24/04/2011/SUN/百十一日目

目が覚めると実家のベッドの上にいた。
どうやってここへ来たのかよく覚えていない。
手には切り傷。顔には打撲の跡。いつどこで怪我をしたのだろう。
しかし、自分が昨日取り返しのつかないことをしてしまったことだけは覚えていた。

蓄積された地球のプレートの歪みが限界に達して大地震が起こるように、3月11日以来私の中で少しずつ蓄積されてきた歪みがとうとう限界に達し、最悪の形で「パ」裂した。1月5日の日誌にも書いた、今までステージの上でしか露にしてこなかった破壊のエネルギーが行き場をなくし、日常生活の中で自分に向かった結果、「パ」ートナーを巻き添えにして恐怖のどん底に陥れた上、怪我まで負わせてしまったのだ。空気に絶望し、水に絶望し、土に絶望し、雨に絶望し、海に絶望し、国に絶望し、世間に絶望し、芸術にまで絶望していく中で、私に残された唯一の希望は「パ」ートナーとの未来だったというのに、それすら私は壊してしまったのだ。

五言絶句「勸酒」の井伏鱒二による有名な訳、「さよならだけが人生だ」という言葉に対して、寺山修司は「さよならだけが人生ならば、また来る春はなんだろう」と、希望の言葉で強烈なカウンターパンチを食らわせたが(寺山はボクシングファンだった)、私にとって「パ」ートナーの存在は、まさに寺山の言うこの「春」そのものだった。「パ」ートナーと出会う前の私はまるで灰色の燃えかすのようで、すっかり人生を生き尽くした気になっていた。そんな私に希望のカウンターパンチを喰らわせ、もう一度人生を生き直すことに本気にさせたのは他ならぬ彼女だった。

しかし今やすべてが終わったと思った。
途方に暮れているうちに、夕方になった。
ふいに電話が鳴る。

「パ」ートナーだった。

私は自分のしたことを詫びる以外、何も言うことができなかった。お互い無言の状態が続く。
どれくらい無言の状態が続いただろうか。「パ」ートナーがこう切り出した。

「あなたに罰を与えます。二子玉川にいるからすぐ来て。」

言われるがままに車で駆けつける。「パ」ートナーは憔悴しきった私を少し睨んで溜め息をつくと、ジュエリーショップへ連れて行くようにといった。

店にいくと、ガラスケースの中でずっと私たちを待っていたかのようにそれはあった。
七つの黒ダイヤで構成された十字架のネックレス。
「パ」ートナーは私にそれを買わせた。
その場で首にかけてやると、とてもよく似合った。

二人で店を出て歩き出す。すると「パ」ートナーは急に立ち止まって、私にこう言ったのだった。

「あなたは自分がとても強いエネルギーを持っていることをちゃんと知りなさい。そしてそのエネルギーが人々に大きな影響を与えてしまうことも自覚しなさい。エネルギーにはそもそも善も悪もありません。その現れ方が問題なのです。だから絶対に自分のエネルギーを悪い形で表さないこと。その強いエネルギーを善い形で表すのがあなたに与えられた仕事です。このことを約束できるなら昨日のことは許します。私はこのネックレスを今日から死ぬまでずっと首にかけ続けます。この黒ダイヤの十字架が、私との約束を破らないか、いつもあなたを見ています。」

「罰」とはこのことだったのか。
かくして私は黒ダイヤの十字架に、ずっと監視されることとなった。

福島で震度4。茨城で震度3。

今日は完封。

しかし、更新が一日滞ったため(6/8)、罰則として上演期間一日延長。

ここまでの成績…
積算上演日数:539日(+1)
終演まで:425日(±0)
終演見込み日:2012年6月22日(+1)

Posted: 4月 24th, 2011
Categories: パ日誌
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