21/03/2011/MON/八十日目

早朝、福島で震度4。朝、茨城で震度3、福島で震度3。昼、岐阜で震度3、新潟で震度3、茨城で震度3。夜、熊本で震度3、茨城で震度3。

一日中、実家に引きこもり。鬱屈した気持ちが晴れない。

母が緊急時のために飲み水を買いだめしておきたいが、車が出せないのでどうしたらいいだろうという。

そもそもミネラルウォーターを買えるのかという問題もあるのだが、首都圏では深刻なガソリン不足が続いている。ガソリンの在庫が底をつき、閉店するガソリンスタンドが続出。開店しているわずかなガソリンスタンドには車が殺到し、何時間も並ばなければ給油することができない。今週中にも供給が安定する見通しとのことだが、今車のタンクに残されているわずかなガソリンを消費するのはできるだけ避けたい。

私:「じゃあ、カートをひっぱって買いにいってこようか」

地雷ワード、「ひっぱる」、パ裂。

それでも今日は一つだけ、良いニュースがあった。以下に転載させていただく。

夢は芸術家…9日ぶり救出の16歳少年「助かって良かった」(スポニチ)

宮城県石巻市の倒壊した家屋で震災から9日ぶりに救出された阿部任さん(16)が21日、入院先の石巻赤十字病院で取材に応じ、「助かって良かった」などと心情を語った。
任さんと祖母の寿美さん(80)を助け出した県警石巻署の清野陽一巡査部長(43)ら4人も「生存者がいたことに驚いた。生きていてくれてうれしい」と話した。
病室のベッドに寝たまま質問に答えた任さんは、閉じ込められていた9日間について「水を飲んで、お菓子を食べていた」とし、「(捜索隊などの)音は聞こえたが、外に出られなかった」と述べた。
同席した父親の明さん(57)は「順調に回復してくれるはず。(寿美さんが助かったのは)任がいたからだと思う」と穏やかな表情を見せた。
清野巡査部長らによると、石巻署員4人は20日午後の捜索中、かすかな声が聞こえたため、近づくと家屋の屋根にすがりつく任さんを見つけた。寒さに震えていたが「大丈夫です」と話した。署員がカイロを差し出したが、「おばあちゃんを助けてほしい」と寿美さんを気遣った。
家屋は押しつぶされていたが、署員らは、がれきをかき分けながら中へ。クロゼットや冷蔵庫などが倒れた台所に、わずかに空いたスペースで寿美さんが布団にくるまり座っていた。寿美さんは衰弱した様子だったが「安心してください」との署員の言葉に泣き崩れたという。
救出後、清野巡査部長が任さんに将来の夢を尋ねると、「芸術家になりたいです」と元気に答えたという。清野巡査部長は「つらい中での救助活動だったが励みになった」と振り返った。
同署などによると、東北地方では地震の後、雪が降るなど真冬並みの日もあった。2人は厚着し、毛布にくるまって寒さをしのぎ、冷蔵庫の中にあったヨーグルトなどを食べていたという。
寿美さんと任さんを診察した石巻赤十字病院の小林道生医師は21日、取材に対し「(2人とも)元気で、朝食もしっかり食べた」と話した。

ここまでの成績…
積算上演日数:525日(+1)
終演まで:445日(±0)
終演見込み日:2012年6月8日(+1)

Posted: 3月 21st, 2011
Categories: パ日誌
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