04/10/2011/TUE/二百三十三日目

今日から芸大の後期授業開始…、と思って大学へ出勤してみると、校舎には誰もいなかった。独り立ち尽くしながらtwitterにやり場のない思いをツイートする。

@yamakawafuyuki 早起きして横浜から取手まできたんだけど誰もいなーい!もしかして芸大の授業、来週から?しかも研究室のカギわすれた。

すると速攻で学生や先生方からツッコミのツイートが。どうやら今日は開学記念日ですべての授業が休みらしい。

仕方なく秋葉原へ今度の展覧会のための買い出しへ。その後は新大久保の焼き肉屋で催された、くるちゃんの5才の誕生会へ。飴屋さん、コロちゃん、ZAKさん夫妻、アミ君、嶺川さん、まいろ君、デバ、しー、僕、「パ」ートナーでお祝いする(あれ、あとごー君か、こうへい君もいたような…)。

くるちゃんは何を隠そうこの僕に希望というものを教えてくれた恩人なのだ。

2007年に突然、”姉”が死んで以来、僕はずっと乾いた絶望の中を生きていた。四六時中、”姉”が去った先のことばかり考えながら、僕は老人のように、ただ淡々と自分の生が終わるのを待ちながら日々を過ごしていた。そんな折りの2008年暮れ、僕は飴屋法水さんとコラボレーションする機会をいただいた。二人でやる舞台の動機付けとなったのは、僕と”姉”との物語である。そしてその舞台の稽古には、いつもくるちゃんがいた。

ある日の稽古で僕がギターを弾きながら、ストゥージーズの「Passenger」を歌いはじめると、当時3才のくるちゃんと、その舞台で共演した子役であるたくみ君の弟のとも君が、僕の周りをきゃっきゃっと手を叩きながら、とても楽しそうに踊りはじめたのだった。

それを見た瞬間、僕は変わった。過去だけでなく、未来にも顔を向けることができるようになったのである。この世から去っていく人がいれば、この世に新しくやってくる人もいる。そして自分はその間に生かされている…。自分の命が大きな円環の一点でしかなく、この絶望は希望と地続きで繋がっているという事実を教えてくれたのは、他ならぬ3才のくるちゃんだった。だからくるちゃんがこの世にやってきた日は、僕にとっても記念すべき日なのである。

僕と「パ」ートナーからは、眼球の解剖標本模型と、ナショナルジオグラフィックのDVD『森の建築家 ビーバー物語』をプレゼント。誕生会がお開きになった後も、今日の主賓、くるちゃんたっての希望により、飴屋さん宅へおじゃますることに。そして終電近くまでくるちゃんを膝に抱えながらビーバーDVD鑑賞会…。

千葉県柏市は、南部クリーンセンターの焼却炉の運転を当面休止すると発表。同センターの焼却灰からは6月、国の基準(8000Bq/kg)を超える1キロあたり7万800ベクレルもの放射性セシウムが検出されていた。放射能汚染で清掃工場が休止になったのは全国で初めてだとか。南部クリーンセンターは芸大から近いので、まったく他人ごとじゃない。

夜、徳島県北部を震源に震度3、福島県浜通りを震源に震度3。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:855(±0)
終演まで:578(-1)
終演見込み日:2013年5月3日(±0)

Posted: 10月 4th, 2011
Categories: パ日誌
Tags:
Comments: No Comments.