03/01/2011/MON:三日目

昼:天ぷらそば、雑煮
夜:カレイの煮付け、白米、鳥五目ご飯、大豆、カボチャ、人参、インゲン豆、チャーシュー、煮卵、海藻サラダ(青じそドレッシング)、キリン一番搾り

昨日、一月二日午後のことになるが、東京都現代美術館の講堂で「落語で楽しむ現代美術」という名のイベントが催されるというので足を運んだ。現代美術と落語というと不思議な取り合わせのようにも思えるが、そもそも現代美術館のある深川地域は江戸の粋が色濃くのこる下町である。現代美術館周辺では、この地域が元来培ってきた江戸っ子気質に象徴される下町の風と、現代美術館開館以降、新たに吹き込んだアーティーな風とが遭遇して渦となり、独特な気流が生じている。”火事と喧嘩は江戸の華”…。その気流の渦は時に乱気流に発展することもあるようで、かく言う私も以前、この企画の真打、三遊亭歌司師匠に付近の飲み屋で絡まれ、ちょっとした諍いとなったことがある。結局最終的には意気投合し、師匠の寄席に行く約束をしたまま日が過ぎていたところへ、新年早々良い機会に恵まれたというわけだ。

高座に上がるなり、さらりと皮肉を言い放つ歌司師匠。立派な美術館施設をとりあげて「えー、はじめてここへお邪魔いたしましたが、東京都も随分税金の無駄遣いをしたもんですなァ」。どっと会場に笑いが起こる。その”税金の無駄遣い”という言葉の中には、美術館が私の作品「The Voice-over」をコレクションとして買い上げたことも含まれることになるのだろう。いやはや、またもや師匠に喧嘩を売られてしまった。私はそんな師匠の話芸に心底魅せられ、その活き活きとした声と言葉に──落語をこのような横文字で語る無粋を承知で言うならば、その”「パ」ロール”に──感動していた。

落語を堪能し終えて館内のカフェで一服していると、キュレーターの藪前さんから電話があり、新年の挨拶を言いに会いに来てくれた。いや、むしろ年が明けて「パ」と言えぬ私を確認したいという好奇心がそもそもの動機だったのかもしれない。年が明けてから、家族や「パ」ートナー以外で人と会話らしい会話をするのは、藪前さんが初めてである。

「あの…、例の作品のことがあるので…、言葉を選びながら、ゆっくりでしか話せないんです…。辿々しくてすいません…。」と最初に断る。まるで地雷を踏まぬようにしながら恐る恐る話す私の声が微妙な空気をつくったが、次第に会話は弾んでいった。

藪前さんによれば、年が明けてすぐに放送された『朝まで生テレビ』が面白かったそうだ。番組の中で、マスメディアに蔓延する自主規制の空気こそが日本を萎縮させているのではないかといったような内容の発言があり、それが昨年10月「あいちトリエンナーレ」で発表した舞台作品『Pneumonia』で私が問題にした、日本社会に蔓延する”肉体的、精神的、閉息感”と関連しているように思ったとのことだった。

『Pneumonia』で私は「気息」をテーマとし、現代の日本で私たちが果たしてまだ「歌」というものを必要としているのかどうかを問いかけたのだった。作品中で歌ったのは、”放送禁止歌”と呼ばれる、かつて絶対に放送にかけてはならないとされた歌々である。これは森達也監督のドキュメンタリーに詳しいのだが、”放送禁止歌”の背景を突き詰めてみると誰もその歌を禁止していなかったという事実が明らかになる。かつて民法連による『要注意歌謡曲指定制度』という制度が存在したものの、それはあくまで注意を促すガイドラインにすぎず、全く法的な拘束力を持っていなかった。つまり、”放送禁止歌”の実体は自主規制だったのである。放送にかけない方が無難だろうという空気が大きな渦になり、いつの間にか絶対的な禁圧であるかのように一人歩きしていたのだ。つまり私たちは、強大な権力に首を絞められて歌えなくさせられていたのではなく、自ら進んで閉息し、歌うことをやめていたのだ。自主規制によって萎縮し声を失っていく…。私にはこの”放送禁止歌”こそが、日本社会の息苦しさを最も象徴的に表しているように思えてならない。「歌」というものが、肉体的息吹(Pneuma)と、精神的息吹(Pneuma)の融合によって生み出されるものであるとすれば、日本社会に蔓延する自主規制の空気とは、肉体と精神両方に呼吸不全を引き起こす肺炎(Pneumonia)のウィルスのようなものである。

そんなことを考えていると、先ほどの歌司師匠の活き活きとした「パ」ロールが耳に蘇ってきた。もし先に書いた自主規制的な空気が、日本人の古くからの「ムラ社会的」なメンタリティに由来するならば、芸能者たちの「パ」ロールは、そこでどういう役割を果たして来たのだろう?私は言った…。

「うーん、あの時も飲み屋で歌司師匠に酔っ払って喧嘩売られましたけど、やっぱり昔から芸能っていうのはパンクだったんじゃないですかねぇ…」。

ふと見ると藪前さんの顔がひきつっている。
あぁ、またやってしまった…。
①酔っ払って、②やっぱり、③パンク、以上3発の地雷ワード、パ裂…。
したがってこの時点での積算上演総日数:368日+3日(賠償分)=371日。

会話はここで頓挫した。

自主規制によって萎縮し、声を失う…。それはまるっきり今の私のことではないか。
一体、私は何のためにこんなことをしているのだろう?

Posted: 1月 3rd, 2011
Categories: パ日誌
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