12/03/2011/SAT/七十一日目

未明、新潟で震度6強、千葉で震度4、秋田で震度4、福島で震度4、長野で震度4、群馬で震度4、茨城で震度4、三陸で震度4、宮城で震度3。早朝、新潟で震度6弱、長野で震度4、福島で震度4、茨城で震度3、宮城で震度3、三陸で震度3、秋田で震度3。朝、福島で震度4、新潟で震度4、長野で震度4、宮城で震度3、岩手で震度3、三陸で震度3、茨城で震度3。昼、岩手で震度4、新潟で震度4、長野で震度3、福島で震度3、茨城で震度3宮城で震度3、三陸で震度3。夕方、東京で震度3、福島で震度3、茨城で震度3新潟で震度3、三陸で震度3。夜、福島で震度5弱、新潟で震度5弱、岩手で震度4、長野で震度4、茨城で震度3、宮城で震度3。

『金閣寺』30、31公演目。(大阪、梅田芸術劇場)

ホテルで目覚めると、つけっぱなしで寝てしまったテレビからは、言語に絶する映像が流れ続けていた。繰り返し流される津波の映像があまりに衝撃的すぎて昨晩はあまり眠れず、睡眠不足。

しかも朝から何だか涙腺が緩い。自分で自覚しているよりも、破壊的な映像で心がダメージ受けているようだ。今日はマチネとソワレの2公演をこなさなければならないというのに。ハードな一日になりそうだ。

部屋のカーテンを開けると天気はよかった。26階の窓から見下ろす大阪の街の風景はいつもと変わらなかった。

するとパートナーから電話。昨晩泊めてもらった同僚の家からそのまま仕事に向かうとのこと。大きな余震があるかもしれないので、夜は横浜の私の実家に泊まるように私は「パ」ートナーを説得した。

ホテルを出て劇場へ。みんな口数が少なく、舞台裏は静まり返っている。「おはようございます」と、キャストやスタッフの方々と挨拶をするが、お互い今日も震災の話題は持ち出さなかった。楽屋に入り、テレビモニターのスイッチを入れ、チャンネルをニュースに合わせた。普段は舞台に集中するため、楽屋ではなるべく外の情報はシャットアウトしてきたが、今日はそうはいかない。

そしてマチネ開演。空席が目立つ。きっと首都圏から来るはずだった人が来られなくなったのだろう。『金閣寺』は地方公演でも、かなりの数の人が首都圏から観に来るのだ。

マチネを終え、シャワーを浴びる。そして楽屋へ戻ったとき、私はテレビに映し出された映像に言葉を失った。

え?…。

福島の原子力発電所とみられる建物からもうもうと煙が上がっている。爆発した…。原発が爆発してしまったのだ。

ニュースによれば、爆発があったのは、福島第一原発一号基。大きな揺れがあり、ドーンという音とともに白煙が上がったとのこと。現場にいた4人が病院に運ばれたらしい。すぐにチェルノブイリのことが頭をよぎった。これはヤバイ。いても立ってもいられなくなって楽屋の外に出る。そして廊下を通りかかったスタッフにこう話しかけた。

「テ、テレビ見ました?原発…、ヤバイことになりましたね…」

地雷ワード、「原発」パ裂。

よりによってこんな日に、こんな形で「パ」と口を滑らせてしまうとは何たる罰か…。自らを呪う。

誰かが街頭でもらってきたのだろう。劇場事務所の掲示板には「福島原発で爆発」と大きく書かれた号外が張り出されていた。明日の大千秋楽を前に、本日予定されていた打ち上げは中止。

こんな日にマチネとソワレ計2公演というのはさすがにキツかったが、それでも何とか公演を終えて、ホテルへ戻る。すると怪しい女子が私の背後をつけてくる。さては『金閣寺』の他のキャストのおっかけだろう。私とお目当てのキャストが同じホテルの同じ階に宿泊してると思って尾行してきたらしい。まったく、こんなときにやめてくれ…。一旦別の階で降りて、おっかけを巻いてから自分の部屋へ戻る。

実家に電話。電話も少し繋がりやすくなってきた。仕事を終えた「パ」ートナーが実家に到着したらしい。今晩は実家に泊まるとのこと。ノートPCを開くと海外の友人、知人から、安否を気遣うメールが次々と届く。世界中で日本の震災と原発事故がトップニュースとして報道されているようだ。

ベッドに入るが眠れない。
テレビをつける。何度も繰り返される津波の映像を見ながら、ビールを喉に流し込む。

気仙沼には一度仕事で訪れたことがある。あの時会った人たちはどうしただろう。
あの美しい碁石海岸はどうなっただろう。
津波による死者・不明者の数はどこまで増えるのだろう。
原発事故はどうなるのだろう。
東北はどうなるのだろう。
この国はどうなるのだろう。
私の「パ」ートナーや家族はどうなるのだろう。
私たちの未来はどうなるのだろう。

とにかく明日は『金閣寺』大千秋楽。
明日の公演を終えれば、家に帰れる。

ここまでの成績…
積算上演日数:521日(+1)
終演まで:450日(±0)
終演見込み日:2012年6月4日(+1)

Posted: 3月 12th, 2011
Categories: パ日誌
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