11/01/2011/TUE:十一日目

朝:ミックスサンド
昼:おろしハンバーグ、唐揚げ、キャベツ、ほうれん草のごま和え、みそ汁、白米
夜:サーロインステーキ、梅とわかめのサラダ、ほうれん草、コーン、ポテト、みそ汁、白米、たくあん

芸大で授業の日。

学生を指導する会話のなかで、この「パ」フォーマンスはじまってから最も「パ」裂頻度の高い地雷ワードを、またしても踏んでしまう。

この言葉だ。

【やっぱり】
1)ある事態や状況が、他と同じだったり、もとのままだったりする様子。
2)あらかじめ予期された状態と同じである様子。
3)いろいろ考えられても、あるいはさまざまないきさつがあっても、結局は最初と同じ結果となる様子。

自信を持って言おう。日本人が日々使っている「パ」が含まれた言葉の中で、最も多く口にされているのは、間違いなくこの言葉だ。

私は『「パ」日誌メント』がはじまって以来、この「やっぱり」を何とか封じ込めようと躍起になっている。「やっぱり」が日常生活の中で最も頻出する地雷ワードである以上、やっぱり、これを駆逐しないことには解放される日は永遠に来ないからだ。しかしそれでもやっぱり、この「やっぱり」はしぶとくて、ことあるごとに口癖のようにしてぽろりとこぼれ落ちてくる。ついつい「やっぱり、それって…」とか、「やっぱさぁ…」とかいった調子で話しはじめていることの何と多いことだろう。会話の中で自分の発言に説得力を持たせ、ほんの少しだけ強引に聞き手の賛同を得ようとするとき、私たちはこの「やっぱり」という副詞をほとんど感動詞のような扱いで無意識的に吐いている。恐るべし「やっぱり」。

この「やっぱり」を何とか封じ込めるための一つの手だてとして、私は「やっぱり」を捨て、同じ意味を持つ「やはり」という言葉を代わりに使おうと思った。しかし、それがどうしても上手くいかないのだ。同じ意味を持つ言葉だから代用可能だという理屈を、頭は理解しても、何故か身体は受け入れようとしてくれない。

「やはり」と声に出して言ってみる。そのとき「や」と「り」の間の「は」という音節は、まさに呼気がたてる音そのものであるかのように吐き出され、するりと気道をすりぬける。

それに対して「やっぱり」は、呼吸の真空状態と爆発状態の両方を一瞬の内に秘めている。「やっぱり」の中の小さな「っ」のことを日本語では「促音」というが、実際には「促”音”」は”音”などではなく、単語の中に現れる一瞬の真空状態のことをいう。会話の中で「っ」が現れた瞬間、話していた私の呼吸は一旦停止して、会話があったその場を無音の真空状態が支配する。そしてこの「やっぱり」において特筆すべきことは、この真空状態が「パ」という爆発によって破られることである。私が思うに「パ」という音節は究極の破裂音だ。「バ」よりもクリアで、「マ」よりも鋭く、「ピ」「プ」「ペ」「ポ」よりも開かれている。「やっぱり」と発語する過程で、この「パ」が劇的に破裂するまでのその刹那、私たちは「っ」という、単語の中の一瞬の真空に、言葉にならないありったけの想いを詰め込もうとするのだ。だからこそ「やっっっっっっっぱり」といった具合に、「や」と「ぱ」の間の真空状態が支配する時間が長ければ長いほど、その真空の持つ圧力も強くなる。そして、その圧力は言語的な意味を超え、何かしら身体的な説得力として会話の中で機能するのだ。

だからやっぱり、「やっぱり」はやめられない。
というわけで今日の結果…

地雷ワード”やっぱり”

積算上演日数:396日
終演まで:385日
終演見込み日:2012年1月31日

Posted: 1月 11th, 2011
Categories: パ日誌
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