上の地震等に関連する情報であって法令や公序良俗 に反すると判断するものを自主的に削除することを含め、貴団体所属の電気通信事業 者等に、表現の自由にも配慮しつつ、「インターネット上の違法な情報への対応に関 するガイドライン」や約款に基づき、適切な対応をおとりいただくよう御周知いただ くとともに、貴団体においても必要な措置を講じてくださいますようお願い申し上げ ます。

※ 平成23年3月31日、関係省庁が緊密に連携し、被災地等における安全・安心の確保に 係る総合的な対策を検討・推進することを目的に設置(議長:内閣官房副長官補(内政)。

以上

被災地等における安全・安心の確保対策について(抜粋)

平成23年4月6日 被災地等における安全・安心の 確保対策ワーキングチーム決定

被災地等における安全・安心の確保対策(抜粋)
1 被災地等の治安回復・維持

(10) 流言飛語への対応
【内閣官房・警察庁・総務省・経済産業省】 地震や原子力発電所事故に関する不確かな情報等、国民の不安をいたずら にあおる流言飛語が、口伝えや電子メール、電子掲示板への書き込み等によ り流布されており、被災地等における混乱を助長していることから、このよ うな流言飛語に惑わされることのないよう、関係省庁が連携して、広く注意喚起のための措置を講じる。 特に、インターネット上の流言飛語については、関係省庁が連携し、これらの実態を把握した上で、インターネット利用者に対して注意喚起を行うと ともに、サイト管理者等に対して、法令や公序良俗に反する情報の自主的な 削除を含め、適切な対応をとることを要請し、正確な情報が利用者に提供さ れるよう努める。また、国、地方公共団体等は、あらゆるメディアを通じて信頼できる情報 発信に努める。なお、国、地方公共団体等が民間ソーシャルメディアを活用するに当たっ ては、認証の取得等の対策を講じることで、情報源としての信頼性を確保し、 インターネット上の流言飛語を抑止する。

被災地等における安全・安心の確保対策ワーキングチームの設置について(抜粋)
平成23 年3 月31 日 関係省庁申合せ

1 平成23 年(2011 年)東北地方太平洋沖地震の被災地及び福島第一及び第 二原子力発電所事故に係る避難指示対象地域等においては、混乱に乗じた犯罪 等の発生が懸念されるとともに、その他の地域においても、人の善意に乗じた 詐欺等の発生が懸念されることから、関係省庁が緊密に連携し、被災地等にお ける安全・安心の確保に係る総合的な対策を検討・推進するため、「被災地等 における安全・安心の確保対策ワーキングチーム」(以下「ワーキングチーム」 という。)を設置する。

ここまでの成績…
積算上演日数:530日(±0)
終演まで:434日(-1)
終演見込み日:2012年6月13日(±0)

Posted: 4月 6th, 2011
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05/04/2011/TUE/九十二日目

早朝、茨城で震度4。千葉で震度3。山形で震度3。岩手で震度3。宮城で震度3。

仕事がないので、ネットに没頭。

そしてまたアンドレイ・タルコスフキー『サクリファイス』のDVDを観る。

核戦争も、魔女と寝たのも幻だったのか…。ソファから起き上がったアレクサンドルが、取り戻された日常を実感しようとまず確認したのは「電気」だった。

1、ステレオの電源を切る。
2、電気スタンドの電源スイッチを入れたり切ったりしてみる。
3、電話をかけてみる。

9日連続の完封。連続完封記録更新。
仕事がない分、人と会わないので「パ」裂せずに済んでいる。

ここまでの成績…
積算上演日数:530日(±0)
終演まで:435日(-1)
終演見込み日:2012年6月13日(±0)

Posted: 4月 5th, 2011
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04/04/2011/MON/九十一日目

茨城で震度3。

飴屋法水さんファミリーと遊ぶ。まずは飴屋さん、コロスケさん、くるみちゃんと待ち合わせ。ドーナツ食べて新宿でかくれんぼ。途中から「パ」ートナー、デバ、しーも合流して飴屋さんちに移動して皆で戯れる。夜は新大久保の韓国料理屋でごはん。
楽しかった。

8日連続の完封。連続完封記録更新。

ここまでの成績…
積算上演日数:530日(±0)
終演まで:436日(-1)
終演見込み日:2012年6月13日(±0)

Posted: 4月 4th, 2011
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03/04/2011/SUN/九十日目

朝、秋田で震度3。昼、茨城、福島で震度3。夕方、福島で震度4。夜、また福島で震度4。

実家で夕食。
キッチンから食卓への料理の運び方をめぐって、母と激しい親子喧嘩。
私も母も疲れているようだ。

7日連続の完封。
2月25日~3月3日の期間に達成した連続完封記録に並んだ。

福島原発で不明の20代東電社員2人、遺体で発見(産経ニュース)
東京電力は3日、福島第1原子力発電所4号機タービン建屋で行方不明になっていた同社社員2人が遺体で見つかったと発表した。
東電によると、死亡が確認されたのは、福島第1原発第1運転管理部の小久保和彦さん(24)と寺島祥希さん(21)。
2人は3月30日午後、4号機タービン建屋地下1階で発見された。現場は放射性物質で汚染された水がたまっており、1人は水面に浮いた状態で見つかった。翌31日に運び出して除染作業を行い、4月2日に死亡確認と家族との対面が行われたという。
2人は震災当日の3月11日、4号機タービン建屋地下1階の調査に行ったまま行方不明になっていたという。死因は多発性外傷による出血性ショックで、死亡推定時刻は3月11日午後4時ごろ。津波に巻き込まれたとみられる。
東電の勝俣恒久会長は「地震・津波に襲われながらも発電所の安全を守ろうとした若い社員を失い痛恨の極み。深くご冥福をお祈りする。二度と悲劇を繰り返さないことを誓い、福島第1原発の事故収束に向け全身全霊をかたむけていく」とコメントした。

ここまでの成績…
積算上演日数:530日(±0)
終演まで:437日(-1)
終演見込み日:2012年6月13日(±0)

Posted: 4月 3rd, 2011
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02/04/2011/SAT/八十九日目

未明、宮城で震度4。昼、宮城で震度4、秋田、岩手、茨城で震度3。夕方、茨城で震度5弱。夜、福島で震度4。

ふと武満徹の言葉を思い出す。

「それは戦争の末期で私は十四、五歳でした。私は軍隊とともに山の中にいました。その当時西洋音楽を聴くことは禁止されていて(当局の馬鹿げた政策ですが)軍歌とドイツのマーチだけが許されていました。ある日のこと、とても若く知的な見習士官が軍に配属されました。大学の学業半ばに徴兵された彼は、戦争を憎んでいました。その彼の行なったことが私の人生を変えました。彼は西洋音楽のレコードを一枚持ってきていたのです。それは禁止されていたシャンソンのレコードでした。私たちはひそかに集まり、隠れて聴きました。レコードには二〇年代か三〇年代の歌が一曲入っていました。彼はレコードをかけ、私たちは耳を傾けました。そんなに美しいものが存在するとは想像したことさえなかったので、私はびっくりしてしまいました。『パルレ・モワ・ダムール』、何とすばらしい音楽でしょう!あの経験は死ぬまで忘れられないでしょう。その時です、いつか戦争が終わったら作曲家になろうと決めたのは。」

久しぶりに武満徹の音が聞きたくなってCDをプレーヤーにかけた。

『弦楽のためのレクイエム(1957)』

3月28日の日誌に書いた「被曝した遺体」が収容されたとのこと。しかし原「パ」ツ20キロ圏内には、数百~1000体もの「被曝した遺体」が残されていると推定されるという。

夜、私が電話の着信に気づかなかったことが原因で、「パ」ートナーと喧嘩。

6日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:530日(±0)
終演まで:438日(-1)
終演見込み日:2012年6月13日(±0)

Posted: 4月 2nd, 2011
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01/04/2011/FRI/九十一日目

全国民が平和と秩序と規律の回復に努めねばならぬ。我々が恐れる唯一の危険な敵は、パニックが起こる事である。パニックは伝染しやすく、常識を以ってしては、測れぬ様相を示す事がある。秩序と、そして組織である。国民諸君、このほかに道はない。秩序だ。秩序を守って、混乱を防ぐのだ。国民諸君に心からお願いする。何が起ころうとも勇気を以って、理性に従って行動しなければならぬ。
ミサイル基地のどれかが、おそらくは、我々に悲劇的終末をもたらす。通信はもはや保証されていない。国民諸君、この際、何が重要であるかは、すでに話した。動いてはならぬ。全欧州に安全な土地は、我々がいる所のほか、他にどこにもない。そのため、我々全員が同じ状況のもとにおかれている。すべての地区に軍の特殊部隊が配置され、その指揮をうける。それ故…

ザーという音と同時に電波が混線し、テレビの映像が途絶える。

「何かしないでいいの?」いすから立ち上がって言うアデライデ。

「私はこの時を一生待っていた。この時が来るのを待っていた」と独り言を言うアレクサンドル。

部屋を沈黙が襲う。オットーがアデライデにさわろうとする。

「さわらないで!」と叫び、「私たち何かできないの?」と泣き崩れるアデライデ。

「ママ落ち着いて」とマルタ。

アデライデを落ち着かせようとするヴィクトル。

「私が悪いのよ。罰を受けているのよ」と言いながら、理性を失っていくアデライデ。

アンドレイ・タルコフスキー、『サクリファイス』より。

秋田で震度5強。岩手、宮城で震度4。

5日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:530日(±0)
終演まで:439日(-1)
終演見込み日:2012年6月13日(±0)

Posted: 4月 1st, 2011
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31/03/2011/THU/九十日目

昼、茨城で震度3。夕方、宮城で震度5弱。

非常勤講師を勤めている芸大と多摩美の両校から、2011年度の授業を4月末開始に遅らせるとの連絡。非常勤講師は時間給での雇用のため、授業日数が減るのは痛い。自粛ムードでライブの仕事もめっきり減ってしまったし、4月はずいぶん暇になりそうだ。

4日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:530日(±0)
終演まで:440日(-1)
終演見込み日:2012年6月13日(±0)

Posted: 3月 31st, 2011
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30/03/2011/WED/八十九日目

朝、長野で震度3。昼、新潟で震度3。夕方、福島で震度3、茨城で震度3。夜、茨城で震度4、千葉で震度3、宮城で震度3、長野で震度3。

度重なる余震、放射能の不安、マスコミへの不信感、世間への違和感などで私も「パ」ートナーも精神的に疲弊していた。そんな時は音楽を演奏して鬱屈したものを吹き飛ばすに限る、ということで「パ」ートナーの書いた詞に私が曲をつけて歌ったり、”かごめかごめ”をサイケデリックなアレンジで演奏したり…。私がギターとホーメイ担当、「パ」ートナーが歌とピアノを担当し、夜更け過ぎまでどんちゃん騒ぎ。

千葉県松戸市で22日の水道水の放射線量が、基準値を超えていたことが今さら分かったとのニュース。水道局も信用できない。

3日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:530日(±0)
終演まで:441日(-1)
終演見込み日:2012年6月13日(±0)

Posted: 3月 30th, 2011
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29/03/2011/TUE/八十八日目

朝、岩手で震度3。夕方、福島で震度3。夜、福島で震度4、茨城で震度3。

度重なる余震に「パ」ートナーが地震酔いして嘔吐。看病する。

今日は完封。

以下、忘れられないニュース。

福島の野菜農家が自殺 摂取制限指示に「もうだめだ」(朝日新聞)

福島県須賀川市で24日朝、野菜農家の男性(64)が自宅の敷地内で首をつり、自ら命を絶った。福島第一原発の事故の影響で、政府が一部の福島県産野菜について「摂取制限」の指示を出した翌日だった。震災の被害に落胆しながらも、育てたキャベツの出荷に意欲をみせていたという男性。遺族は「原発に殺された」と悔しさを募らせる。

自宅は地震で母屋や納屋が壊れた。ただ、畑の約7500株のキャベツは無事で、試食も済ませ、収穫直前だった。遺族によると、男性は21日にホウレンソウなどの出荷停止措置がとられた後も「様子をみてキャベツは少しずつでも出荷しないと」と話し、納屋の修理などに取り組んでいた。

23日にキャベツの摂取制限指示が出ると、男性はむせるようなしぐさを繰り返した。「福島の野菜はもうだめだ」。男性の次男(35)は、男性のそんなつぶやきを覚えている。「今まで精魂込めて積み上げてきたものを失ったような気持ちになったのだろう」

男性は30年以上前から有機栽培にこだわり、自作の腐葉土などで土壌改良を重ねてきた。キャベツは10年近くかけて種のまき方などを工夫し、この地域では育てられなかった高品質の種類の生産にも成功。農協でも人気が高く、地元の小学校の給食に使うキャベツも一手に引き受けていた。「子どもたちが食べるものなのだから、気をつけて作らないと」。そう言って、安全な野菜づくりを誇りにしていたという。

遺書はなかったが、作業日誌は23日までつけてあった。長女(41)は「こんな状態がいつまで続くのか。これからどうなるのか。農家はみんな不安に思っている。もう父のような犠牲者を出さないでほしい」と訴える。

ここまでの成績…
積算上演日数:530日(±0)
終演まで:442日(-1)
終演見込み日:2012年6月13日(±0)

Posted: 3月 29th, 2011
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28/03/2011/MON/八十七日目

未明、栃木で震度3。朝、宮城で震度5弱、茨城で震度3。昼、秋田で震度3。夜、岩手で震度3、茨城で震度3。

福島県警の発表によると、昨日、原「パ」ツから5~6キロ地点の大熊町で「被曝した遺体」を発見したものの、放射線量が高すぎて収容を断念、その区域に置き去りにしたとのこと。

それにしても「被曝した遺体」…、なんという惨い言葉の響きだろう。
「被」り、「曝」され、「遺」された、「体」。

夜はKUBOTA KENJI ART OFFICEのみなさん、伊藤キムさんと打ち合わせ。当然ながら原「パ」ツ の話題が出るわけだが、終始「原子力発電所」という言葉で乗り切り、完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:530日(±0)
終演まで:443日(-1)
終演見込み日:2012年6月13日(±0)

Posted: 3月 28th, 2011
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27/03/2011/SUN/八十六日目

未明、茨城で震度3。早朝、福島で震度4。昼、岩手で震度3。夜、宮城で震度3、福島で震度3。

仕事がない。

じとーっとしながら、自宅を出ずにネットで情報収集。

ドイツの選挙では「緑の党」が躍進し、福島の事故を受けて各地で反原「パ」ツデモが行われ、推計25万人が参加したという。

ノートパソコンのスクリーンに映し出される情報とにらめっこしながら、思わず漏れた独り言…。

「ぜったい原発なくさなきゃ…」

地雷ワード、「原発」、「パ」裂。

人との会話では毎回「原子力発電所」という言葉を使って回避し続けていたのだが、独り言で口が滑った。

ここまでの成績…
積算上演日数:530日(+1)
終演まで:444日(±0)
終演見込み日:2012年6月13日(+1)

Posted: 3月 27th, 2011
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26/03/2011/SAT/八十五日目

未明、茨城で震度3。早朝、茨城で震度3、宮城で震度3。朝、岩手で震度3。夕方、茨城で震度3。夜、宮城で震度4。深夜、茨城で震度4、福島で震度4。

原「パ」ツ事故以来、壁に設置された小さな二本の溝の暗闇に、さまざまなものが見えるようになってきた。

今まで私は自分がインディペンデントなスタンスで活動していることにささやかなプライドを持っていた。例え得られるお金が少なくとも、何者にも縛られず、インディペンデントな立ち位置で、自由に表現活動をしていることが私にはとても価値のあることだった。しかし自分の活動で消費してきた電力が、一部の地域に住む人々にリスクを押し付ける形で作られていたということ、そしてその電力をつくる原「パ」ツが、他ならぬ冷戦の負の遺産であり、今現在もさまざまな利権が絡んでいるということ…。自分の活動がインディペンデントでもなんでもなく、ディペンドしたくないものにディペンドしながら成立していたという事実と、そのことに無自覚だった自分自身に、私は今、愕然としている。

さらに私に重くのしかかってくるのは、”エレクトリック”であることが、自分の「パ」フォーマンスにおける重要なアイデンティティとなっていたことである。例えば骨伝導マイクを使った「パ」フォーマンスでは、鼻骨に取り付けたコンタクトマイクを、真空管ギターアンプに入力し、その状態で口を閉じたままホーメイを歌い、頭蓋骨に響く振動を増幅する。本場トゥバ共和国のホーメイがアコースティックギターなら、日本の都市部で生まれた骨伝導マイクによる私のホーメイはエレキギターに例えられるだろう。ギターはあくまで楽器だが、ここで電気化されているのは楽器でなく私の身体である。
また、電子聴診器を使った「パ」フォーマンスでは、心臓の鼓動を白熱灯の明滅と同期させてみせるのだが、これは150Wの白熱球をいくつも使うので相当な電力を消費する。ならばLEDで代用して節電すれば良いといわれるかも知れないが、心臓の鼓動と同期するのは、やはり白熱球のフィラメントが燃えることによって生じる火の光でなければならないのだ。ここでは大量の電力が熱とともに消費されることが、「パ」フォーマンスで発せられるエネルギーの強さに直結しているのである。命の鼓動が、電流の波に変換され、火の明滅として視覚化される…。原「パ」ツでつくられる電力が、私の命と確かに繋がっていたことを、私はあの事故によって痛烈に思い知らされたのだった。

24日の日誌に書いた作業員の被爆が、私にとってあれほどまでに衝撃的だったのは、自分がこのように身体に直接プラグインするような形で電気を扱ってきたからだろう。これらの「パ」フォーマンスが上演されるとき、送電線と送電施設を介して私の身体と福島の原「パ」ツとは物理的に繋がっていた。だからだろう、何処の誰かも分からない作業員の被爆した足の皮膚が、自分の身体の皮膚とまるで地続きであるかのように感じられ、ヒリヒリとした痛覚まで伝染して感じられたのは。

そういう訳で、今の私は原「パ」ツでつくられた電気を使って「パ」フォーマンスすることに抵抗を感じている。確かに芸術というのは犠牲の上に成り立つものなのかも知れない。しかし自分の表現活動によって払われる犠牲の重みを、私はまだ受け止めきれないでいる。電気は私のアイデンティティであり、命であったのだ。それが誰かの身体を、誰かの生活を、誰かの故郷を破壊しているというこの因果を、いったいどう受け止めたらいいのだろう。私はこのことに自分なりに落とし前がつくまで、電力を使った「パ」フォーマンスはできないだろう。自粛しようということでも、節電しようということでもなくて、ただ個人的な感情が自らを許さないのである。

そんな折に、面白いイベントの出演依頼をいただいた。

「ザ・自家発電ナイト」 @恵比寿 TRAUMARIS

回ることで人工発電するポールダンスマシンをアーティスト・宇治野宗輝、人力発電のエキスパート・板野尚吾の技術協力により開発、夢の自給自足ライフを実現した孤高の覆面ダンサー、<メガネ>が、全出演者のために、小型アンプとラジカセをフル稼働!
身体1つで表現できるダンサーやパフォーマンスアーティスト、音楽家たちに、飛び入り参加もふくめて出演を募り、電気のありがたみとライヴの底力を<カラダをはって>伝える、美しい労働の一日に乞うご期待!

ポールダンサーの「メガネ」は以前からの知り合いなのだが、計画停電が実施され、節電が叫ばれるこのご時世にあって「自家発電」とは、実にポジティブなコンセプトだと思った。ただ「メガネ」の発電する電力はとても非力でラジカセ1個を鳴らすのが精一杯だという。前述の骨伝導マイクや、心臓の鼓動を使った「パ」フォーマンスは電力的に無理とのこと。そこで私は久しぶりにアコースティックギターを引っぱりだしてきて、弾き語りを披露することにした。ホーメイだけはマイクを通してラジカセで鳴らして拡声しながら。

しかしTRAUMARISが六本木から恵比寿へ移転してから訪れたことがなかったので、ラジカセの出せるレベルの音量が、TRAUMARISの空間で果たしてPAとして事足りるのだろうかと不安だった。そこでTRAUMARISの住吉さんに電話する。空間の広さや天井高、壁や床の材質、それから大体の集客人数が分かれば、ある程度ラジカセの音が空間でどんな風に響くか事前にイメージできるのだ。

プルルルル…プルルルル…(電話の呼び出し音)

住吉さん:「はい、もしもし」

私:「あ、もしもしー、山川です。今日よろしくお願いします」

住吉さん:「あぁ、冬樹君!よろしくー!」

私:「ところでトラウマリスの空間について伺いたいんですけど、キャパってどれくらいですかね、っていうか言っちゃった…」

地雷ワード、「キャパ」、パ裂。

ここまでの成績…
積算上演日数:529日(+1)
終演まで:444日(±0)
終演見込み日:2012年6月12日(+1)

Posted: 3月 26th, 2011
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25/03/2011/FRI/八十四日目

未明、宮城で震度3、茨城で震度3。夕方、福島で震度3。夜、宮城で震度4、長野で震度3。

某ファッションブランドのモデルの仕事で、朝からロケ撮影。もともと今回の撮影は福島の雪山で行われる予定だったのだが、原「パ」ツ事故を受けて、急遽新潟県南魚沼の雪山へ変更に。

そしてロケから帰宅後…

また大きな地震が来る可能性が高いので、今後はヒールの高いパンプスを履くのはやめると「パ」ートナーが言い出した。その代わりに歩きやすいスニーカーや、登山用のレインウェアを買いそろえるつもりだとか。どうやら真剣に”モード系”から”山ガール”への転身を考えているらしい。

「パ」ートナー:「ほんとは、まつ毛の手入れにサロンにも行きたいんだけど、地震が起きてから気持ち的な余裕がなくて行けないんだよねー」

私:「へぇー、まつ毛パーマってあるの?」

「パ」ートナー:「うん、あるよ。っていうか、地雷踏んでるよ。」

地雷ワード、「まつ毛パーマ」、パ裂。

ここまでの成績…
積算上演日数:528日(+1)
終演まで:444日(±0)
終演見込み日:2012年6月11日(+1)

Posted: 3月 25th, 2011
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24/03/2011/THU/八十三日目

朝、茨城で震度5弱。昼、茨城で震度3。夕方、岩手で震度5弱。

被爆した足が、一匹の生き物になって私に取り憑いた。

目から怒りがどろどろ溢れ出る。なぜこんなにも悔し涙が出てくるのか自分でも分からない。それは津波の被害を見て溢れてくるのとはまったく違う種類のものだった。

呪いが私の中でぎりぎりと音をたてて渦を巻く。その摩擦熱で体が火照る。自分もろともこの世界を絞め殺してやりたい。

今日は完封。

以下、作業員の被爆についての新聞記事。

福島原発3号機で作業員3人被曝 2人が病院へ搬送(朝日新聞)

電源の復旧作業が続けられている東京電力の福島第一原子力発電所3号機で24日、ケーブルの敷設をしていた男性作業員3人が被曝(ひばく)した。東電によると、水に浸っていた2人の足のひざより下に局所的な放射線障害の可能性があるとして、2人を福島市内の病院に運んだ。今回の被災事故で、局所被曝の疑いで本格治療を受けるのは初めて。この影響で3号機の一部や付近での作業が中断、復旧に向けた作業は難航している。
3人は20~30代の東電の協力会社の作業員。3号機で冷却装置の復旧に向けた作業中で、午前10時ごろから浸水したタービン建屋地下1階でケーブル敷設をしていた。
上半身につけた個人線量計の値は173~180ミリシーベルト(作業員の被曝線量の上限は250ミリシーベルト)だったが、3人のうち2人は水深15センチのところで、くるぶしまで浸っていたという。作業用の靴の上部から水が入ったらしい。水面での線量は毎時400ミリシーベルトに達しており、診断した医師は局所的な放射線障害である「ベータ線熱傷」の可能性があるとみて、福島県立医大病院(福島市)に搬送、入院した。
経済産業省原子力安全・保安院によると、2人は千葉市の放射線医学総合研究所で治療を受けることになるという。
作業現場は、前日の空間線量は毎時数ミリシーベルトだったが、この日は毎時約200ミリシーベルトになっていた。(以上)

ここまでの成績…
積算上演日数:527日(±0)
終演まで:444日(-1)
終演見込み日:2012年6月10日(±0)

Posted: 3月 24th, 2011
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23/03/2011/WED/八十二日目

早朝、千葉で震度3。朝、福島で震度5強、岩手で震度3。夕方、茨城で震度3。夜、福島で震度5強、大分で震度3、茨城で震度3。

各地の小学校、中学校、高学校、大学では卒業式典の中止が相次いでいる。

私が非常勤講師を勤める多摩美術大学でも、余震と交通機関の状況から本日予定されていた卒業式典が中止になった。3月11日に九段会館で行われた東京観光専門学校の卒業式が2名の死者と多数の重軽傷者を出したが、そのことから考えても大学側としては致し方のない判断だったのだろう。

情報デザイン学科情報芸術コースでは、中止された卒業式典の代わりに、学科の教室でささやかな学位授与式が執り行われることになった。本来、非常勤講師は卒業式や学位授与式といった式典への出席を求められない。このようなオフィシャルな式典は基本的に専任教員と学生によって執り行われるものである。しかし例え求められていなくとも、私はこの学位授与式に出向かずにいられなかった。破壊しつくされた今の世の中へ、運命的にこのタイミングで卒業していくことになった彼(女)らを見送りたかったのだと思う。

学位授与式が執り行われる教室へ着くと、助手が突然現れた私を教授たちの並びの席に通してくれた。隅の方でただ静かに式を見守って帰るつもりだったので、これには少々戸惑った。

式が始まり、60名の卒業生一人一人の名が呼ばれ、学位記が渡されていく。華々しく迎えたかったであろう卒業式がこのように縮小され、加えて四年間の集大成を世に問う卒業制作展までも中止になってしまった学生たちのやりきれなさは、察して余るものがある。私は学位記を受けとる学生一人一人をただ静かに見守った。

授与が終わると、教授が順番にマイクの前に立って卒業生たちに向けて言葉を送る。しかしこの流れで行くと、どうやら私も何か言うはめになりそうだ。これは想定外。案の定、私にもスピーチが求められ、マイクの前へ…。

「あ、すみません、ちょっと覗きに来ただけなんで、何か言うつもりで来たんじゃないんですが…」

そう言い訳して私は口ごもった。しくしくとすすり泣く声が聞こえる。葬式のような、重みのある、澄み切った空気が教室に漂っていた。胸が締め付けられる。私は続けた。

「…大丈夫、僕はここから世界は良くなっていくと信じています。今、僕らは本当に大きな変化を迎えています。これは世界を良い方向に変化させるチャンスだと思うんです。卒業したら皆さんも一人前の表現者です。だとすれば勇気をもって社会に出て、より良い変化のために表現者として何ができるのか、しぶとく考え続けてください。僕も考え続けます。僕らは未来を創る仕事を託されていると思うんです。未来はまず信じることによって創られます。信じる強度を保つ為には、やっぱり精神力だけでは限界がありますし、中途半端な知識だけでも…」
スピーチを続けながら、ここでハっとした。
結構いいこと言っていたと思うのだが、地雷ワード、「やっぱり」、「中途半端」パ裂。

学位授与式終了後、研究室で休憩していると、衝撃的なニュースが飛び込んできた。葛飾区の金町浄水場で、乳児の飲用の暫定基準値の2倍を超える、1リットルあたり210ベクレルのヨウ素が検出されたという。東京都は23区と武蔵野、町田、多摩、稲城、三鷹の各市で水道水を乳児に摂取させないよう呼びかけたらしい。ついに東京の水道水が汚染されてしまった。背筋が凍りつき、暗澹たる気分に。

夜は青山で謝恩会。水道水のことで途方に暮れて、グラスを手にしてもなかなか気が晴れなかったが、学生たちの合唱に思わず涙。歌の力を教えられ、心が救われた。その歌声は未だに耳の奥で響き続けている。

ここまでの成績…
積算上演日数:527日(+2)
終演まで:445日(+1)
終演見込み日:2012年6月10日(+2)

Posted: 3月 23rd, 2011
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22/03/2011/TUE/八十一日目

未明、岩手で震度3、茨城で震度3。朝、茨城で震度3。昼、千葉で震度4。夕方、福島で震度4、茨城で震度3。夜、三陸で震度4、福島で震度4、岩手で震度3。深夜、岩手で震度4、宮城で震度3、茨城で震度3。

状況は悪くなる一方の原「パ」ツ事故。その深刻な現実をよそに人々はまた元の日常に戻ろうとしている。

鐘が鳴らされているにもかかわらず、その鐘の音は響きわたるでもなく、何かにぶつかって反射してくるでもなく、巨大な鈍い塊に吸い込まれていくようにして音にならない。

日本人の平和ボケぶりには呆れるばかりだ、と心配と苛だちの入り交じった心境が綴られたメールが海外に住んでいる友人から届く。

私は世間を覆う空気に押し潰されそうになっていた。日常へと戻ろうとする大きな波に押し流されたくない。しかしそれでも生きていくためには仕事に戻らなければならない。不安定な世相を受けてずっと休みになっていた「パ」ートナーの仕事も、明日から再開されることになったという。

これまでずっと実家にて、母、「パ」ートナー、私の3人で避難生活を続けてきたが、いつまでもひきこもっているわけにもいかないので、そんな生活にピリオドを打ち、今日から自宅に戻ることに決めた。

今日は完封

ここまでの成績…
積算上演日数:525日(±0)
終演まで:444日(-1)
終演見込み日:2012年6月8日(±0)

Posted: 3月 22nd, 2011
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21/03/2011/MON/八十日目

早朝、福島で震度4。朝、茨城で震度3、福島で震度3。昼、岐阜で震度3、新潟で震度3、茨城で震度3。夜、熊本で震度3、茨城で震度3。

一日中、実家に引きこもり。鬱屈した気持ちが晴れない。

母が緊急時のために飲み水を買いだめしておきたいが、車が出せないのでどうしたらいいだろうという。

そもそもミネラルウォーターを買えるのかという問題もあるのだが、首都圏では深刻なガソリン不足が続いている。ガソリンの在庫が底をつき、閉店するガソリンスタンドが続出。開店しているわずかなガソリンスタンドには車が殺到し、何時間も並ばなければ給油することができない。今週中にも供給が安定する見通しとのことだが、今車のタンクに残されているわずかなガソリンを消費するのはできるだけ避けたい。

私:「じゃあ、カートをひっぱって買いにいってこようか」

地雷ワード、「ひっぱる」、パ裂。

それでも今日は一つだけ、良いニュースがあった。以下に転載させていただく。

夢は芸術家…9日ぶり救出の16歳少年「助かって良かった」(スポニチ)

宮城県石巻市の倒壊した家屋で震災から9日ぶりに救出された阿部任さん(16)が21日、入院先の石巻赤十字病院で取材に応じ、「助かって良かった」などと心情を語った。
任さんと祖母の寿美さん(80)を助け出した県警石巻署の清野陽一巡査部長(43)ら4人も「生存者がいたことに驚いた。生きていてくれてうれしい」と話した。
病室のベッドに寝たまま質問に答えた任さんは、閉じ込められていた9日間について「水を飲んで、お菓子を食べていた」とし、「(捜索隊などの)音は聞こえたが、外に出られなかった」と述べた。
同席した父親の明さん(57)は「順調に回復してくれるはず。(寿美さんが助かったのは)任がいたからだと思う」と穏やかな表情を見せた。
清野巡査部長らによると、石巻署員4人は20日午後の捜索中、かすかな声が聞こえたため、近づくと家屋の屋根にすがりつく任さんを見つけた。寒さに震えていたが「大丈夫です」と話した。署員がカイロを差し出したが、「おばあちゃんを助けてほしい」と寿美さんを気遣った。
家屋は押しつぶされていたが、署員らは、がれきをかき分けながら中へ。クロゼットや冷蔵庫などが倒れた台所に、わずかに空いたスペースで寿美さんが布団にくるまり座っていた。寿美さんは衰弱した様子だったが「安心してください」との署員の言葉に泣き崩れたという。
救出後、清野巡査部長が任さんに将来の夢を尋ねると、「芸術家になりたいです」と元気に答えたという。清野巡査部長は「つらい中での救助活動だったが励みになった」と振り返った。
同署などによると、東北地方では地震の後、雪が降るなど真冬並みの日もあった。2人は厚着し、毛布にくるまって寒さをしのぎ、冷蔵庫の中にあったヨーグルトなどを食べていたという。
寿美さんと任さんを診察した石巻赤十字病院の小林道生医師は21日、取材に対し「(2人とも)元気で、朝食もしっかり食べた」と話した。

ここまでの成績…
積算上演日数:525日(+1)
終演まで:445日(±0)
終演見込み日:2012年6月8日(+1)

Posted: 3月 21st, 2011
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20/03/20111/SUN/七十九日目

未明、茨城で震度3。早朝、福島で震度3。朝、福島で震度4、岩手で震度3。昼、福島で震度3。夜、岩手で震度4。

横浜美術館で行われている高嶺格さんの展覧会『とおくてよくみえない』へ。美術館へ美術を鑑賞しに出かけるという行為が、この非日常の中ではとてつもなく日常的な行為に感じられた。

原「パ」ツの事故は何も好転していない。むしろ収束への目処が立たず、放射能は漏れ続け、着実に事態は悪化している。にも関わらず、これまで特別報道番組一色だったテレビは、一斉にバラエティ番組を流しはじめるようになってきた。

テレビから流れてくるタレントたちの笑顔と笑い声が醸し出す、お茶の間的な生ぬるい同調の空気…。これほどまでテレビに嫌悪感を覚えたことは未だかつてなかった。口だけついたのっぺらぼう。その笑顔が、笑い声が、何かを覆い隠そうとしている。

今まで散々流れ続けたものが、また戻ってきただけのことである。
でも、それがショックだった。
なぜだか自分は裏切られたのだと思った。
私の中で何かが決定的なものになった。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:524日(±0)
終演まで:445日(-1)
終演見込み日:2012年6月7日(±0)

Posted: 3月 20th, 2011
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19/03/2011/SAT/七十八日目

未明、伊豆で震度3、福島で震度3、岩手で震度3。朝、岩手で震度4、茨城で震度4。夜、茨城で震度5強。

震災発生から一週間が過ぎた。

実家での引きこもり生活を送ってきた私たちは、知らず知らずのうちに情報に神経を浸食され、いつの間にか呼吸も浅くなり、顔には疲労の色がにじむようになっていた。

震災の影響でしばらく閉館していた東京都現代美術館が、今日から開館するという。そこで展示されている自分の作品の確認と、気分転換をかねて久しぶりに出かけることにした。

昼間に外へ出るのは数日ぶりだ。頭上には青空が広がり、辺りは麗らかな春の匂いに包まれていた。傍らを歩く「パ」ートナーは放射能を恐れてマスクをつけ、季節遅れの上着のフードをかぶり、宇宙飛行士のような出で立ちで歩いている。道ばたに並ぶ自動販売機の水はすべて売り切れ。駅に着いても、次の電車がいつ来るのか分からない。もはや時刻表はあってないようなものだった。

清澄白河に到着。今日から再開しようとしているのは、美術館ばかりではなかったようだ。美術館へいく途中に通りかかった幼稚園の園庭には、たくさんの園児と母親たちが集まっていた。

きっと久しぶりに幼稚園に来られたことが嬉しいのだろう。園児たちは喜びを爆発させるようにしてはしゃぎ回っていた。一方で園児の母親たちは、その喧噪をよそに世間話にふけっていた。園庭の砂の放射線量は空気中の数値よりずっと高いはずである。門の柵の外側から園内を眺めていると、その日常的な風景が、演出されたフィクションのようにみえて仕方がない。

すべてがちくはぐ。
自然だったものが、不自然なものとして目に映るようになっている。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:524日(±0)
終演まで:446日(-1)
終演見込み日:2012年6月7日(±0)

Posted: 3月 19th, 2011
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18/03/2011/FRI/七十七日目

未明、長野で震度3。早朝、福島で震度3。朝、福島で震度3、茨城で震度3、岩手で震度3。昼、福島で震度3、茨城で震度3。夕方、茨城で震度4、宮城で震度3。夜、岩手で震度3。
朝、胸に電子聴診器を張り付けたままの状態で起床。眠っている間も私はずっと心音の配信を続けていた。

朝起きた時点での視聴者は8人。配信の告知をしてすぐの時間帯がやはり最も視聴者数が多く、夜が更けるにつれて減っていったが、それでも一晩中視聴者が途絶えることはなかった。私の命の音を聞いている人たちがどこにいるのか、正確な場所は分からない。その人たちのことを私は「どこかの誰か」と認識するしかないのだ。しかし「がんばろう日本」とか、「日本は一つ」といったスローガンがしきりに叫ばれるこの熱っぽい渦の中で、敢えて孤独と距離を意識しながら、自分の命の音を「どこかの誰か」に手渡し続けることが、私にとってはとても重要なことのように思われたのだった。

今日の第5グループの計画停電は、午後6時20分~午後10時。この地域での夜間の計画停電ははじめてである。私はこの心音の配信を、停電によって機材の電源が断ち切られるまで続けるつもりだった。

そして計画停電開始予定時刻の午後6時20分、処刑が執行されるようにして電気が断ち切られた。部屋の電灯や、機材の電源が一斉に落ちる。それと同時に、18時間にわたって「どこかの誰か」と私とを結んでいた糸も容赦なく断ち切られた。

それはまるでふいに訪れた死のようだった。

私は何かを確かめるようにして自分の胸に手を当てた。すると肋骨の下から微かに、だが力強く、心臓が脈を伝えてきた。

停電した家の中は真っ暗だった。手探りで食堂へ降り、母、「パ」ートナー、弟の史門、私の四人で夕食をとる。燭台にロウソクを立て、揺らめく炎の明かりで私たちは静かにカレーライスを食べた。いつもより味覚が鋭敏になっているような気がしたのは、きっと闇のせいだろう。

食事を終えたものの、皿を洗おうにもこの闇の中では何もできない。電気が回復するのを待つしかなさそうだ。そこで私と「パ」ートナーは二人で散歩に出かけることにした。

外へ出ると月明かりが眩しかった。きらめく星たちで夜空は水しぶきを浴びたようだった。しかし街はまるで息を引き取ったかのように静かだった。生暖かいような肌寒いような、はっきりとしない放射能混じりの風が吹く。ふと東南の方角を見ると、月明かりに照らされて、不思議な形の雲が鯨のように図々しく横たわっていた。

「あ、地震雲…、また地震がくるのかなぁ」と、「パ」ートナーが不安そうに言ったその時である。

私たちの網膜に不意打ちを食らわせるようにして、突然街の灯が覚醒した。家という家に明かりが一斉に灯され、私たちはまるで爆撃にでもあったかのように、なす術もなくただそこに立ち尽くした。予定時刻より早く停電が終わったのだ。

シュールレアリスティックな夜を彷徨っていた私たちが、いつもの感覚を取り戻すのには、ものの10秒とかからなかった。明かりの灯された生活の暖かさが戻ってきたことに私と「パ」ートナーは素直に歓喜し、母と弟が待つ実家に帰っていったのだった。

震災発生からちょうど一週間。
今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:524日(±0)
終演まで:447日(-1)
終演見込み日:2012年6月7日(±0)

Posted: 3月 18th, 2011
Categories: パ日誌
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17/03/2011/THU/七十六日目

早朝、福島で震度3。朝、長野で震度3、岩手で震度3、茨城で震度3、福島で震度3。昼、岩手で震度4。夕方、岩手で震度3、茨城で震度3。夜、茨城で震度4、千葉で震度4、福島で震度3。
今日第5グループでは、午前6時20分~午前10時と、午後1時50分~午後5時30分の二回にわたって計画停電が実施された。

停電中、「首都圏から退避すべきか留まるべきか」を議題に、実家の食堂で母、「パ」ートナー、私の3人で家庭内会議を開く。

しかし母親というのはいざとなると実に身勝手なもので、会議はちょっとした親子喧嘩に発展した。私と「パ」ートナーには未来があるからと、二人に執拗に疎開を要求するくせに、自分は5匹のネコを置いて逃げられないので、どんなに被曝しようがここに留まると言うのだ。

この家庭内会議で私が意見した内容は以下の通り。

実家は爆心地からちょうど250km離れている。ここを退避すべきかどうかは見極めが難しい。
今回の原「パ」ツ事故がもし最悪のシナリオを辿ったとしても、政府が首都圏に避難勧告を出すことは最後までしないだろう。そしてマスコミは決して事実を正確に伝えないだろう。だから退避すべきかどうかは、最終的に自分たちで決断しなければならない。
事故が最悪のケースに至った場合、放射能被害もさることながら、各地で甚大なパニックが起こることが予想される。パニックによる危険と、被ばくによる人体への危険を天秤にかけた場合、前者の方が差し迫った危険としては大きいなのではないか。首都圏から我れ先にと逃げ出そうとする人たちで交通機関という交通機関は機能不全に陥るだろう。だから放射能による健康被害だけでなく、パニックの中で足止めを食らって身動きが取れなくなったり、混乱による事故や、治安悪化による事件に巻き込まれるというようなことも想定しておくべきだろう。
炉が水蒸気爆発を起こし放射性物質が大量に拡散した場合、放射線量はこの辺りでも相当上がるだろう。しかしそれでもここが爆心地から250km離れていることを考えると、成人が”直ちに”健康への深刻な影響を受けるレベルまでには至らないだろう。民間で放射線量を測っている人たちは沢山いるので、政府やマスコミが放射線の数値を隠蔽することは不可能だろう。
したがって、例え最悪のシナリオを辿って避難する必要が出たとしても、放射線の数値を睨みつつ、パニックが沈静化されるまで数日間屋内に留まり、ある程度安全に移動できるようになってから移動する、というのが最善の策なのではないか。

結局会議は私の意見した内容で合意に至り、一件落着。

しかし私はこの会議の中で、地雷ワード、「パニック」を1回パ裂させてしまったのだった。

そして夜、日本時間で日付が変わって3月18日未明。パリにある「La Gaieté Lyrique」では、渡航を取りやめた私と大友良英さん以外のツアーメンバーによって、『We Don`t care about music ayway…』のライブが始まろうとしていた。現場には行けないが、何らかの形で参加したい…、そう思った私は、自らの心臓の鼓動をUSTREAMを通じて日本の実家からパリの会場へとリアルタイムに配信することにした。オンラインライブというより単なる心臓の鼓動の垂れ流しなのだが、この危機の中でも変わらず息づく私の小さな命の音を、客入れDJのような感じで使ってもらえればと思ったのだった。電子聴診器を胸部に貼付けて配信開始。そしてその状態のままベッドに入り、パリにいる人々に思いを馳せながら眠りについたのだった。

ここまでの成績…
積算上演日数:524日(+1)
終演まで:448日(±0)
終演見込み日:2012年6月7日(+1)

Posted: 3月 17th, 2011
Categories: パ日誌
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16/03/2011/WED/七十五日目

未明、岐阜で震度3、静岡で震度3。早朝、岐阜で震度4、福島で震度3。朝、静岡で震度3、北海道で震度3、茨城で震度3、新潟で震度3、福島で震度3、千葉で震度3。昼、千葉で震度5弱、福島で震度4、岩手で震度3。夕方、福島で震度3。夜、宮城で震度4、茨城で震度4、福島で震度3。

午前9時から午後12時まで、第5グループの計画停電が敢行された。一気に辺りを静寂が支配する。それが来る、ということを覚悟していても、いざ本当に辺り一帯の電気が落ちた瞬間は衝撃的で面食らった。何もできないので、非常用のラジオをつけながら、ただ日当りの良い部屋で母、「パ」ートナーと一緒にお茶をすする。

今日、本来ならば私はパリに発っているはずだった。映画『We don`t care about music anyway…』に出演しているミュージシャンたちによるヨーロッパツアーが予定されていたのだ。しかし私は今回の原「パ」ツ事故を受けて悩みに悩んだ末、パリのオーガナイザーに下記のようなメールを送ったのだった。

Dear Jerome-san,
私は本当に長い間、考え続けていました。ご存知かと思いますが、私たちは歴史的な危機に瀕しています。悲しいことに日本が第二のチェルノブイリになる可能性があることは、今や否定できない事実です。フランス政府は日本在住のフランス人に3月17日までに、日本からの退避するよう勧告を出しました。
これは私にとって本当にタフな決断でしたが、私は今回の『We don`t care about music anyway…』のヨーロッパツアーに参加できないということをお伝えしなければなりません。私は家族や「パ」ートナーのそばで、彼(女)らと運命を共にすることを選びます。どうかお許しください。
フライトのキャンセル料をお知らせください。あなた方の活動が、ちょうど私の活動がそうであるように、インディペンデントであることを私は知っています。あなた方に負担をかけることは本意ではありませんので、どうかこの損失をカバーさせてください。
Best,
Fuyuki Yamakawa

ツアーは行きたかった。でも、これでいいのだ。遠い異国の地で、テレビを通じて日本の惨状を見ることにきっと私は耐えられなかっただろうから。そしてもし今のこの大切な時間を、大切な人たちと一緒に過ごさなかったとしたら、私はそれを一生後悔するだろうから。もう一つだけおまけに付け加えるならば、もしパリに行っていたら、私は「パリ」という地雷ワードを踏みまくっていたであろうから。
渡航予定だったメンバーの中で、ツアーをキャンセルする決断をしたのは大友良英さんと私の2名だったようである。

そして夕方、恐るべきことに昨日の菅首相の「国民へのメッセージ」に続き、今度は各テレビ局が一斉に天皇から全国民へ向けて史上前例のない「ビデオメッセージ」を放送。昨日の菅首相の「国民へのメッセージ」に玉音放送の亡霊を見たばかりだったが、ついに本当に玉音放送が発せられる事態となった。天皇からのメッセージは以下の通り。

”このたびの東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり、被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し、犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。また、現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。

現在、国を挙げての救援活動が進められていますが、厳しい寒さの中で、多くの人々が、食糧、飲料水、燃料などの不足により、極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。その速やかな救済のために全力を挙げることにより、被災者の状況が少しでも好転し、人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。そして、何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。

自衛隊、警察、消防、海上保安庁をはじめとする国や地方自治体の人々、諸外国から救援のために来日した人々、国内のさまざまな救援組織に属する人々が余震の続く危険な状況の中で日夜救援活動を進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います。

今回、世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き、その多くに各国国民の気持ちが被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。

海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。

被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、さまざまな形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。(以上)”

計画停電により信号機が停止したことで各地で交通事故が多発。群馬県では死者が出たとのニュース。

尚、今日のあらゆる会話の中で私は「原発」という言葉をすべて「原子力発電所」という言葉に置き換えることに成功、よって完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:523日(±0)
終演まで:448日(-1)
終演見込み日:2012年6月6日(±0)

Posted: 3月 16th, 2011
Categories: パ日誌
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15/03/2011/TUE/七十四日目

未明、茨城で震度3、福島で震度3。早朝、東京で震度3、新潟で震度3、宮城で震度3、福島で震度3茨城で震度3。朝、新潟で震度3、秋田で震度3、福島で震度3、茨城で震度3。昼、岐阜で震度3。夕方、茨城で震度3。夜、静岡で震度6強、福島で震度6強、山梨で震度4、茨城で震度3、千葉で震度3。

起床。昨晩はあまり眠れず。

一階の食堂へ降りると、母が朝食をつくってくれていた。窓際に置かれたテレビでは、今日も慌ただしく震災と原発についての報道が繰り返されている。

アナウンサーが言った。

”東京電力福島第1原発爆発事故を受け、菅直人首相は午前11時にも国民に向けたメッセージを出すとのことです。えー、繰り返します、東京電力福島第1原発爆発事故を受け、菅直人首相は午前11時にも国民に向けたメッセージを出すとのことです。”

私はこの「会見」が、わざわざ「国民に向けたメッセージ」という言い方で報じられていることに戦慄した。おそらく昨日の爆発によって拡散した放射能は、風にのってもう首都圏に到達しているはずである。しかし自分が吸っている空気の放射線量を知る術がない。そんな状況の中で、昨日の原「パ」ツ爆発を受けて首相が「国民に向けたメッセージ」を出すという。真っ先に1945年8月14日夜と8月15日朝に、「十五日正午に天皇自らの放送がある」と報じたあの予告放送のことが思い出された。玉音放送にしろ、911の際のブッシュのテレビ演説にしろ、世界大恐慌の際のルーズベルトのラジオ演説にしろ、国家の最高責任者が国民に直接メッセージを伝えようとするとき、それはいつも国民がこれから歴史的な受難を引き受けなければならないという宣告だった。このニュースはその宣告の予告なのだ。

私は時計に目をやった。時間は午前10時40分を少し過ぎたところである。よし、まだ間に合う。私は朝食を中断し、母に水を詰められるあらゆる容器をすべて水道水で満たすようよう指示し、自分もついて行くという「パ」ートナーを足手まといになるからと振り切って、寝巻きのまま家を飛び出した。近所のコンビニエンスストアを何軒も走って回り、ありったけのマスク、軍手、ガムテープ、飲料水を買い漁る。きっとこれは「買い占め」という非難されるべき行為なのかも知れない。しかし私にも守らなければならないものがあるのだ。両手いっぱいに袋を抱え、実家に帰ると、ちょうど菅首相の「国民に向けたメッセージ」がはじまるところだった。

”国民の皆様に、福島原発について御報告をいたしたいと思います。是非、冷静にお聞きをいただきたいと思います。”

「メッセージ」はこんな不穏な調子で始められた。以下、会見より引用。

”福島原発については、これまでも説明をしてきましたように、地震、津波により原子炉が停止をし、本来なら非常用として冷却装置を動かすはずのディーゼルエンジンがすべて稼働しない状態になっております。この間、あらゆる手だてを使って原子炉の冷却に努めてまいりました。しかし、1号機、3号機の水素の発生による水素爆発に続き、4号機においても火災が発生し、周囲に漏洩している放射能、この濃度がかなり高くなっております。今後、さらなる放射性物質の漏洩の危険が高まっております。

ついては、改めて福島第一原子力発電所から20kmの範囲は、既に大半の方は避難済みでありますけれども、この範囲に住んでおられる皆さんには全員、その範囲の外に避難をいただくことが必要だと考えております。

また、20km以上30kmの範囲の皆さんには、今後の原子炉の状況を勘案しますと、外出をしないで、自宅や事務所など屋内に待機するようにしていただきたい。そして、福島第二原子力発電所については、既に10km圏内の避難はほぼ終わっておりますけれども、すべての皆さんがこの範囲から避難を完全にされることをお願い申し上げます。

現在、これ以上の爆発や、あるいは放射性物質の漏洩が出ないように現在全力を尽くしております。特に東電始め関係者の皆さんには、原子炉への注水といったことについて、危険を顧みず、今も全力を挙げて取り組んでいただいております。そういった意味で、何とかこれ以上の漏洩の拡大を防ぐことができるように全力を挙げて取り組んでまいりますので、国民の皆様には、大変御心配はおかけいたしますけれども、冷静に行動をしていただくよう心からお願いを申し上げます。

以上、国民の皆さんへの私からのお願いとさせていただきます。(引用終わり)”

その後、枝野官房長官の会見が続く。それによると、午前10時22分に、第1原発3号機付近で毎時400ミリシーベルトの放射線量を観測。これは1時間で一般人の年間被ばく線量限度の400倍になるとのこと。これについて、”身体に影響を及ぼす可能性の数値であることは間違いない”、”放射能濃度がかなり高くなっている。今後、放射能の漏えいの危険が高くなっている” とのこと。

今のところ、首都圏に関してはまだ深刻な放射線量ではないとのことだが、原「パ」ツ事故には隠蔽がつきものだ。果たして政府や東電は信じられるのだろうか…。

そして夜、静岡県東部を震源に震度6強の地震。この地震で2名が重傷、48名が軽症。521棟の建物が一部損壊。21,700軒が停電。

twitterでは八谷和彦さんが書いた「うんち・おならで例える原発解説」が話題になっていた。今回の原「パ」ツ事故が子供でも理解できるよう、ユーモラスな例えで解説された名文である。私はこれを不安で押しつぶさそうになっている母と「パ」ートナーを少しでも落ち着かせようと、声に出して二人に読み聞かせたのだった。深刻な現状を的確に解説しながらも、おもしろ可笑しく表現されたその文章に、それまで浮かない顔をしていた二人の顔が「パ」っと明るくなって笑いがおこる。しかし、文中には当然「原発」という言葉が頻発する。私は文章を目で追いながら、この文字をキャッチする度に、頭の中で「原子力発電所」という言葉にリアルタイム変換して声に出していたのだが、一カ所、ミスってそのまま「原発」と読んでしまったのだった。

地雷ワード、「原発」、パ裂。

ここまでの成績…
積算上演日数:523日(+1)
終演まで:449日(±0)
終演見込み日:2012年6月6日(+1)

Posted: 3月 15th, 2011
Categories: パ日誌
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14/03/2011/MON/七十三日目

未明、千葉で震度3、福島で震度3。早朝、福島で震度3、茨城で震度3。朝、茨城で震度5弱。長野で震度3。昼、新潟で震度4、福島で震度4、長野で震度3。夕方、福島で震度4、茨城で震度3。夜、茨城で震度3。

起床。昨晩はよく眠れた。
一昨日起きた原「パ」ツ事故の経過が不安で仕方がなかったが、「パ」ートナーや家族と同じ場所にいられることで、私も肩の力が抜けたのだろう。

しかし昨日発表された計画停電の影響で、朝から首都圏の鉄道網は混乱をきたしていた。テレビニュースによれば、どの路線でも運休や運行本数の大幅な削減が相次いでいるとのこと。通勤に向かおうとする人々が電車に乗れず、何時間も足止めを喰らって首都圏の駅という駅が大混乱しているという。こんな非常時でも定時に出勤しようとする日本のサラリーマンたち。私にはとてもマネできない。

幸い私はオフだったが、「パ」ートナーは仕事に出なければならないという。どうやって職場に辿り着いたらいいのか、と頭をかかえる「パ」ートナーに、「休んじゃいなよ」と提言したがそんな訳にはいかないらしい。ネットで調べたところによると、実家のある田園都市線は、始発から午後1時30分まで通常の5~6割で運行、午後1時30分~午後5時30分は全線運休になるという。とりえず同じ田園都市線沿線の弟に電話をかけてみるがつながらない。鉄道網も電話網も混乱しているようだ。何度かかけてやっとつながると、弟もやはり駅で足止めを喰らっているという。

鉄道網が完全に機能不全に陥っていると判断した私は、「パ」ートナーを車で職場へ送ることにした。道路も渋滞しているかも知れないが、とにかく車で出てみよう…。しかし私の予想に反して道は空いていた。とりわけ首都高速はがらがらだった。この時間にこの交通量は通常では考えられない。トラックがほとんど走っていない気がするが、物流が滞っているのだろうか。

そして予想より早く「パ」ートナーの職場に到着。車で送ったはいいものの、しかし彼女はどうやって帰ったらいいのか。田園都市線は午後5時30分までは全線運休。運転再開されたとしても、また朝と同じような大混乱が起きることが予想される。そのような状況で、もし大きな余震が襲ってきたりしたら…。

「パ」ートナーも今日の仕事は長くはかからないと言うし、一旦帰って車で迎えに来るためにまた出直すのなら、どこかで時間をつぶしていた方がいいだろう。相談すれば職場のミーティングルームに居させてもらえるかも知れないというので、私は「パ」ートナーの職場へ遠慮なくお邪魔することにした。仕事の現場に彼氏が付き添うなど、「どんだけ過保護なんだよ」と突っ込まれるかも知れないと思ったが、状況が状況である。

少し恐縮しながら「パ」ートナーの職場の方々にご挨拶。皆暖かくウェルカムしてくれた。「パ」ートナーが別室で仕事をこなしている間、私はミーティングルームのソファーに座り、ノートPCでメールチェックしたり、twitterを覗いたりしていた。しかし30分も立たないうちに、「パ」ートナーが血相を変えてミーティングルームに駆け込んできてこう言った。

「パ」ートナー:「急いで荷物まとめて!帰るよ!」

私:「え?」

「パ」ートナー:「また原発が爆発したの!」

急いでニュースサイトを確認。

速報:「福島第一原発3号機で水素爆発」

掲載されている写真を見ると、原「パ」ツから天にも昇る勢いで巨大な黒煙が上がっているではないか。ヤバい。これは12日の爆発よりずっと大きい。

この事故を受けて、仕事は急遽打ち切り。職場の全員が帰宅することとなった。「パ」ートナーの仕事の現場にまで図々しく押しかけた私の決断は正しかったのだ。急いで車に乗り込んで実家へと向かう。風にのった放射能が首都圏に到達するのは時間の問題だ。私の運転は荒くなっていた。アクセルを踏み込めば踏み込むほど、逆に時間がゆっくり流れて感じられた。道は空いていた。空は馬鹿みたいに晴れていた。それなのに窓を開けて風を浴びることすらためらわれた。もしかして東京を離れなければならなくなるかも知れないな…と思った。これからいったい何が起こって私たちはどうなるのだろう。

しかしこんな状況下で交わす「パ」ートナーとの会話の中で、私は喉もとを何度も駆け上がってくる「原発」という言葉を飲み下しながら、代わりに「原子力発電所」という言葉を使い、巧みに「パ」という音節を避け続けていた。

実家に帰宅し、テレビニュースにかじりつく。再び爆発が起こってしまった今、とにかく現状を見守ることしかできないのだ。

少し先が見えて落ち着くまで、私たちはしばらく実家に泊まることにした。

というわけで原「パ」ツは爆発したが、「パ」の「パ」裂は免れ、今日は完封。
ホワイトデーのことなどすっかり忘れていた。

ここまでの成績…
積算上演日数:522日(±0)
終演まで:449日(-1)
終演見込み日:2012年6月5日(±0)

Posted: 3月 14th, 2011
Categories: パ日誌
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13/03/2011/SUN/七十二日目

未明、福島で震度4、新潟で震度3、茨城で震度3。早朝、福島で震度3。朝、宮城で震度5弱、茨城で震度4、福島で震度3、岩手で震度3。昼、長野で震度4、福島で震度3、岩手で震度3、千葉で震度3。夕方、宮城で震度3、岩手で震度3。夜、福島で震度3、茨城で震度3。深夜、福島で震度4、千葉で震度3、三陸で震度3。

『金閣寺』大千秋楽。32公演目(大阪、梅田芸術劇場)

原「パ」ツのこと、被災地のことが気になって一睡もできずに夜が明ける。

何とか一時間だけでも眠りたい、そう思って目を閉じるが、瞼の裏側に焼き付いた破壊的な映像が津波のように押し寄せてきて、目を閉じていることができない。あきらめて朝食をとるために25階のレストランへ。

窓から臨む大阪の朝は美しかった。

しかし今日は舞台に立ちたいとはどうしても思えない。

多くの人がそうであるように、私もまた不安と無力感に苛まれていた。

しかしそれでも幕は明けるのだ。

そしてこれが自分の選んだ道なのだ。

自分が受け取けとったこの衝撃を、舞台で声に変えて放出することが、今の僕にできる唯一の仕事なのだろう。

そう自分に言い聞かせて、ホテルをチェックアウト。
劇場へ。

そして本番。できるかぎりのことはやったつもりだ。

32公演ものロングランが終わった。余韻を味わう暇もなく、急いでシャワーを浴び、荷物をまとめ、劇場を後にして新大阪駅へ。帰りの新幹線はがらがら。客室の空気は張りつめて、私を含めてみんな無口だった。そんな中、気を遣ってくれたのだろう。プロデューサーの福島さんが2人分のビールを持って私の隣に座り、明るく話しかけてきてくれる。

「夏のニューヨーク公演がんばりましょう」と福島さん。

『金閣寺』は7月にニューヨークで開催されるリンカーンセンターフェスティバルで再演されることになっている。
昨晩一睡もできなかったのと舞台の疲れのせいで、いつもよりビールのまわりは早かった。加えてこの震災で何かが鬱屈していたのだろう、私はいつもよりずっと早口だった。日本のインディペンデントな音楽シーンや、舞踏といった文化が、いかに世界的な評価を受けているか、そしてそれがいかに日本のメディアに載らないか、というような話をマシンガンのごとく興奮気味に語り続けた。

私:「ノイズや即興音楽シーンでは、日本のアーティストは海外からひっぱりだこなんですよ」

地雷ワード「ひっぱりだこ」、パ裂。口が滑ったことで、少しだけ酔いが醒める。

そうこうしているうちに新幹線は新横浜へ。

キャスト、スタッフの皆さんとお疲れさまの挨拶をして新幹線を降り実家へと向かう。

実家の最寄り駅までいくと、ちょうど母と実家へ身を寄せている「パ」ートナーとが、駅前のスーパーへ買い出しに来ているとの連絡があり合流。2人とも私の顔を見てほっとした様子だ。私もやっと少し肩の力が抜くことができた。

しかしスーパーの棚にはほとんど何もなかった。震災で多くの人が一気に買い込みに走ったようだ。それでも残されたわずかな食料を買って、実家へ帰宅。3人でテレビニュースにかじりつきながら夕食をとる。

ニュースによれば、原「パ」ツ事故によって首都圏に深刻な電力不足が生じているとのことで、東京電力は、明日14日から3時間ずつ、地域ごとにローテーションで停電を実施するという。実家のある地域は第5グループに分けられるらしいのだが、東京電力が事態に対応しきれておらず、情報が混乱をきたしていて、停電が実施される時間帯が深夜になっても発表されない。停電した場合、鉄道機関への電力供給も停まるため、その地域の電車は動かなくなるらしい。

明日、こんな非常事態の中でも「パ」ートナーは仕事に行かなければならないという。電車が動かなければ、職場に辿り着けないではないか。しかし、明日のことは明日のことと、あきらめて、そのまま「パ」ートナーと実家に泊まることにした。

ここまでの成績…
積算上演日数:522日(+1)
終演まで:450日(±0)
終演見込み日:2012年6月5日(+1)

Posted: 3月 13th, 2011
Categories: パ日誌
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12/03/2011/SAT/七十一日目

未明、新潟で震度6強、千葉で震度4、秋田で震度4、福島で震度4、長野で震度4、群馬で震度4、茨城で震度4、三陸で震度4、宮城で震度3。早朝、新潟で震度6弱、長野で震度4、福島で震度4、茨城で震度3、宮城で震度3、三陸で震度3、秋田で震度3。朝、福島で震度4、新潟で震度4、長野で震度4、宮城で震度3、岩手で震度3、三陸で震度3、茨城で震度3。昼、岩手で震度4、新潟で震度4、長野で震度3、福島で震度3、茨城で震度3宮城で震度3、三陸で震度3。夕方、東京で震度3、福島で震度3、茨城で震度3新潟で震度3、三陸で震度3。夜、福島で震度5弱、新潟で震度5弱、岩手で震度4、長野で震度4、茨城で震度3、宮城で震度3。

『金閣寺』30、31公演目。(大阪、梅田芸術劇場)

ホテルで目覚めると、つけっぱなしで寝てしまったテレビからは、言語に絶する映像が流れ続けていた。繰り返し流される津波の映像があまりに衝撃的すぎて昨晩はあまり眠れず、睡眠不足。

しかも朝から何だか涙腺が緩い。自分で自覚しているよりも、破壊的な映像で心がダメージ受けているようだ。今日はマチネとソワレの2公演をこなさなければならないというのに。ハードな一日になりそうだ。

部屋のカーテンを開けると天気はよかった。26階の窓から見下ろす大阪の街の風景はいつもと変わらなかった。

するとパートナーから電話。昨晩泊めてもらった同僚の家からそのまま仕事に向かうとのこと。大きな余震があるかもしれないので、夜は横浜の私の実家に泊まるように私は「パ」ートナーを説得した。

ホテルを出て劇場へ。みんな口数が少なく、舞台裏は静まり返っている。「おはようございます」と、キャストやスタッフの方々と挨拶をするが、お互い今日も震災の話題は持ち出さなかった。楽屋に入り、テレビモニターのスイッチを入れ、チャンネルをニュースに合わせた。普段は舞台に集中するため、楽屋ではなるべく外の情報はシャットアウトしてきたが、今日はそうはいかない。

そしてマチネ開演。空席が目立つ。きっと首都圏から来るはずだった人が来られなくなったのだろう。『金閣寺』は地方公演でも、かなりの数の人が首都圏から観に来るのだ。

マチネを終え、シャワーを浴びる。そして楽屋へ戻ったとき、私はテレビに映し出された映像に言葉を失った。

え?…。

福島の原子力発電所とみられる建物からもうもうと煙が上がっている。爆発した…。原発が爆発してしまったのだ。

ニュースによれば、爆発があったのは、福島第一原発一号基。大きな揺れがあり、ドーンという音とともに白煙が上がったとのこと。現場にいた4人が病院に運ばれたらしい。すぐにチェルノブイリのことが頭をよぎった。これはヤバイ。いても立ってもいられなくなって楽屋の外に出る。そして廊下を通りかかったスタッフにこう話しかけた。

「テ、テレビ見ました?原発…、ヤバイことになりましたね…」

地雷ワード、「原発」パ裂。

よりによってこんな日に、こんな形で「パ」と口を滑らせてしまうとは何たる罰か…。自らを呪う。

誰かが街頭でもらってきたのだろう。劇場事務所の掲示板には「福島原発で爆発」と大きく書かれた号外が張り出されていた。明日の大千秋楽を前に、本日予定されていた打ち上げは中止。

こんな日にマチネとソワレ計2公演というのはさすがにキツかったが、それでも何とか公演を終えて、ホテルへ戻る。すると怪しい女子が私の背後をつけてくる。さては『金閣寺』の他のキャストのおっかけだろう。私とお目当てのキャストが同じホテルの同じ階に宿泊してると思って尾行してきたらしい。まったく、こんなときにやめてくれ…。一旦別の階で降りて、おっかけを巻いてから自分の部屋へ戻る。

実家に電話。電話も少し繋がりやすくなってきた。仕事を終えた「パ」ートナーが実家に到着したらしい。今晩は実家に泊まるとのこと。ノートPCを開くと海外の友人、知人から、安否を気遣うメールが次々と届く。世界中で日本の震災と原発事故がトップニュースとして報道されているようだ。

ベッドに入るが眠れない。
テレビをつける。何度も繰り返される津波の映像を見ながら、ビールを喉に流し込む。

気仙沼には一度仕事で訪れたことがある。あの時会った人たちはどうしただろう。
あの美しい碁石海岸はどうなっただろう。
津波による死者・不明者の数はどこまで増えるのだろう。
原発事故はどうなるのだろう。
東北はどうなるのだろう。
この国はどうなるのだろう。
私の「パ」ートナーや家族はどうなるのだろう。
私たちの未来はどうなるのだろう。

とにかく明日は『金閣寺』大千秋楽。
明日の公演を終えれば、家に帰れる。

ここまでの成績…
積算上演日数:521日(+1)
終演まで:450日(±0)
終演見込み日:2012年6月4日(+1)

Posted: 3月 12th, 2011
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11/03/2011/FRI/七十日目

大阪。『金閣寺』29公演目(梅田芸術劇場)。

外で昼食を済ませ、ホテルの部屋に戻る。
劇場入りまでしばらく時間があったので、そのとき、私はベッドの上でごろごろしながら、何となくテレビをみていた。
なんでも次の東京都知事選に出馬しないと言っていたはずの石原慎太郎が、出馬表明したらしい。間もなく都庁から会見の中継を行うとか。

しかし何だか画面の中のレポーターの様子がおかしい。
「地震でしょうかね…、少し揺れてる感じがしてますけど…、えー、こ、この後まもなく…、石原都知事の会見がはじまります…」と言って画面がCMに切り替わったところで、こちらも大きく揺れはじめた。

私の泊まっていたのは高層ホテルの26階。建物全体が振り子のように大きく空を往復運動する。洗面所のドアや戸棚の扉がバタンバタンと開閉を繰り返し、壁や柱の軋む音が辺りに響いた。

震源はどこだ。慌ててチャンネルを切り替える。NHK(だったと思う)にチャンネルを合わせると、渋谷が激しく揺れている映像が映った。アナウンサーの緊迫した声が何度も警告を繰り返す。震源は東北。
日本列島が揺れている。
大きい。

職場にいるはずの「パ」ートナーに電話をかけるがつながらない。
実家の母に電話をかけてもつながらない。
会社の弟に電話をかけてもつながらない。
誰に何度かけてもつながらない。
もどかしい。なす術がない。
とにかくiPhoneから「パ」ートナーのiPhoneに宛ててショートメールを送った。
「地震大丈夫?」(2011/03/11 14:50)

テレビからひとときも目を離さずに、片手ではiPhoneを握りしめ、電話がつながることをひたすら念じながら、「パ」ートナー、母、弟、の3人に絶え間なく電話の発信しつづける。

少しして「パ」ートナーからメールが届く。
「手が震えて」(2011/03/11 15:08)

依然、電話はつながらないが、ひとまず無事なようだ。そしてしばらくして、今度は母からメールが届く。
「地震大丈夫ですか?こちらは停電です。地下にやっと這うように避難しました。○○ちゃん(「パ」ートナー)に今安全確認をしています。アパートが古いので心配です。家に泊まりに来る様にいいました。君は無事ですか?」(2011/03/11 15:27)

最初の揺れから一時間ほど経過した頃だろうか、何度もかけ続けていた電話がやっと「パ」ートナーにつながった。「パ」ートナーによれば、地震が起きたとき、もうだめだと思って私にメールで遺言を書こうとしたが、手が震えてうまくiPhoneを操作できず、やっとの思いで書けたのがあの「手が震えて」という一文だったとか。そしてその後「今までありがとう」と続けるつもりだったのに、手が震えてどうしても送れなかったのだと泣きながら訴える彼女。とにかく落ち着かせるために、「だいじょうぶだよ、だいじょうぶだよ」とゆっくりと穏やかに話しかけつづける。その時、電話の向こうをまた大きな余震が襲った。電話越しに怯えた声で泣き叫ぶ「パ」ートナー。こんな時にそばにいられないなんて身を切られるような思いだ。堪らない。しかし今はとにかく落ち着かせるために話しかけつづけるしかないのだ。するとまたさらに悲鳴。「きゃー!火事!」。窓から見えるビルが燃えているという。ふとテレビ画面を見ると、「パ」ートナーの職場のすぐそばにあるお台場テレコムセンターが燃えているではないか。さらに画面が切り替わると、私の母校であり、現在非常勤講師を勤める多摩美大のすぐ近くにある大型スーパー、Costcoが倒壊している映像が映し出されている。落ち着かなければ。神田の職場にいるはずの弟は無事だろうか。

鉄道機関は完全にマヒ。道路は大渋滞。しかし「パ」ートナーは頃合いをみて同僚の車に同乗し、その人の家に移動しようと思うという。恐らく今晩はそこで一泊させてもらうことになるだろうとのこと。私は私で劇場入りの時間が迫っていた。制作の方から何も連絡がないということは、公演は予定通り行われるのだろう。しかしこんな時に舞台に立たなければならないなんて。大阪は震度3だったとのことことだが、私にはどうも信じられない。26階にいたことで揺れが大きく感じられたのかも知れないが、地震には数値で表せない「揺れの質」のようなものがあるような気がするのだ。たとえ計測上は震度3であっても、あの揺れのエネルギーはただ事ではなかったのは確かである。「パ」ートナーの声も少し落ち着いてきたので、私は電話を切って劇場へ。

そして劇場入り。「おはようございます」と、キャストやスタッフの皆さんと挨拶。みんな神妙な面持ちだ。お互い話題に持ち出さなくとも分かっている。それぞれが自分の大切な人の身を案じているのだ。しかしそれでも舞台の幕は開ける。何度も何度も繰り返してきた舞台『金閣寺』。今日で29回目である。しかしこの日は舞台を今までにない異様な空気がずっと支配していた。良くもない、悪くもない、しかし異様としか言いようのない空気が。

幸いなことに本番中は余震が起きなかった。公演を終えてホテルに戻り、すぐに「パ」ートナーに電話する。やはり何度も発信しなければならなかったが、それでも粘って何とかつなげることができた。彼女の方はやっと同僚の家に辿り着いたところだった。いつもは数十分程度の道のりが大渋滞のため何時間もかかったらしい。今夜は同僚の家に泊めてもらうとのこと。次に実家の母とも電話がつながった。弟から無事との連絡があったとのこと。今夜は神田の職場に泊まるらしい。

長い一日だった…と思いたくてビールを喉に流し込んでみても、一向に今日という日が終わった気になれず、テレビをつけっぱなしでベッドに入る。

たぶん、今日は「パ」と言わなかったはずである。こんな時でも『「パ」日誌メント』は続くのだ。
The show must go on.

ここまでの成績…
積算上演日数:520日(±0)
終演まで:449日(-1)
終演見込み日:2012年6月3日(±0)

Posted: 3月 11th, 2011
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10/03/2011/THU/六十九日目

『金閣寺』28公演目、大阪梅田芸術劇場、メインホール。

黙々と本場をこなし、完封。

積算上演日数:519日(±0)
終演まで:449日(-1)
終演見込み日:2012年6月2日(±0)

しかし日誌の更新が滞ったので(5/31)、罰則として上演日数1日延長。
積算上演日数:520日
終演まで:450日
終演見込み日:2012年6月3日

Posted: 3月 10th, 2011
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09/03/2011/WED/六十八日目

『金閣寺』大阪公演のため、新幹線で大阪入り。

今日は完封。

ここまでの成績。
積算上演日数:514日(±0)
終演まで:445日(-1)
終演見込み日:2012年5月28日(±0)

しかし、5日間(5/25-5/29)、日誌の更新が滞ったため、罰則として上演日数5日延長。
積算上演日数:519日
終演まで:450日
終演見込み日:2012年6月2日

Posted: 3月 9th, 2011
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08/03/2011/TUE/六十七日目

昨日に引き続き風邪。

「パ」ートナーが私の母の若い頃の写真をみていた。1972年くらいに撮影されたものだろうか。ロンドンの私の生家で、ロングブーツを履いて毛皮のコートを着込み、ソファーに足を組んでポーズを決めている。

「パ」ートナー:「お母さん、ゴージャスだねぇ!」

私:「あぁ、昔はかなりおしゃれしてて、ずいぶん華やかな生活を送ってたんだよ。でも父が亡くなってから、パタっと贅沢しなくなったんだよね。」

地雷ワード、「パタっと」、パ裂。

ここまでの成績。
積算上演日数:514日(+1)
終演まで:446日(±0)
終演見込み日:2012年5月28日(+1)

Posted: 3月 8th, 2011
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07/03/2011/MON/六十六日目

喉の調子が悪い。風邪をひいたようだ。週末の『金閣寺』大阪公演のために自宅で療養。

今日は完封。

ここまでの成績

積算上演日数:513日(±0)
終演まで:446日(-1)
終演見込み日:2012年5月27日(±0)

Posted: 3月 7th, 2011
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06/03/2011/SUN/六十五日目

金閣寺27公演目。愛知県芸術劇場。

終演後、新幹線で帰京。

『金閣寺』の地方公演にいつも持参している本がある。パルコ出版から出ている寺山修司の名言集、『身捨つるほどの祖国はありや』。まったくの気分で私はこの本を旅のお供に選んだのだったが、”祖国のために身を捨てた”三島由紀夫原作の舞台に立つのに、こんなタイトルを冠された本を選んだのは偶然か必然か…。

この『身捨つるほどの祖国はありや』も素晴らしいのだが、寺山修司に関するパルコ出版の仕事で、私がとりわけ評価しているのがラジオドラマのCD化である。寺山は文学から、映画・演劇へと至る間に、数々のラジオドラマの傑作を生み出しているが、それを今の私たちが聞けるようにCD化した功績はとても大きいと思う。

そして、帰りの新幹線。隣に座り合わせたパルコ劇場のプロデューサー、玄さんと話している時に…。

私:「パルコ出版とパルコ劇場ってつながりあるんですか?」

地雷ワード、「パルコ出版」、「パルコ劇場」、2連「パ」ツ。

ここまでの成績
積算上演日数:513日(+2)
終演まで:447日(+1)
終演見込み日:2012年5月27日(+2)

Posted: 3月 6th, 2011
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05/03/2011/SAT/六十四日目

『金閣寺』25、26公演目。愛知県芸術劇場大ホール。

黙々と本番をこなし、完封。
ここまでの成績。
積算上演日数:511日(±0)
終演まで:446日(-1)
終演見込み日:2012年5月25日(±0)

Posted: 3月 5th, 2011
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04/03/2011/FRI/六十三日目

『金閣寺』名古屋公演のため、新幹線で名古屋へ。

到着してまずホテルにチェックイン。そして場当たり稽古のためすぐに劇場入り。しかし楽屋口の受付へ来た時、事前に渡されていた入館パスをホテルに忘れて来たことに気がついた。受付の警備員さんに言う。

私:「あのー、すいません…、大ホールで明日からやる”金閣寺”の出演者なんですが、パスを忘れちゃって…」

地雷ワード「パス」、パ裂。

昨日まで続いていた連続完封記録更新、ここで終了。

そして夜。
「パ」ートナーが明日の公演を観たいとのことで、わざわざ名古屋まで来てくれた。二人で名古屋名物のみそかつでも食べようと「矢場とん」へ。食事中の会話。

「パ」ートナー:「この間買ったmacpacの調子どう?」

3月1日の日誌に書いたが、先日私は仕事用のキャリーバッグを買い替えたのだった。「macpac」とはニュージーランドの登山用ザックのメーカーで、少々値が張るのだが、ハードコアな実用性と洒落たデザインを兼ね備えたイチオシのブランドだ。私はキャリーバッグを新調した際、随分それを「パ」ートナー自慢したのだった。

私:「うん、いいんだけど、ジッパーが特殊でまだ慣れないんだよね」

地雷ワード「ジッパー」、パ裂。

「macpac」というブランド名はずっと警戒していたのだが、「ジッパー」という単語はうっかりノーマークだった。久しぶりに1日に2回のパ裂である。

ここまでの成績。
積算上演日数:510日(+2)
終演まで:446日(+1)
終演見込み日:2012年5月24日(+2)

さらに日誌の更新が一日滞ったため(5/20)、上演日数一日加算。
積算上演日数:511日
終演まで:447日
終演見込み日:2012年5月25日

Posted: 3月 4th, 2011
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03/03/2011/THU/六十二日目

今日もオフ。7日連続の完封。

昨日に引き続き、さらに連続完封記録更新。

ここまでの成績。
積算上演日数:508日(±0)
終演まで:445日(-1)
終演見込み日:2012年5月22日(±0)

Posted: 3月 3rd, 2011
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02/03/2011/WED/六十一日目

オフ。

6日連続の完封。遂に連続完封記録更新である。

ここまでの成績。
積算上演日数:507日(±0)
終演まで:445日(-1)
終演見込み日:2012年5月21日(±0)

しかし日誌の更新が一日滞ったため(5/16)、上演日数一日加算。
積算上演日数:508日
終演まで:446日
終演見込み日:2012年5月22日

Posted: 3月 2nd, 2011
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01/03/2011/TUE/六十日目

仕事で何年も使ってきたホイール付きのキャリーバッグが壊れたので、新しいもの買いにいく。いろいろ見たが、ニュージーランドのアウトドア・ブランド、macpacのコルー60というキャリーバッグが気に入った。接客してくれる店員さんと話をしながら何度も「macpac」というブランド名を言いそうになるが守りきり、5日連続の完封。

5日連続の完封は、2月5日~2月9日の期間、2月12日~2月16日の期間に引き続き「パ」日誌メントはじまって以来3回目。

ここまでの成績。
積算上演日数:507日(±0)
終演まで:446日(-1)
終演見込み日:2012年5月21日(±0)

Posted: 3月 1st, 2011
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28/02/2011/MON/五十九日目

一日中爆睡。

そして四日連続の完封。

「パ」裂を回避する最も確実な方法は、なんと言っても一日中寝ていることだ。

ここまでの成績。
積算上演日数:507日(±0)
終演まで:447日(-1)
終演見込み日:2012年5月21日(±0)

Posted: 2月 28th, 2011
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27/02/2011/SUN/五十八日目

『金閣寺』24公演目、博多キャナルシアター。

終演後、飛行機で帰宅。三日連続の完封。

ここまでの成績。
積算上演日数:507日(±0)
終演まで:448日(-1)
終演見込み日:2012年5月21日(±0)

Posted: 2月 27th, 2011
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26/02/2011/SAT/五十七日目

『金閣寺』22、23公演目、博多、キャナルシティシアター。

マチネとソワレを終え、夜は昨日食べたラーメンが絶品だったので、また同じ屋台へ。

昨日に引き続き完封。

ここまでの成績。

積算上演日数:506(±0)

終演まで:449(-1)

終演見込み日:2012520(±0)

しかし更新が1日滞ったので(5/12)、上演日数を1日加算。総計は下記の通り。

積算上演日数:507

終演まで:450

終演見込み日:2012521

Posted: 2月 25th, 2011
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25/02/2011/FRI/五十六日目

『金閣寺』21公演目、博多、キャナルシティシアター。

終演後、屋台でラーメン。さすがは博多、絶品。

そして今日は完封。

ここまでの成績。
積算上演日数:506日(±0)
終演まで:450日(-1)
終演見込み日:2012年5月20日(±0)

Posted: 2月 25th, 2011
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24/02/2011/THU/五十五日目

『金閣寺』のため、博多入り。

羽田空港行きのリムジンバスに乗る前に、慌ただしく腹を満たそうと、駅前のマクドナルドへ駆け込んだ。

マクドナルドの店員さん:「いらっしゃいませ、ご注文をどうぞ」

私:「えっとー、じゃあ、ダブルクォーターパウンダー・チーズ、セットで!」

地雷ワード、「ダブルクォーターパウンダー」、パ裂。

ここまでの成績。

積算上演日数:506日(+1)

終演まで:451日(±0)

終演見込み日:2012年5月20日(±1)

Posted: 2月 24th, 2011
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23/02/2011/WED/五十四日目

母の誕生日。アマリリスの鉢植えと、花柄のエプロンをプレゼント。

実家でささやかな誕生日パーティ。

三日連続の完封。

ここまでの成績。
積算上演日数:505日(±0)
終演まで:451日(-1)
終演見込み日:2012年5月19日(±0)

Posted: 2月 23rd, 2011
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22/02/2011/TUE/五十三日目

今日もオフ。

ニュージーランド、クライストチャーチでマグニチュード6.3の地震が発生。多数の死者が出ているとの報道。

昨日に引き続き完封。

ここまでの成績。
積算上演日数:501日(±0)
終演まで:448日(-1)
終演見込み日:2012年5月15日(±0)

しかし電気のない環境にしばらく滞在していたことで、更新が滞ったので、上演日数を4日分(5/3-5/6)加算。総計は下記の通り。
積算上演日数:505日
終演まで:452日
終演見込み日:2012年5月19日

Posted: 2月 22nd, 2011
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21/02/2011/MON/五十二日目

オフ。一日中家でのんびりゴロゴロ。

ほとんどあまり話さず、完封。

ここまでの成績。
積算上演日数:501日(±0)
終演まで:449日(-1)
終演見込み日:2012年5月15日(±0)

Posted: 2月 21st, 2011
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20/02/2011/SUN/五十一日目

まつもと市民芸術館にて『金閣寺』20公演目。今日で松本公演は終了。東京へ帰る。

終演後、楽屋口から外へ出ると、劇場裏は若い女の子たちでごった返していた。いわゆる「出待ち」の女の子たちである。ちなみに今日は主演の森田剛さんの誕生日。楽屋口のドアが開く度に、その場の空気が浮き足立つ。この特別な日に森田さんに会うことを心待ちにしているのだろう、皆、森田さん本人が出て来るのを固唾をのんで待ち構えていた。

そんな中へ出て行くのはなんだか気まずいものがある。誰のお目当てでもないくせに、舞台での存在感だけは大きい私は、言ってみればやたらと図々しい「ハズレくじ」なのだ。そんな私に残念そうな顔をしながらも手を振ってくれたり、お疲れさまでしたと声をかけてくれる子たちもいるのだが、案外私はこの微妙な空気を楽しんでいるのかも知れない。そんな空気の中、私は松本駅へ向かうためにタクシーに乗り込んだ。

せっかく信州に来たのだから、蕎麦でも食べたかったな…そんなことを考えているうちに、タクシーは松本駅へ到着。タクシー券を運転手さんに手渡し車を降りると、すぐ目の前に、まるで私のことを待っていたかのように、中々良い店構えの蕎麦屋があるではないか。腕の時計を見る。乗車予定のスーパーあずさの発車まで時間の猶予は20分。イケる。急いで食べればまだ間に合うぞ。心の中でガッツポーズを決めながら、私は一人、蕎麦屋ののれんをくぐったのだった。

店内に入った瞬間、私を見て目が点になっている二人の女性がいた。私はすぐにその二人が金閣寺を観に来ていたお客さんだと直感したが、あまり気にせず、席に着き、ざるそばを注文。

すると先ほどの二人のうちの一人の女性が私の席までやってきた。恐らく森田さんのファンの方だろう。舞台の感想や、ホーメイへの質問等々、蕎麦をすする私相手にいろいろ投げかけてきた。突然のことに当初は少々戸惑ったのだが、色々話していると、なんでもこの「パ」日誌を読んでくれているという。

私:「読んでくれてるんですか、ありがとうございます。でも最近、更新遅れててすみません…」

女性:「いろいろ大人の事情もあるかと思いますが、楽しみにしているので、ぜひ更新してください」

私:「え?大人の事情って何ですか?」

女性:「ジャニーズ事務所とかに、あまり舞台裏のことは書くな、みたいなことも言われてるでしょうし…」

私:「いえいえ、そんなことはまったくないですよ。私が書きたいことを好きに書いてます」

女性:「あ、そうなんですか」

私:「えぇ、だからこのことも書きますよ。東京に帰る前に後に立ち寄った蕎麦屋で、僕の「パ」日誌を読んで下さっている方に話しかけられたって」

地雷ワード、「パ」日誌、パ裂。

まったく、自分の作品の名前も言えないなんて…。

ここまでの成績。
積算上演日数:501日(+1)
終演まで:450日(±0)
終演見込み日:2012年5月15日(+1)

Posted: 2月 20th, 2011
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19/02/2011/SAT/五十日目

『金閣寺』18、19公演目。(まつもと市民芸術館)

まつもと市民芸術館は、サイトウ・キネン・フェスティバルの開催されるホールなだけあって響きが素晴らしい。設計は伊東豊雄とのこと。

今日はマチネとソワレの2公演。黙々と本番をこなし、完封。

しかし更新が滞ったので(4/29)、上演日数を一日加算。総計は下記の通り。

積算上演日数:500日(+1)
終演まで:450日(±0)
終演見込み日:2012年5月14日(+1)

Posted: 2月 19th, 2011
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18/02/2011/FRI/四十九日目

「金閣寺」松本公演のため、長野へ。
そして松本芸術劇場に到着し、明日の本番に向けての場当たり稽古。

1月23日付けの日誌に書いたように、「金閣寺」では、私が天井から吊されるシーン(舞台用語でフライング)があるのだが、地方公演で各地のホールを巡回するにあたり、テクニカルな理由から、フライングで天井から降りてくるという演出は断念せざるを得なかった。

結果的に松本公演からこのシーンは、私が高所によじ登って登場する、という形に変更されたのだが、その新たな演出を段取りで確認していた時のことである。

舞台で私は床を引きずるほどの長さの金のスカートをはいているのだが、マイクを片手に舞台装置をよじ登ろうとすると、どうしてもこれが邪魔になる。最悪、裾を踏んづけたまま上に登ろうとして転落する危険すらあり得る。

そこで私は考えた。

「うーん、やっぱりスカートを口にくわえるしかないかな…」

地雷ワード、「やっぱり」パ裂である。連続完封記録更新ならず。

だがしかし、地雷ワードは踏んだものの、スカートを口にくわえながら舞台装置をよじ登るアイディアは名案だった。

という訳でここまでの成績…

積算上演日数:498日(前日比 +1)
終演まで:449日(前日比 ±0)
終演見込み日:2012年5月12日(前日比 +1)

それに加えて、昨日いきなりノートPCが壊れてしまい更新が滞ったので、4月19日に発表した契約者様への陳謝状で約束した通り、上演日数を一日加算。総計は下記の通り。

積算上演日数:499日
終演まで:450日
終演見込み日:2012年5月13日

Posted: 2月 18th, 2011
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17/02/2011/THU/四十八日目

6日連続の完封!。連続完封記録更新である。

明日から『金閣寺』松本公演のため長野入り。

積算上演日数:497日(前日比 ±0)
終演まで:449日(前日比 -1)
終演見込み日:2012年5月11日(前日比 ±0)

Posted: 2月 17th, 2011
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16/02/2011/WED/四十七日目

オフ。一日中、家から出ず。溜めたデスクワークをこなす。

そして5日連続の完封。

5日連続の完封は、2月5日~2月9日の期間に続き、『「パ」日誌メント』始まって以来2回目。

積算上演日数:497日(前日比 ±0)
終演まで:450日(前日比 -1)
終演見込み日:2012年5月11日(前日比 ±0)

Posted: 2月 16th, 2011
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15/02/2011/TUE/四十六日目

久しぶりのオフ。
『金閣寺』が上演されていた同じ神奈川芸術劇場で、チェルフィッチュの『ゾウガメのソニックライフ』を観劇。

そして四日連続の完封。

積算上演日数:497日(前日比 ±0)
終演まで:451日(前日比 -1)
終演見込み日:2012年5月11日(前日比 ±0)

Posted: 2月 15th, 2011
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14/02/2011/MON/四十五日目

『金閣寺』17公演目。雪のバレンタインデー。

今日で横浜公演は終了。ここしばらく毎日のように本番だったが、今週末の長野公演まで少し休める。

バレンタインに「パ」ートナーがハンバーグをつくってくれる。
夜は二人で銀世界を散歩。

そして三日連続の完封。

積算上演日数:497日(前日比 ±0)
終演まで:452日(前日比 -1)
終演見込み日:2012年5月11日(前日比 ±0)

Posted: 2月 14th, 2011
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13/02/2011/SUN/四十四日目

『金閣寺』16公演目。横浜、神奈川芸術劇場。

昨日に引き続き、二日連続の完封。

積算上演日数:497日(前日比 ±0

終演まで:453日(前日比 -1

終演見込み日:2012511日(前日比 ±0

Posted: 2月 13th, 2011
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12/02/2011/SAT/四十三日目

『金閣寺』14、15公演目。(横浜、神奈川芸術劇場)

マチネとソワレ2公演。今日は高校の頃の同級生が観に来てくれた。
そして二日ぶりに完封。

積算上演日数:497日(前日比 ±0)

終演まで:454日(前日比 -1)

終演見込み日:2012年5月11日(前日比 ±0)

Posted: 2月 12th, 2011
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11/02/2011/FRI/四十二日目

『金閣寺』13公演目。終演後、アフタートーク。出席者は、宮本亜門さん(演出)、小野寺修二さん(振付)、伊藤ちひろさん(台本)、そして私の四名。私はラストシーンで体に金のペイントを施して出ているので、終演後、楽屋のシャワーで金を落とし、少し遅れてトークショーに参加する、という段取りになっていた。

カーテンコールを終え、楽屋に戻りシャワーを浴びていると、楽屋のスピーカーからトークショーの模様が聞こえてきた。始まったようである。

劇場というのは、各出演者が自分の出番を確認するため、舞台表の状況が映像と音声によって各楽屋にリアルタイムにモニターされる仕組みになっている。スイッチを切らない限り、トイレで用を足しているときや、シャワーを浴びているときでさえ、裏に舞台表の状況がダダ漏れで流れてくる。しかし自分がこれから参加するトークショーのやりとりを聞きながら、自分の裸をごしごしと洗うというのは、何とも奇妙なものだった。皆を待たせている。早く行かなければ…私は焦った。急いでシャワーからあがり、体もろくに拭かず、裸足のまま靴と靴下を抱えて楽屋を飛び出して、首からバスタオルを掛けた半裸の格好で、私はトークショーの行われている舞台に駆けつけた。

ふと皆の顔を見ると、トークの出席者も観客も目が点だ。私が着替え途中で壇上に上がったことに驚いているようである。人の目というのは不思議なものだ。たったさっきまで私は半裸で舞台にいたではないか。その私が再び半裸で舞台に出て来ただけだというのに…。そう思いながら自分に用意された席に腰掛けて、おもむろに靴下を履きながらトークに合流しようとしたのだが、それまでの話の骨は私のせいですっかり折れてしまったようだった。すみません。

トーク終了後はスタジオへ移動し、亜門さん立ち会いのもと、二幕のラストシーンで使う私の目のアップ映像の撮り直し。撮影は昔から友人である映像作家、掛川康典さん。

以前撮影したときは、軽くアイシャドウを入れただけで撮ったのだが、今回は目の周りを真っ黒に塗りつぶした状態で撮影したいという。つまり舞台上にプロジェクターで映像が映し出されたとき、私の目だけが浮かび上がるような風に撮影したいということだ。

撮影は和やかに進んだ。両目の目の周りを丸く黒で塗りつぶされた私の顔を見て笑うスタッフたち。最終的には目が画面いっぱいになるように撮影するので問題ないのだが、引きで見ると相当滑稽な顔になっているようである。ふと、このとき私の中で「パ」災報知器が働いた。ここで私が気をつけなければならないのはあの動物だ。そう、「パンダ」である。私の脳内で「バンダ」警報発令される。

掛川さん:「ははは、パンダみたいだね(笑)」

私:「…」

私の中で「パンダ」が最大の敵となっていることなど知る由もない掛川さんは、さらに続けた。

掛川さん:「あとなんか、こういうメイクするバンドいたよね(笑)」

こんな時、音楽好きはちょっとひねりの効いたレスポンスを返したいものである。ここで「キッス」や「マリリン・マンソン」を挙げるのは野暮だろう。しかしマニアック過ぎて伝わらなくては本末転倒。同世代ならこそばゆく感じられるであろう、絶妙なラインを狙うのがマナーというものである。

私:「うーん…MISFITS…!」

掛川さん:「ぎゃははは(笑)」

私:「うーん…アリス・クーパー!」

掛川さん:「あぁ、いたねー、なつかしー(笑)」

地雷ワード「アリス・クーパー」パ裂。

ここまでの成績…
積算上演日数:429日(前日比 +1日)
終演まで:387日(前日比 ±0日)
終演見込み日:2012年3月4日(前日比 +1日)

そしてこれに加えて、4月19日に発表した契約者様への陳謝状で約束した通り、2/10〜4/19更新延滞賠償分の「68日」を加算すると…

積算上演日数:429日+68日=497日
終演まで:387日+68日=455日
終演見込み日:2012年5月11日

Posted: 2月 11th, 2011
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10/02/2011/THU/四十一日目

『金閣寺』12公演目。

人は劇場という空間に何を求めて足を運ぶのだろう?。もちろんそれぞれ求めているものは同じでないと思う。しかし多かれ少なかれ、日常の「マンネリ」から抜けだして、どきどきするような非日常に身を投じたいという欲望を抱えてやってくるのではなかろうか。

だが、舞台に立つ側の人間からすると、こうも毎日、毎日、同じ劇場へ通い、同じ舞台に立ち、同じシーンを見ながら、同じタイミングで、同じ台詞を言い、同じ声を出すことを繰り返しているうちに、いやがおうにも非日常でなければならないはずの舞台が、月〜金で会社に通う勤め人のそれのように、「日常」的に感じられてきてしまうものである。公演を重ねるたびにどんどん進行していくその「平和ボケ」にも似た感覚との闘いが、「金閣寺」のようなロングラン公演に出演する出演者にとっては切実なものになってくる。

そのために私は毎回ほんのわずかだけ何かを変える工夫をする。
それはちょっとした気の持ち方だったり、声の出し方のような具体的なものだったりと様々だ。一昨日(11公演目)の舞台で私のその工夫とは「金太郎」になってみることだった。

金閣を象徴する存在である私は、舞台のラストシーンで体に金色のペインティングを施して華々しく登場することになっている。そのペインティングを施すのはメイクさんの仕事である。しかし一昨日、ラストシーンの出番の準備をする楽屋で、私はメイクさんから筆を奪い、自ら自分の腹の上に「金」の字を書いてみたのだった。

「金」の字を金閣そのものの形に見立て、岡本太郎の躍動感溢れる炎のような文字をイメージしながら、勢いよく筆を走らせる。しかし、鏡に映る自分の腹をキャンバスに思い通りの線を描くのは簡単ではなかった。

私の腹を見て苦笑いするメイクさん。そう、私の腹の上の「金」の字はまるで小学一年生の書いた文字のような出来映えだったのだ。

違う!。想ってたのと違う!。こんなはずじゃなかったのに…。
急いで描き直そうとも考えたが、すぐそこまで出番が迫っている。時間がない。

「じゃ、よろしくお願いしま〜す」

無情にも私を見捨てるようにメイクさんは楽屋を去っていった。仕方なくその日、私はその残念な姿のまま舞台に上がったのだった。

後で聞くところによれば、照明の具合で私の腹の上に描かれたそれが「金」の文字であるようには見えなかったとのこと。ほっと胸をなで下ろしただが、これに懲りて以後体のペインティングはメイクさんに任せようと思ったのだった。

そして本日12公演目の舞台裏。ラストシーンの出番を前に、金の塗料と筆をもって楽屋を訪れたメイクさんにこう言った。

「やっぱり、金太郎やめます…」

地雷ワード「やっぱり」パ裂。

というわけで、ここまでの成績…
積算上演日数:428日(前日比 +1日)
終演まで:387日(前日比 ±0日)
終演見込み日:2012年3月3日(前日比 +1日)

Posted: 2月 10th, 2011
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09/02/2011/WED:四十日目

『金閣寺』休演日。そして今日も完封。連続完封記録更新(5日連続)。

ここまでの成績…
積算上演日数:427日(前日比 ±0日)
終演まで:387日(前日比 -1日)
終演見込み日:2012年3月2日(前日比 ±0日)

Posted: 2月 9th, 2011
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08/02/2011/TUE:三十九日目

『金閣寺』11公演目。

今日は一幕最後のシーンで一瞬立ったまま意識を失ってしまった。しかし体が崩れ落ちる寸前に息を吹き返し、何食わぬ顔で「パ」フォーマンスを続けた。私が気を失っていたことは、誰も気付かなかったはずである。

そして今日も完封。連続完封記録更新(4日連続)。

ここまでの成績…
積算上演日数:427日(前日比 ±0日)
終演まで:388日(前日比 -1日)
終演見込み日:2012年3月2日(前日比 ±0日)

Posted: 2月 8th, 2011
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07/02/2011/MON:三十八日目

舞台『金閣寺』がはじまってからというもの、私の頭の中は三島の血塗られた言葉で染まりはじめている。その言葉は1970年11月25日に市ヶ谷駐屯地の総監室で流された血の温もりを、未だに保ち続けているように感じられてならない。

そして今日は『金閣寺』9公演目。

仕事を終え、劇場から帰宅した私は梶井基次郎の短編小説『檸檬』のことが気になっていた。そこで急遽「パ」ートナーをつかまえて、彼女を相手に『檸檬』を読んで聞かせる小さな朗読会を開く。もちろん「パ」の音はうまく避けながら。

『金閣寺』の中で溝口と柏木が、世界を変貌させるのは「行為」か「認識」かと言い争う場面があるが、それで思い出されたのがこの短編小説のことだった。丸善で自ら積み重ねた画集のてっぺんに一つの檸檬を置き去りにし、それを”黄金色に輝く恐ろしい爆弾”と「想像的に認識」することによって、心の中で現実の象徴たる丸善を爆破する男の話である。

舞台版『金閣寺』では省かれているが、原作で溝口は金閣寺を燃やす直前になって、柏木の言葉を思い出してこんなことを言うのだ。

”柏木の言ったことはおそらく本当だ。世界を変えるのは行為でなく認識だと彼は言った。そしてぎりぎりまで行為を模倣しようとする認識もあるのだ。私の認識はこの種のものだった。そして行為を本当に無効にするのもこの種の認識なのだ。してみると私の永い周到な準備は、ひとえに、行為をしなくてもよいという最後の認識のためではなかったか。”

私がこのところずっと気になっているのは、一度はこのように悟った溝口を、最後の最後に「行為」へと弾いた発条(ばね)のことである。そして劇団のように見える民兵を模した組織をつくったり、カメラの前で切腹の芝居をして見せたりすることで「ぎりぎりまで行為を模倣」していた三島(金閣寺の執筆も行為の模倣であったと思われる)を、最後の最後に「行為の模倣」から「行為」へと弾いた発条(ばね)のことである。

破滅的な瞬間にこそ、生命的な瞬間が訪れることは私も知っている。その生命的な瞬間を求めて私は自分のライブで心臓の鼓動を停めてみせるのだ。その時の私は「ぎりぎりまで行為を模倣」しているのだろう。そして自分自身を「行為」へと弾きかねない発条(ばね)は、やはり私の中にも潜勢していて、三島の言葉に向き合えば向き合うほど、その発条(ばね)が、三島の発条(ばね)と同じ振動数で共鳴しはじめ、破滅へと引っぱられているような気がして怖いのだ。

だからだろう。『檸檬』を読みたくなったのは。「ぎりぎりまで行為を模倣する認識」にも遠く及ばない、いたずらのような小さな「行為」を、想像力によって強大な「行為」にまで膨らませ、「認識」によってそれを現実化しながら、また日常へと戻っていく主人公。このところ破滅的引力を持った三島の言葉に引っぱられつつある私は、実際には破滅などせず、妄想を妄想で爆破して生き存えるこの主人公の姿に、何か救いのようなものを求めていたのだと思う。

このところ、私は命が惜しくなってきた。以前は破滅に身を投じるための理由をいつも探しながら生きていたのに、今の私は素直に生き存えたいと思っている。破滅的な瞬間以外にも生命的な瞬間はあるのか?という問いに、ある確信を持ちはじめているからだろう。そういえば、私は『「パ」日誌メント』の誓約書に、契約期間中、私が死亡してしまった場合のことを盛り込んでいなかった。誓約書に「死亡」の文字がないということは、すなわち私が生き続けることも暗に誓約されているということになるだろう。一生終わらないのではとも思えるこの「パ」フォーマンスを終えるまで、私には生き続ける義務があるのだ。

というわけで今日も完封。3日連続の完封は初めてである。連続完封記録更新。

ここまでの成績…
積算上演日数:427日(前日比 ±0日)
終演まで:389日(前日比 -1日)
終演見込み日:2012年3月2日(前日比 ±0日)

Posted: 2月 7th, 2011
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06/02/2011/SUN:三十七日目

『金閣寺』9公演目。

今日も黙々と本番をこなし、昨日に引き続き完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:427日(前日比 ±0日)
終演まで:390日(前日比 -1日)
終演見込み日:2012年3月2日(前日比 ±0日)

Posted: 2月 6th, 2011
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05/02/2011/SAT:三十六日目

『金閣寺』。この日はマチネとソワレ、2回公演。黙々と本番をこなし、完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:427日(前日比 ±0日)
終演まで:391日(前日比 -1日)
終演見込み日:2012年3月2日(前日比 ±0日)

Posted: 2月 5th, 2011
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04/02/2011/FRI:三十五日目

『金閣寺』5公演目。

公演終了後、ある方のご厚意により、キャスト全員、食事会に招待いただいた。場所は劇場近くの中華街。中華料理に舌鼓を打ちながら、隣に座っていた大東俊介さんと歓談する。

大東さん:「山川さんは結婚とかしないんスか?」

私:「うーん、前は結婚とか全然分からなかったけど、今は普通にしたいと思うようになりましたねぇ…」

大東さん:「子供とかは?」

私:「子供は欲しいなぁ。でも、日本の未来とか、太平洋地域の安定とか考えると心配もありますよね。あっ…」

ハっとして一瞬凍りつく私。それに対して喜々とした表情を浮かべる大東さん。

地雷ワード、「心配」、パ裂である。

大東さん:「オレ、結構、山川さんの”パ”いただいてますよね」

そうなのだ。大東さんのパっとした爽やかさのせいだろうか。一月二十二日にも私は大東さんに「パ」と言わされているのだった。

というわけで、ここまでの成績…
積算上演日数:427日(前日比 +1日)
終演まで:392日(前日比 ±0日)
終演見込み日:2012年3月2日(前日比 +1日)

Posted: 2月 4th, 2011
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03/02/2011/THU:三十四日目

昼:ハムロールサンド
夜:スパゲティアラビアータ

金閣寺四日目。黙々と本番をこなし、カーテンコールでも無駄口を叩かず、昨日に引き続き完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:426日(前日比 ±0日)
終演まで:392日(前日比 -1日)
終演見込み日:2012年3月1日(前日比 ±0日)

Posted: 2月 3rd, 2011
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02/02/2011/WED:三十三日目

昼:ナスのカレー

『金閣寺』休演日。一日中ほとんど寝て過ごしたため、完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:426日(前日比 ±0日)
終演まで:393日(前日比 -1日)
終演見込み日:2012年3月1日(前日比 ±0日)

Posted: 2月 2nd, 2011
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01/02/2011/TUE:三十二日目

昼:たまごサンド
夜:ナスのカレー、玄米ご飯

『金閣寺』三日目。

今日もまたほぼ全席が女性で埋め尽くされていた。

そして終演後のカーテンコール。

主演で溝口役の森田さんが客席に向かって手を振った瞬間、それに反応して何千という手のひらが一糸乱れぬ恐るべき瞬発力で、一斉にひらめいた。大規模なマスゲームを見るようなその壮観な風景に、思わず感嘆の声をあげる私。

「うわーっ!すげーっ!」

驚きのあまり出演者である自らの立場も忘れて、隣に立っている岡本麗さんと中越典子さんに話しかけてしまう。

私:「すごいですねー!、”笑っていいとも”のアレができそうですねぇ!」

岡本さん:「えっ…?笑っていいとものアレって何ですか…?」

私:「ほら、タモリが指揮する”パンパンパンッ”っていうアレですよ!」

地雷ワード、”パンパンパン”、パ裂。

これは痛い。一度に三連「パ」ツである。観客を舞台の上から冗談のネタにした罰(ばち)があたったのだろう。

罰があたったついでに白状すると、実は私はこの舞台の最後にカーテンコールなどあるべきではないと考えていた。ラストシーンで金閣を燃やし終えた溝口が、虚構から現実、舞台から客席へと境界を越境し、アノニマスな存在として観客に同化していくあの余韻が、カーテンコールの存在によって、”リアリティ”を模倣するポーズで終わってしまうと感じたからだ。潔く超えられた境界は、超えられた状態のまま永遠化するのが美しい。ああいう終わり方をする以上、私にはカーテンコールが野暮に感じられて仕方なかったのである。

しかしそれ以前に尺然としないのは、そもそものこの舞台での私の役割である。配役クレジットでは、「鳳凰:山川冬樹」となっている。金閣の頂に据えられたあの鳳凰のことである。しかし台本で私の出る場面のト書きには「鳳凰」ではなく「金閣を象徴する男」と記されている。私は鳳凰役として鳥を演じているわけではないし、金閣役として建物を演じているわけでもない。いったい自分が何の役なのか、いまだにあやふやなままなのだ。

このあやふやさは、金閣の美というものが、主人公溝口の主観の中だけに描き出された実体なきものであり、そもそも配役という形で客体化しようのないものであることに根ざしているのだろう。宮本亜門版『金閣寺』において特に独創的なのは、ある種の”リアリティ”を装いつつも、一方ではこのような個人の主観の中だけに存在する、客体化しようのない妄想のようなものを、果敢にも客体化しようとしている点にあるのだと思う。この舞台を見た人の多くは、私という存在による金閣の美の客体化を「擬人化」あるいは「象徴化」という言葉を使って表現するが、「擬人」というならもっとペラペラと人の言葉で台詞を喋ってもよさそうなものだし、「象徴」というには私の存在はまがまがし過ぎる。ここでは実体のないものに、まがまがしく具体的な人の形が与えられているばかりか、それがさらに崇められているという意味で「偶像化」という言葉が最も的を射ていると思われる。つまり、この舞台での私の役割とは金閣の美の「偶像」として、英訳すれば、溝口の”idol”として存在することなのだ。

しかしカーテンコールになった途端、劇中で溝口に崇められるべき”idol”は、見事にその座を引きずり降ろされてしまう。そして突如として底辺で虐げられていた溝口が華々しい”idol”に…、物語になぞらえて言えば、まさに”金閣”そのものに変貌するのである。いつの間にか私はこのカーテンコールでの劇的な下克上を、舞台で繰り広げられる演劇の延長として楽しむようになっていた。溝口が金閣になったなら、引きずり降ろされた私は溝口か?。いやいや、そうではないだろう。私は”溝口役の人物”(つまり森田剛さん)を実体の伴った共演者として尊敬していても、溝口が金閣を愛するような形で愛してなどないからだ。

溝口は非常に強いエネルギーをもって、金閣に耽溺し、理想を重ね、生きる生きがいとして崇め、執着し、自らを支配させていた。金閣を燃やさねばならなかったのは、その強烈な想いゆえである。溝口の行為は社会的規範で考えれば犯罪として認識されるが、エネルギーにはそもそも善悪などないのだ。原子核融合によって生じるエネルギーが、太陽の恵みとしてこの星を存続させている一方で、大量破壊兵器としてこの星を滅ぼしかねないように、エネルギーとはその最終的な現れ方の形によって、結果的に善悪に分別されるに過ぎない。

言うまでもなく、ここで金閣へと向けられた溝口の強烈なエネルギーと重なるのは、”溝口役の人物”へと向けられた数千もの女性客たちの熱愛のエネルギーである。客席を埋め尽くす彼女たちは、ちょうど溝口が金閣に対してそうであったように、主演の森田さんに耽溺し、理想を重ね、生きる生きがいとして崇め、執着し、自らを支配させているように見える。そしてそのエネルギーは本質的には良いも悪いもない、ただのエネルギーなのだ。だからこそ私は、とてつもないエネルギーがただそこに存在していることに、驚かされ、感心し、興味深く傍観するのだろう。つまるところ、先に書いた「うわー!すげー!」という正直な感嘆が示しているように、カーテンコールの場において私は舞台に立ちながらも、いつの間にか「観客」に変貌しているのである。

溝口が金閣となり…、観客が溝口となり…、金閣が観客となる…。

最後の最後に三者の間で立場が交換されるという、この三面鏡のような構造を持ったからくりを仕組んでみせる宮本亜門さんという人は恐るべき演出家である。この大どんでん返しを前には、溝口が観客に同化するというラストの演出を”リアリティ”を模倣するポーズだと疑問を抱く私の視点など、もはや偏狭なものでしかないだろう。やはり、この作品にはカーテンコールはなければならないし、客席は森田剛ファンで埋め尽くされなければならないのだ。

チラシの宣伝文句には「今という時代を生きるすべての人に、生きる目標・意味について切実な問いを投げかける」とあるが、その問いかけは劇中の芝居によってではなく、こうしたメタレベルで引き起こされる一連の現象によって果たされているように思われる。「金閣を生きる目標・意味」とする溝口の姿が、「天皇を生きる目標・意味」とした三島の分身であることは明らかだ。”無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国”となった現在の日本において、溝口と三島の姿に、「”溝口役の人物”を生きる目標・意味」とする女性客たちの姿を、劇場空間で直接重ね合わせてみせる試みこそが、この舞台における”リアリティ”への態度であり、最も重要なコンセプトとなっているのは間違いない。

さて、公演を終えて自宅に帰ると、台所のテーブル上に何やら得たいの知れない黄色い物体が入ったボウルが放置されていた。「パ」ートナーの仕業だろう。さては私が帰る少し前まで黙々と料理の研究していたようである。一見しただけでは、その奇妙な黄色い物体が、トロトロの液体であるのか、はたまたフワフワの個体であるのか判別できなかった。別室でごろごろしている「パ」ートナーに、大きな声でその物体の正体を問いただす。

私:「ねぇ!この黄色いの何?蒸しパン?」

地雷ワード、”蒸しパン”、パ裂。

結局正解は、トロトロの液体、失敗したシチューだった。「何言ってんの?どう見てもシチューじゃん」と突っ込まれる私。

というわけで、ここまでの成績…。
積算上演日数:426日(前日比 +4日)
終演まで:394日(前日比 +3日)
終演見込み日:2012年3月1日(前日比 +4日)

Posted: 2月 1st, 2011
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31/01/2011/MON:三十一日目

昼:きのこ焼きそば
夜:オムライス

『金閣寺』三日目。

連日公演が続いていると、「パ」ートナーとの会話も当然『金閣寺』の話題が多くなる。少々愚痴めいた本音から、笑い話まで…、私たちは時間の許すかぎり語り合う。

そして今日の話題も『金閣寺』。会話の内容を要約すると…

『金閣寺』は私の今まで関わった舞台の中で、最も商業的な舞台であることは間違いない。まるでビルでも建ててるかのように一切の無駄を排して建設的に進められていく制作のプロセスは、私の知っている舞台が生み出されていくプロセスとは根本から異なり、当初は随分戸惑ったものである。

しかし、そんな私にとって一つの光明となったのが、主演の森田さんの存在だった。いつの間にか私は、森田さんの舞台にかける真摯な姿勢に応えることが、私の現場でのモチベーションとなっていたのだった。このような想いは、私だけのものではなく、舞台に関わっている人全員に共有されているものと思われる。そのことが舞台裏の空気にも肌で感じられる。

…私は「パ」ートナーに言った。

「森田さんが全体をやっぴゃり引っぱってるんだよね」

地雷ワード、「引っぱって」、パ裂。

一月十五日の日誌に記したように、私と「パ」ートナーの間では、地雷を踏むのを避けるため、「やっぱり」なら「やっぴゃり」、「パンツ」なら「ピャンツ」といった具合に、「パ」を「ピャ」と訛らせて発音する習慣が生まれていた。この法則でいけば、先の私の発言は…

「森田さんが全体をやっぴゃり引っぴゃってるんだよね」

…となるべきだったのだ。

私は「やっぱり」を「やっぴゃり」と訛らせることには成功していたが、訛りの狙いを「やっぱり」に定めることにばかり気を取られ、その直後に続く「引っぱって」を「引っぴゃって」と訛らせ損ねていたのだった。

というわけでここまでの成績…
積算上演日数:422日(前日比 +1日)
終演まで:391日(前日比 ±0日)
終演見込み日:2012年2月26日(前日比 +1日)

Posted: 1月 31st, 2011
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30/01/2011/SUN:三十日目

昼:唐揚げ弁当
夜:うなぎ、ブロッコリー、トマト、白米

『金閣寺』二日目。公演終了後、神奈川芸術劇場一回のカフェで東京都現代美術館の藪前さんや、海外のキュレーターの方々とミーティング。

ミーティング中、藪前さんはボイスレコーダーで私の言うことを始終録音していた。議題となっているプロジェクトについて、話された内容を漏らさずメモするためだろう。しかし、それは私が「パ」と口を滑らせる決定的瞬間を捕らえんと、狙って回されているようにも思われた。

海外のキュレーターと話すときは英語で話すことになるわけだが、この日の私は冴えていて、「Japan」、「paper」、「performance」といった、日本語で横文字になったときに「パ」という音節を含んでくる単語を、英語を話しながらも瞬時に察知し、巧みに回避した。もしかすると母国語以外の言語を話すとき、発語しようとしている言葉に意識的になるぶん、うっかり地雷を踏んでしまうということが起こりにくくなるのかも知れない。

というわけで今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:421日(前日比 ±0)
終演まで:391日(前日比 -1日)
終演見込み日:2012年2月25日(前日比 ±0)

Posted: 1月 30th, 2011
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29/01/2011/SAT:二十九日目

昼:赤飯弁当
夜:つけめん

『金閣寺』初日。無事、幕が開けた。

この日、客席に男性は一人もいなかったのではないか。カーテンコールで会場の照明が入り、総立ちのスタンディング・オーベーションとなった客席の様子が露になったとき、会場を埋め尽くしているのが100「パ」ーセント女性だったことには本当に驚愕した。ほとんどが主演の森田剛さんの熱狂的なファンの方々であるようだ。客席からスタンディング・オベーションをもらった経験は今までに何度かある。しかし明らかにこれはその感じとは違った。むしろ学校の朝礼の風景に似ていると思った。彼女たちの間ではカーテンコールでの起立が一つのマナーとして共有されているかのようだった。

「きゃ~~~っ!ごうく~ん!」

突如として飛び交う黄色い歓声。横浜公演(S席8,500円)だけで1300席×16公演分=20,800枚、地方公演(S席9,500円)も含めれば約44,000枚ものチケットが即日完売になったと聞いたとき、にわかには信じられなかったのだが、なるほどこういうことだったのか…。ここで経済を動かしているのは、芸術の力などではなく、恋愛の力だったのだ。

私は戸惑いながらも舞台から礼をした。しかし私は何に向かって礼をしたのだろう。

ちなみに私は『「パ」日誌メント』のチラシを全公演、全席分を印刷して折り込ませてもらっている。35,000人のうち、どれだけの人がこの作品を発見してくれるか分からない。カーテンコールの様子から察するに、恋は盲目と言うから、私のような者のチラシなど誰の目にもとまらずほとんどがゴミ箱行きだろう。しかし、一月六日の日誌にも記した通り、私は三島由紀夫の言葉をねじ曲げてでも自分の台詞から「パ」を排除した。私が舞台で『金閣寺』のキャストとして存在するときも、当然『「パ」日誌メント』の「パ」フォーマンスは続けられている。つまり、『金閣寺』を観劇する44,000人すべての観客が、それと知らずに『「パ」日誌メント』を観劇することになるのだ。劇場の入り口で、すべての観客に渡された私の質素な折り込みチラシは、そのことをささやかに告げている。

公演終了後はロビーにて簡単な祝賀会が催された。神奈川芸術劇場の館長の挨拶で乾杯の音頭がとられた。

「乾杯!」

乾杯の唱和の中、私一人だけ「カンペ~!」と中国語風に訛った発音で叫びながらグラスを掲げ、出演者の方々と舞台の開幕を祝う。しかし私は午後10時から渋谷のユーロスペースでトークショーに参加する予定があったので、早々に歓談を切り上げて会場を後にする。帰り支度をしていると、制作の毛利さんが紹介したい方がいるとのことで行ってみると、映画監督の行定勲さんだった。初対面の方とご挨拶をするのはやはりほんの少し緊張するものだ。その微妙な緊張感が私の「パ」への予防線を緩くしたのだろう。丁度昨晩『金閣寺』のパンフレットに掲載されている宮本亜門さんと行定勲さんの対談を読んだばかりだった私は思わず口を滑らせてしまう。

私:「はじめまして…、あ、パンフレットの対談、拝見しました!」

地雷ワード、”パンフレット”、パ裂。

私:「あっ、いっちゃった…」

思わず、苦虫を噛み潰すような顔をしてしまう私。

行定監督:「えっ何をですか?あぁ、”パ”ね、ははは」

行定さんは誰からか既に『「パ」日誌メント』のことを聞いているようだった。変な挨拶になってしまったことが胸にひっかかりつつも、神奈川芸術劇場を後にして、車で高速道路を飛ばす。ユーロスペースで予定されていたトークショーとは、私も出演している映画「We don`t care about music anyway…」の上映にあたって催されたものだった。参加者は監督のガスパールさん、チェリストの坂本弘道さん、音楽監督のノアさん、私の四人。

どうしてもトークの中では「パフォーマンス」という単語を使う必要が出てくるのだが。そこで私は、監督がフランス人であることから、「パフォーマンス」を、フランス語風に訛らせて「ペルフォーマンス」と発音するようにしていた。しかし公演の疲れが祟ってか、話がのってきた所でその作戦も空しく、「パフォーマンス」と口を滑らせてしまう。

地雷ワード、”パフォーマンス”、パ裂。

それに加えて、今までも散々パ裂させてきた地雷ワード、”やっぱり”もその直後にパ裂。

トークショーのお客さんの中には、この『「パ」日誌メント』のことを既に知っている方も多かったようで、これらの「パ」裂への反応が良く、地雷の踏みごたえがあって嬉しかった。

ここまでの成績…
積算上演日数:421日(前日比 +3日)
終演まで:392日(前日比 +2日)
終演見込み日:2012年2月25日(前日比 +3日)

Posted: 1月 29th, 2011
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28/01/2011/FRI:二十八日目

昼:うなぎ、シウマイ、ハンバーグ、たまご焼き、れんこん、白米
夜:ミートボール、鳥の唐揚げ、白身魚のフライ、白米

ゲネプロの日。

神奈川芸術劇場のこけら落し公演なだけあって、客席には多くの報道陣が。テレビニュースでも公開稽古の様子が放送されたらしい。

それはいいとして、今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:418日(前日比 ±0日)
終演まで:390日(前日比 −1日)
終演見込み日:2012年2月22日(前日比 ±0日)

Posted: 1月 28th, 2011
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27/01/2011/THU:二十七日目

昼:豚の生姜焼き、白米、福神漬け
夜:ココナッツカレー、豆乳ハンバーグ、サーモンとルッコラのサラダ、野菜のミネストローネ

ゲネプロを前日に控え、現場は慌ただしくなっている。楽屋に入ると演出助手の方が訪れてきて、一つ相談があると言う。舞台では高所で不安定な姿勢のままホーメイを歌うシーンがあるのだが、昨日スタッフが実際に登って確認してみたところ、その場所で歌うのは危ないと判断したとのことで、そのシーンでのホーメイは事前に録音したものを流したいというのだ。

それはつまり、「口パク」でやってくれということである。私はライブに生きてきた人間だ。だから舞台では、その瞬間、その場で声が発せられることに強いこだわりがある。これは私自身の目には近すぎて見えないほど、自分にとって当たり前のこだわりとなっていて、だからこそ「口パク」という提案をさらりとされたことは大きなショックだった。私の声が録音でよいのなら、生身の私が舞台に立つ必要などない。劇場に流される自分の声に合わせて、私が自分を演じてみせるとき、その不条理な一致は私の自己同一性を崩壊させるだろう。

後から考えれば「口パク」というのは私の身の安全を考慮して下さっての提案なのだが、その時、私は内心、激昂していた。不自然に押し殺した低い声で言う。

「あの…、やっぱり僕は役者じゃなくて、ライブミュージシャンなのでぇ、生で声を出してナンボなんですよ…。そうでなければ僕のこの舞台での存在意義はないと思うんですよね。分かります?だからあのシーンは絶対に生でやります。」

「パ」への予防線がおろそかになるのはこんな風に感情的になってしまった時である。
地雷ワード、”やっぱり”、パ裂。

私の希望は聞き入れられ、問題のシーンは生でいくことになった。舞台へまわり、実際にその場所へ登ってみる…。さっきは強く出てしまったものの、確かに上は足場も狭く不安定である。その状態で腹に力を入れて歌うのは容易ではないことがよく分かった。

「やっぱ、こわいっすね…」

地雷ワード、”やっぱ”、パ裂。

尚かつ私の乗っかっている装置には稼動するしかけがあるので、その動きによってかかる体への力を想定しながら…

「僕の心配しているのは、こう動いた時、体がこうなることなんですよ…」

地雷ワード、”心配”、パ裂。

本番直前の現場では、体も、神経も、言葉も使う。すると自然に「パ」災報知器の方もおろそかになり、今日は3回も地雷ワードを踏んでしまった。

というわけで…
積算公演日数:418日(前日比 +3日)
終演まで:391日(前日比 +2日)
終演見込み日:2012年2月22日(前日比 +3日)

Posted: 1月 27th, 2011
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26/01/2011/WED:口座開設

昼:ラーメン、餃子
夜:豆乳ハンバーグ、ポテトとベーコンのローズマリー炒め、サーモンとルッコラのサラダ、野菜のミネストローネ

年が「パ」けて以来、やっと平日の昼間に時間がとれたので銀行へ。「パ」の買い主からは昨年のうちに「パ」の代金¥1,000,000が私の口座に振り込まれていたのだが、そのお金を最初の預け入れ金として新たに口座を開設するため、窓口へ出向く。

口座開設申し込み用紙に必要事項を記入し、カウンターへ。すると、銀行員に開設の理由を尋ねられた。しかし考えてみれば「パ」に支払われたお金は他とは別にしておきたい、という漠然とした理由以外、口座開設の理由らしい理由は見当たらない。返答に困る私。

銀行員:「貯金ですか?」

私:「あっ、そうかも…。普通に言えば、そういうことになるかも知れません。」

曖昧な返答に怪訝な顔をされつつも、何とか無事に口座開設は認められ、私はまっさらな預金通帳を受け取ることができた。通帳を開いてみると最初のページに「1,000,000」という数字が冷たく、ただ整然と印刷されている。

果たしてこの取引によって何が動いたのだろう?と思った。私の「パ」…、そしてこの通帳に記入された「1,000,000」という数字…、交換されたそれらの実体はどこにあるのだろう?

「パ」の買い主は、私から「パ」を買ったことを直接的には確認することができない。私の「パ」の所有権が自らの手に渡ったことを証明するのは、誓約書という一枚の頼りない紙切れである。私は私で、自分の「パ」という音節と交換された¥1,000,000という価値を、通帳に印刷された数字の羅列でしか確認することができない。あるいは口座から現金を引き出して100枚の万札を手にしてみたら、自分の「パ」と交換された価値を実感することができるのだろうか…。もしかしたらそれで何らかの実感のようなものは得られるかも知れないが、本来的にはその紙幣も私が書いた誓約書も同じ紙切れにすぎないはずだ。端的に言えば『「パ」日誌メント』で交換されたのは紙なのだ。しかし紙幣という紙が単なる紙ではなく、呪いがかけられた紙であることを私たちは知っている。札束を手にしたときに得られる実感らしきものは、まさにその呪いの仕業である。それと同じように私の書いた誓約書にも呪いがかけられている。ただし、その呪いは私の力によってかけられたのではない。むしろ、買い主によってかけられたと言えるだろう。つまりアートへの信仰のもと、¥1,000,000という価値と交換された時点ではじめて私の書いた誓約書は呪いの紙と化したのだ。

紙幣が単なる紙だとその正体を暴いたところで、呪いが解かれることはないだろう。それほどまでにその呪いは私たちの社会にとって自明なものとなっていて、誰もその呪縛から自由ではない。だから私は「パ」の対価として支払われた¥1,000,000を、誰とでもその金額に相当するとされる価値と交換することができるのだ。さて、何を買おうか?車?ロレックス?豪勢に海外旅行にでも行くか?キャビアでもたらふく喰うか?あるいはアート作品でも買おうか?…そんな風に金の使い道を妄想するのは楽しいものだ。しかし私がそのつもりならば、銀行員に「貯金です」と即答することができただろう。私がわざわざ新しい口座を開設してまでこの¥1,000,000を隔離ようと思ったのは、おそらく、アート市場で得たお金を、自分の生活のお金と一緒にしておくことで、知らず知らずの内にまた資本主義経済のサイクルの中へと消費する形で還元してしまいたくなかったからなのだろう。

私の「パ」は¥1,000,000に化けた。そしてまたこの¥1,000,000が、数字を超えた別の価値に化ける日がきっと来るはずだ。その日が来るまで、私は買い主から支払われたこのお金には手をつけないと心に決めている。それまでこの¥1,000,000は、実際の振動として発せられることのない私の「パ」という声と同じように、あるいはまだ産まれない胎児のように、「銀行口座」という仮想の空間で潜勢し続ける。

かくして、私は「パ」に支払われた¥1,000,000を「貯金」した。

さて、話は変わるが、最近iphoneの調子が悪い。Softbankのサポートセンターに電話してみたものの、一向にらちがあかない。先方の応対に少しイライラして、技術的に込み入った話になってきたところで、口が滑った。

地雷ワード”電波”、パ裂。

積算上演日数:415日(前日比 +1日)
終演まで:389日(前日比 ±0日)
終演見込み日:2012年2月19日(前日比 +1日)

Posted: 1月 26th, 2011
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25/01/2011/TUE:二十五日目

昼:おにぎり
夜:肉じゃが、たまごやき、こんにゃく、あげ豆腐、白米
夜食:パンプキン蒸しパン、パパイヤ、豆乳ミルクティー

現場では巧みに「パ」災を避けている。

本番では私の出す音がきっかけになるシーンがあるのだが、今日の場当たり稽古にて森田さんがその一発目のきっかけの音を確認したいとのことだったので、マイクを使って全員に告げる。

「じゃあ、”一ハツ目”の音いきまーす!」

すると、緊張感のある空気が一瞬緩んで共演者やスタッフの間に笑いがおこる。

「えっ?イチハツ目?、ああ、そうか、「パ」って言えないのか(笑)」

皆が『「パ」日誌メント』のことなど忘れているときも、私はずっと「パ」フォーマンス状態を生きていて、このようなコミュニケーション上のエラーによって、潜在化していた「パ」フォーマンスは一時的に顕在化するのだ。

夜は「パ」ートナーが、昨日予定していた「パンプキン蒸しパン」をつくってくれる。私はパパイヤを切った。パパイヤの種が想像していたのと違って驚いたとき、「え~っ、パパイヤの種って…」と口が滑りそうになったが、「パ」災報知器が作動しセーフ。

9度目の完封。二日連続での完封は2度目となる。

ここまでの成績…。
積算上演日数:414日(前日比 ±0日)
終演まで:389日(前日比 -1日)
終演見込み日:2012年2月18日(前日比 ±0日)

Posted: 1月 25th, 2011
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24/01/2011/MON:二十四日目

昼:豚の生姜焼き、切り干し大根、ジャガイモ、たまご、ごぼう、にんじん
夜:パルマハムとアボガトのクリームパスタ、パンプキンとパプリカの蒸し鶏サラダ

夜は「パ」ートナーが「パ」のつく食材を買い込んで手料理をつくってくれた。しかし張り切ってしこたま買い込みすぎ、今日一日では消費しきれず、予定していた「パンプキンの蒸しパン」と、「パパイヤ」は明日に持ち越し。

「パ」のつく食べ物は口にしても、「パ」という音節は口にせず、8度目の完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:414日(前日比 ±0日)
終演まで:390日(前日比 -1日)
終演見込み日:2012年2月18日(前日比 ±0日)

Posted: 1月 24th, 2011
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23/01/2011/SUN:二十三日目

昼:おにぎり(えびマヨ、とりめし)
夜:ネギ塩カルビ、プチトマト、たまご焼き、ほうれん草のごまあえ、コロッケ。野菜の酢もの、柴漬け、梅干し、白米

神奈川芸術劇場のホールは、面積、横幅こそさほどでもないのだが、天井高、舞台奥行きともに30m近くもあり、その空間に立つと最新鋭の設備を備えた大きな谷の深淵にいるようだ。役者たちがその谷底でじたばたと芝居の稽古をしているの見ていると、水槽の中で泳ぐめだかたちを眺めているような気分になってくる。

『金閣寺』では私が上空に吊られるシーンがあるのだが、今日はそのテスト。「ハーネス」と呼ばれるオムツのような器具を装着し、舞台真上に設置された仮設通路へとよじ上り、そこからワイヤーで吊られながら降りていく。

絶対に谷底へと落下することがないよう、しっかりと安全確認をして、舞台監督やスタッフのことを信頼しているつもりでも、いざ吊られてみると自分の中に高所への恐れという本能が棲んでいることを思い知らされる。たとえ舞台の構成員である「キャスト」としての私が、吊られることを「YES」としていても、いざ吊られてみると、本当の私は「NO」と言っていたということを、全身の細胞が知らせてくるのである。地球上のあらゆるものがこの重力という絶対的な力に服従しながら生きている。私の身体がモノとして宙吊りにされようとするとき、私の体中の細胞は、「演劇」という作為がこの「重力」という絶対的な摂理に反抗しようとしていることへの罪悪感でざわめくのだ。私の「恐れ」とは本能的なものであると同時に、この罪悪に与えられるかも知れない罰への恐れでもあるのだろう。この恐れを根本的に超克する方法は、「絶対に落ちない」と自分を騙して本能を麻痺させるか、「落ちて死んでも本望」と覚悟を決めるかの、どちらかしかないのだ。

ふと昨年末に観たシルクドソレイユ『ZED』のことを思い出す。絢爛豪華な衣装を身にまとい、驚くべき技術で鳥のように舞台上空を舞い廻る「パ」フォーマーたち…。そのとき、思わず舞台上空に情けなく吊られた格好のまま口が滑った。

「やっぱりシルクドソレイユってすごいなぁ…」

地雷ワード、”やっぱり”、パ裂。

初日まで一週間を切り、現場はだんだん慌ただしくなってきている。その慌ただしさに飲まれるように、つい私も慌ただしい気持ちになってしまう。その後も音楽担当の福岡さんに電話しながら口が滑る。

「やっぱりねぇ、現場に来て音を合わせてみなきゃ分かんないですよ。」

またしても宿敵「やっぱり」である。

ここまでの成績…。
積算上演日数:414日(前日比 +2日)
終演まで:391日(前日比 +1日)
終演見込み日:2012年2月18日(前日比 +2日)

Posted: 1月 23rd, 2011
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22/01/2011/SAT:二十二日目

昼:おにぎり(めんたいこ、カルビ)
夜:えびフライ、鶏の唐揚げ、ハンバーグ、しらたき、ポテトサラダ、ナス、ピーマン、お新香、白米

『金閣寺』の稽古。

巷の新聞では主演の森田剛さんがこの『金閣寺』のために丸刈りにするとの記事が芸能欄を賑わせていているようだ。現場では公演初日を直前に控え、役者のみなさんそれぞれが配役に合わせて髪型を調髪する段階に入っている。今日は劇場入りして舞台で準備していると、共演者の大東俊介さんが登場人物の鶴川役に合わせた昭和風の刈り上げになって現れた。

大東さん:「おはようございます!」
私:「おはようございます!」

元気よく笑顔で挨拶を交わす。その後、大東さんの髪型を見て思わず「さっぱりしましたね!」と続けそうになったが、私の脳内で即座に「パ」災報知器が作動、地雷ワード「さっぱり」を検出。地雷ワードを発語してしまう寸でのところで舌に急ブレーキがかかる。

私:「さっp、さっpp…」

口ごもりながらも、脳内で大東さんの新しい髪型への感動を表現する代わりの言葉を探す私。そしてやっと舌が動きだした。

私:「ううっ、い、いや…、さ、さ、散髪しましたね!」

地雷ワード、”散髪”、パ裂。

私:「あ、いっちゃった…」
大東さん:「えっ?」
私:「いや、ハに○のつく音を言っちゃったんです」
大東さん:「あっ!散髪!やったー!言わせたー!日誌に書いてくれるんスか?」

無邪気にはしゃぎながら、私の「パ」裂を現場のスタッフたちに報告して回る大東さん。

というわけで、ここまでの成績…
積算上演日数:412日(前日比 +1日)
終演まで:390日(前日比 ±0)
終演見込み日:2012年2月16日(+1日)

Posted: 1月 22nd, 2011
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21/01/2011/FRI:二十一日目

昼:シウマイ、鮭の塩焼き、卵焼き、かまぼこ、白米
夜:みそラーメン、肉丼

『金閣寺』の稽古。そして七度目の完封。二日連続の完封は今日が初めてである。

ここまでの成績…
積算上演日数:411日(前日比 ±0)
終演まで:390日 (前日比 -1)
終演予定日:2012年2月15日 (前日比 ±0)

Posted: 1月 21st, 2011
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20/01/2011/THU:二十日目

夜:みそソースかつ重、きりぼし大根、うどん、茶碗蒸し、たくあん

『金閣寺』の稽古。そして六度目の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:411日(前日比 ±0)
終演まで:391日 (前日比 -1)
終演予定日:2012年2月15日 (前日比 ±0)

Posted: 1月 20th, 2011
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19/01/2011/WED:十九日目

昼:焼き肉、唐揚げ、マッシュポテト、昆布、梅干し、白米
夜:ぶた肉とナスのしょうが炒め、たまごスープ、納豆、たまご、玄米ご飯

芸大の日。

”東京”芸術大学とは言っても、私が勤務しているのは上野校地ではなく、茨城県の取手校地の方である。利根川の雄大な流れが一望できるのが最大の魅力だが、とにかく遠いのが難点である。自宅からドア・トゥ・ドアで車なら片道二時間、電車とバスなら二時間半、芸大に出勤する日はちょっとした旅の覚悟が必要だ。今までは車で通勤するのが常であり、一昨日、失効していた運転免許も取得し直したのだが、車なしの生活を続けていたことで電車通勤も悪くないと思えてきて、今日は線路に揺られてのんびりと通勤することにした。座れさえすれば日誌を書いたり思案にふけったりと、長い通勤時間を有効に使えるものだ。

冬の日は短い。大学での仕事を終え、今日一日地雷ワードを踏まなかったことにほっと安堵しながら、遥か遠方の自宅に帰るため、支度をする。コートを着込み、鞄をかつぎ、校舎の外へ出てみると、まだ午後六時前だというのに、辺りは闇に包まれていた。いつもなら自分の車に乗り込んで高速道路を飛ばして帰るのだが、今日は学生たちに混じって冬の冷気に身を縮め、真っ暗な停留所でバスを待つ。

すると、暗闇の中から私を呼ぶ声が聞こえた。目を凝らしてみると八谷和彦さんが立っている。八谷さんは一昨年急逝された渡辺好明先生の穴を埋める形で、今年から芸大に就任されたのだった。八谷さんとは以前から知り合いだが、芸大で合うのは今日が初めてだった。

バスが到着し、前後の座席に並んで座って八谷さんと会話する。私の脳内では例によって「パ」災報知器のセンサーが作動しはじめる。バスから電車に乗り換えて、取手駅から北千住駅へ向かう車内でも、脳は忙しく「パ」災を警戒しながらも、話は弾んでいった。大学のこと、アート全般のこと…。そして八谷さんともばったり会った飴屋法水さんの作品「わたしのすがた」のこと。「わたしのすがた」は私にとっても近年観た作品の中でも最も感動した作品で、作品のことを話しているうちについ夢中になり、例の言葉が口を滑ってこぼれ出た。

私:「やっぱり飴屋さんの作品って…」

地雷ワード、”やっぱり”、パ裂。

私:「あっ、今、僕、言ってしまいました…」
八谷さん:「えっ、何をですか?」
私:「ハに○のついた音をです…」
八谷さん:「はぁ…」

私は八谷さんに『「パ」日誌メント』について説明し、北千住の駅で別れた。

それにしても、やっぱりこの言葉である。これまで踏んだ地雷総数46回の内、11回、つまり24%をこの「やっぱり」が占める。

ここまでの成績…
積算上演日数:411日(前日比 +1)
終演まで:392日 (前日比 ±0)
終演予定日:2012年2月15日 (前日比 +1)

Posted: 1月 19th, 2011
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18/01/2011/TUE:十八日目

昼:カレーライス
夜:豚肉とナスのしょうが炒め、たまごとわかめのスープ、納豆、たまご、玄米ご飯、ビール

芸大で授業の日。そして5度目の完封。それにしても18日目にして地雷を踏まなかったのは、まだたったの5日か…。

ここまでの成績…。
積算上演日数:401日(前日比 ±0)
終演まで:392日(前日比 -1日)
終演見込み日:2012年2月14日(前日比 ±0)

Posted: 1月 18th, 2011
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17/01/2011/MON:十七日目

朝:コロッケカレー
夜:ラーメン、餃子、ビール

今日は失効した運転免許を再発行するため、早朝に起きて運転免許試験場へ出向く。私は違反運転者にあたるとのことで二時間の講習を受けねばならなかった。警察関係の施設というのはどうも苦手だ。よく分からない理由で受付の婦警さんに説教されるし…。しかし講習の担当講師は随分人情派で、悲しい交通事故の逸話を浪花節ばりの調子で語るものだから、思わずぽろぽろ泣かされてしまった。小さな子供が交通事故に巻き込まれるのはいたたまれない。先日は無免許で運転しようとしたけれど、やっぱり交通ルールは守ろう、と固く胸に誓ったのであった。

晴れて新しい免許を受け取り、午後は『金閣寺』の稽古場へ。

今日は衣装合わせだった。出演者たちがどんどん目に見えて本番らしい姿になっていく。その変貌ぶりを眺めているだけで面白い。今回の舞台では、舞踏集団『大駱駝艦』の方々ともご一緒するのだが、その大駱駝艦の中でも一番ガタイが良く、ドープな風貌の湯山さんが、少し猫背ぎみの姿勢でパーカーのフードを深々と被ったとき、ふとその背後にサウスブロンクスの風景が見えた気がした。

思わず唸る私。「おぉ~、思いっきりラッパーですねぇ…」

地雷ワード、”ラッパー”、パ裂。

そういえば昔「パラッパラッパー」というプレステのゲームがあったな…。確か「パラッパ」という犬がラッパーという設定で、ボタンを押してラップさせて遊ぶゲームだったような。で、その「パラッパ」のお父さんが「パラッパパパ」という名前だったような…。

そうこうしていると、仕事先の「パ」ートナーからメールが届く。泣きっ面の絵文字と共に「今日は朝からお腹が痛い」とのメッセージ。休憩時間に電話をかけてみると、電話越しの声はいつもより元気がない。

気がかりで唸る私。「うーん大丈夫?心配だね…。」

地雷ワード、”心配”、パ裂。

一昨日に続いてまたこの言葉か…。「やっぱり」に次いで警戒すべきは、この”心配”かも知れない。とりあえず「パ」ートナーには胃薬「ガスター」を飲むようアドバイスしてまた稽古へ…。

私はライブ「パ」フォーマンスで生きて来た人間なので、舞台では少々荒っぽくとも自分の身体を酷使するのと同じように、マイクという道具も酷使されて然るべきだと考えている。だから今日はあるシーンでマイクをゴトっという音とともに床へ落としたくなり、実際に通し稽古のときにやってみたのだが、音響さんからNGが出てとめられてしまった。それでも私はどうしてもそこでマイクは落ちるべきだと思ったので、思わず「こんなことではマイクは壊れません」と食い下がった。音響さんにとっては精密機器としてきちんと管理するのがマイクへの愛情なのだろう。しかし私にとってのマイクへの愛情とは、舞台の上で自らの一部としてそれと運命を共にすることである。マイクにとっては一体どちらが幸せなのだろう…。

私が普段愛用しているマイクは「SHURE BETA87A」というコンデンサーマイクだ。しかし今回は演劇という舞台の性格上、マイク類はすべて無線でなければならず、SENNHEIZERのSKM5200という本体に、MD5235という型番のカプセルをセットしたワイヤレスマイクを用意していただいている。あまりライブハウスなどでは見かけないタイプなので、ネットでいろいろ調べてみたところ、本体とカプセル合わせて60万円ほどする代物らしい。私の「パ」365日で¥1,000.000だから、ざっと計算すると、このマイク1本で私の「パ」219日分ということになる。なるほど音響さんが嫌がるのも無理はない…。

どうしたものかと唸る私。「うーん、そうですか…。”ごっぱち”みたいな訳にはいかないんですかねぇ…。」

地雷ワード、”ごっぱち”、パ裂。

「ごっぱち」とは丈夫なことで定評のある業界標準マイク「SHURE SM58」の通称である。そこらの楽器屋でも一万円足らずで買えるだろう。中には「ごーはち」と呼ぶ人もいるが、圧倒的に「ごっぱち」あるいは「ごっぱー」と呼ぶ人の方が多い。それはさておき、この「ごっぱち」にしろ、先の「ラッパー」にしろ、以前の日誌で論じた「やっぱり」や「引っぱる」に引き続き、今日も「っ」と「パ」の因縁的な結びつきによって苦しめられた一日であった。

積算上演日数:410日(前日比 +3日)
終演まで:393日(前日比 +2日)
終演見込み日:2012年2月14日(前日比 +3日)

Posted: 1月 17th, 2011
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16/01/2011/SUN:十六日目

昼:チーズハムサンド、ミックスピザ
夜:肉とピーマンのオイスターソース炒め、ナスのマーボーはるさめ、豆乳スープ、玄米ご飯、納豆、たまご、燻しベーコン

今日も神奈川芸術劇場で稽古。そして4度目の完封!。嬉しい。

現時点での成績…
積算上演日数:407日(前日比 ±0)
終演まで:391日(前日比 -1)
終演見込み日:2012年2月11日(前日比 ±0)

Posted: 1月 16th, 2011
Categories: パ日誌
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15/01/2011/SAT:十五日目

朝:納豆、たまご、玄米ごはん
夜:豚肉とピーマンのオイスターソース炒め、ナスのマーボーはるさめ、豆乳スープ、玄米ご飯

元来私はまめな性格ではないのだが、「パ」ートナーには小まめにケータイからメールするよう努めている。ところが昨晩、携帯電話の充電して寝るのを忘れてしまい、今日は外出して早々に充電が切れてしまった。「パ」ートナーは一般的に言えば「心配性」と呼ばれる性格の持ち主である。音信が途絶えたことで、今頃ひどく心配しているだろうと想像されて、そのことが私をそわそわと落ち着かなくさせていた。こんなことがまた諍いの火種にならなければ良いのだが…。

ともあれ、今日も『金閣寺』の稽古を終え、電車に乗ったとき、ばったりとチェルフィッチュの岡田さんと、一昨年の『4.48サイコシス』で共演したリキちゃんのお二人に出会う。そうだチェルフィッチュも神奈川芸術劇場で2月に公演を控えているのだった。

岡田さん:「あ、それポメラですか?」

「ポメラ」とは、折りたたみ式のキーボードのついた電子メモ帳のことである。移動中「パ」日誌を書くために私はこれを愛用している。

私:「あっ…あぁ、ポ、ポ、ポメラです」

「ポ」という破裂音にびくびくしながら、私は『金閣寺』の主人公、溝口のように吃った。自分よ落ち着け。「ポ」はセーフ…、セーフなのだ。

岡田さんとの会話の最中、私の脳内ではずっと「パ」災報知器のセンサーが働き続けていた。始終自分が発言しようとしているセンテンスの中に「パ」が含まれていないか高速でスキャンする。そしてセンテンスの中に例えば「やっぱり」という言葉が発見されると、それを実際に言ってしまうぎりぎり直前でリミッターが作動し「やっpp…p、、、」と未然に地雷の「パ」裂が防がれるしくみだ。こんなとき、まったく頭の良さそうなことは発言はできていなくとも、実際にはものすごく頭を使って話しているのである。しかし会話の相手は誰もそのことに気付かない。

私は電車を降りて「パ」ートナーの家に向かった。ここ最近の私の貧しい食生活を見かねて、今日は手料理をつくってくれることになっているのだ。しかし駅から歩き慣れた道を歩く私の足どりは、いつもよりなんだか重かった。ずっと携帯が繋がらなかったことが気がかりだ。怒ってなければいいけれど…。とにかく何としてでも喧嘩は避けたい。私たちの場合、一旦喧嘩が勃発すると、シャレにならないほどのエネルギーを消費することになる…。

「パ」ートナーの家に着く。そして玄関の戸を開ける。出迎えた「パ」ートナーの顔を見るなり口が滑った。

「ごめんっ!心配した?心配した?」

地雷ワード”心配”×2、パ裂。

きょとんとした顔をする「パ」ートナー。

「あれ?何?今日「パ」日誌メントお休みなの?」

すべては私の取り越し苦労だった。「パ」ートナーは、私が何の躊躇もなく、あまりにはっきりと、しかも2回連続で「心配」という言葉を吐いたので、てっきり今日一日だけ「パ」の呪縛から解かれる安息日か何かと勘違いしたようだ。「パ」の呪縛から解かれる安息日か…、いいなぁ、そんな日があればどんなに良いだろう。

私が日常で一番会話を交わす機会が多いのは、間違いなく「パ」ートナーである。そうなると必然的に「パ」ートナーとの会話の最中に地雷を踏む確率が一番高くなる。その対策として、彼女自身も「パ」を口にすることを自らに禁じ、私と一緒になってこの『「パ」日誌メント』に付き合ってくれている。これぞ、ほんとの”「パ」ートナー”。下手な冗談はさておき、そんな日々を送るうちに、私たち二人の間にはコミュニケーションを潤滑にするために、いつの間にか「パ」を「ピャ」という音に置き換えて発音する言語環境が生まれはじめていた。例えば「心配」なら「しんぴゃい」、「やっぱり」なら「やっぴゃり」「パンツ」なら「ピャンツ」といった具合である。この法則でいけば、先の私の発言は「ごめんっ!しんぴゃいした?しんぴゃいした?」となるべきだったろう。お気付きの通り、この訛りの法則はほとんど”赤ちゃん語”に聞こえてしまうので何とも照れくさいのだが、それもまた親密な者同士に許された共通言語のような感じがして悪くない。しかも二人でピャッピャ言っている内に、なんだか無邪気な気分にすらなってくる。

「パ」ートナーの手料理は美味かった。美味な料理の並ぶ食卓は人を幸福にする。すっかりいい気分になった私たちは、食後、鼻歌を歌いながら皿を洗った。「ピャ」の効能もあってか、なんだか無邪気な気分だった。そして炒め物に使ったフライパンを洗おうと、鼻を鳴らしながら流しのお湯の温度を調節していたその時、私は訛らせるべき音節を取り違えた。

私:「フリャイパァ~ン♪フリャイパァ~ン♪」

「パ」ートナー」:「ちょっ、ちょっと!パって言ってる!パって言ってる!」

地雷ワード:フリャイパン(フライパン)×2

自分よ、それを言うなら「フライピャン」だろ…。

というわけで、現時点での成績…
積算上演日数:407(前日比 +4)
終演まで:392 (前日比 +3)
終演見込み日:2012年2月11日(前日比 +4)

Posted: 1月 15th, 2011
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14/01/2011/FRI:十四日目

朝:納豆、たまご、玄米ご飯
夜:にんにくおろしの豚肉ローズマリー焼き、豆乳としょうがの野菜スープ、玄米ご飯、キムチ

ブラウザで開かれたウェブサイトのある画像を、「パ」ソコンに保存しようとした。マウスでカーソルを操作して、目当ての画像をブラウザからデスクトップの方へと”ドラッグ&ドロップ”でもってくる。画像を手放してしまわぬよう、マウスのボタンはしっかりと押しっ「パ」なしにした状態を保ったまま慎重にスライドさせ、デスクトップ上のここだという地点に来たら「パッ」と手を放す…。そんな要領で作業していた時、思わず口が滑った。

「えーと、この画像を引っぱってきて、と…」

地雷ワード”引っぱる”「パ」裂。

データをダウンロードする際に、よく「落とす」という言葉が使われるが、こんなダウンロードのやり方はウェブから「落とす」のではなく、明らかに「引っぱってくる」感覚だ。”ドラッグ&ドロップ”の”ドラッグ(drag)”は、直訳すると「引きずる」という意味だが、状況によっては「引っぱる」とも訳され得る。「引きずる(引き擦る・引き摺る)」にしろ、「引っぱる(引っ張る)」にしろ、摩擦力か張力かという性質の違いがあるものの、何かを「引っぱる」ときの物理的な抵抗のニュアンスが込められている点では共通していると言えるだろう。上記のようなシチュエーションでは、ドラッグの過程でマウスのボタンをうっかり放してしまうと、画像はゴムに引っぱられるようにして元の場所へと引き戻され、操作が完了しなかったことが直感的に分かるように示される。このようなコンピューターのヴァーチャルな振る舞いに、私の生理的感覚はまんまと騙されて、画像を物理的に「引っぱっている」と信じ込む。そこに摩擦力や張力といった抵抗など存在しないにも関わらず、マウスをスライドさせる手や、ボタンを押す指にも自然と無駄な力が入ってしまうのだ。

しかし、「ウェブから画像を引っぱってくる」とは言うけれど、「ウェブから画像を引いてくる」と言いにくいのは何故だろう。「引っぱる(引っ張る)」と「引く」とは、意味的にほぼ同じようなでいて、感覚的にはだいぶ異なるように思われる。「引っぱる(引っ張る)」には、「張る」という言葉が含まれている通り、何かが張りつめたようなテンションが感じられるが、「引く」には取り立ててそのようなテンションは感じられない。「引く」は「引っぱる」に比べてもっとニュートラルな印象だ。

「人」の例えで考えてみると、「人」に対して「引く」という動詞が使われる場合、「気を引く(惹く)」「人目を引く」「注意を引く」といった具合に、引く者と、引かれる者の間には、一定の距離が保たれていて、引く者が引かれる者を自然に「引きつけて」、あるいは「引きよせて」いるようなニュアンスが感じられる。「手を引く」と言った場合でもそこには物理的な接触があるものの、引かれる者の自発的な歩調への配慮は保たれていて、引く者の腕力が引かれる者の動く力に直接作用しているわけではない。だから「手を引く」は、「牽引」ではなく「誘導」なのだと思う。

それに対して私たちが”人を「引っぱる」”と言うとき、そこには物理的な腕力や、筋力が働いている感じがする。組織においてリーダーが部下を「引っぱる」、あるいは恋愛において男が女を「引っぱる」と言ったとき、そこには強い者が弱い者の手をむんずと掴み、場合によっては手綱でも取り付けて、ぐいぐいと「引っぱる」ような、そんな強引で力づくのニュアンスが感じられる。それはもはや「誘導」というより「牽引」といった印象だ。そこに物理的な接触がなくとも、引かれる者を動かしているのは、引く者の腕力や筋力といった物理的な力であるかのようだ。

だから「ウェブから画像を引っぱってくる」という表現が相応しく思えるのは、例えそれがヴァーチャルなものであろうとも、そこに思わず筋肉が力んでしまうような物理的な「張り」があるからだろう。

そう考えると、「引っぱる(引っ張る)」にはあって、「引く」にはないテンションのニュアンスは、「引っぱる(引っ張る)」ときに体感される筋肉の肉体的「張り」や、綱引きで綱が引っ張られてぴんとするような物理的「張り」に由来すると考えられる。

確かにそうかも知れない。しかし、それだけではない気がするのだ。「引っぱる(引っ張る)」は「引きはる(引き張る)」が音便化したものだが、「引っぱる(引っ張る)」の「張る(パる)」が、筋肉や綱の「”張り(ハり)」に由来するというならば、わざわざ「引っ”パる”」と訛らずに、「引き”ハる”」のままでも良かったはずだ。それなら私も地雷を踏まずに済んだというものだ。「引きはる(引き張る)」から「引っぱる(引っ張る)」へと音便化が起こった決定的な理由がまだあるはずだ。

私たちの体は筋肉にテンションがかかればかかるほど、自然にそれと連動して呼吸にもテンションがかかるようにできている。「気張り(きばり)」とはこういう状態のことを言うのだろう。例えば綱引きで力いっぱい綱を「引っぱって」「気張る」とき、筋肉や綱の「張り」に呼応して、「っ」という促音とともに私たちの呼吸も一時的に停まっているはずである。つまり「引っぱる(引っ張る)」に含まれる「っ」という促音は、私たちが力を込めて「引っぱって(引っ張って)」「気張る」ときの呼吸の状態を、そのまま音として反映したものなのだ。そしてここでも「っ」という呼吸の真空状態は、”あの音”によって美しく破られることを欲するだろう。「ひっ”ハ”る」という不抜けた形でも、「ひっ”バ”る」という濁った形でもなく、「ひっ”パ”る」という最も理にかなった美しい形で。

ここまでの成績…
積算上演日数:403 (前日比+1日)
終演まで:389日 (前日比±0日)
終演見込み日:2012年2月7日 (前日比+1日)

Posted: 1月 14th, 2011
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13/01/2011/THU:十三日目

昼:おにぎり(明太マヨ、牛カルビ)
夜:野菜のトマトソースリゾット、納豆、たまご、玄米ごはん

横浜へ『金閣寺』の稽古。
昨日のスランプから持ち直し、『「パ」日誌メント』始まって以来、3度目の完封!
通常の社会活動をしながら地雷を踏まなかったのは今日が初めてだ。

この調子でがんばろう。

積算上演日数:402日(昨日と変わらず)
終演まで:389日
終演見込み日:2011年2月6日(昨日と変わらず)

Posted: 1月 13th, 2011
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12/01/2011/WED:十二日目

昼:ビビンバ
夜:トマト鍋、玄米ご飯

私は多摩美大で週に一コマ、講義を担当している。履修者は330名を数え、大学でも一番大きな講堂で開講される講義なのだが、こともあろうか、授業名を『パフォーミング・アーツ論』というのだ。むろん、これは私が決めた講義名ではない。

『パフォーミング・アーツ論』は、「パ」フォーマンスについての講義にも関わらず、今年から担当教員が一切「パ」と口にできないという奇天烈な講義になってしまった。そんなことで果たして今後授業が成立するのかどうか、かく言う私も甚だ疑問だが、とにかく今日は年が「パ」けて初めての『パフォーミング・アーツ論』開講の日だった。

まず授業の最初の時点で、スクリーンに「パ」の字を大写しにしながらアナウンスする。

「えー、あけましておめでとうございます。昨年最後の授業でも話しましたが、僕は今年からこの音を言えなくなってしまいました。ただ、それではこの講義の名前すら言えなくなってしまうので、この授業ではこの音のことを”ハ”に○がついている音ということから、「ハマル」と発音したいと思います。ですから、この講義の名前は今後”ハマルフォーミング・アーツ論”と言うことになります。」

大講堂を微妙な空気が漂う。これだけの人数の人間が同時に苦笑する現場に私は初めて立ち会ったと思った。しかし私がこのような弁解をすることそのものが、『「パ」日誌メント』における「パ」フォーマンスなのだろう。そして「パ」フォーマンスというものが、何か”特別な時間と空気”を創りだすものならば、今まさにここにある微妙な空気こそが、『「パ」日誌メント』におけるその”特別な時間と空気”にあたるのだろう。

私にとっては教壇も舞台も変わらない。だから『パフォーミング・アーツ論』では、基本的な教養を押さえつつ、私自身や学生たちによるの実演も積極的に盛り込んでいる。小難しいことを語るより、そっちの方がずっと面白い。そして今日は学生たちが自らの「パ」フォーマンスを発表する機会を設けたのだった。

「今日は学生によるハマルフォーマンスの上演を二つ予定しています。ただちょっと準備が必要になるので、今から10分間準備をさせてください。今から10分後というと…えーっと、10時58分ですね。10時58分から、パフォーマンスをはじめたいと思いま…あぁっー!言っちゃった!」

地雷ワード1、”パフォーマンス”、パ裂。

大講堂の教壇で空しく頭を抱える私。ざわつく学生たち。

「す、すいません…。早速言ってしまった…。」

何とか平静を取り戻そうとする。

そうだ、そうなのだ。これこそが『「パ」日誌メント』における「パ」フォーマンスなのだ。私の失敗に歪んだ顔や、嘆く声そのものが、この「パ」フォーマンスの最大の見どころなのだろう。それに対して与えられたこの大講堂でのざわめきは、大ホールで上演された舞台における喝采にあたるのだろう。つまり私が失敗することによって、この「パ」フォーマンスは成功する。この「パ」フォーマンスが持つ本質的な「パ」ラドクスに、私は年が「パ」けてから初めて気がついた…。主よ、何故私をお見捨てになったのですか?。何故このような”Punishment”を私にお与えになるのですか?。

そして、予告した10時58分。学生たちの「パ」フォーマンスの上演が開始された。二つとも非常にクオリティの高い「パ」フォーマンスで、私は授業であることを忘れて楽しんだ。各「パ」フォーマンス終演後は私から簡単な講評を述べる。講評の最中も先の失敗を繰り返さぬよう、「ハマルフォーマンス…、ハマルフォーマンス…」と常に頭の中でこの言葉を意識しながら発言する。なんとも心地の悪い響きだが、それでも繰り返し「ハマルフォーマンス」と言い続けている内に、私ばかりか講評で対話している学生の方まで「パ」と言ってしまうことに慎重になり、つられて「ハマルフォーマンス」という言葉を使いはじめるから不思議だ。

しかし、この時私は「ハマルフォーマンス」という言葉に執心し過ぎていた。”「パ」フォーマンス”という地雷ワードを踏まないことにとらわれて、昨日の日誌で書いた、あの地雷ワードへの予防線がおろそかになっていたのである。

出た、地雷ワード、”やっぱり”

しかも、この授業内で3回もである。

そして授業終了後、教員室で佐々木先生と世話話をしているときに駄目押しの4回目。

地雷ワード、”やっぱり”、痛恨の4連”パ”つ。

今日はこれだけでなく、多摩美での『パフォーミング・アーツ論』終了後、女子美へ出向いて特別講義をすることになっていた。しかしあまりの自分の体たらくに、果たして女子美できちんと講義ができるのか不安だった。女子美は女子大なので当然学生は全員女子である。大学の敷地内では、”男”であるというだけで特異な存在なのに、私はそれに輪をかけて”「パ」と言えない男”なのだ。

多摩美での授業と同じく、私はまず最初に「パ」の字をスクリーンに大写して、一切「パ」と口にすることができなことの弁解…いや、この『「パ」日誌メント』の作品解説からはじめた。しかし何故だか分からないが、この時の私は多摩美のときとは打って変わって、「ハマルフォーマンス」という言葉にとらわれすぎることなく、落ち着いて「パ」を避けられていた。「やっぱり」への予防線もちゃんと張れていた。それだけでなく、伝えたいことを説明するのに最も適した言葉を、瞬間、瞬間でリアルタイムに推敲できていた。この時脳内では「パ」に対しての慎重さが、言葉に対する思慮深さへと上手く繋がっていたのだと思う。この感じ、この感じである。この感じを自分が発語するときの基本的な状態として習得すれば、私の未来は明るいだろう。こうして女子美での講義は一度も地雷を踏まずに終えることができた。

特別講義終了後、講義を受けていた学生と同じバスに乗り合わせた。その学生はつい最近までフィンランドに留学していたとのことである。バスの車内を暖める暖房が気だるくも心地良く、ついぼーっとしながら話していたそのとき、今日最後の地雷ワードを踏んでしまった。

地雷ワード”ヨーロッパ”

ここまでで計6回の”パ”裂。

今日は1月2日に並んで『「パ」日誌メント』始まって以来の最多”パ”裂記録だった。終演見込み日も2012年の2月に食い込んだ。

というわけで今日の結果…

積算上演日数:402日
終演まで:390日
終演見込み日:2012年2月6日

Posted: 1月 12th, 2011
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11/01/2011/TUE:十一日目

朝:ミックスサンド
昼:おろしハンバーグ、唐揚げ、キャベツ、ほうれん草のごま和え、みそ汁、白米
夜:サーロインステーキ、梅とわかめのサラダ、ほうれん草、コーン、ポテト、みそ汁、白米、たくあん

芸大で授業の日。

学生を指導する会話のなかで、この「パ」フォーマンスはじまってから最も「パ」裂頻度の高い地雷ワードを、またしても踏んでしまう。

この言葉だ。

【やっぱり】
1)ある事態や状況が、他と同じだったり、もとのままだったりする様子。
2)あらかじめ予期された状態と同じである様子。
3)いろいろ考えられても、あるいはさまざまないきさつがあっても、結局は最初と同じ結果となる様子。

自信を持って言おう。日本人が日々使っている「パ」が含まれた言葉の中で、最も多く口にされているのは、間違いなくこの言葉だ。

私は『「パ」日誌メント』がはじまって以来、この「やっぱり」を何とか封じ込めようと躍起になっている。「やっぱり」が日常生活の中で最も頻出する地雷ワードである以上、やっぱり、これを駆逐しないことには解放される日は永遠に来ないからだ。しかしそれでもやっぱり、この「やっぱり」はしぶとくて、ことあるごとに口癖のようにしてぽろりとこぼれ落ちてくる。ついつい「やっぱり、それって…」とか、「やっぱさぁ…」とかいった調子で話しはじめていることの何と多いことだろう。会話の中で自分の発言に説得力を持たせ、ほんの少しだけ強引に聞き手の賛同を得ようとするとき、私たちはこの「やっぱり」という副詞をほとんど感動詞のような扱いで無意識的に吐いている。恐るべし「やっぱり」。

この「やっぱり」を何とか封じ込めるための一つの手だてとして、私は「やっぱり」を捨て、同じ意味を持つ「やはり」という言葉を代わりに使おうと思った。しかし、それがどうしても上手くいかないのだ。同じ意味を持つ言葉だから代用可能だという理屈を、頭は理解しても、何故か身体は受け入れようとしてくれない。

「やはり」と声に出して言ってみる。そのとき「や」と「り」の間の「は」という音節は、まさに呼気がたてる音そのものであるかのように吐き出され、するりと気道をすりぬける。

それに対して「やっぱり」は、呼吸の真空状態と爆発状態の両方を一瞬の内に秘めている。「やっぱり」の中の小さな「っ」のことを日本語では「促音」というが、実際には「促”音”」は”音”などではなく、単語の中に現れる一瞬の真空状態のことをいう。会話の中で「っ」が現れた瞬間、話していた私の呼吸は一旦停止して、会話があったその場を無音の真空状態が支配する。そしてこの「やっぱり」において特筆すべきことは、この真空状態が「パ」という爆発によって破られることである。私が思うに「パ」という音節は究極の破裂音だ。「バ」よりもクリアで、「マ」よりも鋭く、「ピ」「プ」「ペ」「ポ」よりも開かれている。「やっぱり」と発語する過程で、この「パ」が劇的に破裂するまでのその刹那、私たちは「っ」という、単語の中の一瞬の真空に、言葉にならないありったけの想いを詰め込もうとするのだ。だからこそ「やっっっっっっっぱり」といった具合に、「や」と「ぱ」の間の真空状態が支配する時間が長ければ長いほど、その真空の持つ圧力も強くなる。そして、その圧力は言語的な意味を超え、何かしら身体的な説得力として会話の中で機能するのだ。

だからやっぱり、「やっぱり」はやめられない。
というわけで今日の結果…

地雷ワード”やっぱり”

積算上演日数:396日
終演まで:385日
終演見込み日:2012年1月31日

Posted: 1月 11th, 2011
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10/01/2011/MON:十日目

朝:マカダミアナッツ
昼:モスチーズバーガー、フライドポテト、コーンスープ
夜:チキンラーメン

毎朝、目覚まし時計がやかましく起床時間を告げるなり、私はそれを叩くように黙らせて、いつも決まって二度寝する。そして起きなきゃいけないという思いに苛まれながら、私は布団のぬくもりの中で睡眠状態と覚せい状態の狭間を彷徨うのだ。日常生活の中で自分の深層へと封じ込めている感情や欲望が漏れて出てくるのはこんなときである。

今朝、いつものように目覚まし時計を黙らせて二度寝しているとき、朦朧とする意識の中で、自分が寝ぼけて上唇と下唇を小さくパクパクと開閉させているのに気が付いた。寝息がそのパクパクを「p…、p…」という無声の子音として音声化しようとしている。そして何かが空振りし続けているような感覚からか、次第にみぞおち辺りから胸やけするような苛立たしさがこみ上げてきて、その苛立ちが声帯を震わせはじめると、無声の子音は母音を与えられ、音節らしきものが生まれてくるのだった。

「プァッ…、プァッ…、」

そしてその音が、今にも「パ」という鮮明な音節として完成しそうになったとき、誰かが急に乱暴な勢いで私の口に取り付けられた手綱を引っぱった。

ハッと目覚める私。

最近、よくこんな嫌な目覚め方をする。

目覚めが悪いことも影響してか、夜は「パ」ートナーと諍いを起こしてしまった。「喧嘩するほど仲がいい」と言うけれど、私たちの喧嘩はシャレにならないほど激しい。しかも一旦勃発したが最後、数時間は終わらないのだ。この日、私は喧嘩している最中も、なんとか必死に地雷を踏むのを避けていた。しかしそれでも途中から何がなんだかわからなくなってきて、自分の吐いている言葉を客観視する余裕すらなくなっていったのだった。

私たちの喧嘩は激しいが、とことん行くところまで行ったとき、いつもさっぱりと和解する。この日も数時間の激闘の末、仲直り。

私:「なんか喧嘩してるとき、ハに○のついた音、言っちゃったような気がするんだけど…」

「パ」ートナー:「うん、怒りがマックスに達したとき”やっぱり”って言ってたよ。ごめん、喧嘩してたからつっこめなかった」

地雷ワード、1.「やっぱり」

今日もパ裂を何とか一回に抑えられた。

というわけでこの時点で…

積算上演日数:394日+1日=395日
終演まで:385日(変わらず)
終演見込み日:2012年1月30日

Posted: 1月 10th, 2011
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09/01/2011/SUN:九日目

昼:たまごサンド、ミックスピザ
夜:天ぷらせいろそば

今日も『金閣寺』の稽古に神奈川芸術劇場へ。

二勝目をあげた次の日はやはり欲が出る。三勝目をあげようといつもより言葉を発することに慎重になり、コミュニケーションを恐れて無口になっている自分に気づく。

『「パ」日誌メント』をはじめてからというもの、私の意識は二つに引き裂かれている。話そうとする私の口には馬のように轡(くつわ)が取り付けられていて、もう一人の私がその轡に繋がれた手綱を握っているような感覚だ。話している私の上唇と下唇が接触し、直後に声がこみ上げて、今にも「パ」という音節が破裂しそうになったその瞬間、もう一人の私は力づくで手綱を引っ張って、ことばを発しようとする私を強引に黙らせようとする。

そのことによって確実に「パ」を口にしてしまう事態は避けられていくのだが、手綱を持った私は神経質になり過ぎて、その嫌疑を上唇と下唇が接触することで生まれるあらゆる音節…「ピ」「プ」「ペ」「ポ」や、「マ」「ミ」「ム」「メ」「モ」、「バ」「ビ」「ブ」「ベ」「ボ」…にまで向けはじめる。上唇と下唇の接触の予感がするたびに、もう一人の私が執拗に手綱を引っ張るものだから、話そうとする私はかなりの頻度で口ごもらざるを得なくなるのだ。

そんな状態で生きているうちに、私は話すことに疲れ果て、どんどん口数が少なくなっていく。
いっそのこともう何も話したくない気分になるが、それは即ち一切の社会的活動を放棄することを意味するだろう。

この日は稽古場で衣装の方と話しているときに、今まで最も言いそうで言わなかった言葉が「パ」裂した。

地雷ワード1.”パフォーマンス”

しかし今日はこれ一回のみ、これまでの成績を考えると健闘したと思う。

というわけでこの時点で…

積算上演日数:393日+1日=394日
終演まで:385日(変わらず)
終演見込み日:2012年1月29日

Posted: 1月 9th, 2011
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08/01/2011/SAT:八日目

昼:雑煮
夜:天丼、せいろそば

やった!!!。元日以来、一週間目にして、はじめて地雷踏まず!(涙)

今日は急に稽古が休みになったので、ほとんど家にいたのが功を奏したのだろう。やはり人と会話する機会が減れば、それだけ地雷を踏む確率も減るのだ。

正直、この二勝目に心底ほっとしている…。

この時点での積算総上演日数:393日+賠償分0日=393日。
「パ」フォーマンス終了まで:393日-8日(経過分)=385日。
この時点での見込み終演日:2012年1月28日(変わらず据え置き)

Posted: 1月 8th, 2011
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07/01/2011/FRI:七日目

昼:たまごサンド、タコスロール
夜:タンタン麺、白米

まずいことに運転免許を失効してしまった。このところ忙しくてなかなか更新手続きに出向く余裕がなく、気づいたときにはうっかり期限切れというわけだ。

しかもさらにまずいことに、車は時間貸し「パ」ーキングに停めたままだった。その状態で日付は無情にも免許の有効期限日1月6日から、1月7日に変わってしまったのである。

冗談みたいな話だが、1月6日の23時59分59秒までは運転することができたのに、その1秒後、1月7日0時0分0秒になった瞬間から、私は運転ができなくなってしまったわけである。もしそれでも運転した場合は無免許運転として道路交通法第64条に抵触することになり、一年以下の懲役または三〇万円以下の罰金に処せられることになる。運転ができない以上、車を「パ」ーキングから出して自分の家の駐車場に移すこともできない。もちろんその間も駐車料金は刻一刻と加算されていく。我ながら実に見事なドツボへのハマり様である。

しかし考えてみれば、私に運転を禁じているこの法に本質的な根拠はないはずだ。きちんと教習を受けて身につけた私の運転技能と知識が、このたった1秒の差でなくなってしまうわけがないからだ。車を「パ」ーキングから出して、5キロ離れた自宅の駐車場へ運転して移すことくらい、免許などなくても何てことはない。私の運転技能は本質的に免許の有効/無効に左右されない。免許を失効した状態で運転しても、それが事故のような実害を引き起こすことに、直接的にも、間接的にも、繋がることはないのだ。つまり、今の私が運転しても、道路交通法上は問題ありとされても、「本質的」な問題はどこにもないのである。そこにもし「本質的な問題がある」というならば、その糾弾は私個人の問題を超えて、そもそも車という大きな鉄のかたまりを、己の能力を遥かに超えた速度と力で操作することを人間に許しているこの文明へと向かうべきはずである。しかし日常でそんな問題意識を真剣に抱えている者があるとすれば、それは世間知らずの子供か、ポール・ヴィリリオくらいのものだろう。

そんなことを考えている間も、どんどん駐車料金は加算されていく…。立ち往生する私の目の前に、二つ罰が一対の金剛力士像のように立ちはだかっていた…。『車を出せず無駄にこのまま「パ」ーキングに放置して後日莫大な請求を被る罰』と、その罰から逃れるために無免で車を移動することで『一年以下の懲役または三〇万円以下の罰金に処せられるという罰』、お前はどちらを選ぶのだ、と言わんばかりに。

私は思った。無免で車を「パ」ーキングから出してやろう。自宅の駐車場までたった5キロである。その間に私の無免許運転が発覚する可能性はほとんどない。さらに、先に書いたように、無免の私が運転しようとそこには何ら本質的な問題はないのだ。何を迷う必要などあろうか。

しかし車のキーを手にしようとしたその時、私の頭の中で『「パ」日誌メント』のことが、自分の立たされた状況と対応するように巡りはじめたのだ。

(脳内エコーON)私に「パ」と口にすることを禁じているこの法に本質的な根拠はない…。私が「パ」と発声したとしても、それが直接実害を引き起こすことに繋がることはありえない…。つまり、今の私が「パ」と発声したところで、契約上は問題ありとされても、「本質的」な問題などどこにもないのだ…。それに誰もいないところでうっかり「パ」と口にしてしまったとしても、日誌という形で自己申告しなければ、それが発覚する可能性はほとんどない…。

確かにそうかもしれない…。

い、いや、違う!。そうではないだろう。

私はこの「パ」フォーマンスを真剣に上演しているのだ。何のためなのか今はまだよく分からない。しかしそれでも真剣でなければ許されないのだ。これは信用の問題だ。100万円を支払ったコレクターに対してでも、このパフォーマンスの観客に対してでもなく、まず何より自分自身への自分の信用の問題だ。誓約書は、ちょうど運転免許証がそうであるように、実体をもって法的にその信用を保証するが、本質的には保証しないだろう。その信用を本質的に保証するのは、私のアーティストとしての真剣さの他にないのである。私はこの本質的に根拠のない、冗談のような約束事の先に、根拠のない希望を持っている。私が最後まで真剣であり続けた時に、きっとその希望は100万円という金額を遙かに越えた本質的な価値として目の前に現れるはずだ、と…。そして私がその希望を失うときがあるとするならば、それは自らの「パ」フォーマンスへの真剣さを失ったときなのだ。私の芸術が歴とした社会活動、経済活動であるならば、『「パ」日誌メント』の約束事は守っても、『道路交通法』の約束事は守らないという考えは本当ではないだろう。『道路交通法』だろうが、『「パ」日誌メント』だろうが、それらの約束事がどんなに本質的に無根拠な冗談に見えたとしても、法的な拘束力があるという点では変わらないのだから。24時間、365日、この冗談に真剣に向き合い続けよう、それが今の私の勤めである。

私はいつの間にか『「パ」日誌メント』によって至極全うな大人になっているようだ。車のキーの代わりに携帯電話を手にとって、弟にメールする。

「兄よりSOS…」

すぐに返事があり、救援に向かうとのこと。

仕事帰りに駆けつけてくれた弟、史門はサラリーマン然としたスーツ姿だった。史門に自宅まで代わりに運転してもらって車の移動を終えたその帰り…。

私:「運転してもらったお礼に1ハイ奢るよ」
史門:「え?”イチハイ”?」
私:「うん、1ハイ。ほら、今年から”ハ”に○がついた音言えないだろ?」
史門:「あぁ、兄貴、あれマジだったの…?(苦笑)」

私たちは駅前の飲み屋に入った。二人のためにビールを注文。

「コロナ2杯!」

心の中でつぶやく。「おっと、2”ハイ”ね…。セーフ、セーフ…。次は3”バイ”、4”ハイ”…ときて、危ないのは…10”パイ”だな…」

私たちの前にコロナの瓶が届けられる。ライムをぐっと中に押し込んで、ボトルを手にとり互いに向き合った。

私:「今日は運転してくれて助かったよ。じゃあ、乾杯!」
史門:「あ…、兄貴…。」

地雷、パ裂である。

地雷ワード①”乾杯”

この日はこの他にも、『金閣寺』の稽古場で共演者である中越典子さんの陰謀にまんまとひっかかったのだった。台本に描かれたつくしのようなラクガキを見せられ、「これ、何か分かりますか?」と聞かれたときのこと。

私:「ん?つくし?あぁ、なーんだ、アスパラガスですか…」

地雷ワード②”アスパラガス”、パ裂。

そして夜、「パ」ートナーと話ているときにまたパ裂…。

私:「パソコーン!」

地雷ワード③”パソコン”

この時点での積算総上演日数:390日+3日(賠償分)=393日。
「パ」フォーマンス終了まで:393日-7日(経過分)=386日。
この時点での見込み終演日:2012年1月28日

Posted: 1月 7th, 2011
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06/01/2011/THU:六日目

昼:サンドイッチ(ハンバーグ)
夜:鶏の唐揚げ、焼豚、白米、キリン一番搾り

実は新しくオープンする神奈川芸術劇場、通称”KAAT”の杮落しとして今月29日より上演される以下の演劇に出演させていただく。

『金閣寺』
原作/三島由紀夫
演出/宮本亜門
出演/森田剛、高岡蒼甫、大東俊介、中越典子、高橋長英、岡本麗、花王おさむ、大駱駝艦〈田村一行、湯山大一郎、若羽幸平、橋本まつり、小田直哉、加藤貴宏〉、岡田あがさ、三輪ひとみ、山川冬樹、瑳川哲朗

http://www.kaat.jp/pf/kinkakuji.html

私は一応”役者”としての出演ということになる。とはいえ物語の登場人物の役を与えられているわけではなく、主人公の内面が”人がた”に形象化された存在として出演する予定だ。人間の役ではないので当初台詞を言う予定はなかったのだが、稽古が進行していくうちに私にもほんのわずかだが台詞が与えられることになっていった。素晴らしい役者陣に混じって、役者でもない私が台詞を言わせていただくのは何とも恐縮である。しかし気がかりなのはそのことだけではなかった。

そう、例の「パ」のことである。もし、与えられた台詞の言葉の中に「パ」の音があったとしたら…。

しかしほんのわずかな台詞だし、まぁ、大丈夫だろう…。そう思い、年末に製本された完成台本をもらって私に割り当てられた台詞を確認してみると…あるではないか。見事に二カ所、「パ」の音が。私はまた頭を抱えた。「パ」という音節の、人を小馬鹿にしたような響きが、何とも憎たらしく感じられるのはこんな時である。

私は数日思い悩んだ。宮本亜門さんに直接台詞の変更をお願いしてみようとも思ったが、この時期の演出家というのは、ただでさえ作品のことで頭がいっ「パ」いで、「パ」ンク寸前の状態であるものだ。出演者の一人が「実は”パ”と言えないから台詞を変えてくれ」なんて訳の分からないことを言いだしたら、それこそ発狂してしまうのではないか…。まぁ、発狂は大袈裟だとしても、稽古場で100「パ」ーセント演出に全力投球している亜門さんの集中力を途切れさせたくないとの思いから、私は制作の方に事情を説明し、「パ」のつく単語を何とか別の単語に差し替えられないか相談していた。
これが昨年末までの経緯である。

そして、本日は年が「パ」けて私が参加する最初の稽古。

稽古のときは、毎回まず台本を開きながら、新しく出た台詞の変更点を、一字一句出演者全員で確認していくことからはじまるのだが、そこで私の問題の台詞のところへ行き着いた。ぎくりとする私。亜門さんが言った。

亜門さん:「山川さん、ここは”一般の”ではなく、今日のところは”普通の”で行きましょう。あの事言っていいですか?」
私:「あ…あっ、は、はい!」
亜門さん:「皆さん、驚かないでください。世の中には色んな方がいらしゃいます。山川さんはなんと自分が発する”パ”という音を売られたんです。だから今年は一切”パ”と言えなくなるそうです!」
出演者一同:「え~~~~~っ!!!!」

目を丸くする共演者の皆さん。人がこんなに驚く顔を見たのは久しぶりだと思った。「いくらで売ったんですか?」「誰が買ったんですか?」「言ってしまった場合どうなるんですか?」と矢継ぎ早に様々な質問が飛び交い、それに答える度にどよめく稽古場。

亜門さん:「そういう訳で、これからどんどん山川さんに”パ”と言わせてやりましょう!(笑)」
私:「すっ…すいません!ご迷惑おかけします。」恐縮する私。

問題の箇所は変更させていただけることになりそうだ。二カ所ある「パ」の内のもう一カ所は、「開けっぱなしにして」という言葉を「開けはなして」に変更すればよいので、そもそもあまり大きな問題にならなかった。私の一身上の都合が、私だけの問題に終わらず、否が応でも周りを巻き込んでいってしまう。周囲の方々には頭が下がる想いである。

しかし、この『「パ」日誌メント』というプロジェクトが「パ」フォーマンスであるならば、『金閣寺』の舞台に立ったとき、私は「パ」フォーマンスしながらパフォーマンスしていることになる。その時の私は『金閣寺』に出演するパフォーマーであると同時に、「パ」を発声しない『「パ」日誌メント』のパフォーマーでもあるからだ。そこでは、二つの「パ」フォーマンスが入れ子のような形で同時に演じられるという、不思議な状態が生じることになる。

稽古終了後は、音楽打合せと、「パ」ンフレット掲載用のインタビューがあった。そして、この日も地雷を踏みまくったのだった…。私が地雷を踏んで頭を抱えるのを見て「やったー!」とバンザイの格好で歓喜する亜門さん。明るい稽古場である。しかし、私は地雷がパ裂する度に憂鬱になるのだった。

さて、以下が本日踏んでしまった地雷ワード。

打合せ時:①やっぱり、②ひっぱる
インタビュー時:③パルコ、④パイプ、⑤パーソナリティー

この時点での積算総上演日数:385日+5日(賠償分)=390日。
「パ」フォーマンス終了まで:390日-6日(経過分)=384日。
この時点での見込み終演日:2012年1月25日

Posted: 1月 6th, 2011
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05/01/2011/WED:五日目

昼:コンビニおにぎり(明太子)

夕:カレーライス

深夜:ラーメン、角煮丼

映画「WE DON`T CARE about music anyway」の公開を記念して、渋谷O-nestでライブイベントが開催された。私は、あの日本を代表するハードコアバンド「GAUZE」のドラマーであるHIKOさん、閃光と爆音ノイズを放つ蛍光灯「オプトロン」の考案者にして演奏者の伊東篤宏さんらとトリオでセッション。この組み合わせでやってくれと言われることは、「死んでくれ」と言われているのと同じようなものだ。二人の音はとにかく「容赦がない」。ライブ当日は演奏しに行くというより、処刑場に向かうような気分である。映画の中にもHIKOさんと私の地獄絵図のような演奏シーンがあるが、この日のライブも壮絶を極めた。発声器官というちっぽけな肉の管で、二人のあの音と対決しなければならないのである。過剰な絶叫のせいで、今もなんだか喉が血生臭い味がする。

私の中には時々自分でも恐ろしくなるような、得たいの知れぬ破壊衝動が潜んでいる。それはネガティブでもポジティブもない、ただのエネルギーで、ライブではそういう破壊衝動を声にして放出しているのだと思う。だから、私の発する声が、どんな断末魔のような絶叫でも、耳を一時的に難聴にしてしまうような攻撃的な鳴き声でも、それを観る人がネガティブなものとして受け取るか、ポジティブなものとして受け取るかは、私が決めることではないのだと思う。さらに、このエネルギーはいわゆる「感情」のエネルギーとも少し違う気がしている。だから、その破壊衝動が怒りのようなものとして特定の個人に向くこともない。しかしそれでも、ちょうど稲妻が落雷しようと放電の対象を求めるように、私の破壊衝動は具体的な破壊の対象を強く求めるのだ。そのとき犠牲になるのは、モノか、自分自身である。外に向いた場合はモノが壊れる。その際にモノとしての自分の体が一緒に壊れて血が出たりすることもある。内に向いた場合は、身体が耐えかねて、心臓が停まったり、失神してしまったりする。

この日の演奏は40分くらいだったか。クライマックスに達し、演奏が終わる予感が漂いはじめたころ、私は五十音から半濁音の列を順に叫ぼうと思った。ただし最初の一音だけは空の叫びとして。

「 !」「ピ!」「プ!」「ペ!」「ポ!」

「 !」「ピ!」「プ!」「ペ!」「ポ!」

「 !」「ピ!」「プ!」「ペ!」「ポ!」

HIKOさん、伊東さんが、音を出すのをやめて、私をステージに残して退場していく。私は続ける。

「 !」「ピ!」「プ!」「ペ!」「ポ!」

「 !」「ピ!」「プ!」「ペ!」「ポ!」

私の中で渦巻く破壊衝動が破壊の対象を探している

「 !」「ピ!」「プ!」「ペ!」「ポ!」

見つけた。そして、落雷。

「パッ!!!!

大当たり。

地雷ワード、パ裂。1.(音節)。

これは明らかに口が滑ったのとは違うだろう。しかし、意図的に言ったわけでもない。

「衝動的に言ってしまった」という表現が一番しっくり来る気がする。

演奏が終わると、嬉しいことにファッション・デザイナーの三原君と、その「パ」ートナーのひろみちゃんが観に来てくれていて、片付けをしている私のところへ会いにきてくれた。三原君とは多摩美の同期なのだが、2009年、彼のパリコレクションでのショーでは、MIHARAYASUHIROのスーツと靴を身につけて「パ」フォーマンスさせてもらったことがある。以来そのときの靴は愛用していて、ステージでは必ず履いていたのだが、「パ」フォーマンスでシンバルを蹴りまくるあまりボロボロになり、もはや見るも無惨な有様になっていた。

「ごめん、パリコレのときにもらった靴、こんなになっちゃんだ

地雷ワード、パ破。2.パリコレ

そして片付けを終え、肩の荷が降りたことにほっとしながら、O-nestのバーカウンターでドリンクを飲みながら伊東さんと歓談中

「もう一杯もらってきまーす」

地雷ワード、パ破。3.もう一杯

そして、その直後。この日にもやはり地雷を踏みまくっていることに落胆して

「やっぱり、気が抜けたときに出ちゃうんですよね

地雷ワード、パ破。4.やっぱり

そしてO-nestを後にし、「パ」ートナーと一緒に車を停めていた「パ」ーキングへ。ふと見ると後ろのタイヤが「パ」ンクしているではないか。釘を踏んだようだ。ははーん、「パ」ンクその手には乗らないぞ。しかし走れるだろうか。まだ完全には空気は抜けておらず、短距離なら走れそうだったので、なんとか近くのガソリンスタンドまで行って、みてもらうことにした。

そしてガソリンスタンド。口が裂けても「パンク」という単語は口にしまいと、心の帯を締め直して車を降り、係員相手に会話する。

私:「タイヤの空気が抜けているんですけど直していただけますか?

店員:「パンクですか?」

私:「ええ、そうなんです。タイヤの空気が抜けているんです」。

15分くらいで直せるので車を降りて待っていてくれという。あぁ、そんなに早く直してくれるんだと胸をなで下ろし、車内の「パ」ートナーに声をかけた

「パンク直してくれるって!降りてー」

地雷ワード、パ破。5.パンク

この時点での積算総上演日数:380日+5日(賠償分)=385日。

「パ」フォーマンス終了まで:3855日(経過分)=380日。

この時点での見込み終演日:2012年1月20日

いままで地雷を踏まなかったのは元日のたった一日だけ。まずは二勝目を目指さなければ。

Posted: 1月 5th, 2011
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04/01/2011/TUE:四日目

朝:コンビニおにぎり(明太マヨネーズ、うなぎ)
昼:回転寿司(サーモン、中トロ、青さ汁、他)
夜:牛丼

まず昨日三日の出来事から。新年早々、福岡ユタカさんの自宅スタジオにお邪魔し、二人で月末から上演される舞台のための音楽を制作。Protoolsの画面を睨みつつ、二人で話し合いながら作曲していく。作業中、何の悪気もなく、私の前で「パ」のつく言葉を連発してくる福岡さん。

「ここでパッド系の音をいれてさぁ…」
「カオスパッドのエフェクトはやっぱりなかなかエグいんだよね…」
「ここは山川さんのパフォーマンスが入ってくるから…」

今の私にとっては悪魔の囁きである。それでも中々良い感じの音が出来上がってくると楽しくて、作業にも熱がはいってくる。しかしそんなときが一番危ないのだ。油断したところでやはり口が滑ってしまった。

「福岡さん、やっぱ、そこはスパン!とカットアウトじゃないですか?」

①”やっぱ”、②”スパン!(擬態語)”。計2発の地雷ワード、パ裂…。
したがってこの時点での積算上演総日数:371日+2日=373日。

福岡さんは私が地雷を踏んだことなど知る由もなく、淡々とProtoolsの画面に向かってエディット作業を続けていた。「あぁ~~~~~っ!!!!」と悲痛な叫びを上げる私。ただし、心の中で…。作業する福岡さんの後ろで私は空しく頭をかかえるしかなかった。

この日は帰省している「パ」ートナーに度々電話していたのだが、何故かぜんぜん出てくれなかった。仲直りしたものの、先日の諍いのこともあり、一体どうしたんだろうと一日中気がかりだったのだが、夜、帰宅して電話をしてみると、ようやく出てくれた。そこで開口一番、また口が滑ったのだった…。

「もう、心配したじゃないかぁ!」
地雷ワード、パ裂、③”心配”。

しかもその後で、洗濯物の話になり、また地雷がパ裂…。

地雷ワード、④”パンツ”。
したがってこの時点での積算上演総日数:373日+2日=375日。

次の日、一月四日は東京芸大の仕事始めだった。授業開始前にホワイトボードに大きく「パ」の字を書いて、今年からこの音を発音できなくなったことを説明する。この日の授業内容は学生たちの制作中の作品の進行チェックと個別指導。学生たちとの会話中、言葉を選びつつ地雷を踏まぬよう脳内で格闘するものの、その努力も空しく散ってゆく。

地雷ワード、⑤”パノラマ”、⑥”パッ”(擬態語)、⑦”失敗”。計3発のパ裂。
この時点での積算上演総日数:375日+3日=378日。

会話中、地雷を踏んでしまい頭をかかえる私を見て、「す、すいません…」と申し訳なさそうに言ってくれる子もいたのだが、もちろん学生には何の罪もない。

芸大の仕事を終えた後は、都内でSNOW Contemporaryの石水さんと打合せ。石水さんは他ならぬ『「パ」日誌メント』を販売した張本人である。しかし、ここでも地雷ワード、パ破。

地雷ワード、⑧”レセプションパーティー”
この時点での積算上演総日数:378日+1日=379日。

「聞いちゃった…。なんかショック…」と石水さん。

この日はこれでは終わらなかった。田舎から帰ってきた「パ」ートナーが、お土産に地元の神社で交通安全のお守りを買ってきてくれて、それを受け取った瞬間…

「おぉ、ありがとう。立派なお守りだなぁ…」

地雷ワード、⑨”立派”
この時点での積算上演総日数:379日+1日=380日。
「パ」フォーマンス終了まで 、380日−4日(経過分)=376日。

ヤバイ…。本当にヤバイ…。一年間のプロジェクトのつもりではじめたはずなのに、このままでは永遠に終わらない。例えば一日に「パ」と三回口にしてしまい、その賠償として三日契約が延長されて、その延長された日それぞれに、また三回「パ」と口にしてしまったとしたら…。そう考えるとねずみ算式に積算上演総日数が増えていき、天文学的な数になるだろう。「パ」を100万円で売ったものの、これでは逆に法外な利息の借金に追われ続けているようではないか…。

Posted: 1月 4th, 2011
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03/01/2011/MON:三日目

昼:天ぷらそば、雑煮
夜:カレイの煮付け、白米、鳥五目ご飯、大豆、カボチャ、人参、インゲン豆、チャーシュー、煮卵、海藻サラダ(青じそドレッシング)、キリン一番搾り

昨日、一月二日午後のことになるが、東京都現代美術館の講堂で「落語で楽しむ現代美術」という名のイベントが催されるというので足を運んだ。現代美術と落語というと不思議な取り合わせのようにも思えるが、そもそも現代美術館のある深川地域は江戸の粋が色濃くのこる下町である。現代美術館周辺では、この地域が元来培ってきた江戸っ子気質に象徴される下町の風と、現代美術館開館以降、新たに吹き込んだアーティーな風とが遭遇して渦となり、独特な気流が生じている。”火事と喧嘩は江戸の華”…。その気流の渦は時に乱気流に発展することもあるようで、かく言う私も以前、この企画の真打、三遊亭歌司師匠に付近の飲み屋で絡まれ、ちょっとした諍いとなったことがある。結局最終的には意気投合し、師匠の寄席に行く約束をしたまま日が過ぎていたところへ、新年早々良い機会に恵まれたというわけだ。

高座に上がるなり、さらりと皮肉を言い放つ歌司師匠。立派な美術館施設をとりあげて「えー、はじめてここへお邪魔いたしましたが、東京都も随分税金の無駄遣いをしたもんですなァ」。どっと会場に笑いが起こる。その”税金の無駄遣い”という言葉の中には、美術館が私の作品「The Voice-over」をコレクションとして買い上げたことも含まれることになるのだろう。いやはや、またもや師匠に喧嘩を売られてしまった。私はそんな師匠の話芸に心底魅せられ、その活き活きとした声と言葉に──落語をこのような横文字で語る無粋を承知で言うならば、その”「パ」ロール”に──感動していた。

落語を堪能し終えて館内のカフェで一服していると、キュレーターの藪前さんから電話があり、新年の挨拶を言いに会いに来てくれた。いや、むしろ年が明けて「パ」と言えぬ私を確認したいという好奇心がそもそもの動機だったのかもしれない。年が明けてから、家族や「パ」ートナー以外で人と会話らしい会話をするのは、藪前さんが初めてである。

「あの…、例の作品のことがあるので…、言葉を選びながら、ゆっくりでしか話せないんです…。辿々しくてすいません…。」と最初に断る。まるで地雷を踏まぬようにしながら恐る恐る話す私の声が微妙な空気をつくったが、次第に会話は弾んでいった。

藪前さんによれば、年が明けてすぐに放送された『朝まで生テレビ』が面白かったそうだ。番組の中で、マスメディアに蔓延する自主規制の空気こそが日本を萎縮させているのではないかといったような内容の発言があり、それが昨年10月「あいちトリエンナーレ」で発表した舞台作品『Pneumonia』で私が問題にした、日本社会に蔓延する”肉体的、精神的、閉息感”と関連しているように思ったとのことだった。

『Pneumonia』で私は「気息」をテーマとし、現代の日本で私たちが果たしてまだ「歌」というものを必要としているのかどうかを問いかけたのだった。作品中で歌ったのは、”放送禁止歌”と呼ばれる、かつて絶対に放送にかけてはならないとされた歌々である。これは森達也監督のドキュメンタリーに詳しいのだが、”放送禁止歌”の背景を突き詰めてみると誰もその歌を禁止していなかったという事実が明らかになる。かつて民法連による『要注意歌謡曲指定制度』という制度が存在したものの、それはあくまで注意を促すガイドラインにすぎず、全く法的な拘束力を持っていなかった。つまり、”放送禁止歌”の実体は自主規制だったのである。放送にかけない方が無難だろうという空気が大きな渦になり、いつの間にか絶対的な禁圧であるかのように一人歩きしていたのだ。つまり私たちは、強大な権力に首を絞められて歌えなくさせられていたのではなく、自ら進んで閉息し、歌うことをやめていたのだ。自主規制によって萎縮し声を失っていく…。私にはこの”放送禁止歌”こそが、日本社会の息苦しさを最も象徴的に表しているように思えてならない。「歌」というものが、肉体的息吹(Pneuma)と、精神的息吹(Pneuma)の融合によって生み出されるものであるとすれば、日本社会に蔓延する自主規制の空気とは、肉体と精神両方に呼吸不全を引き起こす肺炎(Pneumonia)のウィルスのようなものである。

そんなことを考えていると、先ほどの歌司師匠の活き活きとした「パ」ロールが耳に蘇ってきた。もし先に書いた自主規制的な空気が、日本人の古くからの「ムラ社会的」なメンタリティに由来するならば、芸能者たちの「パ」ロールは、そこでどういう役割を果たして来たのだろう?私は言った…。

「うーん、あの時も飲み屋で歌司師匠に酔っ払って喧嘩売られましたけど、やっぱり昔から芸能っていうのはパンクだったんじゃないですかねぇ…」。

ふと見ると藪前さんの顔がひきつっている。
あぁ、またやってしまった…。
①酔っ払って、②やっぱり、③パンク、以上3発の地雷ワード、パ裂…。
したがってこの時点での積算上演総日数:368日+3日(賠償分)=371日。

会話はここで頓挫した。

自主規制によって萎縮し、声を失う…。それはまるっきり今の私のことではないか。
一体、私は何のためにこんなことをしているのだろう?

Posted: 1月 3rd, 2011
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02/01/2011/SUN:二日目

未明深夜:ペヤングソースやきそば、キリン一番搾り。
昼:フォー、サラダ。
夜:すき焼き、白米、雑煮、マンゴープリン。

開演から二日目。ある程度覚悟はしていたものの、「パ」を口にできぬのはなかなかつらい。いや、正確に言うならば、口にできぬことそのものよりも、口にしてしまうかもしれぬ恐怖を抱き続けながら生活するのがつらいのだろう。うっかり口が滑ってしまうことを恐れて、いかなる言葉をも発することが躊躇され、気づけばおのずと無口になっている。端からみるとそれが不機嫌に見えるようである。いや、もしかしたらその無口さが不機嫌に見えるだけでなく、この不自由な状態を生き続けなければならぬことに、私は確かに苛立っていて、それが無意識に顔の表情や振る舞いに現れているのかもしれない。無口になっている私の中で、「パ」という聴覚イメージが、まるで風船のようにパンパンに膨んでいる。そのパンパンの風船が、いつ何時破裂してしまうのではないかと、私は自分自身に疑心暗鬼になっている。

そのせいもあるだろう。本日未明、大晦日から遠方の実家に帰省している「パ」ートナーと数時間にわたって電話で喧嘩をしてしまった。諍いの原因は他ならぬこの作品、”「パ」日誌メント”だった。

年明け前、私はウェブ版「パ」日誌のURLをメールで「パ」ートナーに伝えることを約束していた。にもかかわらず、元旦の午前零時きっかりにブログを開設するため、設置作業に追われていた私は、その約束をうっかり忘れてしまっていたのだ。URLを伝えることができたのは年が明けた20分後、「パ」ートナーからの新年の挨拶メールの返信という形でだった。そのことが「パ」ートナーを不機嫌にさせていた。

恋人同士の間にはありがちな、ごく些細な喧嘩の種かもしれない。しかし、この「パ」フォーマンスのとばっちりを食うのは、誰よりもまず彼女なのだ。私に起こる変化は、彼女の生活にも影響を及ぼさずにおかないだろう。この「パ」フォーマンスがはじまるその瞬間は、彼女にとっても心して向き合うべき重要な瞬間であり、だからこそ年越しの瞬間に対面せねばならぬ具体的な対象は、茶の間のテレビ画面でも、神社の拝殿でもなく、零時きっかりに更新されるhttp://pa-nisshi.netのトップページでなければならなかったのだ。彼女との約束を忘れてしまったことが、”うっかり”では済まされないのは当然だろう。

年が明けてから丸一日経って、日付が変わった一月二日未明、「パ」ートナーと電話で話した。「パ」と言えぬ苛立ちからか、私は自分の非を素直に認めるよりも、ブログの設置作業に追われて連絡する余裕がなかったことを言い訳がましく訴えた。そのことが「パ」ートナーをますます不機嫌にさせた。彼女が不機嫌になればなるほど、私も不機嫌になる。私の不機嫌さが、また一層彼女を不機嫌にさせる。そんな風に不機嫌の悪循環が続いていくうちに私は感情的になり、私の中の風船がついに「パ」という実音をたてて破裂してしまったのだ。

「だからぁ、「パ」日誌メントのブログ立ち上げるのに、こっちも精一杯だったんだよ! あぁっ…、パって言っちゃった…」

耳のうしろでサーッと血の気が引くのが聴こえた。沈黙…。

私は2011年に口にする全ての「パ」を1,000,000円で一人のコレクターに売ったのだ。だから、私が「パ」を口にすることは、事実上そのコレクターの所有物を盗んだことになるのだ。誓約書で誓約した通り、この盗みの賠償として、「パ」一回の発声につき一日ずつ契約期間が延びて行く。1.”「パ」日誌メントのブログ”、2.”精一杯”、3.”「パ」って言っちゃった”、計三回。つまり、この瞬間に契約期間が365日+3日(賠償分)=368日に延長されてしまったわけだ。

血の気が引いて冷静になったのだろうか、いつの間にか私のエゴはとけて、素直に自分の非を認められるようになっていた。私が素直になれば、彼女も素直になる。彼女は私のミスを責めていたわけではなかった。ただ、誰よりもこの「パ」フォーマンスに真摯に向き合おうとしているその気持ちを、尊重して欲しいと求めていただけだった。彼女もまた、私に与えられたこの不条理な”罰”を、”「パ」ートナー”として共に引き受けようとしてくれていたのである。

私たちは改めて新年の挨拶を交わし電話を切った。私はペヤングソースやきそばを肴に、ビールを飲んで眠りについた。

これは一月二日未明の出来事である。この時点で、既に三回も「パ」を口にしてしまった自分の体たらくには溜め息をつくしかない。しかし、事もあろうかこの後、一月二日の午後にも、私は風船を破裂させてしまったのだ…。果たしてこの「パ」フォーマンスが終演を迎える日が来るのだろうかと、開演早々、真剣に悩み始めているところである。このことについては明日一月三日の日誌に記したい。

Posted: 1月 2nd, 2011
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01/01/2011/SAT:開演初日

紅白歌合戦は白組が勝利、年越し蕎麦は食さず。

さて、これより一年間、一切「パ」と口にできなくなるのか…。

とりあえず、今日から数日間はあまり話さずにおくことに決めた。

Posted: 1月 1st, 2011
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