04/05/2011/WED/百二十一日目

昼、青森県で震度3。夜、茨城で震度3。

自分の寿命を遥かに超越した時間を、ぼくたちはどう受け止めればいいのだろう…。

政府の地震調査委員会の阿部委員長は、今回の地震について「千年に1回起きるかという巨大地震だ」と語った。

福島原「パ」ツを設計したある設計者の証言によれば、原「パ」ツ設計の際、今回東北地方を襲ったような規模の大津波や、マグニチュード9クラスの地震を想定すべきだと上司に進言したものの、その上司に「千年に一度とか、そんなこと想定してどうなる」と、一笑に伏されたという。

また、原子力安全委員会班目委員長は、千年に一度の震災は想定外であり、原「パ」ツの設計をするにはそのような想定外のリスクは「割り切らなければ設計はできない」と発言した。

ぼくたちの生きている社会システムでは、千年単位の尺度でものごとを考えることは、効率性や合理性を欠いた妄想として切り捨てられ、目先の利益/損失が何より優先されていくようだ。ここでは「千年に一度」という確率は、非現実的なものとして扱われている。

しかし”千年の一度”の震災によって引き起こされた原「パ」ツ事故は、ぼくたちに、目先の効率性や合理性だけにとらわれるな、千年単位の尺度でものごとを考えよ、と訴えかけているように感じられる。確かに「千年」という大きな時間を現実的に捉えるのは難しい。「千年」という言葉には、時間的なエキゾチズムとでもいおうか、何か幻想的な響きすら感じられる。しかし考えてみよう。原「パ」ツの寿命はだいたい40年と言われているが、40年の間に千年の一度の地震が起こる確率は、40/1000=1/25。こう考えると、千年という時間に幻想を抱いている場合ではなくなってくる。原子力という大きな力を扱う以上、「千年」という大きな時間は、ぼくら自身の存続に関わる、きわめてリアルな時間感覚として捉えなければならないだろう。

しかし、現実はもっと果てしない。千年という年数などまだまだ生温いからだ。既に飛散しているプルトニウム239の半減期は二万四千年。飛散したと噂されているヨウ素129に至っては1570万年。これらの高レベル放射性廃棄物を処分するにはガラスで固めて、臭いものには蓋をしろとばかりに、半永久的に地中深く埋めておく以外に手だてがない。高レベル放射性廃棄物が安全な状態になる日を待つことは、弥勒菩薩が下生する日を待つことに等しい。地中深く埋められているならまだしも、今回汚染されてしまった土地はどうなるのだろう。そこで人が安全に暮らせる日が来るのは、一体いつになるのだろう。

来るべき未来には、夢を持って生きていたい。しかし震災と原「パ」ツ事故は、汚れた現実として、耐えきれないほどの重さの「大きな時間」をぼくたちに背負わせた。

この重圧から逃避することもできなくもない。感覚と思考を麻痺させて、先に書いた福島原「パ」ツの設計者の上司のように「大きな時間」など非現実的な妄想だと、一笑に伏してしまえばいい。

しかしそれはぼくにはできない。以前の日常感覚へ戻ることに対する、嫌悪感のような気持ちがそうさせない。…だからだろう。ぼくが屋久島へ来ようと思い立ったのは。

早朝4時に起き、まだ暗い内にキャンプ場を後にして、荒川登山口へ。「パ」ートナーと二人で原生の森の山道をいざ、出発。
夜が明ける。天から降り注ぐ朝日が森を目覚めさせる。
澄んだ緑色の光が網膜に染み入り、瑞々しい空気が肺に流れ込んでくる。
ぼくたちは時々渓谷の水で喉を潤しながら、ひたすら森の奥へと進んだ。
5時間ほど歩いた頃だろうか。辺りを霧が包みはじめたかと思うと、微細な水蒸気の粒は雨のしずくへと変わっていった。億単位を数えるであろう雨のしずくが、葉を、枝を、岩を、苔を、一斉に打つと、音の粒が生まれ、森を満たすそのコーラスの中を、千年以上の時間を生きてきた巨木たちが、悠然とそびえ立っていた。

「あらゆる存在をつらぬいてひとつの空間,リルケが世界内部空間と呼んだ不可視の空間があり,樹は,その存在を人間に予感させる唯一のものである」武満徹

ここは生と死が環を描いて出会うところなのだ。過去と未来が環を描いて出会うところなのだ。山を辿ることは、まるで未来の記憶を辿っているかのようだった。ぼくは自由になった。ほとんど動物のようになった。何時間も険しい山道を歩き続けたというのに、まったく疲労を感じず、体中に力がみなぎっていた。こんな感覚は子供の頃以来である。

そして、対面した。縄文時代から生きていると言われる巨木、「縄文杉」に。
何千年もの「大きな時間」が、樹の姿をもって、ただそこに在った。震災発生以来、絶望的な現実としての「大きな時間」の中に飲み込まれていたぼくは、希望的な現実としての「大きな時間」にやっと出会うことができたのだった。

原「パ」ツが突きつけてくる「大きな時間」を右手に、目の前の縄文杉と屋久島の巨木たちが生きている「大きな時間」を左手に抱えながら、ぼくはたかが数十年の自分の命を見つめていた。

7日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:544日(±0)
終演まで:420日(-1)
終演見込み日:2012年6月27日(±0)

しかし更新が滞ったので、(6/17~24)、罰則として上演日数8日加算。
積算上演日数:552日
終演まで:428日
終演見込み日:2012年7月5日

縄文杉

Posted: 5月 4th, 2011
Categories: パ日誌
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