11/03/2011/FRI/七十日目

大阪。『金閣寺』29公演目(梅田芸術劇場)。

外で昼食を済ませ、ホテルの部屋に戻る。
劇場入りまでしばらく時間があったので、そのとき、私はベッドの上でごろごろしながら、何となくテレビをみていた。
なんでも次の東京都知事選に出馬しないと言っていたはずの石原慎太郎が、出馬表明したらしい。間もなく都庁から会見の中継を行うとか。

しかし何だか画面の中のレポーターの様子がおかしい。
「地震でしょうかね…、少し揺れてる感じがしてますけど…、えー、こ、この後まもなく…、石原都知事の会見がはじまります…」と言って画面がCMに切り替わったところで、こちらも大きく揺れはじめた。

私の泊まっていたのは高層ホテルの26階。建物全体が振り子のように大きく空を往復運動する。洗面所のドアや戸棚の扉がバタンバタンと開閉を繰り返し、壁や柱の軋む音が辺りに響いた。

震源はどこだ。慌ててチャンネルを切り替える。NHK(だったと思う)にチャンネルを合わせると、渋谷が激しく揺れている映像が映った。アナウンサーの緊迫した声が何度も警告を繰り返す。震源は東北。
日本列島が揺れている。
大きい。

職場にいるはずの「パ」ートナーに電話をかけるがつながらない。
実家の母に電話をかけてもつながらない。
会社の弟に電話をかけてもつながらない。
誰に何度かけてもつながらない。
もどかしい。なす術がない。
とにかくiPhoneから「パ」ートナーのiPhoneに宛ててショートメールを送った。
「地震大丈夫?」(2011/03/11 14:50)

テレビからひとときも目を離さずに、片手ではiPhoneを握りしめ、電話がつながることをひたすら念じながら、「パ」ートナー、母、弟、の3人に絶え間なく電話の発信しつづける。

少しして「パ」ートナーからメールが届く。
「手が震えて」(2011/03/11 15:08)

依然、電話はつながらないが、ひとまず無事なようだ。そしてしばらくして、今度は母からメールが届く。
「地震大丈夫ですか?こちらは停電です。地下にやっと這うように避難しました。○○ちゃん(「パ」ートナー)に今安全確認をしています。アパートが古いので心配です。家に泊まりに来る様にいいました。君は無事ですか?」(2011/03/11 15:27)

最初の揺れから一時間ほど経過した頃だろうか、何度もかけ続けていた電話がやっと「パ」ートナーにつながった。「パ」ートナーによれば、地震が起きたとき、もうだめだと思って私にメールで遺言を書こうとしたが、手が震えてうまくiPhoneを操作できず、やっとの思いで書けたのがあの「手が震えて」という一文だったとか。そしてその後「今までありがとう」と続けるつもりだったのに、手が震えてどうしても送れなかったのだと泣きながら訴える彼女。とにかく落ち着かせるために、「だいじょうぶだよ、だいじょうぶだよ」とゆっくりと穏やかに話しかけつづける。その時、電話の向こうをまた大きな余震が襲った。電話越しに怯えた声で泣き叫ぶ「パ」ートナー。こんな時にそばにいられないなんて身を切られるような思いだ。堪らない。しかし今はとにかく落ち着かせるために話しかけつづけるしかないのだ。するとまたさらに悲鳴。「きゃー!火事!」。窓から見えるビルが燃えているという。ふとテレビ画面を見ると、「パ」ートナーの職場のすぐそばにあるお台場テレコムセンターが燃えているではないか。さらに画面が切り替わると、私の母校であり、現在非常勤講師を勤める多摩美大のすぐ近くにある大型スーパー、Costcoが倒壊している映像が映し出されている。落ち着かなければ。神田の職場にいるはずの弟は無事だろうか。

鉄道機関は完全にマヒ。道路は大渋滞。しかし「パ」ートナーは頃合いをみて同僚の車に同乗し、その人の家に移動しようと思うという。恐らく今晩はそこで一泊させてもらうことになるだろうとのこと。私は私で劇場入りの時間が迫っていた。制作の方から何も連絡がないということは、公演は予定通り行われるのだろう。しかしこんな時に舞台に立たなければならないなんて。大阪は震度3だったとのことことだが、私にはどうも信じられない。26階にいたことで揺れが大きく感じられたのかも知れないが、地震には数値で表せない「揺れの質」のようなものがあるような気がするのだ。たとえ計測上は震度3であっても、あの揺れのエネルギーはただ事ではなかったのは確かである。「パ」ートナーの声も少し落ち着いてきたので、私は電話を切って劇場へ。

そして劇場入り。「おはようございます」と、キャストやスタッフの皆さんと挨拶。みんな神妙な面持ちだ。お互い話題に持ち出さなくとも分かっている。それぞれが自分の大切な人の身を案じているのだ。しかしそれでも舞台の幕は開ける。何度も何度も繰り返してきた舞台『金閣寺』。今日で29回目である。しかしこの日は舞台を今までにない異様な空気がずっと支配していた。良くもない、悪くもない、しかし異様としか言いようのない空気が。

幸いなことに本番中は余震が起きなかった。公演を終えてホテルに戻り、すぐに「パ」ートナーに電話する。やはり何度も発信しなければならなかったが、それでも粘って何とかつなげることができた。彼女の方はやっと同僚の家に辿り着いたところだった。いつもは数十分程度の道のりが大渋滞のため何時間もかかったらしい。今夜は同僚の家に泊めてもらうとのこと。次に実家の母とも電話がつながった。弟から無事との連絡があったとのこと。今夜は神田の職場に泊まるらしい。

長い一日だった…と思いたくてビールを喉に流し込んでみても、一向に今日という日が終わった気になれず、テレビをつけっぱなしでベッドに入る。

たぶん、今日は「パ」と言わなかったはずである。こんな時でも『「パ」日誌メント』は続くのだ。
The show must go on.

ここまでの成績…
積算上演日数:520日(±0)
終演まで:449日(-1)
終演見込み日:2012年6月3日(±0)

Posted: 3月 11th, 2011
Categories: パ日誌
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