News for 1月 2012

31/01/2012/TUE/三百九十六日目

『金閣寺』東京公演五日目。

終演後、赤坂の劇場近くに住んでいる友人宅でご飯会。

帰宅するとちび太が肩に乗ってほおずりしてきた。

今日は完封。

Posted: 1月 31st, 2012
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30/01/2012/MON/三百九十五日目

『金閣寺』東京公演四日目。

SNOW Contemporaryの石水さんによれば、本日の『金閣寺』には僕の「パ」の買い主が、観劇にいらしたそうである。

劇は各役者が主人公、溝口のモノローグを代わる代わる読み上げる朗読劇のようなプロローグとともにスタートする。「金閣の象徴」という役を与えられている僕は劇中、一切人間の言葉を話さないのだが、このプロローグではたった二回だけ台詞を与えられていた。もちろん僕はこの『「パ」日誌メント』という「パ」フォーマンスを、舞台『金閣寺』の上演中も継続しているので、「パ」という音節を口にすることはできない。しかし2011年1月6日の日誌にも記した通り、当初僕に与えられた台詞には、「パ」という音節が事もあろうか二つも含まれていたのだった。こんな具合に…。

一般の人は、自由に言葉を操ることによって、内界と外界との間の扉を開けっぱなしにしておくことができるのに、私にはそれがどうしてもできない。

この「一般」という言葉も「開けっぱなし」という言葉も、そもそも原作である小説『金閣寺』にそのように記されていることに由来する。言うなれば三島由紀夫が「パ」裂を迫っているというわけである。しかし僕は悩んだ末に、昨年の初演の段階で、演出の宮本亜門さんに事情を説明し、無理を承知で下記のように台本を修正させていただいたのだった。

普通の人は、自由に言葉を操ることによって、内界と外界との間の扉を開け放しておくことができるのに、私にはそれがどうしてもできない。

今日、客席のどこかに座っていた僕の「パ」の買い主は、自分がこの劇から二つの「パ」の音を奪っていたことに気付いてくれたであろうか。

そして金閣が燃やされるラストシーン。「パ」の買い主が観劇にきてくださったので力が入ったのか、絶叫しながらセットから飛び降りる瞬間に僕は気を失って着地に失敗してしまった。幸い大事には至らなかったが、右手薬指を負傷し紫色に腫れ上がる。

未明、宮崎県日向灘を震源に震度4。
今日は完封。14日連続。

Posted: 1月 30th, 2012
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29/01/2012/SUN/三百九十四日目

『金閣寺』東京公演三日目。

帰宅後、ふと気づくと止まり木にとまったちび太が、こちらに背を向けたまま鳥のさえずりらしからぬ声で何やらごにょごにょと独り言を言っている。人間の言葉を話しはじめる前兆だろうか?

夕方、また山梨県東部・富士五湖を震源に震度4。富士山が揺れている。
今日は完封。

Posted: 1月 29th, 2012
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28/01/2012/SAT/三百九十三日目

朝、山梨県・富士五湖を震源に震度5弱。富士山の噴火が近いのだろうかと不安になる。

今日は赤坂ACTシアターで『金閣寺』東京公演二日目。マチネとソワレ2公演。

劇場に隣接する赤坂BLITZでは七尾旅人さん主催の即興演奏イベント『百人組手』が開催されていた。大友良英さんや飴屋さんも出演されるとのことだったので、皆さんに会いたくなって、自分の舞台を終えてから、図々しいことを承知でふらっとBLITZの楽屋にお邪魔してみた。血だらけの手で抜け殻のようになっている飴屋さん、ほくほく顔の大友さん、コロちゃん、くるちゃん、サイコシスメンバー、旅人さん。楽屋の隅には赤く染まった白い傘と百合の花。皆さんの演奏は観られなかったけれど、何か特別なことが終わった後の、たくさんの良い顔を見られて僕もハッピーに。帰り際に、くるちゃんが蜂の絵をプレゼントしてくれた。

家に帰ると、ちび太がよく鳴くようになっていた。鳴くたびにこちらも声をあげて大げさに反応してやると、さらに元気よく鳴いてくれる。どうやらウケているのが嬉しいらしい。

朝は山梨での地震の他にも、岩手県沖を震源に震度4。昼すぎ、茨城県沖を震源に震度4。夜、岩手県沖を震源に震度3。
今日は完封。

Posted: 1月 28th, 2012
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27/01/2012/FRI/三百九十二日目

赤坂ACTシアターで『金閣寺』東京公演初日。

母よりメールが届く。

・・・・・・・・・・
元気ですか。○○ちゃん(「パ」ートナー)も変わりありませんか。
今日は初日ですね。
○○ちゃんは見にいきますか。
もし行くなら私も行きたいと思っていますが一万円は勿体無いかしらと思案中です。
切符は何時までにもうしこめば間に合いますか。  沖縄旅行もあるし考えています。
先日ジムで自転車漕ぎしながらTVみてたら宮本亜門さんが黒柳徹子と対談していて画面に森田君と冬樹が映っていましたよ。
君の方が主役に見えたのは親ばかかしら。
では舞台楽しんでください。

・・・・・・・・・・

舞台が終わって、キャストやスタッフの皆さんと初日乾杯。

帰宅後、ちび太にホーメイを歌い、口琴を演奏してやると、首をかしげながら聴き入っていた。
餌はよく食べるものの、未だにくしゃみ、鼻水、フン切れの悪さは改善されず。

昼、千葉県東方沖を震源に震度3。
今日は完封。

Posted: 1月 27th, 2012
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26/01/2012/THU/三百九十一日目

赤坂ACTシアターで『金閣寺』の場当たり稽古とゲネプロ。

劇場にいる間も、逐一、「パ」ートナーからインコに関する報告メールが入ってくる。肝心のインコの名前だが、二人のやりとりの中でいつの間にか「ちび太」という呼び名が定着してしまった。いろいろ洒落た名前の案も出ていたのだが、そのちっちゃなからだにも、1,980円という手頃な金額にも、「ちび太」という素朴な名前が似つかわしい。

早朝、宮城県沖を震源に震度4。
今日は完封。

Posted: 1月 26th, 2012
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25/01/2012/WED/三百九十日目

インコの体調が心配なので、昼間はつきっきりで面倒をみる。

我が家に来て二日目。だんだん環境に慣れてきたのか、手から餌を食べてくれた。買ってやったおもちゃには見向きもせず。ひもをくちばしで遊ぶのが好きなようである。微動だにしなかった昨日に比べれば、少し元気が出て来た様子だが、相変わらずくしゃみ、鼻水、フン切れの悪さは治らない。

夜はどうしても観たかったシャルルマーニュ・パレスタインのライブへ。帰宅後、鳥かごの置き場所のことで「パ」ートナーと大喧嘩。

今日は完封。

Posted: 1月 25th, 2012
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24/01/2012/TUE/三百八十九日目

朝、起きて窓の外をみると、家の周りは一面の銀世界にだった。

昨日、1,980円で買ったセキセイインコ。自宅で飼い始めてみたものの、あまり元気がなく、じっとしたままほとんど動かない。鼻水が出ていてくしゃみをよくするし、フン切れが悪くお尻にフンがくっついたままで心配だ。

僕は芸大へ出勤しなければならなかったので、代わりに「パ」ートナーが購入先のペットショップに併設する動物病院へ連れていった。結局、不調の原因はわからず。元気な個体と交換してくれるとのことだが、一度引き受けた命である。どんな病気だろうと最後まで面倒みなくては。

昨晩の大雪のせいで都内は大渋滞。高速道路は事故や通行止めが相次いでおり、なんと大学まで5時間半もかかってしまった。

夜は渋谷でクボタオフィスのメンバーとミーティング。

夕方、福島県沖を震源に震度3。
今日は完封。

Posted: 1月 24th, 2012
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23/01/2012/MON/三百八十八日目

昨晩から「パ」ートナーがどうしてもインコを飼いたいのだとしつこくせがんでくる。気まぐれで言ってるのかと思いきや本気でリサーチしたらしく、説得力のあるプレゼンをされたので、遂に僕も折れて、午前中、二人でペットショップへ行ってみることにした。声を扱うアーティストとしては、以前から鳥におしゃべりを仕込むことには興味があったのだが、なんでもインコは「パ」行の音が好きなのだとか。だから最初に「パ」行ではじまる言葉を憶えさせると良いらしい。なんと厄介で魅力的な鳥だろう。

ペットショップのインコ売り場へ行くと、店に出されたセキセイインコの雛の群れは、狂気的なまでにハイテンションで騒がしかった。そんな中、止まり木に登るたびに仲間に蹴落とされたり、羽ではたき落とされてばかりいる鈍臭い雛がいる。からだは一回り小さいが、セキセイインコ特有の黒い縞模様が一切みられないその黄緑色の羽は、熟れる前のレモンのように美しかった。「パ」ートナーと私は迷わずその仔に決めた。

セキセイインコの中雛、一羽、1,980円ナリ。安い。

飼育するには当然、飼育用具も合わせて買わなければならない。まずは鳥カゴ、3,000円ナリ。冬場はやはりヒーターもいるだろう。小鳥用ヒーター、4,200円ナリ。インコは遊び好きらしく、カゴにおもちゃを入れてやるといいらしい。小鳥用オモチャ、合計2,470円ナリ。飼育用具のどれもがインコの命より高くつくとは。

インコと「パ」ートナーを家に送り届けて、僕は芸大へ出勤。

夜になると雪が降り始めた。ぼたん雪が降りしきる中、車で帰宅。

朝、宮城県沖を震源に震度3。夜、福島県沖を震源に震度5弱。
今日は完封。

Posted: 1月 23rd, 2012
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22/01/2012/SUN/三百八十七日目

『金閣寺』大阪公演最終日。終演後、新幹線で帰京。

帰宅してメールをチェックすると、昨日高速バスの発着所で目が合った娘さんからメールが届いていた。
ご本人の承諾を得た上で、ここにそのメール本文と、それに宛てた僕の返信を掲載する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
山川様

今回はじめてメールを

させていただきました。

覚えておられるかはわかりません。

昨日、金閣寺夜公演後に

阪急ホテル前で『お疲れ様です』の

言葉しか掛けられなかったのですが

赤色で白のドット柄のハーフコートを着てた者です。

その後に夜行バスの待合室で

私が高知へ帰るバスを待っていた時にも

お会いしましたがあまりにも突然

再びお会いできるとは思わず

ビックリしすぎて言葉が出てこず

話しかけることもできませんでしたが

同じ日に2度もあんなに間近で

お目にかかれてとても光栄でした。

しかし何か失礼な言動・行動を

とったのではないかと

いま自宅で思い返しています。

ずっと今日は一日中

そのことが気にかかり

メールをしました。

また機会があれば観劇など

させていただきたいと思います。

それでは失礼しました。

○○○○より

・・・・・・・・・・・・・・・・・
○○○○様

ホテルの前でお会いしたのは失礼ながら覚えていないのですが、バスの発着所で目があった方がいたのはよく覚えています。
高知からいらしてたんですね。遠いところありがとうございます。

あの日は終演後、何となく夜の大阪の街をふらふらと散歩していました。変な話ですが、僕は高速バスの発着所が好きなんです。そこに停まっているバスに飛び乗れば、日本のどこか知らない遠くの街へと行けるんだと、想像を膨らますのが楽しくて。

それで発着の電光掲示板を眺めていたところ、ふと振り返ると、随分と目をまん丸くした派手なコートを着た娘さんがいたので、『金閣寺』のお客さんかな、と思いました。

高知はいつか行ってみたいと思っている場所の一つです。絵金祭りで絵金の屏風絵を拝むのが夢です。

ちなみに失礼なことなど全くないので、どうかお気になさらずに。

山川冬樹

・・・・・・・・・・・・・・・・・

茨木県を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 1月 22nd, 2012
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21/01/2012/SAT/三百八十六日目

『金閣寺』大阪公演、三日目。マチネとソワレの二公演。

公演終了後、一旦ホテルに戻るが、何だかそのまま寝る気になれず外に散歩に出る。風を浴び、雑踏に耳を澄ましながら、夜の梅田の街を一人で徘徊。どれくらい歩いただろうか。僕は引き寄せられるようにして夜行バスの発着所に来ていた。此処ではない何処かへ出発しようとする人たちが、無言で集う待合室。僕はバスダイヤの表示されている電光掲示板を眺めた。ここから日本の何処か知らない場所へ行くことを想像する…。舞台『金閣寺』で溝口が柏木に借りた金で日本海を見に行くシーンがあるが、そのシーンに影響されたのだろうか、僕は無性にどこか遠くの海へ行きたくなったのだった。ふと振り返ると、赤い外套を着た娘さんと目があった。

今日は完封。

Posted: 1月 21st, 2012
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20/01/2012/FRI/三百八十五日目

『金閣寺』大阪公演、二日目。
本番は夜からだったので、ホテルでよーく休む。
今日は完封。

Posted: 1月 20th, 2012
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19/01/2012/THU/三百八十四日目

舞台『金閣寺』。
昼、ゲネプロ。夜、公演初日。
終演後は初日乾杯。

今日は完封。千葉県沖を震源に震度3。

Posted: 1月 19th, 2012
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18/01/2012/WED/三百八十三日目

『金閣寺』大阪公演、舞台稽古。
稽古終了後は、キャストの皆さんと水炊きで食事会。どういうわけか「ネクター」の話題になり、その定義について熱く議論が交わされた。

昼、福島県浜通りを震源に震度3。夕方宮城県沖を震源に震度3。夜、福島県浜通りを震源に震度3。

今日は完封。

Posted: 1月 18th, 2012
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17/01/2012/TUE/三百八十二日目

『金閣寺』大阪での再演のため、キャスト揃って新幹線で移動する。今回も昨年3月と同じ梅田芸術劇場での上演である。大阪に着いてまずは、また昨年と同じホテル阪急インターナショナルにチェックイン。

チェックインを済ませ、ホテルの部屋に入った瞬間、昨年の3月11日午後2時46分に戻ってきたかのような錯覚にとらわれた。昨年泊まったのが何号室だったか正確には憶えていないので、もしかしたら別の部屋だったかもしれない。しかし部屋の間取りも、窓からの景色も、用意されたバスローブの肌触りも、枕の柔らかさも、天井の色も、津波の映像を映し出したテレビも、何もかも昨年と同じで、あの時のことがまざまざと蘇ってきたのである。

ホテルを出て劇場に入ると楽屋も昨年と同じだった。引き戸を開けるときの手応え、化粧台の照明の感じ、椅子の座り心地もすべて変わらなかった。部屋の角にはテレビが設置されている。原「パ」ツが爆発する様子を最初に見せられたのはこのテレビだった。

舞台へ上がる。当然、そこには昨年と同じ舞台セットが組まれている。そしてこのセットでまた昨年と同じ物語が繰り広げられるというわけだ。

こうも何もかもが同じだと、否応無しにすべての感覚がフラッシュバックしてくる。僕は揺さぶられ、何だか苦しくなり、自分が何年の何月何日に生きているのかわからなくなってしまった。実際のところ大阪は震度3だったので、体感した揺れの大きさ自体は大したことはない。しかしあの揺れは、自分が自覚しているよりもずっとひどく、この心の深い部分に火傷のような跡を残しているようだ。

昼、茨城県沖を震源に震度3。今日は完封。

Posted: 1月 17th, 2012
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16/01/2012/MON/三百八十一日目

芸大で授業。
実家の母が精神的に不安定で少し心配。

今日は完封。

Posted: 1月 16th, 2012
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15/01/2012/SUN/三百八十日目

東京芸術大学先端芸術表現科の卒業制作展を締めくくるイベントとして、学生たちがシンポジウムを企画した。登壇者は、高山登氏、八谷和彦氏、鈴木理策氏、イルコモンズ氏、大友良英氏、高嶺格氏、そして僕の7名。シンポジウムの概要は下記の通り。

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『10 MONTH AFTER 3.11』
日時:2012年1月15日(日) 14:00~16:30
会場:BankART STUDIO NYK イベントスペース
出演者:高山登(美術家)、八谷和彦(メディア・アーティスト)、鈴木理策(写真家)
イルコモンズ(現代美術家)、大友良英(音楽家)、高嶺格(美術家、演出家)、山川冬樹(ホーメイ歌手、アーティスト)
2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故以降、表現活動に携わる人々がそれぞれの方法、姿勢を持ってこの出来事に向き合ってきました。3.11からおよそ10ヶ月となる本展覧会に、第一線でご活躍されるゲストをお招きし、ラウンドテーブルトーク形式でシンポジウムを開催致します。3.11以降、多様な経験や活動が生まれる中で、これまでに学んだことやこれからの表現活動について共有する場にしたいと考えております。また、ご登壇頂くゲストの方々を中心に同主旨のご寄稿を頂き、本展覧会カタログの付録として発行致します。

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トークの中で、「分断線」ということについて話が及んだとき、僕は壇上で隣の席に座っている高嶺格さんの作品のことを思い出した。思い返せば、震災直後、ずっと家で悶々として引きこもり状態にだった僕に、外出してみようというモチベーションを与えてくれたのが、当時横浜美術館で開催されていた高嶺さんの展覧会『とおくてよくみえない』だったのだ。展覧会のどの作品もすばらしいと思ったが、震災直後の混乱する社会の中で、人と人との間に深刻な亀裂が生じていくことに傷ついていた当時の僕は『Do what you want if you want as you want』と題されたビデオインスタレーション作品にとりわけ強く心を打たれたのだった。

作品は高嶺さんがイスラエルに滞在中、ある「友人」を訪ねた時のインタビュー映像によって構成されている。アクティビストである「友人」は、その目で目撃したパレスチナでのイスラエル軍による非道ぶりを訴えかける。その口ぶりには熱く、話を聞く高嶺さんに政治的態度を明確するよう迫っているかのようだった。しかしその訴えに対して、ただ戸惑いぎみに相槌を打つ高嶺さん。作品にはこんなテキストが添えられていた。

「このビデオに登場している女性は、僕の『友人』です。いや本当はそうではなかったかもしれない。…このあと、彼女は僕の『友人』ではなくなった。それは、僕が阿呆な相づちを打つことしかしなかったからです。」

そして作品は観客に「僕はそのときどうすべきだったのか?」と問いかける。政治的な立ち位置の違いが「友人」との間の分断線を露にしてしまうという現実。そして震災後の日本に生きる今の僕らも、まったく同じような現実に傷ついている…、そう思った僕は、シンポジウムの中で、高嶺さんに『Do what you want if you want as you want』について聞いてみたくなってマイクをとった。

僕:「震災後に、作品らしい作品を観たの、高嶺さんの作品が最初で…横浜美術館の展覧会だったんですよ…。で、それで作品名忘れちゃったんですけど…、(展覧会場の)角の方に、えーとあれ…、パレスチナの…あっ、言っちゃった…」

地雷ワード、「パレスチナ」、パ裂。
ちなみに「パレスチナ」でのパ裂は、『「パ」日誌メント』開演以来、二度目。
夜、宮城県沖を震源に震度3。

また、このシンポジウムへの参加に伴い、学生たちから震災と表現活動というテーマで、卒業制作カタログへ寄稿を求められた。卒業制作カタログは既に完売とのことなので、以下に寄稿した文章を記しておきたい。

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電気の絆~Of Electricity Bondage』山川冬樹

毎年年末に発表される恒例の「今年の漢字」。2011年は「絆」に決まったとか。「今年の漢字」は日本全国より公募によって決められるそうで、それだけ多くの人がこの「絆」という字を2011年を象徴する文字として選んだということなのでしょう。しかしきっとこの文字に違和感を覚えてしまったのは僕だけではないはずです。確かに大きな危機に直面したとき、家族や友人といった身内同士の関わりあいの中に、改めて「絆」と呼ぶべき信頼関係を発見した人も多いと思います。それでも「絆」という文字に違和感を感じてしまうのは、僕らが今現在生きている世の中に目を向けたとき、その言葉とはまったく反対に、僕らは互いに分断され、そこにはかつて経験したことのないほど深い亀裂が生じている…、という実感があるからなのではないでしょうか。「絆」という文字への違和感は、そのような現実が抽象的な表象によってインスタントに美化されてしまうことへの危機感であり、実際にそこに在る「分断線」が意識されずして、希望としての「絆」だけが偏重して取り上げられることへの苛立ちなのだと思います。

しかし少し考えてみれば、わざわざ「絆」といった言葉を象徴的に持ち出さなくとも、僕らは互いに国家レベルの、具体的な「絆」で結ばれているという事実に気づくでしょう。たとえば福島で原子力発電所が爆発すると、横浜の僕の自宅が停電する…。つまりこれは(あの「計画停電」が東電による茶番だったとしても)、僕の自宅の壁に設置されたコンセントの溝の暗闇から、送電線と送電施設を辿っていけば、いずれ300キロ離れた福島の原子力発電所へ行き着くということに他なりません。

自分自身に電力を直接プラグインするようなやり方で表現活動を行ってきた僕にとって、この原発と自分とを繋ぐ具体的な「絆」は、単なる生活環境の問題ではなく自己の存在に直結した問題でした。例えば電子聴診器を使ったパフォーマンスでは、聴診器でピックアップした心臓の鼓動を白熱灯の明滅と同期させてみせるのですが、これは150Wの白熱球をいくつも使うので相当な電力を消費してしまいます。代わりにLED球を使えばだいぶ節電できるのですが、心臓の鼓動と同期するのは、やはりフィラメントが燃えることによって生じる火の光でなければならないのです。命の鼓動が、電流の波に変換され、火の明滅として視覚化される…。つまりここでは大量の電力が熱とともに蕩尽されることが、パフォーマンスでの生のエネルギーのあり方と結びついているのです。また別のパフォーマンスでは、頭蓋骨の震動を鼻骨に取り付けた骨伝導マイクでピックアップし、それをギターアンプにぶち込んで口を閉じたままホーメイを歌います。ホーメイの故郷、トゥバ共和国の伝統的なホーメイが「アコースティックギター」だとすれば、骨伝導マイクによる僕のホーメイは「エレキギター」に例えられるでしょう。つまりここでは遊牧民であるトゥバの人々が自然の中で育んできた伝統を、都市環境いおいて電気的にAmplify(増幅)し、Distort(変形)することが僕の表現上のアイデンティティとなっているのです。

さらに、取り返しのつかない事故が現実のものとなってしまった今、福島の原子力発電所からもう電気が届けられなくなった代わりに、今度は物理的にあの中に詰まっていたモノが、風にのり、水に流れ、食べ物を介して、僕らのもとへ届けられています。目に見えないそれらの物質は、今現在、僕らの血管と臓器の中を巡り、血肉となっているのです。このことを思うとき、将来的に健康に影響が出る/出ないに関わらず、僕はあのぼろぼろな水色の原発と自分とが”血縁関係”とも言える強い「絆」によって結ばれていると感じずにはいられないのです。

アーティストにとって表現活動とは、生きることと同義であると思いますが、それに加えて僕は電気を自らの命(心臓)や、アイデンティティといった自らの存在そのものと直結させて活動してきました。ですからあの事故を受けて僕の存在は大きく揺らぎました。自分の表現活動のために不可欠なエネルギーが、「絆」で結ばれた向こう側一帯に住む見知らぬ人々に、あり得ないほど大きなリスクを押し付けて作られてきたという事実と、自分がその事実にあまりに無関心だったことに愕然としました。それまでは自分が「インディペンデント」なスタンスで活動していることにささやかなプライドを持っていたのですが、実際は自分の活動が最もディペンドしたくない社会的、政治的、経済的構造に思いっきりディペンドしながら成立していたということを思い知り、打ちのめされたのでした。「Depend」とは「信頼する」という意味ですよね。つまり「信じて」「頼る」ことです。しかし僕は自分が信じていないものに依存してきたわけです。サマセット・モームの代表作『人間の絆』の原題は『Of human bondage』。つまり結ばれた相手を信じることができなければ、「絆」は隷属させるための縛りになるのです。

しかしそうはいっても大量消費社会の複雑なサイクルの中に生きながら、自分が頼っているものを信じることはなかなか難しいことであるのも事実です。注意深くできるだけ信じられるものを選んでいくしかないのですが、こと地域独占体制がつづく電気事業に関しては、僕らにその選択の自由がないのが現状です。つまり、原子力によってつくられた電気にお金を払いたくないと思うなら、電気を一切使わずに生きる以外に方法がないのです。昨年6月、国連は中東各地で広がる反政府運動への政府の弾圧に対し、「インターネット接続は基本的人権である」との報告書を発表しましたが、それが国際的常識として通るのだとすれば、当然、それ以前にインフラとしての電力を使うことだって基本的人権であり、民主主義国家においてそのインフラは民主的に自由化されていなければなりません。しかし、僕らが生きている社会ではそういうふうになっていないのです。原子力でつくられた電気を買いたくないなら、人権を棄てるしかないのです。こんなおかしな話があっていいのでしょうか。

そんな世の中の仕組みを変えようとしてもそう簡単には変わりそうにありません。きっと長い戦いになるのでしょう。残念ながらまだまだ僕らは信じられないものに頼りながら生きていかなければならないのだと思います。しかしそんな中で、少しでもインディペンデントな個人であるために、僕は発電をはじめようと思いました。電気というものを自分の存在そのものと結びつけて活動してきた表現者として、僕はまず何より自分自身のために自らの手でダイナモを回さずにはいられなかったのです。そのちいさなダイナモの回転は、ちいさな個人による、ちいさな独立運動として、ガンジーが自立の精神を込めた、あの大いなる糸車の回転と重なりあっていくでしょう。「私たちの、私たちによる、私たちのための電力で、私たちの、私たちによる、私たちのための音楽を…」そんな歌い出しではじめられ、一切コンセントからの電源を使わず、自分たちで発電した電力だけで敢行された『発電ライブ・パフォーマンス(10月16日 @東京藝大上野校地)』は、まさにそのような独立の精神に支えられていたのでした。

お金と交換することで簡単に手に入るものを、敢えて手間ひまかけて自分で「つくる」こと。いざダイナモを回して自分の手で発電してみると、苦労してもほんのわずかな電力しかつくれないことを思い知ります。しかし、この「苦労」=「体感的コスト」に価値を見いだしていくこと…。例えばスーパーに行けばすぐに数十円でトマトやキュウリを買う事ができるわけですが、敢えてそれを手間ひまかけて自分でベランダで栽培してみる。そしてやっとできた野菜を食べてみる。自分の手でつくった野菜を食べるときの、あの格別な味わいのようなものが、とても重要なのではないでしょうか。わざわざ野菜を手間ひまかけて育てるような、「体感的コスト」を払うことが、苦労を超えて喜びとなり、その喜びが生きる上で必要不可欠なものとなったとき、僕らは本当の意味でインディペンデントになれるのではないかと思います。

Posted: 1月 15th, 2012
Categories: パ日誌
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14/01/2012/SAT/三百七十九日目

『金閣寺』の稽古がオフになったので、溜めた仕事をやっつながら、本番に向けて心身のチューニング。

昨年までは「パ」という音節を「ピャ」と訛らせて発音してきたのを、今年からは「ペ」という音節でいこうと思っていたのだが、聴感上、どうも「パ」と「ペ」の音の違いは微妙なようで、「パンツ」のことを「ペンツ」と発音しても「あっ、パンツって言った!」といった具合に、会話している相手から「パ」裂の濡れ衣を着せられる事態がしばしば起きている。「ペェァンツ」と相当「ペ」を強調しないとだめなようだ。誤解を招きそうな場面ではまだ「ピャ」も併用していった方が良さそうだ。

夜、岩手県沖を震源に震度3、宮城県沖を進言に震度3。
今日は完封。

Posted: 1月 14th, 2012
Categories: パ日誌
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13/01/2012/FRI/三百七十八日目

午前中、国民健康保険をしばらく滞納していたことを思い出し、慌てて市役所へ支払いに。
午後、『金閣寺』稽古場での稽古最終日。皆さんの芝居がどんどんよくなっている。
夜、茨城県を震源に震度3。

今日は完封。

Posted: 1月 13th, 2012
Categories: パ日誌
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12/01/2012/THU/三百七十七日目

『金閣寺』稽古。今日は稽古場にNHKの取材がはいっていた。それにもかかわらず開始時間を勘違いしていて遅刻…。

通し稽古の最中、皆の携帯電話の着信音が一斉に鳴り始めた。地震速報だ。福島県沖を震源に震度4。昨年の3月11日、『金閣寺』大阪公演のときのことが頭をよぎる。その他にも朝、茨城県沖を震源に震度3、午後、宮城県沖を震源に震度3、夜、福島県浜通りを震源に震度3の地震があった。

今日は完封。

Posted: 1月 12th, 2012
Categories: パ日誌
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11/01/2012/WED/三百七十六日目

朝、福島県沖を震源に震度3。昼、留萌地方南部を震源に震度3。

今日は多摩美で担当している講義、『「パ」フォーミング・アーツ』の今年度最後の授業。通常のレクチャー形式ではなく、学生たちによる「パ」フォーマンスの上演を行った。

仕事から帰宅後、小腹が空いたので「パ」ートナーの祖母が手作りでつくった苺ジャムをパンに塗って食す。ほっぺたが落ちそうになるような甘さと、身体に染み入るようなみずみずしさに感動。

夜、「パ」ートナーが仕事から戻り、料理に腕をふるってくれる。材料はもちろん九州の祖母の育てた食材。
そして食卓での会話…。

「パ」ートナー:「おばあちゃんのジャムたべた?」
僕:「うん、たべたよ。ちょー美味しかったよ!」
「パ」ートナー:「ジャムパンにして食べたの?」
僕:「うん、ジャムパンにして食べた」

地雷ワード、「ジャムパン」パ裂。
記念すべき2012年最初の「パ」裂…、「パ」けましておめでとうございます。

Posted: 1月 11th, 2012
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10/01/2012/TUE/三百七十五日目

芸大で年明けて最初の授業。『金閣寺』の稽古は休ませてもらった。

十日連続の完封。

Posted: 1月 10th, 2012
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09/01/2012/MON/三百七十四日目

『金閣寺』の稽古。
夜、九州の祖母がつくった食材を使って「パ」ートナーが料理に腕をふるってくれた。献立は以下の通り。

ささみチーズ揚げ しそ梅風味
手作りこんにゃくの煮物 だいだい風味
ぼたん海老の刺身
手作りのナスのぬか漬け 四年もの
手作りキムチ
手作りのイカの塩辛
サツマイモと春菊のみそ汁(手作り味噌、手作り柚子胡椒)
鯛茶漬け
玄米ご飯

美味いものを腹一杯に食べて極楽気分。そのままソファで寝てしまう。ちなみに九州名産の薬味、柚子胡椒は「パ」ートナーの祖母と祖父のものが元祖で、それをみんなが真似をするようになって広まっていったのだとか。

日付変わってすぐに和歌山を震源に震度3。深夜、千葉県沖を震源に震度3。朝、岩手県沖を震源に震度3。

九日連続の完封。

Posted: 1月 9th, 2012
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08/01/2012/SUN/三百七十三日目

『金閣寺』稽古。稽古終了後、キャスト、スタッフの方々と新年会。「そういえば「パ」ってまだ言えないんですか?」と皆に聞かれる。

「パ」ートナーが九州の祖母の家から帰ってきた。御年92歳になる「パ」ートナーの祖母は、山奥で農家をやりながら自給自足の生活を営んでいる。自然と共生しながら、生きるために必要なものは何でもつくってしまうその知恵を、「パ」ートナーは受け継ぎたいのだという。

八日連続の完封。

Posted: 1月 8th, 2012
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07/01/2012/SAT/三百七十二日目

『金閣寺』稽古。二幕おさらい。

夜、福島で震度3。
七日連続の完封。

Posted: 1月 7th, 2012
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06/01/2012/FRI/三百七十一日目

『金閣寺』稽古。一幕のおさらい。「パ」裂もなく順調。

最近スタン・ブラッケイジの映画「Dog star man」の雪山のシーンが、頭の中にしょっちゅうプロジェクションされている。本能が雪山に帰りたがっているのか。

朝、茨城で震度3。

六日連続の完封。

Posted: 1月 6th, 2012
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05/01/2012/THU/三百七十日目

『金閣寺』顔合わせ&読み合わせ稽古。
夏のニューヨーク公演ではクリクリの坊主頭だった森田さんの髪がだいぶのびていた。

「パ」ートナーはというと、九州の祖母の家に行っている。かなりの田舎なのでソフトバンクの電波が悪く、連絡とれず。

五日連続の完封。年が明けてからまだ「パ」裂なし。

Posted: 1月 5th, 2012
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04/01/2012/WED/三百六十九日目

昼、中央アルプス最南端の裾野に住む「パ」ートナーの親友の家へ遊びにいく。雪山を分け入っていくと、記憶の深い部分に触れられたような気がした。
夕方は温泉に入り、「パ」ートナーの実家で夕食をいただいた後、中央道を4時間飛ばして深夜に帰宅。
明日から『金閣寺』の舞台稽古がはじまる。

今日は完封。

Posted: 1月 4th, 2012
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03/01/2012/TUE/三百六十八日目

朝、「パ」ートナーの実家の近くの山奥にある神社へ初詣。

昼、白竜が棲むといわれる「龍神の滝」へ。水が躍動する瞬間をそのままの姿で留めたつらら群。冬山に突然珊瑚礁が現れたかと見紛うエメラルドグリーンの水を湛えた滝壺。肺いっぱいに凛とした空気を吸い込んでチルアウトする。その後、古来の町並みを残す宿場町へ足を延ばして蕎麦を堪能、またさらにチルアウト。

夜、「パ」ートナーのお父さんと晩酌。2011年6月18日付けの「パ」日誌に、以前ここにお邪魔したときの話を書いて、たいそう喜んでくださり、「パ」日誌のプリントアウトをお守りのように持ち歩いて下さっているのだが、酒に酔った勢いでその記事について二点だけ不満をいただいた。

一つ目、愛犬の名前が記されていないこと。
二つ目、カラオケを歌った行きつけのスナックの名前が記されていないこと。

というわけで、お父さんのリクエストにお応えして、ここで改めて上記二点を記しておきたい。

お父さんの愛犬、その名も「ムサシ」。6歳。パグ犬です。
お父さんの行きつけのスナック、その名も「スナック巴」。元気なママさんがいらっしゃる、地元のおじさんたちのオアシスです。

というわけで今日は完封。

Posted: 1月 3rd, 2012
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02/01/2012/MON/三百六十七日目

東京から4時間あまり車を飛ばし、早朝「パ」ートナーの実家に到着。
少し睡眠をとって起床後、お父さんの愛犬を散歩にいく。
午後、「パ」ートナー、「パ」ートナーのお母さんと近所の雪山を散策。ソクーロフの映画に迷いこんだかのような景色。
夜、温泉に入り、「パ」ートナーのお父さんと酒を飲み交わす。

今日は完封。

Posted: 1月 2nd, 2012
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01/01/2012/SUN/三百六十六日目

『「パ」日誌メント』を開始してから遂に1年が経過した。

そもそも一年契約の「パ」フォーマンスとしてスタートしたこの『「パ」日誌メント』。最初からある程度予想していたことではあるが、まだまだこの「パ」フォーマンスは終われない。

「パ」と口を滑らせる度に1日、日誌の更新が滞るたびにまた1日、上演期間が延びていく。そのたびにまるで「底無し沼」にずぶずぶと身が沈んでいくかのようである。果たしてこの「底無し沼」から逃れられる日はくるのだろうか…、そう考えると途方に暮れてしまうのだが、それでも僕はいつかくるかもしれない晴れやかな幕切れの瞬間を目指して、2012年もこの「パ」フォーマンスを続けていかなければならない。The show must go on。聴くことのできない、果てしなきヴォイス・「パ」フォーマンス、開演中。

実家にいると午後2時半ごろ大きな揺れ。東北から関東地方にかけて広範囲で震度4を観測。
これから「パ」ートナーが帰省している彼女の実家へ数時間かけて車を飛ばす。まだ今日という日は残っているが、無言で運転することになるので「パ」裂はしないだろう。というわけで今日は完封。

昨年は「パ」を「ピャ」と訛らせて「パ」裂を避けてきたが、今年は気分を変えて「ピャ」の代わりに「ペ」という音節でいきたいと思う。”ピャフォーマンス”でなく、”ペフォーマンス”。”げんぴゃつ”でなく、”げんぺつ”。”やっぴゃり”でなく、”やっぺり”といった具合に。

Posted: 1月 1st, 2012
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