14/01/2011/FRI:十四日目

朝:納豆、たまご、玄米ご飯
夜:にんにくおろしの豚肉ローズマリー焼き、豆乳としょうがの野菜スープ、玄米ご飯、キムチ

ブラウザで開かれたウェブサイトのある画像を、「パ」ソコンに保存しようとした。マウスでカーソルを操作して、目当ての画像をブラウザからデスクトップの方へと”ドラッグ&ドロップ”でもってくる。画像を手放してしまわぬよう、マウスのボタンはしっかりと押しっ「パ」なしにした状態を保ったまま慎重にスライドさせ、デスクトップ上のここだという地点に来たら「パッ」と手を放す…。そんな要領で作業していた時、思わず口が滑った。

「えーと、この画像を引っぱってきて、と…」

地雷ワード”引っぱる”「パ」裂。

データをダウンロードする際に、よく「落とす」という言葉が使われるが、こんなダウンロードのやり方はウェブから「落とす」のではなく、明らかに「引っぱってくる」感覚だ。”ドラッグ&ドロップ”の”ドラッグ(drag)”は、直訳すると「引きずる」という意味だが、状況によっては「引っぱる」とも訳され得る。「引きずる(引き擦る・引き摺る)」にしろ、「引っぱる(引っ張る)」にしろ、摩擦力か張力かという性質の違いがあるものの、何かを「引っぱる」ときの物理的な抵抗のニュアンスが込められている点では共通していると言えるだろう。上記のようなシチュエーションでは、ドラッグの過程でマウスのボタンをうっかり放してしまうと、画像はゴムに引っぱられるようにして元の場所へと引き戻され、操作が完了しなかったことが直感的に分かるように示される。このようなコンピューターのヴァーチャルな振る舞いに、私の生理的感覚はまんまと騙されて、画像を物理的に「引っぱっている」と信じ込む。そこに摩擦力や張力といった抵抗など存在しないにも関わらず、マウスをスライドさせる手や、ボタンを押す指にも自然と無駄な力が入ってしまうのだ。

しかし、「ウェブから画像を引っぱってくる」とは言うけれど、「ウェブから画像を引いてくる」と言いにくいのは何故だろう。「引っぱる(引っ張る)」と「引く」とは、意味的にほぼ同じようなでいて、感覚的にはだいぶ異なるように思われる。「引っぱる(引っ張る)」には、「張る」という言葉が含まれている通り、何かが張りつめたようなテンションが感じられるが、「引く」には取り立ててそのようなテンションは感じられない。「引く」は「引っぱる」に比べてもっとニュートラルな印象だ。

「人」の例えで考えてみると、「人」に対して「引く」という動詞が使われる場合、「気を引く(惹く)」「人目を引く」「注意を引く」といった具合に、引く者と、引かれる者の間には、一定の距離が保たれていて、引く者が引かれる者を自然に「引きつけて」、あるいは「引きよせて」いるようなニュアンスが感じられる。「手を引く」と言った場合でもそこには物理的な接触があるものの、引かれる者の自発的な歩調への配慮は保たれていて、引く者の腕力が引かれる者の動く力に直接作用しているわけではない。だから「手を引く」は、「牽引」ではなく「誘導」なのだと思う。

それに対して私たちが”人を「引っぱる」”と言うとき、そこには物理的な腕力や、筋力が働いている感じがする。組織においてリーダーが部下を「引っぱる」、あるいは恋愛において男が女を「引っぱる」と言ったとき、そこには強い者が弱い者の手をむんずと掴み、場合によっては手綱でも取り付けて、ぐいぐいと「引っぱる」ような、そんな強引で力づくのニュアンスが感じられる。それはもはや「誘導」というより「牽引」といった印象だ。そこに物理的な接触がなくとも、引かれる者を動かしているのは、引く者の腕力や筋力といった物理的な力であるかのようだ。

だから「ウェブから画像を引っぱってくる」という表現が相応しく思えるのは、例えそれがヴァーチャルなものであろうとも、そこに思わず筋肉が力んでしまうような物理的な「張り」があるからだろう。

そう考えると、「引っぱる(引っ張る)」にはあって、「引く」にはないテンションのニュアンスは、「引っぱる(引っ張る)」ときに体感される筋肉の肉体的「張り」や、綱引きで綱が引っ張られてぴんとするような物理的「張り」に由来すると考えられる。

確かにそうかも知れない。しかし、それだけではない気がするのだ。「引っぱる(引っ張る)」は「引きはる(引き張る)」が音便化したものだが、「引っぱる(引っ張る)」の「張る(パる)」が、筋肉や綱の「”張り(ハり)」に由来するというならば、わざわざ「引っ”パる”」と訛らずに、「引き”ハる”」のままでも良かったはずだ。それなら私も地雷を踏まずに済んだというものだ。「引きはる(引き張る)」から「引っぱる(引っ張る)」へと音便化が起こった決定的な理由がまだあるはずだ。

私たちの体は筋肉にテンションがかかればかかるほど、自然にそれと連動して呼吸にもテンションがかかるようにできている。「気張り(きばり)」とはこういう状態のことを言うのだろう。例えば綱引きで力いっぱい綱を「引っぱって」「気張る」とき、筋肉や綱の「張り」に呼応して、「っ」という促音とともに私たちの呼吸も一時的に停まっているはずである。つまり「引っぱる(引っ張る)」に含まれる「っ」という促音は、私たちが力を込めて「引っぱって(引っ張って)」「気張る」ときの呼吸の状態を、そのまま音として反映したものなのだ。そしてここでも「っ」という呼吸の真空状態は、”あの音”によって美しく破られることを欲するだろう。「ひっ”ハ”る」という不抜けた形でも、「ひっ”バ”る」という濁った形でもなく、「ひっ”パ”る」という最も理にかなった美しい形で。

ここまでの成績…
積算上演日数:403 (前日比+1日)
終演まで:389日 (前日比±0日)
終演見込み日:2012年2月7日 (前日比+1日)

Posted: 1月 14th, 2011
Categories: パ日誌
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