15/01/2012/SUN/三百八十日目

東京芸術大学先端芸術表現科の卒業制作展を締めくくるイベントとして、学生たちがシンポジウムを企画した。登壇者は、高山登氏、八谷和彦氏、鈴木理策氏、イルコモンズ氏、大友良英氏、高嶺格氏、そして僕の7名。シンポジウムの概要は下記の通り。

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『10 MONTH AFTER 3.11』
日時:2012年1月15日(日) 14:00~16:30
会場:BankART STUDIO NYK イベントスペース
出演者:高山登(美術家)、八谷和彦(メディア・アーティスト)、鈴木理策(写真家)
イルコモンズ(現代美術家)、大友良英(音楽家)、高嶺格(美術家、演出家)、山川冬樹(ホーメイ歌手、アーティスト)
2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故以降、表現活動に携わる人々がそれぞれの方法、姿勢を持ってこの出来事に向き合ってきました。3.11からおよそ10ヶ月となる本展覧会に、第一線でご活躍されるゲストをお招きし、ラウンドテーブルトーク形式でシンポジウムを開催致します。3.11以降、多様な経験や活動が生まれる中で、これまでに学んだことやこれからの表現活動について共有する場にしたいと考えております。また、ご登壇頂くゲストの方々を中心に同主旨のご寄稿を頂き、本展覧会カタログの付録として発行致します。

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トークの中で、「分断線」ということについて話が及んだとき、僕は壇上で隣の席に座っている高嶺格さんの作品のことを思い出した。思い返せば、震災直後、ずっと家で悶々として引きこもり状態にだった僕に、外出してみようというモチベーションを与えてくれたのが、当時横浜美術館で開催されていた高嶺さんの展覧会『とおくてよくみえない』だったのだ。展覧会のどの作品もすばらしいと思ったが、震災直後の混乱する社会の中で、人と人との間に深刻な亀裂が生じていくことに傷ついていた当時の僕は『Do what you want if you want as you want』と題されたビデオインスタレーション作品にとりわけ強く心を打たれたのだった。

作品は高嶺さんがイスラエルに滞在中、ある「友人」を訪ねた時のインタビュー映像によって構成されている。アクティビストである「友人」は、その目で目撃したパレスチナでのイスラエル軍による非道ぶりを訴えかける。その口ぶりには熱く、話を聞く高嶺さんに政治的態度を明確するよう迫っているかのようだった。しかしその訴えに対して、ただ戸惑いぎみに相槌を打つ高嶺さん。作品にはこんなテキストが添えられていた。

「このビデオに登場している女性は、僕の『友人』です。いや本当はそうではなかったかもしれない。…このあと、彼女は僕の『友人』ではなくなった。それは、僕が阿呆な相づちを打つことしかしなかったからです。」

そして作品は観客に「僕はそのときどうすべきだったのか?」と問いかける。政治的な立ち位置の違いが「友人」との間の分断線を露にしてしまうという現実。そして震災後の日本に生きる今の僕らも、まったく同じような現実に傷ついている…、そう思った僕は、シンポジウムの中で、高嶺さんに『Do what you want if you want as you want』について聞いてみたくなってマイクをとった。

僕:「震災後に、作品らしい作品を観たの、高嶺さんの作品が最初で…横浜美術館の展覧会だったんですよ…。で、それで作品名忘れちゃったんですけど…、(展覧会場の)角の方に、えーとあれ…、パレスチナの…あっ、言っちゃった…」

地雷ワード、「パレスチナ」、パ裂。
ちなみに「パレスチナ」でのパ裂は、『「パ」日誌メント』開演以来、二度目。
夜、宮城県沖を震源に震度3。

また、このシンポジウムへの参加に伴い、学生たちから震災と表現活動というテーマで、卒業制作カタログへ寄稿を求められた。卒業制作カタログは既に完売とのことなので、以下に寄稿した文章を記しておきたい。

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電気の絆~Of Electricity Bondage』山川冬樹

毎年年末に発表される恒例の「今年の漢字」。2011年は「絆」に決まったとか。「今年の漢字」は日本全国より公募によって決められるそうで、それだけ多くの人がこの「絆」という字を2011年を象徴する文字として選んだということなのでしょう。しかしきっとこの文字に違和感を覚えてしまったのは僕だけではないはずです。確かに大きな危機に直面したとき、家族や友人といった身内同士の関わりあいの中に、改めて「絆」と呼ぶべき信頼関係を発見した人も多いと思います。それでも「絆」という文字に違和感を感じてしまうのは、僕らが今現在生きている世の中に目を向けたとき、その言葉とはまったく反対に、僕らは互いに分断され、そこにはかつて経験したことのないほど深い亀裂が生じている…、という実感があるからなのではないでしょうか。「絆」という文字への違和感は、そのような現実が抽象的な表象によってインスタントに美化されてしまうことへの危機感であり、実際にそこに在る「分断線」が意識されずして、希望としての「絆」だけが偏重して取り上げられることへの苛立ちなのだと思います。

しかし少し考えてみれば、わざわざ「絆」といった言葉を象徴的に持ち出さなくとも、僕らは互いに国家レベルの、具体的な「絆」で結ばれているという事実に気づくでしょう。たとえば福島で原子力発電所が爆発すると、横浜の僕の自宅が停電する…。つまりこれは(あの「計画停電」が東電による茶番だったとしても)、僕の自宅の壁に設置されたコンセントの溝の暗闇から、送電線と送電施設を辿っていけば、いずれ300キロ離れた福島の原子力発電所へ行き着くということに他なりません。

自分自身に電力を直接プラグインするようなやり方で表現活動を行ってきた僕にとって、この原発と自分とを繋ぐ具体的な「絆」は、単なる生活環境の問題ではなく自己の存在に直結した問題でした。例えば電子聴診器を使ったパフォーマンスでは、聴診器でピックアップした心臓の鼓動を白熱灯の明滅と同期させてみせるのですが、これは150Wの白熱球をいくつも使うので相当な電力を消費してしまいます。代わりにLED球を使えばだいぶ節電できるのですが、心臓の鼓動と同期するのは、やはりフィラメントが燃えることによって生じる火の光でなければならないのです。命の鼓動が、電流の波に変換され、火の明滅として視覚化される…。つまりここでは大量の電力が熱とともに蕩尽されることが、パフォーマンスでの生のエネルギーのあり方と結びついているのです。また別のパフォーマンスでは、頭蓋骨の震動を鼻骨に取り付けた骨伝導マイクでピックアップし、それをギターアンプにぶち込んで口を閉じたままホーメイを歌います。ホーメイの故郷、トゥバ共和国の伝統的なホーメイが「アコースティックギター」だとすれば、骨伝導マイクによる僕のホーメイは「エレキギター」に例えられるでしょう。つまりここでは遊牧民であるトゥバの人々が自然の中で育んできた伝統を、都市環境いおいて電気的にAmplify(増幅)し、Distort(変形)することが僕の表現上のアイデンティティとなっているのです。

さらに、取り返しのつかない事故が現実のものとなってしまった今、福島の原子力発電所からもう電気が届けられなくなった代わりに、今度は物理的にあの中に詰まっていたモノが、風にのり、水に流れ、食べ物を介して、僕らのもとへ届けられています。目に見えないそれらの物質は、今現在、僕らの血管と臓器の中を巡り、血肉となっているのです。このことを思うとき、将来的に健康に影響が出る/出ないに関わらず、僕はあのぼろぼろな水色の原発と自分とが”血縁関係”とも言える強い「絆」によって結ばれていると感じずにはいられないのです。

アーティストにとって表現活動とは、生きることと同義であると思いますが、それに加えて僕は電気を自らの命(心臓)や、アイデンティティといった自らの存在そのものと直結させて活動してきました。ですからあの事故を受けて僕の存在は大きく揺らぎました。自分の表現活動のために不可欠なエネルギーが、「絆」で結ばれた向こう側一帯に住む見知らぬ人々に、あり得ないほど大きなリスクを押し付けて作られてきたという事実と、自分がその事実にあまりに無関心だったことに愕然としました。それまでは自分が「インディペンデント」なスタンスで活動していることにささやかなプライドを持っていたのですが、実際は自分の活動が最もディペンドしたくない社会的、政治的、経済的構造に思いっきりディペンドしながら成立していたということを思い知り、打ちのめされたのでした。「Depend」とは「信頼する」という意味ですよね。つまり「信じて」「頼る」ことです。しかし僕は自分が信じていないものに依存してきたわけです。サマセット・モームの代表作『人間の絆』の原題は『Of human bondage』。つまり結ばれた相手を信じることができなければ、「絆」は隷属させるための縛りになるのです。

しかしそうはいっても大量消費社会の複雑なサイクルの中に生きながら、自分が頼っているものを信じることはなかなか難しいことであるのも事実です。注意深くできるだけ信じられるものを選んでいくしかないのですが、こと地域独占体制がつづく電気事業に関しては、僕らにその選択の自由がないのが現状です。つまり、原子力によってつくられた電気にお金を払いたくないと思うなら、電気を一切使わずに生きる以外に方法がないのです。昨年6月、国連は中東各地で広がる反政府運動への政府の弾圧に対し、「インターネット接続は基本的人権である」との報告書を発表しましたが、それが国際的常識として通るのだとすれば、当然、それ以前にインフラとしての電力を使うことだって基本的人権であり、民主主義国家においてそのインフラは民主的に自由化されていなければなりません。しかし、僕らが生きている社会ではそういうふうになっていないのです。原子力でつくられた電気を買いたくないなら、人権を棄てるしかないのです。こんなおかしな話があっていいのでしょうか。

そんな世の中の仕組みを変えようとしてもそう簡単には変わりそうにありません。きっと長い戦いになるのでしょう。残念ながらまだまだ僕らは信じられないものに頼りながら生きていかなければならないのだと思います。しかしそんな中で、少しでもインディペンデントな個人であるために、僕は発電をはじめようと思いました。電気というものを自分の存在そのものと結びつけて活動してきた表現者として、僕はまず何より自分自身のために自らの手でダイナモを回さずにはいられなかったのです。そのちいさなダイナモの回転は、ちいさな個人による、ちいさな独立運動として、ガンジーが自立の精神を込めた、あの大いなる糸車の回転と重なりあっていくでしょう。「私たちの、私たちによる、私たちのための電力で、私たちの、私たちによる、私たちのための音楽を…」そんな歌い出しではじめられ、一切コンセントからの電源を使わず、自分たちで発電した電力だけで敢行された『発電ライブ・パフォーマンス(10月16日 @東京藝大上野校地)』は、まさにそのような独立の精神に支えられていたのでした。

お金と交換することで簡単に手に入るものを、敢えて手間ひまかけて自分で「つくる」こと。いざダイナモを回して自分の手で発電してみると、苦労してもほんのわずかな電力しかつくれないことを思い知ります。しかし、この「苦労」=「体感的コスト」に価値を見いだしていくこと…。例えばスーパーに行けばすぐに数十円でトマトやキュウリを買う事ができるわけですが、敢えてそれを手間ひまかけて自分でベランダで栽培してみる。そしてやっとできた野菜を食べてみる。自分の手でつくった野菜を食べるときの、あの格別な味わいのようなものが、とても重要なのではないでしょうか。わざわざ野菜を手間ひまかけて育てるような、「体感的コスト」を払うことが、苦労を超えて喜びとなり、その喜びが生きる上で必要不可欠なものとなったとき、僕らは本当の意味でインディペンデントになれるのではないかと思います。

Posted: 1月 15th, 2012
Categories: パ日誌
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