News for 3月 2011

31/03/2011/THU/九十日目

昼、茨城で震度3。夕方、宮城で震度5弱。

非常勤講師を勤めている芸大と多摩美の両校から、2011年度の授業を4月末開始に遅らせるとの連絡。非常勤講師は時間給での雇用のため、授業日数が減るのは痛い。自粛ムードでライブの仕事もめっきり減ってしまったし、4月はずいぶん暇になりそうだ。

4日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:530日(±0)
終演まで:440日(-1)
終演見込み日:2012年6月13日(±0)

Posted: 3月 31st, 2011
Categories: パ日誌
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30/03/2011/WED/八十九日目

朝、長野で震度3。昼、新潟で震度3。夕方、福島で震度3、茨城で震度3。夜、茨城で震度4、千葉で震度3、宮城で震度3、長野で震度3。

度重なる余震、放射能の不安、マスコミへの不信感、世間への違和感などで私も「パ」ートナーも精神的に疲弊していた。そんな時は音楽を演奏して鬱屈したものを吹き飛ばすに限る、ということで「パ」ートナーの書いた詞に私が曲をつけて歌ったり、”かごめかごめ”をサイケデリックなアレンジで演奏したり…。私がギターとホーメイ担当、「パ」ートナーが歌とピアノを担当し、夜更け過ぎまでどんちゃん騒ぎ。

千葉県松戸市で22日の水道水の放射線量が、基準値を超えていたことが今さら分かったとのニュース。水道局も信用できない。

3日連続の完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:530日(±0)
終演まで:441日(-1)
終演見込み日:2012年6月13日(±0)

Posted: 3月 30th, 2011
Categories: パ日誌
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29/03/2011/TUE/八十八日目

朝、岩手で震度3。夕方、福島で震度3。夜、福島で震度4、茨城で震度3。

度重なる余震に「パ」ートナーが地震酔いして嘔吐。看病する。

今日は完封。

以下、忘れられないニュース。

福島の野菜農家が自殺 摂取制限指示に「もうだめだ」(朝日新聞)

福島県須賀川市で24日朝、野菜農家の男性(64)が自宅の敷地内で首をつり、自ら命を絶った。福島第一原発の事故の影響で、政府が一部の福島県産野菜について「摂取制限」の指示を出した翌日だった。震災の被害に落胆しながらも、育てたキャベツの出荷に意欲をみせていたという男性。遺族は「原発に殺された」と悔しさを募らせる。

自宅は地震で母屋や納屋が壊れた。ただ、畑の約7500株のキャベツは無事で、試食も済ませ、収穫直前だった。遺族によると、男性は21日にホウレンソウなどの出荷停止措置がとられた後も「様子をみてキャベツは少しずつでも出荷しないと」と話し、納屋の修理などに取り組んでいた。

23日にキャベツの摂取制限指示が出ると、男性はむせるようなしぐさを繰り返した。「福島の野菜はもうだめだ」。男性の次男(35)は、男性のそんなつぶやきを覚えている。「今まで精魂込めて積み上げてきたものを失ったような気持ちになったのだろう」

男性は30年以上前から有機栽培にこだわり、自作の腐葉土などで土壌改良を重ねてきた。キャベツは10年近くかけて種のまき方などを工夫し、この地域では育てられなかった高品質の種類の生産にも成功。農協でも人気が高く、地元の小学校の給食に使うキャベツも一手に引き受けていた。「子どもたちが食べるものなのだから、気をつけて作らないと」。そう言って、安全な野菜づくりを誇りにしていたという。

遺書はなかったが、作業日誌は23日までつけてあった。長女(41)は「こんな状態がいつまで続くのか。これからどうなるのか。農家はみんな不安に思っている。もう父のような犠牲者を出さないでほしい」と訴える。

ここまでの成績…
積算上演日数:530日(±0)
終演まで:442日(-1)
終演見込み日:2012年6月13日(±0)

Posted: 3月 29th, 2011
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28/03/2011/MON/八十七日目

未明、栃木で震度3。朝、宮城で震度5弱、茨城で震度3。昼、秋田で震度3。夜、岩手で震度3、茨城で震度3。

福島県警の発表によると、昨日、原「パ」ツから5~6キロ地点の大熊町で「被曝した遺体」を発見したものの、放射線量が高すぎて収容を断念、その区域に置き去りにしたとのこと。

それにしても「被曝した遺体」…、なんという惨い言葉の響きだろう。
「被」り、「曝」され、「遺」された、「体」。

夜はKUBOTA KENJI ART OFFICEのみなさん、伊藤キムさんと打ち合わせ。当然ながら原「パ」ツ の話題が出るわけだが、終始「原子力発電所」という言葉で乗り切り、完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:530日(±0)
終演まで:443日(-1)
終演見込み日:2012年6月13日(±0)

Posted: 3月 28th, 2011
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27/03/2011/SUN/八十六日目

未明、茨城で震度3。早朝、福島で震度4。昼、岩手で震度3。夜、宮城で震度3、福島で震度3。

仕事がない。

じとーっとしながら、自宅を出ずにネットで情報収集。

ドイツの選挙では「緑の党」が躍進し、福島の事故を受けて各地で反原「パ」ツデモが行われ、推計25万人が参加したという。

ノートパソコンのスクリーンに映し出される情報とにらめっこしながら、思わず漏れた独り言…。

「ぜったい原発なくさなきゃ…」

地雷ワード、「原発」、「パ」裂。

人との会話では毎回「原子力発電所」という言葉を使って回避し続けていたのだが、独り言で口が滑った。

ここまでの成績…
積算上演日数:530日(+1)
終演まで:444日(±0)
終演見込み日:2012年6月13日(+1)

Posted: 3月 27th, 2011
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26/03/2011/SAT/八十五日目

未明、茨城で震度3。早朝、茨城で震度3、宮城で震度3。朝、岩手で震度3。夕方、茨城で震度3。夜、宮城で震度4。深夜、茨城で震度4、福島で震度4。

原「パ」ツ事故以来、壁に設置された小さな二本の溝の暗闇に、さまざまなものが見えるようになってきた。

今まで私は自分がインディペンデントなスタンスで活動していることにささやかなプライドを持っていた。例え得られるお金が少なくとも、何者にも縛られず、インディペンデントな立ち位置で、自由に表現活動をしていることが私にはとても価値のあることだった。しかし自分の活動で消費してきた電力が、一部の地域に住む人々にリスクを押し付ける形で作られていたということ、そしてその電力をつくる原「パ」ツが、他ならぬ冷戦の負の遺産であり、今現在もさまざまな利権が絡んでいるということ…。自分の活動がインディペンデントでもなんでもなく、ディペンドしたくないものにディペンドしながら成立していたという事実と、そのことに無自覚だった自分自身に、私は今、愕然としている。

さらに私に重くのしかかってくるのは、”エレクトリック”であることが、自分の「パ」フォーマンスにおける重要なアイデンティティとなっていたことである。例えば骨伝導マイクを使った「パ」フォーマンスでは、鼻骨に取り付けたコンタクトマイクを、真空管ギターアンプに入力し、その状態で口を閉じたままホーメイを歌い、頭蓋骨に響く振動を増幅する。本場トゥバ共和国のホーメイがアコースティックギターなら、日本の都市部で生まれた骨伝導マイクによる私のホーメイはエレキギターに例えられるだろう。ギターはあくまで楽器だが、ここで電気化されているのは楽器でなく私の身体である。
また、電子聴診器を使った「パ」フォーマンスでは、心臓の鼓動を白熱灯の明滅と同期させてみせるのだが、これは150Wの白熱球をいくつも使うので相当な電力を消費する。ならばLEDで代用して節電すれば良いといわれるかも知れないが、心臓の鼓動と同期するのは、やはり白熱球のフィラメントが燃えることによって生じる火の光でなければならないのだ。ここでは大量の電力が熱とともに消費されることが、「パ」フォーマンスで発せられるエネルギーの強さに直結しているのである。命の鼓動が、電流の波に変換され、火の明滅として視覚化される…。原「パ」ツでつくられる電力が、私の命と確かに繋がっていたことを、私はあの事故によって痛烈に思い知らされたのだった。

24日の日誌に書いた作業員の被爆が、私にとってあれほどまでに衝撃的だったのは、自分がこのように身体に直接プラグインするような形で電気を扱ってきたからだろう。これらの「パ」フォーマンスが上演されるとき、送電線と送電施設を介して私の身体と福島の原「パ」ツとは物理的に繋がっていた。だからだろう、何処の誰かも分からない作業員の被爆した足の皮膚が、自分の身体の皮膚とまるで地続きであるかのように感じられ、ヒリヒリとした痛覚まで伝染して感じられたのは。

そういう訳で、今の私は原「パ」ツでつくられた電気を使って「パ」フォーマンスすることに抵抗を感じている。確かに芸術というのは犠牲の上に成り立つものなのかも知れない。しかし自分の表現活動によって払われる犠牲の重みを、私はまだ受け止めきれないでいる。電気は私のアイデンティティであり、命であったのだ。それが誰かの身体を、誰かの生活を、誰かの故郷を破壊しているというこの因果を、いったいどう受け止めたらいいのだろう。私はこのことに自分なりに落とし前がつくまで、電力を使った「パ」フォーマンスはできないだろう。自粛しようということでも、節電しようということでもなくて、ただ個人的な感情が自らを許さないのである。

そんな折に、面白いイベントの出演依頼をいただいた。

「ザ・自家発電ナイト」 @恵比寿 TRAUMARIS

回ることで人工発電するポールダンスマシンをアーティスト・宇治野宗輝、人力発電のエキスパート・板野尚吾の技術協力により開発、夢の自給自足ライフを実現した孤高の覆面ダンサー、<メガネ>が、全出演者のために、小型アンプとラジカセをフル稼働!
身体1つで表現できるダンサーやパフォーマンスアーティスト、音楽家たちに、飛び入り参加もふくめて出演を募り、電気のありがたみとライヴの底力を<カラダをはって>伝える、美しい労働の一日に乞うご期待!

ポールダンサーの「メガネ」は以前からの知り合いなのだが、計画停電が実施され、節電が叫ばれるこのご時世にあって「自家発電」とは、実にポジティブなコンセプトだと思った。ただ「メガネ」の発電する電力はとても非力でラジカセ1個を鳴らすのが精一杯だという。前述の骨伝導マイクや、心臓の鼓動を使った「パ」フォーマンスは電力的に無理とのこと。そこで私は久しぶりにアコースティックギターを引っぱりだしてきて、弾き語りを披露することにした。ホーメイだけはマイクを通してラジカセで鳴らして拡声しながら。

しかしTRAUMARISが六本木から恵比寿へ移転してから訪れたことがなかったので、ラジカセの出せるレベルの音量が、TRAUMARISの空間で果たしてPAとして事足りるのだろうかと不安だった。そこでTRAUMARISの住吉さんに電話する。空間の広さや天井高、壁や床の材質、それから大体の集客人数が分かれば、ある程度ラジカセの音が空間でどんな風に響くか事前にイメージできるのだ。

プルルルル…プルルルル…(電話の呼び出し音)

住吉さん:「はい、もしもし」

私:「あ、もしもしー、山川です。今日よろしくお願いします」

住吉さん:「あぁ、冬樹君!よろしくー!」

私:「ところでトラウマリスの空間について伺いたいんですけど、キャパってどれくらいですかね、っていうか言っちゃった…」

地雷ワード、「キャパ」、パ裂。

ここまでの成績…
積算上演日数:529日(+1)
終演まで:444日(±0)
終演見込み日:2012年6月12日(+1)

Posted: 3月 26th, 2011
Categories: パ日誌
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25/03/2011/FRI/八十四日目

未明、宮城で震度3、茨城で震度3。夕方、福島で震度3。夜、宮城で震度4、長野で震度3。

某ファッションブランドのモデルの仕事で、朝からロケ撮影。もともと今回の撮影は福島の雪山で行われる予定だったのだが、原「パ」ツ事故を受けて、急遽新潟県南魚沼の雪山へ変更に。

そしてロケから帰宅後…

また大きな地震が来る可能性が高いので、今後はヒールの高いパンプスを履くのはやめると「パ」ートナーが言い出した。その代わりに歩きやすいスニーカーや、登山用のレインウェアを買いそろえるつもりだとか。どうやら真剣に”モード系”から”山ガール”への転身を考えているらしい。

「パ」ートナー:「ほんとは、まつ毛の手入れにサロンにも行きたいんだけど、地震が起きてから気持ち的な余裕がなくて行けないんだよねー」

私:「へぇー、まつ毛パーマってあるの?」

「パ」ートナー:「うん、あるよ。っていうか、地雷踏んでるよ。」

地雷ワード、「まつ毛パーマ」、パ裂。

ここまでの成績…
積算上演日数:528日(+1)
終演まで:444日(±0)
終演見込み日:2012年6月11日(+1)

Posted: 3月 25th, 2011
Categories: パ日誌
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24/03/2011/THU/八十三日目

朝、茨城で震度5弱。昼、茨城で震度3。夕方、岩手で震度5弱。

被爆した足が、一匹の生き物になって私に取り憑いた。

目から怒りがどろどろ溢れ出る。なぜこんなにも悔し涙が出てくるのか自分でも分からない。それは津波の被害を見て溢れてくるのとはまったく違う種類のものだった。

呪いが私の中でぎりぎりと音をたてて渦を巻く。その摩擦熱で体が火照る。自分もろともこの世界を絞め殺してやりたい。

今日は完封。

以下、作業員の被爆についての新聞記事。

福島原発3号機で作業員3人被曝 2人が病院へ搬送(朝日新聞)

電源の復旧作業が続けられている東京電力の福島第一原子力発電所3号機で24日、ケーブルの敷設をしていた男性作業員3人が被曝(ひばく)した。東電によると、水に浸っていた2人の足のひざより下に局所的な放射線障害の可能性があるとして、2人を福島市内の病院に運んだ。今回の被災事故で、局所被曝の疑いで本格治療を受けるのは初めて。この影響で3号機の一部や付近での作業が中断、復旧に向けた作業は難航している。
3人は20~30代の東電の協力会社の作業員。3号機で冷却装置の復旧に向けた作業中で、午前10時ごろから浸水したタービン建屋地下1階でケーブル敷設をしていた。
上半身につけた個人線量計の値は173~180ミリシーベルト(作業員の被曝線量の上限は250ミリシーベルト)だったが、3人のうち2人は水深15センチのところで、くるぶしまで浸っていたという。作業用の靴の上部から水が入ったらしい。水面での線量は毎時400ミリシーベルトに達しており、診断した医師は局所的な放射線障害である「ベータ線熱傷」の可能性があるとみて、福島県立医大病院(福島市)に搬送、入院した。
経済産業省原子力安全・保安院によると、2人は千葉市の放射線医学総合研究所で治療を受けることになるという。
作業現場は、前日の空間線量は毎時数ミリシーベルトだったが、この日は毎時約200ミリシーベルトになっていた。(以上)

ここまでの成績…
積算上演日数:527日(±0)
終演まで:444日(-1)
終演見込み日:2012年6月10日(±0)

Posted: 3月 24th, 2011
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23/03/2011/WED/八十二日目

早朝、千葉で震度3。朝、福島で震度5強、岩手で震度3。夕方、茨城で震度3。夜、福島で震度5強、大分で震度3、茨城で震度3。

各地の小学校、中学校、高学校、大学では卒業式典の中止が相次いでいる。

私が非常勤講師を勤める多摩美術大学でも、余震と交通機関の状況から本日予定されていた卒業式典が中止になった。3月11日に九段会館で行われた東京観光専門学校の卒業式が2名の死者と多数の重軽傷者を出したが、そのことから考えても大学側としては致し方のない判断だったのだろう。

情報デザイン学科情報芸術コースでは、中止された卒業式典の代わりに、学科の教室でささやかな学位授与式が執り行われることになった。本来、非常勤講師は卒業式や学位授与式といった式典への出席を求められない。このようなオフィシャルな式典は基本的に専任教員と学生によって執り行われるものである。しかし例え求められていなくとも、私はこの学位授与式に出向かずにいられなかった。破壊しつくされた今の世の中へ、運命的にこのタイミングで卒業していくことになった彼(女)らを見送りたかったのだと思う。

学位授与式が執り行われる教室へ着くと、助手が突然現れた私を教授たちの並びの席に通してくれた。隅の方でただ静かに式を見守って帰るつもりだったので、これには少々戸惑った。

式が始まり、60名の卒業生一人一人の名が呼ばれ、学位記が渡されていく。華々しく迎えたかったであろう卒業式がこのように縮小され、加えて四年間の集大成を世に問う卒業制作展までも中止になってしまった学生たちのやりきれなさは、察して余るものがある。私は学位記を受けとる学生一人一人をただ静かに見守った。

授与が終わると、教授が順番にマイクの前に立って卒業生たちに向けて言葉を送る。しかしこの流れで行くと、どうやら私も何か言うはめになりそうだ。これは想定外。案の定、私にもスピーチが求められ、マイクの前へ…。

「あ、すみません、ちょっと覗きに来ただけなんで、何か言うつもりで来たんじゃないんですが…」

そう言い訳して私は口ごもった。しくしくとすすり泣く声が聞こえる。葬式のような、重みのある、澄み切った空気が教室に漂っていた。胸が締め付けられる。私は続けた。

「…大丈夫、僕はここから世界は良くなっていくと信じています。今、僕らは本当に大きな変化を迎えています。これは世界を良い方向に変化させるチャンスだと思うんです。卒業したら皆さんも一人前の表現者です。だとすれば勇気をもって社会に出て、より良い変化のために表現者として何ができるのか、しぶとく考え続けてください。僕も考え続けます。僕らは未来を創る仕事を託されていると思うんです。未来はまず信じることによって創られます。信じる強度を保つ為には、やっぱり精神力だけでは限界がありますし、中途半端な知識だけでも…」
スピーチを続けながら、ここでハっとした。
結構いいこと言っていたと思うのだが、地雷ワード、「やっぱり」、「中途半端」パ裂。

学位授与式終了後、研究室で休憩していると、衝撃的なニュースが飛び込んできた。葛飾区の金町浄水場で、乳児の飲用の暫定基準値の2倍を超える、1リットルあたり210ベクレルのヨウ素が検出されたという。東京都は23区と武蔵野、町田、多摩、稲城、三鷹の各市で水道水を乳児に摂取させないよう呼びかけたらしい。ついに東京の水道水が汚染されてしまった。背筋が凍りつき、暗澹たる気分に。

夜は青山で謝恩会。水道水のことで途方に暮れて、グラスを手にしてもなかなか気が晴れなかったが、学生たちの合唱に思わず涙。歌の力を教えられ、心が救われた。その歌声は未だに耳の奥で響き続けている。

ここまでの成績…
積算上演日数:527日(+2)
終演まで:445日(+1)
終演見込み日:2012年6月10日(+2)

Posted: 3月 23rd, 2011
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22/03/2011/TUE/八十一日目

未明、岩手で震度3、茨城で震度3。朝、茨城で震度3。昼、千葉で震度4。夕方、福島で震度4、茨城で震度3。夜、三陸で震度4、福島で震度4、岩手で震度3。深夜、岩手で震度4、宮城で震度3、茨城で震度3。

状況は悪くなる一方の原「パ」ツ事故。その深刻な現実をよそに人々はまた元の日常に戻ろうとしている。

鐘が鳴らされているにもかかわらず、その鐘の音は響きわたるでもなく、何かにぶつかって反射してくるでもなく、巨大な鈍い塊に吸い込まれていくようにして音にならない。

日本人の平和ボケぶりには呆れるばかりだ、と心配と苛だちの入り交じった心境が綴られたメールが海外に住んでいる友人から届く。

私は世間を覆う空気に押し潰されそうになっていた。日常へと戻ろうとする大きな波に押し流されたくない。しかしそれでも生きていくためには仕事に戻らなければならない。不安定な世相を受けてずっと休みになっていた「パ」ートナーの仕事も、明日から再開されることになったという。

これまでずっと実家にて、母、「パ」ートナー、私の3人で避難生活を続けてきたが、いつまでもひきこもっているわけにもいかないので、そんな生活にピリオドを打ち、今日から自宅に戻ることに決めた。

今日は完封

ここまでの成績…
積算上演日数:525日(±0)
終演まで:444日(-1)
終演見込み日:2012年6月8日(±0)

Posted: 3月 22nd, 2011
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21/03/2011/MON/八十日目

早朝、福島で震度4。朝、茨城で震度3、福島で震度3。昼、岐阜で震度3、新潟で震度3、茨城で震度3。夜、熊本で震度3、茨城で震度3。

一日中、実家に引きこもり。鬱屈した気持ちが晴れない。

母が緊急時のために飲み水を買いだめしておきたいが、車が出せないのでどうしたらいいだろうという。

そもそもミネラルウォーターを買えるのかという問題もあるのだが、首都圏では深刻なガソリン不足が続いている。ガソリンの在庫が底をつき、閉店するガソリンスタンドが続出。開店しているわずかなガソリンスタンドには車が殺到し、何時間も並ばなければ給油することができない。今週中にも供給が安定する見通しとのことだが、今車のタンクに残されているわずかなガソリンを消費するのはできるだけ避けたい。

私:「じゃあ、カートをひっぱって買いにいってこようか」

地雷ワード、「ひっぱる」、パ裂。

それでも今日は一つだけ、良いニュースがあった。以下に転載させていただく。

夢は芸術家…9日ぶり救出の16歳少年「助かって良かった」(スポニチ)

宮城県石巻市の倒壊した家屋で震災から9日ぶりに救出された阿部任さん(16)が21日、入院先の石巻赤十字病院で取材に応じ、「助かって良かった」などと心情を語った。
任さんと祖母の寿美さん(80)を助け出した県警石巻署の清野陽一巡査部長(43)ら4人も「生存者がいたことに驚いた。生きていてくれてうれしい」と話した。
病室のベッドに寝たまま質問に答えた任さんは、閉じ込められていた9日間について「水を飲んで、お菓子を食べていた」とし、「(捜索隊などの)音は聞こえたが、外に出られなかった」と述べた。
同席した父親の明さん(57)は「順調に回復してくれるはず。(寿美さんが助かったのは)任がいたからだと思う」と穏やかな表情を見せた。
清野巡査部長らによると、石巻署員4人は20日午後の捜索中、かすかな声が聞こえたため、近づくと家屋の屋根にすがりつく任さんを見つけた。寒さに震えていたが「大丈夫です」と話した。署員がカイロを差し出したが、「おばあちゃんを助けてほしい」と寿美さんを気遣った。
家屋は押しつぶされていたが、署員らは、がれきをかき分けながら中へ。クロゼットや冷蔵庫などが倒れた台所に、わずかに空いたスペースで寿美さんが布団にくるまり座っていた。寿美さんは衰弱した様子だったが「安心してください」との署員の言葉に泣き崩れたという。
救出後、清野巡査部長が任さんに将来の夢を尋ねると、「芸術家になりたいです」と元気に答えたという。清野巡査部長は「つらい中での救助活動だったが励みになった」と振り返った。
同署などによると、東北地方では地震の後、雪が降るなど真冬並みの日もあった。2人は厚着し、毛布にくるまって寒さをしのぎ、冷蔵庫の中にあったヨーグルトなどを食べていたという。
寿美さんと任さんを診察した石巻赤十字病院の小林道生医師は21日、取材に対し「(2人とも)元気で、朝食もしっかり食べた」と話した。

ここまでの成績…
積算上演日数:525日(+1)
終演まで:445日(±0)
終演見込み日:2012年6月8日(+1)

Posted: 3月 21st, 2011
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20/03/20111/SUN/七十九日目

未明、茨城で震度3。早朝、福島で震度3。朝、福島で震度4、岩手で震度3。昼、福島で震度3。夜、岩手で震度4。

横浜美術館で行われている高嶺格さんの展覧会『とおくてよくみえない』へ。美術館へ美術を鑑賞しに出かけるという行為が、この非日常の中ではとてつもなく日常的な行為に感じられた。

原「パ」ツの事故は何も好転していない。むしろ収束への目処が立たず、放射能は漏れ続け、着実に事態は悪化している。にも関わらず、これまで特別報道番組一色だったテレビは、一斉にバラエティ番組を流しはじめるようになってきた。

テレビから流れてくるタレントたちの笑顔と笑い声が醸し出す、お茶の間的な生ぬるい同調の空気…。これほどまでテレビに嫌悪感を覚えたことは未だかつてなかった。口だけついたのっぺらぼう。その笑顔が、笑い声が、何かを覆い隠そうとしている。

今まで散々流れ続けたものが、また戻ってきただけのことである。
でも、それがショックだった。
なぜだか自分は裏切られたのだと思った。
私の中で何かが決定的なものになった。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:524日(±0)
終演まで:445日(-1)
終演見込み日:2012年6月7日(±0)

Posted: 3月 20th, 2011
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19/03/2011/SAT/七十八日目

未明、伊豆で震度3、福島で震度3、岩手で震度3。朝、岩手で震度4、茨城で震度4。夜、茨城で震度5強。

震災発生から一週間が過ぎた。

実家での引きこもり生活を送ってきた私たちは、知らず知らずのうちに情報に神経を浸食され、いつの間にか呼吸も浅くなり、顔には疲労の色がにじむようになっていた。

震災の影響でしばらく閉館していた東京都現代美術館が、今日から開館するという。そこで展示されている自分の作品の確認と、気分転換をかねて久しぶりに出かけることにした。

昼間に外へ出るのは数日ぶりだ。頭上には青空が広がり、辺りは麗らかな春の匂いに包まれていた。傍らを歩く「パ」ートナーは放射能を恐れてマスクをつけ、季節遅れの上着のフードをかぶり、宇宙飛行士のような出で立ちで歩いている。道ばたに並ぶ自動販売機の水はすべて売り切れ。駅に着いても、次の電車がいつ来るのか分からない。もはや時刻表はあってないようなものだった。

清澄白河に到着。今日から再開しようとしているのは、美術館ばかりではなかったようだ。美術館へいく途中に通りかかった幼稚園の園庭には、たくさんの園児と母親たちが集まっていた。

きっと久しぶりに幼稚園に来られたことが嬉しいのだろう。園児たちは喜びを爆発させるようにしてはしゃぎ回っていた。一方で園児の母親たちは、その喧噪をよそに世間話にふけっていた。園庭の砂の放射線量は空気中の数値よりずっと高いはずである。門の柵の外側から園内を眺めていると、その日常的な風景が、演出されたフィクションのようにみえて仕方がない。

すべてがちくはぐ。
自然だったものが、不自然なものとして目に映るようになっている。

今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:524日(±0)
終演まで:446日(-1)
終演見込み日:2012年6月7日(±0)

Posted: 3月 19th, 2011
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18/03/2011/FRI/七十七日目

未明、長野で震度3。早朝、福島で震度3。朝、福島で震度3、茨城で震度3、岩手で震度3。昼、福島で震度3、茨城で震度3。夕方、茨城で震度4、宮城で震度3。夜、岩手で震度3。
朝、胸に電子聴診器を張り付けたままの状態で起床。眠っている間も私はずっと心音の配信を続けていた。

朝起きた時点での視聴者は8人。配信の告知をしてすぐの時間帯がやはり最も視聴者数が多く、夜が更けるにつれて減っていったが、それでも一晩中視聴者が途絶えることはなかった。私の命の音を聞いている人たちがどこにいるのか、正確な場所は分からない。その人たちのことを私は「どこかの誰か」と認識するしかないのだ。しかし「がんばろう日本」とか、「日本は一つ」といったスローガンがしきりに叫ばれるこの熱っぽい渦の中で、敢えて孤独と距離を意識しながら、自分の命の音を「どこかの誰か」に手渡し続けることが、私にとってはとても重要なことのように思われたのだった。

今日の第5グループの計画停電は、午後6時20分~午後10時。この地域での夜間の計画停電ははじめてである。私はこの心音の配信を、停電によって機材の電源が断ち切られるまで続けるつもりだった。

そして計画停電開始予定時刻の午後6時20分、処刑が執行されるようにして電気が断ち切られた。部屋の電灯や、機材の電源が一斉に落ちる。それと同時に、18時間にわたって「どこかの誰か」と私とを結んでいた糸も容赦なく断ち切られた。

それはまるでふいに訪れた死のようだった。

私は何かを確かめるようにして自分の胸に手を当てた。すると肋骨の下から微かに、だが力強く、心臓が脈を伝えてきた。

停電した家の中は真っ暗だった。手探りで食堂へ降り、母、「パ」ートナー、弟の史門、私の四人で夕食をとる。燭台にロウソクを立て、揺らめく炎の明かりで私たちは静かにカレーライスを食べた。いつもより味覚が鋭敏になっているような気がしたのは、きっと闇のせいだろう。

食事を終えたものの、皿を洗おうにもこの闇の中では何もできない。電気が回復するのを待つしかなさそうだ。そこで私と「パ」ートナーは二人で散歩に出かけることにした。

外へ出ると月明かりが眩しかった。きらめく星たちで夜空は水しぶきを浴びたようだった。しかし街はまるで息を引き取ったかのように静かだった。生暖かいような肌寒いような、はっきりとしない放射能混じりの風が吹く。ふと東南の方角を見ると、月明かりに照らされて、不思議な形の雲が鯨のように図々しく横たわっていた。

「あ、地震雲…、また地震がくるのかなぁ」と、「パ」ートナーが不安そうに言ったその時である。

私たちの網膜に不意打ちを食らわせるようにして、突然街の灯が覚醒した。家という家に明かりが一斉に灯され、私たちはまるで爆撃にでもあったかのように、なす術もなくただそこに立ち尽くした。予定時刻より早く停電が終わったのだ。

シュールレアリスティックな夜を彷徨っていた私たちが、いつもの感覚を取り戻すのには、ものの10秒とかからなかった。明かりの灯された生活の暖かさが戻ってきたことに私と「パ」ートナーは素直に歓喜し、母と弟が待つ実家に帰っていったのだった。

震災発生からちょうど一週間。
今日は完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:524日(±0)
終演まで:447日(-1)
終演見込み日:2012年6月7日(±0)

Posted: 3月 18th, 2011
Categories: パ日誌
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17/03/2011/THU/七十六日目

早朝、福島で震度3。朝、長野で震度3、岩手で震度3、茨城で震度3、福島で震度3。昼、岩手で震度4。夕方、岩手で震度3、茨城で震度3。夜、茨城で震度4、千葉で震度4、福島で震度3。
今日第5グループでは、午前6時20分~午前10時と、午後1時50分~午後5時30分の二回にわたって計画停電が実施された。

停電中、「首都圏から退避すべきか留まるべきか」を議題に、実家の食堂で母、「パ」ートナー、私の3人で家庭内会議を開く。

しかし母親というのはいざとなると実に身勝手なもので、会議はちょっとした親子喧嘩に発展した。私と「パ」ートナーには未来があるからと、二人に執拗に疎開を要求するくせに、自分は5匹のネコを置いて逃げられないので、どんなに被曝しようがここに留まると言うのだ。

この家庭内会議で私が意見した内容は以下の通り。

実家は爆心地からちょうど250km離れている。ここを退避すべきかどうかは見極めが難しい。
今回の原「パ」ツ事故がもし最悪のシナリオを辿ったとしても、政府が首都圏に避難勧告を出すことは最後までしないだろう。そしてマスコミは決して事実を正確に伝えないだろう。だから退避すべきかどうかは、最終的に自分たちで決断しなければならない。
事故が最悪のケースに至った場合、放射能被害もさることながら、各地で甚大なパニックが起こることが予想される。パニックによる危険と、被ばくによる人体への危険を天秤にかけた場合、前者の方が差し迫った危険としては大きいなのではないか。首都圏から我れ先にと逃げ出そうとする人たちで交通機関という交通機関は機能不全に陥るだろう。だから放射能による健康被害だけでなく、パニックの中で足止めを食らって身動きが取れなくなったり、混乱による事故や、治安悪化による事件に巻き込まれるというようなことも想定しておくべきだろう。
炉が水蒸気爆発を起こし放射性物質が大量に拡散した場合、放射線量はこの辺りでも相当上がるだろう。しかしそれでもここが爆心地から250km離れていることを考えると、成人が”直ちに”健康への深刻な影響を受けるレベルまでには至らないだろう。民間で放射線量を測っている人たちは沢山いるので、政府やマスコミが放射線の数値を隠蔽することは不可能だろう。
したがって、例え最悪のシナリオを辿って避難する必要が出たとしても、放射線の数値を睨みつつ、パニックが沈静化されるまで数日間屋内に留まり、ある程度安全に移動できるようになってから移動する、というのが最善の策なのではないか。

結局会議は私の意見した内容で合意に至り、一件落着。

しかし私はこの会議の中で、地雷ワード、「パニック」を1回パ裂させてしまったのだった。

そして夜、日本時間で日付が変わって3月18日未明。パリにある「La Gaieté Lyrique」では、渡航を取りやめた私と大友良英さん以外のツアーメンバーによって、『We Don`t care about music ayway…』のライブが始まろうとしていた。現場には行けないが、何らかの形で参加したい…、そう思った私は、自らの心臓の鼓動をUSTREAMを通じて日本の実家からパリの会場へとリアルタイムに配信することにした。オンラインライブというより単なる心臓の鼓動の垂れ流しなのだが、この危機の中でも変わらず息づく私の小さな命の音を、客入れDJのような感じで使ってもらえればと思ったのだった。電子聴診器を胸部に貼付けて配信開始。そしてその状態のままベッドに入り、パリにいる人々に思いを馳せながら眠りについたのだった。

ここまでの成績…
積算上演日数:524日(+1)
終演まで:448日(±0)
終演見込み日:2012年6月7日(+1)

Posted: 3月 17th, 2011
Categories: パ日誌
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16/03/2011/WED/七十五日目

未明、岐阜で震度3、静岡で震度3。早朝、岐阜で震度4、福島で震度3。朝、静岡で震度3、北海道で震度3、茨城で震度3、新潟で震度3、福島で震度3、千葉で震度3。昼、千葉で震度5弱、福島で震度4、岩手で震度3。夕方、福島で震度3。夜、宮城で震度4、茨城で震度4、福島で震度3。

午前9時から午後12時まで、第5グループの計画停電が敢行された。一気に辺りを静寂が支配する。それが来る、ということを覚悟していても、いざ本当に辺り一帯の電気が落ちた瞬間は衝撃的で面食らった。何もできないので、非常用のラジオをつけながら、ただ日当りの良い部屋で母、「パ」ートナーと一緒にお茶をすする。

今日、本来ならば私はパリに発っているはずだった。映画『We don`t care about music anyway…』に出演しているミュージシャンたちによるヨーロッパツアーが予定されていたのだ。しかし私は今回の原「パ」ツ事故を受けて悩みに悩んだ末、パリのオーガナイザーに下記のようなメールを送ったのだった。

Dear Jerome-san,
私は本当に長い間、考え続けていました。ご存知かと思いますが、私たちは歴史的な危機に瀕しています。悲しいことに日本が第二のチェルノブイリになる可能性があることは、今や否定できない事実です。フランス政府は日本在住のフランス人に3月17日までに、日本からの退避するよう勧告を出しました。
これは私にとって本当にタフな決断でしたが、私は今回の『We don`t care about music anyway…』のヨーロッパツアーに参加できないということをお伝えしなければなりません。私は家族や「パ」ートナーのそばで、彼(女)らと運命を共にすることを選びます。どうかお許しください。
フライトのキャンセル料をお知らせください。あなた方の活動が、ちょうど私の活動がそうであるように、インディペンデントであることを私は知っています。あなた方に負担をかけることは本意ではありませんので、どうかこの損失をカバーさせてください。
Best,
Fuyuki Yamakawa

ツアーは行きたかった。でも、これでいいのだ。遠い異国の地で、テレビを通じて日本の惨状を見ることにきっと私は耐えられなかっただろうから。そしてもし今のこの大切な時間を、大切な人たちと一緒に過ごさなかったとしたら、私はそれを一生後悔するだろうから。もう一つだけおまけに付け加えるならば、もしパリに行っていたら、私は「パリ」という地雷ワードを踏みまくっていたであろうから。
渡航予定だったメンバーの中で、ツアーをキャンセルする決断をしたのは大友良英さんと私の2名だったようである。

そして夕方、恐るべきことに昨日の菅首相の「国民へのメッセージ」に続き、今度は各テレビ局が一斉に天皇から全国民へ向けて史上前例のない「ビデオメッセージ」を放送。昨日の菅首相の「国民へのメッセージ」に玉音放送の亡霊を見たばかりだったが、ついに本当に玉音放送が発せられる事態となった。天皇からのメッセージは以下の通り。

”このたびの東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり、被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し、犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。また、現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。

現在、国を挙げての救援活動が進められていますが、厳しい寒さの中で、多くの人々が、食糧、飲料水、燃料などの不足により、極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。その速やかな救済のために全力を挙げることにより、被災者の状況が少しでも好転し、人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。そして、何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。

自衛隊、警察、消防、海上保安庁をはじめとする国や地方自治体の人々、諸外国から救援のために来日した人々、国内のさまざまな救援組織に属する人々が余震の続く危険な状況の中で日夜救援活動を進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います。

今回、世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き、その多くに各国国民の気持ちが被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。

海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。

被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、さまざまな形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。(以上)”

計画停電により信号機が停止したことで各地で交通事故が多発。群馬県では死者が出たとのニュース。

尚、今日のあらゆる会話の中で私は「原発」という言葉をすべて「原子力発電所」という言葉に置き換えることに成功、よって完封。

ここまでの成績…
積算上演日数:523日(±0)
終演まで:448日(-1)
終演見込み日:2012年6月6日(±0)

Posted: 3月 16th, 2011
Categories: パ日誌
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15/03/2011/TUE/七十四日目

未明、茨城で震度3、福島で震度3。早朝、東京で震度3、新潟で震度3、宮城で震度3、福島で震度3茨城で震度3。朝、新潟で震度3、秋田で震度3、福島で震度3、茨城で震度3。昼、岐阜で震度3。夕方、茨城で震度3。夜、静岡で震度6強、福島で震度6強、山梨で震度4、茨城で震度3、千葉で震度3。

起床。昨晩はあまり眠れず。

一階の食堂へ降りると、母が朝食をつくってくれていた。窓際に置かれたテレビでは、今日も慌ただしく震災と原発についての報道が繰り返されている。

アナウンサーが言った。

”東京電力福島第1原発爆発事故を受け、菅直人首相は午前11時にも国民に向けたメッセージを出すとのことです。えー、繰り返します、東京電力福島第1原発爆発事故を受け、菅直人首相は午前11時にも国民に向けたメッセージを出すとのことです。”

私はこの「会見」が、わざわざ「国民に向けたメッセージ」という言い方で報じられていることに戦慄した。おそらく昨日の爆発によって拡散した放射能は、風にのってもう首都圏に到達しているはずである。しかし自分が吸っている空気の放射線量を知る術がない。そんな状況の中で、昨日の原「パ」ツ爆発を受けて首相が「国民に向けたメッセージ」を出すという。真っ先に1945年8月14日夜と8月15日朝に、「十五日正午に天皇自らの放送がある」と報じたあの予告放送のことが思い出された。玉音放送にしろ、911の際のブッシュのテレビ演説にしろ、世界大恐慌の際のルーズベルトのラジオ演説にしろ、国家の最高責任者が国民に直接メッセージを伝えようとするとき、それはいつも国民がこれから歴史的な受難を引き受けなければならないという宣告だった。このニュースはその宣告の予告なのだ。

私は時計に目をやった。時間は午前10時40分を少し過ぎたところである。よし、まだ間に合う。私は朝食を中断し、母に水を詰められるあらゆる容器をすべて水道水で満たすようよう指示し、自分もついて行くという「パ」ートナーを足手まといになるからと振り切って、寝巻きのまま家を飛び出した。近所のコンビニエンスストアを何軒も走って回り、ありったけのマスク、軍手、ガムテープ、飲料水を買い漁る。きっとこれは「買い占め」という非難されるべき行為なのかも知れない。しかし私にも守らなければならないものがあるのだ。両手いっぱいに袋を抱え、実家に帰ると、ちょうど菅首相の「国民に向けたメッセージ」がはじまるところだった。

”国民の皆様に、福島原発について御報告をいたしたいと思います。是非、冷静にお聞きをいただきたいと思います。”

「メッセージ」はこんな不穏な調子で始められた。以下、会見より引用。

”福島原発については、これまでも説明をしてきましたように、地震、津波により原子炉が停止をし、本来なら非常用として冷却装置を動かすはずのディーゼルエンジンがすべて稼働しない状態になっております。この間、あらゆる手だてを使って原子炉の冷却に努めてまいりました。しかし、1号機、3号機の水素の発生による水素爆発に続き、4号機においても火災が発生し、周囲に漏洩している放射能、この濃度がかなり高くなっております。今後、さらなる放射性物質の漏洩の危険が高まっております。

ついては、改めて福島第一原子力発電所から20kmの範囲は、既に大半の方は避難済みでありますけれども、この範囲に住んでおられる皆さんには全員、その範囲の外に避難をいただくことが必要だと考えております。

また、20km以上30kmの範囲の皆さんには、今後の原子炉の状況を勘案しますと、外出をしないで、自宅や事務所など屋内に待機するようにしていただきたい。そして、福島第二原子力発電所については、既に10km圏内の避難はほぼ終わっておりますけれども、すべての皆さんがこの範囲から避難を完全にされることをお願い申し上げます。

現在、これ以上の爆発や、あるいは放射性物質の漏洩が出ないように現在全力を尽くしております。特に東電始め関係者の皆さんには、原子炉への注水といったことについて、危険を顧みず、今も全力を挙げて取り組んでいただいております。そういった意味で、何とかこれ以上の漏洩の拡大を防ぐことができるように全力を挙げて取り組んでまいりますので、国民の皆様には、大変御心配はおかけいたしますけれども、冷静に行動をしていただくよう心からお願いを申し上げます。

以上、国民の皆さんへの私からのお願いとさせていただきます。(引用終わり)”

その後、枝野官房長官の会見が続く。それによると、午前10時22分に、第1原発3号機付近で毎時400ミリシーベルトの放射線量を観測。これは1時間で一般人の年間被ばく線量限度の400倍になるとのこと。これについて、”身体に影響を及ぼす可能性の数値であることは間違いない”、”放射能濃度がかなり高くなっている。今後、放射能の漏えいの危険が高くなっている” とのこと。

今のところ、首都圏に関してはまだ深刻な放射線量ではないとのことだが、原「パ」ツ事故には隠蔽がつきものだ。果たして政府や東電は信じられるのだろうか…。

そして夜、静岡県東部を震源に震度6強の地震。この地震で2名が重傷、48名が軽症。521棟の建物が一部損壊。21,700軒が停電。

twitterでは八谷和彦さんが書いた「うんち・おならで例える原発解説」が話題になっていた。今回の原「パ」ツ事故が子供でも理解できるよう、ユーモラスな例えで解説された名文である。私はこれを不安で押しつぶさそうになっている母と「パ」ートナーを少しでも落ち着かせようと、声に出して二人に読み聞かせたのだった。深刻な現状を的確に解説しながらも、おもしろ可笑しく表現されたその文章に、それまで浮かない顔をしていた二人の顔が「パ」っと明るくなって笑いがおこる。しかし、文中には当然「原発」という言葉が頻発する。私は文章を目で追いながら、この文字をキャッチする度に、頭の中で「原子力発電所」という言葉にリアルタイム変換して声に出していたのだが、一カ所、ミスってそのまま「原発」と読んでしまったのだった。

地雷ワード、「原発」、パ裂。

ここまでの成績…
積算上演日数:523日(+1)
終演まで:449日(±0)
終演見込み日:2012年6月6日(+1)

Posted: 3月 15th, 2011
Categories: パ日誌
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14/03/2011/MON/七十三日目

未明、千葉で震度3、福島で震度3。早朝、福島で震度3、茨城で震度3。朝、茨城で震度5弱。長野で震度3。昼、新潟で震度4、福島で震度4、長野で震度3。夕方、福島で震度4、茨城で震度3。夜、茨城で震度3。

起床。昨晩はよく眠れた。
一昨日起きた原「パ」ツ事故の経過が不安で仕方がなかったが、「パ」ートナーや家族と同じ場所にいられることで、私も肩の力が抜けたのだろう。

しかし昨日発表された計画停電の影響で、朝から首都圏の鉄道網は混乱をきたしていた。テレビニュースによれば、どの路線でも運休や運行本数の大幅な削減が相次いでいるとのこと。通勤に向かおうとする人々が電車に乗れず、何時間も足止めを喰らって首都圏の駅という駅が大混乱しているという。こんな非常時でも定時に出勤しようとする日本のサラリーマンたち。私にはとてもマネできない。

幸い私はオフだったが、「パ」ートナーは仕事に出なければならないという。どうやって職場に辿り着いたらいいのか、と頭をかかえる「パ」ートナーに、「休んじゃいなよ」と提言したがそんな訳にはいかないらしい。ネットで調べたところによると、実家のある田園都市線は、始発から午後1時30分まで通常の5~6割で運行、午後1時30分~午後5時30分は全線運休になるという。とりえず同じ田園都市線沿線の弟に電話をかけてみるがつながらない。鉄道網も電話網も混乱しているようだ。何度かかけてやっとつながると、弟もやはり駅で足止めを喰らっているという。

鉄道網が完全に機能不全に陥っていると判断した私は、「パ」ートナーを車で職場へ送ることにした。道路も渋滞しているかも知れないが、とにかく車で出てみよう…。しかし私の予想に反して道は空いていた。とりわけ首都高速はがらがらだった。この時間にこの交通量は通常では考えられない。トラックがほとんど走っていない気がするが、物流が滞っているのだろうか。

そして予想より早く「パ」ートナーの職場に到着。車で送ったはいいものの、しかし彼女はどうやって帰ったらいいのか。田園都市線は午後5時30分までは全線運休。運転再開されたとしても、また朝と同じような大混乱が起きることが予想される。そのような状況で、もし大きな余震が襲ってきたりしたら…。

「パ」ートナーも今日の仕事は長くはかからないと言うし、一旦帰って車で迎えに来るためにまた出直すのなら、どこかで時間をつぶしていた方がいいだろう。相談すれば職場のミーティングルームに居させてもらえるかも知れないというので、私は「パ」ートナーの職場へ遠慮なくお邪魔することにした。仕事の現場に彼氏が付き添うなど、「どんだけ過保護なんだよ」と突っ込まれるかも知れないと思ったが、状況が状況である。

少し恐縮しながら「パ」ートナーの職場の方々にご挨拶。皆暖かくウェルカムしてくれた。「パ」ートナーが別室で仕事をこなしている間、私はミーティングルームのソファーに座り、ノートPCでメールチェックしたり、twitterを覗いたりしていた。しかし30分も立たないうちに、「パ」ートナーが血相を変えてミーティングルームに駆け込んできてこう言った。

「パ」ートナー:「急いで荷物まとめて!帰るよ!」

私:「え?」

「パ」ートナー:「また原発が爆発したの!」

急いでニュースサイトを確認。

速報:「福島第一原発3号機で水素爆発」

掲載されている写真を見ると、原「パ」ツから天にも昇る勢いで巨大な黒煙が上がっているではないか。ヤバい。これは12日の爆発よりずっと大きい。

この事故を受けて、仕事は急遽打ち切り。職場の全員が帰宅することとなった。「パ」ートナーの仕事の現場にまで図々しく押しかけた私の決断は正しかったのだ。急いで車に乗り込んで実家へと向かう。風にのった放射能が首都圏に到達するのは時間の問題だ。私の運転は荒くなっていた。アクセルを踏み込めば踏み込むほど、逆に時間がゆっくり流れて感じられた。道は空いていた。空は馬鹿みたいに晴れていた。それなのに窓を開けて風を浴びることすらためらわれた。もしかして東京を離れなければならなくなるかも知れないな…と思った。これからいったい何が起こって私たちはどうなるのだろう。

しかしこんな状況下で交わす「パ」ートナーとの会話の中で、私は喉もとを何度も駆け上がってくる「原発」という言葉を飲み下しながら、代わりに「原子力発電所」という言葉を使い、巧みに「パ」という音節を避け続けていた。

実家に帰宅し、テレビニュースにかじりつく。再び爆発が起こってしまった今、とにかく現状を見守ることしかできないのだ。

少し先が見えて落ち着くまで、私たちはしばらく実家に泊まることにした。

というわけで原「パ」ツは爆発したが、「パ」の「パ」裂は免れ、今日は完封。
ホワイトデーのことなどすっかり忘れていた。

ここまでの成績…
積算上演日数:522日(±0)
終演まで:449日(-1)
終演見込み日:2012年6月5日(±0)

Posted: 3月 14th, 2011
Categories: パ日誌
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13/03/2011/SUN/七十二日目

未明、福島で震度4、新潟で震度3、茨城で震度3。早朝、福島で震度3。朝、宮城で震度5弱、茨城で震度4、福島で震度3、岩手で震度3。昼、長野で震度4、福島で震度3、岩手で震度3、千葉で震度3。夕方、宮城で震度3、岩手で震度3。夜、福島で震度3、茨城で震度3。深夜、福島で震度4、千葉で震度3、三陸で震度3。

『金閣寺』大千秋楽。32公演目(大阪、梅田芸術劇場)

原「パ」ツのこと、被災地のことが気になって一睡もできずに夜が明ける。

何とか一時間だけでも眠りたい、そう思って目を閉じるが、瞼の裏側に焼き付いた破壊的な映像が津波のように押し寄せてきて、目を閉じていることができない。あきらめて朝食をとるために25階のレストランへ。

窓から臨む大阪の朝は美しかった。

しかし今日は舞台に立ちたいとはどうしても思えない。

多くの人がそうであるように、私もまた不安と無力感に苛まれていた。

しかしそれでも幕は明けるのだ。

そしてこれが自分の選んだ道なのだ。

自分が受け取けとったこの衝撃を、舞台で声に変えて放出することが、今の僕にできる唯一の仕事なのだろう。

そう自分に言い聞かせて、ホテルをチェックアウト。
劇場へ。

そして本番。できるかぎりのことはやったつもりだ。

32公演ものロングランが終わった。余韻を味わう暇もなく、急いでシャワーを浴び、荷物をまとめ、劇場を後にして新大阪駅へ。帰りの新幹線はがらがら。客室の空気は張りつめて、私を含めてみんな無口だった。そんな中、気を遣ってくれたのだろう。プロデューサーの福島さんが2人分のビールを持って私の隣に座り、明るく話しかけてきてくれる。

「夏のニューヨーク公演がんばりましょう」と福島さん。

『金閣寺』は7月にニューヨークで開催されるリンカーンセンターフェスティバルで再演されることになっている。
昨晩一睡もできなかったのと舞台の疲れのせいで、いつもよりビールのまわりは早かった。加えてこの震災で何かが鬱屈していたのだろう、私はいつもよりずっと早口だった。日本のインディペンデントな音楽シーンや、舞踏といった文化が、いかに世界的な評価を受けているか、そしてそれがいかに日本のメディアに載らないか、というような話をマシンガンのごとく興奮気味に語り続けた。

私:「ノイズや即興音楽シーンでは、日本のアーティストは海外からひっぱりだこなんですよ」

地雷ワード「ひっぱりだこ」、パ裂。口が滑ったことで、少しだけ酔いが醒める。

そうこうしているうちに新幹線は新横浜へ。

キャスト、スタッフの皆さんとお疲れさまの挨拶をして新幹線を降り実家へと向かう。

実家の最寄り駅までいくと、ちょうど母と実家へ身を寄せている「パ」ートナーとが、駅前のスーパーへ買い出しに来ているとの連絡があり合流。2人とも私の顔を見てほっとした様子だ。私もやっと少し肩の力が抜くことができた。

しかしスーパーの棚にはほとんど何もなかった。震災で多くの人が一気に買い込みに走ったようだ。それでも残されたわずかな食料を買って、実家へ帰宅。3人でテレビニュースにかじりつきながら夕食をとる。

ニュースによれば、原「パ」ツ事故によって首都圏に深刻な電力不足が生じているとのことで、東京電力は、明日14日から3時間ずつ、地域ごとにローテーションで停電を実施するという。実家のある地域は第5グループに分けられるらしいのだが、東京電力が事態に対応しきれておらず、情報が混乱をきたしていて、停電が実施される時間帯が深夜になっても発表されない。停電した場合、鉄道機関への電力供給も停まるため、その地域の電車は動かなくなるらしい。

明日、こんな非常事態の中でも「パ」ートナーは仕事に行かなければならないという。電車が動かなければ、職場に辿り着けないではないか。しかし、明日のことは明日のことと、あきらめて、そのまま「パ」ートナーと実家に泊まることにした。

ここまでの成績…
積算上演日数:522日(+1)
終演まで:450日(±0)
終演見込み日:2012年6月5日(+1)

Posted: 3月 13th, 2011
Categories: パ日誌
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12/03/2011/SAT/七十一日目

未明、新潟で震度6強、千葉で震度4、秋田で震度4、福島で震度4、長野で震度4、群馬で震度4、茨城で震度4、三陸で震度4、宮城で震度3。早朝、新潟で震度6弱、長野で震度4、福島で震度4、茨城で震度3、宮城で震度3、三陸で震度3、秋田で震度3。朝、福島で震度4、新潟で震度4、長野で震度4、宮城で震度3、岩手で震度3、三陸で震度3、茨城で震度3。昼、岩手で震度4、新潟で震度4、長野で震度3、福島で震度3、茨城で震度3宮城で震度3、三陸で震度3。夕方、東京で震度3、福島で震度3、茨城で震度3新潟で震度3、三陸で震度3。夜、福島で震度5弱、新潟で震度5弱、岩手で震度4、長野で震度4、茨城で震度3、宮城で震度3。

『金閣寺』30、31公演目。(大阪、梅田芸術劇場)

ホテルで目覚めると、つけっぱなしで寝てしまったテレビからは、言語に絶する映像が流れ続けていた。繰り返し流される津波の映像があまりに衝撃的すぎて昨晩はあまり眠れず、睡眠不足。

しかも朝から何だか涙腺が緩い。自分で自覚しているよりも、破壊的な映像で心がダメージ受けているようだ。今日はマチネとソワレの2公演をこなさなければならないというのに。ハードな一日になりそうだ。

部屋のカーテンを開けると天気はよかった。26階の窓から見下ろす大阪の街の風景はいつもと変わらなかった。

するとパートナーから電話。昨晩泊めてもらった同僚の家からそのまま仕事に向かうとのこと。大きな余震があるかもしれないので、夜は横浜の私の実家に泊まるように私は「パ」ートナーを説得した。

ホテルを出て劇場へ。みんな口数が少なく、舞台裏は静まり返っている。「おはようございます」と、キャストやスタッフの方々と挨拶をするが、お互い今日も震災の話題は持ち出さなかった。楽屋に入り、テレビモニターのスイッチを入れ、チャンネルをニュースに合わせた。普段は舞台に集中するため、楽屋ではなるべく外の情報はシャットアウトしてきたが、今日はそうはいかない。

そしてマチネ開演。空席が目立つ。きっと首都圏から来るはずだった人が来られなくなったのだろう。『金閣寺』は地方公演でも、かなりの数の人が首都圏から観に来るのだ。

マチネを終え、シャワーを浴びる。そして楽屋へ戻ったとき、私はテレビに映し出された映像に言葉を失った。

え?…。

福島の原子力発電所とみられる建物からもうもうと煙が上がっている。爆発した…。原発が爆発してしまったのだ。

ニュースによれば、爆発があったのは、福島第一原発一号基。大きな揺れがあり、ドーンという音とともに白煙が上がったとのこと。現場にいた4人が病院に運ばれたらしい。すぐにチェルノブイリのことが頭をよぎった。これはヤバイ。いても立ってもいられなくなって楽屋の外に出る。そして廊下を通りかかったスタッフにこう話しかけた。

「テ、テレビ見ました?原発…、ヤバイことになりましたね…」

地雷ワード、「原発」パ裂。

よりによってこんな日に、こんな形で「パ」と口を滑らせてしまうとは何たる罰か…。自らを呪う。

誰かが街頭でもらってきたのだろう。劇場事務所の掲示板には「福島原発で爆発」と大きく書かれた号外が張り出されていた。明日の大千秋楽を前に、本日予定されていた打ち上げは中止。

こんな日にマチネとソワレ計2公演というのはさすがにキツかったが、それでも何とか公演を終えて、ホテルへ戻る。すると怪しい女子が私の背後をつけてくる。さては『金閣寺』の他のキャストのおっかけだろう。私とお目当てのキャストが同じホテルの同じ階に宿泊してると思って尾行してきたらしい。まったく、こんなときにやめてくれ…。一旦別の階で降りて、おっかけを巻いてから自分の部屋へ戻る。

実家に電話。電話も少し繋がりやすくなってきた。仕事を終えた「パ」ートナーが実家に到着したらしい。今晩は実家に泊まるとのこと。ノートPCを開くと海外の友人、知人から、安否を気遣うメールが次々と届く。世界中で日本の震災と原発事故がトップニュースとして報道されているようだ。

ベッドに入るが眠れない。
テレビをつける。何度も繰り返される津波の映像を見ながら、ビールを喉に流し込む。

気仙沼には一度仕事で訪れたことがある。あの時会った人たちはどうしただろう。
あの美しい碁石海岸はどうなっただろう。
津波による死者・不明者の数はどこまで増えるのだろう。
原発事故はどうなるのだろう。
東北はどうなるのだろう。
この国はどうなるのだろう。
私の「パ」ートナーや家族はどうなるのだろう。
私たちの未来はどうなるのだろう。

とにかく明日は『金閣寺』大千秋楽。
明日の公演を終えれば、家に帰れる。

ここまでの成績…
積算上演日数:521日(+1)
終演まで:450日(±0)
終演見込み日:2012年6月4日(+1)

Posted: 3月 12th, 2011
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11/03/2011/FRI/七十日目

大阪。『金閣寺』29公演目(梅田芸術劇場)。

外で昼食を済ませ、ホテルの部屋に戻る。
劇場入りまでしばらく時間があったので、そのとき、私はベッドの上でごろごろしながら、何となくテレビをみていた。
なんでも次の東京都知事選に出馬しないと言っていたはずの石原慎太郎が、出馬表明したらしい。間もなく都庁から会見の中継を行うとか。

しかし何だか画面の中のレポーターの様子がおかしい。
「地震でしょうかね…、少し揺れてる感じがしてますけど…、えー、こ、この後まもなく…、石原都知事の会見がはじまります…」と言って画面がCMに切り替わったところで、こちらも大きく揺れはじめた。

私の泊まっていたのは高層ホテルの26階。建物全体が振り子のように大きく空を往復運動する。洗面所のドアや戸棚の扉がバタンバタンと開閉を繰り返し、壁や柱の軋む音が辺りに響いた。

震源はどこだ。慌ててチャンネルを切り替える。NHK(だったと思う)にチャンネルを合わせると、渋谷が激しく揺れている映像が映った。アナウンサーの緊迫した声が何度も警告を繰り返す。震源は東北。
日本列島が揺れている。
大きい。

職場にいるはずの「パ」ートナーに電話をかけるがつながらない。
実家の母に電話をかけてもつながらない。
会社の弟に電話をかけてもつながらない。
誰に何度かけてもつながらない。
もどかしい。なす術がない。
とにかくiPhoneから「パ」ートナーのiPhoneに宛ててショートメールを送った。
「地震大丈夫?」(2011/03/11 14:50)

テレビからひとときも目を離さずに、片手ではiPhoneを握りしめ、電話がつながることをひたすら念じながら、「パ」ートナー、母、弟、の3人に絶え間なく電話の発信しつづける。

少しして「パ」ートナーからメールが届く。
「手が震えて」(2011/03/11 15:08)

依然、電話はつながらないが、ひとまず無事なようだ。そしてしばらくして、今度は母からメールが届く。
「地震大丈夫ですか?こちらは停電です。地下にやっと這うように避難しました。○○ちゃん(「パ」ートナー)に今安全確認をしています。アパートが古いので心配です。家に泊まりに来る様にいいました。君は無事ですか?」(2011/03/11 15:27)

最初の揺れから一時間ほど経過した頃だろうか、何度もかけ続けていた電話がやっと「パ」ートナーにつながった。「パ」ートナーによれば、地震が起きたとき、もうだめだと思って私にメールで遺言を書こうとしたが、手が震えてうまくiPhoneを操作できず、やっとの思いで書けたのがあの「手が震えて」という一文だったとか。そしてその後「今までありがとう」と続けるつもりだったのに、手が震えてどうしても送れなかったのだと泣きながら訴える彼女。とにかく落ち着かせるために、「だいじょうぶだよ、だいじょうぶだよ」とゆっくりと穏やかに話しかけつづける。その時、電話の向こうをまた大きな余震が襲った。電話越しに怯えた声で泣き叫ぶ「パ」ートナー。こんな時にそばにいられないなんて身を切られるような思いだ。堪らない。しかし今はとにかく落ち着かせるために話しかけつづけるしかないのだ。するとまたさらに悲鳴。「きゃー!火事!」。窓から見えるビルが燃えているという。ふとテレビ画面を見ると、「パ」ートナーの職場のすぐそばにあるお台場テレコムセンターが燃えているではないか。さらに画面が切り替わると、私の母校であり、現在非常勤講師を勤める多摩美大のすぐ近くにある大型スーパー、Costcoが倒壊している映像が映し出されている。落ち着かなければ。神田の職場にいるはずの弟は無事だろうか。

鉄道機関は完全にマヒ。道路は大渋滞。しかし「パ」ートナーは頃合いをみて同僚の車に同乗し、その人の家に移動しようと思うという。恐らく今晩はそこで一泊させてもらうことになるだろうとのこと。私は私で劇場入りの時間が迫っていた。制作の方から何も連絡がないということは、公演は予定通り行われるのだろう。しかしこんな時に舞台に立たなければならないなんて。大阪は震度3だったとのことことだが、私にはどうも信じられない。26階にいたことで揺れが大きく感じられたのかも知れないが、地震には数値で表せない「揺れの質」のようなものがあるような気がするのだ。たとえ計測上は震度3であっても、あの揺れのエネルギーはただ事ではなかったのは確かである。「パ」ートナーの声も少し落ち着いてきたので、私は電話を切って劇場へ。

そして劇場入り。「おはようございます」と、キャストやスタッフの皆さんと挨拶。みんな神妙な面持ちだ。お互い話題に持ち出さなくとも分かっている。それぞれが自分の大切な人の身を案じているのだ。しかしそれでも舞台の幕は開ける。何度も何度も繰り返してきた舞台『金閣寺』。今日で29回目である。しかしこの日は舞台を今までにない異様な空気がずっと支配していた。良くもない、悪くもない、しかし異様としか言いようのない空気が。

幸いなことに本番中は余震が起きなかった。公演を終えてホテルに戻り、すぐに「パ」ートナーに電話する。やはり何度も発信しなければならなかったが、それでも粘って何とかつなげることができた。彼女の方はやっと同僚の家に辿り着いたところだった。いつもは数十分程度の道のりが大渋滞のため何時間もかかったらしい。今夜は同僚の家に泊めてもらうとのこと。次に実家の母とも電話がつながった。弟から無事との連絡があったとのこと。今夜は神田の職場に泊まるらしい。

長い一日だった…と思いたくてビールを喉に流し込んでみても、一向に今日という日が終わった気になれず、テレビをつけっぱなしでベッドに入る。

たぶん、今日は「パ」と言わなかったはずである。こんな時でも『「パ」日誌メント』は続くのだ。
The show must go on.

ここまでの成績…
積算上演日数:520日(±0)
終演まで:449日(-1)
終演見込み日:2012年6月3日(±0)

Posted: 3月 11th, 2011
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10/03/2011/THU/六十九日目

『金閣寺』28公演目、大阪梅田芸術劇場、メインホール。

黙々と本場をこなし、完封。

積算上演日数:519日(±0)
終演まで:449日(-1)
終演見込み日:2012年6月2日(±0)

しかし日誌の更新が滞ったので(5/31)、罰則として上演日数1日延長。
積算上演日数:520日
終演まで:450日
終演見込み日:2012年6月3日

Posted: 3月 10th, 2011
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09/03/2011/WED/六十八日目

『金閣寺』大阪公演のため、新幹線で大阪入り。

今日は完封。

ここまでの成績。
積算上演日数:514日(±0)
終演まで:445日(-1)
終演見込み日:2012年5月28日(±0)

しかし、5日間(5/25-5/29)、日誌の更新が滞ったため、罰則として上演日数5日延長。
積算上演日数:519日
終演まで:450日
終演見込み日:2012年6月2日

Posted: 3月 9th, 2011
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08/03/2011/TUE/六十七日目

昨日に引き続き風邪。

「パ」ートナーが私の母の若い頃の写真をみていた。1972年くらいに撮影されたものだろうか。ロンドンの私の生家で、ロングブーツを履いて毛皮のコートを着込み、ソファーに足を組んでポーズを決めている。

「パ」ートナー:「お母さん、ゴージャスだねぇ!」

私:「あぁ、昔はかなりおしゃれしてて、ずいぶん華やかな生活を送ってたんだよ。でも父が亡くなってから、パタっと贅沢しなくなったんだよね。」

地雷ワード、「パタっと」、パ裂。

ここまでの成績。
積算上演日数:514日(+1)
終演まで:446日(±0)
終演見込み日:2012年5月28日(+1)

Posted: 3月 8th, 2011
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07/03/2011/MON/六十六日目

喉の調子が悪い。風邪をひいたようだ。週末の『金閣寺』大阪公演のために自宅で療養。

今日は完封。

ここまでの成績

積算上演日数:513日(±0)
終演まで:446日(-1)
終演見込み日:2012年5月27日(±0)

Posted: 3月 7th, 2011
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06/03/2011/SUN/六十五日目

金閣寺27公演目。愛知県芸術劇場。

終演後、新幹線で帰京。

『金閣寺』の地方公演にいつも持参している本がある。パルコ出版から出ている寺山修司の名言集、『身捨つるほどの祖国はありや』。まったくの気分で私はこの本を旅のお供に選んだのだったが、”祖国のために身を捨てた”三島由紀夫原作の舞台に立つのに、こんなタイトルを冠された本を選んだのは偶然か必然か…。

この『身捨つるほどの祖国はありや』も素晴らしいのだが、寺山修司に関するパルコ出版の仕事で、私がとりわけ評価しているのがラジオドラマのCD化である。寺山は文学から、映画・演劇へと至る間に、数々のラジオドラマの傑作を生み出しているが、それを今の私たちが聞けるようにCD化した功績はとても大きいと思う。

そして、帰りの新幹線。隣に座り合わせたパルコ劇場のプロデューサー、玄さんと話している時に…。

私:「パルコ出版とパルコ劇場ってつながりあるんですか?」

地雷ワード、「パルコ出版」、「パルコ劇場」、2連「パ」ツ。

ここまでの成績
積算上演日数:513日(+2)
終演まで:447日(+1)
終演見込み日:2012年5月27日(+2)

Posted: 3月 6th, 2011
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05/03/2011/SAT/六十四日目

『金閣寺』25、26公演目。愛知県芸術劇場大ホール。

黙々と本番をこなし、完封。
ここまでの成績。
積算上演日数:511日(±0)
終演まで:446日(-1)
終演見込み日:2012年5月25日(±0)

Posted: 3月 5th, 2011
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04/03/2011/FRI/六十三日目

『金閣寺』名古屋公演のため、新幹線で名古屋へ。

到着してまずホテルにチェックイン。そして場当たり稽古のためすぐに劇場入り。しかし楽屋口の受付へ来た時、事前に渡されていた入館パスをホテルに忘れて来たことに気がついた。受付の警備員さんに言う。

私:「あのー、すいません…、大ホールで明日からやる”金閣寺”の出演者なんですが、パスを忘れちゃって…」

地雷ワード「パス」、パ裂。

昨日まで続いていた連続完封記録更新、ここで終了。

そして夜。
「パ」ートナーが明日の公演を観たいとのことで、わざわざ名古屋まで来てくれた。二人で名古屋名物のみそかつでも食べようと「矢場とん」へ。食事中の会話。

「パ」ートナー:「この間買ったmacpacの調子どう?」

3月1日の日誌に書いたが、先日私は仕事用のキャリーバッグを買い替えたのだった。「macpac」とはニュージーランドの登山用ザックのメーカーで、少々値が張るのだが、ハードコアな実用性と洒落たデザインを兼ね備えたイチオシのブランドだ。私はキャリーバッグを新調した際、随分それを「パ」ートナー自慢したのだった。

私:「うん、いいんだけど、ジッパーが特殊でまだ慣れないんだよね」

地雷ワード「ジッパー」、パ裂。

「macpac」というブランド名はずっと警戒していたのだが、「ジッパー」という単語はうっかりノーマークだった。久しぶりに1日に2回のパ裂である。

ここまでの成績。
積算上演日数:510日(+2)
終演まで:446日(+1)
終演見込み日:2012年5月24日(+2)

さらに日誌の更新が一日滞ったため(5/20)、上演日数一日加算。
積算上演日数:511日
終演まで:447日
終演見込み日:2012年5月25日

Posted: 3月 4th, 2011
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03/03/2011/THU/六十二日目

今日もオフ。7日連続の完封。

昨日に引き続き、さらに連続完封記録更新。

ここまでの成績。
積算上演日数:508日(±0)
終演まで:445日(-1)
終演見込み日:2012年5月22日(±0)

Posted: 3月 3rd, 2011
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02/03/2011/WED/六十一日目

オフ。

6日連続の完封。遂に連続完封記録更新である。

ここまでの成績。
積算上演日数:507日(±0)
終演まで:445日(-1)
終演見込み日:2012年5月21日(±0)

しかし日誌の更新が一日滞ったため(5/16)、上演日数一日加算。
積算上演日数:508日
終演まで:446日
終演見込み日:2012年5月22日

Posted: 3月 2nd, 2011
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01/03/2011/TUE/六十日目

仕事で何年も使ってきたホイール付きのキャリーバッグが壊れたので、新しいもの買いにいく。いろいろ見たが、ニュージーランドのアウトドア・ブランド、macpacのコルー60というキャリーバッグが気に入った。接客してくれる店員さんと話をしながら何度も「macpac」というブランド名を言いそうになるが守りきり、5日連続の完封。

5日連続の完封は、2月5日~2月9日の期間、2月12日~2月16日の期間に引き続き「パ」日誌メントはじまって以来3回目。

ここまでの成績。
積算上演日数:507日(±0)
終演まで:446日(-1)
終演見込み日:2012年5月21日(±0)

Posted: 3月 1st, 2011
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