21/09/2011/WED/二百二十日目

多摩美で授業の日。

北上していた台風15号が、帰宅ラッシュの時間帯に首都圏を直撃。鉄道が軒並み運休となり、多くの帰宅難民が発生。仕事に出ていた「パ」ートナーから、東急大井町線の中延駅まで来たものの、電車が動いておらず帰れないとの連絡があったため、大学の仕事を終えてから暴風雨の中を車で迎えに出動。

街路樹がざわめき、黒光りする路上の上を風が飛沫をあげて暴走する。普段は多摩川に生息しているところを吹き飛ばされてきたのだろう。国道2号線の車道のど真ん中で、一羽の哀れな鵜が羽根を広げて立ち往生していた。中延駅に着いて「パ」ートナーを救出(この表現は決して大げさでない)。大量の雨滴がフロントガラスの視界を遮る中を恐る恐る運転し、何とか家の近くまでたどり着くと、いつも使っている道路に大きな街路樹が倒れていて通行止めになっていた。来た道を引き返し、迂回してやっと帰宅。

報道によれば、台風はさらに北上し、震災被災地である東北地方を直撃、全国で16人が死亡、2人が行方不明とのこと。この自然の猛威に多くの人が半年前のことを思い出したはずである。今年はなぜ僕らをこんなにも自然災害が襲うのか。いずれにせよ思っていたよりもずっと僕らの文明社会というのは脆いようである。それが奇跡的に保たれた地球環境のバランスの上に乗っかる形で築き上げられていて、そのバランスが何かの拍子に崩れれば、僕らの文明社会もあっけなく崩壊し、簡単に機能不全に陥ってしまうということを、今の僕らは痛いほど思い知らされている。

夏目漱石の小説『吾輩は猫である』に登場する水島寒月のモデルになったともいわれ、 「天災は忘れたころにやってくる」 の名言で知られる地球物理学者の寺田寅彦は、日本人には「天然の無常観」 が備わっているとした。歴史的に度重なる大災害が日本人の無常の美意識を培ってきたことはよく言われるが、この説は寅彦に端を発するらしい。日本人が古くからこうした”天の「パ」ニッシメント”、すなわち「天譴」や「天罰」を畏れながら、自然と共生してきたことを、僕は今まで単に学校で習うような知識としてしか知らなかった。例えば、かつて高校の古文の時間に鴨長明の『方丈記』が取り上げられても、そこに綴られた大災害の記述は、昔の人のセンチメンタルな詠嘆にしか感じられなかったのだが、今年になって読み返してみると、鎌倉時代に記されたこの書物が、実に真に迫ったジャーナリズムのように読めてきて、現代の自分が実感を伴った共感を持てることに驚かされるのである。

当然のことながら今の僕らの文明社会は、”天の「パ」ニッシメント”を畏れながら自然と共生するという「日本近世」以前の考え方ではなく、人間から自然を分離し、対峙し、支配しようとする「西洋近代」の考え方を基盤にして形作られている。この「西洋近代」の恩恵によって僕らは、古くから苛まれてきた”天の「パ」ニッシメント”への畏れから開放されるはずではなかったか。しかしどこからどう見ても、原「パ」ツという西洋近代に端を発する最も究極的な技術は、時代遅れなはずの”天の「パ」ニッシメント”への畏れから僕らを開放するどころか、何倍にも畏れを増幅して僕らを苦しめているではないか。これは一体どういう罰なのか?。まったく冗談みたいな話ではないか。

風で暴れる街路樹のざわめきが、窓ガラスを叩き付ける激しい雨音が、地震で揺れる建物の軋みが告げている。もう一度「無常」への想像力を回復せよ、と。果たして僕らは近世以前への回帰でもなく、単なる西洋近代の否定でもない、新しい文明社会のあり方を創造することができるのだろうか。

早朝、宮城県沖を震源に震度3。茨城県北部を震源に震度5弱。今日は完封。

ここまでの成績…。
積算上演日数:845(±0)
終演まで:581(-1)
終演見込み日:2013年4月23日(±0)

しかし、日誌の更新が滞ったので(6/29~7/1、7/5)、上演期間を4日間延長。
積算上演日数:849
終演まで:585
終演見込み日:2013年4月27日

Posted: 9月 21st, 2011
Categories: パ日誌
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