11/03/2012/SUN/四百三十六日目

午後2時46分、「パ」ートナーと共に黙祷。

1000年に一度と言われる地震がおきてから1年が経ちました。僕らは今、危ういバランスの上に取り戻された「日常」に生きています。今も東北地方では家を失った多くの人が、仮設住宅で避難生活を送っています。
以前は自分の生きる「日常」がずっと続くものだとただ何となく信じていましたが、今ではこの「日常」がかりそめのものであると思わずにはいられません。
この一年、僕は自分の生活を衣食住の根本から見直し、今まで自分がないがしろにしてきた小さなことを取り戻そうと努めてきました。一方で、自らの肉体から意識だけ離脱して、どこか別の場所から、この世界を動かす大きな循環の全貌を眺めたいという欲望にかられています。

ふと、今日からこの「パ」日誌を、あなたに宛てて書こうと思いました。
亡くなった人へ宛てた言葉のことを弔辞といいますが、まだ存在しないあなたへと宛てた、このような言葉のことを何と呼べばよいか分かりません。
実際に僕はこの日誌を、2012年3月11日からだいぶ遅れて書いていますから、現在から過去に遡って、現在を飛び超えた未来に宛てて書いていることになります。哲学者であり聖人であるアウグスティヌスという人はこう言ったそうです。「過去とは、もはやないものである」。「未来とは、まだないものである」。果たして本当に実在するのは「現在」だけであり、「過去」も「未来」も主観的な幻影に過ぎないのでしょうか。
いずれにしても、いつ崩れ去ってしまうかも分からない、かりそめの日常に生きながら、未来像を描くのはとても困難なことです。現在を生きるすべての人がその困難に直面しています。その困難を引き受けながら、僕は未だ存在しないあなたへ現在から言葉を送ります。言葉というのは書かれた瞬間から過去のものになりますが、読み返されるたびに現在に蘇る不思議な力を持っています。あなたが読み返すことで、この言葉が未来に蘇ることを夢想しながら、僕は今、2011年に製造されたコンピューターのキーボードを打っています。

今日は夕方から多摩美の教え子たちの卒業制作展を観に出かけました。身支度をして「パ」ートナーに出かけてくるよと告げて家を出ようとした時、彼女が言いました。

「パ」ートナー:「そんなお洒落して何処行くの?」
僕:「え?多摩美の卒業制作展だよ」
「パ」ートナー:「怪しい!」

今日僕が選んだのは、ワインレッドとベージュと蛍光緑がまだら模様になったコーデュロイのカジュアル・スーツでした。確かに僕が持っているスーツの中で最も派手なものです。やはり学生たちが卒業するわけですからおめでたい場ですし、昨年の卒業制作展は震災のため中止になったので、今年は無事展覧会を開くことできたことを嬉しく思う気持ちもあり、華やかなものを選んだのですが、どうやら「パ」ートナーには僕が急に色気づいたように見えたようです。

「パ」ートナー:「私と出かけるときにそんなお洒落しないじゃない!」
僕:「えっ、だってこの間、一緒に近所のスパゲッティー屋行ったときこれ着てこうとしたら、派手すぎるからやめろって言ったじゃん…」

地雷ワード、「スパゲッティー屋」、パ裂。しかし「パ」ートナーはそんなことおかまいなし。

「パ」ートナー:「だって地元のレストランには、どう考えても派手すぎでしょ!その服!」
僕:「わかったよ…じゃあ着替えてくるから」
「パ」ートナー:「着替えなくていいよ!学生たちの展示なんでしょ!遅れたら可哀想でしょ!」

あなたが男であるのか、女であるのか、今はまだ分かりませんが、女心というのはなかなか厄介なものですね。「パ」日誌が滞りがちになる一つの原因として、実は日常茶飯事に起こる「パ」ートナーとの些細な諍いが挙げられるのですが、またこのことについてはいずれ書きます。あなたの時代でもまだ『トムとジェリー』というアメリカのアニメは忘れられていないでしょうか。「ケンカするほど仲がいい」という言葉は、どうやら僕らにぴったり当てはまるようです。

夕方、十勝地方中部を震源に震度3。

Posted: 3月 11th, 2012
Categories: パ日誌
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