07/01/2011/FRI:七日目

昼:たまごサンド、タコスロール
夜:タンタン麺、白米

まずいことに運転免許を失効してしまった。このところ忙しくてなかなか更新手続きに出向く余裕がなく、気づいたときにはうっかり期限切れというわけだ。

しかもさらにまずいことに、車は時間貸し「パ」ーキングに停めたままだった。その状態で日付は無情にも免許の有効期限日1月6日から、1月7日に変わってしまったのである。

冗談みたいな話だが、1月6日の23時59分59秒までは運転することができたのに、その1秒後、1月7日0時0分0秒になった瞬間から、私は運転ができなくなってしまったわけである。もしそれでも運転した場合は無免許運転として道路交通法第64条に抵触することになり、一年以下の懲役または三〇万円以下の罰金に処せられることになる。運転ができない以上、車を「パ」ーキングから出して自分の家の駐車場に移すこともできない。もちろんその間も駐車料金は刻一刻と加算されていく。我ながら実に見事なドツボへのハマり様である。

しかし考えてみれば、私に運転を禁じているこの法に本質的な根拠はないはずだ。きちんと教習を受けて身につけた私の運転技能と知識が、このたった1秒の差でなくなってしまうわけがないからだ。車を「パ」ーキングから出して、5キロ離れた自宅の駐車場へ運転して移すことくらい、免許などなくても何てことはない。私の運転技能は本質的に免許の有効/無効に左右されない。免許を失効した状態で運転しても、それが事故のような実害を引き起こすことに、直接的にも、間接的にも、繋がることはないのだ。つまり、今の私が運転しても、道路交通法上は問題ありとされても、「本質的」な問題はどこにもないのである。そこにもし「本質的な問題がある」というならば、その糾弾は私個人の問題を超えて、そもそも車という大きな鉄のかたまりを、己の能力を遥かに超えた速度と力で操作することを人間に許しているこの文明へと向かうべきはずである。しかし日常でそんな問題意識を真剣に抱えている者があるとすれば、それは世間知らずの子供か、ポール・ヴィリリオくらいのものだろう。

そんなことを考えている間も、どんどん駐車料金は加算されていく…。立ち往生する私の目の前に、二つ罰が一対の金剛力士像のように立ちはだかっていた…。『車を出せず無駄にこのまま「パ」ーキングに放置して後日莫大な請求を被る罰』と、その罰から逃れるために無免で車を移動することで『一年以下の懲役または三〇万円以下の罰金に処せられるという罰』、お前はどちらを選ぶのだ、と言わんばかりに。

私は思った。無免で車を「パ」ーキングから出してやろう。自宅の駐車場までたった5キロである。その間に私の無免許運転が発覚する可能性はほとんどない。さらに、先に書いたように、無免の私が運転しようとそこには何ら本質的な問題はないのだ。何を迷う必要などあろうか。

しかし車のキーを手にしようとしたその時、私の頭の中で『「パ」日誌メント』のことが、自分の立たされた状況と対応するように巡りはじめたのだ。

(脳内エコーON)私に「パ」と口にすることを禁じているこの法に本質的な根拠はない…。私が「パ」と発声したとしても、それが直接実害を引き起こすことに繋がることはありえない…。つまり、今の私が「パ」と発声したところで、契約上は問題ありとされても、「本質的」な問題などどこにもないのだ…。それに誰もいないところでうっかり「パ」と口にしてしまったとしても、日誌という形で自己申告しなければ、それが発覚する可能性はほとんどない…。

確かにそうかもしれない…。

い、いや、違う!。そうではないだろう。

私はこの「パ」フォーマンスを真剣に上演しているのだ。何のためなのか今はまだよく分からない。しかしそれでも真剣でなければ許されないのだ。これは信用の問題だ。100万円を支払ったコレクターに対してでも、このパフォーマンスの観客に対してでもなく、まず何より自分自身への自分の信用の問題だ。誓約書は、ちょうど運転免許証がそうであるように、実体をもって法的にその信用を保証するが、本質的には保証しないだろう。その信用を本質的に保証するのは、私のアーティストとしての真剣さの他にないのである。私はこの本質的に根拠のない、冗談のような約束事の先に、根拠のない希望を持っている。私が最後まで真剣であり続けた時に、きっとその希望は100万円という金額を遙かに越えた本質的な価値として目の前に現れるはずだ、と…。そして私がその希望を失うときがあるとするならば、それは自らの「パ」フォーマンスへの真剣さを失ったときなのだ。私の芸術が歴とした社会活動、経済活動であるならば、『「パ」日誌メント』の約束事は守っても、『道路交通法』の約束事は守らないという考えは本当ではないだろう。『道路交通法』だろうが、『「パ」日誌メント』だろうが、それらの約束事がどんなに本質的に無根拠な冗談に見えたとしても、法的な拘束力があるという点では変わらないのだから。24時間、365日、この冗談に真剣に向き合い続けよう、それが今の私の勤めである。

私はいつの間にか『「パ」日誌メント』によって至極全うな大人になっているようだ。車のキーの代わりに携帯電話を手にとって、弟にメールする。

「兄よりSOS…」

すぐに返事があり、救援に向かうとのこと。

仕事帰りに駆けつけてくれた弟、史門はサラリーマン然としたスーツ姿だった。史門に自宅まで代わりに運転してもらって車の移動を終えたその帰り…。

私:「運転してもらったお礼に1ハイ奢るよ」
史門:「え?”イチハイ”?」
私:「うん、1ハイ。ほら、今年から”ハ”に○がついた音言えないだろ?」
史門:「あぁ、兄貴、あれマジだったの…?(苦笑)」

私たちは駅前の飲み屋に入った。二人のためにビールを注文。

「コロナ2杯!」

心の中でつぶやく。「おっと、2”ハイ”ね…。セーフ、セーフ…。次は3”バイ”、4”ハイ”…ときて、危ないのは…10”パイ”だな…」

私たちの前にコロナの瓶が届けられる。ライムをぐっと中に押し込んで、ボトルを手にとり互いに向き合った。

私:「今日は運転してくれて助かったよ。じゃあ、乾杯!」
史門:「あ…、兄貴…。」

地雷、パ裂である。

地雷ワード①”乾杯”

この日はこの他にも、『金閣寺』の稽古場で共演者である中越典子さんの陰謀にまんまとひっかかったのだった。台本に描かれたつくしのようなラクガキを見せられ、「これ、何か分かりますか?」と聞かれたときのこと。

私:「ん?つくし?あぁ、なーんだ、アスパラガスですか…」

地雷ワード②”アスパラガス”、パ裂。

そして夜、「パ」ートナーと話ているときにまたパ裂…。

私:「パソコーン!」

地雷ワード③”パソコン”

この時点での積算総上演日数:390日+3日(賠償分)=393日。
「パ」フォーマンス終了まで:393日-7日(経過分)=386日。
この時点での見込み終演日:2012年1月28日

Posted: 1月 7th, 2011
Categories: パ日誌
Tags:
Comments: No Comments.