13/03/2011/SUN/七十二日目

未明、福島で震度4、新潟で震度3、茨城で震度3。早朝、福島で震度3。朝、宮城で震度5弱、茨城で震度4、福島で震度3、岩手で震度3。昼、長野で震度4、福島で震度3、岩手で震度3、千葉で震度3。夕方、宮城で震度3、岩手で震度3。夜、福島で震度3、茨城で震度3。深夜、福島で震度4、千葉で震度3、三陸で震度3。

『金閣寺』大千秋楽。32公演目(大阪、梅田芸術劇場)

原「パ」ツのこと、被災地のことが気になって一睡もできずに夜が明ける。

何とか一時間だけでも眠りたい、そう思って目を閉じるが、瞼の裏側に焼き付いた破壊的な映像が津波のように押し寄せてきて、目を閉じていることができない。あきらめて朝食をとるために25階のレストランへ。

窓から臨む大阪の朝は美しかった。

しかし今日は舞台に立ちたいとはどうしても思えない。

多くの人がそうであるように、私もまた不安と無力感に苛まれていた。

しかしそれでも幕は明けるのだ。

そしてこれが自分の選んだ道なのだ。

自分が受け取けとったこの衝撃を、舞台で声に変えて放出することが、今の僕にできる唯一の仕事なのだろう。

そう自分に言い聞かせて、ホテルをチェックアウト。
劇場へ。

そして本番。できるかぎりのことはやったつもりだ。

32公演ものロングランが終わった。余韻を味わう暇もなく、急いでシャワーを浴び、荷物をまとめ、劇場を後にして新大阪駅へ。帰りの新幹線はがらがら。客室の空気は張りつめて、私を含めてみんな無口だった。そんな中、気を遣ってくれたのだろう。プロデューサーの福島さんが2人分のビールを持って私の隣に座り、明るく話しかけてきてくれる。

「夏のニューヨーク公演がんばりましょう」と福島さん。

『金閣寺』は7月にニューヨークで開催されるリンカーンセンターフェスティバルで再演されることになっている。
昨晩一睡もできなかったのと舞台の疲れのせいで、いつもよりビールのまわりは早かった。加えてこの震災で何かが鬱屈していたのだろう、私はいつもよりずっと早口だった。日本のインディペンデントな音楽シーンや、舞踏といった文化が、いかに世界的な評価を受けているか、そしてそれがいかに日本のメディアに載らないか、というような話をマシンガンのごとく興奮気味に語り続けた。

私:「ノイズや即興音楽シーンでは、日本のアーティストは海外からひっぱりだこなんですよ」

地雷ワード「ひっぱりだこ」、パ裂。口が滑ったことで、少しだけ酔いが醒める。

そうこうしているうちに新幹線は新横浜へ。

キャスト、スタッフの皆さんとお疲れさまの挨拶をして新幹線を降り実家へと向かう。

実家の最寄り駅までいくと、ちょうど母と実家へ身を寄せている「パ」ートナーとが、駅前のスーパーへ買い出しに来ているとの連絡があり合流。2人とも私の顔を見てほっとした様子だ。私もやっと少し肩の力が抜くことができた。

しかしスーパーの棚にはほとんど何もなかった。震災で多くの人が一気に買い込みに走ったようだ。それでも残されたわずかな食料を買って、実家へ帰宅。3人でテレビニュースにかじりつきながら夕食をとる。

ニュースによれば、原「パ」ツ事故によって首都圏に深刻な電力不足が生じているとのことで、東京電力は、明日14日から3時間ずつ、地域ごとにローテーションで停電を実施するという。実家のある地域は第5グループに分けられるらしいのだが、東京電力が事態に対応しきれておらず、情報が混乱をきたしていて、停電が実施される時間帯が深夜になっても発表されない。停電した場合、鉄道機関への電力供給も停まるため、その地域の電車は動かなくなるらしい。

明日、こんな非常事態の中でも「パ」ートナーは仕事に行かなければならないという。電車が動かなければ、職場に辿り着けないではないか。しかし、明日のことは明日のことと、あきらめて、そのまま「パ」ートナーと実家に泊まることにした。

ここまでの成績…
積算上演日数:522日(+1)
終演まで:450日(±0)
終演見込み日:2012年6月5日(+1)

Posted: 3月 13th, 2011
Categories: パ日誌
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