12/01/2011/WED:十二日目

昼:ビビンバ
夜:トマト鍋、玄米ご飯

私は多摩美大で週に一コマ、講義を担当している。履修者は330名を数え、大学でも一番大きな講堂で開講される講義なのだが、こともあろうか、授業名を『パフォーミング・アーツ論』というのだ。むろん、これは私が決めた講義名ではない。

『パフォーミング・アーツ論』は、「パ」フォーマンスについての講義にも関わらず、今年から担当教員が一切「パ」と口にできないという奇天烈な講義になってしまった。そんなことで果たして今後授業が成立するのかどうか、かく言う私も甚だ疑問だが、とにかく今日は年が「パ」けて初めての『パフォーミング・アーツ論』開講の日だった。

まず授業の最初の時点で、スクリーンに「パ」の字を大写しにしながらアナウンスする。

「えー、あけましておめでとうございます。昨年最後の授業でも話しましたが、僕は今年からこの音を言えなくなってしまいました。ただ、それではこの講義の名前すら言えなくなってしまうので、この授業ではこの音のことを”ハ”に○がついている音ということから、「ハマル」と発音したいと思います。ですから、この講義の名前は今後”ハマルフォーミング・アーツ論”と言うことになります。」

大講堂を微妙な空気が漂う。これだけの人数の人間が同時に苦笑する現場に私は初めて立ち会ったと思った。しかし私がこのような弁解をすることそのものが、『「パ」日誌メント』における「パ」フォーマンスなのだろう。そして「パ」フォーマンスというものが、何か”特別な時間と空気”を創りだすものならば、今まさにここにある微妙な空気こそが、『「パ」日誌メント』におけるその”特別な時間と空気”にあたるのだろう。

私にとっては教壇も舞台も変わらない。だから『パフォーミング・アーツ論』では、基本的な教養を押さえつつ、私自身や学生たちによるの実演も積極的に盛り込んでいる。小難しいことを語るより、そっちの方がずっと面白い。そして今日は学生たちが自らの「パ」フォーマンスを発表する機会を設けたのだった。

「今日は学生によるハマルフォーマンスの上演を二つ予定しています。ただちょっと準備が必要になるので、今から10分間準備をさせてください。今から10分後というと…えーっと、10時58分ですね。10時58分から、パフォーマンスをはじめたいと思いま…あぁっー!言っちゃった!」

地雷ワード1、”パフォーマンス”、パ裂。

大講堂の教壇で空しく頭を抱える私。ざわつく学生たち。

「す、すいません…。早速言ってしまった…。」

何とか平静を取り戻そうとする。

そうだ、そうなのだ。これこそが『「パ」日誌メント』における「パ」フォーマンスなのだ。私の失敗に歪んだ顔や、嘆く声そのものが、この「パ」フォーマンスの最大の見どころなのだろう。それに対して与えられたこの大講堂でのざわめきは、大ホールで上演された舞台における喝采にあたるのだろう。つまり私が失敗することによって、この「パ」フォーマンスは成功する。この「パ」フォーマンスが持つ本質的な「パ」ラドクスに、私は年が「パ」けてから初めて気がついた…。主よ、何故私をお見捨てになったのですか?。何故このような”Punishment”を私にお与えになるのですか?。

そして、予告した10時58分。学生たちの「パ」フォーマンスの上演が開始された。二つとも非常にクオリティの高い「パ」フォーマンスで、私は授業であることを忘れて楽しんだ。各「パ」フォーマンス終演後は私から簡単な講評を述べる。講評の最中も先の失敗を繰り返さぬよう、「ハマルフォーマンス…、ハマルフォーマンス…」と常に頭の中でこの言葉を意識しながら発言する。なんとも心地の悪い響きだが、それでも繰り返し「ハマルフォーマンス」と言い続けている内に、私ばかりか講評で対話している学生の方まで「パ」と言ってしまうことに慎重になり、つられて「ハマルフォーマンス」という言葉を使いはじめるから不思議だ。

しかし、この時私は「ハマルフォーマンス」という言葉に執心し過ぎていた。”「パ」フォーマンス”という地雷ワードを踏まないことにとらわれて、昨日の日誌で書いた、あの地雷ワードへの予防線がおろそかになっていたのである。

出た、地雷ワード、”やっぱり”

しかも、この授業内で3回もである。

そして授業終了後、教員室で佐々木先生と世話話をしているときに駄目押しの4回目。

地雷ワード、”やっぱり”、痛恨の4連”パ”つ。

今日はこれだけでなく、多摩美での『パフォーミング・アーツ論』終了後、女子美へ出向いて特別講義をすることになっていた。しかしあまりの自分の体たらくに、果たして女子美できちんと講義ができるのか不安だった。女子美は女子大なので当然学生は全員女子である。大学の敷地内では、”男”であるというだけで特異な存在なのに、私はそれに輪をかけて”「パ」と言えない男”なのだ。

多摩美での授業と同じく、私はまず最初に「パ」の字をスクリーンに大写して、一切「パ」と口にすることができなことの弁解…いや、この『「パ」日誌メント』の作品解説からはじめた。しかし何故だか分からないが、この時の私は多摩美のときとは打って変わって、「ハマルフォーマンス」という言葉にとらわれすぎることなく、落ち着いて「パ」を避けられていた。「やっぱり」への予防線もちゃんと張れていた。それだけでなく、伝えたいことを説明するのに最も適した言葉を、瞬間、瞬間でリアルタイムに推敲できていた。この時脳内では「パ」に対しての慎重さが、言葉に対する思慮深さへと上手く繋がっていたのだと思う。この感じ、この感じである。この感じを自分が発語するときの基本的な状態として習得すれば、私の未来は明るいだろう。こうして女子美での講義は一度も地雷を踏まずに終えることができた。

特別講義終了後、講義を受けていた学生と同じバスに乗り合わせた。その学生はつい最近までフィンランドに留学していたとのことである。バスの車内を暖める暖房が気だるくも心地良く、ついぼーっとしながら話していたそのとき、今日最後の地雷ワードを踏んでしまった。

地雷ワード”ヨーロッパ”

ここまでで計6回の”パ”裂。

今日は1月2日に並んで『「パ」日誌メント』始まって以来の最多”パ”裂記録だった。終演見込み日も2012年の2月に食い込んだ。

というわけで今日の結果…

積算上演日数:402日
終演まで:390日
終演見込み日:2012年2月6日

Posted: 1月 12th, 2011
Categories: パ日誌
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